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2018年11月11日

ミラン・ラスティスラフ・シュテファーニク(十一月六日)



 チェコで、チェコスロバキアの独立に最も貢献した人物を三人挙げろと言われたら、初代大統領のマサリク、その後継者となったベネシュと共に挙げられるのが、スロバキア出身のシュテファーニクの名前である。この人、スロバキア出身の人物だというから、マサリクがアメリカに渡りスロバキアからの移民たちと、チェコスロバキアの独立に関して結んだ、いわゆるピッツバーグ協定の締結に貢献したものだと思っていた。しかし、実際にはマサリクが独立運動の理念的な柱で、ベネシュが外交の柱だったとするなら、シュテファーニクは軍事面での柱であり、この三人のうち誰が欠けても独立は実現しなかったと言ってもよさそうである。

 特に、フランスをチェコスロバキア独立の支持者の側につけることができたのは、シュテファーニクの功績らしい。チェコスロバキア第一共和国がフランスと近しい関係を結んでいたのは、マサリク大統領夫人の出自がフランス系だというのが原因だと思い込んでいたが、実は、独立運動にかかわっていたシュテファーニクが第一次世界大戦勃発後にフランス軍にパイロットとして入隊し、軍の高官の知遇を得たのがきっかけになっているようである。その人脈をベネシュやマサリクが生かしたということだろうか。
 そして、チェコスロバキアが第一次世界大戦で連合国側の一員として扱われた理由の一つであるチェコスロバキア軍団の創設もシュテファーニクの功績で、特にフランスでは、チェコスロバキア軍団は例の外人部隊の一翼を担って活躍したらしい。フランスだけではなく、イタリアやセルビア、ルーマニアなどでもチェコスロバキア軍団の組織化を行い、軍団が戦果を挙げることで戦後の独立のための交渉が楽になったというから、独立直後のチェコスロバキア政府で軍事大臣に任命されたのは当然だったのだ。ただし、ロシアやフランスなどでチェコスロバキア軍団の後始末をしていたため、独立したチェコスロバキアに戻ってきたのは死の直前ということになる。

 1919年になってから、フランス、イタリアでの交渉を終えて独立した祖国に飛行機で戻ってこようとしていたシュテファーニクは、着陸寸前の滑走路上で起こった事故で亡くなってしまう。一説にはシュテファーニク自身が操縦していたとも言う。これが単なる事故だったのかについてもいろいろ説があって、フランスとイタリアの独立チェコスロバキアを巡る争いとか、ベネシュとの対立とかが原因となって暗殺されたんだとも言う。極端なのになると自殺説まであるらしい。
 ただ、シュテファーニクが乗っていたイタリア製の飛行機が性能面で問題のある物で、交渉相手だったイタリア軍の高官たちも飛行機を使わず陸路で帰国することを勧めたという話もあるから、偶然がいくつか重なった結果の不幸な事故というのが一番蓋然性が高そうなのだが、この事故が第一共和国のチェコ人とスロバキア人の関係に大きな影を落としたことは否定できない。

 シュテファーニクは、もともと西スロバキアのプロテスタントの教会関係者の息子として生まれ、建築技師になるために進学したプラハの大学でマサリクの知遇を得たのが独立運動にかかわるきっかけになったらしい。プラハではなぜか天文学を勉強し一時はフランスの天文台で仕事をしていたというから、フランス軍に入隊する前からフランスとは縁があったのだ。その後、第一次世界大戦が始まるまでは世界中を飛び回っていたらしい。もとより活動的で行動の人で、各地で多くの女性と浮名を流したプレーボーイとしても知られていたという雑誌(日本の「歴史読本」みたいな奴ね)の記事を見かけたこともある。

 チェコスロバキアの独立に大きな貢献をしたシュテファーニクだが、チェコではスロバキア人で独立直後に亡くなったということもあって、あまり重要視されていないように感じられる。スロバキアでは、チェコスロバキア第一共和国自体を否定的に捕らえる考え方が主流だったため、シュテファーニクに対する評価もあまり高くなかったようだ。分離独立から四半世紀チェコに対する感情が改善された近年は変わりつつあるようだけれども、その功績が正等に評価されていない人物と言えそうである。
 マサリク大統領の出自の謎とシュテファーニクの事故死の謎を絡めた国際謀略小説なんて存在しないかなあ。シュテファーニクを主人公にして、マサリクの出生の謎を解きつつ、その秘密をソ連やオーストリアの秘密警察の手から守るなんてストーリーはどうだろう。誰か書いてくれんかなあ。

 ちなみに「ミラン・ラ」まで聞いた時点で、スロバキアの俳優ミラン・ラシツァを思い浮かべてしまうのもシュテファーニクがあまり話題に上がらないことの証明になっている。
2018年11月7日23時25分。









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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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