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2022年12月30日

角田の森 2


ガシャンと音を立てて、祭壇はひっくり返りました。
私とYがびっくりしてHの顔を見ると、Hはひっくり返った祭壇を見下ろしながらぽつりと「仕返しだよ」と言ったんです。
その時です。
何とも形容し難い「ゴォォォォォォォ」という唸り声というか、音というか、とにかく得体の知れないものが聞こえたのは。
どこからか聞こえるというより耳のすぐそばから聞こえる様な感覚で、不協和音というか生理的に不快なものでした。
地震が来る時に、遠くから地響きの様な音が聞こえる事ありますよね。
あの音を人の声で叫んだような、とにかくこの世のものとは思えない恐ろしいものでした。
私は声にならない声を上げながら廃屋を飛び出し、暗闇の中を森の出口へ駆け出しました。
YとHもすぐに私の後を追い、お互いに先に行く者を引っ張り合いながら、我さきにと走りました。
何度も窪みや木の根っこにつまずき、転びながらなんとか崖まで辿り着き、崖を滑り降りて森の外へ出ました。
サレジオに着くと、自転車に飛び乗りお互いの事など気にも留めず、とにかく早くあそこから離れたい一心で自転車を漕ぎました。
私は無意識になのか、家の方へ自転車を走らせていて、このまま帰ろうと自転車を漕ぐ足を早めました。
もう他の二人がどこへ行ったのかも分かりません。
自転車を必死に漕ぎながら、ずっと私のすぐ後ろを何かが追ってくる様な感じがしたのを今でも覚えています。
後にも先にもあれほどの恐怖を感じたことはありませんでした。
息も絶え絶え家に着き、両親の寝室に駆け込み母親の布団に入りました。
母親は私の様子に驚き、「どうしたの?何かあったの?」と何度も聞きましたが、私はただ「何でもない」と答えるだけでした。
直感的にこの事は誰にも話しちゃいけないと、思ったのです。
私はいつの間にか、眠りに落ちていました。
翌日の朝も母親が昨日の夜の事を聞いてきました。
私は小刻みに震えていたそうです。
私は「友達の家から帰る途中に、変な人に追いかけられた」と嘘をつき、その場をしのぎました。
母親は納得したようでしたが、夜の外出は禁止されてしまいました。
私がその日のプール教室を休んで家にいると、Yから電話があり、会うことになりました。
Yの家に行くとHもTも来ており、当然話は昨日の夜の話題になりました。
三人が三人ともあの声の様なものを聞いており、Yは廃屋から出る時に何かに足首を掴まれた感じがしたそうです。
その後、私と同様に他の二人も何とか無事に家に帰れたとの事でした。
私とYは、Hに何故祭壇を蹴り飛ばすような事をしたのかを聞きましたが、「仕返ししただけだよ」と答えるだけでした。
今思えば名誉挽回の為にあの廃屋に行ったのに、Yのつわものっぷりばかりが目立っていたので、Hはここで何かして根性を見せなければと思ったのではないでしょうか。
そしてこの話は、Tも含めた四人だけの秘密にすることを固く誓いました。
それから私達四人は事あるごとにこの話をしましたが、角田の森へ遊びに行く事は二度とありませんでした。
そして時は経ち、私達四人は卒業を迎えました。
Tは私立の中学へ進学し、同じ公立の中学へ進んだ私と後の二人も別々のクラスになり、YとHがDQN系のグループと付き合っていた事もあって、その後私達は疎遠になっていきました。
それから五年後のことです。
私が思わぬかたちで「角田の森」という言葉を聞いたのは。
高校2年の夏休み、外出から戻った私に母親が「なんか変な留守電が入ってたんだけど、あんた分かる?」と言いました。
私はすぐにそのメッセージを確認しました。

「私は東京大学で…の教授をしております…というものです…」

それは、五、六十代の男性の声で、電話が遠いのか所々で音声が途切れていて、断片的にしか内容を確認できませんでした。
そして次の瞬間、私の体は凍りつきました。

「…K君(私の下の名前)に…“角田の森”での事で…したいことがありまして…」

!?

「…折り返しご連絡を…番号は…です…」

そこでメッセージは終わっていました。
「うーん分かんないなぁ、間違い電話じゃないの」と母親に答えると、私は自室に入り高鳴る鼓動を感じながら、なんとか混乱する頭を整理して、この電話の意味を推理しようとしました。
私達四人しか知らないはずのあの夜の事を、何故東大の教授を名乗る男が聞いてくるのか。
他の三人が誰に話したのか。
それとも、私がつい喋ってしまった中学や高校の何人かの友人から漏れたのか。
いや、あの事を知っているあの三人を含めた誰かがいたずらでした事かもしれない。
しかし、そんな手の込んだいたずらをするだろうか。
何度聞き返しても留守番の声は中年以上の男性の声でした。
結局、この電話の謎は解明できませんでした。
電話を掛け直そうにも電話番号は一部しか聞き取れませんでしたし、電話帳で東大の様々な学部の電話番号と照合して似た番号を探そうとしましたが、番号の内4つの数字しか分からないのでそれではそれも無駄でした。
また先方からも二度と電話が掛かってくることもありませんでした。
電話があってから一週間程は、友人(あの三人以外の)に当たるなどして、真相を確かめようとしましたが分からず、しだいにその熱も冷め、日々の忙しさの中でその電話のことは忘れていきました。
それからさらに二年後、再び私は角田の森の一件を思い出す事になりました。
浪人時代に予備校の夏期講習で偶然Tにあったのです。
Tと会うのは中一の夏以来でした。
一緒に昼飯を食い、昔話に花が咲きました。
そして、ふと思い出したあの不可解な電話の事をTに聞いたのです。
一瞬Tの顔が曇り、「おまえんとこにもあったのか」と呟きました。
Tの所にその電話があったのは一年前の夏、つまりTが高三の時の夏で、同じ様に留守電に録音されていたとの事でした。
東京大学の教授とは言っていなかったそうですが、角田の森という単語ははっきりと聞き取れたそうです。
やはりその電話も声が聞き取りづらく、電話番号も分からず、再び電話が掛かってくる事も無かったとの事でした。
その時はあまり深くその話題には触れず、変な事もあるもんだなぁといった感じで話は終りました。
私の話に合わせて嘘をついたのかなとも思いましたが、電話が聞き取りづらかったといった細かい事はTに伝えていなかったのでおそらく彼の家にも似たような電話があったのは事実でしょう。
二週間ほどの夏期講習の間、毎日Tと会い最後に「大学に入ったらまた遊ぼう」と私達は別れました。
私は無事大学に受かり、忙しい毎日を送っていました。
そして私が大学3年の夏、Hが死んだのです。
自殺でした。
当時Hは下北沢の近くで一人暮らしをしていたのですが、そのそばのマンションから飛び降りたそうです。
深夜8階の手摺を乗り越えて飛び降りたそうで、翌日の朝、給水タンクの脇に横たわっているのを管理人に発見されました。
私とTは連絡を取り、二人で通夜に出席しました。
その席でHと仲の良かった中学時代の同級生から色々な話を聞きました。
Hが覚醒剤に溺れていた事、最近は全然顔を見せなかった事、そして遺書の内容も遺書には「もう耐えられない。死んで楽になります。ごめんなさい」とだけ記されていたそうです。
焼香を済ませ酒を飲んでいると、Hの友人が私とTの所に来て、こう聞きました。

「あの〜、ニシナって人知らないかなぁ。あいつの知り合いだと思うんだけど」

その友人がHの老親に聞いた所によれば、Hの部屋の机の上に大学ノートが開きっ放しになっており、そのノートには「ニシナ」という字が何ページにもわたってびっしりと書き込まれていたそうです。
机の上のもの以外にも同じ様に「ニシナ」と書き込まれたノートが数十冊見つかった。
そうです。
「あいつが追っ掛けてた女の子なんじゃないかと思うんだけど」とその友人は訪ねましたが、私達二人はHとは何年も会っていないので分からないと答えました。
その友人が去り、Yが「ニシナかぁ、なんだろうね」と言った瞬間、私の脳裏に、あの夜懐中電灯に照らし出されたあの御札が鮮明に浮かび上がりました。
ニシナ、仁科…ジンカ。
そう、あのお札に書かれてたのは間違いなく仁科という漢字でした。
最初の二文字の仁科以外は何が書いてあったのか思い出せませんでしたが、仁科という文字はYがジンカと読んだ事もあって覚えていたのです。
私はずっと背筋に寒いものを覚えながら通夜の席を後にし、その帰り道Tにその事を伝えました。
Tは泣きそうな顔になり「そんな事あんまり深く考えない方がいいよ。もうあそこの事は忘れようよ」と言いました。
それから私達は押し黙ってしまい、そのまま別れました。
私は翌日の告別式にも出席しましたが、Tは来ませんでした。
Yは通夜にも告別式にも現れず、数年前に千葉に引っ越したとのことでしたが、最近はどこで何をしているのか誰も知りませんでした。
Hの通夜以来、Tとも会っていません。
最後にHの死やあの不可解な電話があの夜の出来事にどう関係あるのかどうかは分かりません。
単なる偶然かもしれません。
Hが老夫婦に捕まったという話も、今となっては真実かどうかたしかめようがありません。
ただ、あの夜あの廃屋へ行った事を今でも後悔しています。
なにとしてでもHとYを説得して止めるべきだったのではと。
そして、ここで軽はずみにあの森の事を書き込んでしまった事も。
全てを語ってしまった事も。

