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2019年07月01日

授業中のエアコン

木曜日に行った授業評価の、記述式の生徒の意見が公開された。
記名式なのだが、教員に発表されるときには、その部分がカットされる。
だが、教えているクラスの生徒ならば、字を見れば誰だか分かるものだ。

生徒も心得ていて、いわゆる辛辣な意見を書く生徒はほとんどいなくなった。
これも、記名式になったからだろうが、学校全体の雰囲気として、「生徒も教員もお互い良くなっていこう。成長していこう」、という雰囲気ができている。

それでも、授業がうまく行かない先生もおり、生徒の意見がボディブローのように効いてきて、退職される先生だっている。

「進度が速い、という生徒と、遅いという生徒がいるんだよな…。」
同僚の数学の先生がぼやく…。

習熟度別にクラスを分けているとは言え、私立学校の学力差は大きい。
偏差値では70越えから30未満まで分布している。人数は60人だ。

実際、私へのコメントだが、「聞くことは聞くが、聞かないことは聞かない」、というのが、私の考えだ。「なるほど」、と納得したことは変えていくが、譲れない部分もある。

授業中私はあまりエアコンを使わないので、今回中3のある生徒に、
「エアコンは大好きです。」
と、書かれた。
中3の教室は最上階で暑いのだ。
もちろん私だって暑いときはエアコンをつける。

体育のあとに、着替えることのなく、汗だくの状態で、エアコンはつけにくい…。
先日の授業中にも、「着替えているなら、エアコン、つけてもいいけど…」、と答えておいた。

汗だくで制服を着るのも忍びないが、汗だくのまま、シャツが肌に張り付いているのも困る。
デオドラントウォーターなど振り掛けられたら、もっと困る。

梅雨で、湿度の高い日が続いているので、温度も高い日は、エアコンのお世話になってもいいだろう。「エアコンで電気代が高くなると、学費が上がるんだよ。」
と、少し脅しを掛けてみたが、もしかしたら、給料の方が下がるのかも知れない。

昨年の猛暑により、今年度は近隣の市が、学校の普通教室にエアコンを整備した。
私の住む地域は、以前は、夏でも30℃を越える日が数日であったのだが、昨年は30日余りにもなったのだ。

地球温暖化は信じていないが、ここ数年、夏が暑いのは事実だ。

だが、ガンガンに冷やした部屋で、長袖長ズボンで過ごす中学生の姿は、やっぱりおかしい。

世の中、少しずつ狂ってきているのではないか。





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2019年06月30日

雨の休日

雨でまたしても練習試合が中止になった。
これで、総体本番まで試合なく、当日を迎えることになる。
計画した練習試合は6試合。そのうち4回が雨で流れた。

同じ地区のどこの学校も、天気は変わらないので、状況は一緒なのだろうが、今年の梅雨は雨が多い。しかも、試合を予定している週末になると雨が降る。

今朝も、「誰だ、雨男は?」、と声を掛けたが、中3の先日ガラスを割った奴だ。
「どうせ勝負にならないから、さっさと大会が終わってしまえばいい…」、と思っているフシがある。

昨晩から予想はされたとはいえ、今日の試合が中止になったのは痛かった。

おかげで、隠れ家で一日過ごすことはできたが、雨が降ると、できることが限られている。

「雨の音っていいですよね…。」
よく、隠れ家に来てくれる高校生がつぶやく。
彼は野球部のコーチをしてくれていたが、めっき顔を出さなくなった。

夕方、雨が上がったので、ベランダの排水溝を掃除して水を流す。
そして愛犬の散歩。
今日はせっかく風呂で洗ったのに、また、どんどん草の中に入っていく。

明日からは期末考査一週間前。
原則部活動は中止だが、さすがに大会前なので、少し練習をする。

昨日、今日の練習中止で、彼らに勉強を時間を与えたのだが、有効に使えただろうか。

「音楽聴きながら勉強していいですか?」
「スマホ持ってきていいですか?

良いわけない。
どう考えてもスマホは遊び道具だ。
せめて、学校にいるときくらいは触らないのが救いかな、とも思うが、それ以外の時間は肌身離さず持っているのだから、良いのか悪いのかも分からなくなる。

今回は、ちょっと忙しい試験前になりそうだ。

そうそう、昨日の教頭との面談。
「まっく戦力にならなくてすいません。」
と、言っておいた。

「心の平静が大切ですから…。今年はそういう人事だと思いますよ。」
と教頭。

できることを、焦らず、少しずつやっていこう。












2019年06月29日

モノで釣る

私がいつも持っている授業の道具に、指示棒がある。
指示棒と言っても既製品ではなく、ホームセンターで売っている直径1センチくらいの丸棒を半分に切って、40センチくらいにしてある。
全部で4本。
普段は、1本だけ持ち歩くが、空間座標の導入時には3本+1本、空間内の直線や平面の位置関係の授業時には、3本持って行く。
通称、『相(愛)棒』、英語ではラブスティックと呼ぶ。

