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2017年03月21日

悪しきもの北より(三月十八日)



 モラビアの真ん中で国境からかなり離れているオロモウツ辺りだと、そんなに感じられないのだが、モラビアの北部、オロモウツ地方でもイェセニークの辺りだとか、旧シレジアにあたる地域だと、よくないものは、たいてい北から、つまりはポーランドからやってくると感じている人が多そうだ。歴史的に見れば、1938年のミュンヘン協定の際に、国境を越えて攻撃してきたのも、1968年のプラハの春のときにソ連軍と一緒に「解放」のために現れたのも、北のポーランドの軍隊であった。
 最近もサルモネラ菌に汚染された卵や賞味期限の切れた肉がポーランドから輸入されていたなんて話もあるし、雪が降ったときに雪を溶かすために道路に撒く工業用の塩を使って生産した加工食品が輸入されたなんてこともあった。それにストゥデーンカの鉄道事故を起こしたトラックの運転手もポーランド人だった。
 だから、ポーランドとの国境近くでメチルアルコール中毒で亡くなる人が出たときに、真っ先に疑われたのはポーランドから密輸された酒ではないかということだった。その後ポーランドでも犠牲者が出たことで決まりかと思われたのだが、実は犯人はズリーンの酒の密売組織だった。

 とまれ、サッカーの世界でも悪いものが北からやってくる。チェコ最悪のファンを誇るバニーク・オストラバだが、このチームがライバルチームと試合をするときには、ポーランドから援軍が押し寄せてくるのだ。カトビツェのチームとファン同士のあいだで同盟関係にあるらしく、ポーランドでサッカーの観戦を禁止されている連中が、スタジアムで暴れるために、バニークファンに扮してチェコにまでやってくるわけだ。逆もあるのかもしれないが、オストラバのファンがポーランドで暴れたという話は聞かない。多分、あっちの方が暴れたファンに対する処罰が厳しいのだろう。
 現在二部にいるバニーク・オストラバとオパバの試合が、今日の午後行なわれた。歴史のあるチェコ側のシレジアの首都であったオパバと、モラビアとの国境地帯に石炭の採掘のために建設された新しい工業都市オストラバのファンたちの間には、強烈なライバル意識があるらしい。ここ数年は所属するリーグが違ったのだが、バニークが二部に落ちたことで対戦が実現し、秋のオストラバでの試合でもあれこれ問題を起こしていた。

 今回は、オパバでの試合で、ラジオでは朝から、警察がオパバに特別の部隊を派遣して警戒態勢に当たっているとか、ファンが暴れる可能性が高いから、スタジアムには近づくなとか報じていた。試合自体は特に問題もなく終わったのだが、試合以外のところでさまざまな問題を残してオストラバに帰っていった。オパバの人にとっては災いは北からだけでなく東からも来るのか。
 オストラバのファンたちの多くはオストラバから鉄道でオパバに向かったらしい。鉄道の車両の被害については今更コメントするまでもあるまい。駅についてやつらが最初にやったのは、ホームから線路に向けての放尿だった。
 そして警察に包囲されてスタジアムに近づきオパバのファンの姿を認めると、発炎筒をたいたり爆竹を持ち出して投げ始めたりしたらしい。警察はこの連中をスタジアムに入れないことに決め、隣の公園に押し戻したのだけど、その際に押し合いになって、また火薬の存在もあって、警察側にもファン側にも多くのけが人が出たようだ。話によると、ズリーンから出動した馬の部隊のうちの一頭が、顔に爆竹を投げつけられ怪我をしたともいう。
(※このとき、オストラバのファンの多くは入場券を持っておらず、スタジアムに入れないことはわかった上で暴れるためにオパバまで出かけたらしい。騒ぎに加わらずにサッカーを観戦したオストラバのファンは30人ほどだったという。3月20日追記)
 結局、50人以上のファンが逮捕され、残りの連中は、スタジアムで試合を見ることなく、オパバからオストラバに向かう電車に押し込まれて帰宅の途についた。今回オパバに出向いたオストラバのファンの全員が全員、過激な暴力集団というわけでもないのだろうけど、こういうのを見た上でサッカーを見に行きたいと考える人はあまりいるまい。

 バニークはここ数年財政上の問題で存続の危機を言われているのだが、いっそのこと一度倒産させてしまった方がいいのではないだろうか。その上で、ボヘミアンズのように、本当のサッカー好きのファンの手で新しいクラブとして再建することができたら、ファンとは名ばかりの、暴れたいだけの連中を排除できそうな気がする。連中がクラブの再建に協力するとも思えないし、これまでのクラブとファン集団の関係を一度断ち切ることになるので、チケット販売の際に身分証明書の提示を求めるなんていう制度の導入も可能になると思うのだけど。

 公平を期すために、暴れたのがオストラバのファンだけではなかったことは記しておいたほうがよさそうだ。オストラバのファンがスタジアムに向かいそうな道で待ちうけ、住宅の塀を破壊するなどしていたようだ。シレジアダービーと言われるだけあって、ライバル意識が強すぎるのである。
 そして、オストラバ側にもオパバ側にもポーランドから出張してきた連中がかなりの数いて乱行の中心となっていたらしい。やはり災いは北からやってくるのである。
3月19日18時。

 日曜日の朝、ポーランドからやってきたファンが酔っ払って鉄道の線路を歩いていて、電車に轢かれて亡くなったらしい。オパバ側の応援できたらしいけれども、オパバのファンではなく、ファン同士が協定を結んでいるポーランドのチームのファンらしい。こういうファン同士の結びつきがあるのも、このポーランドとの国境地帯のサッカー界の宿痾である。



2017年03月20日

スパルタ迷走(三月十七日)



 去年の秋に、監督をウフリンから、シルハビーに交代させたことで、不調を脱した中華スラビアは、以来快調に勝ち続けている。中国行きが必至だと言われ、試合にも出ていなかったシュコダが、監督交代と時期を同じくして残留が確定したのも、一気に調子を上げたのに一役買っているようだ。プルゼニュが、春になっていまひとつ調子が上がらないこともあって、このまま行けば、スラビアが久しぶりに優勝ということになりそうである。

