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やすねこアート
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2016年05月28日

50代で介護職を探している人

50代未経験での就職はハードルが高いでしょう。
介護職も例外ではないと思います。
ただ、営業系、体育会系の前職であれば、
就職は有利かとおもいます。
頭よりも体を使う介護の仕事では、
事務職から転向はハードルが高いかも
しれません。それでも、介護の仕事に
挑戦したい人は、まずは、どこの施設でも
かまわないので、採用されるとこに
入った方が賢明です。
訪問、デイサービス、老人ホーム、
グループホームいろんな種類の
施設があり、働き方も違いますが、
まずは、どこでもいいので入れるとこに
素早く入って早々に仕事を始めた方が
賢明です。

なぜか、

それは、経験がとても重宝される職種
だからです。例え一か月、半年であっても
実際に現場で働いた経験があれば、
即戦力として直ぐに使える人材として
みてくれるからです。三か月、半年働いて
その職場の雰囲気がいやなら辞めてもいい
そして、次を探す。いろいろな環境を見ていく
ことで、どんな働き方(日勤か夜勤か)か
見えてくるし、施設系でスタッフとチーム
で働くか、訪問系の単独プレーか、働く
スタイルもわかってくるからです。
だから、介護は転職が有利に働く
職種の一つです。


最初に勤務したところは、NPO法人の事業所でした。

50代で介護職を探している人は、
株式会社の介護事業所は難しい場合があったりします。
定年制があるからです。
こだわって何ヶ月も職探しするよりも
NPOも選択肢の一つとして検討するのもよいかと思います。
ただし、条件付きですが・・・・

NPOで働く人達の層は、主婦、学生又は大学卒業してすぐの若い人達、
定年退職した人達、企業をリストラされて
再就職が極めて困難になった40代50代の失業者だった人達、
福祉に高い志しを持っている人達でたいてい構成されています。
全部が全部そうでないことはお分かりかと存じますが、
でも大体こんな感じだと思います。
一般の企業とは明らかに異なる側面を備えていますので、
企業から転職して働く場合は色々な面で戸惑うことがあると思います。
異なる側面があるということは、
別の見方をすると企業には無いメリットもあるということです。
どこにそのメリットを見出すかは、個々人が実際に働いてみないと見えないところです。
タイムカードは、存在して一応勤務時間は、決められていますが、
現実それはあって無いような存在です。
つまり、タイムカードに刻印してある時間は、
あくまでその時間スタッフがその場所で刻印したというだけのことで、
その時間帯に事務所にいるというものではありません。
出勤前に一仕事する場合は、直行、相手先で仕事を済ませ
そのまま帰宅する場合は直帰ですが、厳密には、
月末に個々のスタッフが提出する実績票に記入しることになります。
私の場合は、介護スタッフとして就職したのですが、
定年退職組の連中が多方の仕事を牛耳っているため殆んど仕事をまわしてもらえず
日に2、3件程度しか介護の仕事しかありませんでした。
それで、空いた隙間の時間帯に事務所の事務仕事や理事長の手伝いなどして
何とか仕事をしてました。それでも手取り11〜12万円程度しかなく、
パートナーも別の所で仕事をして共働きの稼ぎでなんとか生活してました。
そうなんです。独身者であれば、事務所で住込をしない限り生活は難しいそんな職場です。
ここでは、給料とは呼ばず謝礼金と呼んでいます。
謝礼金の内訳は大きく2つにわけられます。
1つは、介護等によるもの、
他は、その他と称して事務仕事や、環境整備などボランティア的なもの、
事務所運営に関する仕事です。
私に充てがわれた介護仕事は一つ一つが時間間隔が空いたものが多く
仕事の割に拘束時間の長い長時間労働でした。
例えば、早朝7時ごろに1件、昼12時ごろに1件、夕方に1件、夜に1件といった具合です。
1件がだいたい30分〜60分程度のものです。
長時間のものもありますが、週に1回から2回程度です。

介護職は経験が少しでもあると有利です。まずは、何処でも良いので
仕事が出来る場所で、例え数週間でもいいので働くことが有利に
就職活躍できると思います。









2016年05月27日

人間関係の問題

介護の離職の原因のトップにあげられるのは、人間関係の問題です。

原因は、色々考えられます。
システムが未成熟であることが大きいと思います
(システムについては、今後お話ししていきます)。
仮に器がしっかりしていても中身が貧弱なら見掛け倒し的な存在なのです。
介護施設は老若男女複雑に入り混じっています。
若い女性の上司に定年間近な男性部下といった組み合わせはザラです。
チームの構成も下は20代から上は50代と幅広いのも特徴的です。
考え方や捉え方にズレもあるし、体力的な違いもあります。
しかし、仕事の内容は同じです。時には衝突もあります。
介護の仕事には、訪問介護と施設介護があり、スタッフに関わり方は、
大きな違いがあると私は感じています。
人は皆それぞれ違うので訪問介護、施設介護のどちらの働き方が良いとは言えません。
また、介護の仕事は何処職場でも一緒、って言っている人がいたら、
あまり真に受けない方がいいです。当てになりませんし、
そう言っている人はおそらく介護経験者ではないと思われます。
施設介護は、常にスタッフとのコミュニケーションが大切です。
スタッフとの相性が悪いと仕事がし難いです。
訪問介護は、それに比べ個々に行動するパターンが多い仕事です。
利用者と介護者が一対一です。つまり。集団行動か単独行動かの違いです。
どちらが自分の性格に合っているかで職場を選んだ方が良いです。

アーティスト活動でも人間関係で悩む場合もあるでしょう。
個展にするかグループ展にするか。
自分の作品をどの様に発表するかは大事な要素ですね。













2016年05月26日

タイトルはタイトルであることによって

タイトルに関しての本を読みました。以下それをもとに書いています。

タイトルはタイトルであることによって、
作品体験においていかなる働きをしているのでしょうか?

