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2020年02月19日
エルベンの昔話(二月十六日)
チャペク以前の、チェコスロバキアが独立する以前に活躍したチェコの文学者というのは、それほど多くないのだが、その中でも重要でよく知られている一人がカレル・ヤロミール・エルベンである。エルベンは1811年に生まれ1870年に没した19世紀を生きた作家だが、ドイツのグリム兄弟のように各地の伝説、民話や民謡を収集して集成したのが最大の業績と言っていいだろうか。
自らもそれらの伝説や民話を基にした作品を発表しており、中でも一番有名なのは、1858年に刊行された詩集『花束(Kytice)』である。詩集とは言っても、われわれ日本人が一般に考える詩とは違って、物語を詩の形で語る「バラダ」と呼ばれる文学形式の作品で、『古事記』を叙事詩などということもあるのと同じか。ちょっと違うなあ。古代ギリシャの『イーリアス』が詩の形式で書かれているヨーロッパ文学の伝統に連なるということにしておこう。
この難解だと思われる物語詩の『花束』を、すべてのチェコ人が読み通したことがあるとは思えない。日本の『源氏物語』なんかと同じで、作品の題名と内容は知っていても読んだことはないという人が大半なのではないかと疑っている。内容を知っている人が多いのは、学校での勉強のおかげもあるけれども、2000年に公開された映画の影響も大きい。
映画は詩集に収められた13編の詩のうち7編を映像化したもので、映像の美しさでも話題を呼んだ。実際に見ての感想は、映像の美しさにごまかされがちだけどよく考えてみたら恐ろしいというもの。エルベンの集めた民話も、日本でも「本当は怖い」として話題になったことのあるグリム童話と同じく、恐ろしさをはらんだものだったのだろう。
これは、昔話が、単に子供たちを楽しませるためだけのものではなく、言うことを聞かない子供たちを怖がらせて、言うことを聞かせるという機能を持っていたことを考えると当然だといえる面もあるのかもしれない。特にモラビアの怪優ボレク・ポリーフカが顔も見せずに演じる「Polednice」には、はっきりとは描かれない結末も含めて怖気が立つ。ポリーフカに限らずロデンとかザーズボルコバーとか出演者も贅沢なのだけど、一回見ただけでは気づけなかった俳優もいる。
この映画を見て、原作である詩集を読みたいとは思えなかった。以前19世紀にオーストリアで編集されたチェコ語の教科書に載っていたコメンスキーの手紙を訳したことがあるのだけど、表記も現在とは微妙に違っていたし、ほんの短いものでしかなかったのに、えらく大変だった。『花束』も微妙に古いチェコ語で、しかも形式が詩となると自分にどこまで理解できるだろうかと考えてしまう。ある程度は理解できるにしても最後まで読み通せるとは思えない。
それで思い出したのが、チェコ語関係の知人が日本語訳があるはずだといっていたことだ。国会図書館のオンライン検索で出てきたエルベンの作品は以下の三つ。
橋本聡訳「婚礼のシャツ(幽霊の花嫁)」
(『文学の贈物 : 東中欧文学アンソロジー』、未知谷、2000)
木村有子訳『金色の髪のお姫さま : チェコの昔話集』
(岩波書店、2012)
阿部賢一訳『命の水 : チェコの民話集』
(西村書店東京出版編集部、2017)
このうち最初のものだけが『花束』所収の一篇で、映画版にも登場した。『文学の贈物 : 東中欧文学アンソロジー』には、他にも読んだことのないチェコの作家の作品が翻訳されていて、ほしいと思わなくもないのだけど、送料とチェコ以外の作品の方が多いことを考えると、二の足を踏んでしまう。知人が言っていたのは全訳のはずだということで、検索してみるとこんなページがでてきた。
イラーセクの著作の翻訳で知られる浦井康男氏のチェコ語関係の本を、「STORE」といいながら多くは無料で提供しているサイトのようだ。最初に挙がっている『露語からチェコ語へ』のシリーズは、キリル文字すら読めない人間には使えないけれども、下のほうに柴田匠訳『花束』がある。無料だけど登録が必要なのでちょっと悩んで、登録してダウンロード。
序文に目を通したら、13編のうち4編をドボジャークが交響詩に仕立て上げて、そのCDのブックレットに関根日出男訳が収録されているという。日本のチェコ音楽関係者には、熱心な人が多くて、オペラなんかの台本だけじゃなくて原作が翻訳されていたりもするのだ。その多くは書籍や雑誌に収録されることなく、音楽ファンの目以外には触れないままになってしまう。もったいないことである。
この柴田訳の『花束』は、その関根訳4編と、上記の橋本訳のある計5編は既訳のものを収録し、それ以外の8編を新たに翻訳したもののようだ。私家版とはいえこんな形で関根訳が陽の目を見るのは素晴らしいことである。あとはどこかの奇特な出版社が刊行に踏み切ってくれれば言うことはないのだけど……。
2020年2月16日24時。
2020年02月18日
乾いた二月(二月十五日)
いろいろ異論もあるようだが、チェコは国民一人当たりの年間ビール消費量が世界で一番多いと言われている。以前に比べれば減ったとはいえ、それでも140〜150リットルという数値を維持しているようである。また、すべてのアルコール飲料の消費量を合わせて、純粋なアルコールの消費量に換算しての数字、年間14.4リットルでも、こちらは1位ではないが、上位10位以内には入っているようだ。
そんなアルコール消費大国であるチェコで、アルコールまみれの現状に危機を抱いた人たちが、2013年に始めたのがこの「乾いた二月」というキャンペーンで、毎年一月だけでも酒を飲まない月を作ろうという運動のようである。「渇いた」というのは、「渇いた」でもあり、つまりお酒を飲まないという意味なのである。一時日本で流行った「週に一回休肝日」というのの年間バージョンと言ってもいいかもしれない。
チェコ語では「Suchej únor」となる。正しいチェコ語ならば「suchý」なのだけど、親しみやすさを求めたのか、プラハ方言が採用されている。個人的には定期的に酒を飲む習慣を失って久しいので、あえてこのキャンペーンに参加する必要もないのだが、飲んだくれていた時期であっても、この表記を嫌って二月だから飲むぞとかひねくれていた可能性が高い。とまれ、HPも解説されているので、興味のある方はこちらからどうぞ。