 一方、同じプラハのライバルチーム、スパルタのほうは、悪循環に陥っている。怪我人続出で結果も出ない最悪の状況からホロウベクという予想外の暫定監督を持ってくることで抜け出したのだけど、春のシーズンの最初の試合でつまずいて以来、低空飛行を続けている。原因の一つは、秋のコーチ陣に、ポジャールという名目上の監督を乗っけて、船頭多くして船山に登る状態にしてしまったことだろうか。
 第二十節でムラダー・ボレスラフにいいところなく負けてしまい、チェコリーグでも春二敗目となったところで、ホロウベクはAチームの監督から解任され、元の職場である下の世代のチームの監督に戻った。若手監督というのは、チームの状態がいいときは問題なくても、状態が悪くなったのを立て直すことができずに解任されることが多いのだけど、ホロウベクも同じだった。ベテランのラファタが監督交代を経営陣に申し出たなんて話もあって、若すぎる監督とベテランの間に何かしら確執があったのかもしれない。今のスパルタは無駄にベテランが多いし。
 スラビアの監督に就任したシルハビーが、大枚はたいて購入したファン・ケッセルの調子が上がらず、チームに合わないとわかると、すぐに先発の座を奪って、冬の移籍期間にポーランドにレンタルで出してしまったのに対して、スパルタは不満分子と化していたコナテーをチームに復帰させた。これが誰の決断かはわからないけど、これもスパルタ迷走の一端を表しているのだろう。

 監督交代の噂はロストフに惨敗したあたりからあったし、元代表監督のブルバや、チェコを離れポーランドで監督をやっていたラータルなんかの名前が挙がっていた。だから、新しい監督が就任したこと自体には驚きは全くない。ないのだけど、人選が何故にというしかないものであるところに今のスパルタのおかれた状況が如実に表れている。
 だって、スパルタの新監督ってラダなんだよ。見出しを見たときには我が目を疑った。スパルタの監督選びって、どうしてこう場当たり的なのかね。シーズン終了まで今の体制で我慢して、ライセンスを取ったホロウベクに任せるのが規定路線かと思っていたのだけど、違ったようだ。ポジャールが名目上の監督の座に座ったのも、監督探しの責任者で、適任者を見つけられなかったから責任を取ったという話もあったなあ。
 ラダといえば、あのブリュックネルの後に代表の監督に就任して散々な結果、選手層を考えても期待はずれの結果しか残せなかった監督である。今シーズンは、途中から最下位に沈むプシーブラムの監督に就任したけど、成績は向上せずに、冬の中断期間に減給の要求を断って契約解除したらしい。そんな監督に今のスパルタを立て直せるのかね。

 そして金曜日の試合では……。これなら監督変えなかった方がましだった。相手は今季好調とはいえ春に入って調子の上がらないズリーンだったのに、負けなくてよかったレベルの試合をやらかしてしまったらしい。これまではホームでの試合は苦戦しながらも何とか勝ってきたのに、一点も取れずに引き分けに終わってしまった。
 後半残り20分ぐらいでズリーン側に退場者が出たが、スパルタ側もバーハとマズフは二枚目のイエローが出てもおかしくない、いや二枚目を出すべき反則をしており、審判もスパルタに配慮したみたいなんだけねえ。まあズリーンには得点できないという問題があるのでスパルタ側に退場者が出ても、引き分けに終わっていた可能性は高いのだけど。

 試合中にフロントに対する抗議と称してもっともコアなファンたちが客席を後にするという挙に出たらしいし、今後もしばらくは迷走が続きそうである。次節はスラビアとのプラハダービーなんだけど、間に代表戦の休みが入るから、多少は立て直せるだろうか。このままだとスラビアがあっさり勝ちそうな感じである。
 もし、スパルタのフロントが本気でチャンピオンズリーグでの活躍を希望しているのなら、選手にしても、監督にしてももう少し考えた補強をするべきだろう。今の中途半端なベテランを集めたチームでは、よほどの幸運に恵まれない限り無理そうである。
3月18日23時。


 こんなことを書いたせいか、中華スラビアがリベレツと引き分け、カルビナーに劇的な勝利を収めたプルゼニュが勝ち点一の差で首位に立った。ただし、不安定なプルゼニュがこのまま勝ち続けられるとは思えない。3月19日追記。

2017年03月19日

カタカナの罪(三月十六日)



 ちょっとチェコ人の前であれこれしゃべらされる機会があったので、準備せずにしゃべれること、あまり考えなくても口から出まかせでしゃべれることということで、日本人の変なチェコ語について、いや正確には自分の変なチェコ語についてくっちゃべって来た。
 このブログにも散々書き散らしているチェコ語の発音の難しいところ、文法的に理解できないところに対する憤懣を、思いつく先から口に出していたら予定の時間が過ぎていたという感じである。なんだかんだで90分近くくっちゃべったかな。それでも、まだまだ言いそびれてしまったことはいくつもあるのだ。チェコ語ってものも業が深いねえ。

 さて、今までチェコ語の発音自体の難しさについて、ルールの難解さについては書いてきたけれども、これは日本人に限った問題ではない。日本人独特の問題があるとすれば、それはカタカナ表記である。チェコ語に限らず語学の教科書には必ずと言っていいほど、アルファベットの上にカタカナ表記で読み方が書かれている。一見便利なそのカタカナでの発音表記が、日本人が外国語の発音があまりうまくならない原因の一つになっている。
 最近は、チェコ語の教科書なんかを見ても、それぞれに工夫を凝らして、RとLをひらがなとカタカナで書き分けるなんてこともしているのだけど、ついついそのまま日本語風の発音で読んでしまうというのが実情であろう。かつてドイツ語のゲーテを「ギョエテ」と書いていたのも、普通の「ゲー」ではないことを示そうとした苦心の表記なのだろうけど、ドイツ語の発音ではなくカタカナで書かれたとおりに呼んでしまうのは当然である。

