アフィリエイト広告を利用しています
ファン
検索
<< 2024年11月 >>
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
写真ギャラリー
最新記事
最新コメント
タグクラウド
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
やすねこアートさんの画像
やすねこアート
プロフィール

2016年06月17日

影響します

私がする行為、
その全ては、その結果、
結果的に他の誰かに影響を及ぼしていることになる。
大それた様に聞こえるだろう。しかし、
どんな些細なことであっても構わないんです。
大それたことでも何でも無いんです。

例えば、あなたがスーパーマーケットに行って、
豆腐を買うとします。
何を基準に商品を選びますか?
値段、そうですね、もちろん値段は重要な判断項目ですね。
他には?
私は、成分をみます。
何処の大豆を使っているか?
それは有機栽培なのか?
遺伝子組換えではないか?
添加物にはどんなものを使用しているか?
確認して購入します。

この一連の行為を私はできるだけ
他の人に見られている意識で動作をします。

何故か?

分かっている人は良いんですが、知らない人には、
何を基準で選ぶかを再認識してもらうためです。

単に値段のみで選んでいる人には、考えてもらいたい、
遺伝子組換えをあなたが意識して選択しているか否かということ。

私のこんな些細な行為であっても
それを見て行動に或いは考えに変化を与えたならば、
それは影響を与えたってことになるのでしょう。
その連鎖反応がその地域の購買傾向を変え、
最終的には社会を変えていくんだと思っているのです。

























2016年06月16日

もうかれこれ15年前になるだろうか

それは、突然現れた。
現れた、という表現が正しいのかわからない。
誰でも、それは起こりそうなことだと思う。
しかし、誰でも起こるといっても、
心の何処かでそのことについて模索していなければ
現れることはないだろう。
目の前に現れた時は、
始めは何の事だか意識もしていなかった。
しかし、それが見えるようになると明らかにそれが
そこのあると認識できて、
いやがうえにも脳裏に焼きつくまでになる。
そしていつの間にかそこから
イメージがこびり付いて離れなくなり、
それを表現したいという衝動に駆られる。

そうなると、それは、途端に脳裏から離れようとする。
興味を失せさせようとしているように、
あの手この手で創作の妨害をしてくるのである。
興味の持続には、常に追い求める力が必要だ。
そして何でもない対象であっても、
興味深く見てあげることなんだろ。
作用反作用でその分沢山の要素を跳ね返してくれる何か。
それは、いつしか人に影響を与えるものになる。





2016年06月15日

何だコレ?





ART33.JPG





何だコレって感じました?

まずはそこからスタートするのです、私の場合は。
少しはアートの勉強をした方には
解りきっていることかもしれないですが、
目にする全てのモノに、「何だコレ?」と
視点が移る行為が大切なんですね。

何だコレ面白そう、興味深い、
そう感じることが大切なんですね。
光と影、反射した光、地面の模様、空の雲、壁のシミなど。

何だコレ







2016年06月14日

まあ、あえて抽象画って言うけど

IMGP2279.JPG

まあ、名称はどうだって言いって思っています。
具体的な絵の反対側の絵かな?と普通は思いますが。
それよりも何に気持ちがググッとくるか?ということなんですね。
いろいろ目にするものを見つめていると面白く見えます。
1つ1つ見ていきます。
まずはジッと見て、何かを感じる、ってことを
体験してみてください。




2016年06月13日

まずは、・・・

さてさて、今回から私の作品を順次紹介していきます。



n15.jpg

なぜ、この絵を描いたのか?というより、なぜ、
この絵が描けたのか?と聞いた方がよいのか?
まずは、解説抜きで鑑賞して下さい。

2016年06月12日

今、ハマっている描き方

虚ろな庭.jpg
「虚ろな庭」

私の絵は、
着色するのに必要な下絵と言うかラインというか、
その基礎となっているイメージ画を描き込む工程と、
着色して行き作品をつくりあげていく工程とがあります。
双方の工程が連続している場合もあれば、
相当な期間空く場合もあります。
イメージ画の制作は極めて感覚的でナイーヴな行為であり、
一番気持ちの良い行為です。
しかし一方で着色の工程は極めて冷静でしかも
そうであってっも感覚的な選択も含まれパズルを解いている感覚に陥る。
ピースのはまり具合で異なるイメージの想起もあり、この過程も大変心地良い