2022年12月29日

角田の森


角田の森とは洒落怖のひとつである。


【内容】



あれは小学6年生の夏休みの事でした。
有人のHと角田の森で遊んでいた時、Hが奥の廃屋へ行ってみようと言い出したそうです。
当時、私達は角田の森でよく遊んでいましたが、それは道路に面した崖のように反り、立った部分から飛び降りたり、木のツルにぶら下がってターザンの真似事をしたりといったもので、森の中へ入る事はありませんでした。
もちろん廃屋があることは知っていましたし、一部の怖いもの知らずの先輩や同級生の子がその廃屋に忍び込んで何かを見たという噂も聞いてはいましたがまだ日の高い日中でしたが、Tはどちらかというと臆病な性格だったので「やめたほうがいい」とHに行ったそうですが聞き入れず、結局Hが一人で廃屋に行き、Tは森の崖の上で待つ事になりました。
Hが森の奥に消えてから数分が経った頃でしょうか、突然「うわぁぁぁぁぁ!」という叫び声とともに物凄い形相のHが森の奥から飛び出してきたのです。
ただならぬ雰囲気を察したTはHの先に立って一目散に逃げ出し、二人は死に物狂いで走って近くの寺の境内に駆け込みました。
息を切らせながらTがHの顔を見ると、その顔は青ざめ、目はうつろでした。
ただ左の頬だけが赤く染まっていたそうです。
何も話さないHを心配し、Tは自分の家へHを連れて行きました。
ようやく落ち着いてきたHは、廃屋で何があったのかを語り始めました。
Hは森の中に入り廃墟の前へと出ました。
その廃屋は、壁はボロボロで窓は割れ、もう何十年も人の手が入っていない感じでした。
Hはその異様な雰囲気にたじろぎながらも、勇気を振り絞って引き戸に手を掛けたのだそうです。
その時、廃屋の脇から70歳位の婆さんが突然飛び出てきて、Hの手首を掴みました。
あまりの事に声も出ないHが立ち尽くしていると、更に同じ歳位の爺さんが廃屋の脇から出てきて、絞り出すような声でこう言ったそうです。

「坊主、ここで何をやってるんだ」

その爺さんの手には包丁が握られていました。
「すいません、すいません」とHはひたすらに謝ったそうですが、婆さんはモノ私語位置からで握った手首を放さず、爺さんはHの前に回りこんで、顔を覗き込んできました。
そして、突然Hの頬を力まかせに平手打ちしたそうです。
その瞬間Hは目が覚めたように婆さんの手を力いっぱい振りほどいて、Tの待つ森の入口へ駆け出したのです。
翌日私は学校のプール教室で、仲の良かった四人組のもう一人Yとともに、二人からその話を聞きました。
Hの話によれば、あれは幽霊などではなく間違いなく生身の人間であったとのこと。
あんな所に人が住んでいるというのは、にわかには信じ難い話でしたが、TはHの頬が赤くはれているのを見ていましたし、Hがそんなにうまい嘘をつけるとも思わなかったので、私はその話を信じました。
ただTはHが捕まっている間、廃屋の方から物音や話し声などを一切聞かなかったそうです。
森の入口から廃屋まではそんなに離れてはいないのですが。
それからしばらくは、角田の森へ行くことはありませんでした。
ところが一週間ほどたったある日、ダイエーの7階で遊んでいた時でした。
Hが「今度夜あそこに行ってみようぜ」と言い出したのです。
あんなに恐ろしい思いをしたのにこいつは何を考えているんだと思いました。
今思えば、ガキ大将的な存在だったHは、無様な姿を見られた事が我慢ならなかったのでしょう。
Tはすぐに反対しましたが、Yがやけに乗り気で「行こう、行こう、大丈夫だって」と私やTをしつこく誘いました。
私も内心は絶対に行きたくないという気持ちでしたが、ここでビビッたらかっこわるいという思いが先に働き、Yの粘りもあって最後には「別にいいよ」と答えたのです。
結局Tは、親が夜の外出を許してくれまいという理由で参加しないことになりました。
その翌日の夜9時半、私達はサレジオ協会の前で待ち合わせをしました。
その自転車をサレジオの前に置き、私達は角田の森へと向かったんです。
昼間でも不気味なこの森、夜に見るそれは表現し難い異様さを放っていました。
魔界への入り口というか、悪霊の巣窟というか、とにかくそれ以上近寄るなという邪悪な意思を発している様に感じました。
私はすっかり怖気づいてしまい、「やっぱりやめよう、やばいよ」と言いましたが、YとHは聞く耳を持たず、「ここまで来て何言ってんだよ、いくぞ」と崖を登り始めました。
すぐにでも逃げ出したい気分でしたが、一人でサレジオまで戻るのも怖かったし、森の前で一人で待ってるのもご免でした。
ほとんど半泣きで二人の後を追ったのです。
真っ暗でほとんど何も見えない中、手探りで腰をかがめ、物音を立てないようにしながら、私達は廃屋の前まで辿りつきました。
私の心臓は早鐘の様に、激しく脈打っていました。
そんな私をよそに、Yは一人で廃墟の脇に回り、ガラスの無い窓から中を覗き込んだのす。
Yは虚勢を張っていたのか、本当に強心臓の持ち主なのか、私は人事られない思いでYの行動を見ていました。
言いだしっぺのHでさえ、私の横で動けずにいましたから。

「何だ、誰もいねえじゃん」

Yは持参した懐中電灯を点け、それを私とHの方に向けてそう言いました。

「じゃあ、入ってみようぜ」

Yはしゃがみ込んでいる私達の前へ来て、引き戸の手を掛けました。
引き戸がその外見に似合わず、スーッと静かに開いた瞬間を何故か今でも鮮明に覚えています。
Yが懐中電灯で室内を一通り照らし、「大丈夫だ、入ってみよう」と私達を振り向きました。
先にHが立ち上がり、私もその後を追いました。
Yのあまりにも平然とした語り口に、私もHも拍子抜けしたというか、現実感を失っていたんだと思います。
YとHが懐中電灯で室内を照らし出すと、意外な程片付いた室内が現れました。
というより、ほとんど何も無かったのです。
部屋の正面奥に置かれた祭壇のようなもの以外は。
Yがその祭壇を照らし出しました。
それは実際には祭壇と呼べるようなものではなく、小さな長方形の机の上に両脇にはカップ酒のコップを花瓶代わりにして花(と言っても、雑草のような物)を生けたものが置いてあり、その真ん中にお札が立てかけてありました。
「ん、ジンカ?何だこれ読めねぇや」とお札に書いてある漢字を見て、Yが言いました。
私もお札の文字を見ましたが、漢字の苦手だった私には読めず、何かお経の様なものが書いてあるのかなと思いました。
と、それまで黙っていたHが突然その祭壇を蹴り上げたのです。


角田の森 2へ

2022年12月28日

宿直のバイト 2



生臭いのだ。何とも言えない、イヤな匂いがたちこめていた。
また恐怖が頭をもたげてきたが、さっき確かにこちらへ向かう所長を見たし、1階に所長が来てるのは間違いないのだ。
俺は廊下の電気をつけて、階段へ向かった。
診療所の階段は各階に踊り場があって、3階から見下ろすと1階の下まで見える構造になっている。
生臭さが強くなった。1階の電気のスイッチは裏玄関を入ってすぐのところにある。
所長は、なんで電気をつけない?早く電気をつけて、姿を見せてくれ!
さらに生臭くなった時、不意に一階の廊下の奥から音?声?が聞こえてきた。
それは無理やり文字化すれば、