このキャンペーンの存在に気づいたのは今年が初めてなのだが、それはスポーツ界からも賛同の声が上がっていて、参加者がでたというニュースを見たからである。スポーツ新聞のHPの渇いた二月に関する記事には、すでに引退した選手も含めて何人かのスポーツ選手が参加していることが記されている。現役時代から真面目な印象が強くお酒もあまり飲まなさそうなペトル・チェフがこの運動を支持しているのは意外でもなんでもなかったけれども、サッカー界から意外な名前が二つ挙がっていた。
一人は、スパルタですっかり出番をなくしたバーハで、こちらに関しては意外だという以外に特に書くこともないのだが、もう一人のフェニンについては、現役時代を通じて酒がらみの問題を起こし続けた選手である。いや引退してからも、解説の仕事にへべれけに酔っ払って登場して、醜態をさらしたなんてこともあったなあ。
フェニンに関しては最近こんな記事を見つけた。日本のメディアに載ったチェコ選手の記事としてはよくできていると思う。ちょっとどうかなあと思うのは、フェニンがおかしくなったのがドイツで監督交代があって出場機会を失ってからと理解できるような書き方がなされているところ。この選手、チェコのテプリツェでプレーしていたころから素行には不安を持たれていた。だから、記事にもある酔っ払ってホテルの窓から転落した事件が起こったときも、驚かなかったとは言わないが、こいつならやりかねないとも思った。
もう一つ、こちらは完全な不満だが、フェニンを「チェコの天才」と記しているところである。たしかにチェコでも才能のある選手として大きな期待を寄せられていた。しかし、天才と呼ばれていたかというと、疑問が残る。誰かがプレーを、天才的と書いたことはあるかもしれないが、誰もが天才と評価することを認めるような存在ではなかった。
チェコのサッカー界で誰もが認める天才と言えば、トマーシュ・ロシツキー以外には存在しないのである。フェニン同様に若くしてドイツに移籍して、アルコールと賭け事で身を持ち崩したシマークなら、U21代表の中心で活躍したころには、天才と呼ばれていたかもしれないけど、フェニンが、ポジションは違うとはいえ、シマーク以上に高く評価されていたとは思えない。
そもそも、チェコリーグでちょっと活躍した後に、世代別代表の国際大会で大活躍して、外国に移籍した選手で大成した選手はほとんどいない。最近だとチェコで行なわれたU21のヨーロッパ選手権で得点王になるという大活躍をしてドイツのチームに買われていったクリメントも今はどこで何をしているのやらだし、チェコリーグで出場する前に、さらに若い世代の代表での活躍が国外移籍につながったペクハルトも結局A代表の中心になることはなかった。ペクハルトなんてフェニン以上に期待されていたはずなんだけけどねえ。そんなこともあってロシツキー以外を天才というのには、違和感しか感じないのである。
話を戻そう。アルコールの消費量の過大なチェコで、「乾いた二月」のようなキャンペーンが行なわれるのは、いいことなのだろう。ただ、できればスポーツ選手だけでなく、政治家たちにも参加してほしいところだ。特にゼマン大統領には、最近めっきり衰えが目立っているし、任期を全うするために一月といわず、前面的な禁酒が必要な気もする。
最後に、このチェコのキャンペーンがイギリスで行なわれているらしい「乾いた一月」に触発されたものだという話を付け加えておこう。一月は大晦日からの流れで飲酒してしまって完全に飲まないのは無理だから、二月に移したのかな。
2020年2月16日11時。
2020年02月17日
チェコ語の疑問詞2(二月十四日)
次も格変化のあるモノにしようということで、「kolik」。この言葉、文法上は副詞扱いにされる。副詞が格変化をするのかという疑問に対しては、するものもあるというしかない。副詞とは言っても実際には数詞と、5以上の数詞と同じ使い方をするし、数を質問するための疑問詞なので数詞扱いしてもいいような気もする。格変化は同じ副詞で数詞的に使う「mnoho(たくさん)」と同様、1格と4格が同じで、変化する2格、3格、6格、7格も同じ形になる。
この「kolik」はチェコ語の勉強を始めて最初に習う表現の一つ、「Kolik to stojí?」から、「いくら」という意味だと思われがちだが、本来の意味は「いくつ」で、「いくら」の意味になるのは、通貨であるコルナがいくつというところから来ている。5以上の数詞と同様、1格で使う場合には、後ろに来る名詞が複数2格になって、全体として中性単数扱いになるので、過去にすると「Kolik to stálo?」となる。いくつかの通貨が意識される場合には、通貨を省略せずに「kolik korun(何コルナ)」「kolik jenů(何円)」としなければならない。
もう一つ例を挙げておけば、時間を尋ねる「Kolik je hodin?」も「Kolik」のせいで、時間が複数2格「hodin」になり、動詞は三人称単数「je」が使われている。これも過去にすると、「Kolik to bylo hodin?」と中性の語尾が出てくる。数詞と名詞は、しばしば泣き別れになって、離れたところに置かれることがあるので、ちょっと長い文になると名詞を複数2格にして、動詞を三人称単数にするのを忘れがちである。
さらに厄介なことに、5以上の数詞のところでも説明をしたが、名詞が複数2格になるのは、1格、2格、4格の場合だけで、それ以外は、複数の該当する格を使用しなければならない。複数2格の意識が強すぎて、いつでもどこでも複数2格にしてしまうのが困りものである。間違いを避ける方法は、1格、2格、4格以外では使わないことぐらいしかない。チェコに住んでいるとそんなことも言っていられないので、頑張って使えるようにはしたけど、今でもたまに間違えている。
では簡単な格変化を。
1 kolik
2 kolika
3 kolika
4 kolik
6 kolika
7 kolika
この「kolik」と対応する言葉に「tolik」があって、意味が違うだけで、格変化も使い方も全く同じである。「そんなに」という意味なのだが、数えられるものが大抵は「そんなにたくさん」あるときに使う。物の値段を質問して、予想よりも高かったときに、驚きの気持ちを込めて「tolik」なんて言うこともできる。
また例文を。
・Kolik k vám přišlo hostů? Žádný nepřišel.
