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2023年04月26日

パンデミック



中学生の頃、祖父から聞いた話(話自体は祖父の父=曾祖父から祖父が聞いた話)。
俺の地元の山に、神主もいない古びた神社があるんだが、そこに祀られている神様は、所謂『祟り神』というやつで、昔から色々な言い伝えがあった。
大半は『粗末に扱うと災害が起きる』とかそんな話なのだが、そのうちの一つにこんな話があった。
それは戦国時代、当時の領主の放蕩息子が「祟りなど迷信だ」といって神社のご神体を持ち出し、あろうことか、酔った勢いで御神体に向けて小便をかけたらしい。
それから暫くは何事も無かったのだが、数年後から異変が起きた。
古い話で詳しく伝わっていないが、口伝として語り継がれているのは以下のようなもの。

・詳細は不明だが、あちこちで説明の付かない怪異が多発。
・村人が何人も理由不明で失踪。
・領主の顔が倍近くに腫れあがる。原因不明の病気にかかり、回復はしたが失明。
・問題の放蕩息子は乱心し、山に入ってそのまま帰らず。
・祟りを恐れた村人達が、色々と神様を鎮める試みをしたが全てうまくいかず、村人は次々と村を去り事実上の廃村に。

こんなところなのだが、まあ古い話であり、文献として残っているわけでもなく、事件の結末も分からない中途半端な話な上に、口伝として語り継がれる程度のものだったのと、その後村に住んでいる人たちは、後になって移り住んだ人たちばかりなので、いわゆる噂程度のものだった。
そして、時代は変わって祖父が生まれる前、明治維新から数年後頃の話。
神社は当時から神主などはおらず、村の寄り合いで地域の有力者などが中心となって掃除や神事などの管理し、たまに他所から神主さんを呼んで神事をしてもらっていた。
また、口伝として残されている話などから、『触らぬ神に祟り無し』ということで、御神体は絶対に誰も触れることなく、ずっとそのまま存在し続けていた。


戦国時代の事件以降ずっとそんな状態で、神社も村も何ら大きな出来事も無く続いてきたのだが、ある年、ある事件が起きてしまった。
ある日、村の若い人たちが集まって話をしてるときに、ふと前記の祟りの話が話題になった。
その時数人の若者がこんな事を言い出したらしい。

「祟りなんてあるわけがない。日本は開国して文明国になったのだから、そういう古い迷信に囚われるのは良くない」

そんなこんなで、その後どういう経緯でそうなったのかは分からないが、「迷信を取り去るために、その御神体とやらの正体を見に行こう」という事になったらしい。
「まあ気持ちとしては、一種の肝試し的な軽い気持ちのものだったのだろう」と祖父は言っていた。
ただし、全員が全員その話に賛同したわけでは無く、やはり祟りは恐ろしいということで、実際に見に行ったのは10人ほどの集団。
やはり肝試し要素があったので、夜中に集まり神社へ向かった。
(神社の一連の話は、一緒についていった人から曾祖父が聞いた話)
神社の境内に入り、拝殿の扉を開け中に入ると、こじんまりとした祭壇があり、そこの台の裏に古ぼけた桐の箱が置いてあり、紐で厳重に封がされていて、どうやら御神体は、その中に入っているらしかった。
みなそこまで来たところで少し恐気づいてしまい、また、何か妙な胸騒ぎがしたため、箱に触れることが出来なかったらしいが、最初に「迷信だ」と言い出したやつが意を決して箱を手に取り、箱を固定していた紐などを解くと蓋を開けた。
中には綺麗な石(どうも勾玉らしい)が3つ入っており、とくにそれだけで何事も無く、急に緊張がほぐれたため逆に気が強くなり、御神体を元に戻し、そのまま朝まで拝殿の中で酒盛りをしたらしい。


