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2017年03月11日
いくらチェコでも……(三月八日)
「チェコだから仕方がない」というのは、あれこれ問題が起こったときに、ストレスをためずに過ごすためのある意味魔法の言葉である。ぐちゃぐちゃ怒り狂ったところで結論が変わることはありえないのだから、怒るだけ無駄である。そんなときに、怒りを抑えるために使うのが、「チェコだから」なのだ。
それでも、いくらチェコでもそれはないだろうと言いたくなる、いや言ってしまうことがままあるのだが、それもチェコだからなのだろうか。こういうのは怒りを通り越してあきれてしまうから、ストレスはたまらないのだけど、チェコを「愛する」身としては、書くべきか書かざるべきか悩ましいところである。まあ、書いてしまうわけであるが。
スポーツ新聞のネット上の記事の見出しを見ていたら、バスケットボールで自殺点連発みたいなことが書かれているのが目に飛び込んできた。バスケットでそんなこと可能なわけないだろうと、そのときには記事を読まなかったのだけど、バスケットの記事だったから読まなかった可能性もあるか、あんまり興味ないし。とにかく、読まず放置していたら、テレビのニュースで本当に自殺点というか、両チームとも相手に得点を与えようとして自陣にゴールを決め始めたことが放送された。
ニュースで聞いて理解したところでは、チェコの女子バスケットの二部リーグでの出来事で、プレーオフ進出を巡って双方にいろいろ思惑があったという。その結果、フリースローを得ても、わざと外し、相手の得点後ゴールラインの味方からパスを受け取ってそのまま自陣のゴールにめがけてシュートするという理解できないシーンを作り出していた。
もちろん、試合当初からそんな負けるためのプレーをしていたわけではなく試合終盤の話である。一つ目のチームクラルピはプレーオフに有利な立場で進出するために、9点以上の差で勝つ必要があったのだが、残り時間が少なくなりそれだけの差をつけるのは不可能になったので、延長に持ち込もうとして同点を狙い、相手のスパルタは、プレーオフに進出する際に僅差で負けるのが一番いい結果だったので、それぞれ点差の調整を自分のゴールに得点を決めることで行っていたということのようだ。
審判も、このままではいけないと試合を終わらせることを考えたけれども、ルール上不可能だったと試合後メディアの取材に答えていた。没収試合で両者負けとかできなかったのだろうか。そもそもバスケットで、いやボールを使ったスポーツでわざと相手に得点を与えるような事態は、ルールでも想定されていないのだろう。
結局僅差でクラルピが勝ち、スパルタの思惑通りの結果になったのだが、バスケットボール協会が黙っていなかった。サッカードラマの怪作「オクレスニー・プシェボル」のように下部リーグでの出来事であれば、関係者だけが知っているだけだから、臭いものには蓋をしろで放置されたのかもしれないが、今回は、完全なプロリーグではないだろうけど、国内で上から二番目のリーグでの出来事である。テレビカメラも入っていたようだし、対応は意外なほど早かった。
協会の規律委員会では、両チームを今年のリーグから除名することを決定した。これは本来であれば進出できるプレーオフに進出できないばかりか、来期は三部リーグに落ちることを意味している。チーム側はこの決定に対して、異議を申し立てる権利を有しているので、これで降格とプレーオフの出場権剥奪が決定というわけではないが、ここまで全国的にニュースになってしまうと異議申し立てはしにくいだろう。申し立てたこと自体が次のニュースになるだろうし。期限自体は十五日以内になっているが、土曜日からプレーオフが始まる予定だから、今週の金曜日までに申し立てることになりそうだ。
選手たちに直接指示をだしたであろう両チームの監督は、二ヶ月の資格停止、実際にプレーをした選手たちは一試合の出場停止という重いんだか、軽いんだかわからない処罰が下った。軽いと言えば両チームに科された罰金が千コルナ、うーん茶番だ。しかし、最高の茶番は、両チームが異議を申し立ててプレーオフに出場した場合、初戦で対戦することになっているという事実である。
こんな出来事は、いかなチェコであっても二度と起こらない、と思いたい。
3月9日10時。
2017年03月10日
「スラブ叙事詩」日本へ(三月七日)
日本へと言うよりはすでに日本にあるようなのだけど、今日から日本でムハの「スラブ叙事詩」の展示が始まったらしい。つい昨日だったかに、日本の知人からそろそろ始まりそうだというメールをもらっていたし、先日日本から来た方もすでにチケットを購入したと言っていた。そもそも日本に三回に分けて運ぶというニュースを聞いたのは、すでに一月ぐらい前のことだった。それなのに、なんだかまだ一月ぐらい先のことだと思ってしまっていたのは、体内カレンダーと現実の時間のずれが大きくなりすぎているせいだろうか。
コメンスキーを研究している方は、「スラブ叙事詩」のコメンスキーの絵をなんとしても自分の目で見たいといい、あそこに描かれているコメンスキーの姿にムハが何をこめようとしたのかを考えたいなんてことも仰っていた。こっちはただ圧倒されているだけだったし、コメンスキーのことをほとんど知らないまま見ていたので、何も感じなかったってことはないだろうけれども、何も覚えていない。モラフスキー・クルムロフの城館の中が、五月だというのにやけに寒かったのは覚えている。それとも感動で震えていたのを、寒さと勘違いしているのだろうか。
