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やすねこアート
プロフィール

2016年08月13日

テトラポットに花束を

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私は、以前介護の仕事をしていました。その当時、訪問介護した
三人の障碍者のことを思い出しました。
それぞれAさんBさんCさんとします。
Aさんは、高校時代にバイク事故で車いす生活を
されています。
Bさんは幼児期に事故で車いす生活をされています。
Cさんは生まれつき障害を持った方です。

Aさんは、学校の先生になりたいそうで、通信で大学の勉強を
されています。
Bさんは、自分でPCを使って通販の仕事をしたりしている
商売人です。
Cさんは、かつては事業所の人たちといっしょにパンを売ったり
していたそうですが、今は専らアイドルの追っかけです。

三人はある意味、違った生き方をしています。
しかし、誰が良い生き方で誰がそうでないか、
決めることはできないし、人の生き方は人それぞれ
だと思っているので、優劣を決めるのはナンセンスだと
思っています。

どちらかが良く見える、ように思えるのは、
相対的なものです。つまり、
その時の自分の立場とか、状態とかで
勝手に優劣を決めているに過ぎません。

自分が今を一生懸命に生きていれば
他人が同んな状態であろうと
全く気にならないし、
他人を見て、優劣を測ることもしない。

これで良し、と思えば
それでいいのだ。



本の中で気になっている文章を書き留めておきます。

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2016年08月12日

精神の生活

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本の中で気になっている文章を書き留めておきます。

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2016年08月10日

さわやかであること その4

さわやかであること.jpg
「さわやかであること」


着色は、まず色の選定からおこなう。
線の形状からパターンを知覚し、
一つの大きな対象をイメージする。
何かのようなものが、浮かび上がっては沈み、
浮かび上がって沈む。
色を決めるのも形状が浮かぶのも
一つの出会いだと思う。
この行為は、写実画とは異る。
始めに、イメージが浮かんだり、
何か美しいものを見て描くのではなく、
すでに、そこに存在している曲線から
イメージが想起されるわけである。
そこから、何かを発見する、
と言ったらよいだろうか。

つづく














2016年08月09日

接点写真の接点とは その6

SCAN0041.JPG


2001年7月28日(土)に
私は接点について
私の言っている「接点」について説明している。

《接点 身近にあるもの / 遠くにあるもの》

日常見慣れているものというのは、
つまり、見飽きているものであって、
これといって特に注意を傾けないし
ほとんどの場合、それを意識していない。
例えば、道を歩けばそこには電柱があり、
電線があり、電灯がある。
それに様々な建物。
空を見上げれば、そこには青いお空に白い雲。
私たちは、それが何だか分かっている。
しかし、何だか分かっていると言っても、
私たちの認識では限られたことであって、
それ以上は何も知らない。それでもなお、
いや、それだからこそ、
私はあえてそれらに注意を傾ける。
するとそこには、そこにあるものが
自分にとって調和のとれたものとして
自然にそこに構成されているものとして見えてくる。
これが私にとっての風景である。
例えそれが目的のないそれ自体意味の無い対象であっても、
風景はそこに存在し私はそれを捉える。
そして現在そこにあるものを
自分が風景として捉えている風景が現風景で、
その現風景の捉え方は私にとって意識的である。
現風景を見つめる目はまずそこにある現風景を見詰める。
目に映る現風景は、私の心(心の目)に作用し、
記憶の中の風景と照らし合わされる。
そして、私の心の目が照らし合わされた風景を再構成し、
それを再び現風景と共有させようとする際、
その2つの風景が接触する点がある。
それが接点である。
そして、この接点が私の写真を定義するものである。
接点写真とはこの接点を撮った写真のことである。

つづく










2016年08月08日

猫の冒険 その4

No-06.JPG


「見たことがある」
「これは何?」
「これはここにあるものだね」
「ずっと ここにいるの」
「どうかな。 それは分からないね」


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2016年08月07日

多くの人から影響を受ける その3

(7月31日のつづき)
ヘルパーとして初めて関わった利用者のことは、
今も覚えています。元警備員の方で人工透析をされていました。
高齢で歩けなくなり車椅子が必要でした。
奥様も高齢のため病院までの付き添いが困難になったため
サービスを受けることになったそうでした。

