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2022年10月23日

私の「接点写真」 入門

今日も生きています。

今回より、ようやく私の接点写真入門をはじめます。
自称「接点写真家」です。

さて、私の言う「接点写真」ってそもそも何でしょうか?
そこのところを話してみたいと思います。
しかし、あくまで自分向けに書いていますのでご承知おきください。
私の写真に興味がある、良いなと感じる方には良い機会かと思います。

道を歩いている時、ある物体を見ます。
これは、意識的に見ているのか無意識のうちに目に入っていくのか分からないです。分けられないですね。見ながら歩かないと危ないからです。だから、通常は、撮るために見ている訳ではなく、安全に歩く目的で見ているのです。
しかし、そうして見ている中に、ふと何かに反応するのです。
過去の記憶であったり、不思議な雰囲気だったり、多分、その反応は私固有のものだと思っています。
多分、そこが他の人との作風の根本的な違いだからです。
とにかく、そこで物体を見ます。
その時、私の記憶のイメージ、表象っていってもいいですが、そこと反応する時私はデジカメのシャッターを押します。これが私の「一連の行為」です。
後日、取り込んだ写真を改めて見ます。取り込んだ多くの写真の中の何枚かに一連の行為の記憶が接します。取り込んだ全ての写真が接するわけではありません。行為の記憶と実際に撮れた写真にズレがあると両者は接することが無いからです。取り込んだ「写真」と一連の行為の記憶とが接するところ、そこが接点です。接点写真は、こんな感じです。
265ADA97-BD1D-4D5D-A452-FEBAFCD855F8.jpeg

何か難しく説明しましたが、おおよそ人は無意識のうちにこんな感じで撮っていると思います。
ポイントは、何に反応して撮るか?ということです。



この入門は、私だけの入門でして、皆様向けに出来ていません。
ですから読者の配慮無くいっさい独自の考え方や見方で写真と言うものを語っています。研究者や職人さんの学説、流派、伝統等全く考慮しておりません。常識と言われている写真の撮り方、評価基準は考慮しておりません。
しかし、私も誰かの影響を受けていることは間違いありません。ですから、みているひとの誰かには、共感していただける事と思います。
これが私の写真です。これを貫き通します。
そうする事で私は私の存在を実感できるのです。

今日も生きています。


2022年10月15日

結局のところ、私は、評論家でも無い、研究者でも無い、プロデューサーでも無い、キュレーターでも無い。私は、アーティストなんだな、と思ったんです。

私の抽象芸術 入門 へようこそ。
これは、私だけに向けられた、私の為の入門です。
残念ながら、他の人向けではございませんので悪しからずです。

今更ながら、私は、アーティスト、つまりは、芸術家なんだなと
自覚したわけです。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
【私のFacebook の投稿から】

0421644A-BB83-44B9-8C4F-3849092BD394.jpeg
まぁ、いろんなことに想いを馳せたり
いろいろ想像したり
時には何かを思い出したり
あることを考えたり
場合によっては考えが飛躍したり
何かを発見したり、してみて下さい。
素通りしても構いませんが、
思考停止にはくれぐれもご注意を。

私の作品は、まさに
観る人に「見えてはいるが見えていない」何かを
共有していただくことで
その人の可能性を引き出す効果を狙っています。

しかし、この試みもするかしないかは
あなた次第で、
まぁ、興味もなければそもそもこの記事自体読んでいないわけで。。。

私はむしろ自分の作品に救われていることが多いです。

「本質的には芸術の目的は癒しなおすこと」
           グレン・グールド


【写真の解答】
ティッシュペーパーを丸めてゴミ箱に捨てた後、何を思ったか、ふと拾い上げて見た時に、「おっ」と思ってテーブルに乗せて写真を撮ったものです。

さて、上記の解答を見た上で、再度、この写真を鑑賞して下さい。
あなたには、何が見えますか? 何を感じますか? どんな感情がわきおこりますか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

有名、無名、金の有無には関係無く、
本質です。アートの。
金のためでも無く、ただ、好きで面白いからしている。
絵画にしても写真にしても。
これだけ続いているのは、やっぱり好きなんですね。
仕事では無く、有償無償に関わらず、好きなんですね。
こうして考えたりつくったりすることが。

