2022年11月27日
第29訓 西郷隆盛の遺訓を現代に顧みて
明治維新の立役者の西郷隆盛の訓話をまとめた「南洲翁遺訓」を垣間見て、
現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第29訓を垣間見てみます。
序文
道を楽しむのです。
原文
道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、
如何なる艱難の地に立つとも、
事の成否、身の死生抔に、少しも関係せぬもの也。
事には上手下手有り、物には出来る人、出来ざる人有るより、
自然心を動かす人も有れども、人は道を行ふものゆえ、
道を蹈むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。
故に只管ら道を行ひ、道を楽み、若し艱難に逢ふて、
之を凌がんとならば、弥々道を行ひ、道を楽む可し。
予、壮年より、艱難と云ふ艱難に罹りしゆえ、
今はどんな事に出会ふとも、
動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也。
仮名入り
みち おこな もの もと こんやく あ
道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、
いか かんなん ち た
如何なる艱難の地に立つとも、
こと せいひ み しせいなど すこ かんけい なり
事の成否、身の死生抔に、少しも関係せぬもの也。
こと じょうずへた あ もの でき ひと でき ひとあ
事には上手下手有り、物には出来る人、出来ざる人有るより、
しぜんこころ うご ひと あ ひと みち おこな
自然心を動かす人も有れども、人は道を行ふものゆえ、
みち ふ じょうずへた な でき ひと な
道を蹈むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。
ゆえ ひたす みち おこな みち たのし も かんなん あ
故に只管ら道を行ひ、道を楽み、若し艱難に逢ふて、
これ しの いよいよみち おこな みち たのし べ
之を凌がんとならば、弥々道を行ひ、道を楽む可し。
よ そうねん かんなん い かんなん かか
予、壮年より、艱難と云ふ艱難に罹りしゆえ、
いま こと であ
今はどんな事に出会ふとも、
どうよう いた そ しあわせ なり
動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也。
私流訳
自分が志した道を進もうとする者は、もともと困難な事に会うものだから、
如何なる艱難辛苦の場面に立っても、そのことが成功するか失敗するかということや、
自分が生きるか死ぬかというようなことに少しも関係のないのである。
事を行なうには、上手下手があり、
物によっては良くできる人、良くできない人もいるので、
前に進むことで自然に疑いをもって、不安や動揺する人もあろうが、
人は志した道を進むものだから、
志した道を歩み実践している人は、上手下手もなく、できない人もない。
だからただひたすらに精一杯に志した道を行い、道を楽しむのです。
もし艱難辛苦に会い、克服しよとするならば、
いよいよ自分の志の道に挑戦し、自分を高める時として、
道を楽しむのです。
自分は若い時代から、艱難辛苦という艱難辛苦にあって来たので、
今はどんな事に出会っても心が動揺するようなことはないだろう。
それだけは実にしあわせだ。
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私流解釈
この訓話は、私にとってホッとするものであります。
上手くいっても手たくそでも、前に進んで歩んでいる証拠であり、
たとえ、壁や困難なことがあっても、理不尽なことがあっても
それが志した道ということ西郷さんは、応援している気がします。
しかも、それを楽しんでもいいとも言っている。
何とも痛快な訓話であります。
現代に顧みて
現代は、艱難辛苦があると逃げてしまったり、辞職したり、
諦めが早くなった気がします。
失敗に対する非難は、ニュースやネットでさらに批判が増幅する。
政治家や芸能人や有名人は、大変な時代であります。
だが、失敗しても、我が志した道を突き進み、
それを楽しんで行う人は、なかなかいないものである。
大臣がドミノ倒しで辞任するというニュースをみたが、
もともと大志もないものが大臣の椅子に座っている事自体がおかしい。
イギリスのサミュエル・スマイルズは自助論の中で、
その国の国民のレベルがその国の政治のレベルになる。
国民のレベルが低いならば、その国の政治もの低いものになり、
国民のレベルが高いならば、その国の政治も高いものになる。
名言であります。
政治家に期待したいものであるが、まずは、日本人のひとりひとりが、
いろいろ意味も深めてレベルを上げていかないと、
四方を危ない国に囲まれたこの国を守ることもできない。
時間はあまりないが、私も自戒しながら、この訓話のような
志を生きたいと感じる次第であります。