空間座標の導入には、併せて4次元座標の話もするので、そのための余分の1本である。

教員人生の中で、相棒を持たなかった時は、ほとんどないのだが、昨年の授業アンケートに、
「丹澤先生の棒が黒板とぶつかる音で、繊細なカルタ耳が壊れるのでやめてください。」
と、書かれてしまった。
以来、そのクラスでは、『愛棒』を授業で使うことはなくなった。

今日は、中1の空間内の直線や平面の位置関係の授業。
昨年のクレームを受けたクラスとも違うし、「よし、久しぶりの『愛棒』だ」、と、私は楽しく授業に臨んだ。

私の『愛棒』は、直線を意味する。
平面は、下敷きだったり、ノートだったり、時に机でもいい。

生徒たちは、モノを見ることで、記憶に定着する。

この辺りの教材は、CG動画もあるので、それを併用しながら、空間内の図形の位置関係を説明し、実際に演習を行った。


教具があると、生徒の目を一点に集中させることができる。
既製品は目が飛び出るほど高価だが、工夫すれば、いくらでも代表できるものはある。

それに併せて、昨今流行のCGがあれば、鬼に金棒だろう。

だが、「目で見て分かったつもり…」、では実際の問題が解けないこともあるので、私は、「見たらすぐに解く」、ことをさせている。

これも、モノで釣ることになるのかな…。
ふと、チーズやサツマイモを欲しがる愛犬の姿を思い出した。












posted by 丹澤三郎 at 21:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 数学

2019年06月28日

ブルーな会議

週一回の教科会があった。

αクラスの進度が速すぎるというクレームが来ているというのだ。
先週その話題が出たのだが、教科主任は、「ペースを落とす、ということでいいですよね」、とスルーしたのだ。
クレームを入れた保護者は、私を天敵とし、隙あら攻撃し続けようという方。
私も嫌われたものだ。

昨年度の学年を外れたのも、この保護者がいることがその原因の一つ。
ここ2年間、私はダメージを受け続け、ついにキャパシティを超えてしまった。

その生徒は、中2の三学期で成績不振だったので、クラスをβクラスに移したのだが、それが気に入らなかったのか、さらに激しい攻撃をしてきた訳だ。

先週の教科会では、「人数を減らして、あまりレベルを下げないように…」、という方針だったのだが、一週間たったら、「速度を落とす」、ことに変わっていた。

そのレジュメを見た私は、なんとなく気分も乗らず、会議中ひと言も発言しなかった。
この件について、振られたわけでもなく、答える機会もなかったのだが、私自身、答える気持ちもわかなかった。

「私はここに居続けてもいいのだろうか。」
という思いがよぎる。

「今年は静かにしていようと思っているのだ。」
と、自分自身に言い聞かせつつも、「この先の自分はどうなるのかな…」、という不安にもなる。

ニュースを見ていたら、今日は公務員の賞与支給日だという。
その平均額は72万円だそうだ。

ここ12年、給料が全く変わらず、この夏も賞与が出るかどうかも分からない私にとっては、雲の上の世界だ。

体調的には回復しつつあるが、精神的にはまだまだ這い上がれていない。
いろいろ思い巡らすのも貪・瞋・癡の執着なのだろう。

明日は、教頭との人事面談がある。
教頭が私にヒアリングして、校長に報告するのだという。

今は、愛犬との散歩が至福の時間。
あっと、生徒と遊んでいる時も楽しいね。












2019年06月27日

老眼が進む…

ここ数ヶ月で、ますます老眼が進んだ。
大きな字しか読めなくなったし、授業でも問題集の細かな時の解答を見るときは、眼鏡が欲しくなった。

そうなると、当然のことながら、生活する場所の各所に老眼鏡が欲しくなる訳で、私の場合も、学校の職員室、自宅の机、持ち歩き用等々、何本もの老眼鏡が配備してある。

幸い安価な眼鏡で事足りるのがせめてもの救いだ。

老眼が進んだとき、近視が改善されてしまい、両眼とも1.5に戻った。
それはそれで、ありがたかったのだが、このところの進行はいただけない。

教員として、様々な本を読む、ことは必須条件なのだが、最近は眼鏡がないと、難儀する。
当然、裸眼で読むよりも疲れてしまうので、長い間の読書は苦しくなる。

もはや眼鏡なしでは、辞書や文庫本を読むのは無理である。

以前は、「離せば見える」、と強がって、教科書を離して見ながら、累乗の数字を判定していたが、昨今は離しても見えなくなってきた。

だが、生徒の表情は、はっきりくっきり見える。
それがせめてもの救い。

授業中、彼らの豊かな表情が分かるのは、大変ありがたい。
私の話を聞いているのか聞いていないのか、理解しているのか理解していないのかは、彼らのかすかな表情と、伝わってくるインスピレーションで、分かるのである。