「ん゛ん゛〜ん゛〜〜う゛う゛う゛〜゛ん゛」

という感じで、唄とも、お経とも取れるような声だった。
ここに来て俺は確信した。1階にいるのは、所長じゃない。
頭が混乱して、全身から冷たい汗が噴き出してきた。しかし、1階から目が離せない。
生臭さがさらに強まり、「ん゛ん゛〜ん゛〜」という唄も大きくなってきた。
何かが、確実に階段の方へ向かってきている。

見たくない見たくない見たくない!!
頭は必死に逃げろと命令を出しているのに、体がまったく動かない。
ついに、ソイツが姿を現した。
身長は2メートル近くありそうで、全身肌色、というか白に近い。
毛がなく、手足が異常に長い。全身の関節を動かしながら、踊るようにゆっくりと動いている。
ソイツは「ん゛〜ん゛〜〜う゛う゛〜」と唄いながら階段の下まで来ると、上り始めた。
こっちへ来る!!逃げなきゃいけない!逃げなきゃいけない!と思うが、体が動かない。
ソイツが1階から2階への階段の半分くらいまで来たとき、宿直室に置いてあった俺の携帯が鳴った。
俺は「まずい!!」と思ったが遅かった。ソイツは一瞬動きを止めた後、体中の関節を動かしてぐるんと全身をこちらに向けた。
まともに目が合った。濁った眼玉が目の中で動いているのがわかった。
ソイツは口を大きく歪ませて「ヒェ〜〜ヒェ〜〜〜」と音を出した。
不気味に笑っているように見えた。
次の瞬間、そいつはこっちを見たまま、すごい勢いで階段を上りはじめた!
俺は弾かれたように動けるようになった。とは言え逃げる場所などない。
俺はとにかく宿直室に飛び込んで襖を閉めて、押さえつけた。
しばらくすると階段の方から「ん゛〜〜ん゛〜う゛〜」という唄が聞こえてきて、生臭さが強烈になった。
来た!来た!来た!俺は泣きながら襖を押さえつける。頭がおかしくなりそうだった。

「ん゛〜〜ん゛〜ん゛〜〜」

もう、襖の向こう側までソイツは来ていた。

「ドンッ!」

襖の上の方に何かがぶつかった。俺は、ソイツのつるつるの頭が襖にぶつかっている様子がありありと頭に浮かんだ。

「ドンッ!」

今度は俺の腰のあたり。ソイツの膝だ。

「ややややめろーーー!!!!」

俺は思い切り叫んだ。泣き叫んだと言ってもいい。
すると、ピタリと衝撃がなくなった。「ん゛〜ん゛〜」という唄も聞こえなくなった。
俺は腰を落として、襖から目を離すことなく後ずさった。
後ろの壁まで後ずさると、俺は壁を頼りに立ち上がった。窓がある。
衝撃がやみ、唄も聞こえなくなったが、俺はソイツが襖の真後ろにいるのを確信していた。
生臭さは、先ほどよりもさらに強烈になっているのだ。
俺はソイツが、次の衝撃で襖をぶち破るつもりだということが、なぜかはっきりとわかった。
俺は襖をにらみつけながら、後ろ手で窓を開けた。

「バターーン!!」

襖が破られる音とほぼ同時に俺は窓から身を躍らせた。
窓から下へ落ちる瞬間部屋の方を見ると、俺の目と鼻の先に、ソイツの大きく歪んだ口があった。
気がついたときは、病院だった。俺は両手足を骨折して、頭蓋骨にもひびが入って生死の境をさまよっていたらしい。
家族は大層喜んでくれたが、担当の看護師の態度がおかしいことに俺は気づいた・
なんというか、俺を怖がっているように見えた。
怪我が回復して転院(完全退院はもっと先)するとき、俺はその看護師に聞いた。
すると看護師は言った。


「だってあなた、怪我してうなされて日が続いていたのに、深夜になると、目を開けて、口を開けて、楽しそうに唄を歌うんだから。

『ん゛ん゛〜ん゛〜〜う゛う゛う゛〜ん゛』て」

2022年12月27日

宿直のバイト



宿直のバイトとは洒落怖の1つである。


【内容】



数年前、大学生だった俺は先輩の紹介で小さな診療所で宿直のバイトをしていた。
業務は見回り一回と電話番。あとは何をしても自由という、夢のようなバイトだった。
診療所は三階建てで、一階に受付・待合室・診察室兼処置室、二階に事務室・会議室、炊事場、三階に宿直室があった。祝職質は和室で、襖がドア代わり。階段はひとつ。
小さいとは言っても患者のカルテやなんかは扱ってるわけで、診療所はアルソックで警備されていた。
宿直の大まかな流れは以下の通り。
夜9時に診療所に着き、裏玄関(表玄関は7時半には完全に施錠される)の外からアルソックの警備モードを解除する。
入って見回りをして、三階の宿直室に入る。宿直室にもアルソックの管理パネルがあるので、入ったら再びアルソックの警備モードにする。
警備のセンサーは一階、二階はほぼ隈なく網羅しているが、宿直室にはないため、宿直室内では自由に働ける。
管理パネルにはランプがついており、異常がないときは緑が点灯している。
センサーが何かを感知するとランプが赤く変わり、アルソックと責任者である所長に連絡がいくことになっている。ドアや窓が開けられると警報が鳴る。
部屋に着いて警備モードに切り替えれば、あとは電話がない限り何をしてもいい。
電話も、夜中にかかってくることなんて一年に一回あるかないかぐらいだった。
だからいつもテレビ見たり勉強したり、好き勝手に過ごしていた。


ある日の夜。いつものように見回りをして部屋に入って警備モードをつけてまったりしてた。
ドラマを見て、コンビニで買ってきた弁当を食べて、本を読んで、肘を枕にうつらうつらしていた。
テレビはブロードキャスターが終わって、チューボーですよのフラッシュCMが入ったところだった。
何気なく目をやった管理パネルを見て、目を疑った。ランプが、赤い。
今まで、ランプが赤かったことなんて一度もない。
え?なんで?と思ってパネルを見ていると、赤が消えて緑が点灯した。
まともに考えて、診療所の中に人がいるはずがない。
所長や医師が休養で来所するなら、まず裏玄関の外からアルソックの警備を解除するはずだ。
また外部からの侵入者なら、窓なりドアなり開いた瞬間に警報が鳴るはずだ。
故障だ。
俺はそう思うことにした。だいたい、もし本当に赤ランプがついたなら、所長とアルソックに連絡が入って、この宿直室に電話がかかってこないとおかしい。それがないということは、故障だということだ。
そう思いながらも、俺はパネルから目を離せずにいた。緑が心強く点灯している。
しかし次の瞬間、俺は再び凍りついた。また、赤が点灯した。
今度は消えない。誰かが、何かが、診療所内にいる。
俺は、わけのわからないものが次第にこの宿直室に向かっているような妄想に取りつかれた。
慌てて携帯を探して、所長に電話した。数コールで所長が出た。

所「どうした?」
俺「ランプが!赤ランプがついてます!」
所「本当か?こっちには何も連絡ないぞ」
俺「だけど今もついてて、さっきはすぐ消えたんだけど、今回はずっとついてます!」
所「わかった。アルソックに確認するから、しばらく待機してくれ。また連絡する」

所長の声を聞いて少し安心したが、相変わらず赤が点灯していて、恐怖心は拭い去れない。
2分ほどして、所長から折り返しの電話があった。

所「アルソックに確認したが、異常は報告されていないようだ」
俺「そんな!だって現に赤ランプが点灯しているんですよ!どうしたらいいですか?」
所「わかった。故障なら故障で見てもらわなきゃいけないし、今から向かう。待ってろ」

何という頼りになる所長だ。俺は感動した。
赤ランプはそのままだが、特に物音が聞こえるとか気配を感じるということもないので、俺は少しずつ安心してきた。
赤ランプがついただけで所長呼び出してたら、バイトの意味ねえなwとか思って自嘲してた。
しばらくすると車の音が聞こえて、診療所の下を歩く足音が聞こえてきた。
三階の窓からは表玄関と裏玄関そのものは見えないが、表から裏に通じる壁際の道が見下ろせるようになっている。
見ると、電気を煌々とつけて所長が裏玄関に向かっている。
見えなくなるまで所長を目で追ってから数秒後、「ピーーーーッ」という音とともにアルソックの電源が落ちた。
所長が裏玄関の外から警備モードを解除したのだ。
俺は早く所長と合流したい一心で、襖を開けて廊下へ出た。廊下へ出た瞬間、俺は違和感を感じた。


