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2016年03月23日

映画『トルハーク』が日本語で撮影された場合の考察(「トルハーク」三度)


 今回、我々チェコ語学習者有志の手によって上映会を実施することになったこの映画の内容については、池同志の書いたレポートを読んでもらうとして、主人公だと思われる映画監督の撮影方法を、一言で言えば、「言葉通り」と言うことになる。もう少しわかりやすく言うと、脚本に書かれていることを、そのまま映像にしてしまうのである。
 例としては、ミュージカルの舞台となる村の周りに広がる森の中の様子を描いたシーンを挙げておけば十分だろう。恐らく脚本のト書きには、「鳥たちは踊り歌い、蝶たちが舞い踊る」とでも書かれているのだと思うが、珍妙なコスチュームを身にまとった俳優たちが、これまた珍妙な歌を歌いながら踊るのである。それは、貴族風の男性が渋い声で歌う「虫をして生かしめよ」という歌詞とあわせて、シュールとしか言いようのないシーンを作り出している。
 そして、「蛇はどこだ?」という監督の台詞と、手も足も動かせないように気を付けの状態でコスチュームに包まれ、撮影現場に向かおうと四苦八苦している蛇役の俳優の姿に唖然とさせられる。それにしても、脚本には一体何と書いたあったのだろうか。因みに日本人ならこの場面の蛇役の俳優の姿に、ツチノコを思い起こしてしまうのは仕方のないことだと思う。

 さて、本稿で取り上げたいのは、言葉通りに撮影されたあるシーンである。それは、ミュージカルの主人公ティハーチェク氏の姉である郵便局員が、職場の窓から、外に銃を片手に立っている森林管理官を見つめているシーンなのだが、撮影自体はつつがなく終わる。しかし、その後、郵便局員の手が窓枠から離れなくなるという騒動が起こるのだ。脚本に、比喩的な表現で、「彼女は窓から離れられなくなった」とか、「窓に貼り付いてしまった」と書かれているところを、言葉に忠実に、女優の手に接着剤を付けてくっ付けてしまったらしい。そんなことをしても、しなくても、映画内映画の映像的には何の違いもないのにもかかわらずである。
 ここで考えてみたいのは、いや、考えてみたからと言って何がわかると言うわけでも、何かいいことがあるというわけでもないのだが、このシーンが日本語で書かれていたらどうなるだろうかということである。つまり脚本が日本語で比喩的に表現されていた場合、この監督が撮影するこのシーンがどうなるのか少し考えてみたいのだ。

 このような、誰かに見とれてしまう場合に、使われる表現はいくつかあるが、無難なところから始めるとすると、「男から目が離せなくなった」からだろうか。これを『トルハーク』の監督が映像化したとしたら、考えられるのは、女性の顔を離れないように男に押し付けることだろう。しかし、郵便局の中と外という位置関係と、チェコの建築物は壁が厚いことを考えると、こういうシーンの撮影は難しそうである。
 次に考えられるのは、「男に目を奪われてしまった」という表現である。この場合、スプラッタなシーンになってしまうのだが、男が女性の目をえぐり取ることになる。もちろん、実際に目をえぐるのではなく、特撮技術を使うことになるだろうが、これではコメディーがホラーになってしまう。この監督のことだから、ホラーな画面もコメディーになってしまうのだろうし、実際に金欠で森に幽霊の出てくるシーンの撮影が出来なくなった際には、既存の映画の幽霊の出てくるシーンを切り出してつないで代用するという荒業に出て、反応に困る映像を作り出してしまうのだが、ここでは関係がない。とまれ、この方法でも、建物の中と外という壁は越えられそうにない。
 三つ目は、「男に目が釘付けになってしまった」という表現だが、これもこのままでは血の飛び散るシーンが出来上がってしまうので、「目」から少し離れて、「男に見とれてその場に釘付けになってしまった」にしてみよう。これでも、足を釘で床に打ち付けるという残酷なシーンになる可能性もあるが、靴だけを打ち付けることでも言葉の意味を十分に満たすことが出来るのである。しかも、撮影中は問題なく、結果として何の変哲もないシーンが出来上がるのに、終わった瞬間に問題が起こるという点でもチェコ語版と同じにすることができる。
 そして、「目」から離れてしまえば、他にも例えば、「その場でカチカチに固まってしまった」や、「その場に凍り付いてしまった」など、いかにして映像化するかはともかく、いろいろな表現が候補に挙がってくる。『トルハーク』は、見て楽しむだけでなく、こんな楽しみ方もできるのである。皆さんも、いろいろなシーンで脚本にどんなことが書かれているのが想像しながら見てほしい。



