アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2019年07月15日

野球の審判をしながら

「切れたら負けだぞ!」
C中学校野球部の部長先生が叫ぶ。

何でもない内野ゴロをさばいた野手のファースト送球が逸れた。
ちょうどそこにランナーが走ってきて、ファースト守備の左肘にあたり、そのまま落球。
ランナーが2塁へ行ったところで、ファーストがうずくまっていたので、タイム。
そのまま救急車で病院に搬送された。
骨折だという。手術は今週末とのこと。

そんなプレーがあったあと、今度はセカンドに相手チーム走者がスパイクを立てぎみでスライディングした。
「殺人スライディングだ。」
ショートの選手が叫んでいた。

少し前、ファーストの選手がボールを捕りに行ったとき、ボールが逸れ、ランナーとぶつかり左手首

気の短いサードも切れてしまい、その選手は他の選手が押さえていた。

そんなときに聞こえてきたのが、この
「切れたら負けだぞ!」
という声だ。

C中学校の選手たちはたくましい。
監督は非常に紳士的で、決して怒鳴ったりはしない。
選手たちは雑草魂のような感じで、ワイルドなのだ。

県大会決めがかかった大事な試合。
熱くなるのも分かる。
これで負ければ、三年生は引退。
これまた、例年より早い時期に実施されているだけあって、この時期に野球が終わってしまうのはたまらない。
選手のほとんどは三年生なのだ。

この試合、結局、怪我だ途中退場した選手の穴を埋める形で入った、控えの選手のホームランが決勝点となって、C中学校が勝利した。

だが、相手チームのプレーも洗練され、緻密で、好ゲームであった。

今日の私は、この試合の審判をした。

明日は今度は高校野球の応援。
これで四日連続野球に関わることになる。

野球部関連の動きであっても、いつも通りに起きて、いつも通りに寝ている。
それがせめてもの救い…。


【このカテゴリーの最新記事】

2019年07月14日

Y君のメッセージ

総体二日目は、雨天のための三時間遅れでの開催との連絡が入った。
朝は少しのんびりして、集合時間の9時半に球場に着くも、雨は一層激しくなり、グランドは水たまりばかり…。
「今の試合は、県大会出場の代表決定戦なので、良いコンディションで…。」
という意見が多数をしめ、今日は順延になった。

「ああ、高校野球の大会と重なってしまって、困ったなぁ…。」
と危惧していたら、高校野球の方も順延になってちょっと安心。
その代わり、答案返却日に不在となり、他の先生に答案を返却してもらわねばならず、少し面倒になった。

昼には戻り、夕方の反省会まで少しのんびりすることができた。
雨なので、畑仕事はできず、ゴロゴロして過ごしたに過ぎないが、このところバタバタしていて疲労がたまっているので、少し休めてちょうど良かった。

連れて行った中一を犬小屋に連れて行き、愛犬を遊ばせようとしたが、犬の方は怖がって、小屋でウンチを漏らしてしまう始末。このビビりはどうしたものか…。
私がそばにいてもこんな感じなので、まだ私を信用しきっていないのかも知れない。

学校に戻ると、机の上に、ユニフォームとメッセージと「ピルクル」が置かれていた。
中3で試合にでたY君からのものだった。
『丹澤先生。今までありがとうございました。中学野球部、とても楽しかったです。お礼ということでプレゼントです。』
という簡単なメッセージだが、一度退部し、剣道部に移り、また戻ってきたもとキャプテンであったY君の心遣いに感動した。
私の大好きな、「ピルクル」(乳酸菌飲料」を覚えていてくれたことも嬉しい。

いつの間にか、成長していて、後輩たちの面倒を見てくれるようになっていた。
学校でもリーダー的存在になった。
「私から離れると、成長が早いのかも…」、などと、少し自虐的にもなったが、生徒の成長は何より嬉しい…。

ちょうどY君と出会ったので、お礼を述べたあと、
「高校野球の応援で、ユニフォームを使うんだよ。」
というと、
「あっ、そうだった…。」
と、照れ笑い。

几帳面に畳まれたユニフォームは、彼の成長の証でもある。
ありがとうY君。











2019年07月13日

総体初日は怒濤の一日

昨晩、犬小屋からの帰り道、自家用車が走行中いきなり、エンジンオイルランプとバッテリーランプが同時に点灯した。
数キロ走って自宅に戻り、いろいろ調べてみると、この点灯はヤバいらしい。

