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2022年01月27日

夢十夜



夢十夜とは夏目漱石により執筆された作品であり、個人が夢見た内容を(多少脚色を加えながらも)書かれた夢日記である。
夢十夜の話、それ自体は非常に短いのであるが、冒頭のインパクトが強い所為かそこそこ人気の作品のようである。


【内容】



本文

第一夜


こんな夢を見た。
腕組をして枕元に坐っていると、仰向きに寝た女が、静かな声でもう死にますと云う。女は長い髪を枕に敷いて、輪郭の柔らかな瓜実顔をその中に横たえている。真白な頬の底に温かい血の色がほどよく差して、唇の色は無論赤い。とうてい死にそうには見えない。しかし女は静かな声で、もう死にますと判然云った。自分も確かにこれは死ぬなと思った。そこで、そうかね、もう死ぬのかね、と上から覗き込むようにして聞いて見た。死にますとも、と云いながら、女はぱっちりと眼を開けた。大きな潤いのある眼で、長い睫に包まれた中は、ただ一面に真黒である。その真黒な眸の奥に、自分の姿が鮮やかに浮かんでいる。



自分は透き徹るほど深く見えるこの黒目の色沢を眺めて、これでも死ぬのかと思った。それで、ねんごろに枕の傍へ口を付けて、死ぬんじゃなかろうね、大丈夫だろうねとまた聞き返した。すると女は黒い眼を眠そうにたまま、やっぱり静かな声で、でも、死ぬんですもの、仕方がないわと云った。
じゃ、私の顔が見えるかいと一心に聞くと、見えるかいって、そら、そこらに、写ってるじゃありませんかと、にこりと笑って見せた。自分は黙って、顔を枕から離した。腕組をしながら、どうしても死ぬのかなと思った。


しばらくして、女がまたこう云った。
「死んだら、埋めて下さい。大きな真珠貝で穴を掘って。そうして天から落ちて来る星の破片を墓標に置いて下さい。そうして墓の傍に待っていて下さい。また逢いに来ますから」
自分は、いつ逢いに来るかねと聞いた。
「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」
自分は黙って首肯いた。女は静かな調子を一段張り上げて
「百年待っていて下さい」と思い切った声で云った。



「百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」
自分はただ待っていると答えた。すると、黒い眸のなかに鮮やかに見えた自分の姿が、ぼうっと崩れて来た。静かな水が動いて写る影を乱したように、流れ出したと思ったら、女の眼がぱちりと閉じた。長い睫の間から涙が頬へ垂れた。――もう死んでいた。



自分はそれから庭へ下りて、真珠貝で穴を掘った。真珠貝は大きな滑らかな縁の鋭い貝であった。土をすくうたびに、貝の裏に月の光が差してきらきらした。湿った土の匂いもした。穴はしばらくして掘れた。女をその中に入れた。そうして柔らかい土を、上からそっと掛けた。掛けるたびに真珠貝の裏に月の光が差した。
それから星の破片の落ちたのを拾って来て、かろく土の上へ乗せた。星の破片は丸かった。長い間大空を落ちている間に、角が取れて滑らかになったんだろうと思った。抱き上げて土の上に置くうちに、自分の胸と手が少し暖かくなった。



自分は苔の上に坐った。これから百年の間こうして待っているんだと考えながら、腕組をして、丸い墓石を眺めていた。そのうちに、女の云った通り日が東から出た。大きな赤い日であった。それがまた女の云った通り、やがて西へ落ちた。赤いまんまでのっと落ちて行った。一つと自分は勘定した。
しばらくするとまた殻紅の天道がのそりと上って来た。そうして黙って沈んでしまった。二つとまた勘定した。


自分はこう云う風に一つ二つ勘定して行くうちに、赤い日をいくつ見たか分からない。勘定しても、勘定しても、しつくせないほど赤い日が頭の上を通り越して行った。それでも百年がまだ来ない。しまいには、苔の生えた丸い石を眺めて、自分は女に欺されたのではないかろうかと思い出した。