 Vだって、最近は日本語の文章中に氾濫しているせいで、ヴァヴィヴヴェヴォと書かれていても、ほとんど自動的にBで読んでしまうことが多いのではなかろうか。日本語で書かれた文章でヴァをバで読んでしまえば、語学のテキストを使っているときでも、気を抜くとヴァがバになってしまうのは仕方がない気がする。
 中学時代に初めて使った英語の教科書には、単語の後に発音記号が付けられていた。あれのおかげで発音が正しくできるようになったとは言わないが、カタカナで書くと同じになる音でも、発音記号の違いで別な音であることが意識できていたような気がする。そのおかげで、正しいかどうかはともかく、カタカナでは書けない発音をしていたんじゃなかったか。それとも、役に立ったのは、テストの発音の問題だけだったかな。耳で聞いてもわからなくても、発音記号を覚えていれば点は取れたのだ。

 チェコ語でカタカナのせいで発音が、ちょっと変になっているものとしては、tiとdiが第一に挙げられる。チェコ語関係者が、tiはティではなくチだと必要以上に喧伝してしまったために、本来ティでもチでもないtiをチで発音してしまう日本人のチェコ語学習者は多い。しかも、かつてはティという音すら、直音化させてチと表記してきた日本人である。ティさえもチで発音してしまう人もいかねないのである。
 diのほうも事情は同じでジと発音してしまう人が多い。中にはヂと表記して区別しようとする人もいるが、カタカナではヂ、ヅは使わないのが原則だし、ダ行で書いても発音がジ、ズになってしまうのは言うまでもない。むしろ問題は、チェコ人の耳には、日本人の発音するジがチェコ語のジとは微妙に違って聞こえるらしいことだ。正直説明されても聞き取れないのだが、ジの前にD音を発音しているように聞こえるのだという。その場合、そのジの音がチェコ語のdiの音に近づくのか、遠のくのかはわからない。
 外国語の学習をするときに、発音のカタカナ表記が付いているのは一見便利なのだけど、カタカナ発音が一度定着してしまうと、なかなか矯正は難しい。

 だから自分では、チェコ語でVの音を発音するときに、意識して発音しているときはともかく、疲れたり酔っ払ったりしていい加減に発音しているときは、適当にBで代用しているものだと思っていた。そんなことを、日本人はみんなそうなんだよと、自分のことを例にあげて説明をしたら、怪訝な顔をされてしまった。どうも自分ではVと発音できていないと思っているのに、実際には発音できているらしい。うーん、どういうこっちゃ。自分でもわからん。
 だからと言って、V発音に問題がないわけではない。意識的にであれ、無意識にであれ正しく発音できるのは、つづりをしっかり覚えている言葉だけなのだ。自分の発音すら正確に聞き取れない人間が、正しい、いや類似した音を区別して発音するためには、それぞれの言葉のつづりを覚えるしかないのである。いつまでもカタカナ表記に頼っていると、カタカナでは言えるけれどもつづりは書けないということになりかねない。さて、それに気づいてチェコ語で話すときにはカタカナを忘れるようにしはじめたのは、いつだったのだろうか。やはりこちらに来てからということになりそうだ。
 十年以上のときを経て、Vの発音ができるようになっていたのは嬉しい。しかし、耳がいつまでたっても聞き取れるようにならないのは悔しい。悔しいけれどもこれはもうしかたがないと諦めている。口や舌の動きは、チェコ語に合わせて何とか訓練できても、耳はいつまでたっても日本語耳のままである。
3月18日11時。


2017年03月18日

チェコだから……ヘリコプターが飛べないかも(三月十五日)



 ニュースを見ていたら、救急ヘリコプターが出動した件について、営業時間外だったから報酬を支払わないとかいう話が聞こえてきて、えっと思った。
 これも最初聞いたときには理解できなかったのだが、チェコで緊急搬送用のヘリコプターを運営しているのは、地方政府と契約を結んだ一般企業である。いや、正確には制度が二転三転していて、現在では企業が担当している地方もあるというのが正しい。今でもいくつかの地方は警察や軍に、お金を払って救急ヘリの業務を委託しているのである。

 そのヘリ運営の会社をどこにするかで、入札が行われるのだけど、特に担当業者が変わるときに、問題が発生して入札のやり直しとか、前の業者と暫定的に一月契約を延長したとかいうニュースが聞こえてくる。入札価格が異常に低くてこれで運営できるのか信用できないとかいろいろあるようである。こういうのは安さだけを求めるものでもないのだから、もし警察か軍のヘリが活用できるのであれば、それを使うのが一番いいような気はする。
 オロモウツ地方では、昨年の入札に勝ったスロバキアで救急ヘリの運営を手掛けている会社が、仕事を始めている。しかし、初めてすぐに、ヘリが一機しかなく、その一機が故障してしまうという事態が発生して、問題視されていた。故障自体は大したものではなくすぐに修理できたらしいのだが、その修理中に、ヘリが必要な事故が発生したらどうするんだということで、オロモウツ地方は業者に二機目のヘリを確保するように要請し、現在は二機で運営されている。
 そう言えば、去年の上院の選挙に、オロモウツ地方のヘリに乗るドクターだという人が、立候補していたけれども、運営する会社が変わった今もヘリのドクターを続けているのだろうか。ちょっと気になる。