さて、本日のチェコテレビのニュースでも日本で展示が始まった様子が放送されていた。輸送の第二陣、第三陣についてのニュースはなかったのだけど、いつの間にか日本に到着していたらしい。ニュースでは関係者のインタビューもちょっとだけ出てきて、名著『プラハ幻景』の著者ブラスタ・チハーコバーさんが登場したのには驚いた。こういう日本とチェコの友好に貢献してきた方が、こんな機会に日本に行かれてあれこれコメントするのはいいことだ。
プラハの市長が出てきて、プラハの展示会場より絵がよく見えると言っていたのには、だったらムハとの約束どおり、専用の建物建てろよと腹立たしい思いしか感じなかったし、いやまあ、現時点では、法律上はプラハの所有物になっているわけだから、貸し出しの名目上の責任者であるプラハ市長に日本になんか来るなと言うわけにも行かないんだろうけど、今回の貸し出しで稼いだ金と、時間を使って、とっとと専用の展示館を建てやがれともう一度言っておく。
ところで、文化大臣は何しに日本に行ったんだろう? 「スラブ叙事詩」も文化財のはずだから、貸し出しの認可権を握っているのはこいつなのか。中国などのアジアツアーを画策しているのが文化省なのか、プラハ市なのかは、判然としないけど、ダライラマと会って、有頂天になるようなおめでたい人物には、どんなに金を積まれても中国への貸し出しは断固として拒否する強い態度を示してほしいものである。何であれ中国の思い通りにさせないことも、政治的にはチベットへの支援になるんじゃないのかね。少なくともダライラマと会見して喜んでいるよりは、はるかに有用なはずである。
そして、最大の驚きは、今から何十年か前に、「スラブ叙事詩」の二十枚のうち、二枚が日本に貸し出されたことがあるという話だった。当時チェコから借り出して展示にかかわった人が、チェコテレビのインタビューに答えて、社長と二人で全国五十ヶ所ぐらいまわって展示したんだなんて回想をしていた。
当時はまだムハはともかく、「スラブ叙事詩」の知名度は低かったはずだから、一箇所で展示していても客が集まらないので、絵の方が客を求めてあちこちしたということなのだろう。絵を見るためだけに地方から東京に出るなんてことが経済的に許される日本人もそれほど多かったとは思えないし、美術館だけではなく、デパートの催事場みたいなところでの展示もあったのではないかと、ついつい想像してしまう。
それが、二十枚そろっての展示とはいえ、行列ができてしまうのだから、隔世の感がある。これを機に、フランス風のミュシャをやめて、日本でもチェコ語の発音にあわせてムハと表記してくれるようにならないものか。最初の一歩は、英語でインタビューに答えていた女性が、ミュシャと言った後に、ムハと言いなおしたところに見出したいのだけど、どうかな。日本人は自分の名前の表記、読みには、ものすごく敏感なくせに、外国人の名前のカタカナ表記には、滅茶苦茶鈍感だから、それにマスコミの怠慢さを考えると、はかない期待ということになりそうだ。
とまれかくまれ、「スラブ叙事詩」が、日本から直接チェコに戻ってきて、チェコに戻ってきたら、プラハが専用の建物を建てるまでは、モラビアの片田舎に戻って、そこの城館で展示されることを願って、本日は筆を置くことにしよう。
3月7日23時。
こんなのもあるのね。3月9日追記。
>絵画/ミュシャ「スラヴ叙事詩展」展示用フック付金箔張ミクストメディア【インテリア】【アート】【アルフォンスミュシャ】【アルフォンス ミュシャ】 |
2017年03月09日
世界選手権の季節(三月六日)
気が付けば、時間が経ったという実感のないままに、三月が始まっていて、これまで先送りにしてきたことに手を付け、けりをつける機会を探すのを忘れていたのに呆然としてしまう。毎日、こんな与太文章を書いていることで、時間の流れに鈍感になっている面もあるのかもしれない。継続することは大切だけれども、何か大きなことを時間をかけて成し遂げたという達成感がないのも、後から感じる時間の流れの速さを助長しているのだろう。こんなしょうもない愚痴を、この年になってこぼしてしまう辺り、自分の至らなさを象徴しているのだけど、とりあえずは目を背けて、それがいけないというのはわかっているけど、日々の生活に追われていこう。
さて、二月の終わりから、チェコでも日本の冬並みの冬になり、ということは、ウィンタースポーツのシーズンの終わりが近づき、各種目のシーズンの最大の山場、世界選手権の開催が目白押しである。先週、先々週あたりにバイアスロンとアルペンスキー、先週末からノルディックスキーの世界選手権が行なわれている。他にも多分スノーボードとか、アイススケートなんかの世界選手権も行なわれているはずである。スケルトンとかボブスレーなんかもありそうだけどよく分からん。
そのおかげで、チェコテレビのスポーツチャンネルの中継時間が奪い合いになっていて、サッカー、アイスホッケーという二大スポーツの放送時間は、変えたり減らしたりできないので、マイナースポーツが割を食うことになる。そうなのだ。毎週日曜日に一試合だけ行なわれるの十時半からの試合が、世界選手権のあおりを受けて中継されなくなってしまったのだ。さすがに全く中継しないのはよくないと考えたのか、普段とは違う曜日の違う時間に試合を移して、中継されることもあるのだけど、テレビのプログラムをそんなに入念に見ないこともあって、気づけないことも多いし、そもそも仕事で見られない時間帯の中継であることも多い。
だから、世界選手権の放送を減らせなんていう気はまったくない。自分でもついつい見てしまうし、見れば面白いし。テニスのフェドカップや、陸上のヨーロッパ室内選手権なんかが、ウィンタースポーツの世界選手権と重なったときのように、チェコテレビの2で中継してくれんかねえとちょっとだけ思ってしまうのだ。それが無理なら、チェコテレビ2で中継枠が取れなかったときのように、ネット上で視聴できるような放送をしてくれないものだろうか。ハンドボールなんて、チェコでもマイナーなスポーツにそこまでする言われはないと言われれば、それまでなのだけど、中継が減ればますますマイナーになってしまう。本当は代表チームが世界選手権や、ヨーロッパ選手権で上位に進むのが一番なのだろうが、現時点では期待薄である。