すると石の下から斜に自分の方へ向いて青い茎が伸びて来た。見る間に長くなってちょうど自分の胸のあたりまで来て留まった。と思うと、すらりと揺ぐ茎の頂に、心持首を傾けていた細長い一輪の蕾が、ふっくらと弁を開いた。真白な百合が鼻の先で骨に堪えるほど匂った。そこへ遥の上から、ぽたりと露が落ちたので、花は自分の重みでふらふらと動いた。自分は首を前へ出して冷たい露の滴る、白い花弁に接吻した。自分が百合から顔を離す表紙に思わず、遠い空を見たら、暁の星がたった一つ瞬いていた。
「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。



第三夜


こんな夢を見た。
六つになる子供を負っている。確かに自分の子である。ただ不思議な事にはいつの間にか眼が潰れて、青坊主になっている。自分が御前の眼はいつ潰れたのかいと聞くと、なに昔からさと答えた。声は子供の声に相違ないが、言葉つきはまるで大人である。しかも対等だ。



左右は青田である。路は細い。鷺の影が時々闇に差す。
「田圃へかかったね」と背中で云った。
「どうして解る」と顔を後ろへ振り向けるようにして聞いたら、
「だって鷺が鳴くじゃないか」と答えた。
すると鷺ははたして二声ほど鳴いた。
自分は我子ながら少し怖くなった。こんなものを背負っていては、この先どうなるか分からない。どこか打遣ゃる所はなかろうかと向こうを見ると闇の中に大きな森が見えた。あそこならばと考え出す途端に、背中で
「ふふん」と云う声がした。
「何を笑うんだ」
子供は返事をしなかった。ただ、
「御父っさん、重いかい」と聞いた。
「重かあない」と答えると
「今に重くなるよ」と云った。



自分は黙って森を目標にあるいて行った。田の中の路が不規則にうなってなかなか思うように出られない。しばらくすると二股になった。自分は股の根に立って、ちょっと休んだ。
「石が立ってるはずだがな」と小僧が云った。
なるほど八寸角の石が腰ほどの高さに立っている。表には左り日ヶ窪、右堀田原とある。闇だのに赤い字が明らかに見えた。赤い字は井守の腹のような色であった。



「左が好だろう」と小僧が命令した。左を見るとさっきの森が闇の影を、高い空から自分らの頭の上へなげかけていた。自分はちょっと躊躇した。
「遠慮しなくてもいい」と小僧がまた云った。自分は仕方なしに森の方へ歩き出した。腹の中では、よく盲目のくせに何でも知っているなと考えながら一筋道を森へ近づいてくると、背中で、「どうも盲目は不自由でいけないね」と云った。


「だから負ってやるからいいかないか」
「負ぶって貰ってすまないが、どうも人に馬鹿にされてはいけない。親にまで馬鹿にされているからいけない」
何だか厭になった。早く森へ行って捨ててしまおうかと急いだ。
「もう少し行くと解る。――ちょうどこんな晩だったな」と背中で独言のように云っている。
「何が」と際どい声を出して聞いた。
「何がって、知っているじゃないか」と子供は嘲るように答えた。すると何だか知ってるような気がし出した。けれども判然とは分からない。ただこんな晩であったように思える。そうしてもう少し行けば分かるように思える。分っては大変だから、分からないうちに早く捨ててしまって、安心しなくってはならないように思える。自分はますます足を早めた。



雨はさっきから降っている。路はだんだん暗くなる。ほとんど夢中である。ただ背中に小さい小僧がくっついていて、その小僧が自分の過去、現在、未来をことごとく照して、寸分の事実を漏らさない鏡のように光っている。しかもそれが自分の子である。そうして盲目である。自分はたまらなくなった。



「ここだ、ここだ。ちょうどその杉の根の処だ」
雨の中で小僧の声は判然聞こえた。自分は覚えず留まった。いつしか森の中へ這入っていった。一間ばかり先にある黒いものはたしかに小僧の云う通り杉の木に見えた。
「御父さん、その杉の根の処だったね」
「うん、そうだ」と思わず答えてしまった。
「文化五年辰年だろう」
なるほど文化五年辰年らしく思われた。
「御前がおれを殺したのは今からちょうど百年前だね」
自分はこの言葉を聞くや否や、今から百年前文化五年の辰年のこんな闇の晩に、この杉の根で、一人の盲目を殺したと云う自覚が、忽然として頭の中に起った。おれは人殺しであったんだなと始めて気がついた途端に、背中の子が急に石地蔵のように重くなった。

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