 それで、昨年まではヘリの運行時間は日の出から日没までだったという。つまり暗くなってヘリの飛行が危険な時間以外なら飛ぶということだったのだろう。それが今年の一月から法律が変更されて、病院と同じように営業時間が決められたらしい。始業時間は通年で朝七時、終わるのは一番短い十一月から一月が午後四時、五月から七月が午後九時までということになっている。
 問題なのは、営業時間外だけれども、十分に明るくヘリで飛べる時間帯にどうするかである。一月には、ある地方のヘリが営業時間開始の一分前、六時五十九分に出動し、患者を病院に運んだ。それから終業時間を少し超えた時間に出動した事例もあるらしい。この手の、いわば時間外出動に対して、管轄の厚生省がお金を払えないと言っているというのがニュースの主題だった。
 ニュースでは問題にされていなかったけれども、地方と業者が結んだ契約は落札した価格で、出動も含めた救急ヘリの運営のすべての経費を賄うものではなく、制度を維持するための人件費などの経費にかかわる契約で、実際の出動にかかる経費はまた別に請求するという形の契約であるようだ。出動にかかる経費も含めた契約だと、出動回数が少ないほうが利益が大きくなるから、営利目的の出動拒否なんてことが起こりかねないのか。

 ヘリの運営会社の人は、営業時間がどうであれ、ヘリが必要だという連絡が来て、空の状態が飛べるようだったら飛ぶのが仕事だとか、出動する際に時計を見て営業時間を確認するようなやつはいないとか、なかなかかっこいいことを言っていた。実際につい最近も営業時間外の飛行でヘリでなければ助けられなかった人を助けたという事例もあるらしいし、今後もこのやり方を変えるつもりはないと言っていた。
 ただ、この手のただ働きを続けていると、会社が苦しくなって運営に支障をきたす可能性もあるので、問題提起をして、せめて以前の時間で切るのではなく、日の出と日没で切る営業時間に戻すことを求めているということのようだ。厚生省側は、法律が改正されたばかりというメンツもあるのか、この手の時間外出動に関しては、個別に対応していきたいというコメントを出している。

 とまれ、現時点では、チェコの山の中や、人里離れた場所に出かけて大けがをする場合には、午前七時以降、午後もできるだけ早い時間にしておくほうが無難なようである。無難を目指す人は最初からそんなところには行かないか。
3月16日12時30分。



posted by olomoučan at 07:38| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2017年03月17日

サッカーチェコ代表発表(三月十四日)



 時間が足りない上にぱっと思いつくネタもないので、スポーツの話である。一番情報が飛び交っているのがサッカーなので、サッカーの話題が多くなってしまうのはしかたがない。ただ何だか癪なので、ハンドボールとは違ってサッカーのカテゴリーは立てないことにしている。
 それはともかく、代表監督のヤロリームが、リトアニアとの親善試合、サンマリノとのワールドカップの予選のための代表選手を発表したので、コメントしておく。親善試合と、予選とはいえ相手を考えるともう少し新しい選手を試して試してほしかった。

 ゴールキーパーは、引退したチェフの後を継いだバツリークに、2015年のU21ヨーロッパ選手権でレギュラーの座を争ったスパルタのコウベクと、スラビアのパブレンカが選ばれた。ライバル関係は継続中というわけである。U21での活躍がA代表への選出につながり2016年のEUROにも召集されたコウベクに対して、U21の大会で出番がなかったパブレンカは、A代表に呼ばれたのはコウベクよりも早かったけれども出場は遅れ召集された回数も少ないはずである。出場回数では大差がないので、今後バツリークの後釜を目指して切磋琢磨していくことになるのだろう。
 二人とも若いうちから下位のチームで一部リーグの試合を経験し、スパルタ、スラビアという強豪チームの主力となっているのは、今後に期待できそうである。国外移籍をして出場機会を失うことがないようにしてほしいものだ。スパルタからフランスに行ったチェフや、スイスに行ったバツリークのように、国外に移籍してからも試合に出続けることが大切なのだ。

 ディフェンスの選手は、ゲブレセラシエ、カデジャーベクのドイツ組に、トルコにいる超ベテランのシボク、そろそろ中心になってもらわなければ困るスヒーの以前からの常連に、デンマークで活躍しているらしいノバーク、ベルギーに行ったブラベツ、そしてオロモウツ時代から期待され続けているカラスが呼ばれた。
 いつまでもベテランに頼っていたら未来がないのだから、二試合のうち一試合はカデジャーベク、カラス、ブラベツ、ノバークの組み合わせを見てみたい。シボクもいざというときのために代表においておくのはいいだろうけど、そろそろ引導を渡すような若手が出てこないと将来は暗い。ここは期待に応えられないカラスよりもブラベツに期待するしかないか。

 年齢的に見ると中盤の選手が一番若そうだ。一番上が多分中国に売られたドチカルである。ドチカル移籍後チームはまだ勝てていないようだが、中国リーグで壊されて帰国ということにならないように祈っておく。去年の秋は怪我で欠場したダリダが帰ってきたのは大きい。やはりチェコ代表はダリダのチームであるべきなのだ。かつてのネドベドのような頼れるリーダーになってほしいなあ。
 イタリアのボローニャに行ったクレイチーは最近活躍しているのだろうか。移籍当初はしばしばニュースに登場したが、最近全く聞かない。サイドハーフはコピツもコバジークもシュラルも調子が悪かったり怪我だったりで、クレイチーしかいないという面もある。同じイタリアのウディネーゼにいるヤンクトは、本来U21の選手じゃなかったか。シクほどではないにしても活躍しているようで、結構紙面をにぎわしている気がする。ヤロリームのことだから、呼んだからには試しに使うに違いない。
 残りの三人は監督交代してから絶好調の中華スラビアの選手で、夏のイタリア移籍が決まっているバラーク、秋の代表戦で活躍したズムルハル、それに秋はまだリベレツの選手として代表に来ていたシーコラの若手三人組である。この中だと、シーコラが一押しかな。

 フォワードは、遅咲きのシュコダとイタリアに行って予想以上の活躍を続けているシクという対照的な二人に、秋の代表で大活躍したのに春のシーズンいまいち調子の上がらないクルメンチークの三人。シクはこのまま行くと夏にはサンプドリアから高値で移籍するんじゃないかといわれるぐらいの活躍をしているようなので、コレルの背の高さとバロシュの俊敏さを兼ね備えたストライカーに育って、これから十年ぐらい代表に君臨してくれないものだろうか。そうすれば、あのころのように代表の試合をある程度安心してみていられるのだけど。