宿直のバイト 2へ

2022年12月26日

姪と人形 7


(ゑ)
翌日、昼近くになって、オレ達は病院へ向かった。
今日は甥と姪も一緒だ。
病室に入って行くと、姉は半身を起こして出迎えてくれた。まず子供達が駆け寄って行く。
姉は義兄の顔を見ると、少し驚いた顔をしたが嬉しそうだった。
久し振りの親子四人の対面。
オレは姉に、入院時の足りないものを聞くと、売店に降りて行った。
姉に言われたものを買うと、この売店には本屋もある事に気がついた。
少し時間を潰そうと思った。
なる程、病院には子供から老人まで、様々な人が入院している。
絵本から盆栽の本まで小さいスペースながら、様々なジャンルがあった。
店内を物色している内に、ふと一冊の小誌に目がいった。
おそらく自費出版に近いものだろう。
装丁もただ厚紙にタイトルの、〇〇市郷土民族史、と印刷されただけのものだった。著者の欄には〇〇会とあった。
その本を持ってレジに向かった。
病室に戻ると、姉に売店の袋を渡し、幾つかの会話の後、あとは義兄にまかす事にして、オレは病室を出た。
今日はこれから、昨夜聞いた、神社の奥の井戸に行くつもりだった。暗くならない内に。

(ひ)
バス停に向かう道々、オレは姉の事を考えた。
今日は比較的、楽そうだったが赤い斑紋は増えている気がした。
蜘蛛状血管腫と呼ばれているそれは、別名、メデューサの首とも言われている。
車中では、先程買った本を流し読みする。
やはり、昨日聞いたコレラの記述はなかった。
市の中では、小さい町だ、あの地域は。
だが、それよりも目を引く記述があった。
天保年間後期、あの地域を、痘瘡、天然痘が襲ったそうだ。
最初、災厄は隣の村から来て、あの村に住み着いた。
死者の数限りなく、一日に、棺桶が幾つも寺に運ばれる。
仕舞には棺が間に合わず、遺体を剥き出しのまま、河原で焼いたそうである。
死臭と線香の臭いが混ざり合い犬も居なくなったそうだ。
同時に、隣村から閉め出され、村は完全な孤立状態になった。
天然痘の不思議なところは、10人の内、4人は病に罹り命を落とす。
4人は罹患はするが何とか命は助かる。
そして残る二人は、罹患もしないというところがある。
生まれつき抗体を持っているのか。
その時の詳しい記録は、あの地域で最も古い寺にあると書いてあった。
そこまで読んで、オレは思った。
あの神社、もしかしてその時に建てられたものじゃないかと。

(も)
バスを降りると、オレは荷物をとりに一度姉の家に戻った。
ラジオ付きの非常用懐中電灯、五徳ナイフ、オフロードバイク用の皮手袋、そして5mと10mの細引き二本、針金とラジオベンチ、タッパーとマグカップ。
それがオレのフィールドワークだ。
まだ陽は高い。だが少し早足で神社に向かう。
夏休みである筈なのに、この神社には大体、子供は遊んでいない。
神社の横を通り、さらにその奥、裏手の森に入っていく。
井戸はその中にひっそりとあった。
屋根も、釣瓶もない桶もない、正に神だけの井戸と言う感じだった。
井戸そのものは、コンクリでも煉瓦でもない、自然石を組み上げたもの。
ある程度の時間は経っているだろう、まわりには苔が生えていた。
周りは畳6畳ほど開けていて、地面には丸い石が敷き詰められている。
オレはそっと近付いていき、中を覗いてみる。
ほんの4、5メートル先で光は届かない。
昼間だというのに、森の中は薄暗い。
懐中電灯で中を照らしてみる。
ずっと下に、あれは水面か、灯りに照らされ反射している。
ここで下から、髪を振り乱した女が壁をよじ登ってきたらオレは泡吹いて気を失うだろう。
と、どこかの映画のワンシーンを思い浮かべた。

(せ)
その辺りに落ちている石を拾ってみる。頭上に差し上げ真下に落とす。高さ約2m、下に落ちるまで約20フレーム。
その石を今度は井戸の中に落としてみる。
一、二、三…と数えて約12.3mか。中に入る気はサラサラ無いがしかしポチャンと音がした。水はある。
井戸の中を覗いている内に、何だか鼻の奥がツンとなった。
いわゆるスポットめぐりをしている時に、たまに起こるオレの習慣。たぶん感傷だったろう。
この神社がオレの想像通り、その時建てられたのなら、何の為にこの井戸が掘られたのか。
あの時、無事治療し、何とか命を拾った者も、結果的には村から追われたそうだ。
わずかばかりの食料を与えられ、山の奥に追われたそうだ。つまり死ね、ということだ。
痘痕がのこり、失明する者もいた。醜い姿になった彼らは、再び村に災厄を呼ぶと言ってね。
抗体をもち、再び痘瘡に罹ることのない彼らを。
だが、天然痘は完全に世界から駆逐され、文明と技術の恩恵に溺れているオレ達は、彼らの無知を笑う権利はない。
帰る時に改めて気がついた。オレが来た左側とは反対に、左側にも誰かが歩いた跡がある。
誰か最近この井戸を覗いたのか。

(す)
これは告発ではないよ、全然。
その村の歴史
いま、自分達が住んでいる街、100年、わずか百年前はどうだったのか。
少し調べてみるといい。

無駄なことは全てはぶく
先を急いている人がいるし、オレも少し疲れた。
やはりあの時の事、思い起こすのは少しシンドイ。
姉は死んだ。そして姪も。
はっきり言って、あの家族は崩壊した。
残ったのは、甥と彼の弟だけである。

2022年12月23日

姪と人形 6



(さ)
猫に関連する話。
その話、当時の地方新聞にも書かれた事なので、あまり詳しくは書けない。
ただ、義兄は、その日もその同級生が猫に餌をやりに、あの神社に行くことは知っていたそうだ。
だけどその同級生は、その日、家に戻らなかったそうだ。
当然、男子行方不明、学校でも朝礼でその話が出たし、新聞にも載った。
両親も、いずれは見つかると思うだろう。
ずいぶん長い間、その土地に住んでいたらしいけど、やがて諦めたのか、他の土地に引っ越したらしい。
で、猫の事だが、箱に入れられた猫は、首が切断された状態で、箱に収まっていたそうだ。
もっとも、猫の件は、新聞ネタなのか、クラスの怪談ネタなのかはっきりしないが。
だから、義兄に言わせると、あの場所は人が入ってはいけない場所だそうな。
そう言われると、余計に入ってみたくなる、オレの性分。

(き)
ここで、病院の話に出た肝吸虫症について、雑学程度だがもう少し書いておきたい。
この寄生虫、まずタニシなどの貝に寄生するそうだ。
そしてその貝を食べた鯉やフナなどを加熱せずに食べると、人間を宿主として胆管に留まる。
潜伏期間は6〜8週間位だそうで、発症しても初期の頃は自覚症状が無いことが多いそうだ。
但し重度になると死亡するケースもある。
日本ではあまり例がない病気だが、韓国から中国、マレーシア、カンボジアと、中央、東南アジア圏によく見られるらしい。
8週間前と言えばオレが来る前の事だがしかし海外に旅行したとは聞かないし食べ物にしても、姉は元来、生物はあまり口にしない方で、まして川魚の洗いなどは食べないだろう。
子供の頃、父方の実家に行くと、よく鯉濃を出してくれた。
交通の便が悪い、山の中の事だったから、せめて滋養、ご馳走だったのだろう。
だが姉は、生臭い、泥臭い、と言ってガンとして食べなかった。
義兄がシャワーを浴びるため、話は一時中断した。
浴室に向かう前に二階に上がったようだ。
書斎に荷物を置きに行ったのと、今日もオレの部屋で寝ている子供達の様子を見に行ったのだろう。

