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2022年03月28日

舞姫


舞姫とは森鴎外により執筆された小説である。
文章は中々小難しく、内容は単純で短いながらも慣れない人は挫折しがち。
今回は舞姫を可能な限り、現代文化していきたいと思う。


【内容】



舞姫の大まかなストーリーの流れは、


過去、新聞に掲載された外国の紀行史の内容がウケた彼は、二度目に購入した日記の内容が白紙なのには訳がある。

過去、ドイツのベルリンで数年ほど滞在留学し孤独な生活を送っていたある日、寺院の近くに16歳ぐらいの少女が泣いていた。

どうして泣いていたのか理由を尋ねると、父を亡くして葬儀をする金もないと述べる。その貧困さに同情した私は少女(エリス)に資金援助を行い、徐々に懇意になっていく。

二人の付き合いは非常に清いものであったが、勘ぐられ、不当にも仕事がクビになってしまう。

不名誉を被ったまま日本に帰国するのではないかと懸念する中、同じ日本人である相沢が新聞の編集者として雇ってくれることになった。

しかもそれだけではなく、エリスがどうやったのかは不明だが自身の母親を説得して、彼女の家で暮らすことになった。貧しい生活ではあったが、楽しい日々だった。





忙しい日々の中、大学の授業用を支払えず除籍はされていないものの、受講を受ける事ができず、彼自身の勉学はおろそかになっていった。

だが、新聞を書いているうちに、通常の日本留学生が知らないドイツにおける一般常識や世情などを知ることができ、その方面へ彼は芽を伸ばしていくなど、通常の学生にはない『特技』を修得していたのである。

1888年の真冬、舞台で仕事をしていたエリスが倒れる。心優しい人に介抱して貰ってことなきを得たのだが、常に「気分が悪い」と主張し、その体調不良の原因は妊娠によるつわりであった。

そのことを知った彼は自分が一番不安定なのに懐妊の事実に不安を抱くようになる。

そんな折、彼の元へ一通の手紙が届くのだが、差出人は相沢でその手紙の内容は「天方がきみに会いたがっている。名誉を回復する手段」と記載されていた。





手紙を読んでいるとエリスに話し掛けられ、内容を正直に話すと身なりを整えられた。その姿にエリスは「たとえ裕福になっても私を見捨てないで」といい、彼は「政治への望みは絶っている。友人(相沢)に会いにいくだけだ」と述べて、外出した。

そうして、ホテルで相沢と会い翻訳の仕事を任される。相沢に食事に誘われ、これまで自身の不幸を語ると、知人は我が身の様に激怒してくれた。だが「きみは女遊びをしている変な奴だと思われている。その誤解を払拭するために、別れた方がいい」と忠告を受けるのであった。

相沢の言葉を受けた彼は、恋人より友人の言葉を取り、エリスとの関係を絶つと約束するのであった。





翻訳の仕事を続け「天方」と会っている中、相手は「明日、ロシアに行く。ついてくるか?」と尋ねられる。彼は深く考えもせずに同意の意向を示すと、仕事の給金と旅の料金の療法をもらった。

仕事のお金は、懐妊してから休みが多くなったエリスが舞台の仕事がクビになり、医者にかかる費用として出費。ロシアの旅については必要最低限の荷物を持ち、エリスとその母親は知人に任せることにして、出立したのである。

ロシアで彼は、エリスの手紙を度々受け取っていた。手紙の内容は不安に悩まされる彼女の懊悩が多くなっていく。翻訳の仕事に没頭する彼は、エリスとの別れが現実味を帯びている事を実感するのであった。

新年、天方の手によってエリスの元へ帰省すると、彼女は大いに喜んだ。その様子に彼は戸惑いながら家の中に入ると、そこにあるのは大量の赤ん坊の衣服であった。エリスは彼に似た黒い瞳を持つ父親似の子供が生まれることを非常に楽しみにしていたのである。





エリスとその母親二人の家で数日過ごしていると、使いがやってきて「日本に帰る気はないか」と彼は尋ねられた。そうして、「長くここにいたが、独り身であることを相沢から教えてもらっている」と告げられる。

相沢の言うことを否定したかったが、生来人の言うことには逆らえないタチと、彼は「このまま外国で骨をうずめるのではないか」と不安にかられ、相沢の言った事を嘘だとは言えなかった。

重たい罪悪感を抱えたまま、雪の降る中、凍えながら夜遅くに帰宅し倒れ、数週間意識を失った。
意識を失った時、相沢がエリスと会い彼の事情を知ったのか、その風貌は驚くほど変わってしまっている。