 これもわけあって、一年ほど前に他人のふりをして書いた文章。収まりがついていない気がするけれども、投稿してしまう。今回の見直しで、脚本には「彼女は窓から離れられなくなった」というようなことが書いてあり、同時にそのシーンに使うものとして糊(ボンドでも可)が挙げられていたため、この二つの要素をくっつけて、手を接着剤で窓にくっつけるという展開になったことが判明した。3月23日追記。

「トルハーク」再び(三月廿日)



 夕方、他に見るべきものもなきとて、のんびりサッカーを見ていたら、「トルハーク見ないの」と言われた。えっと思ってプログラムを確認したら、チェコテレビの第一で放送中だった。慌ててチャンネルを変えて、途中からだから入っていけるか心配しながら、見始めたのだが、心配無用、最後まで見てしまった。

 久しぶりに見ての感想は、一言、やはり面白い。面白いのだけど、以前書いた「トルハーク」についての文章に結構記憶違いがあったことに気づいてしまった。
 一番大きいのは、貴族然とふるまう男性の正体が肉屋であることを小学校の先生が知るのは、村の爆発シーンの撮影に失敗して予算不足でストーリーの改変を強いられてからだと思っていたのだが、実際は肉屋だとばれたシーンの次が爆発のシーンだった。ということはスビェラーク演じる脚本家の書いた脚本もそれなりにぶっ飛んでいたってことか。まあ、あの監督が映画にしようという台本だから、プラハの肉屋が田舎の城館で貴族のように振舞うなんてシーンがあっても不思議はないのかもれない。
 他にも、監督が試写会が終わった後に漏らす言葉は、「最後が最後が」ではなく、「天気が天気が」だったし、観客が帰りしなに漏らす言葉は「嵐」ではなく「雨」だった。自分が理解しやすいように理解してしまうのだろう。特にこのような難解な作品は。

 ここで改めて「トルハーク」という映画について説明しておこう。これは映画の中で『トルハーク』(区別のために二重鍵にする)というミュージカル映画を撮影するという作品で、監督や脚本家などの映画の撮影関係者には、作中の人物としての名前が付けられているが、映画中の『トルハーク』に出演する俳優達は、本編の「トルハーク」には本名(芸名かも)で出演するというややこしい構造になっている。登場人物が異常に多いので、本名であれ、役名であれ名前が出てくる人は一握りで大半は、エキストラ扱いだったり、名前ではなく役職名で呼ばれたりすることも多いのだが。

 主要な配役を説明すると、まず本編の主人公だと思われる映画監督を演じるのが、おそらくこの映画の生みの親であるラディスラフ・スモリャク。脚本が映画化されたものの監督の手法に不満たらたらな新人脚本家を演じるのが、もう一人の生みの親スデニェク・スビェラークで、この二人が出てくる映画は、多かれ少なかれツィムルマンの香りがするのである。またこの二人の映画に頻繁に登場する俳優達をツィムルマン軍団とか、ツィムルマン組と個人的には呼んでいる。
 湯水のように予算を浪費する監督に腹を立てて、着ている服のシャツを引き破ることになるプロデューサーを演じるのが、ツィムルマン組の一人ペトル・チェペクである。この人は、主役をはることは少ないけれども、ツィムルマン関係の作品以外でも重要な役を演じることが多く、チェコ映画に欠かせない俳優の一人である。それから、監督の脇で台本(だと思う)を抱えてシニカルな笑みをたたえている眼鏡の女性がイジナ・イラースコバーで、監督のお気に入りでカチンコを叩く役の女性を演じるのが、後に子供番組の象徴となるダーダ・パトラソバーである。

