2016年07月05日
虚ろな庭 その15
「虚ろな庭」
一つの世界というか
外に出ない限り守られた安全な空間であると同時に
安定しているがゆえにそこから出ることが出来ない
魔力の様な力を持つ空間であるとも言えます。
安定しているがゆえにまるで
時間が止まっているように見えます。
例えば、先入観的に初めに
内側はこうで外側はこうだと思い込んでしまうと
そのイメージから抜け出せず
自分が内側にいても実際に
内側なのか外側なの実はそんなものはなく
区別など存在しなく
見ているものが唯一事実だと思ってしまう。
つづく
2016年07月04日
2016年07月03日
2016年07月02日
2016年07月01日
2016年06月30日
2016年06月29日
2016年06月28日
2016年06月27日
2016年06月26日
2016年06月25日
2016年06月24日
2016年06月23日
2016年06月22日
2016年06月21日
虚ろな庭について その1
「虚ろな庭」
閉じた空間というか限られた範囲というか、
外の世界とは離れている、
或いは区別されている空間とでも言ったらよいのだろうか。
庭は、大なり小なり柵がある。
また、柵になる木々がある、
或いは壁などでもよい、
外と内という分け方を或いは
ここからこっちは家の土地だと言った境界線を表すためでもいいが、
とにかくそれは外面と内面というか、
とにかく庭は、外からでは様子がよく分からないように出来ている。
つづく
2016年06月20日
発表する場
これには悩まされます。
何せ充分な資金が無い。だから今、
費用のかかる個展は無理。最も
無料で提供してくれる場があれば何か出展してみたい。
自分の作品を誰かにみせる。
その手段を考えると、インターネットは、欠かせない道具となった。
ある意味期間限定ってわけでもない。掲載すると誰でも見られる。
一人でも多くの人に見てもらいたい。それは、作用であり
影響でもあると思っています。
全ての人にそれを望んでいるとは毛頭ないです。
感じ方は人それぞれですから。しかし、
何かを感じてくれたなら、
その人に何らかの影響を与えたわけで、
私の作品を購入するしないは別として、
私は、満足しています。
誰かに影響を与えられたのなら、
制作の目的の一つは達成されたのですから。
私の目的の一つは、
アートを使って人の意識を良い方向へとシフトさせること、
争いの無い、皆が支え合える世の中にしたいね。
と、こんな記事 何か上から目線、あんた何様?って
思っている方もいるでしょう。文才が無くてスイマセン。
そんな大層な気持ちは毛頭ありません。
ただただ多くの人にアートっていいな、面白そう。
やってみたい。
何かを創ってみたい。
今まで興味無かった人とか、
自分には無理と思っていた人にも挑戦して欲しい、
そして、マインドシフトする感覚を味わって欲しい。
そこから見える新しい視点で世の中を見て欲しい、
そうすることできっと世の中良い方向に変わっていくと
信じているからです。
純粋にそう思っています。
共感して頂けると嬉しいですね。
2016年06月19日
ありふれている場面
大抵は通り過ぎてしまいます。
それが無意識的でもあるし、意識的通過させている時もある。
どちらにしても日々それを繰り返しているのです。
床に敷いてるタイルのひび割れが妙に気になる時がある。
何でもそんなもんが気になるのか分からない。
それは突然、目に飛び込むのです。
ワーってな感じになるのです。
ググッという感じでしょうか。
シャッターを押すのはその瞬間なんですね。
私の決定的瞬間がこれなんですね。
私は基本、風景を撮影します。
よほどのことが無い限り人は写さないんです。
だから決定的瞬間に人が入って来た場合は躊躇します。
場合似よっては撮影しない場合もあります。
時間をおいて再度試みる場合もあります。
大抵はそれでも充分な写真が撮れます。しかし、
多くは再現しても何か違うんです。
折角硬くなったのに急にフニャっとした感じで、
先ほど見えたものが見えなくなってきている。
だから、一期一会を大切にしています。
できるだけその場に敬意を払います。
2016年06月18日
見ている
影響を与える方法は、いろいろありますよね。
例えば、私は、図書館で本を借りる時、こんなことをします。
今の図書館は、検索端末で本を検索したり
自宅の端末から本を検索したり、予約したりできます。
他館の本を取寄せることも可能です。その際、
できるだけスタッフの手をわずらわすことをあえてします。
何故か?
私が借りる本のタイトルをできるだけ多くの人に見せるためです。
リクエストカードに書き込んだりしてスタッフにみせることで
まず、直接スタッフがそのタイトルを見ることになります。
場合によっては複数のスタッフがそれをみることになるかもしれません。
何れにせよ自分以外の誰かがその本のタイトルをみることになるのです。
これも本当些細なことなんです。
見ることで、
刺激されるのです。
何だろうこの本、面白そう。
それだけでよいのです。
一人でも興味を持てば後は連鎖反応です。