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2016年07月22日

メカスの難民日記

メカスの難民日記

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気になった文章を書き留めておきます。

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2016年07月21日

何のために作るのか

評論家でも先生でもないので
学術的解釈でないことを最初に御断りしておきます。
私が思ったり感じたりしたことを
率直に話してみたいと思います。

私にとってのアートは、
自分の一部でもある大切なもの。
私は私が制作した作品をどうしたいのか。
単に自分のため自己満足のためにしているのか。
その様に問われれば確かにそうした一面はある。
本来、まず何だか分からない
モヤモヤした欲求のはけ口として
何かを描くことをする。
マスターベーションと同じことだから自己満足と言われればそうだ。
どんな人でも先ずは自己満足からスタートするんじゃあないかな。
しばらく自己満足した後、
自分の作った作品を誰かに見てもらいたい
と思う感情が沸き起こるかもしれない。
そのままずっと自己満足のままで終わるかもしれない。
それは分からない。
その両方揺れ動きながら創作をしているかもしれない。

ただどちらにしても、
自分に正直にありたいと思う。
そして、出来ることなら単に自己満足だけでなく、
一人でも共感してくれる作品を制作したいですね。
しかし、それだからと言って
媚びを売るようなものではいけないと思っている。
周りに流されずに自分自身であり続けることは
正直たいへんな面もある。
それは、正直であるために
単にそれが相手に自己満足と
捉えられてしまうおそれがあるからかもしれない。
全部そうだとはいえないにしても
相手とのコミュニケーションを取りながら
一つ一つ作っていければいいと思っている。








2016年07月20日

撮影する以前に

何でもかんでも見るものを片っ端から撮るというものでは無い。
一見そんなふうに捉えられるかもしれないが
決してそんな撮り方はしない。

撮りたいと思えるもの
撮りたい行為を起こさせる何かが
そこにあるから撮るわけです。

そこには体験から生じた記憶が関係してきます。

冬の早朝、
本日最初の訪問先に訪問するまでの10数分間、
車のエンジンを止め待機している車中から
眺める住宅街の風景。
薄っすらとしてきたが街灯はまだ点灯している。
犬の散歩をしている人、新聞配達のバイクの音、しかし、
まだ静かな冷たい空気が車中まで漂ってくる早朝。
少しずつ明けていく街並みを
何も考えずただジッと眺める。

その無意識的に眺めているこうした風景が
記憶に残っている。
時々ふと思い出すことがある。









2016年07月19日

接点写真の接点とは その2

SCAN0013.JPG



個人個人はそれぞれ世界を持っている。
そして常に新たな世界をつくっている。また、
不要になった世界を取り除いている。
時には自分の都合の良いように世界を作り上げている。
他人と世界を共有している時もあれば、
全く共有しない時もある。
世界が他人の世界と接触する時、
融合する場合は、同じような世界観を持った人だと思う。

つづく






2016年07月18日

猫の冒険 その1

No-04.JPG



ネコたちは、遠くを眺めています。
果てしなく、何処までも続いているようです。
ただ、全てのものが そのままのところで
とどまってみえます。

「あそこに見えるのは何だろう?」
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2016年07月17日

あえて話すよ 介護のこと

介護の仕事は、5年程しました。
その間に職場を3回変わりました。
施設系、訪問系どちらも経験しました。
それぞれ働き方に違いがあります。
しかし、どちらにおいても介護の仕事の経験は、
人生において貴重な経験でした。
退職した今ではもう二度と働きたくないと思っています。
お世話をすることに対して嫌だということではなく、
現状での日本で介護の仕事をしたくない、ただそれだけです。
介護の仕事から多くの事を学びました。それは間違い無いです。

日本人全体でどのくらいの人が介護職を経験したのでしょうか。
身内の介護と仕事としての介護は、違います。
その違いも分からない人が結構いると私は思います。

私は、この記事をアートのセクションであげています。

アートに興味のある人、又は芸術家で、
介護職の経験者はどの位いるでしょうか。

車椅子を扱ったことありますか?
視覚障害の人の同行援助、身体障がい者の食事介助、
入浴介助の経験はありますか?
これらは、いくら説明をしたところで
実際に体験しないことには分からないと思います。
アートにはイメージが大切ですが、
介護の体験は、イメージだけではイメージできません。
それは五感のリアルな体験だからです。