タイトルには、
それがタイトルであると認知される場所があります。
このタイトルの定位置に画像を置いた場合
それがタイトルとして認知されることは無く、
タイトルが欠けた状態
またはタイトルが書かれていないものとして受取られます。
もし画像でタイトルを与える場合は
何らかの形で断り書きをする必要があります。
しかし、それは作品の区別という実用的効果の点で言語より劣るのです。
言語だけが作品を指し示すことの出来る記号なのです。
タイトルは、作品「について」の観念であり
タイトルによって言語的な観念と結び付けられます。
これがタイトルの場所に記されるのが言語でなければならない理由です。

 タイトル付けによってタイトルは、
それ自身表現力を持ちます。
タイトルの言葉の意味が不透明であればあるほど
タイトルは独自のイメージが生じます。
作品は、無数の見方ができるしその捉える意味もまた無数にあります。
解釈1つとってもその1つ1つにそれぞれの意味を開示してゆきます。
それはある意味、作者の意図を超えています。
当然ながら作者自身も自分の作品世界に独自の理解やイメージを持っています。
それを表明する場所がタイトルです。
例えば、ブリューゲルの「イカロスの墜落」という作品のタイトルは、
画面をどの様に見るべきかを教えています。
知識無しにこの絵を見せられた時、
まず私達はその絵の全体を捉えます。
だから画面では見えているはずの海面に突き出た脚に
目を留めたとしても見過ごしてしまいます。

 近代におけるタイトルは、
理論を表明するタイトルです。
理論は、芸術の定義を与えようとするものです。
それぞれの理論の上になりたっているそれぞれの芸術が
等しく芸術と呼ばれるのは、家族的類似性の考えに似ています。
つまり革新的な作品を芸術とするには、
既存の「芸術」家族のなかの一員と何らかの点で
類似している必要があります。
類似していれば家族として迎えられます。
そして次の革新的な作品を芸術とするための保証人となります。
既製品であってもそれにタイトルを付けることで
作品と捉えるなら芸術品の資格を得ます。
デュシャンが既製品である便器に
「泉」というタイトルを使うことができたのは、
アングルの「泉」に
既にアレゴリー的美学の1つの理論を含んでいたからです。
それによって、このアングルの理論に対して理論の攻撃ができたのです。
デュシャンはブルジョア的な芸術を拒絶したけど
タイトルの美学を否定したわけではありませんでした。
彼にとってタイトルは重要な武器なのです。
しかし、作家がタイトル付けを拒絶した「無題」には、
タイトルの美学そのものを否定しています。
それは、作品を意味付ける次元に対して懐疑や否定の行為です。
そして、作品は単なるものとなります。作者が作品の意味付けを拒絶した分、
見る側にとって作品は難解なものとなります。
しかし、無題という“タイトルを否定する”意思表示さえも、
タイトルを通してなされます。
これは、タイトルが完全に制度的なステイタスに達したことの表れです。
タイトルが制度化すれば、
当然そこから離れていこうとする動きも見られます。
作品にID番号のような純粋に機能的なタイトルを付けるのは、
タイトルを虚無化し無表情なものにしてしまいます。
一方で既製品のような作品になりそうもない対象に
タイトルを付けて作品化する。
こうした状況では、芸術とそうでない対象の境界線がぼやけています。
無表情なタイトルは作品に対する感情や態度や考え方が否定されたものなのです。
つまり“個性”と“個性の否定”との衝突であり、
何者か分からない個性的存在の不気味さが現代芸術のステイタスでもあるのです。











2016年05月25日

白い巨塔 名言・会話から その9

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(頑張らず(頑張らなくても)一日一日を大事に生きてください)

image.jpeg

日本人は、皆働き過ぎ。
何かに急き立てられる様に働かされている。
権力者にコントロールされている。

悪い奴ほどよく眠る。
本当に悪い奴はなかなか姿を現さない。
ドラマとかでよく見る闇の権力者とか。
やはり実際にいるんでしょうね。

知らない内に奴隷にさせられて、しなくてもよい過重労働を強いられている。
おだてられ、騙されて、搾り取られ、ボロボロになる。
薬漬けにされている人達。
栄養ドリンク?風邪薬、頭痛薬、腰痛薬、人工甘味料の食品、
農薬のかかった野菜、遺伝子組み換え作物。

私達は、本当に権力者にコントロールされている
ようにしか見えない要素が巷にあふれている。
表向きは、私達の為。
大切な私達の生活が脅かされています。

1日1日を大切に生きて生きたいですね。

そのためにはどうしたら良いでしょうか。

それは、まず、知る事だと思います。
何が起こっているのか、何が問題なのか。
不透明になっていること、あえて難しくしている内容を一つ一つ調べていく。
過重労働で大切な時間を奪われ無いように、
過重労働で気力を失わないように、1日1日を大切に生きてください。



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2016年05月24日

白い巨塔 名言・会話から その8

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(財前:「イスがあれば腰を下ろしたくなる。立派なイスであればなおさらだ。
一生立ちっ放しでいいと言う奴はやせ我慢しているだけだ」
里見:「俺はただ自分の足で歩きたいだけだ」)

image.jpeg

同じ志しでもやり方が異なる事はあります。
しかし、大切なのは、互いを尊重し合うことではないでしょうか。

特に創造的な仕事の場合は敵対したり排除するのではなく、尊重。
相手の凄いところを見出すチカラ。
受け入れる勇気、協力できる余裕。創造的なことには必要な要素。
しかし、妥協せずに貫き通す信念もそれを支える大切なもの。
自分の出来ることを精一杯やっていきたい。
盲目になり目の前の大切なものが見えなくなってしまわないように、
心に余裕を持たせたい。






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2016年05月23日

白い巨塔 名言・会話から その7

(医療に絶対はない。だから医者は悩み続けなければならない)


「絶対はない」ことは、どの分野であっても絶対はない。
しかし、悩まない人は少なくない。
出来るだけ悩まずに済ませたい。
面倒な考え事は素通りしたい。
失敗なくゴールにたどり着こうとする。それは、
ハッキリ言って無理ですよね。失敗せずに行く方が逆に怖い。
考える事は大切だと思います。
悩んで失敗を重ね、また悩む。
しかし、社会はそうした時間の掛かることをしている人よりも
スマートにこなす人を求めている様で、その結果、
人の意識もいびつになってしまってますね。
権力者にとって何も考えない扱いやすい労働者を求めています。
そのため、沢山働かせ思考停止状態に追い込む。
良識ある知識人は必死で解放しようと働きかけていますが、
気力を奪われた労働者に届いているか?
少しでも効果が出るといいな。
最終的には自分自身が変わっていくしかないのだから。