研修中何度も車椅子に触れていました、
実際に仕事として触れる初めての日でした。
初日触れた車椅子のハンドルの感触を今も覚えています。
訪問介護は、文字通りそのお宅に訪問するわけです。
介助の大小に関わらず少なくとも玄関の扉よりも内側に入る、
つまり、そのお宅にお邪魔するわけです。
他の人はともかく、私自身そのことだけでも緊張するわけです。
家のたたずまいはそれぞれなので
玄関口が広い家もあれば狭い家もあります。
このお宅は、何とか車椅子がギリギリ通れる狭いところなので
なおのこと緊張します。
車椅子が家具に当たらないように神経を集中させます。
利用者は勿論のことそのご家族の人にも気遣いが必要なのです。
単に技術的なことケア的なことのみでなく
それ以外のことにも時には気を使うこともあるわけです。
一般論ではなくケースバイケースで
コミュニケーションをとる必要があります。
話し好きな人もいれば、話しかけず静かにして欲しい人
それぞれです。
この利用者は必要以外の会話を望まない方でした。
それでも気分の良い時は一言二言話したい
決して会話が嫌いな人ではないということが
訪問の回数を重ねることでわかってきました。
信頼関係は本当に一歩一歩です。
このことは関係性を学ぶ上で大変勉強になりました。
私の他にもその利用者に関わるヘルパーは何人もいましたが
入浴の介助に指名されたのは私だけでした。
ヘルパーも利用者のことを観察しますが、
利用者もヘルパーを観察しています。
相互に信頼関係が築けないと良い介護はできません。
ヘルパーの技術が良いだけではダメです。
利用者がヘルパーに委ねることができる信頼関係がなければ
遅かれ早かれ事故がおこります。

このこととアートと何か関係があるのか?
と疑問をもたれた方、
まだ視野が狭いと思いますね。

ここから良いヒントが得られると良いですね。

(つづく)

次回は8月14日




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2016年08月06日

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本の中で気になっている文章を書き留めておきます。

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2016年08月05日

芸術起業論

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ここで話す内容は、私が感じたことを語っています。
私が外から見聞きしたことを、私の今までの
経験体験を踏まえて考えたこと、思ったことです。
確たる証拠を私自身が握っているわけではありません。
断片的な事柄から考えられることを語っているに
過ぎません。しかし、あながち嘘ではないとも
思っています。

この作家については、その活動に賛否両論あるようです。
実際に、自身の著作の中に批判されてきた経緯の記載が
見られます。売れない時は、コンビニの廃棄弁当を貰ったり
梱包用の段ボールを貰ったりしてたそうです。これも自身の
著作に記載があります。芸大の大学院卒なのにどん底状態
から一変して、コレクターに高額で購入され、その極貧生活
から抜け出したのです。出版当時、私はこの本を読んで、
新鮮さを感じたことを覚えています。今のようにいろいろ
分かっていたわけではなかったので、純粋に世界舞台で
活躍できる作家が日本でも注目されてきたんだと思って
ました。著者は国内のシステムで勝負しても世界で勝てない
といってます。世界で通用するシステムを理解し
それに則ったやり方で活動しなければ評価すらしてくれない。
その時は、単純になるほどと、納得してました。
納得していたというのは、その当時、私も同じことを
思っていたからです。それを先に成し遂げてしまった
村上氏に尊敬すらしていました。これは事実です。
しかし、今は一歩引いてみています。
それは、権力者が操る、作家、画商、コレクターの
金を生む循環の輪に組み込まれた作家として
見えてしまうからです。それを誇らしげに語っている
彼を冷めた目で見ている私がいます。彼は
成功者です。おそらく、あちこち売り込んでいる過程で
この循環のシステムを知り、いろんな手段で接触し
どこかで権力者に見初められて、引き上げられたんじゃぁ
ないかと思うのです。ラッキーな人だと思います。