 映画中の『トルハーク』に出演して、映画本編では本名で登場するのが、まず主人公のティハーチェク氏を演じるヨゼフ・アブルハームで、この人は、「ヤーラ・ツィムルマン」でも、同じような外から村に訪れる人物の役を演じている。チェコの永遠のアイドル女優シャフラーンコバーと結婚したことでも有名である。小学校の女の先生エリシュカを演じるのが、アイドル歌手と言ってもいいハナ・ザゴロバーである。1989年のビロード革命に際して当時の共産党の書記長ミロシュ・ヤケシュがやらかした失言で高給取りの芸術家は不満をこぼさないという例として名前が挙げられてしまった。エリシュカの最初の恋人で、貴族のように振舞うが実はプラハの肉屋だというレンスキー氏は、スロバキア人のユライ・ククラが演じている。かっこいいおっさんを体現したククラは、先日テレビのトーク番組で見かけたが、相変わらずかっこいいおっさんで、「ユライ・ククラという名前は捨てて、ハンガリー風にゾルターン・マックスという名前に変えたから、ゾルターンと呼んでくれ」などとのたまっていた。この番組でかけていたみょうちくりんな眼鏡が妙に似合っていたなあ。

 他にも重要な役では、男やもめの森林管理官を、チェコの歌手の人気アンケートでカレル・ゴット神を実力で破った男バルデマール・マトゥシュカが演じ、その三人の娘のうちの一人は、後にハベル大統領の後妻となるダグマル・ベシュクルノバーである。この人、憲章77に対抗して共産党が制作したアンチ憲章に署名したらしく、そのせいもあってハベルとの結婚当初はかなり評判が悪かったようだ。三人娘の結婚相手のうちの一人飛行気乗りのイジー・コルンは、歌手で、ヘレナ・ボンドラーチコバーと組んで歌っていた番組がしばしば再放送されるが、その後四人組のグループを作って黒ずくめでセグウェイに乗って歌うなんてことをしていた。今では髪がなくなっているけれども、このころは結構ふさふさなのに時間の流れを感じてしまう。
 ルドルフ・フルシンスキー、ステラ・ザーズボルコバーなど、チェコの映画を見たことがあるなら、どこかで絶対に見たことがある人たちが、ちょい役で出ているのには、見るたびにびっくりさせられる。贅沢な映画なのである。

 さて、題名である。「トルハーク」は、引き裂くとか、ちぎるという意味の動詞から派生した言葉で、わかりやすいのは、マラソンなどでスパートして集団を引き離して独走するのを言う。ちょっと汚い言葉でいうと「ぶっちぎり」ということになる。映画に関係する状況で言うと、連日満員で立ち見続出というような「ぶっちぎりのヒット作」を指すことになるのだが、自作の映画に「ぶっちぎりのヒット作」なんて題名をつけてしまう監督というのは、やはり「ぶっちぎりに頭がおかしい」としか言いようがない。
 チェコ人でも知らないという人がいる映画だけれども、この映画こそ、チェコ映画がチェコ的であるという意味において、最高傑作であると確信している。傑作ではあっても、外国での受け狙いのようなあざとさを感じる作品もある中、わからない奴はわからなくてもいいという態度はすがすがしいまでである。
3月21日23時30分。



 どうして「トルハーク」が放送されたのかというと、スビェラークの80歳の誕生日だった。このおっさん80なのとびっくりしてしまったが、「コーリャ」「トマボモドリー・スビェト」「オベツナー・シュコラ」など数々の傑作にかかわってきたスビェラークの誕生日に放送するのが「トルハーク」であるあたり、チェコテレビもなかなかやるなである。日本で発売されたら……、売れないだろうなあ。それでも、チェコ語を勉強する人にとっては必見である。3月22日追記。
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