相沢から真実を知ったエリスは精神的に衰弱して、治る見込みがないという。
精神病院に入院することを進められるも、彼の傍を離れない。自分の病気が治った頃、相沢と話し合って、お金を寄越し、彼は帰国する。

ドイツにいる相沢にエリスを任せた感謝の念はあれども、少しばかり相沢を恨む気持ちを抱いていた。


2022年03月21日

瓶詰地獄



瓶詰地獄とは、夢野久作が執筆した小説。
内容は三部作(?)にわかれた短編小説なのだが、時系列がイマイチ分からないミステリー風となっている。


【内容】



第一の瓶


 ああ……この離れ島に、救いの舟がとうとう来ました。
 大きな二本のエントツの舟から、ボートが二艘、荒波の上におろされました。舟の上から、それを見送っている人々の中にまじって、私たちのお父さまや、お母さまと思われる、なつかしいお姿が見えます。そうして……おお……私たちの方に向かって、白いハンカチを振って下さるのが、ここからよくわかります。
 お父さまや、お母さまたちはきっと、私たちが一番はじめに出した、ビール瓶の手紙を御覧になって、助けに来て下すったに違いありませぬ。
 大きな船から真白い煙が出て、今助けに行くぞ……というように、高い高い笛の音が聞こえてきました。その音がこの小さな島の中の、禽鳥や昆虫を一時に飛び立たせて、遠い海中に消えて行きました。
けれども、それは、私たち二人にとって、最後の裁判の日よりも怖ろしい響きでございました。私たちの前で天と地が裂けて、神様のお眼の光と、地獄の火焔が一時に閃き出たように思われました。
(本文内容)



順番を考えて、最後に出されたと思われる瓶の中に詰められた手紙と思って良い内容。
しかし、冒頭で出された瓶は全て三つであり、上記の内容が一番最後で間違いないのだろうが、全体的に内容がおかしい。
文章の最後では崖から身投げして、鮫に食われ、ボートに乗った人たちに何かを懴悔した手紙の内容を読んでもらう予定らしいが、手紙の入った瓶そのものが拾われていないことから助けが来たこと自体が、ほぼ幻覚である可能性が高い。
また、しきりに謝辞の言葉を述べているのだが、これは恐らく妹(アヤ子)の身の上に関するものだと思って良いだろう。


第二の手紙


ああ神様……ついに二人は、こんな苛責に会いながら、病気一つせずに、日に増し丸々と肥って、健強に、美しく長って行くのです、この島の清らかな風と、水と、豊穣な食物と、美しい、楽しい、花と鳥に護られて……。
ああ。何という怖ろしい責め苦でしょう。この美しい、楽しい島はもうスッカリ地獄です。
神様、神様。あなたはなぜ私たち二人を、一思いに屠殺して下さらないのですか……………………。
(本文内容)


第二の手紙の内容では、二人が無人島に漂流して生活していく様が綴られている。
学校の真似事をしたり、狼煙をあげて偶然通りかかった船に救助を求めたりなど、最初っこそ中身は健全であれでこそ、徐々にその内容は狂っていく。
二人は聖書を何よりも大事にしているのだが、その戒律をきつく守り長い時間を過ごしているのだが、無人島に誰も来ることはない。
しかし、ある日狂った兄が聖書を燃やし、(少なくとも)兄の方はとある懸念を妹に抱くことになる。
これが聖書を燃やした罰だと思いながらもその感情は、肥大化していくのだが、直接的に何の感情だとかは書かれてはいない。比喩的な表現が使われている。が、どのようなものなのか、ある程度想像することは可能。


第三の手紙

オ父サマ。オ母サマ。ボクタチ兄ダイハ、ナカヨク、タッシャニ、コノシマニ、クラシテイマス。ハヤク、タスケニ、キテクダサイ。

(本文内容)



本文はこれだけで非常に短いものである。字の表現からして、漂流して間も無くといった感じを見受けるが、もしかしたらこの手紙が最後に出されたものかもしれない。
というよりも、三つの手紙を狂った兄か妹かのどちらかが書いて、三分割にして同日に流した可能性は、低いながらにもある。


瓶詰地獄は中々に推察しがいのある読み物で、中々に想像が尽きない。
あなたは、どの順番で瓶が投げ出されたのだと思ったのだろうか?