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2016年05月22日

「デジタル写真」という写真のありかた

カメラオブスキュラの輸入に始まり
デジタルカメラに至る現代までの流れをみて、
自分が思うことを話してみます。

1848年、
日本にダゲレオタイプのカメラオブスキュラ第1号が輸入されました。
国内では、それをもとにダゲレオタイプの製法が研究され、
1857年には、撮影に成功します。
フランスで発明された写真術はオランダを経由して
10年そこそこで日本に伝わり定着していきました。
幕末から明治維新の頃、
庶民にとって写真機は「魔法の小箱」であり
「写真を撮られると魂を取られる」などといわれましたが、
文明開化が進むにつれて
ハイカラなものとして庶民にもてはやされるようになりました。
写真師たちは、時代の花形職業になり、流行を築き上げ、
また、正確な記録を残し、文明開化の推進役も務めました。
1862年に紹介された湿式コロディオン法は、
野外撮影には手間と労力がかかりましが、
1883年に日本に伝わった乾式法は、
湿式法より操作が楽で多少の経験で誰でも写真館が開けるようになりました。
写真機の改良もされ小型軽量安価のものが
1903年小西本店(現コニカ)からでて、
これに伴ない、アマチュア写真家も登場してきますが、
一部の上流階級の人たちが楽しむ高尚な趣味に留まっています。
1928年国産初のロールフィルムが登場し、
1955年ネガカラーフィルムが登場します。
そして、1989年までに、
カメラの普及率が87%に達し、大衆化としてのカメラが定着します。
そして単に定着するだけに留まらず、便利さへの追求もされました。
レンズ付きフィルムカメラの登場により
手ぶらで旅先に行っても現地の売店でそれを購入すれば、
写真が撮れるようになりました。
また、デジタルカメラの小型軽量低価格化の実現や、
携帯電話の普及からカメラ付き携帯も登場して、カメラも多様になりました。

 環境的、経済的、効率的問題から考慮すると、
フィルム化からデジタル化へのシフトは止める事ができず、
フィルム写真もアンティークな工芸品の1つと数えられることでしょう。
日常的にはデジタル写真が一般化してます。

さて、環境破壊の問題は今や避ける事ができません。
フィルム写真の場合は、使う枚数分だけフィルムが必要で
それをつくる材料や撮影後の処理に使う化学薬品、写真印画紙、
使用後、破棄した後に残るゴミの処理など環境への問題があります。
デジタルであれば、画像は基本的に0、1の情報であるので、
保存する媒体によってかなりの物的資源の利用を抑えることができるし、
現像などの化学処理も必要ないので環境にもやさしいと言えるかもしれません。
経済的にみてもフィルムの購入代と記録媒体の購入代は
長期的にみるとその差は大きいでしょう。
デジタル写真であれば、フィルム現像代金はかからないのも経済的理由の1つです。
効率的な面からしてもデジタル写真は有効です。
撮ったその場で画像を確認することができ、必要なければその場で消去できます。
画像は、プリントにせずデータのままPCに取り込むことができ、
編集加工も容易にできます。
インターネットを使えば遠く離れた知人にも即座に送ることができます。
容量が続く限り何枚もコピー可能です。
デジタル写真は、フィルム写真では容易におこなえなかったことが誰にでも手軽に出来ます。

芸術的観点からみると、
フィルムの画質にこだわっている写真家にとってはフィルムの存在は大きいです。
しかし、画質の問題が完全に解決したとしたら、
こだわりとして残るのは、モノか情報かの違いになっていきます。
それは、芸術工芸品としての写真か、記録・伝達・共有としての情報か、
の違いでもあるのです。
最近はフィルム写真をスキャナーで読み込んでデジタル化することもしているが、
そういったことをせず純粋にフィルム写真、印画紙などアナログ的に表現する場合、
デジタル写真に比べその表現範囲は狭いです。
アナログつまりフィルム写真であれば発表の場は、画廊などの展示会場が必要であり、
それにかかる時間、費用に比べ実際に鑑賞してくれる人の数は少ないです。
デジタル化であれば、インターネット上でサイトを開設することも可能だし、
容易に画像の掲載もできます。
そこまでに掛かる時間、費用的コストは、アナログ的表現の比ではないです。
それにデジタル写真を閲覧する人は、知人や周辺の人達だけでなく、
世界中の不特定多数の人に同時に見せる事もできるし、
その画像を見た人がいつでも好きな時にダウンロードすることもできます。
瞬時にして多くの人にその画像を共有することができます。
フィルムに映った画像(ネガ)は1つですが、
デジタルの場合は、コピーによって同じものが幾つも出来ます。
自分自身の写真を全て失っても、何処かで誰かがコピーを持っているかもしれません。
デジタル画像は、フィルムとは別の表現方法を持っています。
それを使い分ける芸術的視点が、特に写真家には求められていると思います。











なぜ 私がこのブログを書くのか?

みているものがみえるようになること

私は、抽象画を描いています。
もう少し広い意味で言うと、
具体的に見えるもの、
つくるものに抽象的さを取り入れて作品を制作しています。
写真の中にもそうした要素を取り入れています。

このブログの目的は、アフィリエイトで儲けることではなく、
自分自身を見つめ直し、
考えを整理し、
制作に関する感度を高めることにあります。
その過程で、自分自身を高めていく行為を共有できたらと思います。

私達は、視覚情報が入ってもそれを全て理解することは出来ません。
自分の理解力の範囲内でしか理解出来ないのです。
知識を得て理解が深まれば、入ってくる情報からより多くを理解することが出来ます。
特にこれから抽象画或いは抽象的作品をつくっていきたいと思っている方は、
参考になると思います。
抽象画を制作している私自身の情報を提供しているからです。

抽象画或いは抽象的オブジェの制作は特別な訓練は必要無いので、
誰でもすぐに始めることが出来ます。しかし、
独自性を定着させるためには自分の意識を高める必要があります。
つまり、より高い意識に自分をシフトしなければいけません。
それを、このブログで実現していきたいです。
自分自身の体験や経験はアートの要素になります。
一見すると真逆に思える情報であったり、行為であっても
自分に得られる情報は全てアートの要素を含んでいます。
それを皆さんと体現していきたいと思っています。

ここでは、従来の美術教育で行っている内容は殆ど関連していないでしょう。

ここで唯一行うのは、思考の訓練、つまり
芸術脳にする訓練をしていくことになります。
見るもの全てをアートとして捉えられる感覚に自分を洗脳しましょう。

意識と感情が高い次元にシフト出来れば、皆がアーティストになれます。

それが私の願いです。







2016年05月21日

白い巨塔 名言・会話から その6

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(財前:「これは僕の戦いなんだ」
里見:「戦っているのは君だけじゃぁない」)



image.jpeg

自分だけ大変だと勘違いしていることがよくあります。
影ながら支えてくれている人がいることを忘れがちです。
旦那が外でおもいっきり働けるのも
家事をしている奥さんの支えがあることを忘れてはいけない。

パートナーの代わりに家事をしてきているとその大変さ大切さがわかる。

アーティストがアーティストとして活躍できるのは、
作品を評価してくれる相手がいること、
応援してくれる人がいることを忘れてはいけない。

全て自分のチカラと過信してしまう。

自分だけが偉いんじゃぁない。

作品制作のためあえて自分を追い込んでいる人もいる。
人の心配をウザいと感じるかもしれない。しかし、
そんな人の作品は何処か淋しい。

制作は単調で孤独で時に重い感じになるが、
側に大切な人がいると思うと何とかがんばれる。





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2016年05月20日

白い巨塔 名言・会話から その5

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財前の母:
(身の丈に合わない無理をして偉くなったって幸せになれるとは限らない)