(何人のお客さんが来ましたか?/一人も来ませんでした)
・Od kolika a do kolika hodin pracujete? Od jedné do dvou.
(何時から何時まで仕事するんですか?/1時から2時までです)
・Kolika lidem jste poslal pozvánku? Padesáti. Tolik?
(招待状を何人の人に送ったんですか?/50人です。/そんなに?)
・Za kolik let se vrátíte do Japonska? Nikdy se nebudu vracet.
(何年後に日本に帰ってきますか?/二度と戻らないつもりです)
・Po kolika dnech jste vyšel ven? Po dvou týdnech.
(何日ぶりに外に出ましたか?/二週間ぶりです)
・S kolika Čechy jste už mluvil česky? S mnoha.
(何人のチェコ人とチェコ語で話したことがありますか?/たくさんです)
それから「kolik」と「tolik」を組み合わせると次のような文もできる。
・Dám ti tolik, kolik potřebuješ.
(お前が必要とする分だけ、くれてやろう)
ところで、チェコ語には数えられない名詞と言うものがあって、たとえばビールや水などは、直接「ビールを二つ」なんて言い方はできず、入れ物である瓶やグラスを数える形で表現しなければいけないと、初学のころに、もしくはチェコ語の会話集なんかで勉強したはずだ。だから注文するときにも「dvě sklenice piva」とか「dvě láhvi piva」と言わなければいけない。コーヒーも「jeden šálek kávy」というのが正しいことになっている。ということは、いくつと質問するときも、「Kolik láhví piva(何本のビール)」、「Kolik šálků kávy(何杯のコーヒー)」になる。気をつけなければならないのは、ビールもコーヒーも単数2格で後ろからつけることである。
それから、どんな名詞を使うかわからないときには、2以上の数詞に「krát」を付けることで、同じものがいくつなのかを表現できるというのも勉強したはずだ。この場合は名詞は2格にする必要ななく4格を使えばいい。こちらの方が使いやすいので、同じものをいくつか注文するときには、よく使うのだけど、こちらが、ビールを2杯たのむのに「Dvakrát pivo prosím」と言っても、お店の人から「Dvě piva」と返ってくることがあってびっくりする。本来複数はないはずなのに、「Kolik piv」なんて質問されることもあるし。
それはともかく、数詞と同様「kolik」に「krát」をつけた「kolikrát」という疑問詞が存在する。「k」が一つになっているのに注意。これはビールなどを何杯というのにも使えるが、「krát」は回数を表す、チェコ語には珍しい助数詞なので、何回という意味で使うことが多い。「Kolikrát jste byl v Japonsku?(日本には何回行きましたか)」なんてね。
このことからも「kolik」は数詞に近いといえるのである。数詞といえば形容詞型の順序数詞というのもあるのだけど、その疑問表現についてはまた次回。
2020年2月15日23時。
2020年02月16日
チェコ語の疑問詞1(二月十三日)
誰、何、いつ、どこなどの疑問表現については、チェコ語の例文を挙げるときに、特に意識しないまま使ってきたが、格変化も含めて説明していないようなので、ここらで使い方も含めてまとめて説明をしておこうと思う。
最初に取り上げるのは、名詞的、もしくは代名詞的な「kdo(誰)」と「co(何)」である。前者は人をさすので、男性名詞活動体的、後者は物なので、不活動体的な格変化となる。ただし、呼びかけの5格はないものと考える。
まずは誰から。
1 kdo
2 koho
3 komu
4 koho
6 kom
7 kým
1格と7格以外は、硬変化の形容詞が男性名詞活動体につくときの語尾の長母音「é」を「o」に置き換えたもので、7格は形容詞と同じになる。活動体なので、2格と4格が同じ形になるというのも忘れてはいけない。2格は、「誰の?」と所有を表わすためには使うことができず、「誰の」を意味する疑問詞は形容詞軟変化型の「čí」になる。
この「čí」も後ろに来る名詞によって格変化が変わるのだが、実際には1格で使うことが圧倒的に多いので、「čí」以外の形を見かけることはほとんどない。あるとすれば7格で、例えば「Čím autem pojedeme?(誰の車で行きましょうか)」などと使うぐらいだろうか。理論上の2格である「čího」とか、間違いではないのだろうけど自分で使おうと考えると、違和感がありすぎて落ち着かない気分になる。
この手の疑問詞は、文頭で使うのが一般的、というよりは正しいのだが、ときに先生が学生に質問するときや、親しい人相手に強調したいときなどに、あえて文末に持って行くこともある。正しくは「Kdo je ten pán?(あの人、誰?)」というところを、「Ten pán je kdo?」とかね。
また接頭辞をつけた「někdo(誰か)」「nikdo(誰も)」も全く同じ格変化をする。「nikdo」を使った場合には、動詞も必ず否定形になることは忘れてはならない。それにそれぞれ所有を表す形容詞軟変化型の「něčí」と「ničí」も存在する。接尾辞を付けた「kdokoliv(誰でも)」も、前半部分だけを格変化させるから同じグループに入る。
せっかくなので例文をいくつか。
・Nikdo není dokonalý.
(誰も完璧ではない=完璧な人はいない)
・Zeptám se na to někoho.
(それについては誰かに聞いてみます)
・Komu patří toto auto? Nikomu.
(この車誰の?/誰のでもない)
・Pro koho děláte tuto práci? Pro sebe.
(この仕事は誰のためにやっているんですか?/自分のためです)
・O kom mluvíte? Mluvíme o vás.
(誰について話しているの?/お前についてだよ)
・S kým jste přijel do Olomouce? Sám.
(誰と一緒にオロモウツに来たんですか?/一人できました)
続いて何。
1 co
2 čeho
3 čemu
4 co
6 čem
7 čím
格変化形では子音交代を起こして「c」が何子音の「č」に変わってしまう。変化形は7格を除けば、形容詞硬変化が男性名詞につくときの語尾の母音「é」が短母音「e」に変わっただけ。7格が「ým」にならないのは、軟子音「č」の後ろに「y」が来ないからである。このルールを覚えておくと、格変化を覚えるのもかなり楽になる。
もう一つ重要なことは、この「co」は、「kdo」と違って、2格で所有を表わすのにも使えることである。これはものをさす指示代名詞の「ten」が、2格で名詞の後ろで使えるのと同じで、「výsledek toho(その結果)」に対して、「výsledek čeho(何の結果)」という形で質問に使える。「何の」の部分だけが理解できなかったり、知りたかったりしたときには、「čeho?」だけで質問してしまうこともある。
こちらも、「něco(何か)」と「nic(何も)」、「cokoliv(何でも)」を忘れてはいけない。接頭辞「ni」を付けた場合に「nico」にならないのは、「co」の厄介なところである。前置詞でも「pro co」がくっついて「proč」、「za co」がくっついて「zač」になるというのは、別物として理解してもいいけど、覚えておいたほうがいい。
こちらも例文をいくつか。
・Co je to za cirkus!