2022年02月15日

桜の木の下には



桜の木の下には、とは梶尾基次郎により執筆された作品である。
桜は本来目出度い花なのに、どうも不吉なイメージを日本人はつけたがるようだ。
というより心理的に静寂とした中にある不動の樹木(生物)というものは、根本的に恐怖を抱かせるモノとなっているかもしれない。


【内容】



文章は、非常に短いものだが冒頭が中々にインパクトを与える一文となっている。


いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を散らすものだ。それは、よく廻った独楽が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、灼熱した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心を撲たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。


しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。俺は反対に不安になり、憂鬱になり、空虚な気持ちになった。しかし、俺はいまやっとわかった。


おまえ、この爛漫と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。


馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな腐乱して蛆が湧き、堪らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらちたらしている。桜の根は貪婪な蛸のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根をあつめて、その液体を吸っている。


何があんな花弁を作り、何があんんあ蕊を作っているのか、俺は毛根の吸い上げる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。
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2022年02月11日

押絵の軌跡



教えの軌跡とは夢野久作によって執筆された作品である。
冒頭は、
「看護婦さんの眠っております隙を見ましては、拙い女文字を走らせるので御座いますから、さぞかしお読みづらい、おわかりにくい事ばかりと存じますが、取り急ぎますままに幾重にもおゆるし下さいませ」
から、始まる。


【内容】



内容は歌舞伎俳優の一人がとある女性と所同じところに喀血をして、入院をしたという冒頭。
どうやら男性俳優の方は、女性嫌いなだけではなく、手紙の書き主である女性が習っていた西洋の音楽までも嫌っているのだが、なぜか主人公が公演などで演奏するとやってきて、番が終わればそそくさと帰るというどこか奇妙な行動を起こしていたようなのであった。


そうして何時か、また同じような演奏会の日に歌舞伎俳優が訪れるのだが、女は思わず喀血をする。それは練習に根を詰め過ぎたなどの問題ではなく、歌舞伎の男を見た瞬間に、


「あっ。お母様……」



と思わず、口に出してしまいそうになったからであった。正直な話、歌舞伎俳優のことは写真などでその姿を知っていたのだが、生で見るのとではその影響力が違ったらしい。

男が病気を治してあげるという中、気を失ってしまう主人公であるが意識を取り戻した時には着の身着のまま、故郷である福岡に帰り、とある神社の絵馬を見る。それは八犬伝を元にしたモノを見てから、東京の安宿に戻ったのだという。


女は福岡生まれで、母親は実に不思議な女性であったようだ。少量の食事だけで生き永らえており、女でさえほれぼれするほど美しいという。

しかし女の母親は子宝に恵まれず、色々なご利益を積極的に受け、ようやく懐妊したらしい。当初は、女子ではなく男の子だと決めつけていたようであるが、雪の降る日に生まれ、


「イッチョはじまり一キリカンジョ……。
一本棒で暮すは大塚どんよ(杖術の先生のこと)
ニョーボで暮すは井ノ口どんよ。
三宝で暮すが長沢どんよ(櫛田神社の神主様のこと)
四わんぼうで暮すが寺倉(金貸)どんよ
五めんなされよアラ六ずかしや。
七ツなんでも焼きもち焼いて。
九めん十めんなさらばなされ。
眼ひき袖引き妾のままよ。
孩児が出来ても妾の腹よ。
あなたのお腹は借りまいものよ。
主と誰ともおしゃらばおしゃれ。
産んだその子にシルシはないが。
思うたお方にチョット生きうつし。
あらイッコイイッコ上がった」


といった子守歌が流行り始める。
その歌は当然のことながら、一家をかこつけたものであり父は意味が分からないながらも意地悪に近所に歌いに来た子守女を叱っていたのだという。

それから母親は何かを忘れるかのように縫物などの仕事熱心になっていったのだという。

その内に父は、主人公から下の妹や弟が出来ないことを不思議がるようになる。
しかしとある日、父が一人で出かけた日のこと、いつもなら帰りに頭を撫でるのであるがそれをせず、父親はしげしげと娘の姿を見て頬をぶつのである。無論、大泣きしてしまい騒ぎを聞きつけた母が寄ると、不義を疑われるのである。

長い間恥を掻かされたと憤慨する父親に、母は罰は受けるが不義不貞は働いていないのだという。

母親は父親に殺され、父は心中してしまい、主人公は別の家で暮らすようになる。
年嵩になるにつれて、「不義の子」だと噂されていることに気付き涙を流しながらもどうしようもないまま、ある日鏡を見ていると不思議なことに気が付く。まるで自分の顔は様変わりするように母などの顔に似ていることに気付くのであった。