偉くなることと、幸せになることは全く別物ですね。
成功してもそれが幸せとは限らない。
幸せは、そう言ったところとは別のところに存在しているようです。

私は、金持ちでもないし、満足な定職にも就いていません。
売れる絵を描いているわけでもありません。
売れる写真を撮っているわけでもありません。
個展を開く金もコネもありません。無い無い尽くしですが、

私は幸せです。

それは、私の傍に私と共に支え合って人生を生きていくパートナーがいるからです。
金持ちになるとか有名人になるとかは二の次です。

神様が、「アーティストとして成功」と「パートナー」とどちらを選ぶ?
と聞かれたら私は迷わず「パートナー」と答える。

どんなに成功しても、華々しい生活ができても、
そこに大切なパートナーがいなければ空虚だ。
そばにいて共に生きる人生。
できるだけ時間を共有していきたい。

私がこの心境に至ったのは初めからではなく、
今の人生のステージに立ってからです。

私は、人生を幾つかのステージに分けて捉えています。

独身の時のステージは当然今とは異なる考えをしていました。
人生、同じ環境が一生続く訳では無いでしょう。
この先何があるかわから無いです。
だから、今を大切にしたい。

私は芸術家として成功する前に最良のパートナーを見つけました。
その他の事は私にとって二の次です。勿論、
この考えが理解でき無い人もいます。しかし、
私達は、お互いその点について分かっています。
だから一緒になったのだろうと思います。

過度な期待をかけず、日々穏やかに生活する。
必要なものを必要な分だけ獲得する、
それができる生活を目指しています。









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2016年05月19日

白い巨塔 名言・会話から その4

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財前が柳原に言った言葉
(苦学は何の言い訳にもならない。
大学は力の世界だ。そんなことでは誰も同情してくれない)


これは画家にも言える事かもしません。
或いは他の分野であっても言える事かも知れないですね。
賞を取るか取らないかで評価がまるで違う。
賞を取れば苦学や失敗も成功の道の過程として評価されるが、
そうでなければ単なる負け犬の遠吠えとしてしか見られない。

しかし、画家が絵を描くことは成功のためだけでは無い。
その過程こそが大切だと思います。
しかし、評価されるまで無力です。誰も同情してくれないですね。
そう言った意味では、力の世界でしょうか。

しかし、力といっても、試験で一番を取るといったように量的な測定とかではなく、
単に人が選ぶことで決まる評価ですね。と、いうことは、
その選ぶ人の力量とか、変な話その人の好みとか、
ある意味感情が投入されるわけですね。しかし、
選ぶ人だって、以前は、選ばれる側にいたわけです。
コンピュータが選ぶわけでは無く、人が選ぶ。
そこには、多分に熱い気持ちがあるでしょう。それだからこそ、
逆に無意識の中で偏りや極めて個人的な感情や、
社会的な、業界的な目論見が渦巻いていることでしょう。
結果的に選ばれる人が選ぶ人に何らかの利益をもたらすような
仕組みになっているのでしょうね。
名目上は、その集団の趣旨に合う対象となるが、本音のところでは、
自分の地位を脅かすこと無く、かつ、
自分の側にも何らかのメリットがあるような対象が有力な候補となるでしょうね。
歪んだ見方と思うかもしれないけど、
たとえ自分がシッカリしたマインドを持っていたとしても、
組織全体の人が同じだとは言えない。

純粋な心が、不純な心に侵される。
本人の心に平安が無いと正常な気持ちで判断出来ず
知らず知らずに不純な道に行ってしまう。

確かに賄賂とかの不正は許すべきでは無いですが、
公正で行われる選択であっても人が決める以上偏りが入るのは否定できない。
誰か一人を選ぶ場合、綺麗であったり、
素直であったり、ビビット来る生理的刺激であったり、
その時のその人の好みが色濃く反映されてしまう。

例えば、自分がいくつか描いたデッサンの中から一つの選ぶ場合、
結局は同じことを考えながらやっていることでしょう。
幸運で選ばれたのではなく、思惑で選ばれている。

芸術家はもっと純粋であるはずだ。その意見ごもっともです。同感です。

本当に純粋に心の趣まま湧き出す気持ちをただキャンバスに吐き出したい、
そう言う想いで描くのは、純粋だと思います。そこには、
人の評価とか一切考えてい無いからです。
その人にとっておそらく傑作でしょう。
ご自身の作品として傑作でしょう。しかし、
自分以外に知られなければ、存在してい無いと同じ扱いになりませんか?
もちろん現実的に存在はしています。しかし、
皆が認める作品としての存在、社会的存在とでも言うのでしょうか、
そう言った意味での存在は無い。
自分自身、欲求を解消する対象として描く行為をする、ただそれだけ。
純粋な行為。芸術のプリミティブな行為。
それを貫き通せる人はどれだけいるのでしょうか。
山奥で自給自足して、純粋にただ描き続ける。
都会の片隅でひっそりと人知れず描き続ける。
そして、私達がその作品を観る機会が与えられるのは、その芸術家が死んでから。
つまり、芸術家の死後誰かに発見されて初めて作品があるとわかるわけです。
しかし、多くの場合、多くの作家の作品は生前に発表されている。
その差は、大きいです。つまり、
姿勢が真逆です。見られる事を前提に描くのかそうで無いかの違い。





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2016年05月18日

タイトル付けの歴史

ひろく作品にタイトルを付けているという慣行は、
どのような形で始まり、どのように展開したのでしょうか。

タイトル付けの歴史は、
まず書物から始まり次第に絵画にも付けられるようになったんですね。

 古代の書物は、パピルスの巻物で、それが書籍の最初の形であったそうです。
アレクサンドリアの図書館にある
70万巻の巻物には小さなカードが付けられていたそうです。
パピルスの巻物にはタイトルが書かれてなかったそうですが、
その代わりにカタログには、
著者の名前とテクストの最初の言葉が記載されていたそうです。
この2つが著作を同定する基本的な情報だったんですね。

 中世の写本の場合は、天地、束の部分や表紙に書名が書かれてたそうです。
著作集などの場合は、著者名だけを記していて作品のタイトルとは言えないですが、
タイトル・ページが設けられると、タイトルに関する曖昧さは無くなり、
宗教上の理由で匿名で出版されてもタイトルだけは記されるようになったんですね。

