2017年03月02日
フィレンツェのコメンスキー(二月廿七日)
フィレンツェのウフィツィ美術館に「老人の肖像」と題されたレンブラントの絵画がある。この老人は、ユダヤ教のラビであるといわれることもあるのだけど、実はこの人物がコメンスキーではないかという説が、十年ほど前にオランダの美術研究者から出されたことがあって、一部で話題になったらしい。
しかし、チェコでは二十世紀の初めから、あれはコメンスキーだと言われていたのだ。ただ、その説を出したのが、美術の研究者ではなく歴史学者であったこと、そして第一次世界大戦前後のあわただしい時期であったこともあって、チェコ以外に広まることはなかったようだ。
H先生がかつて、博物館での教科書に関する展示に協力するためにイタリアのフィレンツェに出かけた際、このコメンスキーの絵を自分の目で見るのが楽しみでならなかったらしい。そして、実際にウフィツィ美術館に入りコメンスキーの絵の前に立ったとき、写真を撮って持って帰りたいという衝動をこらえることができず、禁止されていることは重々承知の上で、思わず写真を撮影してしまった。当然警備の人に見つかって、連行されてしまったわけだけど、先生にとってはそれも願ってもないことで、館長に合わせてくれとごねたらしい。
館長に会って、コメンスキー博物館の館長だと、自分の身分を明かした上で、コメンスキーの絵の写真を撮らずにはいられなかったのだと自分の気持ちを伝えたところ、館長はちょっと気の毒そうな顔をして、「でもね、あの絵はコメンスキーの絵ではありませんよ」と。
先生は、そんなはずはない、チェコではコメンスキーだと言われているんだと主張して、結局美術館のカタログ(収蔵品の目録とか台帳みたいなものかな)を二人で見に行くことになったらしい。そこには、コメンスキーの絵であるとは書かれていなかったけれども、メディチ家の人物がレンブラントから購入したことが記されていた。
そこで先生が一言、「メディチ家がわざわざレンブラントに注文するのに、どこの誰かもわからない老人の絵を頼んだと思いますか?」と。館長さんは、「そう言われれば確かにそうかも」と最初のコメンスキーではないという確信は揺らいでいたようだった。
結局、この絵がコメンスキーの肖像であるという証拠は見つからず、コメンスキーであることを否定するような証拠も出てこなかったということなのだけど、こんな話をユーモアたっぷりに話して聞かせてくださるから、H先生のお話を聞いていると時間があっという間に経ってしまう。忘れてしまうのはもったいないので、ついつい書いてしまう。
そして、書いた以上は、ということで、ついつい公開してしまう。次にお目にかかる機会があったら、このブログのことをお話しすることにしよう。そんなことをしたら、覚え切れないぐらいの話をしてくださることになって、書ききれないと言うことになるかもしれない。
それで、直接的な証拠は出てこなかったのだけど、チェコの歴史学者がレンブラントがコメンスキーを描いたという説の根拠にしたことの一つが、コメンスキーとレンブラントがアムステルダムの同じ通りに同時期に住んでいたことだという。そして、コメンスキーの家族の健康管理をしていた主治医の医者を通じても二人は知り合いだったはずなのだそうだ。
そんな背景を知った上で、豊かな白い髭を蓄えた「老人の肖像」を見ると、確かにコメンスキーのように見えてくる。芸術的な目など持っていないので、他のコメンスキーだと言われる肖像画や、象などと比べて、同一人物だとか違うとか言うようなことはできないけれども、H先生を信じてあれはコメンスキーだと断言しておく。
2月28日10時。
チェコ語のウィキペディアでは「おそらくコメンスキーの絵」と書いてある。3月1日追記。
https://cs.wikipedia.org/wiki/Jan_Amos_Komensk%C3%BD#/media/File:Rembrandt_Harmensz._van_Rijn_112.jpg
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