そんな最中、東京へ行く決心をしてピアノを教えてもらい夢中になるも、東京通なのに歌舞伎にだけ手を出していないことを指摘される。歌舞伎の雑誌を買い、中身を確認するとそこには自分の顔に似た歌舞伎俳優の姿があったのだ。

そこで彼女は図書館で医学書などを読みふけっていくのだが、その中でとある興味深い医学書を発見するのであった。そして母が最期に残した言葉、「私は不義を致しましたおぼえは毛頭御座いません。けれども……この上のお宮仕えは致しかねます」の真偽が紐解かれていくのであった。
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2022年01月27日

夢十夜



夢十夜とは夏目漱石により執筆された作品であり、個人が夢見た内容を(多少脚色を加えながらも)書かれた夢日記である。
夢十夜の話、それ自体は非常に短いのであるが、冒頭のインパクトが強い所為かそこそこ人気の作品のようである。


【内容】



本文

第一夜


こんな夢を見た。
腕組をして枕元に坐っていると、仰向きに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然云った。自分も確かにこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗き込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開けた。大きな潤いのある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真黒である。その真黒な眸の奥に、自分の姿が鮮やかに浮かんでいる。



自分は透き徹るほど深く見えるこの黒目の色沢を眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕の傍へ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうねとまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうにたまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。
じゃ、私の顔が見えるかいと一心に聞くと、見えるかいって、そら、そこらに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。


しばらくして、女がまたこう云った。
「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢いに来ますから」
自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
自分は黙って首肯いた。女は静かな調子を一段張り上げて
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。



「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸のなかに鮮やかに見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫の間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。



自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑らかな縁の鋭い貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿った土の匂いもした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。
それから星の破片の落ちたのを拾って来て、かろく土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちている間に、角が取れて滑らかになったんだろうと思った。抱き上げて土の上に置くうちに、自分の胸と手が少し暖かくなった。



自分は苔の上に坐った。これから百年の間こうして待っているんだと考えながら、腕組をして、丸い墓石を眺めていた。そのうちに、女の云った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちて行った。一つと自分は勘定した。
しばらくするとまた殻紅の天道がのそりと上って来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。


自分はこう云う風に一つ二つ勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分からない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔の生えた丸い石を眺めて、自分は女に欺されたのではないかろうかと思い出した。



すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に堪えるほど匂った。そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す表紙に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。



第三夜


こんな夢を見た。
六つになる子供を負っている。確かに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰れて、青坊主になっている。自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答えた。声は子供の声に相違ないが、言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。



左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。
「田圃へかかったね」と背中で云った。
「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、
「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。
すると鷺ははたして二声ほど鳴いた。
自分は我子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っていては、この先どうなるか分からない。どこか打遣ゃる所はなかろうかと向こうを見ると闇の中に大きな森が見えた。あそこならばと考え出す途端に、背中で
「ふふん」と云う声がした。
「何を笑うんだ」
子供は返事をしなかった。ただ、
「御父っさん、重いかい」と聞いた。
「重かあない」と答えると
「今に重くなるよ」と云った。



自分は黙って森を目標にあるいて行った。田の中の路が不規則にうなってなかなか思うように出られない。しばらくすると二股になった。自分は股の根に立って、ちょっと休んだ。
「石が立ってるはずだがな」と小僧が云った。
なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左り日ヶ窪、右堀田原とある。闇だのに赤い字が明らかに見えた。赤い字は井守の腹のような色であった。



「左が好だろう」と小僧が命令した。左を見るとさっきの森が闇の影を、高い空から自分らの頭の上へなげかけていた。自分はちょっと躊躇した。
「遠慮しなくてもいい」と小僧がまた云った。自分は仕方なしに森の方へ歩き出した。腹の中では、よく盲目のくせに何でも知っているなと考えながら一筋道を森へ近づいてくると、背中で、「どうも盲目は不自由でいけないね」と云った。


「だから負ってやるからいいかないか」
「負ぶって貰ってすまないが、どうも人に馬鹿にされてはいけない。親にまで馬鹿にされているからいけない」
何だか厭になった。早く森へ行って捨ててしまおうかと急いだ。
「もう少し行くと解る。――ちょうどこんな晩だったな」と背中で独言のように云っている。
「何が」と際どい声を出して聞いた。
「何がって、知っているじゃないか」と子供は嘲るように答えた。すると何だか知ってるような気がし出した。けれども判然とは分からない。ただこんな晩であったように思える。そうしてもう少し行けば分かるように思える。分っては大変だから、分からないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。自分はますます足を早めた。