本の中で気になっている文章を書き留めておきます。

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2016年08月04日

何のためにつくるのか その3 完

社会的に評価され
有名になるのは
単にその作家の才能というわけではない。
才能は誰にでもある。
評価されるかされないかは
タイミングの問題でもある。
時代とか場所に。
つまり、商品と同じ様なものだ。
本気で売る人が現れたら売れるし
有名にもなる。
ただ私を利用して得をすると思わなければ
評価しないと思うのです。
有名になることや売れっ子作家になるのは
誰かに利用されていることを承知の上で活動しなければ
直ぐに消されてしまう。
利用価値のあるように常に振舞っていなければならない。
そこには、
自分の力だけではどうにもならない力が
そこに働いていることを理解しなくてはならない。
ただ、ここで単に利用しているとか
得をしているとか出てくるが
アートというのは道具というか
手段というか
媒体というか
世の中を良くしていく方法であったり
みんなと仲良くなったりするために使うものであると、
個人的は思っている。
つまり、良い方向へ導いてくれるツールである
と信じている。
利用するとか得をするとか
直接的で荒い言い方をして誤解を招いたかもしれないが、
個人的には何かの欲でアートをしているわけではないのです。
つくる人、鑑賞する人が良い状態で満足できれば
それが一番良い。
人と人の良い関係とその連鎖。
(完)













2016年08月03日

何のためにつくるのか その2

有名な人が無名の作家を評価するのは
評価することで、
その有名な人が得をするからだと思うのです。
つまり、金になる人材かどうかということ。
直接お金に結びつかなくても
評価することでその組織や有名な人の評価が高まり
社会的な評価が高くなる。
結果、そこにはお金が集まり得をするわけである。
誰が得をするのか評価された無名の作家だけではない。
その人を評価した組織や有名な人もである。
確かに作品には一定のレベルがある。
しかしながら特にアートは数学と異なり、
どんなに頑張っても到達出来ないという壁はない。
確かにか完成度は必要だが、
それは単に技術的な問題であって、
その面では才能と何ら関係はない。
お金を出してしっかり技術を習得すれば
大抵の人はある一定のレベルに到達可能である。
十分な時間とお金をかけ道具の使い方等、
技術的な手法を磨けば、ほとんどの人が
プロの域に達することができるはずだ。
器用、不器用で精度に程度の差はあるだけだ。
後は誰を選ぶかだ。
この段階になると作家本人の才能よりも
評価する側つまりお金を出す側が
誰を選べば得をするかが重要になる。
もし、私がお金を出す側つまり評価する側であるなら、
自分にとって得になる作家を選ぶ。
その得は、その作家を選んだことで
評価する側の評価する目が評価され
その人の社会的評価が上がり
それによって得をすること。
まあ、色んな意味で得になる人しか
選ばれないのである。

(つづく)













2016年08月02日

何のためにつくるのか その1

私にとってアートとは
自分の一部でのある大切なものと思ってる。
しかし、時々思うのです。
私は私が制作した作品をどうしたいのか?
単に自分のため、
自己満足のためにしているのか。
それを誰かに評価して欲しいのか。
ひょっとして有名にでもなりたいの。
それともお金が欲しいのか。
一体何のためにつくっているのか。時々分からなくなる。
それでも、少なくとも言えることは、
描きたいために描いている、
つくりたいためにつくっている、ということか。
俗っぽい考えではあるが、
お金に関係無く制作しているといっても
少なからず資金が無ければ、
その制作すらできないことも事実である。
しかし、日本の社会ではアートの世界では、
そういったことがタブー視されているように思えるし、
お金をもらっている作家でもそのために描いていると
あまり大きな声でいっていない。
アートは常に純粋な精神が必要でお金はタブー、そんな感じ。
しかし、結局、アートであっても
どこかで損得で動いているところもあるでしょう。
無名の作家が有名になり富と名声を得る。
そのためには、その人に何かしらの賞を与えたり
既に有名になっている人が評価したり、
オイルダラーのパトロンが付いたりするだろう。
つまり、無名の人を有名にする何かが必要なのだと思う。
しかし、それは誰にでもなれるものではない。
その人に才能がなければ。
それはどんな才能だろうか。

(つづく)












2016年08月01日

猫の冒険 その3

No-06.JPG

「なにか ちがう」
「なにが ちがう?」
「ここに なにか おいてある」
「これは なに?」
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2016年07月31日

多くの人から影響を受ける その2

(7月24日のつづき)