今朝になっても、状況は変わらなかったので、別の車を使って犬小屋に行く。
朝の散歩と餌やりのためだ。時間は午前4時。辺りは霧に包まれていたこともあり、まだ薄暗かった。

すぐに自宅に戻り、総体出発の準備。今朝の出発時間は5時40分。
第一試合なので、6時半からグランドを作らなくてはならないのだ。

大会はあっという間に始まり、これまで合同チームを組ませていただいた学校との対戦。
一回で5点、二回で5点、3回で5点と15点差になって、地区ルール3回コールドで瞬殺されるとおもっていたが、なんとか5回まではできた。それでも終わってみれば9−0。
まぁ、今のチーム状況ならこんなものだろう。
もし、強豪校なら、もっと点差が開いていただろう。

その後、一人の生徒を学校まで戻す。
入学前ドイツに住んでいて、その時の知人が学校を訪問するという。
さすがに、「本人がいないのはまずい…」、ということで、もう一人の顧問に審判を頼み、私は一度学校に戻ってきたのだ。

学校に戻ると、自動車修理の手配をして、途中スポーツ店に立ち寄る。
実は、正式ユニフォームが散逸して、枚数が足りなく大会で使えなかったのだ。
その手配を終えて、再び球場へ。
途中、部員たちの昼食を準備する。

球場では第二試合が終盤に入っていた。
なかなか熱の入った好ゲームである。
私たちのチームの試合とはまったく別物という感じ。これぞ総体という試合だった。

私の学校の部員たちは一体何を感じただろう。
まぁ、一年生はあまりにだらしなく、忘れ物だらけだったので、ほとんど感じたものはなかったかも知れない…。

その後グランドの外れで、依頼された集合写真とビデオメッセージの撮影。

マイクロバスを運転して学校に戻る。
片付けをさせると、本日の全校行事の時間が迫っていたので、ユニフォームのまま参加させる。

私は、14時に自動車修理のレッカー車が到着するので、そのまま待機。
私の自家用車の下には、細くなって切れてはずれたファンベルトが落ちていた。
ボンネットを開けると、ファンベルトが一本消えていた。

オンボロながらも愛車が自動車搬送車に積まれて去っていく姿は寂しく思ったが、修理の期間中代車を用意して頂けたのは助かった。

毎朝晩、犬小屋に行かなければならないからだ。

さすがに疲れた。
怒濤の一日。

明日は大会2日目。
天気によっては順延となるが、負け審で審判に出掛ける。
そして、明後日は高校野球の応援。

連休なんてカレンダー上だけの話だ。

明日も頑張ろう…。














2019年07月12日

試験を採点しながら…

今日は試験採点日。
と言っても、生徒も教員も休みという訳ではない。
生徒は、全校が集まってのイベント、その間、「教員は採点をしていてもいいよ…」、という日だ。
明日、土曜日は中学の総体ながら、平常授業が行われるのだが、答案返却日は連休明けの火曜日だ。
答案返却日に、期末考査の答案をまとめて返却するのだ。
これにより、当日中に生徒にすべての科目の答案が返却され、学期末の成績処理に取りかかれるという訳だ。

折しも高校野球の開会式。
朝から雨だったが、小雨決行らしく、ちゃんと開会式が行われ、その後試合も実施された。
答案返却まで日程的に少し余裕があるので、休んでしまおうかとも思ったが、頑張って採点。
何とか点数入力までこぎ着けた。
やっぱり、仕事は先延ばししないて、とっとと終わらせてしまうのがいい。

午後には臨時の職員会議があり、その後、明日の大会に向けての練習。
用具も車に積み込む。

「先生、僕何点ですか?」
そう、尋ねてくる生徒は、たいてい成績が良くない。
自分は悪かったと、猛反省している生徒なら、わざわざ先生に聞くと言うことはしない。
採点した先生だって、採点した生徒全員分の点数を覚えているはずもなく、当然私だって、覚えていないことが多いので、たいていは適当に答える。
それでもね点数が高かったのか、低かったのか、くらいは覚えている。

