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2019年10月30日
ハンベンゴロー(十月廿八日)
本来昨日の記事にするつもりだった話だが、18世紀の後半に突如日本に現れ、極東におけるロシアの領土的野望について警告を発して消えたハンベンゴローの話である。ハンベンゴローは、四国の阿波、奄美大島に立ち寄って長崎のオランダ人宛てに書簡を残し、それが翻訳されて幕府の手にも渡ったらしい。
そんな日本史的な話は、ここではどうでもよくて、気になるのはこの人の出自である。ハンベンゴロー、辞書によってはハンベンゴロとも書かれる人物の本名はベニョフスキ、もしくはベニョフスキーで、似ても似つかないのは、通詞が翻訳の際に読み誤った結果だという。最初の「ハン」がオランダ語で名字の前におく「ファン」だというのは想像できても、ベニョフスキが「ベンゴロ」になるのはよくわからない。最初に聞いたときには「ハンペンゴロー」だと思って、はんぺん好きの外国人につけられたあだ名だと思ってしまった。
それはともかく、この人の経歴だが、ここはまたジャパンナレッジから辞書を引こう。冒頭だけ引くが、最後まで読むと、ほら吹き男爵ばりの滅茶苦茶な人だったということがわかる。
ハンガリー生まれの冒険旅行家。一七四六年生まれる。年若くしてポーランド軍に投じロシア軍と戦って捕虜となり、カムチャツカに流罪となり服役中一七七一年(明和八)脱走、ロシア船を奪い千島列島から太平洋を日本列島に沿うて南下しさらに台湾を経て澳門(マカオ)に至り、フランスに渡る。"ベニョフスキー【Moric August Aladar Benyovzky】", 国史大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-10-29)
気になるのはハンガリー生まれというところで、ベニョフスキーという名字がどうもハンガリーっぽくなく、スラブの臭いを感じてしまうのである。ポーランド軍に入ったというからその時に改姓したのかとも思ったが、「Benyovszky」という表記を見るとそれもどうも違いそうである。ポーランド語であれば、末尾は「ki」となるはずだと断言しかけて、昔のポーランド語では「ky」もありだったのかもしれないと思いついた。
ただ、慣例的に日本ではポーランド人であれば、名字の末尾は「スキ」と短音にするのに、ベニョフスキーの場合には、短音と長音の表記が混在している。チェコ語の名字も、かつては、今でもかもだけど、記号を取っ払った英語からの音写が行われた結果、短音で表記されることが多かったことを考えると、チェコ語の臭いも感じてしまう。この辺は自分の頭がチェコ語化している証拠で、同時に弊害でもある。
ジャパンナレッジには幸いなことに東洋文庫も収録されていて、そのうちの一冊として当人の作品である『ベニョフスキー航海記』も読めるようになっている。東洋文庫には解説もついているので、斜め読みしてみた。そうすると、ベニョフスキーの出身は、ハンガリーはハンガリーでも上部ハンガリーと呼ばれる現在のスロバキアだということがわかった。ニトラ州とか書いてあったかな。
ベニョフスキーのころはスロバキアなんて国は影も形もなく、ハンガリー王国の一部だったわけだから、ハンガリー人として扱われるのも当然である。ニトラの辺りであれば、ハンガリー系とスロバキア系の住民が混住していた可能性は高いし、ベニョフスキーはスロバキア系のハンガリー人だったのかもしれない。そうすると初めて日本を訪れた、上陸できたかどうかは微妙だけど、スロバキア人ということになる。
念のために、チェコ語のウィキペディアで確認すると、ベニョフスキーの出身地は、ニトラよりはかなり北にあるブルボベーという小さな町で、西スロバキアの中心都市の一つトルナバの近くにあるようだ。ハンガリー語名はベルボ。いや、それ以前に「スロバキアの冒険家」として、スロバキア人だと明記されている。証拠としては、ギムナジウムの卒業の際の書類にスロバキアの貴族であることが書かれているという事実が上げられている。
ハンガリーに支配されていた時代に、スロバキア系の貴族が存在したのかどうかはよくわからないが、高位ではなく在地領主レベルの存在であればスロバキア系の人がいないと国の運営が難しかったのではないかとも思う。
ベニョフスキーという貴族家については、14世紀以前にに成立したハンガリーの貴族家で、もともとは「z Benyó a Urbanó」と書かれていたらしい。そうすると「z Benyó」が、オランダ語風に「ファン・ベンヨー」と書かれて、それが「ハンベンゴロー」と誤読されたと考えるのがよさそうだ。ちなみにこの家名、初代のベンヤミンとウルバンという兄弟の名前から出ているようである。名前、地名、家名という経過をたどったと考えていいのかな。問題はベンヨーという地名の存在が確認できないことだけど。
とりあえずの結論として、ハンベンゴローは、ハンガリーの貴族の出身で、スロバキアに領地を得て在地化しつつあった家系出身の山師であったと結論付けておく。著書がかなり早い時期にスロバキア語でも出版されているのも裏づけになりそうである。
2019年10月29日10時30分。