私は、人生150年と信じています。
これからの医療は目覚ましい発展があると信じています。
それぐらいは可能だと信じています。
そう考えると私はまだ人生の三分の一程度です。
これから残りの人生を生き抜くためには常に学びの精神が必要です。
これからも、色々な分野の人達と関わりを持って生きたいと思っています。
これを私は、相互作用と思っています。
私も刺激を受け、そして、相手にも刺激を与える。

それは、世の中を良くしていく連鎖反応。

私の今の目の前の目標は、
この様な環境や場を作っていくことでしょうか。
特にアーティストの発表の場を作っていけたらと思っています。

さて、ブログのタイトルでもありますが、
見ているものが見えるようになるには、
どうしたら良いでしょうか。

それは、あきらめずに続けていくことだと私は思います。

常に何が大切かを忘れないようにする。
迷ったら基本に戻るようにしてます。

さて、介護の仕事からは多くの貴重な経験をさせて頂きました。
お一人お一人の方から色々なお話を伺いました。
それらの記憶は、今後の作品制作にも影響を与えることでしょう。

他の人から聞いた話しは、
その話しをした人が誰だっだのか忘れてしまっても、
情報としてその人の記憶に残ります。
記憶の情報は、伝達していく中で加工されたりしますが、
確実に伝わって行きます。それは、
その情報によって人の心に変化をもたらすからです。
人は、死んでも、伝えた人にその記憶が残っているのなら、
その人の中で生き続けることでしょう。

私は、介護の実習でデイサービスに行った時、
窓際で1人外を眺めている女性利用者さんと話しをする機会がありました。
利用者の人数が多いせいか、
スッタフが一人一人ゆっくり対応できないため
手の掛からない利用者に関しては放ったらかしにされている感じでした。
介護現場の現状では一人一人ゆっくり対応することは難しいことです。
私は、彼女に戦時中の話しを聞きました。
どうしてそんなことを聞いたのか覚えていませんが、
恐らく戦時中の話しが一番記憶に残っているだろう
と勝手に判断していたのかもしれません。
私は、彼女に戦時中のしかも楽しかったことをたずねました。
疎開先の工場で働いていたそうです。
寮の様な共同の宿舎での生活でしたので、
休みの日でも門限が決まっていたそうです。
ある休みの日に友達と街に遊びに出掛けたものの帰り道に迷い、
通りすがりの人に道を聞きながら門限に間に合うように必死で走ったそうです。
小さなハプニングも過ぎてしまえば笑って話せる思い出になります。
その時の出来事が今でも記憶に残っているとおっしゃっていました。
彼女の名前も何処の出身かもわすれましたが、
生き生きと話してくれた彼女の話しは、私の心に残っています。
こうして私が話すことでこの情報は他の誰かに伝わることでしょう。
私が、関わった利用者さんとの記憶を共有することで
私を含め皆の心の中で生き続けることでしょう。
新しい情報は、人に変化をもたらします。
その手助けが出来たら幸いです。


(つづく)

次回は8月7日







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2016年07月29日

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本の中で気になった文章を書き留めておきます。

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2016年07月28日

接点写真の接点とは その5

image.jpeg

接点は、
相対するものが接する点を意味しています。
ということは、
その点に何かしらの共通するものが存在していることになるわけです。
その点は、相互がかかえている問題の最も純粋な部分
というか根本的なもの、本質的なもの、核となるもの
といってもよいかもしれません。
右でも左でも抱えている要因はいくらでもある。
考え方にしてもものの捉え方にしても同じ現実
というか事実に直面しても解釈は異なります。
しかし、事実は一つで
そこに存在するという点では同意せざるを得ません。
つまり、突き詰め考えてどの様に受けても解釈しても
同意せざるを得ないある点が存在するはずです。
まず、それを前提としてこの私の話しはスタートしています。
つまり、右でも左でも接している接点が存在している限り
そこには何かの共通として見なくてはならない事
同意せざるを得ない何かが存在しているわけです。
それは私達の力の及ばないところで仕掛けられているかもしれないし、
誰かが意図的に仕掛けているかもしれない。
はたまた自分自身の中で作り上げられているだけかもしれない。
それはわからない。
どちらにしても、私が話しを進めていきたいのは
この接点だということにかわりはない。
相反するもの、例えば、善と悪、成功と失敗、右と左とか。
しかし、同じものでも程度の差で2つに分けてしまうものもあるね。
どちらがより悪いとかで片方をよしとされてしまうケース。
1つ1つをみるとどちらも良くないむしろ罪深いことなのに
一方があまりにもヒドいためもう一方が軽く見られてしまうことがあったりする。
しかし、そういったことの接点はやはり1つの罪の事実である。