そんな、世界選手権の海の中で、今週末ちょっと注目しているのが、スピードスケートの総合の世界選手権である。スピードスケートもいろいろ世界選手権があってよくわからないのだけど、今回のは、距離別に世界で一番の選手を決めるものではなく、500メートルから、男子は10000メートルまで、女子は5000メートルまでの四種目を滑って、全てを総合した結果で順位を出すものである。出したタイムに対応するポイント表があるようで、それに基づいて換算するのかな。
先週行われて女子では日本の選手が優勝した短距離の世界選手権は500メートルと1000メートルを二日かけて二回ずつ滑るというものだったが、今週のは一回ずつに減る代わりに種目が二つ増えるというわけだ。短距離のほうでもエルバノバーが確か四位に入って、チェコがスピードスケートで、選手層は薄い中、有力国になっていることを示したが、四種目総合には、長距離の絶対王者サーブリーコバーがいる。
ただ、今年はリオオリンピックを目指して自転車の活動を長く続けていたことと、膝の調子が悪いこと、そして何よりもオランダの同世代の選手(名前の読み方がわからん)が人生最高ともいえるぐらいに絶好調らしいので、優勝するのは難しそうだと言われている。言われているけれども、ついつい見てしまって応援してしまうのがファンというものである。
見ていたら嬉しい誤算が一つ。日本の選手が三人も出ていたのだ。この大会で行なわれる四種目すべてをあるレベル以上で滑れる選手と言うのは、世界的に見ても数が少なく、世界選手権の出場選手が、スピードスケートが盛んなヨーロッパ選手権とほとんど変わらないということも多い。今年もスピードスケートには力を入れているはずの、中国、韓国の出場はなく、アメリカの選手もいなかったので、ヨーロッパ以外からの出場は、日本とカナダの選手だけだった。
しかも、以前は、日本の選手たちはメダル争いなんてとんでもない、最終種目への出場権を獲得できれば大健闘というようなイメージだったのだが、今年は、日本の選手がメダル争いに絡んだ。最後の5000メートルで、オランダの選手とサーブリーコバーに逆転されてしまったけれども、三種目終了時点までは首位に立ち、最終的に三位に入ったのだ。
男子では表彰台を独占したスピードスケート大国オランダの選手たちに伍して、女子ではチェコの選手と日本の選手が活躍し、一位ではなかったとはいえメダルを獲得したことは、チェコに住む日本人にとってはなかなか感動的な出来事である。次の大会では順位を一つずつ上げたところを見せてほしいものである。
3月6日23時。
2017年03月08日
チェスキー・レフ(三月五日)
日本語に訳すと「チェコのライオン」であって、本来国の紋章に使われている獅子のことをさすのだけど、ここで取り上げるのは、チェコ版アカデミー賞とでも言うべき、チェコ国内の映画の賞である。受賞者には賞の名前にちなんで、クリスタルガラスで作られたライオンの像が送られる。今年のはあんまりライオンに見えなかったけど。芸術家というのは度し難いよなあ。
毎年チェコテレビで授賞式が放送されるので、映画館に映画を見に行くことはないのだけど、ついついチャンネルを合わせてしまう。今年も昨日三月四日に授賞式の様子がチェコテレビ1で八時から放送された。結果は、事前の予想通りというか、ノミネートの時点で圧倒的だった「マサリク」が、12のカテゴリーでライオン像を獲得していた。昨年末に公開されて観客数では一番だったらしい「アンデル・パーニェ2」は、ノミネートされた部門はあったが、ライオン像は一つも獲得できなかったようだ。ちょっと意外である。
チェコ人の政治好きを考えると「マサリク」が一番多くの部門で勝つのは予想通りだったが、この映画、マサリクはマサリクでも、トマーシュ・ガリク・マサリクではなく、その息子のヤン・マサリクの生涯を描いたものである。主役のマサリクを演じたのは、ハリウッド映画への出演で日本でも知られているかもしれないカレル・ロデンである。ベネシュを演じたのがカイズルだったかな。
ロデンが脚本を読んだ瞬間に出演を快諾し、カイズルはぎりぎりまで悩み続けて最後の瞬間にOKを出したなんていう撮影のこぼれ話が、特に映画に注目していない人間のところにまで届くぐらいには、この映画はチェコでは注目されていた。劇場で公開されてどれぐらいの観客を集めたのだろうかと考えて、まだ公開されていないことを思い出した。
最近、テレビでも予告編のようなものをしばしば見かけるようになっているし、街中にもポスターが貼られているので、そろそろ映画館で見られるようになるはずである。チェコのライオン映画賞は、前年に公開された映画ではなく、制作された映画を対象にしているので、こんなことが起こるのである。映画「マサリク」にとっては、今回の賞をほとんど総なめした結果は、最高の宣伝である。
その上で、どのぐらいの観客を集めるだろうかと再び問う。昨年末に公開されて、百万人を大きく超える観客を集めた「アンデル・パーニェ2」を超えることができるだろうか。あっちは子供も楽しめる映画で、家族で出かけた人も多いだろうから、「マサリク」が超えるのは難しいかな。このチェスキー・レフで評価が高くても、興行的にはあまり成功しなかった映画もあるわけだし。
ところで、ヤン・マサリクは共産党が政権を獲得したクーデターの後、外務大臣在任中に外務省の窓から転落して死んだことで知られている。これが共産党政権が発表したように本当に転落事故だったのか、マサリクが邪魔になった共産党による暗殺だったのかは、現時点でもはっきりはしていないようだ。もちろん、反共産党のチェコ人たちの多くは、暗殺だと考えているのだが、100パーセント確実だと言えるだけの証拠は見つかっていないようだ。
