言葉じりをいちいち論って
この言い方は正しく無い
この言い方はテキスト的で無い
この言い方は曖昧だ、
などと重箱の角を突き回すのがあるけど、
細かい事にこだわる方は、逆に読まない方がいいし、
無理に首を突っ込んでかき回してほしくないです。
別に巷の評論家や研究者に喧嘩売っているわけでも無いし、
否定しているつもりも無いし、
ただただ自分なりに『抽象』ってことについて想いを巡らせているだけです。
自慰行為だと思って素通りして欲しいですね、本音で言うと。
『私の』としているのはそのためです。
自分にとっての抽象芸術って何、何が自分にとって心地よいのかな、そんな立場で語っています。
目くじら立てて何が抽象か、偉そうに、何て言われるのは逆に心外です。
あなたに向けて語っているわけでもないし、これは自分の為の覚え書きの様な位置付けです。
私にとってあなたにどう思われるか関係無いわけです。
しかし、ここに書いた以上は他の誰かにも読まれるわけです。
気になってこの記事に立ち止まって読んでみた、という方もいるでしょう。
何か違うと読んでいる中で感じたらそこでやめて他行ってください。
なるほど、面白いと感じてくれたなら嬉しいですね。何かの刺激になれば幸いです。
さて、
インスタであげた写真↓
これ、どう感じましたか?
面白い、不思議、。。。
一体何を撮った写真でしょうか?不思議。。。
日常である意味、よく見かけるものです。あまりにも目の前にあり過ぎて逆に気が付かない気にも留めない、見ていてもまるで見ていないかのように通り過ぎてしまう場面です。
私はコーヒーを1日に2〜3杯飲みます。
飲んだ後、カップの底に多少飲み残しが残りますね。それが乾いて写真の様な模様が出来ます。それをジッと見つめたわけです。
ジッと見ると、そこには特別な空間が生まれます。そこで観るという行為に移行します。そうなると気になってしょうがなくなります。素通りせずに立ち止まるという非日常の時間空間に身を置く事になります。抽象の扉を開ける行為です。抽象の意味の一般的な使い方はあるでしょう。しかし、私にとっての抽象は、こんな行為から生まれるものです。
漠然としていますが、これが「私の抽象」の定義の様なものです。ちょっとまだボヤけていますか。自分にとっての整理にもなります。これは大切な事です。
もう少し言葉が出てきましたら、また書きます。
2024年10月17日
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