「丹澤先生、老眼ですか?」
「そうだよ。何か文句あるか?」
笑いが起こると、
「誰だ、笑ったのは…。」
と、にこにこ笑いながら彼らをたしなめる。

多少は不便ではあるが、それを逆手にとっての授業展開になる。

「君たちも、あと40年もすれば、老眼になるんだぞ。」
と、負け惜しみを言ってみたが、彼らの時代には医療が進歩して、何らかの解決方法ができているかも知れない。

歳を取ると、若い頃のように身体を動かすことはできなくなる。
運動会で、若い頃のように、全力で走ることもできないし、そんなことをしたら大怪我をするだろう。
子供たちと追いかけっこもできないし、じゃれ合うことも難しくなる。

それでも知恵と経験によって補うことは可能だ。

生徒を愛せる限り、この仕事は続けていけると思うのだ。












2019年06月26日

βクラスの授業

中1の数学の授業での話。
αクラスだったら、何でもない教科書の例題も、βクラスでは苦戦する。
今日は、幾何で、円周率をπで表し、円がらみの面積や、その周の長さを求めようというもの。

「面積は?
「πr2乗」
「円周は?」
「2πr」

と、ここまではOK。
ここで半径をaに変える。
これも大丈夫。

だが、半径がa/2になると、途端に躓く。

私の学校では代数と幾何を同時並行で授業しているのだが、代数で習った文字式の計算が、まだまだ怪しいのである。

だから、a/2の2乗にπを掛けて、半径aの円の半分の面積と合わせるとなると、いきなり文字式の通分になり、これまたハードルが上がる。

「通分すれば計算できますね。」
などと、手抜きの説明をしていたαクラスの時の授業とは全く違う展開が求められる。

中2でもルート2マイナス三分のルート2の計算が厳しい生徒がいた。
計算方法は、a−a/3と同じなのだが、1−1/3と同じようには計算できないのだ。

さすがに中2はαクラスなので、そういう生徒は一人だけだが、中1ではそうした生徒を作らないように、工夫せねば…。

久しぶりのβクラスに、思わぬ落とし穴にはまってしまった。

授業後、ある生徒が、
「先生、どうやったら幾何が分かるようになりますか?」
と声を掛けてきた。

今日の授業にはついてこれなかったのである。
私の敗北である。

また明日、仕切り直しだ。













posted by 丹澤三郎 at 20:35 | Comment(0) | TrackBack(0) | 数学

2019年06月25日

生徒との距離

最近の私は、あまり学校の運営について口出ししなくなった。
以前のように主任会議にも参加することもなく、担任も主任も外れ、ある意味,静かにしている。

もっとも、性格的にはそういうことが得意な訳でも、好きなわけでもない。
長い教員生活の中で、「こうするとうまくいくよ」、と老人の戯言をいっているだけなのだが、礼儀知らずで、言葉も過激なために、皆が嫌煙し、いつしか私の言うことは、聞き流されるようになったと思われる。

だが、それもまたよし。
「やるからには、人の二倍、三倍、十倍仕事をせよ。」
社会人になりたての頃から、そう教えられ、実践(らしきこと)をしてきたが、それが故にトラブルになってしまうことも多かったように思う。

最初に勤めた職場を去ることになったとき、私の母は、
「やり過ぎたんだろ。」
と、つぶやいた。
今から思えば、確かにその通りだったのかも知れない。

私の教育スタイルは、生徒との距離が近い。
近いが故に関係は密になるが、その分リスクも大きかった。
立場的に親に近づきすぎたこともあった。

その反省からか、最近は「生徒との距離が以前より遠いな…」、と思うことが多い。
絶妙な距離感を作るのは難しいのだが、今は試行錯誤しながらいろいろ試しているところだ。

生徒と近づきすぎると、思い入れが大きくなって、ついつい厳しくなる。
離れ過ぎると、関心が薄くなり、「まぁ、いいんじゃないの」、という具合にほったらかしになる。

「丹澤先生は、すっと生徒の中に入って行けてすごいですね…。」
以前、こんなことを言われたことがある。

確かに、臆することなく、飛び込んではいける。
彼らの迷惑を考えることなく、お邪魔虫になるのである。

寛容な生徒たちは、快く私を受け入れてくれるが、そういう生徒ばかりではあるまい。
「また丹澤が来たよ…」、と思っている生徒もいるだろう。

「単なる自己満足なのかな。」

この歳になって、ますます距離感が分からなくなった。

「だが、私は子供が好きなのだ。彼らと過ごしていると楽しいのだ。」
これだけは間違いない。

それが特技で、唯一の救いなのだろう。












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