「70点くらいだったと思うよ…。」
などと適当に答えて、その場を去る。

点数に執着しすぎてもいけないが、まったく無関心なのも良くない。
どんなにひどい点数であっても、何も感じず、動じない生徒もいるが、それもちょっと怖い。
中には、良かった時だけ、わざと皆の前で、「僕、何点ですか?」、と聞く生徒もいて、周りから冷笑される。

「褒めて欲しいんだよ。」
という声が聞こえてきそうだが、それも時と場合による。

「あぁ、赤点だ。残念」
と、半ば冗談で叱責することもある。

今回、中位クラスの平均点が極端に低くなった。
長年の上位クラスの問題作りに慣れすぎたのかも知れない。
きっと答案返却時には、
「もっともっと、練習して試験を受けなきゃ…。」
なんて、偉そうに諭すんだろうな…。
ごめんね…。












2019年07月11日

壮行会で考えたこと

期末試験後の学活を利用して、夏の大会の壮行会が行われた。
数年前から壮行会を行うようになったが、一時間のコマを使って行うのは、今回が初めて。
全員がユニフォーム姿で、壇上に上がり、キャプテンが大会に向けての決意を述べるのは、なんとも頼もしい。

本当は「総体の壮行会」と言いたいところだが、総体ではない大会に出場する部もあり、結局、「夏の大会の壮行会」になった。

見ている私たちですら、彼等の雄姿を見ていると、「よし、頑張れ!」と、声援を送りたくなるのだから、この企画はいい。

願わくば、全校生徒でもっとお互いを応援し、各部の発表を盛り上げたらいい。

各部がそれぞれ戦うのだが、部の集合体としてのチームとしてチームで、学校をあげて戦うのだ。

校長が先頭に立って、応援するのもいい。
これが本来の姿だと思うのだが、以前はそうではなかったからだ。

今年は昨年の猛暑の教訓から、大会日程が少し変わった。
県大会の日程も余裕が持たれ、それに伴って地区の大会も早まった。
場合によっては、高校野球よりも早く、中学生の大会が終わってしまう。

三年間思いを込めて、朝と涙を流したそれぞれの部で、中3最後の大会。
これで、中学校の部活動としては、出られる大会がなくなり、引退。

引退と言っても、中高一貫の私の学校では、高校生と練習したり、少し休養期間を持ったりと、人それぞれなのだが、とにかくおしまい。

「一生懸命やって来なければ、泣けないんだよなぁ」と、心も中でつぶやきながら、「今年の中3は、少し軟弱だったかな…。そういう風に育てたのは、私かな。部活動は全然一生懸命でなかったな…」、などと思いを馳せる。

それでも、この時期になって、「これで最後」、と思った彼等は、少ない練習時間の中で、最大限の努力をしているように見えた。

部活動がもたらす教育効果は大きい。
教科指導では学べないことも数多い。
だから、教員が彼等と共に、部活動の時間を過ごしてきたのだ。

昨今、その負担が大きい、と叫ばれるが、長年、教員たちの献身的な奉仕によって、子供が育てられてきたと言ってもよい。

私は、「部活動の顧問をやりたくなければやらなければいい」、と思ってはいる。
そういうポリシーなら、強要しようとは思わない。

ただ全人格的な教育を目指すのであれば、部活動も大切な要素の一つだろう。

母親が、料理をするのが嫌だから、いつも出来合の惣菜やコンビニ弁当で食事を済ませようとすれば、その子供は、母が調理し、愛のこもった食事の味を知らずに育つ。
それでいいのでしょうか?、と言うことだ。

教員として子供と接する以上、いろいろな接点が大切だ。
部活動や様々な教育活動は、単なる時間の切り売りではないのだ。







2019年07月10日

定期試験の別室受験

今回の定期試験では、また別室受験が始まった。
もともと、体調不良者への保健室受験は可能だった。
だが、「教室に入れない、入りたくない」、という生徒のために、数年前に別室受験を行っていた。
ところが、その人数がどんどん増え、ついに別室受験会場として使っていた技術室がいっぱいになってしまうほどの状態になったのだ。
この姿はあまりおかしく、異常であることを、ようやく気づいた当時の校長が、英断を下し、別室受験を廃止した。
その後、別室受験がない状態できたが、ここにきて、再び復活。