 16世紀に入り印刷本の普及とともに出版が産業となり、
作品というより商品として書籍がでまわるようになったそうです。
売れ行きに関心を持ち、タイトルに関心を寄せたのは著者よりも出版者であったんですね。
なぜなら、当初は原稿買取制だったことがその理由だそうです。
よって、タイトルは凝ったものではなく内容を正確に伝えるためのものであり、
美学の対象となるものではなかったそうです。

 文学作品の場合には、タイトル付けの証拠が書籍のかたちで残っています。
書籍の表紙にも印刷されたタイトルは、唯一公的な呼び名として流通します。
しかし、芸術家がタイトルというものを自覚していたかどうかは、
その作品の性質を大きく変える要因と思われるし、
更にまた、そのタイトルを単なる便宜的な呼称と見るか、
それともそれ以上の積極的な意味を込めるのかの違いが、芸術観を大きく左右します。
タイトルをつけることの習慣は、
印刷物の場合とそうでないものと間で、大きな違いがあるようです。
美術の場合、作品が直ちにタイトルに関する証拠にはならないですね。
絵画の場合は、版画を除いて原則的には一点作品であるため
タイトルの必要性は少なかったようですね。
つまり、公的に展示するのでなければ、
タイトルが不可欠ということはなかったみたいですね。
パトロンの中には所蔵する油絵を版画として版刻させ出版するものもいたようです。
版画は、古典的な複製手段であり一種の印刷物なんですね。
つまり、絵画であっても版画は、一点制作の油絵とは異なり、
不特定多数の購買者を対象とする商品なのです。
このため1つ1つを区別するために、書籍がタイトルを必要としたように、
版画にもタイトルの記載が必要だったようです。
多くは画面下にタイトルと銘文が書かれました。
タイトルが画家の与えたものであるか定かではないですが、
絵画に対する評論もオリジナルではなく
この版画に基づいて書かれることが多かったため画像は
版画に記されたタイトルとともに流通したようです。

 1673年「サロン展」より出品目録が作成され、
出展の際に編集者は作家に説明書の提出を求めたそうです。
それは、作家と作品の同定に関して苦情やトラブルが多かったからなんですね。
目録は、展覧会を訪れた観客が、個々の作品を同定し、
それが、「何の絵」であるかを理解するための手だてとなりましが、
編集者には、タイトルに対する観念は無かったようです。
むしろ作家は、画題の説明にこだわりを持っていたので、
徐々に自作に自分で呼び名を付けることになじんでいったみたいです。
目録は展覧会というイベントに際して作成されました。
1795年フランス「美術館保存委員会」が
「個々のタブローの作者とその画題」を記すプレートをつくる方針を立てたそうです。
そしてプレートは美術館における恒常的な展示における一つの設備となったみたいです。
目録は展覧会会場の外では捨てられる可能性がありますが、
プレートは額に固定されているのでタイトルと作品は一体となり
永続的な安定性を持つことができたんですね。
複数の批評文の筆者がある作品についての呼び名を共有し、
その名称が公共のものとなると、それはタイトルの性格を帯びてきて、
タイトルの存在が人々に共有されるようになったようです。










2016年05月17日

寄り添うアーティスト

image.jpeg


40代半ばで介護の仕事に就こうと考えている人は、
やはり何らかの理由があってのことですが、
何人かは、私とよく似た経験をされているでしょう。
介護の職場は、どこの事業所、会社でも
個々に個性のあることは間違いないのですが、
共通している事柄もあります。
そして当然、その仕事に合う合わない人もいます。
しかし、私には、今の日本の介護業界のシステムの中で
正常な人がまともに長期にわたって働ける環境には
なっていないと思えてなりません。
ですから、今、他業種から、単に仕事が無く安易に
介護の仕事に就くことを考えて資格を取って介護の仕事に就こう考えている方は、
それなりの覚悟を持って臨んで欲しいと思います。
介護の仕事に就くのであれば、
初任者研修などの資格を取っておくことをお勧めします。
最近では、ハローワークで無料で取れますので、
タイミングを見計らって取得するのも一つの手です。
この初任者研修も以前は、ヘルパー2級講座でした。
手を変え品を変えて弱者から金をむしり取っています。
こんなものにはできるだけ金のかからない方法で取るほうがよいです。
私は、しっかりむしり取られました。
金額の割りに対して身になることは少ないですが、
それが無いと訪問介護などの仕事は出来ないので仕方なくとりました。
しかし、資格を取ったからと言って当時は直ぐに就職出来るかというと
以外にそうではありませんでした。
ここでもやはり当時は経験者が優遇されました。
今は、当時に比べ更に人材不足が深刻化していますので、
就職はし易いかと思われます。当時は特に40代50代は、苦労しました。
それは以下の様な背景がありました。
リーマンショックで大量に解雇された中高年が、転職できずあぶれ、
仕方なく介護に就いたものの
3kで割りに合わないので直ぐに辞めていく人が続出したため
雇う側が超警戒して面接するようになったからです。
そのトバッチリが次の番である私達にまわってきたのです。
直ぐに採用されるという噂は当たりませんでした。
今も、現実問題として面接には慎重なところは多いです。
しかし、それ以上に募集しても人が集まらないのも現実問題として存在します。
採用する側としては人が集まらない以上止むを得ず人材確保の意味から
採用せざるを得ない現状があると思います。
採用される側からすると採用され易い状態ですのでありがたいです。
ここでのメリットは、曲がりなりにも経験が積める機会が与えられている、
ということです。これは、大きいとです。
未経験のため就職が難しい職種が多い中、
未経験者でも容易に採用されることは生活する上でとても助かります。
経済的危機状態の場合、これはポイント高いです。
それでいてもなお離職率は高いです。
やはりシステムの問題だと思います。
高齢者層、若年層、子育て家庭層、近々の重要課題を抱えています。
池上彰さんがテレビ番組の中で説明されてましたが、
選挙に行く年齢層の多くが高齢者、だから政治家は高齢者ばかり見方する。
若年層、子育て家庭層の対策が遅れています。
かと言って高齢者層が満足のある対応を受けているか?と言えば、
どうなんでしょうか?これも怪しい。

さて、こんな世に中で、アーティストの役割は大きいんじゃぁないでしょうか?
ただ、あまりにも商業主義的な活動となると如何なものかと思ってしまいます。

偉そうに私がこんな事を言うのはおこがましいですが、
しかし、アートは、もっと低い位置いて
私達の隣にいくらいが居心地のいい存在のように感じます。
つまり、寄り添う感じ。
それがいいね。











2016年05月16日

白い巨塔 名言・会話から その3

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財前の義父:
(人間の究極の欲望は名誉だ)

成金にとって、金も地位も手に入れたその後に望むもの、
それは名誉。
慈善団体に多額の寄付をするとか、
話題になりそうな社会貢献をするとか、
社会貢献したことで表彰されるとか、
社会的に本当に凄いところを証明したいのですね。
どんな分野で活躍している人にもいます。
甘い誘惑は、余すところなく全ての人に襲いかかります。
欲望に底はありません。
究極の先には何があるのでしょうか?
名誉が本当に究極の欲望でしょうか?
アーティストにとって名誉なことって何でしょうか?
作品に高値を付ける買い手がいることですか?
先生と崇めてもらうことですか?
誰かに影響を与えることですか?
あなたにとって名誉なことって何でしょうか?
そもそもあなたにとって名誉は必要ですか?

