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2022年12月23日

姪と人形 6



(さ)
猫に関連する話。
その話、当時の地方新聞にも書かれた事なので、あまり詳しくは書けない。
ただ、義兄は、その日もその同級生が猫に餌をやりに、あの神社に行くことは知っていたそうだ。
だけどその同級生は、その日、家に戻らなかったそうだ。
当然、男子行方不明、学校でも朝礼でその話が出たし、新聞にも載った。
両親も、いずれは見つかると思うだろう。
ずいぶん長い間、その土地に住んでいたらしいけど、やがて諦めたのか、他の土地に引っ越したらしい。
で、猫の事だが、箱に入れられた猫は、首が切断された状態で、箱に収まっていたそうだ。
もっとも、猫の件は、新聞ネタなのか、クラスの怪談ネタなのかはっきりしないが。
だから、義兄に言わせると、あの場所は人が入ってはいけない場所だそうな。
そう言われると、余計に入ってみたくなる、オレの性分。

(き)
ここで、病院の話に出た肝吸虫症について、雑学程度だがもう少し書いておきたい。
この寄生虫、まずタニシなどの貝に寄生するそうだ。
そしてその貝を食べた鯉やフナなどを加熱せずに食べると、人間を宿主として胆管に留まる。
潜伏期間は6〜8週間位だそうで、発症しても初期の頃は自覚症状が無いことが多いそうだ。
但し重度になると死亡するケースもある。
日本ではあまり例がない病気だが、韓国から中国、マレーシア、カンボジアと、中央、東南アジア圏によく見られるらしい。
8週間前と言えばオレが来る前の事だがしかし海外に旅行したとは聞かないし食べ物にしても、姉は元来、生物はあまり口にしない方で、まして川魚の洗いなどは食べないだろう。
子供の頃、父方の実家に行くと、よく鯉濃を出してくれた。
交通の便が悪い、山の中の事だったから、せめて滋養、ご馳走だったのだろう。
だが姉は、生臭い、泥臭い、と言ってガンとして食べなかった。
義兄がシャワーを浴びるため、話は一時中断した。
浴室に向かう前に二階に上がったようだ。
書斎に荷物を置きに行ったのと、今日もオレの部屋で寝ている子供達の様子を見に行ったのだろう。

(ゆ)
その夜、妙な所からあの人形の出所がわかった。
あの人形は、おそらくは、棄てたものではないそうである。
あの人形の所有者は、あの神社のはずだ、と。
義兄はシャワーから戻ると、ビールを出して再び話し始めた。
今度はオレが尋ねるというより、彼がオレに畳み掛けるといった感じだ。
姪の枕元にあった人形を見た義兄は、まず、あの人形はどうしたのかと聞いた。
オレが答えるより早く、彼は、あの人形を見たことがあると言った。
子供の失踪というのは、身代金の要求とか、表沙汰になるもの以外にも、けっこうあるそうだ。
実数はオレは把握できないが。
青年の場合ならば家で、駆け落ちがかなりの割合である。
だがそれが比較的低年齢、小学生ぐらいの場合には、親、警察等が先ず考えるのは、事故だ。
義兄の同級生が失踪した当時、まず側にあった井戸が調べられた。
神主の立ち合いのもとで。
次に拝殿、社の中だ。
同時に、その時同級生が社の奥で猫を飼ってる事を知っていたのは、おそらく義兄だけだっただろうから、当然、彼も重要な参考人として、警察官と共にその場に同行していた。
その時に見たそうだ、社の中を。

(め)
中央に銅鏡のようなものが有って、その前に黄色い稲の穂のようなものがあったそうだ。
そして、そのさらに奥、左手に一段低い台、というか棚の様なものがあったそうだ。
その棚に、20体ばかりの人形が飾ってあったそうである。
顔の造りはまちまちで、仲には御河童頭の男の子の人形もある。
しかし何れも着物を着ていて、今にして思えば、何となくだが、昭和の初期か大正くらいのものではなかったか、そう言っていた。
確かにあの人形も、オレの祖母の家にあったものと同じ、大正時代か昭和の初期の作、顔は少し扁平だが、何やら気品のある顔立ちだ。
造りも今の人形より精巧な気がする。
勿論、オレはその辺りのことは素人なのだが。
後で知った事だが、人形というのは、着物をめくると、腹の部分に、その作者の名前が書いてある事が多いそうな。
それを知っていれば、あるいは何かの手掛かりにはなったかもしれない。

(み)
義兄の話に戻す。
あの人形、顔の造りも、着物の柄も、あの時、棚の一番上の、端にあった人形によくにてると。
義兄の年齢から考えると、当時の件は昭和の40代半ばの頃だろう。
当時の日本の農村には、まだ肥壺なんてものが当然あった。
あれ、深さが二メートル近くあって、けっこう深いんだ。
大体は、木の蓋がしてあるのだが、中には蓋もして無く、表面がカパカパに乾いていて、まわりの地面と区別がつかなかったりする。
だから、神社からその子の家までの経路、そんな所にも捜査が加えられた。
しかし、その子の行方は杳として知れなかった。
よく憶えてくれていたと思う、当時の事を。
一因としては、義兄は、オレと同じメモ魔だったから。
一方は、それを武器に出世したが、また一方は、それがアダとなり、離婚、退職(オレ)した。
話の本筋とは違う、オレの愚痴。
話は人形に戻る。
その社の人形を見たとき、神主が大雑把に説明してくれたそうだ。
その人形の由来を。

(し)
神主の話によると、大正の終わり頃、先代の神主の時に、この村でコレラが流行ったそうである。
現代の日本では発生も稀だし、症状も軽くに抑えられるが当時、村、と呼ばれていたこの地域の医療技術や、衛生観念がどの程度のものだったのか。
体力のある壮健な男女は治療したそうだが、結果的に幼い子供や老人にかなりの死者が出たそうである。
1ヶ月程で流行は下火となったが、その盛りの時に、先代神主が、疫病、災厄除けをかの神社に祈願したそうである。
村中総出のことで、歩ける村人は皆集まったらしい。
その時に、既に亡くなってしまった子供らの人形も供養して神社に納める事になったらしい。
つまりその人形達は、その時に亡くなった、全ての子供らの依代みたいなものかも知れなかった。
そんな人形を、姪は持ち出してきたのだ。
結局、その時の原因は井戸からと後になってわかったらしい。
どこの家でも井戸の蓋がされ使われなくなり、かわりに脇に祠が建てられた。
水質検査をして使用できるようになったのは戦後の事らしい。
その夜、姪の枕元にある人形を見ながら、寝床で考えた。
でも、何故将来符なんだ。
姪なりの供養の仕方なのか。


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