(ゆ)
その夜、妙な所からあの人形の出所がわかった。
あの人形は、おそらくは、棄てたものではないそうである。
あの人形の所有者は、あの神社のはずだ、と。
義兄はシャワーから戻ると、ビールを出して再び話し始めた。
今度はオレが尋ねるというより、彼がオレに畳み掛けるといった感じだ。
姪の枕元にあった人形を見た義兄は、まず、あの人形はどうしたのかと聞いた。
オレが答えるより早く、彼は、あの人形を見たことがあると言った。
子供の失踪というのは、身代金の要求とか、表沙汰になるもの以外にも、けっこうあるそうだ。
実数はオレは把握できないが。
青年の場合ならば家で、駆け落ちがかなりの割合である。
だがそれが比較的低年齢、小学生ぐらいの場合には、親、警察等が先ず考えるのは、事故だ。
義兄の同級生が失踪した当時、まず側にあった井戸が調べられた。
神主の立ち合いのもとで。
次に拝殿、社の中だ。
同時に、その時同級生が社の奥で猫を飼ってる事を知っていたのは、おそらく義兄だけだっただろうから、当然、彼も重要な参考人として、警察官と共にその場に同行していた。
その時に見たそうだ、社の中を。

(め)
中央に銅鏡のようなものが有って、その前に黄色い稲の穂のようなものがあったそうだ。
そして、そのさらに奥、左手に一段低い台、というか棚の様なものがあったそうだ。
その棚に、20体ばかりの人形が飾ってあったそうである。
顔の造りはまちまちで、仲には御河童頭の男の子の人形もある。
しかし何れも着物を着ていて、今にして思えば、何となくだが、昭和の初期か大正くらいのものではなかったか、そう言っていた。
確かにあの人形も、オレの祖母の家にあったものと同じ、大正時代か昭和の初期の作、顔は少し扁平だが、何やら気品のある顔立ちだ。
造りも今の人形より精巧な気がする。
勿論、オレはその辺りのことは素人なのだが。
後で知った事だが、人形というのは、着物をめくると、腹の部分に、その作者の名前が書いてある事が多いそうな。
それを知っていれば、あるいは何かの手掛かりにはなったかもしれない。

(み)
義兄の話に戻す。
あの人形、顔の造りも、着物の柄も、あの時、棚の一番上の、端にあった人形によくにてると。
義兄の年齢から考えると、当時の件は昭和の40代半ばの頃だろう。
当時の日本の農村には、まだ肥壺なんてものが当然あった。
あれ、深さが二メートル近くあって、けっこう深いんだ。
大体は、木の蓋がしてあるのだが、中には蓋もして無く、表面がカパカパに乾いていて、まわりの地面と区別がつかなかったりする。
だから、神社からその子の家までの経路、そんな所にも捜査が加えられた。
しかし、その子の行方は杳として知れなかった。
よく憶えてくれていたと思う、当時の事を。
一因としては、義兄は、オレと同じメモ魔だったから。
一方は、それを武器に出世したが、また一方は、それがアダとなり、離婚、退職(オレ)した。
話の本筋とは違う、オレの愚痴。
話は人形に戻る。
その社の人形を見たとき、神主が大雑把に説明してくれたそうだ。
その人形の由来を。

(し)
神主の話によると、大正の終わり頃、先代の神主の時に、この村でコレラが流行ったそうである。
現代の日本では発生も稀だし、症状も軽くに抑えられるが当時、村、と呼ばれていたこの地域の医療技術や、衛生観念がどの程度のものだったのか。
体力のある壮健な男女は治療したそうだが、結果的に幼い子供や老人にかなりの死者が出たそうである。
1ヶ月程で流行は下火となったが、その盛りの時に、先代神主が、疫病、災厄除けをかの神社に祈願したそうである。
村中総出のことで、歩ける村人は皆集まったらしい。
その時に、既に亡くなってしまった子供らの人形も供養して神社に納める事になったらしい。
つまりその人形達は、その時に亡くなった、全ての子供らの依代みたいなものかも知れなかった。
そんな人形を、姪は持ち出してきたのだ。
結局、その時の原因は井戸からと後になってわかったらしい。
どこの家でも井戸の蓋がされ使われなくなり、かわりに脇に祠が建てられた。
水質検査をして使用できるようになったのは戦後の事らしい。
その夜、姪の枕元にある人形を見ながら、寝床で考えた。
でも、何故将来符なんだ。
姪なりの供養の仕方なのか。


姪と人形 7へ

2022年12月22日

姪と人形 5



(ま)
蔵には普段は黒くてゴツい鍵が掛けられているのだが、思った通りその時は外されて扉は開け放たれていた。
オレは中にいる老人に軽く会釈すると、甥とともに中に入った。
何を出すのか、とオレは聞いた。手伝いますとも。
老人の話では、そんなたいそうな物ではないらしい。
これくらいの、と言って彼は腕の前に手を広げて見せた。
小さな木の箱らしい。
姪の方を見ながらも、どこに仕舞ったか覚えとらんぞ、というような事を言って、またそこいらを探し始めた。
甥が姪に、何を探させているのかと聞いた。
姪が答える。
ソミンショウライフ。
ゴステンノウサイモン。
何語だそれ?
ゴズテンノウはわかったが後の言葉は解らなかった。
だが姪はかなり明瞭にその言葉を言った。
そして甥もまた、ジィチャン、あれ蔵に入れてるのか、バチあたるぞ。そんな意味の事を言った。
爺様答えて、古いやつはな。
蔵には他にも鎧甲やら長持ちやら、興味を引きそうな物が色々とあったが、その聞きなれない言葉に、幾分かの肌寒さとともにオレの耳は釘付けになった。

(け)
蘇民将来符、そういう字を書くそうだ。
オレにとっては、その言葉、聞くのも初めてだったし、その実物を見るのも初めてだった。
それを収めた箱は幾つもあった。
何れも中に納めた将来符は大きさもまちまちだった。
見ごたえは正直ないものかもしれません。
ただ形は断面が六角形であり、先が尖って、何かチビた鉛筆のようだった。
その鉛筆の腹には絵と文字が書いてある。
中には飴色をしたものがあり、その色からして相当古そうな物もある。
牛頭天王、今は素戔嗚尊と同一視される事が多い。
蘇民に茅の穂を渡し、我は素戔嗚尊なり、そう言って去っていった風来坊。
何れも、信濃、今の長崎県の国分寺が有名なので、ググればすぐ見つかるから興味がある方は引いてみるといいだろう。
国分寺では、毎年一月の7日と8日にその護符が配布?されるそうだ。
効能は災難を取り除く?
但し表面に書かれた言葉によって多少、その意味が違うそうだが。

(ふ)
小難しい話は少し置く。
実際、当時、友人(めんどくさいから、以後、メタギアのオタコンにするな。実際よく似ている)からの情報では、あまりに聞き慣れない漢字が多く、その場ではよく理解できなかった。
ただ何故、姪がそんな物を欲しがったのか。
それは爺様の継ぎんの言葉で合点がいった。
母さん早く良くなると、いいな。
なる程、疫病にとらわれていたが、病全般に効くものだろ、この将来符とやらは。
翌日は、病院へ姉の検査の結果を聞きに行く。

(こ)
姪はその将来符の内、手のひらに収まる位の、一番小さいものを手に取ると、それを人形の帯に挟み込んだ。
人形の不思議さがまた一段階増した気がした。
聞いたところでは、本来は将来符というのは、家の中、神棚、鴨居の上に並べて立てて置くものだそうだ。
けれどその家では何年か前の、静岡に地震が頻発した際に落ちてきて、太い鉛筆のような尖った先端が爺様の頭を直撃したそうで、以来、箱に収めて蔵に入れたそうである。
材質は主に柳だそうだが、他に桐やタラも使うそうだ。何れ大きなやつならば、結構重かろう。
蔵を辞すとオレは甥を連れて姉の家に戻った。
姪の方は母屋の子供と遊ぶと言い、爺様と母屋に向かった。
途中、井戸の横を通り過ぎる。祠にその日は桃が供えられていた。昨日は何だったろうか。
家に戻ると姉が今しがた、自身があったと言う。けっこう揺れたと。
確かに蔵というものは堅牢な造りのものだというが、それにしても中には細々としたものがいくらも積まれてあって、それらがカタリともしなかった。
先の夜の事があったから、甥の口は開けたままになった。