作品をつくるのは
何か溜まっていたものを吐き出す感覚とか、
湧きおこる何かを発する感覚とか、あるけど、
その時点では自分自身の事なんだけど、
いったんそれが外に出されると一つの独立したモノとして存在します。
それを自分自身どう捉えるか。
それを作品として認めるか否か、
そして他者がそれを作品として捉えるか、
この世に存在した、存在させた以上、そのモノ(作品)の運命は
自分自身ではどうしようも出来ない要素が介入することがあるね。
そのモノの存在が、自分自身の評価と他者の評価が一致したとき、
うれしい。
人はその感覚を忘れない。
また共有感覚を得たいと感じる。
自分がいいと思ったモノと他者がいいと思ったモノとが一致する。
またうれしい。
他者はそのうちそのモノを作った自分を評価してくれるようになる。
ますますうれしい。
もっとうれしくなりたい。
欲求は高まる。

他者が自分よりも評価されるとどうなるだろう?
共有したいという気持ちになるか、
自分の方が高い評価だと競争したくなるか?
嫉妬は起こるだろうか?

いろいろなもの満たされ、
飽和状態の時、次のまだ満たしていない欲求が発生します。
その連鎖。
決して満たされない欲求。
知ることで新たな欲求が芽生えてきます。
かと言って「知ること」止めてはいけない。
知って、自分の頭で考えて、実行し失敗し、
また知識を得る。
知って、自分の頭で考えて、実行し失敗し、
また知識を得る。
その繰り返し。
上手くいったからといって停滞しては勿体無い。
謙虚に一生勉強。
競争ではなく、共有と創造かなぁ。そうありたいと思います。





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2016年05月15日

白い巨塔 名言・会話から その2

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東教授の言葉:
(自分の腕に酩酊していはいけない)

絵を描く、描かないを決めるのは自分だと思っているでしょうが、
はたして安易にハイと言っていいですか?

描きたい衝動で描けるのは、
それを他に見せられるのは、
それなりの自意識があることで、
そうでない人にとって衝動にかられても描かないでしょう。
いや描けないと思います。

それは、幼少期の体験で
描くことに拒絶反応を持っている人がいるからです。
本当は良いセンスの持ち主かも知れないのに
周囲の無知の圧力に潰されてしまったのでしょう。

本当は描くことが好きだったのにあきらめてしまった人。
今は、表現が多様化しています。
自分にあった表現方法で表現することをお勧めします。
少しでも心が解放されると幸いです。

それとは真逆の人もいます。
自分の腕前に酔いしれている人。
確かに、そう言う人、上手いですね。要領がいいです。
マーケティングの才能もあり、誰がパトロンになるかを的確に把握しています。
しかし、だからと言ってその人が尊敬に値する人かは別の話です。
芸術家は、それとは別の評価をして欲しいですが、
世間では、必ずしもそうではないね。

市場に出てしまえば、皆商品化してしまいますね。
瞬く間に消費されていきますね。
サイクルが早いから常に作り続けなければ忘れられる。
世間のペースに合わそうとするとやがて過労で倒れます。
初心を忘れ商品と化してしまうと自分自身の状態が分からなくなっていきます。
これが一番よくないですね。
芸術家として本来費やす労力を別の変なところに使っている。




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2016年05月14日

バウハウス

芸術と技術の統一を掲げたバウハウス教育は
その推移の中でデザイン理念が大きく変遷しました。
3代の学長の更送、国立、市立、私立と運営の変化は象徴的な出来事でした。
理念の変遷の特色とバウハウスを
取り囲む社会とデザイン運動との関連で考えてみます。

 1919年4月から1933年4月の14年間のバウハウスの活動の中で、
3度の学長の交代があり、その度に理念の変化がありました。
手工芸に固執した表現主義運動のもとで
第1代目学長ヴァルター・グロピウスのバウハウスがスタートしました。
その後、美的造形を拒絶した機能主義的、社会主義的な考え方の
第2代目学長ハンネス・マイヤーの新たな展開がありました。
第3代目学長ルードヴィヒ・ミース・ファン・デル・ローエは、
理想的な建築教育機関としてバウハウスを位置付けました。
ここでは、彼ら3人の理念の違いにより、
バウハウスの芸術活動がそれぞれどの様なものであったのかを
絵画を中心に話してみます。

 初代グロピウスの理念は建築を下にすべて造形活動を総合し
統一芸術を創造することにありました。
教育の目標は、@一定の造形的基礎、A潜在的能力を引き出す、B既成概念の解放でした。
彼は、造形活動の基礎は手わざにあると考え、
芸術家は手工芸に立ち戻らなければならないという思想に至りました。
この思想を実行することにより、まず目標Aは達成できます。
更に、目標@とBを予備教育に取り入れました。
予備教育にはヨハネス・イッテンが担当しました。
彼は、学生に芸術的才能を解放し、造形の基本原則を伝えようとしました。
彼の教育プログラムには、この予備教育の他に工房教育と建築教育があります。
工房教育は造形の形態原理を学ぶのと実際に制作に携わるのと2つあります。
それぞれに専任の講師がいて親方とよばれていました。
つまり、各工房には2人の親方が指導にあたっていたのです。
工房教育の意味は、機械時代の大量生産工業時代の新しい学校へと脱皮し
インダストリアル・デザインの教育及び実践の機関にすることにありました。
しかし、想像的創造家の個性的解放を目指す芸術教育家のイッテンにとって
考え方の面でグロピウスと対立することになり、イッテンは辞職します。
後任としてヨーゼフ・アルバースとラスロー・モホイ=ナギが予備教育にあたりました。
2人は、創造力の解放を
具体的なデザイン開発を支える造形上の実験的経験の豊かな源泉として基礎づけました。
ナギは、造形の基本的教育を行ないました。
印刷工房で彼は機械的印刷術という新しい試みや大胆な統一文字の実験もおこないました。
アルバースは、学生が工房に分かれて専門的な訓練を行なう前の
準備となる基礎工作教育にあたりました。
そのころ政情が左から右にかわり
保守派層からバウハウスの社会的位置付けに厳しい批判がありました。
経済的な事情もあり、1926年バウハウスはデッサウ市に移り市立大学としてスタートします。
工房教育も2人の親方制から1人の親方に変更となりました。
親方も教授と呼ばれるようになりました。
1928年グロピウスは辞職しました。
表向きの理由は本来の建築の仕事に専念したいという事ですが、
実際は反バウハウスとの対外交渉に嫌気がさしたとも言われています。