ヤン・マサリクは、外務省で外交官として仕事をして、ベネシュがロンドンで組織した亡命政府の外務大臣になるわけだが、その前、ミュンヘン協定の後、自分の外交官としての仕事がまずかったのかという自己批判から、心を病んで精神科の病院に入院していたこともあるらしい。この映画「マサリク」では、これまであまり知られていなかったヤン・マサリクの生涯をも描き出しているようである。こういう精神的に追い詰められていた姿が描かれているということは、マサリクの死については、暗殺説を前面に押し出していないということかなと推測する。
映画館にまで足を伸ばしてみたいとは思わないので、来年か、再来年かにテレビで放送されたときに内容を確認しよう。そして、何年か前にチェコテレビが制作した歴史再現ドラマ「チェコの幾世紀」(仮訳)での扱いと比較してみたら面白そうだ。そのころまでには忘れていそうだけど。
ロンドンの亡命政府が主催して、ケンブリッジかどこかで、コメンスキー関係の大きな式典が行われたという話も聞いているのだが、ヤン・マサリクも関っていないはずはないから、最近縁の増えてきたコメンスキー関係からも、見ておくべき映画なのか。
3月5日23時。
2017年03月07日
スパルタ低調(三月四日)
夕方いつもならテレビのニュースを見ている時間に、スパルタとドゥクラのプラハチーム同士の試合(スラビアとスパルタの試合ならダービー(チェコ語だとデルビ)と呼ばれるのだけど、それ以外のプラハチーム同士の試合は小ダービーと呼ばれる)が放送されていたので、ついつい見てしまった。実況担当がボサーク師匠だったというのも理由の一つである。
スパルタは、プレシーズンの親善試合は好調だったらしいけれども、春のシーズンの最初の試合で、ロシアのロストフに惨敗して以来、チェコリーグの春の初戦でボヘミアンズに1−0でやっとのことで勝って、ロストフとのホームでの二戦目は、相手が勝ち抜けをほぼ決めて手を抜いてくれたおかげで1−1の引き分け、次のヤブロネツでの試合では、またまた1−3で惨敗とぜんぜん調子が上がらない。
その上、ヨーロッパリーグで敗退がほぼ決まったロストフとの初戦の後、ロシツキーの欠場が続く中、攻撃の中心になっていたドチカルを中国に売っぱらってしまっている。移籍金が二億五千万コルナ弱で、年棒が八千万コルナほどで、拒否できるオファーではなかったらしい。移籍金だけでスパルタが毎年垂れ流している赤字の二年分ぐらいになるからなあ。本年度のスパルタは、オーナーが変わって以来初めて黒字になるんじゃなかろうか。行った先のチームはチェコ語で聞いてもよくわからないのだけど、ドチカルが持っていたマフラーには河南何とかと書いてあったので、河南省のチームのようだ。
中国には、昨年の夏に中国移籍確実だと言われていたスラビアのミラン・シュコダの弟、ブルノ所属のミハル・シュコダも二部のチームに売られていくところだったのだが、中国チームが心変わりして別の選手を獲得したため破談になった。秋のシーズンで10点取って得点王争いをしている選手が、ヨーロッパのチームならともかく、中国の、しかも二部のチームなんかに行かなくて本当によかったと思う。
閑話休題。
この試合、前半は見ていないので、開始五分のシュラルのペナルティエリア外からのシュートでスパルタが先制したことと、そのときグラウンドに二つ目のボールが転がっていたけれども、プレーには影響がないというので、審判が続行させたと言うこと以外は知らない。
ドゥクラは共産主義時代のチェコスロバキアリーグでは最強を誇ったのだが、現在の戦力で比べるとスパルタに大きく劣るのは否定できない。カザフスタンに行っていたクシュニールとか、インドでプレーしていたポダニー、いつの間にかドイツから帰ってきていたシムーネクなんてスパルタから出された選手が何人もいてちょっとびっくりした。それなのに、互角以上の戦いを見せていた。ドゥクラがよかったと言うよりは、スパルタが不安定すぎたというのが正しいのかもしれない。
スパルタの何がいけないって、ディフェンスがぼろぼろ。この試合では、低調なプレーを続けているM.カドレツが外れて、これも低調続きのマズフと、中盤で起用されていたホレクがセンターバックを勤めていたのだけど、連携不足なのか何なのか、無駄に危険なシーンを何度も作り出していた。
中盤は、ロストフでの敗戦後、若手のサーチェクやチェルマークが使われるようになって、活性化したと言うか、これからが楽しみになってきたのだけど、ディフェンスは、カラバエフ以外は、みんなベテランで、この試合で怪我で欠場のコスタに代わって出場のヒプシュも、よくない意味でベテラン化している印象がある。こっちも若手を使ってベテランの危機感をあおればいいのにと思うのだけど、どうも若手がいないらしい。もちろん、U19何かのチームにはいるのだろうけど、怪我人続出で選手が足りないなんて事態にならない限り起用するのは難しいのだろう。秋はそれで何人か試合に出ていたけど、中盤の選手だけだった。この試合で、ボヘミアンズが生んだ最期の天才V.カドレツが復帰していたけれども、試合勘のなさを露呈していた。うーん、こいつも期待はずれに終わりそうな雰囲気である。
残り二十分ぐらいで、コナテーが出てきたときには、スパルタファンからブーイングが起こっていた。「コナテー出て行け」なんてことが書かれた幕も掲げられていたし、ボールを持つたびにブーイングが繰り返されていた。無理やりスパルタを出ようとしたのは、とんでもない活躍をするまで、忘れてもらえないのだろう。ロストフとの初戦で惨敗の原因となる退場食らったのも火に油を注いだしなあ。チャンスでミスを連発したカドレツにもブーイングが投げられていたから、コナテーがチェコ人じゃないからという理由ではないのだろうけれども、見ていてあまり気持ちのいいものではない。