雨はさっきから降っている。路はだんだん暗くなる。ほとんど夢中である。ただ背中に小さい小僧がくっついていて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実を漏らさない鏡のように光っている。しかもそれが自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。



「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」
雨の中で小僧の声は判然聞こえた。自分は覚えず留まった。いつしか森の中へ這入っていった。一間ばかり先にある黒いものはたしかに小僧の云う通り杉の木に見えた。
「御父さん、その杉の根の処だったね」
「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。
「文化五年辰年だろう」
なるほど文化五年辰年らしく思われた。
「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」
自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った。おれは人殺しであったんだなと始めて気がついた途端に、背中の子が急に石地蔵のように重くなった。

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2021年12月16日

人間椅子(江戸川乱歩) 3


やがて競売の買い手がついた椅子の中の男であるが、


買手のお役人は、可成立派な邸の持主で、私の椅子は、そこの洋館の、広い書斎に置かれましたが、私にとっては非常にまんぞくであったことには、その書斎は、主人よりは、寧ろ、その家の、若く美しい夫人が使用されるものだったのでございます。
それ以来、約一ヵ月の間、私は絶えず、夫人と共に居りました。夫人の食事と、就寝の時間を除いては、夫人のしなやかな身体は、いつも私の上に在りました。それというのが、夫人は、その間、書斎につめきって、ある著作に没頭していられたからでございます。
私がどんなに彼女を愛したか、それは、ここに管々しく申し上げるまでもありますまい。彼女は、私の始めて接した日本人で、而も十分美しい肉体の持主でありました。私は、そこに、初めて本当の恋を感じました。それに比べては、ホテルでの、数多い経験などは、決して恋と名づくべきものではございません。その証拠には、これまでいちども、そんなことを感じなかったのに、その夫人に対して丈け私は、ただ秘密の愛撫を楽しむのではあき足らず、どうかして、私の存在を知らせようと、色々苦心したのも明らかでございましょう。



今まで醜い容姿であったために、女性と接する機会がなく、自分が入り込んだ椅子に座らせられることによって「恋」をしてきたと語る男。

更にページをめくると怖ろしいことがつづられているのであった。


彼女は、丁度嬰児が母親の懐に抱かれる時の様な、又は、処女が恋人の方法に応じる時の様な甘い優しさを以て私の椅子に身を沈めます。そして、私の膝の上で、身体を動かす様子までもが、さも懐かしげに見えるのでございます。
斯様にして、私の情熱は、日々に烈しく燃えて行くのでした。そして、遂には、ああ奥様、遂には、私は、身の程もわきまえぬ、大それた願いを抱くようになったのでございます。たった一目、私の恋人の顔を見て、そして、言葉を交すことが出来たなら、基のまま死んでもいいとまで、私は、思いつめたのでございます。
奥様、あなたは、無論、とっくに御悟りでございましょう。その私の恋人と申しますのは、余りの失礼をお許し下さいませ。実は、あなたなのでございます。あなたの御主人が、あのY市の道具店で、私の椅子を御買取りになって以来、私はあなたに及ばぬ恋をささげた、哀れな男でございます。



今まで普通の椅子だと思い長年座り続けていた椅子なのであるのだが、中にはかつて椅子職人であった醜い男が入っているのだという。
しかもそれだけではなく、椅子の中の男が自分に横恋慕しているのだから、当然のことながら薄気味悪いと思うのは当然のことであった。

夫人は、椅子の中を確かめるべきかどうか迷っていると女中から今届き立ての手紙が来たのだという。
その手紙はこれまで散々見て来た薄気味悪い内容の原稿と同じ、文字癖のある手紙であり彼女が衝撃を受けたのは言うまでもない。

中身を改めると、


突然手紙を差上げます不躾を、幾重にもお許しくださいまし。私は日頃、先生のお作を愛読しているものでございます。別封お送り致しましたのは、私の拙い創作でございます。御一覧の上、御批評が頂けますれば、此上の幸はございません。ある理由の為に、原稿の方は、この手紙を書きます前に投函致しましたから、巳に御覧済みかと拝察致します。如何でございましたでしょうか。若し、拙作がいくらかでも、先生に感銘を与え得たとしますれば、こんなに嬉しいことはないのでございますが。
原稿には、態と省いて置きましたが、表題は「人間椅子」とつけたい考えでございます。
では、失礼を顧みず、お願いまで。怱々。



