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やすねこアート
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2023年11月17日

結局のところ分かっている人は少ない。おそらく、理解できないか理解しようとしないか、そもそもそれ以前の問題か。



ひと月の間に思ったり感じたりした事をその都度メモの代わりに書き留めて記事に仕上げています。ここは、まさに私にとっての覚書をする場なのです。なぜなら、その時に湧き上がった言葉を書き留めて置かないとそれを考えていたことも忘れてしまうからです。後で読み返して再認識する事で正に自分自身の気付きにもなります。そこには他の読者はほぼ介在してません。読みたければ読めばいいし恐らくこんなに長たらしく無意味に思える記事を時間の無駄だとそもそも読まないと思っているからこそあえて私は書きたい事を書いているのです。しかし、それでも物好きな人もこの世にいる事も確かですから、この記事を読んでいる人もいるかも知れないし、読んで何か刺激を受けるかも知れないしバカな奴だと優越感に浸る人もいるかもしれないし、それでも何かを感じて頂けたらそれはそれで個人的には嬉しい気もします。

ここ数年、諸事情で週に一度、実家に帰る事になっているので母親と話す時間は多く取れるようになりました。そのおかげで今まで知らなかった母の幼少期や学生時代の事も断片的ではありますが聞く機会に恵まれています。生まれてきて半世紀以上経ちましたが、それまでほとんど母親とじっくりと話す機会はありませんでした。親の生きてきた記憶よりも他に魅力的な事があると勝手に思い込んで見向きもしていなかったのです。しかし、人生いろいろ経験していく中で思う事もいろいろ出てきました。私自身、家計は苦しいですが生活は案外楽しいです。ある意味で幸せな時でもある感じがします。お金は大切ですし出来れば欲しいです。しかし、幸せはそれとは別のところにもありそうです。

さて、芸術の話です。
どんなに大変な時でも、ハッとする場面に出くわすと感動したり、カメラを持っていたらシャッターを押してしまう、その感覚はアーティストなんだと思います。私は「孤高最高」のアーティストなのでしょう。

結局のところ、
もっとも、これはもし誤解がなければですが、
最近のアートは、多方、大したこと無いと私は感じているのです。
どうせ誰も読んでいないので個人の覚書として書いています。初期の人類と呼ばれる段階まで遡って、砂地や木の幹に落書きのような模様をらしきものを誰かが描いたところから模倣が始まり、それをなぜかそれを見て面白いと感じた変わり種がそれを模倣し改善を加え、そしてその連鎖が体系化してある時は宗教に利用されたり戦いに利用されたり金儲けに利用されたりして進化を遂げてきたのでしょう。その中で純粋なアートはとっくの昔に隅に追いやられてしまったのです。純粋なアートととは、自分だけのアートです。心の支えになり自ら対話できる大切な存在なわけです。純粋なアートを純粋なまま向き合えば自らが悩んだ時でも死なずに支えてくれる大切な存在となるはずなのです。多くがそれに失敗してます。多くが死に至り、多くが身を持ち崩してます。自己を見失うのです。巷にある評価されている作品を見てもやはり誰かの影響をもろ受けている作品に溢れています。それはそれで別に構わないです。勝手にやれば、という話です。私も当然、影響を受けています。でも、それは仕方のないことです。生まれて自我が目覚めるまでの間に何らかの情報が既に目に触れインプットされていますから。そこから独自の路線に行くのは結構厳しいものがあります。独自路線を行っているなと感じる指標は何だと思いますか。せっかくここまで読んだ方にはこっそり教えましょう。それは、誰からも見向きもされない作品のことです。誰も評価すらしない作品。そこに本来の独自性があるのです。大抵、誰かが共感します。そこからどう抜け出すか。今後の力量が問われるところです。そう思うと今後の制作がワクワクしてきます。
 私は、「孤高」という言葉が好きです。多くは、意固地とか独りよがりなどと別の見方をしてる人もいるようですが、自分の感覚を大切にしている人と私は捉えています。たまに、共通する感覚に出会す場面があります。共感にホッとすることも確かにあります。どこかに安心感を持ちたいからでしょうか。本音を言えば孤独で制作する時は寂しい時もあります。賑やかで華やいでいる向こうの居場所のが本当は良いかもと思う時があることも事実です。人間ですから気持ちは揺れ動きます。でも、誰からも評価されない見向きもされない事があってもそれでいいです。自分の感覚にウソをついてまでして迎合したくない気持ちがやはり強いですね。これは作品制作に限っての事です。日々の生活は助け合って仲良くみんなと過ごしたいです。これも自分にとって居心地の良いという事ですが。自分にとって居心地の良いところはきっと相手にとっても居心地の良いところだと思います。そのように考えると自分にとって心地よい作品も、その中には相手にとっても心地よい作品の要素はきっとあるんだなぁと思う時もあります。もしそうなら「いいねおやゆびサイン」も悪くないです。矛盾している様にみえますが人間とは本来そんな存在だと思っています。私の中のアーティストは孤高な変人ですが、本質は人が好きなんだと思うのです。相手の作品は確かに大したものでは無いにしてもその人の技量や熱意は評価に値するものばかりです。観てもハッとするものも確かにあります。しかし、所詮大したこと無いです。人や人が生み出したAIにしてもそこからの創造力はたかが知れてます。自分も結局そうです。ただ、皆、自分だけ特別と思っているだけです。一歩引いて見ると面白いです。この面白いという感覚が実は本質的でスゴイと感じるのです。裸の王様のごとく高評価に祭り上げられてバカ天狗になった作品は多いです。そんなものなど観るか、って感じです。評価するのは当人ではなく第三者でしょ。もちろんその人は純粋に共感したかも知れません。おそらく相手が好きなら恋愛の延長線上にその作品があるのでしょね。しかし、多方それだけではありません。作家を利用して一山当てたいと考えている人もいることでしょう。作家もそれで生きていくわけだし、お互い利益があるわけです。つまり、ある意味で職人が作った商品ということなのですね。私とは無縁と感じます。賛否はありますが別にほとんど読まれていない私のこの記事なら害はないでしょう。本来アートは、金にもならん事を熱心にやる時、面白さが見えてくるのでしょうね。私はそう感じているのです。
 私の抽象芸術入門はこの様な方向(私の独自路線)で私の求めるアートの本質に近付いていきます。作品を前にして技法を説明したりするより悩み考えている時間の方がはるかに長いのです。一般の教室では意外と素通りされ普段教えられていない事をここでは追及していきます。

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