働き方は、人それぞれです。
一箇所で長く働く人もいれば、幾つかの事業所を渡り歩く人もいます。
介護に関しては、どちらでも有り、と私は思います。
一箇所で長く働いたからといって特に給料が上がっていくわけでもなく、
退職金が出ない所も多いので無理に長く一箇所で働く必要も無いので、
自分に合った事業所を探すためにも複数の事業所を渡り歩くのは
全然オッケーです。
働き方も勤務時間も事業所によって面白いほど異なります。













2016年07月16日

I Robot

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S・F作家は彼らの望む未来の世界を作り上げ、
そこで活躍するロボットを想像した。
子供達はそれに魅了され、科学者になり技術者になりその夢を実現させる。
これらの映画は、これからのロボット社会を暗示させる様なものだ。
この映画の中の技術は実現しつつある。
しかし、人間の倫理観、価値観は、それに追いついていない。





2016年07月15日

さわやかであること その3

さわやかであること.jpg
「さわやかであること」


一本の線を引く場合でも、
制約が多いと、線の行動範囲が狭くなる。
線を引く行為が、自由意思だとすると、
着色は、一つのルールを決め従わせようとするもの。
一見、乱雑に見える状況であっても、
全体的にまとまってみえたり、
一つ一つ整えられているようでも、
全体からみると違和感があってなかなか一筋縄ではいかない。

つづく











2016年07月14日

さわやかであること その2

さわやかであること.jpg
「さわやかであること」


心置きなく動かしまくる。
さてこれが済んだ後を見てみよう。
まるで録音されているテープを再生しているように、
録画した映像を見直しているように、
自由に動いた痕跡を眺める。
部分部分の曲線を見てその時の瞬間の記憶を引き出そうとしてみる。
しかし、そんなことよりも
あえて全く新しく出会った人のように新鮮な気持ちで見るとどうか。
自分が気にもしていなかった対象が浮かび上がってくる。
というか見えてくる。というか、
一つ一つの断片を、部分一つ一つ、じっと見る。
これは脳をフル回転していることになる。
しかし、自由になるには、できるだけ規制を取り外すこと。
できるだけ入ってくる情報を少なくして、
シンプルな情報の中で行う。

つづく











2016年07月13日

さわやかであること その1

さわやかであること.jpg
「さわやかであること」



心を開放して描くのは意外と難しい。
つまり自由に手を動かして
その時の気持ちに正直に従うというか、
それは単に適当とも見える手の動きかもしれないが、
それよりも自由さで手を動かしている、そんな感じ。
縦にスーッと線を引く気持ちでいても、
一瞬サッと左に曲げてみたり、
右に曲げてみたり、
クルクルと円を描いてみようという気持ちが起きれば、
その心のおもむくままに線を引いていく。
時にはリズムにのって波打つように曲線がダンスしているようになったり。

つづく










2016年07月12日

接点写真の接点とは その1

SCAN0011.JPG

「接点」とは、内と外の接点です。
公私の接点というより
見えているものと
自分の中で解釈されたイメージ
との接点とでもいったらよいだろうか。
写真はシャッターを押せば誰でも撮れる。
しかし、問題は何を撮るかである。

つづく







2016年07月11日

猫の冒険 その 0

image.jpeg


次回から連載を開始します。

毎週月曜日12:00に掲載します。

よろしくね
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今回の参院選にいきましたか?

極めて個人的な感想です。
他意はないです。ただ、思ったことを書きます。

相変わらず投票率低いですね。
身体上、精神上とても行ける状態ではない人を除いたとしても
あまりにも低すぎませんか。なんでいかないんでしょうか。
きっと間違った思い込みがあるのでしょうね。
それも正に権力者の思い通りに事が進んでいるようでこわいですね。
半分くらいの人はその権力者の罠にまんまと引っかかってしまったのですね。
今の政治に魅力が無いという投稿も目にしました。
私にはその人の気持ちは理解出来ませんので
分かる人は説明して欲しいですね。
私は、自身の中では日本の社会はこうなって欲しい
という思いはあります。
しかし、だからと言って直ぐに何か行動してみろ
といわれても自分には一体何が出来るのだろうと
なかなか一歩が出ない。
きっと多くの人がそうだと思います。
そんな私でも唯一出来ることは投票だと思っています。