と、記されているのであった。


椅子の中に人が入っていたのか?:
今作の最大の疑問はソレである。
本当に完全な創作だったのか……それとも事実を元に創作をしたのか、色々と不思議な点がある。
パターンとしては、
1, 本当に入っていたが自分も書きたくなった。
2, 第三者が作者の愛読者で作品を送りつけた。
3, 影の薄いと冒頭で書かれた夫が書き記したものである。
4, 女中が犯人。
5,新作に取り掛かる彼女の作品。


といった具合に不気味さを味わう他にも色々と考察することが出来るように思える。
個人的にはパターン3の夫が送り付けたものだと考えている。
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2021年12月15日

人間椅子(江戸川乱歩) 2


私は数ヵ月の間、全く人間界から姿を隠して、本当に、悪魔の様な生活を続けて参りました。勿論、広い世界に誰一人、私の所業を知るものはありません。若し、何事もなければ、私は、このまま永久に、人間界に立帰ることはなかったかも知れないのでございます。
ところが、近頃になりまして、私の心にある不思議な変化が起こりました。そして、どうしても、この、私の因果な身の上を、懴悔しないではいられなくなりました。ただ、斯様に申しましたばかりでは、色々御不審に思召す点もございましょうが、どうか、兎も角も、この手紙を終りまで御読み下さいませ。
そうすれば、何故、私がそんな気持ちになったのか。又何故、この告白を、殊更奥様に聞いて頂かぬばならぬのか、それらぬことが、悉く明白になるでございましょう。
さて、何から書き初めたらいいのか、余りに人間離れのした、奇怪千万な事実なので、こうした、人間世界で使われる、手紙という様な方法では、妙に面映ゆくて、筆の鈍るのを覚えます。
でも、迷っていても仕方がございません。兎も角も、事の起こりから、順を追って、書いて行くことに致しましょう。



手紙の送り主は、漱石のとある小説に記載されていたように、自分の作品を読んで欲しいから送ったわけではなく、罪を告白することを前提に語り出すのであるが、その内容は異常である。

まず、手紙の送り主である男は生まれつき醜い出で立ちをした人物であったが、罪を過ごすうちに更に酷い要望になっていることを念押しに押している。

男の仕事は椅子を作ることが仕事で、醜い姿の内に隠された欲望として熱い欲望を秘めていたのだという。
自分の手で出来上がった椅子が完成すると、自ら腰かけ、どのような人物がどのような部屋で椅子を設置するのか空想するのが常であったのだが、ある日突然男は、現実に立ち返る度に死にたくなるような気分を覚え、思い切った計画を立てることにする。


その内容は巨大な椅子の中に空間を作り、その中に忍び込むというものであるのだが、何と男はその椅子の中に閉じこもり、これまで場所を転々としてきたのであった。

ホテルなどに運び出された際は、昼はじっとして夜になると食料品を盗み出すというまるでヤドカリのような生活をしながら、一方、自分の入った椅子に座った人物の肉体の硬さや柔らかさを堪能するという日々を送っていた。


しかしそのような異常な生活の中で、普通の人から見ればただの重たい椅子にしか思えない椅子がホテルから売りに出されていくことになるのである。


人間椅子(江戸川乱歩) 3へ

2021年12月14日

人間椅子(江戸川乱歩)



人間椅子とは江戸川乱歩による短編小説。
その内容は読後感を何ともいえないモノにさせる作品である。


【内容】



佳子は、毎朝、夫の登庁を見送って了うと、それはいつも十字を過ぎるのだが、やっと自分のからだになって、洋館の方の、夫と共用の書斎へ、とじ籠るのが例になっていた。

(中略)


美しい閨秀作家としての彼女は、此の頃では、外務省書記官であり夫君の影を薄く思わせる程も、有名になっていた。彼女の所へは、毎日の様に未知の崇拝者達からの手紙が、幾通となくやってきた。

(中略)


簡単なものから先にして、二通の封書と、一枚のはがきをみて了うと、あとにはかさ高い原稿らしい一通が残った。別段通知の手紙は貰っていないけれど、そうして、突然原稿を送って来る例は、これまでにしても、よくあることだった。それは、多くの場合、長々しく退屈極まる代物であったけれど、彼女は兎も角も、表題だけ見て置こうと、封を切って、中の紙束を取出して見た。
それは、思った通り、原稿用紙を綴じたものであった。が、どうしたことか、表題も署名もなく、突然「奥様」という、呼びかけの言葉で始まっているのだった。