2016年06月11日

白い巨塔 名言・会話 その18

白い巨塔 DVD-BOX 第一部

新品価格
¥15,650から
(2016/6/21 16:10時点)




白い巨塔 DVD-BOX 第二部

新品価格
¥24,500から
(2016/6/21 16:12時点)





「学者というのは、野心や器用さだけでつとまるものではない。」


2016・6・3のYahooのニュースにこんな記事が載っていました。
〈数学検定最難関1級 史上最年少13歳が合格〉と。
私も数学とか科学が好きです。
大学でも少し勉強しましたが、
今思い返せば単に趣味の域を超えていなかった様に思います。
科学は小さい頃から興味はありましたが、
才能がある、ってところまでは到底及んでいなかったんだと
今になって思います。
才能があっても、環境や運が作用される世界もあります。

今回のこの数学少年も才能もありますが、
数学ができる環境に恵まれた幸運な人だと思います。
ただ、この子がダークなサイドにシフトしないように
良識ある周りの大人たちのサポートが必須になると思います。

人類を救える良い人材になれることを祈るばかりです。














2016年06月10日

価値を生み出す人

私は、専門家でも何でもありません。
アートが好きなだけの人です。

だからこそ自分が思うアートを自分が創り出す作品をみてもらいたい。
有名な作家の作品だけが作品ではない。
売れっ子作家がどんなに価値のある作品を出したからと言って、
それ自体が価値を生むわけではない。
価値を生み出すのは見る側であって作り手ではない。
そういう意味では無名の作家の作品でも
そこからヒントを勝手に見つけて
価値を生み出す人もいるってことです。

沢山の興味を持って作品を見てください。
どちらに目を向けたらいいのか知りたい時、
自分の感情を信頼すばいい。

よい気分になるのならそれがあなたの望むものです。

2016年06月09日

抽象画、始めてみよう

最初に大切なことは、描く作家の姿勢です。

それはその人の生き方にも関わってくることでしょう。

対象を見て感じるか感じないか、
気付くかどうか、
ちょっと意識すると視点が変わってきます。

偶然の発見を楽しみましょう。

発見は新たな自分に出会います。
それは自分の内面にある新たな自分。
しかし、新たな自分に出会うか否か、
それはあなたの意識の問題です。

何に反応するかあなた次第です。
意識してアンテナを張りましょう。

抽象的な対象はいくらでも落ちています。
単にあなたは気が付かずに通り過ぎているだけ。
直感を信じ、手を動かし感性に従う。
その瞬間瞬間、自分にとっての答えを見つけていく行為。
そして、出来たものを繰り返し眺め客観的に鑑賞してみる。
ありのままを受け入れる。

描く人の数だけ方法論がある。








2016年06月08日

成功と失敗と創り続ける力について

本日は、私自身、参考になった言葉を以下に引用したいと思います。

【成功と失敗と創り続ける力について】エリザベス・ギルバートの言葉です。

「失敗すると絶望の淵へと投げ出されます。
一方成功した場合でも同じくらい遠くへ投げ出され周りが見えなくなる。
潜在意識のレベルでは、2つは全く見わけがつかない。
感情という方程式の絶対値すなわち本来の自分から
どれだけ遠く隔たっているかということだけです。」

「自分に居場所に戻ること。
居場所とは、情熱をもって全精力を注ぐことができ
結果などもはや重要でないというようなもの。」

「生きるべき場所は人それぞれですが、
誰でもこの世の何処かに自分よりも大切なものがあるはずです。
耽溺(たんでき)や幻想ではない価値ある何かです。
何かに溺れてしまっては安心して過ごせませんから。
秘訣は自分が一番気に入っている価値のあるものを見つけ出し
そこに自分の居場所をつくって決して動かないことです。
もしある日突然失敗か成功かの原因で
そこから閉め出されてしまったら
居場所を取り戻すために戦うのです。
努力を惜しまず熱心に深い敬意をもって取り組んだら
それが何であれ愛情が呼び覚まされます。」