今日の試合の後半を見る限り、プルゼニュやスラビアを追い抜くことは難しそうだから、スパルタは三位ということになりそうだ。春になって結果が出ないことから、元プルゼニュ監督のブルバと新シーズンからの監督として交渉しているらしい。ホロウベクに続けさせればいいのに。
3月4日23時。
2017年03月06日
何じゃそれ(三月三日)
大学に入って、学校の週五日制にむけて、公立の学校では土曜日を月一で休みにすると聞いたときには耳を疑ったし、週五日制が実現されたことを知ったときにはふざけるなと思った。俺なんざ、大学でも土曜日に授業があったのにという嫉妬めいた気持ちがあったのは否めないが、我々のときですら、質が落ちた量が減ったと言われていた高校までの教育内容を、これ以上減らしてどうするのだろうと思ったのだ。
その後、円周率の計算に、3.14ではなくて、3を使うようになったという話を漏れ聞いたときには、笑うしかなかったというか、日本はこれで大丈夫なのかと思ってしまった。授業について行けない、いわゆる落ちこぼれが存在するのは、確かに由々しき問題であるけれども、落ちこぼれをなくすために、勉強の内容を簡単にするというのは本末転倒というか何というか、中国の緑化活動が岩に緑色のペンキを塗って完成というのに通じるものを感じてしまった。
自分たちの生活にかかわりかねないことで、政府のやっていることがどうしようもなく馬鹿だなあと思ってしまうようなことはいくつもあって、ハッピーマンデー制度なんてのが始まったときにも、考え出した奴の正気を疑ってしまった。月曜日が休みになれば三連休になるから、ちょっとした旅行やリゾートに出かける人が増えるだろうなんて短絡的なことを考えるのは、想像力が欠落しているに違いない。そんなのに出かける人間は、出かける余裕のある人間は、連休なんぞになっていなくても、有休とってでも出かけるものだし、休みになろうが出かけない人間は出かけないのだ。
仮に、最初は国がそんなことを言っているからとわざわざ出かけるにしても、同じ時に休みが重なるから、日本中から集まった人ごみに嫌気がさして、二度と行くまいということにもなりかねない。休みが重なったときの日本人の特定の場所への集中ぶりなんてのは、ゴールデンウィークの過剰な混雑を見るまでもなく理解できるだろうに。ただの週末であっても、人の多さに辟易させられるのだから、三連休なんてことになれば、推して知るべしである。
その結果の一つとして、大学なんかでは月曜日の授業は回数が減りすぎて科目として成立しないため、休日だけれども授業をしたり、土曜日に代替の授業を行ったりしているという話も聞いた。ということは、ハッピーマンデーのハッピーには学生を含め大学関係者は含まれていないようだ。それともそんな休日の授業はサボっちまえというのだろうか。休日であっても仕事をしなければならない人たちにとっては、休日勤務で給料が増えるというなら話は別だけど、何の意味もないどうでもいい制度だろう。この制度が導入されてよかったと考えている人たちはいるのだろうか。
そして、今回、プレミアムフライデーとかいうのが始まったらしい。カタカナで書けば効果がありそうに見えると考えているのだろうか、安直なネーミングで、プレ金なんて略し方には、かつての花金、花木と重なるものを感じる。あれは政府が言い出したことではなかったが、マスコミが使うのに踊らされている人たちを他人事のように見ていた点では変わりはない。今回の制度の趣旨も具体的な内容もよくわからないけれども、結局意味のないものに終わってしまうような気はする。
チェコに来てよく考えてあるなと思ったのが、小学校から高校までの一週間の春休み(二月なので時期的には冬休みだけど、クリスマス前後を冬休みと考えて春休みにしておく)が地域によって異なっている点である。地方単位で異なるのではなく、同じ地方内でも都市によって、プラハなど市区によっていつ春休みになるかが異なっている。
これは同じ時期に春休みにしてしまうと、スキー場などに一度に子供たちが集中して対応しきれなくなるので、休みの時期をずらすことによって分散するようにしているらしい。スキー場を訪れる客にとっても、スキー場にとってもありがたいシステムである。親が子供の休みに合わせて休暇をとるにしても、大企業であれば全員一度にということにはならないから、企業にとってもありがたい制度なのかもしれない。
日本もこれに習って、地域別の休日とか決めてしまえばいいのに。県単位、市町村単位で休日がずれるようなことにすれば、多少は人の集まりを緩和することができるはずだ。固定の祝日ならともかく、移動する祝日なんて、その日でなければならない理由は失われているわけだから、学校ごとにどの日を休みにするか決めさせるのも悪くない。そうすれば授業の回数が足りないから、本当は休みだけど授業なんて、何のために祝日を移動させることにしたのかわからなくなるような事態は避けられるはずである。
プレミアムフライデーとやらも、金曜日にはこだわらないで、別の曜日でもいいことにしてしまえば、少しはましじゃなかろうかとも思うのだけど、決めた連中が何を求めているかがよくわからないので、何とも言えんなあ。またまたなんじゃそりゃという内容になってしまった。
3月3日20時。
2017年03月05日
警察馬(三月二日)
自分で書いておきながら、本日の題名をどう読むのがいいかなやんでしまう。「けいさつうま」「けいさつま」「けいさつば」、どれも音読みだから、「けいさつけん」を考えると悪くないのだろうけど、ピンと来ない。