 さて、選ばれたメンバーをぱっと見て気づくのが、ここ数年代表選手を輩出してきたプルゼニュとスパルタの選手が減って、スラビアの選手が増えたことだ。現時点ではかつてのプルゼニュ中心の代表、スパルタ中心の代表のような、スラビア中心の代表とまではいえないのだけど、このまま選手の大売出しをしなければ、チェコリーグに中華マネーが君臨する時代がやってきてしまうのかもしれない。うーん、そいつは嫌だなあ。
3月15日23時。



2017年03月16日

チェコ悪人伝K(三月十三日)



 こちらに来たばかりのころ、チェコの典型的な悪い奴として名前が挙がるのは、90年代初めのクーポン式民営化の時代に、投資ファンドみたいなものを設立して巨万の富を集めてカリブ海の国に逃走したコジェニーとかいう名前の人物だった。本人は最初から詐欺を働くつもりはなかったのだとか、いろいろ言い訳をしているようだが、信じる人はいるまい。
 この人物、チェコだけではなくアメリカでも経済犯罪に手を染めており、アメリカとチェコの両国が、国際的に指名手配をして裁判を受けさせようとしている。逃げた先が税金天国で経済犯罪には甘いバハマなので、一度逮捕されてアメリカに送られそうになったということはあったようだが、その後どうなったのかはわからない。チェコでの裁判は本人不在で行われているんだっただろうか。
 本人は、プラハ生まれのチェコ人なのだけど、90年代の終わりにアイルランドの国籍を購入してアイルランド人になっているのも話をややこしくしているのかもしれない。アメリカで指名手配を受けたのもアゼルバイジャンでの事件に関係しているという話もあって、正直な話よくわからないとしか言いようがない。

 次に名前をよく聞いた犯罪者が、カイーネクである。この人、どうも殺し屋として雇われて、人を殺して捕まって刑務所に入っているらしいのだけど、こっちも誰の依頼で誰を殺したのかとか、知っている人は知っているのだろうけど、細かい話は伝わってこない。
 このカイーネクが有名になったのは、刑務所からの脱走に成功したからなのだけど、これもどこの刑務所だったのか、殺人が先なのか、脱走が先なのかよくわからない。今でも無罪を訴えているという話も聞くし、支援している女性と獄中にいながら結婚したというのも話題になったかな。現在はチェコで最も監視が厳しく脱獄は不可能だと言われるオロモウツ地方のミーロフ刑務所に収監されている。この刑務所、かつての貴族の城館を改築したもので、外から写真で見る限りでは観光地になりそうなところなのだけどね。
 そして、この人物をもっとも有名な囚人にしたのが、2010年に撮影された映画「カイーネク」である。予告編を見て結構有名な俳優がでていてびっくりしたのを覚えているけれども、本編は見ていない。チェコのライオン映画賞で何かの賞をもらっていたような気もする。この手の実際にいた犯罪者を主人公にした映画というのは、特に本人がまだ生きていて冤罪を主張している場合には、見る気になれない。本人の主張に沿っているにせよ、反しているにせよ、あまり趣味がいいとは言えないだろう。

 最後に、チェコだけでなく南アフリカでも悪名高いクレイチーシュである。この人物も具体的にどんなことをしたのかは知らないが、名目上は実業家として稼いだ金で建てたプラハの郊外にある豪邸の水槽でサメを飼っていたとか、逮捕された後に本人同行で家宅捜索が行われているときに、監視の警官を振り切って逃走したとか、ニュースになる話題には事欠かない。逃走には警察内部の手引きがあったとも言われているのだが、詳細は明らかになていない。
 驚いたのは、最初の話では国外逃亡したときに、セーシェルかどこかの島に逃げたと言われていたのに、次にニュースに出てきたときには南アフリカで大物になっていたことだ。南アフリカでもチェコと同じように、恐喝とか殺人とか誘拐とか、いちおう実業家にしては凶悪な犯罪の疑いがかけられているだったか、その容疑で逮捕されたかだったか忘れたけれども、現地の暗黒界で地位を築き勢力争いをしていたようだ。
 この人も、テレビの取材に答えて冤罪だとか、対立する勢力にはめられたんだとか主張していたけれども、結局は逮捕されて裁判を受け、現在南アフリカの刑務所に服役中のはずである。刑務所が恋人を銃殺して世界中を驚かせた義足の陸上選手ピストリウスとともに特別待遇だったのか、中庭でサッカーに興じる姿が報道されたり、刑務所に入ってなお話題を提供するのは、さすがというべきところだろうか。

 プラハ郊外の豪邸を国としては競売にかけたかったようなのだが、最近奥さんが夫婦別資産でやってきたのだから、これは自分が稼いだお金で自分で建てて自分の名前で登記した建物である。だから、夫の犯罪で競売にかけられるのは不当だとか何とか訴えて裁判を起こしている。旦那がどんな人間か知った上で結婚生活を続けていたのだから、奥さんも一筋縄ではいかない人物のようだ。
 この人物についても、映画、いやテレビドラマかな、が二作製作されていた。カイーネクよりも豪華なキャストで、一瞬見てみようかと心が動いたけれども、やはり見るのはやめた。予告編見ただけでも後味の悪そうな印象だったし。

 とまれ、この三人の大物の犯罪者、みんな名字がKで始まるんだけど、日本だったらやりそうな三Kなんて呼ばれ方はしていないようだ。それぞれ犯罪の傾向が違うからだろうか。チェコでは同じようなものを三つまとめて呼ぶようなことはあまりしないのかもしれない。
3月13日22時。


 昨夜投稿するのを失念していた。疲れて寝ぼけていたのである。3月16日追記。
posted by olomoučan at 15:09| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2017年03月15日

スリに注意(三月十二日)