(中略)


奥様、
奥様の方では、少しも御存じのない男から、突然、此様な不躾な御手紙を、差上げます罪を、幾重にもお許し下さいませ。
こんなことを申上げますと、奥様は、さぞかしびっくりなさる事で御座いましょうが、私は今、あなたの前に、私の犯して来ました、世にも不思議な罪悪を、告白しようとしているのでございます。



との冒頭から始まる。
その名づけのない原稿の内容は、二重の意味で背筋の凍る内容が書かれていたのであった。


人間椅子(江戸川乱歩) 2へ
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2021年11月16日

こゝろ(夏目漱石) 4



故郷へ帰宅した「私」は病床の父と将棋するなどの、緩やかな日常を送ることになるのだが、大学を卒業した現在、就職口をさがすために親から催促されて、先生に手紙を出すことになるのだが、就職に関する手紙の返事はついぞ受け取ることはなかった。


崩御の報せと乃木大将の自死が、父の精神面に何らかの影響を与えたのかもしれないが、一気に体調が悪化していくことになる。

かなり体調の崩れた父を交代で見守る中、「もう長くはないだろう」と思い、「私」はかつて先生から郵送されたかなり分厚い、手紙をパラパラと読み返すのだが、その最後の一文に記された言葉、


「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう。とくに死んでいるでしょう」


の一文を見て、急いで汽車に乗り東京へ向かう中、「私」は先生がこれまで時期がこないと話せないと散々に言われていた過去と秘密を知ることになる。


……私はこの夏あなたから二、三度手紙を受け取りました。

(中略)


このまま人間の中に取り残されたミイラのように存在して行こうか、それとも……その時分の私は「それとも」という言葉を心のうちで繰り返すたびにぞっとしました。駆け足で絶壁の端まで来て、急に底の見えない谷を覗き込んだ人の様に。


などといった出だしから、始まる。
最後の文辺りである「この手紙があなたの手に落ちる頃には、私はもうこの世にはいないでしょう」が、冒頭とどう結びつくのだろうかと読み進めていくのだが、内容を簡潔に纏めるならば、


先生は昔、田舎では裕福な家系だった。

母の伝言に従い伯父は、先生を東京にやるも財産を盗んでいた。

人が信用できなくなった先生は、後に奥さんとなるお嬢さんの家で下宿する事になる。

疑心暗鬼になっていた先生の心が次第にほぐれ、同じように同郷から来て凝り固まった考えを持つ幼馴染「K」を連れ込み、懐柔させることにする。

やがて先生の目からみた「K」とお嬢さんは、非常に仲睦まじいものに見え、嫉妬を覚えるようになる。

やがて「K」もお嬢さんのことが好きだと明らかになり、先生は「精神的に向上心のないものは馬鹿だ」と常日頃からKの口癖であった言葉で、恋の感情を否定する。

非難的な態度に留まらず、先生はお嬢さんの母に抜け駆けに近い形でお嬢さんを妻にする許可を得るも、Kに対する罪悪感が遅れながらやってくる。

明日、Kに正直に謝罪しようと考えるも日の出を迎える前にKは自死しており、先生に対する簡単な謝罪と、下宿になった一家に対する謝罪という簡潔な遺言を見る。

Kの死後、先生が毎月通っていた雑司ヶ谷に墓が作られた。

先生は伯父に金をだまし取られたよりも酷い殺人の罪を犯したことにより、誰よりもあくどい人間だと自覚して、緩やかに「私」が出会った消極的な姿になっていく。


というものである。

本当は直接会って、私に話をしておきたかった先生であったが、手紙という形で秘密を打ち明けている。
一種懸念として残るのは、先生は既に死んでいるのか、未遂に終わったのか……「私」と残された奥さんの関係が読者の想像にゆだねられているところであろう。

一言で述べて、先生の性格は擁護できないほどのクズであり、褒めるべき点はない。悪人というより性悪と表現した方が適切であろうが、個人的に先生は最後まで悪人であったように思われる。


しかも、手紙の一部内容にはKとお嬢さんが仲良く談笑しているだけでも、かなりの嫉妬、もとい執着心を見せている。先生が常にKに対して抱いていた劣等感も後押ししていた。


良心の呵責こそあれども、先生は卑屈な悪人であったことはどこか否定できないように思われる。
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2021年11月15日