2016年06月07日

何気ない日常、ありふれた日々

image.png


変化が無いように見過ごされてしまいます。

退屈な日々と見られ
特別な何かとは区別され
無視されてしまいがちです。

しかし、そこには小さな発見があったりするのです。
いつも見慣れている風景をよく見ることです。
毎日見ていることで関心がなくなり無視されてしまいます。
一つ一つをじっと見てみる。
そうすると、小さな発見があります。
小さな疑問が見えてきます。

「これは何だろう。今まで気づかなかった」

小さなことでも一つ一つ見直してみると
知らないことばかりで、
改めて通り過ぎてしまう日々に
ちょっと立ち止まってみる。
足元を見る。
空を見る。
風景に自分を同化させれみる。
そのことでそこから何かみえてきたり、
感じてくるものがある。
その感覚を大切にしてみよう。
特別なことをしなくても
特別な所に行かなくても、
日々新鮮な発見はそこにある。
とても小さいけど。

小さなことでも、
その小さなことの差が実は大きな差になってくると思う。




2016年06月06日

ちょっとしたことだけど、そこからどれだけ掘り下げられるか

最初のアイデアは、
何の気なしに落書きのように描いていた落書き画でした。
それがふと気がついて改めて見るとこれがなかなか面白い。

最初のきっかけは些細なことからなのです。
そこから、効果を出す為に紙の色を変えてみたり、
色鉛筆やボールペンで描いてみたり、
最終的には水彩絵具を使ったペン画にしました。

まずは一つ作品を鑑賞してみて下さい。

N05.JPG













2016年06月05日

私がシャッターを押す瞬間

image.jpeg


闇雲にシャッターを押すわけではない。
お決まり通りに感動シーンで押すわけでもない。
そこには、明確にといった、
ゼロかイチかとか、白か黒かとか、
綺麗か汚いとかの選択という切り分けなのでは無く、
かと言ってデジャビュのように何となくといった感覚が
全面に溢れてしまったような曖昧さでもない。
何と言って説明したらいいんだろう?
瞬間を切り取る決定的瞬間といった偶然的なものでもない。
こんな珍しいもの誰も見たことないだろうから、ここは一つ
私が写真を撮って皆に見せびらかしてやろう、
と言った奇をてらった意識は毛頭ない。

寧ろ、何これ?
と不思議がられるとか、
何でこんなものをわざわざ撮るの?
と呆れがられるもの。

そう言った一見見過ごしてしまうものを
あえてジッと見つめることで浮き上がる何かを見つけた時の
湧き上がる思いで手が動く。

それを継続していくこと。
その継続の中で私の写真に対するイメージが出来上がる。















2016年06月04日

出勤の思い出

介護職に就いた時、出勤の思い出は、やはり早朝の出勤でしょう。
まだ、空が暗い時間に家を出るのは、正直辛い。
パートナーが隣で寝ているので起こさないように
携帯電話のバイブレーション機能で目覚める様にセットします。
真っ暗なシーンと静まり返った部屋、
ソッと抜け出し隣の部屋に行き身支度を整えます。
カーテンの隙間から外の様子を眺める。
遠くに見えるマンションの通路灯の整列された明かり、
image.jpeg

街路灯の明かり、
image.jpeg

時折通るトラックのエンジン音、
それ以外は音も無く静寂。
2月は特に寒くて辛い。
電車での通勤だった時、
始発電車に乗る時は家を出る時はまだ星が見えている。
星を見ると、何か吸い込まれる感じでスーと夜空と一体になる感覚がして、
その瞬間だけは心が浄化された気分です。
職場に行くまでの電車の中で夜が明ける。
一秒一秒色が変化していく景色は、早く起きた代償として蓄積されます。
どんなに疲れていても、眠くても、自然の放出の凄さを感じる。