(このばか騒ぎは何だ?)
・Čeho se bojí? Bojí se tebe.
(あの人は何を怖がっているの?/あんただよ)
・K čemu je dobré pivo? K čemukoli.
(ビールは何にいいの?/何にでもいいよ)
・Za co jsem dostal takovou odměnu? Za věrnost.
(何によってこんな報酬をもらえたのですか?/忠誠によってです)
・V čem je problém? Problém je v tom, že …
(問題はどこにあるんですか?/問題は……ところにあります)
・Čím je zima větší, tím jsem línější.
(寒くなればなるほど、私は怠け者になる)
例文の中にもあるけれども、「co」は疑問以外でも使うことが多い。最後の例文の「Čím」と「tím」に形容詞、副詞の比較級を組み合わせた用法は、うまく使えると素晴らしいと驚かれること請け合いなのだが、どっちが前かわからなくなったり、形容詞、副詞の位置がおかしかったりで、なかなかうまくいかない。この例文が正しいという保証もないし。多分大丈夫だとは思うけど。
それから、覚えておいた方がいいのは、後ろに形容詞副詞の最上級を付けて、「できるだけ」という意味を表わす使い方だろうか。「co největší auto(できるだけ大きな車)」とか「co nejdříve(できるだけ早く)」というのを例に挙げておこう。
また厄介なのは1格で使うときに、述語に名詞ではなく形容詞をつかうと、形容詞は2格にしなければならないことだ。古いチェコ語の文法では2格の用法が現在よりもずっと多かったらしいのだが、その生き残りの一つらしい。だから、久しぶりにあった人に「Co je nového?(何か新しい(私の知らない)ことあった?)」と聞かれるし、レストランでは「Co je dobrého?(何がおいしい?)」と質問される。「je」の代わりに「mít」の変化形を使うこともあるので、4格の場合にも2格になると言えるかもしれない。
2020年2月14日
2020年02月15日
チャペクの児童文学(二月十二日)
カレル・チャペクが日本で高く評価されている分野に、もう一つ児童文学がある。それほど児童文学的な作品が多いというわけではないのだが、とくに『Devatero pohádek』は、中野好夫訳で岩波書店から1952年に刊行され名訳の評判も高かったと聞く。中野訳以後、個々の短編の部分的な翻訳発表はあっても、長らく全訳が刊行されることがなかったのもその事実を裏付ける。
また、単なる翻訳ではなく、絵本作家や、童話作家がチャペクの作品を語りなおす形で作られたものもかなりの数に上る。それらの作家たちの全員が、チャペクのチェコ語の原作を目にしているとも思えず、下手をすると英語訳すら使わず、中野訳をもとにしているものもあるのではないかという疑いさえ持ってしまう。
➀中野好夫訳『長い長いお医者さんの話』(岩波書店、1952)
本の題名として、収録されているお話のひとつの題名を選んだのは、直訳では内容がわかりにくく、魅力に欠けると思われたのだろうか。「長い長いお医者さんの話」はこの作品集の中でも、最も面白いお話で、もう一つの盗賊の息子が主人公のお話と共に、傑作子供向けミュージカル映画「ロトランドとズベイダ」の原作となっている。
この本は、小学校の図書館や、町の図書館の児童室に入っていたと記憶するのだが、なぜか当時は読まなかった。チェコ語を始めた後に、チャペクの作品だということで読んでみて、何で子供のころに読まなかったんだろうと不思議に思ったものだ。小学校では低学年のころから図書室の常連で、あれこれ借り出して読んでいたのだけど。
当時読んだ本で、明確に覚えているのが、いぬいとみこ作の『北極のムーシカミーシカ』と『ながいながいペンギンの話』なのだけど、後者なんて題名からして『長い長いお医者さんの話』を意識しているのは明確なのだから、手を伸ばしていてもおかしくないのだけど、外国の作品を読むのを嫌うようなガキだったのかなあ。
翻訳物の子供向けの作品で読んだのは、高学年に入ってから、子供向けに書き直されたクリスティの推理小説が最初だっただろうか。『ABC殺人事件』は子供向けも、普通の翻訳も読んだことがあるはずだ。いや、その前に、作家の名前も、どこの国のものかも覚えていないが、『少年探偵なんとか』のシリーズを何冊も読んだか。
そのうちの一冊に「コケモモ」というものが出てきて、コケモモのパイだったかな、自分なりに想像して理解していたのだけど、後にコケモモの写真を見て唖然としてしまったのだった。このころ、推理小説もどきを読み始めたころには、いぬいとみこのような完全な子供向けの作品には目を向けなくなっていたから、『長い長いお医者さんの話』にも手を出さなかったのだろうなあ。
中野訳の『長い長いお医者さんの話』は、その後も何度も新版が刊行され、現在でも2000年に改版刊行されたものが入手可能なようである。中野がチャペクの作品を翻訳したのは、1936年に新潮社の『世界名作選』第2巻に寄せた「郵便配達の話」が最初のようだが、この作品も「郵便屋さんの話」と改題して本書に収録されている。
A栗栖茜訳『長い長い郵便屋さんのお話』(海山社、2018)
本のタイトルが別の短編の題名に変わっているが、こちらも全訳であることには変わりはない。訳者の父親である栗栖継訳も、いくつかの短編が、いろいろなアンソロジーに収められているが、意外なことに全訳して一冊にまとめたものはない。
参考
牧ひでを編著『ながいながい話』(ポプラ社、1964)
これはチャペクの作品を、章立てなどを改変して再構成したもののようである。国会図書館の目録でも「訳」ではなく、「著」になっているから、中野訳をもとに著者が書き上げたものかもしれない。
個々の短編の翻訳の中では、千野栄一訳「ソリマンのおひめさま」が注目に値するだろうか。「長い長いお医者さんの話」に登場する病気のお姫さまに焦点を当てて題名が変えられている。確認できる初出は集英社刊の『こどものための世界名作童話』第21巻(1980)。この巻に収録されているのはこの作品だけのようである。
