2021年11月29日

静かに過ごす

連日の降雪が終わり、今朝は山がきれいに見えた。
冬型が強まると、山には雪がかかる。
正確に言うと、山雪型の冬型のときでだが、こうした日には山に雪雲がかかり、雪が降る。

誕生日の朝である。

今年もたくさんの人に祝ってもらえた。

生徒たちは毎年忘れずに覚えていてくれる。

「こんな日は、静かに過ごしたいな…。」

どこに行っても、生徒たちが声をかけてくれたり、何かしらのプレゼントを持ってきてくれるので、ちょっと申し訳ない気持ちになる…。私は、一人静かに過ごすことにした。

私の学年では、誕生日になると先生方がメッセージカードを書き、プレゼントをする。
忘れていたが、今回は私の番。

このメッセージも、褒めすぎとも言えるようなものばかり。
私が思っている以上に、私の存在は大きいようだ。
それほどまでに自己卑下すべきではないのだろう…。

自らを愛せない者は、真に他の人を愛することができない、という。
私も、このように徹底的な愛の言葉を、他の人に投げかけなければならないのだと反省した。

プレゼントも、結構高価なものだった。ありがたく思う。

夕食は、スーパーで買ったお寿司に自家製の鍋料理。

「たまには自分へのご褒美だ!」、と思うことにした。

「一年一年、自分自身も成長していかなくてはいけないな…。」

できないことを考えるのではなく、「どうやったらできるか」を考えよう。
やりたいと思うことは、どんどんチャレンジすればいい。

怠け心と戦い、今日も一歩、駒を進めよう。

誕生日は、気持ちを新たにしてくれる。

皆さん、ありがとうございました。

2021年11月27日

一足早い誕生日

中3の授業の時、私の誕生日を祝ってくれた。
ちょうど誕生日の当日、中3の授業がないので、二日ほど早くお祝いをしようという作戦のようであった。

一人ひとりのメッセージの書かれた色紙をもらった。

どれも私にとっては過分なほどの励ましばかりだった。
彼等も大人になったのだろう。

以前から、「誕生日はあまり嬉しくない」、とは言ってきたが、今回K君が鋭い言葉を私に投げかけた。

「丹澤先生、歳を取るの嬉しくないとは思いますが、一年経つたびに、『今年も生かされて良かった』と思えばいいんじゃありませんか。」

なるほど、私は自分のことばかりで、日々「生かされている」ことへの感謝の思いを忘れていたようだ。

「命があることそのものがありがたい」ことで、人はその中で人生修行をしている。
そんなことを生徒に教えられた。

K君は、色紙の中に、「いつか将来、先生が僕の教え子だと胸をはって言えるような、そんな世の中に役立つ人間になります」と書かれていた。

中1のときから折に触れて私に懐いてくれていた信頼のおける生徒である。
今は生徒会長も務めている。

私は老眼鏡をかけてもなお見えにくい、彼等の書いた小さな字を見ながら、「本当にありがたいな…」と思った。

私が楽しく授業をしていると、彼等も楽しい気持ちになるのだろう。

色紙の真ん中には、私の好物のモンブランがフルカラーで描かれていた。
その様は、とても美しく、美味しそうでもあり、それでいて品があった。
どうやらSさんが描いたらしい…。