 1928年4月、2代目の学長にはハネス・マイヤーが就任しました。
美的造形を拒絶し機能主義、社会主義的な考え方を進めました。
構造改革と称し建築教育を科学的な基礎に乗せてそれを体系化しました。
つまり、彼はデザインを生活現象と同等と見なし、
デザインのプロセスに社会的、科学的な基準を組み入れました。
しかし、こうした機能主義的な方向に抵抗がある学生たちは、
カンデンスキーやクレーが開いた自由画教室にいくようになりました。
こうした行為は、マイヤーの信条に反していましたが、
彼は対外的には容認していました。
しかし、マイヤーが社会主義者として政治に関与していることが分かると、
グロピウスらの働きで学長の席を追われました。

 3代目の学長はグロピウスがペーター・ベーレンスの事務所で働いていた同僚の
ミース・ファン・デル・ローエが就任しました。
彼は、理想的な建築教育の場として工房を整理統一しました。
これにより、工房における生産活動は後退しました。
経済不況やナチス躍進でデッサウ市の財政も悪化し工房生産製品の販売も絶望的となり、
そこからの収入の見込みは途絶えました。
こうした情勢の下に建築専門の工科大学として格付けすることにより
なんとかバウハウスを維持しようとさせました。
しかし、相対的に絵画教室の位置は隅に追いやられました。
こうした中でクレーもバウハウスを去っていきました。
最終的にはナチスによって国際主義の根城だのユダヤ人の巣窟だのという理由で
1932年10月閉鎖させられました。
その後、ベルリンで私立研究所としてスタートするも結局
1933年4月ナチスの突撃隊によって建物は封印されました。

 14年間の短い間に表現主義と機能主義の思想が駆け抜けました。
ここで活躍した人の大半がナチスの手を逃れ、機能主義全盛のアメリカに渡りました。
バウハウスで実験的な授業を試みた講師、
そこで学んだ学生たちがアメリカを実践の場として活躍したということは、
バウハウスにとってもアメリカにとっても効果的でした。
アメリカにとっては優秀な芸術家を多く受け入れられたこと、
そして、バウハウスで学んだ人にも実践の場が与えられたことです。








2016年05月13日

体験は創作活動に大きく影響します

体験は創作活動に大きく影響します。
介護はカイゴ、絵画はカイガ、一字違うだけの違いです。
話を戻します。

以前に介護の仕事の経験はありません。そういう職員はけっこういます。
以前、営業の仕事であったり、エンジニアだったり、私の場合もそうでした。
介護の仕事に就く前は、事務職の仕事でした。
なので、介護の仕事をした経験がないとあまりピンとこないかもしれません。
私も実際に自分が体験するまで実感できていませんでした。
この様に、介護は実際に仕事をしてみないと絶対に見えてこないものがあります。
介護は意外と奥が深いのです。
それは、一般的な人の意識からすると底辺の仕事であるにも関わらず、
人間の本質に触れているからでしょう。
以前までスーツを着てデスクワークをしていた人が、
糞尿にまみれながらの体力仕事にどれだけの人が耐えられるでしょうか。
尊い仕事だと思います。しかし、
社会的には、やはり底辺と思われている仕事です。
人材不足のため政府も配慮しているつもりでしょうが、小手先のことで、
この先も大して変わることはないでしょう。
介護職の経験者は、日本に今どれだけいるのでしょうか。
車椅子の操作が出来る人が何人いるでしょうか?

介護の仕事をして5年間、一体自分にとって介護とは何だったのか?
私にとってそれを考える時期に来たのではないかと思い、
自分のしてきた事を振り返ってみたいと思います。

介護の世界に入るきっかけは、
身近な人が介護の仕事をしていて色々話を聞いていたことが影響していましたが、
やはり前職が会社の経営が傾いて退職せざるをえなかったことが大きな要因でした。
介護職は、何処も人手不足で、
国の政策でも外国人の受け入れにも積極的になるほどです。
慢性的な人手不足ですが、それでも時期によって求人数に波があります。
景気によって他業種の求人の増減で、大きく左右されてしまうのです。
つまり、一般の人の感覚からすると、
介護は、最後の最後に選択する仕事ととらえている感じがします。
実際私も、同じ考えでした。
当然、中には、大学で福祉の勉強をしたりして高い志しで福祉、
介護の世界に来る方もいらっしゃいます。
そう言った方から見ると私たちのような志しの低い者は、
あまり快く思っていないでしょうね。
しかし、介護職で働く多くの職員は、
前職が、およそ福祉とは大きくかけ離れた仕事をしてきています。
しかし、それだからこそ、逆に、多様な発想が生まれるわけだし、
多くの面白く、そして、深い人間模様が垣間見られるわけですね。

今の段階で、何故私がアートのセクションで介護の話をしているか、
皆目理解出来ていない方が殆どかと思われます。
少しずつ意図するものが見えてくると思いますので気長にお付き合い下さいね。










2016年05月12日

体験してきた仕事の中で

自分が体験してきた仕事の話をしてみたいと思います。
体験は、創作活動に大きく影響します。

私が介護職で見てきたことをお話ししてみたいと思います。
失業者の中では、
再就職先として介護を選択肢の一つに考えている方もいると思います。
介護は、年齢に関わらず広く門戸が開かれている職種です。
人材不足でもあり、未経験者であっても
容易に採用され易い職種でもあります。
地元のハローワークでは
無料でヘルパー講座を受けられるところもあります。
政府もあまりに人材が集まらないので
外国から人材を登用しようとしているくらいなのです。
介護経験者である私は、募集で面接に行けば
おそらくその場で即採用、明日からでもすぐに来てください、
ぐらい引く手あまたな存在なのです。
介護は、看護師と同様に、人に関わる仕事なので、
仕事でやることはほとんど想定出来るため、
仮に職場を変わったとしても細かい研修をする必要なく
仕事が出来るメリットがあります。
また、経験は蓄積されるため転職する際は、
経験者としてみてくれるので未経験者より有利です。