その後90年代に入るとチャペクブームとでも呼ぶべきものが起こって、さまざまな作品が日本語に翻訳されるようになるのだが、その一端を担ったのが、写真入りの『Dášeňka čili život štěněte』である。この作品は、すでに1958年に小松太郎が「ダーシェンカ ある子犬の生いたちのお話」として訳出し、東京創元社の『世界少年少女文学全集』に収録されているが、1981年の小川浩一訳『ダアシェンカ : ある子犬のくらしから』(講談社)を経て、新潮社が1995年に伴田良輔監訳『ダーシェンカ』を刊行したことで、チャペクの犬をめぐる作品に大きな注目が集まるようになった。
伴田訳はチェコ語からではないが、チェコ語からの翻訳である保川亜矢子訳『ダーシェンカ : あるいは小犬の生活』(SEG出版、1996)が出版されただけでなく、石川達夫訳『チャペックの犬と猫のお話』(河出書房新社、1996)や、兄ヨゼフ・チャペク作のいぬいとみこ・井出弘子訳『こいぬとこねこは愉快な仲間 : なかよしのふたりがどんなおもしろいことをしたか』(河出書房新社、1996)などが相次いで刊行された。文庫化されているものも多いので、売行きも悪くはなかったのだろう。
90年代のチャペクブームの出版ラッシュについては、稿を改める。
2020年2月13日19時。
2020年02月14日
プラハ周辺窃盗団(二月十一日)
日本にいたら今日は建国記念日でお休みだったのかあ。あれ、これも史上まれに見る愚策ハッピーマンデーで月曜日に移動するのかな。
それはさておき、チェコ語にサテリットという言葉がある。外来語で日本語のカタカナ英語のサテライトと同じものを語源にしているから、衛星、特に人工衛星を指すのに使われる言葉である。そして日本語で衛星都市と呼ばれる大都市の周辺に成長する都市のこともこの言葉で表す。もちろんチェコなので衛星都市というよりは、衛星村、衛星町の類だが、チェコ的には大都市であるオロモウツの周辺にもいくつかサテリットと呼ばれる村や町がいくつか存在する。
このての町には共通する特徴があって、古い村の外側に新たに造成された住宅地が広がり、本来の村とはまったく違った雰囲気を作り出している。住人の大半は、都市部を拠点に実業家として資産を形成した人たちで、生活の場として都市に近い田舎を選んだということのようだ。そのため無駄に立派な家を建てることが多く、最近はそこまで醜悪なものは減ったけれども、「ポドニカテルスケー・バロコ」と呼ばれる「建築様式」を生み出していた。
これは、バロックの語源にある「歪んだ」という意味から使われ始めたもので、実業家(成金という意味も含まれそう)たちが金にあかせて建てた一見、豪華な、よく見るとなんか変な、ときに醜悪な建物をこの「実業家のバロック」という言葉で呼ぶのである。塔のミニチュアみたいなものが付いている家を見ると、お城に住みたいならお城を買えばいいのになんて思ってしまった。各地に残る小さな城館の中には文化的な価値が薄いのか、打ち捨てられて解体寸前というところも結構あるのだ。
そんなサテリット、衛星住宅地が一番多く形成されているのは、当然プラハの周辺なのだが、昨年来、そんな金持ちの集まる住宅地を狙った泥棒のグループが繰り返しニュースをにぎわしている。このグループは、夜中に泥棒に入るのではなく、日没後の暗くなったばかりの時間に、住人の帰宅していない家を探して庭に忍び込み、誰もいないことを確認すると窓ガラスを割って侵入し金目のものをかき集めてすぐに逃走するらしい。
警察でも警戒を強めて、この手の住宅地でのパトロールを強化しているようだが、ある程度金目のものを手に入れたらすぐに逃走するというスタイルに、後手後手に回っている。警察もすべての衛星住宅地で毎日日没後のパトロールを行えるほど人員が豊富ではないため、地域によっては住民たちが共同で自警団を作って、見知らぬ人が入らないように検問のようなことをしているようだが、これも長期にわたって毎日続けられるようなものでもない。
住民たちは防犯カメラや、警報装置の設置などの対策も進めているようだが、警察の警備、捜査も含めて、犯人たちにつながる手がかりは、ほとんど残されていないようだ。ニュースでは防犯カメラに映った犯人たちの様子も流されたが、それだけで人物を特定できるようなものではなく、今後もしばらくは被害が続くことになりそうだ。救いは空き巣狙いなので、人的な被害が出ていないことぐらいである。
それにしても、昨年のドレスデンでの博物館へ侵入した泥棒もそうだけど、窓ガラスを叩き割って侵入して短時間に集められるものだけを集めて逃走するという、何の芸のない犯行のほうが捕まりにくいのだな。防犯対策が進んでも、こういう原始的な犯罪にはなかなか有効な手が打てないようだ。落とし穴のような罠でも仕掛けて捕らえるというのはどうだろうなんてことを考えてしまった。
盗まれたことも気づかせないような芸術的な泥棒というのは、池波正太郎や半村良の江戸物に登場するだけで、現実的ではないのだろう。盗まれたことに気づかないからニュースにならないという可能性もあるか。その意味では制度を上手く利用して国家から盗む政治家が一番の芸術的泥棒というのは古今東西変わらない。うーん。うまく落ちなかった。
2020年2月12日18時30分。
2020年02月13日
プラハで暗躍する北朝鮮(二月十日)
チェコは現在でも北朝鮮との外交関係を維持している。そのため、プラハには北朝鮮の大使館があるのだが、その大使館に勤務する名目上は外交官たちがプラハやチェコ各地で経済制裁を潜り抜けて本国へいろいろなものを送るために活動をしているらしい。その活動が発覚するたびに、担当した外交官が国外退去処分を受けて本国へ送還され、ここ数年だけでも10人以上の数にのぼるという。
北朝鮮が、チェコで、チェコの大使館を通じて求めているのは、一つには武器、武器とは言っても最新の武器ではなく、北朝鮮では今でも現役で使われている旧ソ連時代の、1940年代に生産が始まった戦車用の部品や、1960年代から70年代にかけて当時のチェコスロバキアが北朝鮮に輸出した戦闘機のパイロットの訓練に使用する練習機の交換部品が中心らしい。経済制裁のおかげで、古いものをだましだまし使用するしかない状況に追い詰められているようだ。