(え)
家鳴り、その殆どは排水溝や、近くを走る高速道路などの振動が、ある特定の場所に伝わるもの。
つまり一種の共鳴現象だ。
だが、そうとも言えない。とても共鳴とは言えないほどの揺れを体験した人もいるという。日本にも外国にも。
家鳴りとは違うが、むかし、山に行ったとき、麓の河原の傍で一泊した。
オレ達以外に野営している者は付近にいなかった。
近くに古びた神社があった。
閂が差し込んであるだけだったので、面白半分に友人と忍び込んだ。
暫くして板壁の左右、後ろを、モノ凄い勢いで叩かれた。地震なのか、獣でも壁に突っ込んだのか、今もって解らない。
とにかくオレは部屋に戻ると、机の上に念のために水を入れたコップを置いた。
その時に、出来ることがあれば、とりあえずやってみる主義だ。
一時間程して姪が戻ってきた。
スーパーの袋に、母屋から桃を貰ったと、幾つか入れて帰ってきた。たぶん祠に供えてあったのと同じ桃だろう。
何故か姪は、夕食を前にしてそれを剝けとせがんだ。
よく冷えた桃だったが、一つだけヌルイのがあった。祠に供えてあったものだろうか。

(て)
その晩、コップの水に波紋はでなかった。
今日もオレの部屋で寝る甥と姪は、始終、興味深げにコップの表面を眺めていた。
姪は、今日は人形を持ってこなかった。部屋に置いてきたと言う。
翌日、姉と、姪を連れて病院に向かった。
病院という所は意外と病気を貰うところで、姉は姪を連れて行くのは嫌がったが、何故かオレは眼を離すのが不安で、強いて連れて行くことにした。
甥は母屋に預けた。
何となく、誰かをこの家に一人で残しておくのが不安だった。
検査の結果を説明されたが、この時はオレも一緒に病室に入った。
姪は待合室に残したが。
医者の説明では、確かに肝臓が少し腫れているようだと言う。
しかし血液検査では何も見受けられなかったとも。
当時その時点では、肝炎もなく、しかし急激な発症例からすると、肝吸虫症、肝ジストマ症が考えられると言う。
胆管に寄生する寄生虫らしい。
即、検査入院を勧められたが、事情を話して明日にしてもらった。
今となっては、その判断は後悔している。
家に戻り、明日の入院の用意をしている時、姉はいきなり倒れた。
オレは救急車を呼び、甥を母屋に走らせた。
義兄が到着したのは、その晩も更けようとしている頃だった。

(あ)
義兄は既に病院に立ち寄ってきたそうだ。
担当医はいなかったが、看護師の話では、便検査が必要との事。
便採取は姉が倒れていた間に済ませており、明後日には結果が出るとの事。
そして今は命に云々という状態ではなく、比較的落ち着いているとの事。
それを聞いて義兄はとりあえず家に戻ったわけだ。
一通り、話が一段落した後、オレはあの神社の事を彼に聞きたくなった。
場合が場合だから、オレの思った事をそのまま聞いたならば、こんな時になにをバカな事を、と一喝されるのは分かっていたから、なるべく婉曲に、世間話に織り交ぜて。
それでも不快かとも思ったが、意外にも義兄は話に乗ってきた。
以下、義兄の話。
あの神社の奥、一般に神の場所とされている所に、井戸があるそうだ。
人はその水は飲むことが出来ない。所謂、神の水という事らしい。
その井戸の傍で、義兄の同級生、当時、小学五年生ぐらいだったらしい、が猫を捨てたそうだ。
捨てたというよりも、箱に入れて、そこで育てるつもりだったらしい。
その同級生は、仲のよかった義兄に、その事をそっと耳打ちしたらしい。
義兄も二、三日の内にはその猫を見に行くつもりだったらしい。


姪と人形 6へ

2022年12月21日

姪と人形 4



(む)
目を覚ますともう日が暮れかけていた。
またか、と幽つになる。
最近、夜になるのが怖いような気がするのはオレだけだろうか。
とりあえずは飯を食わせてもらいに階下に降りる。
姉は相変わらず辛そうだったが、皿をならべている、甥がそれを手伝っていた。
オレも手を貸そうとしたところへポケットの中の携帯が鳴った。
俺は通話にして庭におりた。
彼の話を要約すると、毒蛇気神尊の言葉にヒットするサイトは五件にも満たなかったそうだ。
しかし、この同じ静岡県にあの神社とまったく同じ三柱を祀る神社があるそうだ。
ただ、そちらの方は神主も常駐しており、由緒も正しいなかなかに大きな神社らしい。
関係者に迷惑が掛かるのでこれ以上の事は書けない。
どうも牛頭天王と婆梨妻妻女との間の子、八王子の内に誰か、あるいはその子孫の誰かんことを指すらしい。
なんの神なのか、なんと読むのか、それ以上詳しい事は、その時は解らなかった。
礼を言って携帯を切った。
家の方へ振り向くと窓が開けっぱなしだったことに気が付いた。
うっかりしていた、蚊が入ってくる。
オレは家の中に窓を閉めた。

(う)
その晩も甥は枕を抱いてオレの部屋にやって来た。
だが昨晩よりも幾らか表情が和らいでいたので、オレも少しは緊張が解けた。
同時に、姪と姉も共にやってきた。
さすがに姉も気になるんだろう。
もしもウツる病気ならば困るから、しばらくオレの部屋で寝かせて欲しいと。
それならば、姉が作った料理を毎日食べ、同じコップで水を飲んでいるオレ達にとっては、科学的にはあまり説得力のない提案だとは思ったが、ここは姉の言葉に従った。
今ならわかる。当時離婚したばかりのオレは、小さな、頼りない命に飢えていた。誰かを、全力で守りたかった。
甥が姪の布団を抱えて上がってきた。
甥にとってはキャンプな気分だったのかもしれない。
この二人に限らず、親類の子供達にあう度に、愚にもつかない怪談話をして、怖がらせては面白がるオレだった。
だが、この時はそんな気分でも無かったし、また、そんな雰囲気でもなかった。
で、オレはスサノオのオロチ退治の話をしてやることにした。
今日買った本の内容を子供向きにして。
今から思うと子供には充分コワいか。
最初に甥が寝た。
姪の方はまだ眼が冴え冴えと、じっと天井を見ていた。
次に寝てしまったのはオレらしい。

(ゐ)
夜中、顔にサワサワと顔に何かがあたる感じがして、くすぐったくて目を覚ました。
こじ開けるように瞼を持ち上げた。
目の前、顔のすぐ近くにあの人形の顔があった。
頬に人形の髪の毛が当たっていた。
人形の肩の辺りに小さな指が見える。
人形の顔の、そのまま背後に姪の顔が見える。
姪が人形を奉げ持ちオレに向けて何かを喋ってた。
人形にオレを紹介しているのか。
体が動かなかった。
目玉だけが、ただぎょろぎょろと自由に動かせた。
声も出なかった。
悲鳴をあげるのは、生涯、後にも先にもこの時だけのために取っておいたのに。

(ゐ)
ここで、当時のオレの状況を説明しておく。
姉の家に居候していた時、オレは離婚を機にそれまで15年務めた会社を辞めていた。
結婚も同じ様に、離婚もまた体力と精神力を消耗する。
しかも結婚は二人の共同作業だが、離婚は独りの戦いになる。
疲れていた、心身共に。
退職金は丸々元妻に渡したが、失業手当は、三ヶ月は出るのだし前に来て、この街の風景が気に入っていたから、少し静養するつもりだった。
もちろん三ヶ月ここに居坐るつもりはなかったが。
丁度、旦那が単身赴任、姉夫婦にとっても悪い話ではなかった。いわゆる番犬がわりだ。
ことわっておくが、オレは腕に自信はない、非戦闘民族だ。
オカルトは好きだが、呪文などしらない。
そして疲れてもいた。
この状況かでオレに何ができたろう。
全てが見当違い、勘違いの世界ではなかったか。
今、他人と変わらない日常を送っているオレはそう思う。あれは本当に現実のことだったのか。
だからこうして書く。一つひとつ、当時の事を思い出しながら。

(お)
話を前の晩に戻す。
人形はオレの顔の前にあった。
オレは金縛りにあったように動けない。
今まで、金縛り、って現象に出会った事は何度かあった。
だけど、瞼を閉じることも出来ないし、そんな金縛りははじめてだった。
それに、姪が呟いている、この言葉は何語だ?
もとより西洋圏の言葉でないのはわかる。
でも、中国、韓国、そんな言葉でもない。
強いて言えば日本語化。
も少し、日本語勉強しとくべきだった。
ソミンって言葉、皆知ってるか?
当時のオレは全く知らなかった。

