西洋絵画における近代化とはどのようなことであったのか、
自由な視点から話してみます。
絵画表現が、
人物の写実的な表現、自然の模倣などを経て、
色彩とか線といった部分に視点が移り、
色彩の表現や形態の表現などが見直され
抽象というものがようやく表現として社会的に認識し始められました。
今まで当たり前のようにされていた
芸術の常識的なものを否定し変えていく中で、
抽象運動が起こりました。
抽象は、絵画表現が単純な形を追求し点や線のレベルまで到達しましたが、
ポロックの作品の中には、
それまでも否定したものがります。
ポロックが最終的に到達したものが、
見方によっては、子供のいたずら描きのようにも見える
ポアリング技法による作品です。
しかし、絵画について熟考してきたポロックの絵と
絵画に関するあらゆる知識について無の子供の絵と
外見上差の無いものなのに
ポロックの絵が芸術作品として高い評価を受けることは、
絵画表現が単に写実的とか自然の模倣に留まらず、
あらゆる制約から解放されたことを意味します。
それが、ポロックの絵に表れている。
「いたずら描き」と「芸術作品」の“接点”が
西洋絵画における近代化をなしたものです。
それによって、抽象絵画を
社会的評価ができる絵画としての地位に確立できたのです。
ここでは、この“接点”がどのように確立されていったのかを
ポロック以外の抽象的絵画、
カンデンスキーやライリーなど点、線などの
幾何学的抽象表現絵画とを考慮して説明していきます。
まず、抽象絵画以前の絵画について説明し、
次に、抽象表現絵画について説明し、
最後に“接点”がどのように確立されていったのかを説明します。
抽象以前の西洋絵画の主流は、リアリズムとアカデミスムです。
16世紀、ルネサンスの写実的絵画の手法が確立され、
見たものをありのままに描けるようになりました。
17世紀には、フランスの美術アガデミーが創設され
絵画もアカデミックな分野へと登りつめた。
写実的な手法が確立されると現実的な目に見える描画の方法の探究は、
見たもの、見るものをどう捉えるかに探求が進みました。
印象派の絵は、形態の輪郭はぼんやりしていますが、
そこから光と影の微妙な振幅を捉えようとしました。
更に、見たものそのものという現実からそれて
反現実的な絵画世界を主張した象徴主義絵画が登場しました。
人物、風景などのあくなき探求がいろいろな技法や主張を生み出しました。
しかし、それらは、すべてアカデミスムの路線上にあります。
常に描く対象は人物、静物、風景など依然として
目に見えるものをどう捉えるか、どのように表現するか、
それのみです。
自分の内面に対するアプローチよりも
対象の表現法に視点がいってしまっています。
西洋絵画の根幹をなした自然の模倣を捨てて
線や色彩などの造形要素に還元されました。
抽象絵画の登場により西洋絵画は、近代化のドアをたたいたのです。
1905年パリ、激しい鮮烈な色彩表現による絵画運動が起こりいました。
フォービズムです。
アンリ・マティスは、色彩を再現的、写実的役割から開放して
直接感覚に訴える表現手段をとりました。
これは、色彩における絵画革命であり、
色彩の自立、色彩による自我の解放を意味します。
1907年ころ対象を解体してそれを画面で再構成する
キュビズム運動が起きました。
形態と構成における革命です。
ピカソの「アビィニョンの娘たち」<資料2>はその代表です。
こうした運動は、やがて自由な点、線、面への還元となり、
抽象の確立に至りました。
カンデンスキーによれば、芸術とは、本質的に精神的な経験です。
モチーフをシンプルにすることによって
線や色彩は物体そのものよりも
彼の感情や感覚を表現する媒体となりました<資料6>。
表現主義的抽象としてポロックは
ポアリング技法による最も抽象的手段をとりました。
ポアリング技法は絵の具をたらして描く技法で
即興性やリズムも1つの要素となっています。
筆という抑制から解放され無意識との接触を深めたのです。
偶然性が創作の手段の中心であるように思われがちですが、
偶然性を招き寄せ付随的でありますが
一貫した役割を担わせることによって偶然性を否定しています。
自分のしていることをしっかりと把握しコントロールしているのです。
さらに、独創性を極端に重視するようになりました。
ポロックと対極的に位置するライリーは、
彼女の作品を“色彩の音楽”といっています。
作品は1つ1つに細部まで徹底的に計画されており
それが見る者の目と頭に刺激をあたえて
視覚を活性化し爽快感をあたえています<資料5>。
ポロックの作品は完全に視覚的で、
点や線よりもさらに進んだ表現といえます。
点とか線はそれ自体すでに決まった形であり、
ある意味それだけで抑制されています。
ポロックは、抽象的な点や線までも否定し、
絵の具をたらすだけの抽象を表現しました。
ポロックの作品には、最終点に到達した絵画の姿があります<資料3>。
作品は、まるで赤ちゃんがクレヨンかマジックインクで
壁に落書きをしたようなものです<資料4>。
プリミティブ以前のプリ・プリミティブな行為です。
それが、ポロックの作品と同じレベルで語られる時、
まさにそのところに“接点”が確立されるのです。
外見上どちらがポロックの絵なのか分からない。
方やこれが、赤ちゃんが描いたものだと分かると落書きだと決め付け、
それがポロックの作品だと高い入場料を払って美術館で見ることになるのです。
しかし“接点”は、その作品がポロックの作品か赤ちゃんの落書きか
どうでもよくなります。
つまり、ポアリング技法で描かれた絵を作品として捉えてしまう
目をもたせてもらったことに“接点”の役割があるのです。
この“接点”が西洋絵画における近代化となるものです。
そして“接点”により絵画は、
先史時代のプリミティブな絵<資料1>から
ポロックの抽象絵画まで1つの輪のようにつながることになります。
つまり、プリミティブな絵→写実的な絵→抽象的な絵→プリミティブな絵
と循環した形をとることになります。
“接点”は、抽象とプリミティブをつなげる接着剤ともいえます。
こうしてできた循環型の絵画の流れは時代や場所によってサイクルを変え、
或いは混じり合いながら現在にいたります。
以上、自由な視点で話してみました。