 日本から来た方とお酒を飲んでいたら、その人が数年前にウィーンで遭ったクレジットカードの盗難の話になった。
 当時は、中東からの難民が問題になり始めたころで、ちょうどウィーンでも難民受け入れ反対のデモが行なわれていて、街中には警察官の姿が多かった。浮浪者のような男に付きまとわれているところに、警察官が現れて助けてくれたのだが、確認のためにと言われて財布を渡してしまったのが運のつきだった。警察官はちゃんと制服を着て、警官であることを証明する身分証明書を見せ、ドイツ語で書かれた一見ちゃんとしたものだったので、本物だと信じてしまったらしい。ドイツ語がわかったからこそ、信じてしまったという面もあるのかもしれない。
 警察の制服を着た男は財布の中身を確認した後に、返してきたから安心したけれども、実はその警官が偽警官だったようだ。財布が戻ってきてからしばらくして、なんだか不安になって中身を確認したら、紙幣が何枚か抜かれていて、クレジットカードが一枚だけ消えていたらしい。全部抜かないあたりが、用意周到な犯罪であることを思わせる。財布が空っぽになっていれば、その場で気づいたはずである。どうも浮浪者風の男とぐるで、証拠を手元に残さないように、抜いた札とカードはこっそり浮浪者風の男に渡してしまったのではないかと推測していた。それだとその場で気づいていても対応が難しかっただろう。

 現金はともかくクレジットカードは止めなければいけないということで、そのとき向かっていた施設についてすぐに電話を使わせてもらって、カード会社に電話をかけたら、ニューヨークに電話しろと言われて時間がかかって大変だったという。それでもカードを盗られてから一時間内外でカードを止める手続きはできたのだが、すでに三十万円引き出されているとカード会社から宣告されたらしい。
 保険の関係もあって、その後警察に出頭して被害届を出したら、「こいつだろ」と写真を見せられて、うなずいたら、「こいつは捕まらないから諦めなさい」と言われてあきれるしかなかったのだとか。この辺りの各国の警察の制服と証明書を、偽物だけど本物らしく見えるものを持っていて、一仕事したら別の町、別の国に移動するという形で仕事をする、言い方は変だが本物のプロらしい。

 そういえば、プラハにもルーマニア人のスリ集団が出稼ぎに来ているという話を何度か聞いたことがある。シェンゲン領域というものが出来上がって自由に移動できるようになったことは、領域内の人々にとってだけでなく、ヨーロッパを観光で訪れる人々にとってもありがたいことなのだろうが、自由に移動できるのは労働者や観光客だけではないのである。
 もちろん、プラハにいるスリがみな外国人だというつもりはない。ただ西に行くほど経済状態のよくなるこの地域では、プロのすりであれば、地元で稼ぐよりも割りのいい西に向かうのが続出するのは想像に難くない。チェコからも西に出ているスリ集団はいるだろうし、ルーマニアから来た連中だってプラハどまりではなく、ドイツ辺りまでは足を伸ばしているに違いない。大きな経済格差のある中で、国境を開いてしまえばこういう事態が起こるのは当然である。

 自分自身ではこの手の被害にあったことはないが、プラハの駅でちょっと荷物から手と目を離した瞬間に取られたとか、電車に乗り込むときに荷物を引き上げるのを手伝おうと申し出られて信用して持ち上げてもらったらそのまま持ち逃げされたとか、地下鉄で背広のうちポケットに入れておいたパスポートと財布をすられたとか、この手の被害に関する話は枚挙に暇がない。
 そしてウィーンの警察と同じように、チェコの警察もどうせ犯人は捕まらないし、盗られたものは戻ってこないから諦めろという非常にありがたいアドバイスをしてくれるらしい。人によっては、時間もなく、そんな聞きたくもない答えが返ってくるのがわかりきっているから、届出すらしない場合もある。ただ保険に入っていると被害届を出して、その証明をもらわないと保険が下りないので、予定を変更してでも警察に行くという人もいる、そしてその警察の対応に腹を立てて、チェコなんかこなければよかったという感想を持って日本に帰る人もいる。
 注意したからといって完全に防げるものではないのだろうが、盗られるときには油断と思い込みが原因であることが多いので、チェコに来るときには十分以上に気を張っていてほしいものだ。スリに物を取られたことが原因でチェコが嫌いになるというのはできれば避けたい。いやチェコの手続きの煩雑さとか、サービスの悪さとかそういうもののせいで嫌いになるというのなら仕方がないかとあきらめもつくのだけど。
3月12日23時30分。


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2017年03月14日

三月十一日の記憶(三月十一日)



 小学校だったか、中学校だったかの理科の時間に地震について勉強した。マグニチュードについては正直な話、数字が大きければ大きいほど地震の規模が大きいという以外には理解できなかったが、震度は実際に自分が感じた地震の揺れを、ニュースで報道される数字で確認することと、教科書の数字の脇に書かれていた説明を読むことで、大体のイメージをつかむことができた。少なくとも、そう考えていた。

 最初にその思い込みが粉砕されたのは、1995年の阪神淡路大震災のときで、確か当時アルバイトをしていた出版関係の会社のテレビとしても使えるパソコンで、ニュースを見てその惨状、高速道路を含め、ほとんどの建物が倒壊している情景に大きなショックを受けた。烈震という言葉と家屋が倒壊するという説明文から想像できる情景とはまったく違っていた。想像力が貧困だったのか、現実が想像力を超えていたというべきか。物心付いてから初めての巨大地震が、この震災だったというのも大きいのだろう。
 その後、高速道路に関しては、建設当時の工事が手抜きだったんだという話が出てきたし、関西は長い間地震が起こらない地方だと思われており、そのせいで地震対策が進んでいなかったのも被害が大きくなった原因だという説も読んだ。関東は、関東大震災の再来が予言されて久しいから、地震対策は進んでいるという話もあったけれども、木造の築ウン十年のアパートに住んでいた人間には気休めにもならなかった。