2016年06月03日

白い巨塔 名言、会話から その10

白い巨塔 DVD-BOX 第一部

新品価格
¥15,650から
(2016/6/21 16:10時点)




白い巨塔 DVD-BOX 第二部

新品価格
¥24,500から
(2016/6/21 16:12時点)





財前の愛人
(この世には、誰からも好かれる人間なんていないもの。
だって誰からも好かれる人間を嫌う人間というのが必ずいるでしょ。)

この言葉、好きで時々自分の会話の中でも使うことがある。
「誰からも好かれる人間を嫌う人間というのが必ずいるでしょ。」って、
私ですよ。って思った人結構いるんじゃぁない?
私もそう。
誰からも好かれる人間って胡散臭くないですか?と、私は、思います。
完全な人はいません。だから不自然なんですね。
つまり何処かで自分を偽っている。
好きな人もいれば嫌いな人もいる、それでいい。




ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
白い巨塔DVD(セブンネットショッピングで購入出来ます)
https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=2NKFOR+61WO6Q+2N1Y+BW0YB&a8ejpredirect=http%3A%2F%2F7af-ent.omni7.jp%2Frelay%2Faffiliate%2FentranceProcess.do%3Furl%3Dhttp%253A%252F%252F7net.omni7.jp%252Fdetail%252F1400021744

https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=2NKFOR+61WO6Q+2N1Y+BW0YB&a8ejpredirect=http%3A%2F%2F7af-ent.omni7.jp%2Frelay%2Faffiliate%2FentranceProcess.do%3Furl%3Dhttp%253A%252F%252F7net.omni7.jp%252Fdetail%252F1400033160
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー







2016年06月02日

使わないと、こうなる

image.jpeg




雑草が生え、ゴミが捨てられ、鉄は錆びる。

20才、私は、コンピューターのプログラムの勉強をしていました。
専門学校で使用していたプログラム言語を含めると、
BASIC、COBOL、FORTRAN、PASCAL、PROLOG、
C、C++、SMALLTALK、などを使っていました。
Smalltalkは民間の研究機関に派遣されていた時に使用してました。
10年前にはAccessのVBAで
顧客管理と報酬計算ができるアプリケーションなども
作成した事もあります。今は、何もしてません。
錆び付いています。
16年前は海外で生活してました。
言葉も普段から使っていないと忘れていきます。
知識も常に磨いていないと錆び付いてしまいます。

アートも同じだと私は思うのです。
単に知識ではありません。
技術でもありません。
感覚的なものです。

今の私は、常にカメラを所持し気になる風景を記録しておく。
そのちょっとしたことでいいんです。












━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 約190万サイトが使っているA8.net
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
・HPやBLOGに広告を掲載して副収入を得ませんか?
・無料で始められて1000円以上でお振込み。
・いま多くの方に利用されているエーハチネットは
 PCとスマートフォンからご利用いただけます。

▼詳細はこちら
https://px.a8.net/svt/ejp?a8mat=2NIKCO+1SW9PU+0K+ZUAMB
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

2016年06月01日

全てをアート的に

image.jpeg

私は、以前に、もう20年以上前になりますが、
モノクロ写真、フィルムでの写真を撮っていました。
最近では、20代の女性が首にライカをぶら下げているのを見かけます。
誰でも初めはカタチから入るんですね。
やたらと機材やレンズにこだわるんですね。
でも、本当に大切なのは中味だと最近、個人的に思います。
個人的に、いちばん理想的なカメラは、
メガネの様な感じのもので
瞬きとかでシャッターが押せるモノなんかいいね。
箱型とかカタチにこだわらない主義。

私は、プロのカメラマンでもないし、
何か偉い賞を取った写真家でもありません。
しかし、20代30代のプロカメラマンよりも長い時間
写真について考えているんじゃぁないかなぁ。
けれどプロっていうだけで何か線引きしてますよね。
でも、プロって、そんなに時間をかけずになれちゃいますよね。
ぶっちゃけた話、
写真撮ってそれ売ってそれで生活できればプロですよね。
或いは、何処かの事務所に雇われて
給料もらえばそれでもプロですよね。
プロの線引きは、お金ですよ。
どんなに自分が撮りたい写真を撮ったところで
評価されずに売れなければ、実際問題無力です。
でも、ブレたくないです。自分のスタイルを貫き通したい。

