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2020年02月05日
カレルチャペクの小説1(二月二日)
頑張って続ける。カレル・チャペクの小説の中で、戦前日本語に翻訳されたものは、短編が一つ二つあるだけである。一つ目は、近代社が刊行していた『世界短篇小説大系』(1925)の「小国現代短篇集」に収録された「足跡」である。この本の特徴は国名が「チェッコスロワキァ」となっていることで、当時まだカタカナ表記に揺れがあったことが見て取れる。訳者は工藤信となっている。
同じ作品が翌年、新潮社が刊行した『世界小説集』(1926)にも収録されているが、国会図書館の目録には訳者の表記がない。この書物が「年刊」で「1926年版」と銘打たれているところを見ると、前年に発表された翻訳小説を集成したものとも考えられるので、こちらも工藤信の訳である可能性もある。国名表記はさらに迷走して、「チェック・スロワ゛キア」。
問題は、この作品が何の翻訳なのかだが、1929年に発表された『Povídky z jedné kapsy』に収録されている「Šlépěje」のようである。ただし、1917年発表の『Boží muka』の一篇「Šlépěj」の可能性もある。本全体の翻訳出版は、前者は戦後、後者はビロード革命後を待たなければならないのだが、短編がすでに1920年代の半ばに日本語に翻訳されていたことは、注目に値する。
もう一つ、国会図書館の目録で確認できる戦前の翻訳は、なぜか俳句雑誌に載っている。俳誌「層雲」といえば、自由律俳句の立役者であった荻原井泉水の主催した雑誌であるが、この雑誌の昭和25年5月に発売された30巻1号に「影」という作品がチャペクのものとして収録されている。翻訳者は山郊汀となっている。俳人だと思われるが、詳細は不明。不明といえばこの作品の原典もよくわからない。俳誌だから小説ではなく随筆だろうか。
ということで、原典がはっきりしている小説の翻訳は、『Válka s mloky』(1937)が最初ということになる。『R.U.R.』と同様に、人間に奉仕させられていた存在が、人間に対して反乱をおこし人間を滅亡に追い込むというモチーフは、SF的に高く評価されたのか、SF関係の出版社からの刊行が目立つ。
➀樹下節訳『山椒魚戦争』(世界文化社、1956)
最初の翻訳は、SFではなく、左翼系の文化人によるものとなっている。ソ連、東欧圏の文学の紹介者の例にもれず樹下節も共産党関係者である。チェコ語ではなく、ロシア語版からの翻訳と思われる。その後、1956年に左翼系の三一書房から三一新書の一冊として刊行され、1966年には、角川文庫にも収録されている。
A松谷健二訳『山椒魚戦争』(創元推理文庫、東京創元新社、1968)
SFの世界では、「ペリー・ローダン」シリーズの翻訳者として、学問の世界では北欧文学の研究者として知られる松谷健二がチャペクの作品を訳していたのは知らなかった。おそらくドイツ語からの翻訳であろう。プラハの春に関係する本の翻訳もしているから意外というほどでもないのかな。松谷健二は、何人もの作家が共同で執筆している「ペリー・ローダン」の翻訳を一人で担当して二ヶ月に一冊以上のペースで刊行し続けたことかもわかるとおり、翻訳のスピードがとんでもなかったらしい。「ペリー・ローダン」シリーズをつまみ読みしたときに「ヴルチェク」という明らかにチェコ系の名字の作家を発見して喜んでしまったことがある。
➂栗栖継訳「山椒魚戦争」(『世界SF全集』第9巻、 早川書房、1970)
この栗栖訳が日本語で一番長く、そしてたくさん読まれた『山椒魚戦争』ということになるのだろう。『世界SF全集』では、ソ連の作家エレンブルグとともに収録されていたが、1974年にはハヤカワSFシリーズの一冊として単行本化された。その後、1978年には岩波文庫に収録、ビロード革命後の1992年の岩波文庫の新版を経て、1998年に早川に戻ってハヤカワ文庫に収められた。訳者の後書きなどによると、新しい版が出るたびに翻訳に手を加えていたという。買って読んだのは最後のハヤカワ文庫版だったろうか。チェコ語の勉強を始めた90年代の後半には岩波文庫版はすでに書店から姿を消していたと思う。最近重版されたようだけど。
C栗栖茜訳『サンショウウオ戦争』(海山社、2017)
最新の翻訳ということになるが、表記をカタカナにしたのはなぜだろう。子供も読めるようにという配慮なのだろうか。カタカナにすると学名っぽくなってちょっと違和感があるかな。
以上が全訳なのだが、抄訳や、再話と思われるものも存在している。
D小林恭二・大森望訳『山椒魚戦争』(地球人ライブラリー、小学館、1994)
いや、漫画や学習書の出版が中心だった小学館が、突如この翻訳を中心とした「地球人ライブラリー」を刊行し始めたときには驚いたし、その一冊としてチャペクの『山椒魚戦争』が刊行されることを知ったときには大いに期待したのである。初めてのチェコから戻って一年ぐらい後だったし。ただ出版されたものを手に取って、それが全訳でなく、しかも訳者が……ということで、買うのはやめた。小林恭二は俳句短歌関係の仕事は悪くないと思うのだけど……。大森望が絶賛している本で面白いと思った本は少ないし……。まあ、そういうことである。
子供向けの再話だと思われるのが、『少年少女世界の名作』32(小学館、1973)に収められた「さんしょう魚戦争」である。森いたるという人が文章を担当しているが詳細はわからない。
この『山椒魚戦争』は、児童書を除けば一番読まれたチャペク作品ということになりそうである。
2020年2月3日20時。