とまれ、チェコに来てパトカーには乗せてもらったことがある。サイレンは鳴らしてもらえなかったけど。救急車で運ばれたこともある。このときは痛みで死に掛けていたから覚えていないけど、急患として病院に運び込まれたからサイレンは鳴らしていたはずだ。だから後は消防車に乗ってしまえば満足だと思っていたし、そう公言してきた。
しかし、もう一つ乗ってみたい、いや乗るためには訓練が必要で、そんなことはしたくないから、乗せてもらいたいものがあったのを思い出した。それが表題の警察馬なのである。普通の乗馬にはあまり惹かれないし、競走馬に乗るなんてもってのほかだけど、警察の人が乗っている馬にはちょっと惹かれる。子供だったら警察のイベントで乗せてもらえるのかな。
日本の警察にもいるのかどうかは知らないけれども、チェコの警察では犬だけでなく、馬も仕事をしている。初めて目にしたのは、ファン同士の対立があって危険があるとみなされるサッカーの試合の際に、よその町から電車でやってきたファンたちを警察が取り囲んで駅からスタジアムまで護送しているのを目にしたときだった。馬に乗ってファンたちと一緒に移動している警察官が何人かいたのである。
何で馬を使っているのだろうと不思議に思ったのだけど、最近プラハの警察の馬部隊に新しい馬が三頭加わったというニュースでその理由がわかった。一つは、馬に乗っている警察官は高い位置から周囲を見下ろすことができることらしい。つまり集団の外側だけでなく、内部、そして反対側で何が起こっているかまで見通せるので、緊急事態に対処しやすくなるということだ。
もう一つが、群衆を分散させるのに使いやすいということだ。自動車などを使うと、人間にぶつかった場合に、どうしても怪我人、場合によっては死人が出てしまう恐れがあるが、馬であればその危険も少ない。人間の警察官だけでは、警棒を奮っても群衆が分かれることはないが、馬の巨体が近づいてくるとついつい横に動いて避けてしまうものだという。それに動き出したり、止まったりするのが、自動車よりも急にできるというのもありそうだ。
1989年のビロード革命のときの映像を見ると、デモ行進を押しとどめようとして警官隊が、プラスチックの片手で盾を持って、警棒を振り回してデモの参加者を殴り倒しているシーンがしばしば出てくるけれども、あの時も馬が使われていれば、流血の事態は避けられたのかもしれない。いや、あそこまで集団が大きくなると馬でもダメだったのかな。当時チェコの警察で馬を使っていたのかどうか情報がないのが残念である。
サッカーのフーリガンだけでなく、移民排斥を求める右翼のデモ、それに反対する無政府主義者のデモなど、近年警察の馬部隊が活躍する場面が増えているような気がする。そんなニュースを見たときに、馬の上からデモの様子を眺めてみたいなと思ったのである。建物の上の同じ場所から見るのではなく、馬に乗ってデモと一緒に動きながら見るというのをやってみたいなと。実現はしないだろうけどさ。
3月2日
2017年03月04日
チェコにはまれな……いいニュース(三月一日)
日本のネット上のニュースで、久しぶりにチェコサッカーのニュース、しかもいいニュースを発見してしまった。それ自体は悪くないのだけど、登場人物の名前が奇妙すぎて何が起こったのかを知っていたのに、一瞬これ誰だっけと考えてしまった。チェコ人の名前を英語風にカタカナ表記するのは、いい加減終わりにしてもらいたいものだ。
ニュースは、週末土曜日のボヘミアンズ・プラハ1905とスロバーツコの試合で、ボヘミアンズのゴールキーパーとディフェンスの選手が衝突して、倒れたキーパーの舌がのどの奥に落ち込んでいて呼吸困難になりそうだったのを、スロバーツコのアフリカ人の選手が、とっさに応急措置をとって舌を引っ張り出したおかげで、キーパーに命の別状はなかったというものである。
ニュース自体はいい。時間差があるのも、どうせ英語のニュース経由での報道だろうから許そう。珍しくチェコで起こった珍妙な出来事ではないニュースが日本でも知られるのは、チェコに住む日本人としても嬉しくなくはない。でもなあ、バーコベックって誰だよ。一瞬ボヘムカに新しいキーパーが入ったのかと思ってしまった。
落ち着いて考えてみれば、ベルディフがバーディッチになっていたのと同じ伝で、ベルコベツのことだった。この選手、本来はスラビアの選手で、出場機会を求めてかレンタルでボヘミアンズに来ている選手である。前回ボヘミアンズにレンタルで出されたときに大活躍をして、スラビアに戻されたけれども、中国資本で選手を買い集めたスラビアでは、出場機会がほとんど得られなかったようだ。
それはともかく、もう一人の当事者ディフェンスのクルチにも困った。クリチなら知っているけど、あれは十年ぐらい前にボレスラフやスパルタで活躍したフォワードの選手である。起こりうる間違いを考えて、クルフかクロフではないかと予想はつけたけれども、それなりに知名度のあるベルコベツと違って、思い当たる選手がいない。ボヘミアンズの選手はレンタルで来た選手が多いので、出入りが激しくて、よほど印象に残る活躍をしないと記憶に残らないのである。調べたらクルフだった。うーん、知らんなあ。
ベルコベツを救ったコネは、場合によってはコネーとも聞こえるのだけど、日本の記事にはトーゴ代表と書いてあったが、実はコートジボワールの出身の選手である。ただ母親がトーゴ出身だったために、代表としてはトーゴを選んだのだという。タイやポルトガル、ハンガリーなどのチームを経てチェコのスロバーツコに2015年に移籍してきている。
ベルコベツは、退院してすぐにコネにお礼のための連絡をいれ、夕食に招待したらしい。コネももちろんその招待を受け入れて、一緒に夕食をとることは決まっているようだ。チェコに来て二年弱、片言のチェコ語と英語でコミュニケーションをとるのかな。まあ、サッカーという共通言語があるから、何とかなるのだろう。