このブログでは、アートについて、特に写真と絵画ですが、
自分の思うことを書いていきます。
一見、直接アートとは関係無いように思える内容もあるかもしれませんが、
全てをアート的に考えています。
日常生活の出来事にどの様にアート的考えがあるか探っていきます。
どの様に世界をみているのか知って頂けたら嬉しいですね。
共感して頂けたら幸いです。
思いを伝えながら、少しずつ作品を紹介していきたいと思っています。
販売している絵画も順次ご紹介していきます。
今後は、徐々にリアルの世界にも活動の範囲を増やしていきたいと考えています。
一緒に活動する仲間を探しています。
共感して頂けるなら、コメントお願いします。






2016年05月31日

もし、あなたが

image.jpeg


もし、あなたが、結婚していて、
将来、パートナーの介護が必要になったと仮定します。


今は考えられないかもしれませんが、人生何が起こるか分かりません。
介護が必要になったと仮定して下さい。
その時、あなたは身体的な理由でパートナーの介護が出来ないとしたら、
ヘルパーに訪問して頂き介護をしてもらうことになります。

あなたは、どう感じますか?

私は、何とも複雑な気持ちで、場合によってはいたたまれない気分になります。
彼女のオムツ交換を他人が来ておこなうわけです。

想像してみてください。

今、現実問題として夜間深夜の訪問介護は、女性ヘルパーは極めて少ないのです。
それは、訪問介護は、パートのヘルパーが大半を占め、
しかも女性ヘルパーが多いですが、彼女たちは、
夜間深夜の勤務をやりたがらないためです。
そのため、男性ヘルパーが
女性利用者のオムツ交換や排泄介助を行うことになります。
利用者の年齢に関わらず
介護が発生する場合があります。
介護は高齢者だけではなく、障害者の介護もあります。
30代40代の障害者の女性のオムツ交換を男性ヘルパーが行うこともあるのです。
人材がいなければ、そうなります。
それが、今の現状です。
私も介護ヘルパーの仕事をしていた時、
高齢者の女性、40代障害者の女性のオムツ交換の介護経験があります。

実際にこうした体験があるから、
今の介護についていろいろ考えてしまいます。

私も、人間です。
男性です。
実際、視覚的に目の当たりにすれば、
それが例え仕事であったとしても、
情報として記憶に残ってしまいます。
これは、仕事だから特別な状況だからと言われても
視覚、触覚、嗅覚で得た情報は
特に視覚情報は記憶に残ってしまいます。

とても複雑な気持ちです。

最初はショッキングです。
医者や看護師もその点では同じ感覚だと思います。
しかし、医者とか看護師は、
実際の業務に就く前に倫理的な教育とか心理的教育を十分長い時間かけて
考えているはずなのですが、
介護士はそこまで丁寧に行われません。
およそカタチだけの研修を受け早々に現場に送り込まれます。
何せ人材不足ですから。
最初はショッキングかもしれ無いけど回数を重ねると感覚が麻痺してきて、
感じなくなってきてしまいます。
こわいです。自分はそうなら無いようにと思いますが葛藤があります。

一見、アートととは何の関連も無いと思われるでしょうが、
意外と関連ありますよ。

アートの場合、それは、裸体画の制作の場合があげられます。

純粋に芸術として描いているんだ、と言っても、
股間が膨らんだ時点で、その言葉に正当性はあるんでしょうか?
男性であれば理性で必死で抑えていることでしょう。しかし、
純粋に正直に身体が反応したこと、
美しい、凄い、心地いい、その素直な感情が出せること、
これはアートの要素として大切ですよね。

このデリケートな問題は、常に話題は尽きません。

どうです?