ほっこりとした気分になった…。

2021年11月24日

習慣の力

継続の力は偉大である。
私も、小学校の時、臨時で来て下さった先生から、「継続は力なり」という言葉を徹底して教え込まれた事を思い出す。

努力して継続していることがいつしか習慣になれば、その習慣の力は更に大きな力となって、成果をもたらしていく。

私も何か新たな一手を打たねばと、いろいろやってはいるが、習慣の力にまで達しているのは、まだまだ数少ない。

ついついさぼってしまうのは、完全に習慣化できていないのだろう。

生徒達には、「ほんの五分でもいい…」、と話はしているが、自分もあまりできていないのだから、若干説得力に欠ける…。

習慣化すると、難なくこなすことができるので、精神的にも肉体的にも負担が少なくなるのだろう。

それが、たとえ短い時間で毎日の生活のルーチンに組み込まれれば、いつしか大きな仕事になっているのだろう。

私もやりたいことはたくさんある。
しかし、最初の一鍬、そしてその後の継続が難しいのだ。

これは、子どもで大人でも同じだ。
継続と習慣には強い意志の力がいる。

元来怠け者の私は、なかなか難しいようだ、

焦らず、一歩ずつ。
欲張らず、でも前進。

小学校の先生が言っていたことを今でも思い出す。

「のろくたってのろくたっていいんだよ。止まらなければいいんだよ。」

希望の言葉だ…

追記
このブログも、投稿が1000回を越えたようだ。大したことではないが、折々の記録になはっているのだろう。これも微かな習慣の力と言えるのか…。




2021年11月23日

防災放送

珍しく地元の集まりがあった。
「防災放送が聞こえないので、各家庭に防災無線を置いて欲しい」という陳情の結果報告だ。

結論から言うと、議会では陳情不採択について賛成多数とのことで、地元からの要望は却下されたという。

防災放送は、豪雨などの自然災害時に、非難を促すものだが、スピーカーで放送するタイプのものは、各地で「聞こえない」という声が多いようだ。

確かに、激しい風雨の中での放送は、各家庭に伝わるのは難しいだろう。

一方で、「昨今はスマホによる災害情報も流れるので、取り立てて困ることはないだろう」というのが、議員さんたちの考えらしい。

だが、問題は、スマホを持たなかったり、持っていても近くに置いていない一人暮らしの高齢者に、どのように情報を伝達するか、ということになる。

山間部には孤立世帯も多く、基本的に情報は届かないと見て良い。

その中で、地元の青年による消防団が、悪天の中、一軒一軒周り、避難を促すということをしているようだ。

まだ余裕のあるうちは良いが、一気に増水して浸水してしまったり、あっという間に崖崩れが起こってしまうような地域では、二次災害の恐れも否めないのだ。

過疎化、高齢化により、田舎の自治体はどこも苦しい対応を迫られているのだろう。

こんな時に、地元の声をよく聞いてくるのが共産党の議員だったりする。

なんともおかしな話だ。

「俺らが文句を言ったら、〇〇議員は俺らを見ても挨拶もしなくなったんだ…。」
そんな声も聞こえてくる。

すべては人間関係。
真摯に住民の声を聞き、それを政策として行っていくのが地方議員の仕事だろう。

相反する意見も起こる。
予算も少ないので、できることも限られている。

難しい舵取りなのだろう。

さて、どうしたものだろう…。




2021年11月22日

学びの機会

人は五体満足で生まれることすら奇跡であるのだが、その上、発達の偏りなどもなく育つというのは、さらに希有なことなのだろう。

だが、そうした人の存在は、時に人間社会に大きな学びの機会を与えてくれる。

中2のS君がまた暴れた。
「殺してやる!」と、バットを持って中1を追いかけた。

私たちや他の生徒たちから見れば、ほんのささやかなことなのだろうが、Sからしてみると、生きるか死ぬかの大事件になるようだ。

悪いのは中1の方で、親しみを込めてちょっかいを出したことが原因だ。

Sにとっては、馬鹿にされるような態度が、「我慢ならない」のだ。
今回は、「後輩が、先輩を甘く見た」ために起こってしまったようである。

当然、誰かがSを止めなければ、下手をすれば殺人事件になる。

ため込んだ怒りが、あるとき頂点に達し爆発すると、S自身も、自分が分からなくなる。

霊的には、怒りを溜めた心が、阿修羅霊などに同通し、完全憑依されるのだ。
心が落ち着き、自分自身を取り戻せば、何ごともない。
何故、怒ってしまったのかもわからなくなる。

何ごとにおいてもSが機嫌良く行動できるように、周りで最大限の配慮をすることで、「怒りの感情」を沸き立たせないようにすることはできるが、一方で、本人自身の努力も必要になってくる。