(く)
結局、そのまま人形とにらめっこしているわけにもいかず、オレはいつしか寝てしまったようだ。
瞼が閉じれた所までは覚えている。
朝起きるとオレと姪の布団の間にその人形が置かれてあった。
その時、改めてくだらない事に気が付いた。二行って、いつ寝るのだろうか。
隣に寝ている姪はまた、目を開けてジッと天井を見ていた。この子は昨夜寝たんだろうか。
昨夜の事が、夢か現実化よく解らないまま、甥を起こし、三人で廊下に降りた。
いつものように朝食が出来ていた。
姉は首の下、二の腕に以前あの斑紋はあったが、今朝は心なしか気分がいいように見えた。
姪がそれにあの人形を抱いていることにも、何も言わなかった。
むしろ、甥の方があの人形を部屋に置いてくるように、しつこく妹に言っていた。

(や)
食事の後、甥がやってきてオレの耳元で囁いた。
昨夜の夜は怖かったでしょ、と。
見ていたらしい、昨夜の事を。
そこでオレは改めて、あれが夢ではなかったと思うと共に、あの人形がどうしてこの再びこの家に来たのかを思った。
あの神社に人形を戻しに行った日から、姪は神社に行く時間など無い。
強いて言えば昨日オレが本屋に行ったときか。
だが姪も姉も出掛けた様子はなかったが。
甥はその時間、学校のプールに行っていて、知らないという。
姪が人形を抱いて玄関を出るのが見えた。
どこへ行くのかと思えば母屋に行ったらしい。
この家、母屋と反対側に玄関がある。
つまり通りに面してそれぞれに玄関があるわけだ。
通りに出ても互いに行き来はできるが、普段は庭を突っ切って、互いの茶の間から出入りしている。
だから姪がわざわざ通りに出るのを見て、回りくどいことだと思った。
その姪が、今度は母屋の茶の間から出てきて、祖父の(彼女から見て)手を引いて庭に降りてくるのが見えた。
どうやら蔵に入るらしい。
人形の事は一時忘れて、オレは好奇心に駆られた。
あの薄茶の土壁の蔵、オレも前々から興味を持っていたが、まだ入ったことはなかった。
オレはさっそく甥を誘って庭に降りた。


姪と人形 5へ

2022年12月20日

姪と人形 3



(れ)
その日オレと姉は昼飯も食っていなかったが、もう陽は傾いていた。
姉はダルそうであったが、強いて子供達のために夕食を作った。この余計者の為にも肩身の狭い思いがしたが、今はこの親子の傍にいた方がいい気もする。
そして検査の結果次第では義兄にも話しを通した方がいいかもしれない。
そこまで考えてオレはハタと気が付いた。
母屋はどうした。まず姉の義父母、義兄達に左右田院すればいいではないか。
その晩、何故か甥が一人で寝るのを非常に嫌がって、結局オレの部屋で一緒に寝ることになった。
オレにあてがわれた部屋は二階の真ん中の部屋。
二階にはこの部屋の両脇に、一つは半ば納戸代わりに使われている四畳半くらいの部屋が一番奥に。
もう一つは義兄が書斎として使っている部屋が階段寄りにある。
甥と姪の部屋、それから姉夫婦と姪の寝室は一階にある。
建て売りではない、設計士が義兄と相談しながら図面を引き、地元の大工が建てた割合しっかりとした造りの家だ。
建ててまだ10年経っていない。
その家が微かにだが揺れだした。
地震、小さいが確かに揺れている。
まだ起きていた甥が布団からT日出して、しがみついてきた。

(そ)
けっこう長く揺れが続いたような気がしたが、実際には10秒位ではなかっただろうか。
オレもあの地の底の唸りのような自身というものが嫌いだ。
揺れが完全に収まると、オレはまた一昨夜の夜と同じ様に、甥を腰にまとわりつかせて階下にいる姉たちの様子を見に行った。
部屋の前に立ち襖を軽く叩いた。返答はない。
そっと開けてみると、姉も姪も寝ていた。
小さくはあったが、かなり小刻みに揺れていたはずだ。
二人Tも余程疲れているのか、眠りが深いのか。
襖を閉めて、茶の間に入るとカーテンを開けて母屋の様子を伺った。
この家と母屋の位置関係は互いの家が見えにくかったが電灯は点いていないようだ。
念のため窓を開け庭に降りてみた。
やはり誰も起き出してはいないようだ。
もっとも深度2程度なら気が付かなくても無理はないか。
でも毎年この時期になると、東海沖地震が囁かれる中、静岡に住んでいるならもう少し「デリケートがあって欲しいとも思う。
振り返って癒えの方を見る。
甥が窓際でこちらを見てる。逆光で表情は見えない。
茶の間に戻り甥を二階に促す。瞬きが妙に少ない。
まだ怯えていた、老いも俺も。
とたん東京に帰りたくなった。娘と、二人の息子に会いたくなった。

(つ)
甥と二人、再び蒲団の上に横になった。
昼間の事がまだ頭の中に残っていて、念の為、甥に聞いて見た。
あの人形の事、何か知らないか。
あるいは、あの人形、どこかに移動しなかったか。
甥を疑ってるわけではなかった、ただ念の為。
昼間、頬にあの髪の毛が張り付いていたのが気になっていたから。
あるいは人形の件は甥の質の悪い悪戯か。
みんなが、いやこの時点ではオレと甥だけだったが、疑心暗鬼になっていた気がした。
甥は、知らないと言った。あの人形には触りたくないとも。
オレも同感だよ。
翌日、オレは神社に行った。
かなり捜したが、やはり人形は無かった。
あるいは猫がくわえて、縁の下にでも持ち込んだか。
そこまで探した。
シンの三柱(スマン漢字が出てこない)、この下にもあったのかどうか、そこまで確かめる余裕はなかった。
ただ帰り際に古びた板に書かれた、この神社の祭神を読んだ。
素戔嗚尊、櫛稲田姫尊、それともう一つ、読みがまったくワカラン、毒蛇気神尊
ドクジャキシンミコト!?
この読みが分からない為、オレ達は結構苦労した。

(ね)
肝心の人形が見つからずオレは途方にくれた。
しかし、何もあの人形でなくても、同じ場所にあった物なら同じ物が付着しているかもしれない。
姪がどの辺りから、あの人形を引っ張り出したのかはしらないが、とりあえず俺は箱の中に積まれている物から上層部から一点、中頃から一点、それと下の方にも格子からはみ出てる破魔矢の屋根に黒いシミがあったものだから、ついでにそれも。
計三点それぞれの一部を切り取ってケースの中に収めた。
その日、神社から帰った後、オレは母屋に行った。
姉の様子を少し伝えておいた方がいいと思ったからだ。
ついでに、あの神社の管理者、あるいは神主の住所を尋ねてみようと思ったが説明するのが難しい。
結局その日は聞かずにおいた。
この家でスイカを馳走になった。見の黄色い小玉西瓜だった。種が少なく、よく冷えて非常に美味だった。
姉に取っては義姉にあたる、小柄だが気さくな奥さんが、ウチではまだ西瓜を井戸で冷やしていると、半ば自嘲気味に半ばは自慢げに言っていた。

(な)
そう、この敷地には井戸があった。
この地方は海が近いが、ワサビの名産地でもよく知られる水の綺麗な所でもある。
そして水を大切にする所だ。
その井戸の傍らに木でできた小さな祠、稲荷のようなものがある。
毎朝その前には白米、菓子などを供えるのがこの家の決まり事だ。
何を祀っているのか、まだはっきりとは聞いたことはない。
が、水を鎮める神様だと言う。
昔、この地方を悪い疫病が襲い多数の死者が出たらしい。
手を尽くしたあげく、原因は自ら、となったらしい。
それからだそうだ。どの家でも井戸の傍らに祠を置くようになったのは。
母家を辞して姉の家に戻った頃は、もう昼時になっていた。
ただそれがどれくらい昔なのかわからない。
素麺のツユを垂らすなT、姉が姪を叱っている。
姉の顔に、以前にはない険ああるようだ。母家の奥さんの朗らかな顔を思い出しながらそう思った。
午後は本屋に行くつもりだった。
この時点でオレは神秘主義に陥っているつもりはなかった。ただ何となくあの神社の祭神に興味を惹かれたからだ。