最後まで読んで頂きまして有難うございます。
押して頂くと励みになります。
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稲盛和夫の南洲翁遺訓の解説本
経営者の視点では素晴らしい本です。
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森信三の南洲翁遺訓の解説本
修身や道徳の視点では必見の本です。
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現代の日本の政治や世相を自分ながら解説してみよと思います。
南洲翁遺訓は全部で41訓ありますが、今日は第29訓を垣間見てみます。
序文
道を楽しむのです。
原文
道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、
如何なる艱難の地に立つとも、
事の成否、身の死生抔に、少しも関係せぬもの也。
事には上手下手有り、物には出来る人、出来ざる人有るより、
自然心を動かす人も有れども、人は道を行ふものゆえ、
道を蹈むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。
故に只管ら道を行ひ、道を楽み、若し艱難に逢ふて、
之を凌がんとならば、弥々道を行ひ、道を楽む可し。
予、壮年より、艱難と云ふ艱難に罹りしゆえ、
今はどんな事に出会ふとも、
動揺は致すまじ、夫れだけは仕合せ也。
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道を行ふ者は、固より困厄に逢ふものなれば、
いか かんなん ち た
如何なる艱難の地に立つとも、
こと せいひ み しせいなど すこ かんけい なり
事の成否、身の死生抔に、少しも関係せぬもの也。
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事には上手下手有り、物には出来る人、出来ざる人有るより、
しぜんこころ うご ひと あ ひと みち おこな
自然心を動かす人も有れども、人は道を行ふものゆえ、
みち ふ じょうずへた な でき ひと な
道を蹈むには上手下手も無く、出来ざる人も無し。
ゆえ ひたす みち おこな みち たのし も かんなん あ
故に只管ら道を行ひ、道を楽み、若し艱難に逢ふて、
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如何なる艱難辛苦の場面に立っても、そのことが成功するか失敗するかということや、
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事を行なうには、上手下手があり、
物によっては良くできる人、良くできない人もいるので、
前に進むことで自然に疑いをもって、不安や動揺する人もあろうが、
人は志した道を進むものだから、
志した道を歩み実践している人は、上手下手もなく、できない人もない。
だからただひたすらに精一杯に志した道を行い、道を楽しむのです。
もし艱難辛苦に会い、克服しよとするならば、
いよいよ自分の志の道に挑戦し、自分を高める時として、
道を楽しむのです。
自分は若い時代から、艱難辛苦という艱難辛苦にあって来たので、
今はどんな事に出会っても心が動揺するようなことはないだろう。
それだけは実にしあわせだ。
私流解釈
この訓話は、私にとってホッとするものであります。
上手くいっても手たくそでも、前に進んで歩んでいる証拠であり、
たとえ、壁や困難なことがあっても、理不尽なことがあっても
それが志した道ということ西郷さんは、応援している気がします。
しかも、それを楽しんでもいいとも言っている。
何とも痛快な訓話であります。
現代に顧みて
現代は、艱難辛苦があると逃げてしまったり、辞職したり、
諦めが早くなった気がします。
失敗に対する非難は、ニュースやネットでさらに批判が増幅する。
政治家や芸能人や有名人は、大変な時代であります。
だが、失敗しても、我が志した道を突き進み、
それを楽しんで行う人は、なかなかいないものである。
大臣がドミノ倒しで辞任するというニュースをみたが、
もともと大志もないものが大臣の椅子に座っている事自体がおかしい。
イギリスのサミュエル・スマイルズは自助論の中で、
その国の国民のレベルがその国の政治のレベルになる。
国民のレベルが低いならば、その国の政治もの低いものになり、
国民のレベルが高いならば、その国の政治も高いものになる。
名言であります。
政治家に期待したいものであるが、まずは、日本人のひとりひとりが、
いろいろ意味も深めてレベルを上げていかないと、
四方を危ない国に囲まれたこの国を守ることもできない。
時間はあまりないが、私も自戒しながら、この訓話のような
志を生きたいと感じる次第であります。
最後まで読んで頂きまして有難うございます。
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