介護という仕事一つとっても
その中で抱える問題の中にはアートとリンクする問題が幾つもあります。












2016年05月30日

西洋絵画における近代化とはどのようなことであったのか

西洋絵画における近代化とはどのようなことであったのか、
自由な視点から話してみます。

 絵画表現が、
人物の写実的な表現、自然の模倣などを経て、
色彩とか線といった部分に視点が移り、
色彩の表現や形態の表現などが見直され
抽象というものがようやく表現として社会的に認識し始められました。
今まで当たり前のようにされていた
芸術の常識的なものを否定し変えていく中で、
抽象運動が起こりました。
抽象は、絵画表現が単純な形を追求し点や線のレベルまで到達しましたが、
ポロックの作品の中には、
それまでも否定したものがります。
ポロックが最終的に到達したものが、
見方によっては、子供のいたずら描きのようにも見える
ポアリング技法による作品です。
しかし、絵画について熟考してきたポロックの絵と
絵画に関するあらゆる知識について無の子供の絵と
外見上差の無いものなのに
ポロックの絵が芸術作品として高い評価を受けることは、
絵画表現が単に写実的とか自然の模倣に留まらず、
あらゆる制約から解放されたことを意味します。
それが、ポロックの絵に表れている。
「いたずら描き」と「芸術作品」の“接点”が
西洋絵画における近代化をなしたものです。
それによって、抽象絵画を
社会的評価ができる絵画としての地位に確立できたのです。
ここでは、この“接点”がどのように確立されていったのかを
ポロック以外の抽象的絵画、
カンデンスキーやライリーなど点、線などの
幾何学的抽象表現絵画とを考慮して説明していきます。
まず、抽象絵画以前の絵画について説明し、
次に、抽象表現絵画について説明し、
最後に“接点”がどのように確立されていったのかを説明します。

 抽象以前の西洋絵画の主流は、リアリズムとアカデミスムです。
16世紀、ルネサンスの写実的絵画の手法が確立され、
見たものをありのままに描けるようになりました。
17世紀には、フランスの美術アガデミーが創設され
絵画もアカデミックな分野へと登りつめた。
写実的な手法が確立されると現実的な目に見える描画の方法の探究は、
見たもの、見るものをどう捉えるかに探求が進みました。
印象派の絵は、形態の輪郭はぼんやりしていますが、
そこから光と影の微妙な振幅を捉えようとしました。
更に、見たものそのものという現実からそれて
反現実的な絵画世界を主張した象徴主義絵画が登場しました。
人物、風景などのあくなき探求がいろいろな技法や主張を生み出しました。
しかし、それらは、すべてアカデミスムの路線上にあります。
常に描く対象は人物、静物、風景など依然として
目に見えるものをどう捉えるか、どのように表現するか、
それのみです。
自分の内面に対するアプローチよりも
対象の表現法に視点がいってしまっています。

 西洋絵画の根幹をなした自然の模倣を捨てて
線や色彩などの造形要素に還元されました。
抽象絵画の登場により西洋絵画は、近代化のドアをたたいたのです。
1905年パリ、激しい鮮烈な色彩表現による絵画運動が起こりいました。
フォービズムです。
アンリ・マティスは、色彩を再現的、写実的役割から開放して
直接感覚に訴える表現手段をとりました。
これは、色彩における絵画革命であり、
色彩の自立、色彩による自我の解放を意味します。
1907年ころ対象を解体してそれを画面で再構成する
キュビズム運動が起きました。
形態と構成における革命です。
ピカソの「アビィニョンの娘たち」<資料2>はその代表です。
ピã‚≪ソ.jpg

こうした運動は、やがて自由な点、線、面への還元となり、
抽象の確立に至りました。
カンデンスキーによれば、芸術とは、本質的に精神的な経験です。
モチーフをシンプルにすることによって
線や色彩は物体そのものよりも
彼の感情や感覚を表現する媒体となりました<資料6>。
ã‚≪ãƒ3デãƒ3ã‚1ã‚-ー.jpg