 それからしばらくは、ちょっと大きな地震が来ると、妙にびくびくしていたような記憶がある。そして田舎にいたころに、大して大きな地震ではなかったのだけど、校舎の老朽化が進んでいたのだろう、地震で学校の校舎にひびが入って校舎間をつなぐ橋が使用禁止になったことを思い出した。そのときは、別に怖いともなんとも思わなかったのだけど、震災の後で、あのときの地震が休み時間で、もう少し大きかったら、大惨事になっていた可能性もあったことにぞっとしたのだった。


 チェコは地震のない国である。活動を停止したかつての火山は存在しても、活動を続ける火山もなく、おそらくはいわゆる断層なるものも存在しないのではないだろうか。そんな国で起こる地震といえば、原因がよくわらからない西ボヘミア地方のマグニチュードがせいぜい2ぐらいの小さな地震か、地震と言っていいのかどうかはわからないが、炭鉱のある地域で地下の地盤沈下などで地表が揺れる地震のようなものしかない。住んでいるモラビアの真ん中にあるオロモウツは、地震とは全く縁のない町である。

 その分、2011年の大震災のニュースに大きな衝撃を受けたのかもしれない。朝起きたときには、すでに地震が起こっていて、普段は視聴できないNHKのネット上での放送も、国外からのアクセスに対して解放されており、それも事態の深刻さを想像させた。各地の震度を見ていると、6がいくつもあって、7なんてものもあるのを見たときには、この地域では各地で建物が崩壊し、阪神淡路大震災のとき以上の惨状になっているのではないかと、正直、現地の映像を見るのが恐ろしいような気分になった。
 それが、実際に見てみたら、家屋や高架の倒壊は、思ったほど多くなく、被害もそれほど大きくないのだろうと一安心したところ、津波、さらには福島の原子力発電所の爆発というさらなる大問題が立て続けに発生していても立ってもいられなくなってしまうことになる。こんな気分には阪神淡路大震災のときにはならなかったのだが、何かをせずにはいられないような気分に襲われた。それは、外国にいるからこそ、強く感じる日本人としてのナショナリズムの発露だったのだろうか。

 ネット上に拡散したアメリカの新兵器の実験の結果起こった地震だとかいう、言い出した人だけでなく、それを信じて広めてしまう人間の知性も疑ってしまうようなデマに、日本も科学教育の崩壊具合を嘆いたり、地震を自然への感謝を忘れた日本人への天罰だなどとさかしらなことをほざく連中に殺意を覚えたりした。この手の一見何だか哲学的で正しそうでありながら、実はでたらめこの上ない意見に納得してしまう連中が、たぶん日本の新宗教を支えているのだろう。オウムとか幸福の科学とかさ。
 衝撃のあまり、ボランティアとして東北に向かうために日本に帰国するなんて人もいたけれども、仕事を持つ身としてはそんなこともできず、せいぜい友人知人の間でお金を集めて、たまたまオロモウツにいた東北出身の人に町に寄付するために持って帰ってもらったり、チャリティーコンサートの開催の手伝いをしたりしたぐらいである。
 フリーの通訳として活躍している知人は、最初の何年かは毎年のように仕事のない時期に日本にボランティア活動をしに行っていたので、二年目ぐらいまではそいつにお金を託していたけれども、次第次第に日々の仕事に追われ、地域によって差はあるようだが、少なくとも地震と津波で被害を受けた地域では復興が進んでいそうな様子に、関心を失ってしまっていた。

 このブログ一年目の去年は、この日に全く関係のないテーマで文章を書いているし、あのときの衝撃はどこに行ったのだろうと言いたくなるほどである。熊本の、これも予想外の地震で記憶が改まったこともあるので、今年はこのテーマで一文物しておくことにした。
3月12日17時。


2017年03月13日

大藪春彦(三月十日)



 NHKのテレビ番組の村上春樹特集で、冒頭春樹批判から始まったという記事を読んだ。芸能界の人なのかな、かなり読み込んだうえでわからないとか、そんな人間いないとか、言っていたらしい。そこでは、「サンドイッチを作ってビールで流し込む」なんて描写が多すぎるなんて批判が引用されていたのだが、これを読んでふいに思い出してしまったのが、ジャンルが全く違う作家大藪晴彦のことだった。

 この人の作品、エロ、グロ、バイオレンスにあふれたハードボイルドということになるのだけど、意外と食事のシーンにインパクトがあったのである。体を鍛えるために何キロも走った後で、シャワーを浴びて、ボンレスハム?を丸かじりしたり、淹れたてのコーヒーにバターを放り込んで飲んだり、何とも言えず心惹かれるものがあった。狩猟で倒したばかりの動物の地の滴る肉を焼いて食べるなんてのもあったなあ。
 しかし、惹かれはしても自分でも真似したいと思わなかった。いや、コーヒーにバターを入れるなんて、想像するだけでもおいしくなさそうだったし、ハムはスライスされたものを買うもので、塊で購入するなんて全く想定していなかったし、狩猟というものは自分にできるものだとは思っていなかった。所詮、肉を食べるのは平気でありながら、自らの手で命を奪うことには抵抗のある偽善者なのだった。

 それが、あるとき、何かの本の解説を読んでいたときに、書いていたのは女性の作家かイラストレーターで、昔から仲のいい友達と二人でだったか、その友達がだったか、忘れたけれども、大藪春彦の作品に登場する何ともワイルドな食事を実際にやってみたなんてことが書いてあったのを覚えている。さすがに狩猟まではしなかったようだが、一見ありえないような食事というか、生活パターンでも、書いてある通りにやってみようというファンのいる大藪春彦はある意味幸な作家なのだろう。村上春樹のファンの中にも同じようなことをやる人はいるのだろうか。
 とまれ、その女性が書いていたのは、バターを入れたコーヒーはそんなにおいしいものではなかったということで、それでもファンとしては飲むべきだということでしばらくは飲み続けたと書いてあったかな。そんなことをやっていたのが高校時代だとか書いてあったから、大藪春彦の作品を女子高生が読んでいたのかとびっくりした。決して若い女性向けの作品ではないと思うのだけど。