私がもし権力者だったら、
なるべく自分たちに賛同する人達に投票してもらうことを考えます。
そしてそれ以外の人は投票させないようにするでしょう。
反対票が入るとマズいから。
でも、あからさまに抑えつけることはできません。
では、どうするか。
メディアによって投票する意欲を失わせることをします。
感覚を麻痺させ精神的木偶にさせることでしょう。
これはある意味実現出来てますね。
今回の投票率がそれを物語っているようです。
意思表示をしないということは傍観者と同じことではないでしょうか。
目の前で起こっていることに
見て見ぬふりをしているのと同じではないでしょうか。
日本を捨てて海外で一生をおくるのであれば
そう言った事も理解できますが。
投票しないというのも意思表示だという人もいるかもしれませんが、
右も左も分からず突っ立ている人を見て
その人がどちらに行こうとしているのか
意思が伝わっている様には見えないですね。
それでも立っていることに意味を見出していると言われれば
それまでですが。

アートで考えてみましょう。
自分の作品を展覧会に出したとします。
出すからには多くの人に見てもらいたいですよね。
そのために出しているわけですから。
そして見た人から感想を聞きたいはずです。
良かったのかそうで無かったのか。
どちらにしても意見を言ってくれる人は
自分の作品を真剣に見てくれたのです。
しかし、それすらしてくれない人ってどうですか。
あなたの作品に全く関心が無いってことですね。
それって悲しくないですか。

それも自己満足で出したから
他人の感想などどうでも良いと言われればそれまでですがね。










2016年07月10日

虚ろな庭 その20 (完)

虚ろな庭.jpg
「虚ろな庭」

そんな中では
もちろんゆっくり考えられないし
多くの場合、疲労でクタクタになっている人もいる。
ゆっくり考える時間をつくっても
常に睡眠不足だと
テンションが下がるし考えもまとまらない。

同じことに何度も何度も思いを巡らすのは無駄ではない。
多くの人は無駄だと思うだろう。
同じことでもいいんです。
常に答えは一つではないです。
何回も何回も考える、そして見る。
一つ一つ見えてくるもが増していく。

それでいいんです。

それをもとにまた考える、
そうして一歩一歩前に進んでいく、その繰り返し。

〈おわり〉

















2016年07月09日

虚ろな庭 その19

虚ろな庭.jpg
「虚ろな庭」

何か新しいことをしようとする時
少し不安になる。しかし、
安易に自分で考えることをせずに
他のスマートな考えに何の疑いもなく
のっかってしまうとなぜか楽だからです。
人はどうしても楽な方に行きます。
時間のかかるものはさけられます。
生活のリズムが早くなって
ゆっくり考えることが
美しいとみられなくなっています。
全ての行為に早さが求められ
早ければそれは評価される。

つづく















2016年07月08日

虚ろな庭 その18

虚ろな庭.jpg
「虚ろな庭」

同じ対象について考えていても
日々答えは違ってくる。
自分の作品について言及しているけれど
これはあくまでも自分の話であって
解釈はそれぞれあっていいと思う。
考えてを巡らすのはゆっくりでいい。
素早くしなくていい。
見たものを素直に受け止め素直に考える。
しかし知れば知るほどそれが簡単に思えなくなったり
何もかも信じられなくなっている人は、
素直な行為に対して疑いの目で見てしまうこともある。

つづく















2016年07月07日

虚ろな庭 その17

虚ろな庭.jpg
「虚ろな庭」

まずは目になじませ
そこからゆっくりと
時には誰かと話しながら
考えを進めてみよう。
考えて、時には行動してみる。
行為の中に発見があり、
新たに沸き起こる何らかの疑問に
また再度見てみる。そして考える。
そこから出る答えは、
その時点では自分自身確かに正しい答え
というか、
これが一番気に入っている答えが出ている思う。
その時はそれでいい。
しかし、考えは止めてはいけない。
何らかの答えを日々だしならが
生きていくのでしょう。

つづく

















2016年07月06日

虚ろな庭 その16

虚ろな庭.jpg
「虚ろな庭」

自分をとりまく世界と考え方は
一旦そう思うとそれが事実か否か関係なく
それを疑うことすら考えも及ばなくなる。
今見ているものが全てであろうか、
何か疑えるものはあるか
単に見ているだけで何が起こっているのか
本当に自分には見えているのか。
しかし、どこまでそれを追求できるのか。
自分でどこまで考えることができるのか。

答えを早く出すということではなく、
そのことを考える上で
どれだけ時間を費やすことができたか
その過程や内容がむしろ貴重なのだと思うのです。

つづく