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2019年10月11日
またまたコメントの話(十月九日)
以前コメントをいただいた「TripPartner」というところから、再びコメント、というか依頼をいただいた。前回はコメントをもとに記事を書いたので、今回も繰り返そうと思う。記事でははっきり断るような文面ではなかったから、再度の依頼が来たのだろうか。絶対いやだという拒否の気持ちはないのだけど、だからといって積極的に引き受ける気にもなれない。それであんな中途半端なことを書いてしまったのだろう。
今回は「スカウトチーム」という名前でコメントが入っていて、スカウトされちゃったよと思ってしまった。これがこのブログをはじめる前の話だったら、気楽に引き受けていたかもしれないけど、露出がないから依頼自体がなかった可能性のほうが高い。ブログを始めて以来、書くことの楽しさだけでなく、大変さ重さにも自覚的になっているので、気楽に引き受けるとは言いにくいのだ。
気が進まない理由を考えると、まず、時間が取れるかどうかわからないというのがある。一応本業というものがあって、その合間つかって毎日文章を書いているわけだ。ブログの記事を書く合間に本業をやっているとか、日本語を使う仕事をしているから、外国で日本語の運用能力を維持するという意味では記事を書くのもまた本業の一部だとか、考えてもいいわけだけど、一本の記事を書くのに継続した時間は使えず、空いた時間に細切れに書き進めるという事実はかわらない。
それは、ここにあげてある記事のできの悪さ、文章の結構がおかしかったり、ひどいときには文頭と文末がちゃんと呼応していなかったりすることがあるのを思い出してもらえれば、すぐわかるはずだ。間違いに気づいても、面倒くさくて、じゃなくて、時間がなくて放置したまま忘れてしまうことが多い。今は個人的な理由で、自分のために、いわば自己満足で書いているから、こんな状態が許されるけど、依頼を受けて、ましてや謝礼をもらってとなるとそんなわけにも行くまい。
一時間なり、二時間なりまとまった時間を取って集中して一文を物していくだけの時間があるのか。いやそれ以前に、それだけの時間考えながら書き続けるだけの集中力はあるのだろうか。自分のことながら信用できない。そして最悪なのが、時間を取って集中して書いたとしても、出来上がった文章の質が保証できないということだ。読めない文章を書いているつもりはないけど、敬愛する作家が森雅裕である。誰にでもわかる読みやすい文章よりも、読者を選びそうな癖のある文章を書いてしまう。意図せずともおのずからそうなってしまうのだ。
二つ目の理由は、何を求められているのかわからないということだ。以前も書いたけど、件の「TripPartner」の記事は、こちらが書き散らしているものとは毛色が違いすぎる。メインになっている記事は、「〜なもの○選」という書き手のお勧めのものをいくつか並べて紹介するタイプのもので、いやあ、無理だわ。書きたい書きたくない以前に、この手の記事は自分には書けそうもない。
たくさん使用されている写真に関しても、求められたとしても無理としか言いようがないし、仮にこちらが引き受けて記事を書いたとしても、依頼してきたサイトのメリットにはなりそうもない。そんなんで報酬をもらうのも申し訳ない。具体的にこういう記事がという依頼であればもう少し検討の使用もあるのだけど。
その辺の具体的な話はコメントではなく、個別のメールでということなのかもしれないけど、一度直接連絡してしまうと、断りにくくなるというのも二の足を踏んでいる理由である。コメントからは具体的な依頼の内容が想像できないしなあ。「相互協力」「相互送客」なんて言葉もあるから、別に記事を書かなくてもいいのかもしれない。ただこれも何するのかよくわからんという点では変わりがない。
最後に「既に返信頂いた方・ライター登録頂いた方がおりましたらご放念ください」なんてのがあったことを考えると、同じ文面であちこちのブログに機械的に声をかけているようにも見える。それなら気軽に断ってもよさそうだ。ということで、この件は現時点では引き受けかねるというのを結論にしておく。
ところで、「おりましたら」とあるところから、書いた人は西日本の人ではないかと想像するのだけどどうだろうか。
2019年10月9日25時。