他にもドローンや、国家元首に対する贈り物になる贅沢品を求めているらしいが、軍需物資だけでなくこれらの品物も経済制裁の禁輸の対象になっている。それでも、以前ドイツ製のリムジンが北朝鮮にあることが世界を驚かせたように、制裁をかいくぐっての北朝鮮への密輸は続いているようだ。ニュースではアメリカの情報機関の分析として、第三国を経由した密輸品は最終的には韓国からロシアに向かう船に乗せられ、航路の途中で船のGPSの装置を切って所在不明にすることで、北朝鮮に運び込まれるという調査結果を伝えていた。その密輸網の一部としてプラハにある北朝鮮大使館が機能しているのである。
当然チェコ政府もその事実は確認しており、情報部が常に監視下において密輸を防いでいるらしいのだが、最近も一億コルナ以上の軍需物資などの密輸計画を阻止したという。チェコもかつての共産圏でソ連製の戦車を使っていたこともあって、装備の世代交代で不要になった戦車が解体されて売りに出されることがあるらしい。それで、戦車だけでなく練習機の部品も、すでに払い下げを受けた業者が販売しているものを購入して北朝鮮に送る計画だったようだ。
直接大使館が購入することも、北朝鮮に送ることも不可能なので、ダミーの会社を通して購入し、今回は一度エチオピアに輸出し、さらに隣国を経由してアジアへ発送する計画だったと、この件を報道した雑誌の記者がテレビで語っていた。エチオピアから先は取引が阻止されたために、どういうルートになるのか明らかになっていないようだ。最終的には韓国から北朝鮮というルートではあろうけれども。
チェコテレビではチェコの情報部の人が、チェコで活発に活動しているロシアや中国などの情報部が政治家や企業家に取り入ってチェコに影響を与えたり、情報を引き出したりしようとしているのと違って、北朝鮮は買い物に汲々としていると語っていた。しかも以前と違って、豊富な資金を使って何でも買い放題という状況にはないようだ。抜け道の多い経済制裁ではあるけれども、こんなところにも効果がでているということだろうか。
実はチェコには、過去に北朝鮮の経済制裁破りの密輸の舞台になったというか、密輸に手を貸した過去があるのである。1999年というからナトー加盟前のことになるだろうか。カザフスタンから北朝鮮に旧ソ連製の戦闘機ミグ、たしか21が大量に輸出され、世界中の耳目を集めたことがある。日本で話題になったかどうかは覚えていないのだが、このとき仲介したのが、チェコのリベレツにあった会社だった。
当時も北朝鮮への武器の輸出は禁止されていたからカザフスタンが直接北朝鮮に販売することはできなかった。それで、空軍の装備の更新で不要になった戦闘機を民間企業に払い下げたという体裁をとった。その民間企業がチェコの会社で、書類上は戦闘機ではないものにした上で北朝鮮に輸出したらしい。
その取引の途中で発覚して世界中の注目を集めたため、何回目かの納入の祭には、途中で給油のために輸送機を降ろしたアゼルバイジャンで軍によって差し押さえされたという。最終的にはロシアの圧力で差し押さえが解除され、カザフスタンがチェコ企業に払い下げた戦闘機はすべて北朝鮮に納入されることになった。
この件で、リベレツの企業にかかわっていた二人のチェコ人が、起訴され裁判が行われていた。それが延々と続いている間に、クラウス大統領が任期の終わりの最後っ屁のように放った恩赦令で起訴が停止され裁判も中止になるはずだった。それがこの二人が恩赦を受けると自分たちの無罪を証明できなくなると裁判の継続を求めたことで話がややこしくなった。
恩赦は出ているので有罪判決が出てもなかったことにされるという意味不明な裁判で、裁判官もやる気がなかったのか、最終的にはリベレツの会社で行なわれた北朝鮮への密輸が犯罪であることは明らかだが、それを実行したのが起訴された二人かどうかわからないという、これまた意味不明の判決が下りたようだ。ニュースを見た限りでは、有罪だったのか無罪だったのかさえわからなかった。
北朝鮮がいくら出したかは知らないけど、そのうちの何割かは政治家の手に渡っているのだろうなあ。拝金主義が蔓延していた時代だしね。今は北朝鮮に協力して武器などを密輸するなんてことはないと信じたい。
2020年2月11日24時。
2020年02月12日
サッカーリーグ再開近し(二月九日)
夏のオフシーズンよりも長いのが、チェコのサッカーリーグの冬休みだが、昨年からリーグの開催方式が変わった結果、半月ほど冬休みが短くなり、2月中旬の週末から春の部が再開される。シーズンの後半戦ということなのだが、冬休み中の選手の移籍で、前半戦とはまったく違うチームになることもままある。リーグ再開の前に、話題を呼んだ移籍をいくつか紹介しておく。
ほぼ優勝が確定したといってもいいスラビアからは、チームの中心選手が3人、移籍した。一人目は、今年は出場機会を減らしていたが、スラビアの低迷期の攻撃を支え、2年程前には中国移籍が決定的だとも報じられたシュコダ。トルコへ移籍した。今回はクラブも、功労者の移籍を邪魔することなく、できるだけいい条件で移籍できるように尽力していたようである。
その結果、移籍直後から、ゴールを決めるなどの活躍を見せている。これはトルコリーグがチェコリーグより下と言うわけではない。今のスラビアのとにかく運動量の多いサッカーにベテランのシュコダが合わなくなった結果、移籍が認められたのであって、チェコリーグでもスラビア以外のチームであれば、まだまだ十分以上に活躍できたはずである。だからこそ、国内ではなく国外に移籍先を探したということもできる。
同じく今のスラビアの戦術に合わなくなったフシュバウエルも、ドイツ2部のドレスデンに移籍した。こっちはレンタル移籍かな。スパルタとスラビアの両チームで中心選手として活躍し、両チームでリーグ優勝を経験している。一度、スパルタからイタリアに移籍したものの泣かず飛ばずで、スパルタに戻った後、スラビアに禁断の移籍をした選手である。スパルタを出されたときには、ファンからも不要な選手、もう終わった選手扱いをされていたのだが、見事に復活を遂げた。