この先、年齢が上がりなお、あまり改善できなければ、犯罪を行ってしまうことにもなりかねないのだ。

周りの生徒たち、先生たちも、Sに学ぶことは多いだろう。

それを期待するから、一緒に生活させているという面もある。

きっとS君にしかできないことがある。
そも特徴をさらに伸ばし、人間関係の部分を矯めていけば、社会人になっても自立してゆける。

「中学生には厳しいだろうな…」、とは思いつつも、貴重な学びの機会であることは間違いあるまい。

2021年11月21日

紙の無駄という幻想

教育現場ではタブレットが花盛りである。

昨今は、一人一台ずつのタブレット端末を配り、場合によっては自宅でも利用できる。
年寄りの私は、「そういう時代なのか」、と半ば諦めてはいる。

だが、『本』が『画面』になるだけでは、その教育効果は高くあるまい。
タブレットなりの、工夫なり、その特性が利用されなければ、時に危険なおもちゃを生徒達に与えるだけであろう。

スマホによるSNS系でのいじめを考えれば、同じような事件は、当然予想できるはずだ。
なりすましや、セキュリティホールを突いたハッキングなど、その種類も一気に増加する。

仮にこれらの対策がすべてなされたとしよう。
その時、タブレットは何をするものなのだろうか。

教科書がタブレットに変わったのだろうか。
ノートがタブレットに置き換わったのだろうか。

私は、はやり紙に書いてこそ、記憶に定着し、頭脳を鍛えられるように思えてならない。

確かに学校現場では大量の紙が消費され、しばしば「無駄」とされる。
だが、その紙は、生徒たちが何度も何度も演習するためならば、もはや「無駄」ではあるまい。

タブレットにしたから紙の量が減るというのなら、それは彼等の演習スタイルを崩し、新たな文明実験を始めたということになる。

紙の消費を自然破壊と結びつける人もいるが、おそらくは間違いであろう。
割箸は、資源を無駄にしないためのとても良い方法であることが知られている。

情緒でものごと判断しては駄目だし、単にイメージで世論を誘導しようとするマスコミの報道姿勢にも誠意が感じられない。

「ゲーム感覚で使えば、生徒を飽きさせることなく勉強させることができる」、らしいが、そもそも飽きさせるような授業をしてしまうのは、教師の責任でもある。

情報社会なので、その利用の方法はいろいろあってよい。
その検索や記録が得意な機器を使うことにも反対しない。

だが、人間が思考し、新しい価値を創造するには、沈黙の時間が必要だろうし、「書くこと」、「じっくり読むこと」が不可欠なはずだ。

年寄りの戯言だろうか…。

2021年11月20日

人事面談

教頭との人事面談があった。
毎年必ずこの時期に行われるものである。

必ず尋ねられるのが、仕事をしている中での「良かった点」と「悪かった点」である。

学年の居候になってはや三年目。
担任も学年主任も外れた私の仕事量は各段に減った。
保護者とのやりとりも激減して、心を揺らすこともほとんどなくなった。

私にとっても一番のストレスは、保護者対応であったので、その意味では心の平静を保つことができていて、とてもありがたい。

「子どもが好きなだけでは駄目なんです。彼等が卒業後、どのように成長していくかまで考えて、指導してください。」

数日前、校長が皆に伝えた。

確かに、教員で子どもが嫌いな人は、あまりいないだろうが、卒業まで意識する教員も少ないのではないか。

面談は、例年通り当たり障りもなく終わった。
大して仕事をしていない私に、言うべきことはあまりないのかも知れない。

「本当に私は、この職場で役に立っているのだろうか…。」
と考えてしまう。

優秀な若手も育ってきている。
カウントダウンはしたくはないが、時の流れもとても早い…。

何とかこれまでの経験で得た智慧を、若手に伝えなければなるまい。

「聞かれればいろいろアドバイスするのですが…。」
私は教頭からの問いにそんな風に答えた。

「昨今は、聞いてくる若者が少なくなっていますからね…。」
彼も、そのことを感じているらしい。

世代が変わると、特徴が変わってくる。
それを見て、「今の若者は…」と言われて続けて人類の歴史は刻まれている。

若者なりの良さもあるのだろう。

教育の中の普遍的な真理を追究しつつ、我々の仕事は続いている…。




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