こゝろ(夏目漱石) 3


「先生」だけではなく、奥さんとも懇意になっていく「私」であるが、ある日「先生」が諸事情で家を空けなくてはいけなくなった。
物騒な話で近所では空き巣が出るとの話で、妻一人では何かあったらいけないものだと判断して「私」に留守番を依頼するのであるが、奥さんにやり込められながら話題は問題の先生の話となる。
「私」から見た所、「先生」と奥さんの仲は非常に良好なものでありながらも、一線を引いているというか、奥底でどこか奇妙な距離感のある微妙な関係であった。その愛が本物のものでありながらも、「先生」は愛しているのに違いない奥さんを肝心なところで遠ざけているような感じがあるのである。

何やら秘密を抱え込んだ「先生」であるが、以前は世間や人間を嫌っているような人物などではなかったころが明かされる。


「奥さん、私がこの前なぜ先生が世間的にもっと活動なさらないのだろうといって、あなたに聞いた時に、あなたはおっしゃった事がありますね。元はああじゃなかったんだって」
「ええいいました。実際はあんなじゃなかったんですもの」
「どんなだったんですか」
「あなたの希望なさるような、また私の希望するような頼もしい人だったんです」



次に奥さんは「自分に何か問題があるなら言ってくれ」と何度も先生に話していたことが明らかになるのだが、「奥さんは悪くない。自分が悪い」と返答するのみで、進展はなかったらしい。
若い頃から段々と消極的になり腐っていった先生であるが、奥さんにはひとつだけ心当たりらしきものがあり、「私」に向けてまるで内緒話をするかのように打ち明けるのだが、どうやらその内容を要約すると、先生の友人がいきなり変死(自死)したのだという。

どうやら雑司ヶ谷にある墓はその友人のものであるらしく、そうして最初の一度だけ奥さんとその変死した友人の墓参りに訪れたことがあるのだが、それから先、二回目からはたった一人で先生は毎月の墓参りを行っているのであった。


その日は、泥棒がくることもなく無事過ごしているのだが、それから大分季節を過ぎた冬の季節に「私」が先生の元へ訪れると、風邪を引いていた。
「私」は病状の良くない父の見舞いに行くのだが金の都合をしてもらうべく頼み込むのであるが、先生は丁度その時、風邪をひいていて、


「大病は好いが、ちょっとした風邪などはかえって厭なものですね」といった先生は、苦笑しながら、私の顔を見た。
先生は病気という病気をしたことのない人であった。先生の言葉を聞いた私は笑いたくなった。
「私は風邪ぐらいなら我慢しますが、それ以上の病気は真平です。先生だって同じ事でしょう。試みにやってご覧になるとよく解ります」
「そうかね。私は病気になるぐらいなら、死病に罹りたいと思ってる」



との会話が為されてた。


その後、先生は無事に風邪を完治させるのであるが、奥さんに死後、「俺が死んだら蔵書などをやる」などの発言、そうして「私」に対して、残債分与の話はキッチリした方が良いと助言を行ったりするのであった。
助言の理由として、


「みんな善い人ですか」
「別に悪い人間というほどのものもいないようです。大体田舎者ですから」
「田舎者はなぜ悪くないんですか」
 私はこの追窮に苦しんだ。しかし先生は私に返事を考えさせる余裕さえ与えなかった。
「田舎者は都会のものより、かえって悪いくらいなものなのです。それから、君は今、君の親戚なぞの中に、これといって、悪い人間はいないようだといいましたね。しかし悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているのですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。平生はみんな善人なんです。少なくともみんな普通の人間なんです。それが、いざという間際に、急に悪人に変わるんだから恐ろしいのです。だから油断ができないんです」



と、どこか興奮した口調で語っている。

いきなり語気を強める先生の様子に、「私」は困惑しながらも、部外者の乱入で話は打ち切られる。
半ば冷やかしにあった形だが、「私」が先生のいう善人がいざという時、悪人に変わる瞬間はどういうことなのかと再度問うと、伯父に欺かれて故郷を追われ、その責を一生背負いこむ立場(被害者)にいながらも、復讐をしないでいるのは、金をだまし取るよりも、あくどいことを先生がかつて行っていたからである。

しかも先生はかなり執着心の強い男だと述べているが、「私」からは想像できず、もっと弱い人間だと思われていた。


その後、「私」は再び故郷に帰ることになり年号が変わって、父の病態がかなり悪化する。

この帰省中、先生から二度ほどの手紙を受け取っているが、(恐らく)最後まで顔を会わせることはなかっただろうと思われる。


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