別の記事では、この事件の別の一面にまで触れられていた。それは、チェコの下品なサッカーファンの間に蔓延する人種差別的な野次である。記事では、野次を飛ばしていて連中の中に、それを後悔するようなコメントを残したのがいるようなことが書かれていた。別人の振りをしているけど、野次を飛ばした本人に違いないと思う。それはともかく、この手のなんだかいい話は信用しないほうがいい。喉もと過ぎたら熱さ忘れるで、しばらく時間が経てばまたぞろ同じような野次を飛ばすに決まっている。
ただ、この手の野次、人種差別的なものだけではなく、人格を攻撃するような野次を飛ばされるのは外国人選手だけではないということは指摘しておきたい。外国人選手への攻撃も原則として相手チームの選手に目掛けて飛ぶのである。もちろん自分のチームの選手であっても、ふがいないミスを連発したり、無駄な退場をしたりすると攻撃されることになる。その際、選手に固定ファンがいない分だけ外国人選手への攻撃がきつくなるという面はある。
もちろんこの手の攻撃的な野次を飛ばす連中は、一部のフーリガンとかウルトラスとか自任している連中が中心であって、大半の観客はサッカーそのものを見に来ているから、ウサ晴らしのように人種差別的な言葉を叫んだりはしない。問題はウサ晴らしにスタジアムに来ている連中の存在によって、スタジアム全体の空気が悪くなり、純粋にサッカーを楽しめなくなっていることだ。子供を連れて行ける環境にはないと言っているサッカーファンもいたなあ。
この手のフーリガン団体とクラブは、チケットの販売で優遇を図るなど、けっこうずぶずぶの関係になっているところもあるのだが、チャンピオンズリーグやヨーロッパリーグの試合で、問題を起こしてクラブが処罰を受けるという事例も増えているから、今後もこのままというわけにはいくまい。
こんなチェコの状況に比べたら、日本のJリーグは、少なくともネット上の記事で読む限り、幸せである。チェコでもスタジアムが家族連れが気軽に出かけられるような場所になってほしいとは思うが、まだまだ時間がかかりそうである。
3月1日23時。
2017年03月03日
衝撃の……事実(二月廿八日)
気が付けば、今年最初の小の月である二月も晦日、時間が経つのが早すぎる。とはいえ、年末年始の数日の体調不良の時期を除けば、毎日一本、それなりにまとまっていて読めるのもあれば、どうしようもく読めないのもあるけれども、何とか書き上げる生活を、かれこれ一年二ヶ月続けてきたことになる。正確には、いろいろな事情で、ほとんどかけない日もあって、別の日にたくさん書いて穴埋めしたり、時間をかけてまとめている『小右記』関係の記事を分割掲載したりすることで、一日一本投稿しているというのが正しいか。クリスマス進行の時期には、前倒しで何日分かまとめて予約投稿したわけだし。
いずれにしても、最初は一ヶ月も続かないことを危惧していたわけだから、自分でも驚きの継続振りである。昔お世話になった先生が、口癖のように「継続は力なり」と仰っていたけれども、この書きなぐりプロジェクトの場合、継続はしているけれども、まだまだ力というには不足している。第一の目標であった毎日書く、暇があれば書くというのは、身につきつつあるので、ここは第二の目標に目を向けてもいいかも知れない。
第二の目標としては、毎日真面目なテーマで、頭を使わなければかけないようなものを書くというのがいいのか、文章の質を上げるというのがいいのか、悩ましいところである。前者はこれまでもたまに挑戦してきたけれども、選んだテーマに対する考えがまとまりきらないうちに書くと、考えが堂々巡りに陥って地獄を見る。でも書かないで放置しておくと永遠に考えがまとまらない。ぐちゃぐちゃになりかけた文章を、ぶった切るように強引にまとめて終わらせるという点にかけては、訓練になっているし向上しているのかな。
後者は、そもそも質の高い文章とはなんぞやという問題がある。書き上げてうまくかけたと思えた文章など一つもない。それなのに、ブログを表示させて読んでみると、そこそこ読める。自分で書いた文章なのに、読み込んでしまうこともある。一度あまりのひどさに、慌てて書き直したことはあるけど。つまり、何に気をつけながら書けば、文章の質が上がるのかよくわからんということだ。最初は、適当に書いているうちに、少しはうまく書けるようになるんじゃないかと期待していたのだが、どうもそういうことにはなりそうもない。
大学時代の友人らしき人物がツイッターに漏らしていた、文章は一年は寝かした上で修正しないといいものにならないというのを実践するしかないのか。一方で新しい文章を書き散らしつつ、去年書いた分を修正していくのか。うーん、想像するだけでも逃げ出したくなる。間違いやわかりにくいところの修正ならともかく、文章の質を上げようとして、いや気取った文章にしようとして修正に手を付けると、一箇所の直しが連鎖反応を起こして、最終的には全面的な書き直しになってしまうこともある。それもできれば避けたい。
いや、そんなことよりツイッターである。これまでも、何度かもらしてきたような気がするが、フェイスブックとかツイッターというものが嫌いである。ラインとかなんとかいうものは、嫌いを通り越してどんなものか実態を知りたいとも思えない。現実がどうなのかは知らないが、これらのサービスについての記事を読むたびに、有用性を説く記事であっても、お互いに監視しあっているような窮屈さを感じないのだろうかと不思議に思ってしまう。こんなことを書くと、あいつがツイッターで書いていたことが全く正しく、自分が大学時代から、それこそ一歩も進歩していないことを再確認させられてしまう。