介護について、
私が、介護で見てきたことをお話ししてみたいと思います。
ヘルパーとして約5年間働いてきました。
訪問介護事業所、デイサービス、有料老人ホーム、
グループホーム、障がい者施設等、色々な職場も体験してきました。
確かに全ての種類の施設での体験ではありませんが、
介護の現場で働き、そこで利用者や家族、働いてるスタッフと話したこと、
感じたことを伝えたいと思います。
実際にヘルパーとして働くと、
働いている人達がどんなことを思いながら働いてるか分かります。
そこから見えるものは
これから自分の身内が介護を受ける立場に立った時に
どのように対応したらよいか、
自分が介護を受ける立場になった時、
何をして欲しいのかが見えてきます。
これから介護の仕事をしようと考えている方、
介護職の転職を考えている方は参考になるかもしれません。
そして、家族の方は、
ヘルパーが何を思いながら仕事をしているか
見えてくるのではないでしょうか。
ここでお話しすることは、
介護の技術的な話題ではありません。
介護の制度についての話でもありません。
実際に介護の仕事をして感じたことを私の視点でお話します。
ですので、介護技術、制度について知りたい方は、
他のサイトを御覧になった方がよいでしょう。

私がお話することは、
私が体験したこと、
同僚が体験したことを聞いた内容から構成されています。
個人情報の保護のため、具体的な人名、施設名、場所等は出しません。
また、話の内容から人物、場所が特定されないように配慮してますので、
予め御了解お願い致します。
これからお話していく内容は、
私が介護とは全く異なる業種から、しかも体育会系ではない事務職から、
介護業界に転職し、そこで約5年間働いて体験し感じたことを書いていきます。
この5年間の経験を順を追って書いていきますが、
毎回読み切りのカタチで書いていきますので、
どこからでも、どの順番からでも読んで頂けます。

今回は、内容の紹介だけになってしまいましたが、
次回連続しての掲載では無いですが、少しずつ話していきます。











2016年05月11日

高い次元の意識

「21世紀は、アートがなくなるかもしれません。
なぜなら人々が高次の意識と感情をもち、
作品なしでコミュニケーションをとり始めるからです」
Marina Abramovic 1990

私は、この上記の引用文が気に入ってます。
「セルフエデュケーションの時代」と言う本の中からの引用です。


誰もがアーティスト?
つまり、アートとか仰々しく言わなくても
人々に高い次元の意識があれば行為そのものに芸術性が含まれいる。
アートなんて言う必要もない。
それだけ高い次元に人々の意識があるって、
どんな感じ?
今より少しは生きやすい世界の様に感じるかも。
今はまだ、そうなっていませんね。多分。
それは、一部の芸術家だけが集まっても難しい。
全ての(が難しいなら、ほぼ或いは多数の)人々が
ほんのささやかな一歩前に出る意識の変え方で
高次へシフトしていけるのかな、と思っています。
勿論、芸術家の助けも必要ですね。
芸術の役割は大きいと思います。
(偉そうに、何を語っているんだ!)そう感じている方もいるかもそれません。
私自身、自分の力量を心得ているつもりです。
偉くも何でも無いです。
ただ、よい世の中になって欲しい、
その為に自分が出来ること、自分の役割は何だろうと、
そう言った思いは常に心の中にあります。
ブログがその手段の一つかなと思ったりします。
そうであったらいいな、と思います。









2016年05月10日

表現主義、機能主義

近代から現代に至るデザイン史の底流に対立概念として
表現主義と機能主義とがあります。
前者は美術、工芸の世界を背景として個性に関連するものであり、
後者は近代産業と社会の世界を背景として没個性を目指すものです。
この対立する事例を一つ選び今日の問題と比較し考えてみます。

 機能主義の事例として、
アメリカのインダストリアル・デザイン(I.D.)を取り上げます。
ここでは、なぜアメリカがデザイン運動を機能主義的に捉えたのか、
対立的であったヨーロッパの表現主義と比較しそれを説明し、
それが今日我々が生活するこの社会にどの様に影響しているのかを説明していきます。

 産業革命以降、ヨーロッパでは工業化が進み、
生活用品のいくつかはこうした工業化によって生み出された
安価な大量生産品が占めるようになりました。
これまで手作りで作られていた日用工芸品は、
機械生産品に取って代わられるようになり、工芸家の仕事が減少していきました。
こうした機能主義的な工業化に危機を感じ、
表現主義的なデザイン運動として立ち上がったのは、
イギリスのジョン・ラスキンでした。
彼は、表現の自由、物質の本質及びシンプルなデザインが美徳と考え、
芸術品その物よりもそれを作る人間との関わりを重視し、
工芸に携わる労働者を擁護しました。
このラスキンの思想に現実的な表現を取り入れ
デザインの水準を高める運動をしたのが、ウイリアム・モリスでした。
しかし、こうした表現主義運動が可能なのは、
ヨーロッパに長年培われた伝統工芸があり、
工芸家たちの芸術家魂が存在したためでした。
アメリカはどうかというと、豊富な材料があるにもかかわらず、
十分生産できる工芸家や熟練労働者の数が圧倒的にヨーロッパに比べ少なかったです。
このため、人力を出来るだけ節約し機械生産に頼りました。
移民の国アメリカにおいて、潤った生活ができる豊かな社会にするためには、
デザイン運動をビジネスチャンスとして利用するほか無かったのです。
つまり、アメリカで、I.D.は、
豊かな社会のために役立つビジネスとして誕生し発展したのでした。
これらが、なぜアメリカがデザイン運動を機能主義的に捉えたのかの理由です。
1920年末から1930年代、
アメリカにおいてI.D.は、一つの職業分野としての地位を確立しました。
I.D.は、リアリスティックに捉えられ、
「外観を良くすること」、「有用であること」、「経済的であること」が求められ、
企業に最大の利益をもたらすことを目指しました。
こうしたI.D.をビジネスとして捉えたことで
1929年の大恐慌の際に経済的成功のための手段として、
或いは倒産から救う方法として利用されました。

 アメリカで起こった機能主義的デザイン運動は、
第二次大戦後世界中に広がりました。
商品の開発も、消費者により多くの商品を買わせようとする方策として
製品の本体は変えずにただ表面の形態だけを変える方法を取り、
使っている商品が心理的に古いものと感じとらせ
新しい商品を購入させる手段をとりました。
例えば、自動車やカメラなどがそのよい例です。
基本的な性能はさほど変化は無いのに、外見の形態だけ変えて購買意欲を誘います。

 現代社会に生活する私達にとって機能主義はもはや避けて通れない概念です。
それは、機能主義と表現主義は対立していますが、
私達はどちらが良いといって一方を選択できるような状態にないことを
アメリカの例が示しています。