この二人は、ベテランがキャリアの晩年に国外移籍というチェコではよくあるパターンの移籍だが、現在チェコ最高の現役サッカー選手だとみなされているトマーシュ・ソウチェクがついに国外移籍を決めた。行き先は最近鬼門のイングランド。チームはウエストハムだから、最近まで刑務所に入っていて労役としてパン屋でパンを焼いていたトマーシュ・ジェプカが活躍したチームである。チェコ人が活躍した前例があるのはちょっと期待できる。すでにリーグ戦にも出場したようだ。
ソウチェクは、スラビアではなかなかAチームに上がれず、レンタルで出された2部のジシコフで今のスラビア監督のト
スラビアOBのシュミツルは、ソウチェクの次に化けるスラビアの選手について聞かれて、昨年のヨーロッパリーグのチェルシー戦であわやハットトリックの大活躍をしたシェフチークの名前を挙げていた。シェフチークもリベレツからスラビアに移籍したのだが、もともとはオロモウツ育ちなので、スラビア育ちのソウチェクよりも応援しているのだけど、なかなか化けてくれない。
そのオロモウツから、スラビアが秋にリーグデビューを果たしたばかりのセンター・バック、ジマを獲得した。去年の夏にデリとヌガデウという二人のアフリカ人選手を失って以来、クーデラとか代わりのディフェンスの選手も頑張っていたけど、アフリカ選手二人の安定感はなかった。それで将来性豊かな若手選手を育てようということなのだろう。ジマにとっても、チェルシーに買い取られたものの、なかなか出番がもらえず、レンタルでたらい回しにされて普通の選手になってしまったカラスの二の舞を避けるという意味でもいい移籍になるのではないかと思う。心配はオロモウツのディフェンスである。
さて、監督のブルバをブルガリアに送り出したプルゼニュだが、ここ数年攻撃の中心だったクルメンチークをベルギーのブリュージュに移籍させた。確か去年も国外への移籍が確実視されていながら、具体的な移籍話が出る前に怪我で立ち消えになったと記憶する。監督交代もあったし、いいタイミングではあったのだろう。メンバーが固定されすぎている嫌いがあったし。国外への移籍を許可したのは功労者に対するご褒美の意味もあるようだ。
そのクルメンチークと得点王を争ってきたムラダー・ボレスラフのコムリチェンコも、母国のロシアのディナモ・モスクワに移籍した。スラビアやスパルタへの移籍もうわさされていたのだが、結局ロシアに戻ることになった。スラビア移籍に関しては、古典的な点取り屋のコムリチェンコは今のスラビアのプレースタイルには合わないだろうという評価も多かった。
最後にチェコ的な移籍のごたごたを挙げておこう。スパルタのマルティン・ハシェクがチームともめている。シーズン再開前のスペインキャンプへの出発を拒否し、国外移籍を求めてごねたようだ。この時点では具体的なオファーはなかったようだが、最終的にイスラエルのハイファからオファーがあって、チーム同士の移籍金の交渉はまとまったものの、何を考えたのかハシェク本人がイスラエルまで出向いておきながらこの話を蹴ったらしい。一説には給料が安すぎるのが気に食わなかったのだとか。チェコレベルでもそこまで特別に優秀な選手と言うわけでもないのに、思い上がりも甚だしい。スペインへの出発を拒否した時点でBチームに降格されたいたが、今後もAチームにあがってくることはあるまい。自業自得としか言いようはない。チェコ人だなあ。
他にもいろいろ出入りはあるのだろうけど、そんな細かいところまでは追いかけていられないので、今日はこの辺でおしまい。
2020年2月10日24時。
スラビアの監督の名前を間違えて覚えていたので修正。
2020年02月11日
所有代名詞2(二月八日)
所有代名詞の二つ目のグループは、一人称複数の「náš」と二人称複数「váš」のである。あれこれ言っても仕方がないので、まずは「náš」を例に単数の格変化を挙げておく。
男性
1 náš
2 našeho
3 našemu
4 našeho(活) náš(不活)
5 náš
6 našem
7 naším
形容詞の硬変化に似ているが、語尾の母音「e」が長母音ではなく短母音であるところが違う。また、7格は軟変化と同じ形となる。これは軟子音「š」の後には、いわゆる「硬いY」が使えないことによる。
女性
1 naše
2 naší
3 naší
4 naši
5 naše
6 naší
7 naší
1格と5格以外は、人称代名詞三人称単数の「ona」と同じ。4格だけ短母音「i」で、ほかはすべて長母音「í」になると覚えてもいい。
中性
1 naše
2 našeho
3 našemu
4 naše
5 naše
6 našem
7 naším
中性は、1格と、必ず1格と同じ形になる4格、5格以外は、男性名詞不活動体とまったく同じ。
複数の格変化は、3性共通の形が多いのでまとめて示す。
1 naši(活)naše(不活・女・中)
2 našich
3 našim
4 naše
5 naši(活)naše(不活・女・中)
6 našich
7 našimi
男性活動体の1格と5格が違うだけで、ほかはすべて3性共通。共通部分は、形容詞の軟変化の複数に似ているが、語尾の母音が長母音「í」ではなく、短母音「i」であるところが違う。繰り返しになるが、こういう微妙な違いというのが覚える側にとっては厄介極まりない。
その点、三人称の所有代名詞は、変化自体は覚えやすい。単数の男性「on」、中性「ono」の所有形はどちらも「jeho」で、後に来る名詞の性、単複を問わず、すべて同じ形をとる。つまり格変化させても形はまったく変わらない。注意すべきこととしては、三人称の人称代名詞単数の男性、中性の格変化に登場する「jeho」と混同しやすいことだろうか。人称代名詞のほうは、前置詞とともに使うと「n」を前につけて、「u něho」などとする必要があるが、所有代名詞のほうは、「u jeho auta」のように、そのままである。
女性の「ona」から作られる所有代名詞は「její」で、長母音「í」で終わることからもわかるように、形容詞軟変化と全く同じ格変化をする。形容詞の格変化についてはこことここを参照。