別に、共感や評価など関係無く、ただ、したいからしている。
それだけです。

自己満足でしょう、そう言う人もいるでしょう。
どうぞ、言いたいだけ言えばいい。
(そう言うヤツに限って、何もして無いし、出来んヤツだから)

私にとって、作品をつくることが生きていける支えになっているのです。
まさに、癒し治すこと。




誰もみていないから、思うままに書いているが、別に、みせつけるわけでもないが、ブログで書く以上実質的に見せつけていることになってしまっているわけだが、溜まっているモヤモヤを吐き出しているわけだから読んでいる人にはよく分からない内容になっているかもしれないけど、自分の気持ちを落ち着かせる為に書いているから別段気にもしていない。

「私の抽象芸術 入門」は、私による 私の為の入門です。
ただ、気になる人だけ読んでいることと思います。

絵って、どんな時に描くんでしょうか。ふと思いました。
忙しい時ほど、時間をあえて絞り出して深夜悶々と描くわけです。
ストレスを極度に感じている時、特に描きたいという衝動が起きます。

何だろう?

しかし、別にそんな状態でもない時でも、ふっと描きたいと思う時があるのです。
何かが頭の中にフッと降りてくるそんな感じを受ける時もあるのです。
しかし、描いたからといってどうする事もなく、本当に溜まっているものを吐き出す感じです。
かと言って、不要なものを出しているわけでもなく、
描いたものは、私は作品と呼びたいですね。
私独りだけが私の作品を擁護しているのです。
唯一私だけに守られている貴重な作品なのです。
だから愛おしさはあるのです。
誰からも評価もされない、だから何の肩書きも無い無名の存在に、私は心惹かれるわけです。

そんな私が、誰かに何かを言ったところで相手は当然ながら聞くわけも無いのです。
だから、既にここまで読んでいる貴方はスゴイと感心してしまいます。それだけでも感謝です。

私の周りには、一期一会に溢れています。
なぜなら、同じに見えても瞬間瞬間異なるわけですから一つとして同じモノは無いはずだからです。
今日見ているモノが明日もあるとは限りません。
人の関係もそうです。
「また明日ね」と言った人と二度と会うことがなくなる、って事もあります。
同じ場所で見た風景も明日同じに見えるけどやはり違うのです。
朽ちていき、やがて無くなるのです。

さて、前置きが長くなりました。
芸術の本当のところを自分自身、どう感じているのでしょうか。
これに踏み込む前に、一つお話しをしたいです。
皆さんはお肉好きですか?焼肉とか唐揚げとか。私も好きでした。今は出来るだけ肉は食べない様にしています。理由はここでは差し控えますが、ここ数年で明らかに減少しています。
そもそも、私達は、本当に肉が好きなんでしょうか?高い肉って言ってますが、その違いが本当に分かっているのでしょうか?私は、分かっていないと思います。私は、肉そのものが好きと言うのでは無く、それを味付けした物体に美味を感じているに過ぎないと分かったのです。同じ様な肉の感触であればそれがコンニャクであっても良いわけです。焼肉の様なタレでそれが再現出来れば肉の代用として十分では無いでしょうか。唐揚げもしかり。肉の代用品が有れば食材を替えるだけで食生活は変えないで生活習慣病を改善出来るかもしれません。しかし、そこに気が付いてくれる人は少ないなぁ。

芸術も、今の芸術は上例の様に焼肉と言う一つの形が出来上がってその中身が誰であっても構わない、そんな匿名性なものに成り下がってしまったように見えます。

まずは問題提起です。
学校で知識としての芸術は、私は、学んだ方が良いと思います。
まとまった体系的な情報は必要です。
それは、外の世界と内の世界を知る為です。

その先の事を、今、ここで見ています。

まずは、私の作品を見て下さい。
(未完なので作品の一部のみお見せします)
23DC592C-9F26-4AEC-972D-E9D82107ABBB.jpeg



「見て、何を感じるのか」

全ては、ここからスタートします。




☆ 最後まで読んで頂きましてありがとうございます。




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