 自分では大学に入って手当たり次第に乱読していた時代に、SF作家が大藪春彦についてあれこれ書いているのを読んで、手を出したんじゃなかったか。平井和正の『ウルフガイ』とか、ハードボイルドっぽいSFはあったから、そこから足をちょっと延ばせば、大藪春彦の世界にたどり着く。銃器やバイク、自動車の細かい描写が称揚されることが多かったが、個人に対する復讐であれ、社会に対する復讐であれ、復讐譚に惹かれることが多かった。自分自身が誰かに復讐したいとか、社会に復讐したいとか思っていたわけではないと思うけれども。
 考えてみると、いまだに多少なりとも無政府主義者にシンパシーを感じてしまうのは、それが可能だとも、実現することがいいことだとも思わないけれども、大藪春彦を読んだ影響なのかなあと思ってしまう。いや、逆に破滅主義的なものを心中に抱えていたからこそ、大藪作品に惹かれ、読んでいたおかげで破滅主義が表に出てこなかったともいえるのかもしれない。

 こんなことを書いているうちに、以前縁があって知り合いになった波乱万丈の人生の先輩として師事している(本人にはこんなことはいえないが)方が、大藪春彦と大学時代に知り合いだったと言っていたのを思い出した。楽しそうな顔であいつ悪い奴なんだよなんて仰るのを見ながら、自分も学生時代の友人のことを思い出していたのだった。酒を飲んでこんなことを書いていると、益体もない思い出が湧き上がってきて収拾がつかなくなるから、そうなる前に、記事を閉じることにしよう。

3月11日16時。



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posted by olomoučan at 07:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係

2017年03月12日

ゼマン大統領再出馬(三月九日)



 これまで、もったいぶってはっきり言っていなかったのだが、そういうことだろうとは思っていたのだ。確か年頭だったと思うが、三月の十日に記者会見で、再度大統領選挙に出るかどうかを発表すると言い、その後、前日九日の夜に何かの集会で最初に公表すると予定を変えたんだったか。

 その九日がやってきたのだが、七時のニュースの時点では、まだゼマンの出馬についてはニュースになっておらず、もうすぐこの件について大統領が話すことになっていると何回か繰り返していた。どうも四年前のこの日に、大領就任の宣誓式をのが今日の公表にこだわった理由であるらしい。ただ目立ちたがりの大統領には珍しく、テレビカメラやマスコミは排除した形で、支持者をプラハ城に集めて行なった集会で演説をした際に、来年行なわれる大統領選挙に再出馬することを表明したようだ。
 八時半ごろのチェコテレビのニュースチャンネル、24でその様子が、放送されたけれども、携帯で撮影した動画ということで、画質もいまいちだったし、手振れがひどくてとても見ていられなかった。音だけはちゃんと聞こえてきたのだが、ゼマン大統領の言うことは、がんばって聞いてもあまり理解できないのである。まあ、テレビの字幕に再出馬すると書いてあったからそういうことなのだろう。
 現時点で、バビシュ財務大臣のANOは、推薦する候補者を発表していないが、このまま行くと、ゼマン大統領とANO推薦の候補が、決選投票に進出するという、一部の人たちにとっては悪夢のような結果になりそうな気がする。かといって、社会民主党などの既成の政党が、納得のいく候補者を立てられるかというと、それはそれでありえなさそうな気がする。

 現在のゼマン大統領は、アメリカのトランプ大統領に似ている。職業政治家であるという点では異なっているが、どちらも言い方は悪いけれども、下品なおっさんで、深く考えずに思ったことをそのまま口にしているような印象を与える。
 その結果、どちらも熱狂的なアンチに批判される一方で、熱心に支持する人たちがいる。アンチが、自分の正しさを信じたがっている連中である点も似ているか。そして、支持者は、政治的な正しさを強要されることに疲れ果て、きれいごとしか言わない政治家に嫌気がさした人たちである。きれいごとを言わないから支持するというのも短絡的ではあるけれども、きれいごとを信じて、もしくは信じた振りをして自分の正しさに浸るというのもあまり気持ちのいいものではない。
 そうなのだ。トランプのであれ、ゼマンのであれ、熱心なアンチにも支持者にもうんざりさせられているのだ。どっちも議論にならないという意味では、目くそ鼻くそである。だから、そういう連中が目立つことがないように、ゼマン大統領が引退してくれることをひそかに願っていたのだが、無駄な望みだったようだ。支持者が一定数いる状況で、再選の可能性がある状況で、引退という選択肢はなかったのだろう。

 アメリカはこれからしばらくは選挙がないが、チェコは来年大統領選挙を控えているのである。最悪なのは、ゼマン支持者もアンチゼマンも嫌いと言ったときに、支持できる人がいないことだ。とある世論調査で信頼できる政治家として、上位に入ったのが、自称日系人政治家のオカムラ氏と、バビシュ財相だというのが、チェコの現実である。これはチェコ人がいわゆるポピュリズムに毒されているからではなくて、既存の政党の政治家がひどいから、この二人への評価が比較的高くなってしまっているだけである。それでもバビシュならまだしも、オカムラ氏を信頼するチェコ人の頭の中は覗いてみたいと思うけど。

 ハベル大統領と同じレベルで、というのは、誰が大統領になっても難しいのだろうけれども、もう少し国民全体の支持を引き受けられる存在が出てきてくれないかと思う。かつて半ば本気で主張していたズデニェク・スビェラークが、ヤーラ・ツィムルマンの名前で大統領になるというのも、スビェラークの年齢、80歳を考えると難しそうだしなあ。
 ビロード革命を主導した世代が去りつつある中、その下の世代に国民全体の支持を引き受けられる候補がいないのが一番の問題である。大統領になってほしくない人なら、いくらでも挙がるが、なってほしい人となると名前が上がらないのがチェコの悲しい現実なのだ。
3月10日17時。


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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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