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2016年03月31日

潔癖症国家(三月廿八日)



 もう廿年近く前になるだろうか。渡辺淳一なる作家の小説がベストセラーになり、映画化だかドラマ化だかされて、「不倫」という言葉が市民権を得たのは。当時から嫌な言葉だなあと思っていたのだが、マスコミにはなぜかもてはやされていた。「不倫は文化だ」とか叫んでいたのは、作家本人だったか、出演者だったか、いずれにしても聞くに堪えなかった。
 それが、最近は、どこぞの芸人が、どこぞの誰と不倫したというニュースが、ネット上を騒がし、それだけならまたかよと思えば済むのだが、よってたかって袋叩きにして謝罪を強要しているように見えるのはどうなんだろう。こういうのを見ると、いじめが日本社会の縮図だというのがよくわかってしまう。
 正直な話、芸人の誰が誰とくっつこうと、それがいわゆる不倫の関係であろうとなかろうとどうでもいいし、公私の区別で言えば、私にあたるプライベートな部分をつつかれて、一点の恥もないという人物が、報道するマスコミや声高に批判する人たちの中にどれだけいるのだろうと考えてしまう。他人のプライバシーを穿鑿するのは楽しいのだろうけど、穿鑿ぐらいでやめておいて、批判や罵詈雑言を投げるのは、当事者に任せておけばいいのに。こんなことは関係のない人間が、あれこれ言っても仕方がない。

 ただ、チェコのこういう点に関する寛容さもどうかとは思う。ここ十年ほどの首相のうち三人までが、在職中にいわゆる「不倫」関係にあり、首相を辞めてから前の奥さんと離婚して不倫相手と結婚している。いや、トポラーネク氏は、前の奥さんが離婚を拒否してるんだったかな。それはともかく、この女性問題は、在任中から一般にも知られていたが、首相をやめる原因にはなっていないのである。
 三人のうち、最後のネチャス氏の辞任だけは、女性問題のせいだとは言える。首相府(この言い方が正しいかどうかは確信がない)の事務局長をしていた今の奥さんが、軍の情報部を使って前の奥さんの動向を監視していたのが、職権乱用に当たるとして逮捕されたことがきっかけであって、二人がそういう関係にあったことが原因にはなっていない。一応、前の奥さんが、首相夫人が関係するには危険な宗教団体とつながりがあるという疑惑があって、それを確認するためだという言い訳がなされていたけど、実際は離婚につながるネタを探させていたんだろうなあ。
 結局、実際に職権乱用の指示を出したのがネチャス氏本人じゃないのかという疑惑が起こったことで辞任に追い込まれた。ただ、本人が頑張れば首相を続けられそうな雰囲気だったのに、政党ODSでクラウス氏の秘蔵っ子として日の当たる道ばかりを歩いてきて、批判を受けるのに慣れていない本人が、やってらんねえやとばかりに政権を投げ出したような印象を受けた。90年代の日本で政権を投げ出した細川首相の辞任に通じるものを感じる。
 このネチャス氏の件に関しては、批判されるべきは、むしろ愛人の女性を自分の管轄する役所の高官として採用したことだと思うのだが、そこをつつくと収拾がつかなくなるのか、それほど批判はされていなかったようである。ちなみに、このネチャス氏、今回の習近平氏の来チェコに際して、ゼマン大統領と、誰が中国との関係改善を始めたかでメディアを通して争っている。どちらが始めたにしろ、さして名誉なことでもないと思うのだが。

 話を日本に戻すと、最近叩かれている乙武氏だけは、ちょっと違うのではないかという気がしてきた。この人が自らの言動を通して主張しているのは、おそらく、障碍者だからと言って腫れ物に触るように扱わないでほしいということである。多少の配慮が必要であるにせよ、障害者を特別扱いをして、何をしても、しなくても、許されるアンタッチャブルな存在にはしないでほしいと考えているのなら、今回袋叩きにされているのは、実は本人の望む所なのではなかろうか。
 マスコミがそれをわかって協力しているのなら、捨てたもんじゃないという気もするが、実際のところは乙武氏に振り回されているだけのようである。更にひどいのは、どこかの政党が、計画していた選挙への擁立を見直すといっていることだ。お妾さんとか、二号さんとか、昔は政治家のためにあるような言葉だったのだが、今では変わったのだろうか。
 それはともかく、著書『五体不満足』というタイトルからもわかるように、乙武氏のスタイルは多分に露悪的である。今回の騒動にも、どうしてそこまでと言いたくなるような、そう、障碍者プロレスに関する記事を読んだときに感じたのと同じような感想を抱いてしまう。目的は理解できるし、理念に共感もできるのだけど、痛々しくて見ていられない。とまれ、乙武氏のように、自らを自らのハンディを冗談にできる、もしくは笑い飛ばせてしまう人は強い。

 チェコにルツィエ・ビーラーという女性歌手がいる。この人、実はチェコでも差別されることの多いロマ人(ジプシーと書いたほうがわかるかもしれない)らしいのだが、出自を隠さないどころか、自分がロマ人であることを冗談にしたり、他の人が言うと人種差別だと批判されてしまいそうなロマ人をネタにしたどぎつい冗談を平然とテレビの生放送で口にしたりしてきたらしい。この強さが、おそらくビーラーが共産主義の時代から変わらぬ人気を得て続けている理由の一つだろう。
 乙武氏にもビーラーにつながるしたたかさを感じてしまう。障碍者である、しかも重度の障碍者である乙武氏が、健常者(これも嫌な言葉だ)と同じような行動を取って、健常者と同じように批判され、健常者と同じようにあれこれ暴露されている現状は、乙武氏にとっては計算どおりなんじゃなかろうか。最初のリークも本人がというのはさすがに違うだろうが、少なくとも状況を十分以上に活用して、マスコミの大騒ぎぶりをにやにや満足げに眺めているような気がしてならない。もちろん、勝手な想像に過ぎないけど。
 また、当初の予定と内容が微妙に変わってしまった。これも看板に偽りありだけど、題名はそのままにしておく。
3月29日23時。

posted by olomoučan at 07:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



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