表現主義的抽象としてポロックは
ポアリング技法による最も抽象的手段をとりました。
ポアリング技法は絵の具をたらして描く技法で
即興性やリズムも1つの要素となっています。
筆という抑制から解放され無意識との接触を深めたのです。
偶然性が創作の手段の中心であるように思われがちですが、
偶然性を招き寄せ付随的でありますが
一貫した役割を担わせることによって偶然性を否定しています。
自分のしていることをしっかりと把握しコントロールしているのです。
さらに、独創性を極端に重視するようになりました。
ポロックと対極的に位置するライリーは、
彼女の作品を“色彩の音楽”といっています。
作品は1つ1つに細部まで徹底的に計画されており
それが見る者の目と頭に刺激をあたえて
視覚を活性化し爽快感をあたえています<資料5>。
ãƒ&copy;イãƒaー.jpg

 ポロックの作品は完全に視覚的で、
点や線よりもさらに進んだ表現といえます。
点とか線はそれ自体すでに決まった形であり、
ある意味それだけで抑制されています。
ポロックは、抽象的な点や線までも否定し、
絵の具をたらすだけの抽象を表現しました。
ポロックの作品には、最終点に到達した絵画の姿があります<資料3>。
ポãƒ-ッã‚ ̄.jpg

作品は、まるで赤ちゃんがクレヨンかマジックインクで
壁に落書きをしたようなものです<資料4>。
èμ¤ã!ゃん.jpg

プリミティブ以前のプリ・プリミティブな行為です。
それが、ポロックの作品と同じレベルで語られる時、
まさにそのところに“接点”が確立されるのです。
外見上どちらがポロックの絵なのか分からない。
方やこれが、赤ちゃんが描いたものだと分かると落書きだと決め付け、
それがポロックの作品だと高い入場料を払って美術館で見ることになるのです。
しかし“接点”は、その作品がポロックの作品か赤ちゃんの落書きか
どうでもよくなります。
つまり、ポアリング技法で描かれた絵を作品として捉えてしまう
目をもたせてもらったことに“接点”の役割があるのです。
この“接点”が西洋絵画における近代化となるものです。
そして“接点”により絵画は、
先史時代のプリミティブな絵<資料1>から
ペトãƒ-ã‚°ãƒaフ.jpg

ポロックの抽象絵画まで1つの輪のようにつながることになります。

つまり、プリミティブな絵→写実的な絵→抽象的な絵→プリミティブな絵

と循環した形をとることになります。
 “接点”は、抽象とプリミティブをつなげる接着剤ともいえます。
こうしてできた循環型の絵画の流れは時代や場所によってサイクルを変え、
或いは混じり合いながら現在にいたります。

 以上、自由な視点で話してみました。











2016年05月29日

介護福祉士の試験は年々受かりやすくなっているようですね

介護福祉士の試験は年々受かりやすくなっているようですね。

かつて介護職に就いていた人や高齢者の再雇用についても
介護職は優遇する方針を政府が打ち出しているようですね。
あまりに人材が集まらないための苦肉の策でしょうが、
そんなことをしても果たして容易に人材が確保できるのできるのでしょうか。
人が集まらないから試験を受けやすくするとか、
人員が余っているから受験資格を難しくするとか、安易な考えです。
ケアマネ試験は、受験資格が難化してきています。
ケアマネ余り過ぎているからです。福祉は成長産業です。
研修、セミナー、試験、教育で利益を上げていけるからです。
介護をするにも資格がいる時代になりました。
現実的には、別に資格が無くても大して大きな違いは見出せ無いですが、
国としても何か事故が発生した場合に制度として
しっかりしたものになっているか国の責任を問われた際の言い訳材料にもみえますが。
とにかくたかが介護といっても色々と金がかかるものです。
しかし、今は人材不足で求職者には支援が手厚いので
ハローワークを利用して研修費用を上手に節約した方がよいです。
介護で生き延びるには、とにかく資格を取得されたら
すぐに就職して経験を積むことです。
正規非正規関係なく、たとえ一箇所で1、2ヶ月でも構わないです。
現場での経験を積む事で転職がものすごく有利になります。
前職での経験がそのまま次の職場でも生かせることができるスキルなのです。