翌朝、拝殿で御神体の箱を開け、更に中で朝まで酒盛りをしていた事が村中にばれ、若者達はこっ酷く叱られたらしいが、特にその後なにもないため、村人達もその事をそれ以上追求しなかった。
一応その時神社で酒盛りをした連中を連れて、村の地主が神社へ謝罪しに行ったらしいが。
3年後、村で妙な事件がおき始めた。
村の外れに猪や鹿や猿が木に串刺しにされて放置されていたり、夜中に人とも獣ともつかない不気味な声を聞いたという人が何人も現れたり、あちこちの家に大量の小石が投げ込まれたり、犬が何も無い空を見上げて狂ったように吠え出したり、これは曾祖父も深夜に便所へ行った時にみかけたらしいが、黒い人影が何十人も深夜に列を作って歩いているのをみかけたりと、とにかく実害のある被害者はいないが、気持ちの悪い事件が多発し始めた。
こういった事件が多発したため、流石に村でも「3年前の事件が原因ではないか」と噂に鳴り始めたのと、治安の面から不安なので、村人は村の駐在さんと相談し、近隣の警察署に応援を頼み警備を厳重にしてもらう事と、村で自警団を作り夜中に巡回する事、それと同時に、3年前の事件を引き起こしたものたちで、もう一度神社へ謝罪しに行く事などが決まった。
しかし、様々な策を講じても一向に怪現象はとまらず、それどころかとうとう被害者まで出るようになってしまった。
山に入った村人が、何かに襲われボロボロの死体で発見された事件をかわきりに、子供が遊びに行ったまま帰らない、自警団の見回りをしていた4人が4人とも忽然と消えてしまう、夜中に突然起き出して何か喚きながら外に飛び出し、そのまま失踪してしまう、女の人が何かに追われるように必死で逃げて行き、自宅に戻ると包丁で自分の首を掻き切って自殺してしまうなど。


そういった事件が立て続けに1ヶ月ほど起きたため、最早村人達には手が終えないと、何かの解決策は無いか話し合っていたところ、村のおじいさんが、

「山向こうの〇〇神社は、山の神社の神事の代行を何度かおこなっていて、それなりに縁があるようなので、そちらを訪ねてみたらどうか」

との提案をした。
他に何か良い案があるわけでもなかったため、だめもとで明日〇〇神社へ向かう事で話し合いは終わった。
翌日、地主が3年前の事件の主犯格などを連れて〇〇神社へ向かい、神主さんに取り継いでもらう事になった。
神主さんは「とにかくお互い落ち着いて話そう」ということとなり、社務所で一連の事件等の事を詳しく話す事にした。
しかし、ある程度話が進むと、神主さんは「それはおかしい」と言い出した。
どうも、山の神社の御神体は、祭壇の上においてある平たい箱に入った銅鏡であって、桐の箱の勾玉とは違うらしい。
戦国時代の話にしても、領主の息子が粗相をしたのはその銅鏡であると、〇〇神社に伝わっているらしかった。
そもそも、〇〇神社は何代も前から山の神社の神事を代行してきた経緯があり、自分の若い頃に一度代行した事があるが、桐の箱や勾玉の事は全く知らないらしい。
実は地主も、若者達が開けたのはてっきり祭壇の上の箱の事だと思っていたらしく、その時はかなり驚いたのと、地主も桐の箱に入った勾玉の事を今はじめて知ったようだった。
また神主さんは

「これは悪霊や祟り神による祟りの類では無く、もっと異質な何か別のものの仕業で、とにかく一度その勾玉を見てみないことには分からないが、もしかすると、山の神社の神様は、その『何か』を勾玉に封じる役割があったのではないか?」

とのことだった。
神主さんは、まず〇〇神社に残る文献を調べてみて、何か勾玉に関する情報が無いか調べてみるとの事で、2日後に地主の家で落ち合う事になり、その日は帰る事となった。


2日後、地主と当事者の若者達が地主の家で神主さんを待っていると、村の駐在さんが訪れ、怪現象が近隣の村や、村の近くの陸軍の駐屯地でも起き始めている事、一部ではそれに関連したと思われる失踪者も出始めており、どうも被害が、この村を中心としてあちこちに拡散しているらしい。
まだこの村で起きている事が噂となっている兆候は無いが、いずれ噂になり責任を追及されるかもしれない。
早く何とかしたほうが良いらしい。
そうこうしているうちに〇〇神社の神主さんがやってきたため、皆でまず山の神社の勾玉を確認しようということになった。
山道を抜け神社にたどり着くと、神主さんが自分が調べた事をまず説明し始めた。
神主さんが言うには、この辺りには大昔から何か良くないものがおり、その何かはよくひとをさらって行ったらしい。
そこで土地に人々は土着の国津神にお願いし、この良くないものを退治してくれるように頼んだのだが、その『何か』の力があまりにも強く、しかもさらった人々を取り込んでどんどん強くなるため、その神様でも力を封じ込めるのがやっとで、とても退治することはできなかったという。


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