複数は三性共通で「jejich」となるが、これも不変化で後ろに来る名詞が、どんなもので、どんな格であっても形は変わらない。注意点は、「i」が短母音であること。ここを長母音にすると、「jejích」となり、これは「její」の複数2格の形である。変化したりしなかったり、これもチェコ語である。
最後に例外を指摘しておくと、最初に人称代名詞の2格を名詞の後ろにおいて所有をあらわすことはできないと書いたが、一単語ではなく「my všichni(私たち全員)」「vy všichni(皆さん全員)」のような二つの言葉の組み合わせの場合には、使えなくもない。「doba nás všech(私たちみんなの時代)」「názor vás všech(皆さん全員の意見)」なんて、全員を強調する使い方がなくはない。ただ普通は「naše doba」「váš názor」とするのが普通である。しかも、これが「všichni」以外の言葉との組み合わせで使えるかどうかも不明なので、自分では使えないでいる。
これで、代名詞関係の格変化はすべて説明したかなと思ったのだけど、疑問詞の「kdo」「co」について格変化表を示してないかもしれない。これ覚えとくと楽だと書いた記憶はあるのだが、格変化について説明したかどうか、自信がない。重なり覚悟で、次は疑問の代名詞について書くことにしよう。ただし、関係代名詞としての使い方については、別に記事を立てる。
2020年2月9日24時。
2020年02月10日
所有代名詞1(二月七日)
この題名に使った言葉が正しいのかどうか確信はないが、「私の」「私たちの」などの、人称代名詞の所有を表す形である。以前、どなたかが、人称代名詞の格変化を覚えて、「私の」は、「já」を2格にして名詞の後に持っていけばいいと思ったら……なんてコメントを残されていたが、誰しも通る道である。
名詞であれば、名詞だけでなくて名詞に形容詞が付いたものであっても、2格にして後に持っていくことで、所有を表すことができる。しかし、代名詞、代名詞の中でも人称代名詞に限っては、2格で所有を表すことはできないのである。その代わりに、人称代名詞の所有形とでも言うべきもの、所有代名詞を使う。
日本語の「私の」などのように、名詞の前で使うので、後からかける2格よりもわかりやすいのだが、当然後に来る名詞の性や、単複、格によって形を変えるし、三人称の場合には、所有する人の性によって形や格変化が変わる。チェコ語なので厄介なのは当然と言えば当然なのである。覚えるのは簡単でも、実際に使うのは難しいのとかいくらでもあるしね。たいていはどちらも難しいから、どちらかだけでも簡単なのは喜ぶべきことである。
さて、この所有代名詞は、3つのグループに分けて、格変化を覚える必要がある。一つ目は、一人称単数と二人称単数、それに再帰代名詞からつくる「můj」「tvůj」「svůj」である。これは男性名詞単数の1格につける形だが、一部の例外を除いて形容詞硬変化と同じ格変化をする。二つ目は。一人称複数、二人称複数の「náš」「váš」で、人称代名詞の2格「nás」「vás」と似ているので注意が必要。格変化は形容詞的だが、ちょっと違う。最後は三人称のもので、これはもう個別に見ていくしかない。無変化のものもあるし。
一つ目のグループで気をつけないといけないのは、単複の1格と、1格と同じ形をとる格である。単数1格は男性「můj」「tvůj」「svůj」、女性「má/moje」「tvá/tvoje」「svá/svoje」、中性が「mé/moje」「tvé/tvoje」「své/svoje」となる。二つの形のある女性と中性は、「oje」で終わる後者を使うのが一般的だが、前者を使うと格変化が形容詞とまったく同じになるという利点がある。
すべて並べても煩雑なので、「můj」を例にして単数の格変化を上げておく。
まずは男性から。
1 můj
2 mého
3 mému
4 mého(活)/můj(不活)
5 můj
6 mém
7 mým
4格は、活動体は2格と同じで、不活動体は1格と同じという名詞、形容詞に共通するルールがここでも適用される。5格が1格と同じなのは、性も単複も問わない形容詞型の格変化をするものに共通の特徴である。
女性は
1 má/moje
2 mé
3 mé
4 mou/moji
5 má/moje
6 mé
7 mou
4格に二つの形があるのが例外的。これも、女性名詞の軟変化の「e」で終わるものを思い浮かべれば、4格が「i」で終わるのは覚えやすい。
中性は、
1 mé/moje
2 mého
3 mému
4 mé/moje
5 mé/moje
6 mém
7 mým
1格と同じ形になる4格、5格を除けば、完全に男性の格変化と同じ。
複数も1格がやっかいで、男性は活動体「mí/mojí」「tví/tvojí」「sví/svojí」、不活動体「mé/moje」「tvé/tvoje」「své/svoje」、女性「mé/moje」「tvé/tvoje」「své/svoje」、中性「má/moje」「tvá/tvoje」「svá/svoje」となる。
今度は二人称を例にしてみる。
男性
1 tví/tvojí(活)tvé/tvoje(不活)
2 tvých
3 tvým
4 tvé/tvoje
5 tví/tvojí(活)tvé/tvoje(不活)
6 tvých
7 tvými
女性
1 tvé/tvoje
2 tvých
3 tvým
4 tvé/tvoje
5 tvé/tvoje
6 tvých
7 tvými
中性
1 tvá/tvoje
2 tvých
3 tvým
4 tvá/tvoje
5 tvá/tvoje
6 tvých
7 tvými
複数は、1格、4格、5格で長い形も使える以外は、形容詞の硬変化とまったく同じ。同じなら完全に同じだと楽なのだが、部分的に違うところがあるのが、外国人に対する嫌がらせに思えなくもない。自然とそうなったものなのだろうけど、文章語としてのチェコ語の正字法が決められたときに、覚えやすさに配慮なんてことはしなかったのかなあ。今後も、標準チェコ語と呼ばれるプラハ方言の要素が入ってきてますます規則性が乱れていくんだろうなあ、なんて悲観的なことを考えてしまう。
長くなったので、手抜きっぽいけど今日はここでおしまい。
2020年2月8日24時。