(ら)
日本の神々、似たような本は何冊かあった。
どれも素戔嗚尊、櫛稲田姫尊の名はあるのだが、毒蛇気神尊の名はどの本にも見当たらあかった。
姉の家にはパソコンがない。
仕方なく予め状況を掻い摘んで報せておいた、先の友人にネットで検索してもらう事にした。
素戔嗚尊、本には元々出雲の地方神だったらしが、インドの祇園信仰と融合する事で全国で祀られるようになったと書いている。
説明は省くが牛頭天王と同一と見られる事が多いそうだ。
八坂神社、氷水神社に祀らえる。
ご利益は災厄、疫病を除くと書いてあった。
櫛稲田姫の方は古事記では櫛名田比売、日本書紀では奇稲田姫と書くらしく、素戔嗚尊の妻。
有名な八岐大蛇のヒロイン。
名が示す通り、稲、水田の神様。
素戔嗚尊が奉られる神社には大抵一緒に祀られているらしい。
他にも色々書いてあったがよく解らんし退屈だ。
本を枕に寝てしまった。


姪と人形 4へ

2022年12月19日

姪と人形 2



(ち)
やがて夕方になり姉と姪が帰ってきた。二人とも別段変わった様子はない。
夕食の際、姪は妙に口数が少なく、また姉も姪も少し食欲が無いようだった。
その事を問うと、なんでも二人とも口内炎ができていて沁みるんだそうな。
姪の口を開けさせて見てみるとなる程、咥内に赤い血膨れのようなものがいくつか見受けられた。
昼に何か刺激物でも食べたのかと重ねて問うと、ざるそばだと言う。
夏の疲れが出たのだろうと姉は言うが、二人同時にとは、何か釈然としないものを感じながら、その日は終った。

(り)
翌朝、朝食の折りに姉の顔を見ると、首の下、鎖骨の辺りに赤い斑点が幾つもあった。
毛細血管が浮き上がったような、小さな蜘蛛の巣のような斑紋だ。
さらによく見ると、袖無しのブラウスから覗く二の腕にも同じような斑紋がある。
オレは結構な酒飲みで、健康診断の際にはいつも肝臓を指摘されているので知っている。
蜘蛛上血管腫、血管の塊である肝臓が詰まることで、血液が他の経路へバイパスするためにおこる症状らしい。
しかし姉は酒は一滴も飲めない。
また、これまでに一度も肝炎などを指摘された事はないはずだし、輸血をしたこともないと言う。
姪は今朝は大人しく食べ物を口に運んでいた。口内炎はもうひけたと言う。

(ぬ)
昼近くになり、しきりに体のダルさを訴える姉は、姪を幼稚園に送り出た。
姉達を玄関で見送った後、オレは甥とブラリとその辺りへ散歩に出掛けた。
まだ暑い陽の盛りだったが、太陽の下を、雑貨屋で買ったアイスなどを頬張りながら歩いていると、まさに日本の夏休みという感じだ。
水田に拡がる青い稲穂が風に揺れて涼しげだったと覚えている。
何の気なしに足があの神社の方に向いた。
長い石段を登り、社の前に立つとオレは小銭入れから五円玉を出し、甥にも渡して賽銭箱に入れると手を合わせた。
その後、あの箱に向かった。
人形がなかった。
様々な物が捨てられた、その一番上に置いたあの人形がどこを見ても無い。

(る)
オレは甥を連れて家に戻ることにした。
帰ると姉は既に戻っており、日当たりをしたと言って、茶の間で横になっていた。
姉の家とは言っても、主のいない部屋を他人が勝手に覗くのみ気が咎める。
オレは甥に頼んで姪の部屋を調べてもらうことにした。あの人形がないかどうかを。
15分程で甥は戻ってきたが、オモチャ箱から押入までさがしたけど、人形など無いと言う。
それならばそれでいい。
だいたい、昨日は町へ買い物、今日は幼稚園なのだから神社に行く時間などあるわけがないのだ。
それよりも今考えなくてはならないのは姉の事だ。オレは人形の事は考えない事にした。
姉のところへ行くと自室で休んでいるように促し、明日にでも病院に行くことを提案した。
それでオレの出来る事は全てだった。
料理も洗濯も家事は何も出来ないに等しい。
結局その日の夕飯は甥と店屋物をつつく事になった。

(を)
夕食を食べ終えると程なくして電話が鳴った。出ると姉の旦那だった。
彼は三日おきに電話を掛ける事にしている。
オレは一瞬、姉の事を言おうか迷ったが、出先の相手に心配を掛けるのも悪い。
夫婦の間で必要な事なら、姉自身が話すだろう。
姉に替わると互いの近状報告が始まったようだ。
受話器を置いて、姉は再び自室に戻って行った。
洩れ聞こえてきた会話の様子から自身の身体の事を話した様子は無いようだった。

(わ)
翌日、朝食を取ったらすぐにオレの運転で病院に行くことにした。
そして診察を終えたら、その足で姪を幼稚園へ迎えに行く、そんな段取りだった。
しかし病院では意外と待たされた。
総合病院という大きな病院はこの辺りではここしかないだろう。最初に通された内科では結構な人が待っていた。
姉は電話機の所へ行くと、幼稚園に掛け事情を話し、少し迎えの時間が遅れる事、それまで少し預って欲しい旨を伝えた。
ようやく姉の名前が呼ばれ、彼女は診察室に入って行った。
20分程で出てきたが、今度は検査室で採血とエコーだと言う。
ほんとは採血から触診、心電〜CTと一通りのコースになっているらしいのだが、事情を話し少し巻きを入れてもらったそうだ。
やはり疑われるのは肝臓だそうだ。それと何らかのアレルギー。
肝臓の持病の有無と最近の食事をまず聞かれたそうだ。
採血はともかく、エコーは時間が掛かった。念入りに、ということなのだろう。
検査が終わり、薬局で何かの薬を貰うと、オレ達は急いで幼稚園に向かった。
検査の結果は週明けということだ。確かその日は週の中頃だったと思う。

(か)
幼稚園に着き教室に入ると姪が先生に本を読んでもらいながら昼寝をしていた。
姉を見て二人は立ち上がると互いに挨拶を交わし、姉は遅れた事を詫び、先生は昨日の姪の様子の報告をした。
その中で気になる事があった。
先生が夜中、見回りのために起きると姪の布団が空だったそうだ。
驚いて他の先生方を起こしてトイレや他の教室を探したが見当たらない。全員青くなったそうだ。それはそうだろう。
結局、姪は見つかった。幼稚園の門の所に一人でボーっと立っていたそうだ。
先生は詫びるとともに、きっと寝ぼけていたんでしょう、と笑いながら言ってはくれたがオレには姉が眉を顰めるのがわかった。
帰りの車内では姉も姪の口数が少なかった。
徘徊癖でもあるのだろうか、この子は。
幼い子が自立するとき、一時オネショしたり、そんな癖が出るという事を何かの本で読んだことがある。
同時にオレが離婚する前(実はバツイチ)、娘がちょうど姪と同じくらいの歳の時、義父が死んで丁度四十九日になる日の夜中、やはり同じ様な事があったのを思い出した。
その時は2DKの狭いアパート、探すまでもなかったが。
娘は玄関の前に立っていた。ドアの向こうにジージが来ていると。

(よ)
家に着くと、甥は茶の間で寝ていた。
蔵―がよく効いていて、甥はゲームのコントローラを握ったままぐっすりと寝ていた。
コントローラを離し、タオルを掛けてやろうと思い甥の傍に屈み込んで気が付いた。
その頬に一筋、髪の毛が張り付いていた。
クセのある甥や姪の髪の毛ではない。
まして薄く茶色染めた姉の髪の毛でもない。
ましてや短く刈り上げたオレのものではない。
ショーっとカットくらいの黒い、太目の髪だった。
それを手ではらってやると、コントローラを仕舞い、タオルをかけてやると、その場に座り直し再び姉と姪の事を考えた。再度頭をもたげてきた人形の事はなるべく考えずに。

(た)
しかし考えの途中で、ふと思い当たる事があった。
ダニやカビの中には、アレルギーを誘発したり、内臓に損傷を与えるものがあることを思い出したのだ。
それがあの人形に付着していたとすれば?
充分に考えられる事だ。
幸い学生時代の友人に芳香剤の開発室に勤めて奴がいた。かなり畑は違うが顕微鏡くらいはあるだろう。
そいつに頼めば知らB手くれるかもしれない。
もとから楽観的なオレは容易にそう結論付けた。
しかし、解せないのは何故、口内炎を同時に患いながらも、姪は一晩で収まり姉はまだ続いているのか。
抵抗力の問題か、それなら子供の方が低い気がする。
あるいは体質か。
とにかく、あの人形からサンプルを取らなくてはならない。
昨日は無かったが、明日もう一度よく探してみようと思った。
先ずは来週の検査の結果を待って、必要ならば友人にそれを送ろう。
雑貨屋で軍手とピンセットを買った方がいいかもしれない。


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