新しい校長は、「せっかく保護者様から学費を頂いてお預けいただいているのだから、学校としてできることは、個別指導であろうと、何でもしたい」、との意向で、今回再度始まってしまった訳だ。

別室受験会場は、保健室を含めて時に三カ所になる。
「誰か他の人がいたら無理です。」
という生徒の対応に、一教室と監督教員をあてがう。
「教室には入れない、不登校傾向の生徒も別の教室で受ける。

何としても定期試験を受けさせようという、涙ぐましい学校側の配慮でもある。
診断書なく、試験を受けなかったら、基本的には0点となる。
こんな科目がいくつもあったら、進級は難しくなる。
私立学校で進級できないということは、転校を勧めるか、退学を想定することになるのだ。

たとえ転校しても、新しい学校側は、「○○学校は何やってるんだよ…」、と不快な思いをするはず。成績不良であっても、本人と保護者の強い意志とやる気が感じられたら、これまた特別対応で、進級させたりもする。当然、卒業だってさせる。

教育界は、いつしかこうした世の中になってしまったようだ。

今朝も、不登校生徒を学年主任が迎えに行き、半ばおんぶするような感じで、学校に連れてきた。
おそらく彼女はかまって欲しいのだ。
だが、いざ試験を受ければ、名前を書くだけで白紙で提出する。

出席人数はカウントされるが、試験が0点なら、成績面で厳しくなる。

「だって、いやなんだもん。」
と、あっけらかんとして言う。

「この時期にいかに愛を受けたかが、この先の彼女の人生を決めるはずだ」、という確信の下に、こうした特別対応をしている。

私は、「教育が完全無償化されたら、こうした対応できるのかな…」、と思った。
恐らくは教育のレベルは、いまよりさらに落ちるに違いない。

この話は、また別の機会に…。














2019年07月09日

真の教育

今朝のSNSに、「小学校のトイレで、男子も全部個室にして欲しい」、というものがあった。

個室に入ると言うことは、ウンチをするわけで、それが他の人に知られることで、精神的な抵抗を感じる、というものだ。
もしかしたら、その背後には、「冷やかされる」、という構図もあるのかも知れない。

私は「万事、生徒や児童の思いを満たすような施策をしてはらない」、と思う。
よかれと、思って手を差し伸べたことで、結果的にその人をダメにすることは多い。
「地獄への道は善意で舗装されてる」、という言葉もある。
一般的には、もっとたくましく育って欲しい。

トイレに関しても、別のアプローチがある。
人間に限らずすべての動物は、その排泄行動に安全性を求める。
それを脅かすような、社会性は、指導者が断固として排除しなくてはいけないのだ。
例えば、「冷やかす」ような雰囲気を野放しにしてしまうのは、教師としての失策であろう。
どうしても、小便ができない生徒は、個室を使えばいいが、そのように育ててしまったという教育面でのマイナスもあるはずだ。

物理的な環境を変えるよりまず先に、精神的な部分、集団での社会的な部分への対処を考えるべきだろう。

当然、個別対応しなければならない子供もいるはずだが、すべてが個別対応ならば、学校で集団生活する意味はなくなってしまうのではないだろうか。

時代の流れとともに、子供の数が減少し、より手をかけて育てるようになった。
そのためか、子供の要求をすべて大人が満たすような風潮も出てきた。

愛する子供に背を向けられるのが、何よりも辛く苦しいと感じる親が多いのだろう。

それ故、学校にもそうした対応を求め、「うちに子には…」、と始まる。

我が儘な子供が増え、学校での指導が成り立たない場面も増えている。
だが、もっと大局的な観点から教育を考える時期が来ているのではないだろうか。

一人一台のタブレットなんて、噴飯ものだ。
モノでは代えられない、『心』を教えてこそ、『教育』と言える。

今朝、ちょうど通学時間に自動車を運転していたら、前の車が通学中の小学生を横断歩道前で徐行し、道路を横切らせた。
すると、その小学生三人組は、全員立ち止まり、車に向かって深々と頭を下げたのだ。
朝から良いものを見た。
そういうことが、自然とできるようにするのが、真の教育だと思う。














ファン
検索
<< 2023年09月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
最新記事
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
丹澤三郎さんの画像
丹澤三郎
プロフィール
リンク集
おすすめ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。