2024年11月07日
「わぁ〜、いいね、これ」なんて言ったりして、散歩する様に人生の中で私の芸術を位置付けたいです。
来年、還暦を迎えます。
はじめに言っておきますが、私は書くことがあまり得意ではありません。
なので一般的な言い回しで用いる言葉を時々独自の解釈で用いる場合が多々あります。
まあ、その時は解釈を示しますが。。。
これを読む人は、偉そうに何が入門か、何も書いて無いじゃないか、と思われる事でしょう。
これも前からも言ってますが、自分にとっての思考や想いの覚え書きなのです。
それなら、その様にタイトルをつければいいじゃないかと思われる事でしょう。
でもこれは、この覚え書きを読み返したりして自分の思考を整理することで自分の創作のヒントになればと思っているのです。動機付けと言う意味合い、正に入門と捉えています。
いい歳してまだ入門かよ、そう思うでしょう。還暦は、赤ちゃんに戻ってもう一度生まれ変わって出直すと言う意味合いもあるそうです(ネット調べ)。
私にとって芸術は、癒しなのです。それによって自分を治すこと。
この癒し治すことが芸術の目的だと思います。
これは、私の好きなピアニストのグレン・グールドもそんなようなことを言っていたとネットの記事で読みました。そうなのです。芸術の目的は癒し治すことだと思うのです。
私は物心ついた頃から図画工作が好きでした。
この創作の視点は還暦にいたるこの50数年(産まれて数年は記憶に無いから除外)続けています。勿論生活上仕事上では創作と全く異なるものでしたが心の中では目に写る全ての物が作品創作の上での対象物でもありました。これは独自の視点と私は捉えています。しかし、これは独学とは違います。いくら学校にいってアーティストの勉強をした事ないと言っても、見るもの聞くもの嫌が上でも影響は受けたわけです。障害を持つ持たないに関わらず、教育を受ける受けないに関わらず、刺激影響はあるわけです。それが無意識下で蓄積され表現されているに過ぎません。だからそもそも区別する必要も無いはずなのです。
芸術の教育を受けていないと言うとあたかも自ら湧き出したスゴイ様に聞こえますが、そもそも何も情報が入っていない状態では何も出ません。無学であっても親や周りの大人、情報メディアから無意識下で情報をインプットしているはずです。それに気が付いていないだけです。だから、知識量や技術の習得の有無で出来る作品は異なります。個々に違うのは持って産まれた性格の違いでしょう。才能と言うより〇〇さんはこう言う性格、△△君はこんなこだわりを持っている子、といった具合で、決して特別な能力では無いと気が付きました。手先が器用、大雑把、変な癖があると言ったこだわり、そんな変態達なのです。有名になるのも、職業に出来るのも、自分の力では無く相手に引き上げてもらって可能になることです。相手に評価してもらわなければ有名になれないし、相手が買ってくれなければお金が入らないし、ニーズが無ければ職業にも出来ないのです。おおよそそれぐらいの違いしかありません。
では、何の為に作品を制作しているのか。始めに申し上げた通り、自己の癒し治す行為なのです。自分がこの世界に生きて、ああ生きているって言う実感、埋もれてしまう中で自分と相手を感じる感覚、ゆっくりと向き合い、ここにいる事に感謝出来る気持ち、癒しの作用は私がこの場所で生きていく上で大切です。
多くの人が、芸術について語っています。それはスゴイと思います、自分にはそこまで出来ません。いろんな人がいるから面白いと思うのです。私にこのぐだぐだな文章は、何の役にも立ちません。唯一私に癒しになるだけです。ただ、これを誰かが読んで、万が一、共感してもらえたら、嬉しいですね。世の中には自分と同じぐだぐだが好きな人がいる事を知ることが出来るわけですから。
還暦に向かい、想うことはそう多くはありません。ただただ、パートナーとゆっくり前に進めたらそれ以上望むことはありません。「わぁ〜、いいね、これ」なんて言ったりして、散歩する様に人生の中で私の芸術を位置付けたいです。ただそれだけ。いつかは消える。だから今この瞬間を味わって生きたい。