ブログの管理ページから、去年の二月のアクセス解析なんてものみていたら、リンク元というところにヤフーでの検索結果のページらしきものが出ていたので、興味半分に開けてみた。そしたら、一覧にあがっているページの中に、件のツイッターのページがあったのだ。ツイッターのページに行って、コメントを読んで思ったのは、「これどう読んでも俺のことやんけ」。
旧友達とは音信不通になって久しいから、チェコで仕事をしているなんて知られていないはずなのだけど誰だろう、こんなことを書くのは。ああ数年前にチェコに来るといって連絡くれたのがいたなあと思い出して、ツイッターの主の名前を見たら、そいつを連想させる名前だった。フェイスブックならやりそうなタイプだったけど、ツイッターとは意外だぜと、表示されたものを読んでいったら、そいつじゃなくて、これも我が悪友たる旦那のほうだった。
意外といえば意外だったけれども、短く辛らつなコメントを残すのが得意だった大学時代を考えれば、ツイッターはあっていると言えば言えるのか。あまり辛らつな発言が見当たらなかったのは、こっちのこれもそうだけど、お互い年をとったねえということだな。しかし、ツイッターよりブログで長い文章を読ませてくれないかとも思う、
とまれ、○○先生、このブログの存在に気づいていたら、昔から進歩しない冗長に過ぎる文章と内容から、こっちの正体にも気づいてんだろ。匿名で他の人にはわからないようなコメント残してくんな。期待しないで待ってるから。コメントするのは嫁さんのほうでもいいぞ。
2月28日23時30分。
最近、末尾の日付と時間がほとんどフィクションと化していたけれども今日はほぼ正確である。問題が一つ、このツイッターの存在を知って、喜ぶべきか、喜ばざるべきか。うーん、とりあえず、二度とは言わないが、しばらくは見に行くことはあるまい。3月2日追記。
2017年03月02日
フィレンツェのコメンスキー(二月廿七日)
フィレンツェのウフィツィ美術館に「老人の肖像」と題されたレンブラントの絵画がある。この老人は、ユダヤ教のラビであるといわれることもあるのだけど、実はこの人物がコメンスキーではないかという説が、十年ほど前にオランダの美術研究者から出されたことがあって、一部で話題になったらしい。
しかし、チェコでは二十世紀の初めから、あれはコメンスキーだと言われていたのだ。ただ、その説を出したのが、美術の研究者ではなく歴史学者であったこと、そして第一次世界大戦前後のあわただしい時期であったこともあって、チェコ以外に広まることはなかったようだ。
H先生がかつて、博物館での教科書に関する展示に協力するためにイタリアのフィレンツェに出かけた際、このコメンスキーの絵を自分の目で見るのが楽しみでならなかったらしい。そして、実際にウフィツィ美術館に入りコメンスキーの絵の前に立ったとき、写真を撮って持って帰りたいという衝動をこらえることができず、禁止されていることは重々承知の上で、思わず写真を撮影してしまった。当然警備の人に見つかって、連行されてしまったわけだけど、先生にとってはそれも願ってもないことで、館長に合わせてくれとごねたらしい。
館長に会って、コメンスキー博物館の館長だと、自分の身分を明かした上で、コメンスキーの絵の写真を撮らずにはいられなかったのだと自分の気持ちを伝えたところ、館長はちょっと気の毒そうな顔をして、「でもね、あの絵はコメンスキーの絵ではありませんよ」と。
先生は、そんなはずはない、チェコではコメンスキーだと言われているんだと主張して、結局美術館のカタログ(収蔵品の目録とか台帳みたいなものかな)を二人で見に行くことになったらしい。そこには、コメンスキーの絵であるとは書かれていなかったけれども、メディチ家の人物がレンブラントから購入したことが記されていた。
そこで先生が一言、「メディチ家がわざわざレンブラントに注文するのに、どこの誰かもわからない老人の絵を頼んだと思いますか?」と。館長さんは、「そう言われれば確かにそうかも」と最初のコメンスキーではないという確信は揺らいでいたようだった。
結局、この絵がコメンスキーの肖像であるという証拠は見つからず、コメンスキーであることを否定するような証拠も出てこなかったということなのだけど、こんな話をユーモアたっぷりに話して聞かせてくださるから、H先生のお話を聞いていると時間があっという間に経ってしまう。忘れてしまうのはもったいないので、ついつい書いてしまう。
そして、書いた以上は、ということで、ついつい公開してしまう。次にお目にかかる機会があったら、このブログのことをお話しすることにしよう。そんなことをしたら、覚え切れないぐらいの話をしてくださることになって、書ききれないと言うことになるかもしれない。
それで、直接的な証拠は出てこなかったのだけど、チェコの歴史学者がレンブラントがコメンスキーを描いたという説の根拠にしたことの一つが、コメンスキーとレンブラントがアムステルダムの同じ通りに同時期に住んでいたことだという。そして、コメンスキーの家族の健康管理をしていた主治医の医者を通じても二人は知り合いだったはずなのだそうだ。
そんな背景を知った上で、豊かな白い髭を蓄えた「老人の肖像」を見ると、確かにコメンスキーのように見えてくる。芸術的な目など持っていないので、他のコメンスキーだと言われる肖像画や、象などと比べて、同一人物だとか違うとか言うようなことはできないけれども、H先生を信じてあれはコメンスキーだと断言しておく。
2月28日10時。
チェコ語のウィキペディアでは「おそらくコメンスキーの絵」と書いてある。3月1日追記。
https://cs.wikipedia.org/wiki/Jan_Amos_Komensk%C3%BD#/media/File:Rembrandt_Harmensz._van_Rijn_112.jpg