つづく













2016年07月27日

接点写真の接点とは その4

image.jpeg

田舎の田んぼでカエルの鳴き声をよく聞くが、
都会で育った人が田舎で宿に泊まると
そのカエルの鳴き声で寝られないと
クレームを出す人がいるそうです。
そう言う人は街中の騒音の中でも平気で寝られるようです。
その音で育ってきているわけですね。
この様に背景の異なるひとが一つの現象を見たとしても
聞いたとしても
それに対する反応が全く異なることになる可能性があることです。
しかし、そうした異なる人にも接点はあるのでしょうか?
私が話している「接点」はこれとは違います。
異なる相手の解釈を一旦私自身が自分の思考の中に投入して
そのことについて一体どうしてこんな解釈をするのだろうと考えてみます。
一つ一つ分解し自分で理解出来る要素や項目からみていきます。
そうして解釈の全体像がわかると
相手の視点がどこにあるか探しやすくなるでしょう。
意見が異なるが方向が近いかもしれない。
しかし、それがわかるまでには相互の話し合いや
意見交換でかなりの時間が費やされるはずです。
コミュニケーションをとる中で相手を信じる気持ちも出てくると
共通する要因が増えていく。
それは自分の内側のイメージを豊かにしていく。

つづく













2016年07月26日

接点写真の接点とは その3

SCAN0002.JPG


道を歩いても個人個人
自分の周りに自分世界の細胞膜をつくり、
なるべく接触を避けながら歩いている様にみえる。
他人が無理にその膜を破って中に入ってこない様にしているようにみえる。
自分の世界だから
それが皆がいる社会の中で許容されている場合は問題無いのだが、
そうで無い場合、例えば、
マナーとかで相手が自分に何か言葉を発した場合、
それが単に気付きを与える善良なものであっても、
自分に侵入してくるもの全てを敵として見て、
どんな言葉も自分を攻撃するものとして受け止めてしまう人もいる。
ちょっとしたことでも、
その人に話しかけただけで攻撃的な表情でこちらをにらむ人もいます。
相手にとって何か理解し難い、
受け入れ難い異物の様なものとして捉えられているのだろうか。しかし、
大なり小なりどんな人でもそうした世界を自分の中で作り上げている。
それも無意識のうちに。

つづく








2016年07月25日

猫の冒険 その2

No-06.JPG


彼らは時々不思議に思うのです。
「さきほど いた ばしょ と ちがう」
「さきほど? なんのこと?」
「何がみえる?」
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2016年07月24日

多くの人から影響を受ける

優秀な科学者は、問題解決に必要なヒントを得る為に
全く違う分野の研究者や場合によっては子供達と会話する。
そのたわいもない会話の中からヒントを得ることがあるそうです。
アートもまさに同じ事が言えるのです。
弁護士や医者、科学者、哲学者、小説家、ジャーナリスト、
もちろん子供達からも、いろいろな人達と友達になり、
色々な知識や考え方を知る。
その中で、自分に出来る事、
伝えたいことを見つけ作品に結び付けたい。

自分の中にも、多くの経験や体験がある。
多様な仕事の経験も。介護の仕事もその一つ。
特にこの仕事は、多くの人達と関わるので、
そこから精神的に受ける影響は大きい。
医者とか弁護士も人と関わる仕事だから
同じことが言えるかもしれないが、
介護は底辺と呼ばれる仕事のため、その扱われ方は、
医者や弁護士とは全く違う。
しかし、経験は、創作に大きく関わる。
私は、人生中で、
大学受験浪人時のひきこもり経験や
コンピュータープログラマーとして勤務した技術者としての経験、
海外留学で学生としての経験、
株式会社で事務職としての経験、
事業所や施設で介護の仕事の経験をしてきました。
その中でも、多くの人の生活の一端を拝見できた介護の仕事には
人生についての様々なことを教えて頂きました。

(つづく)

次回は7月31日です