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2016年03月20日

スパルタ勝った(三月十七日)



 うちに帰ってテレビを付けたら、サッカーのヨーロッパリーグの試合をやっていて、一瞬目を疑ってしまった。ローマでの試合なのに、スパルタがラツィオに勝っていたのだ。前半20分ぐらいで2点差で勝っているというのは、去年の夏のチャンピオンズリーグの予選でCSKAモスクワに逆転されて敗退した悪夢を思い出させるけれども、2点取られても延長にはならずにスパルタの勝ち抜けになるという状況は、十分以上に期待を感じさせた。
 先週のプラハでの試合が1対1の引き分けに終わった後に、イタリアでは勝ち抜けがほとんど決まったというような報道がなされていたというから、イタリアのチームがなめてかかって来てくれたというのもあるのかもしれない。油断している相手にも勝てないことの多かった一昔前を考えれば、強い、ヨーロッパでも戦えるスパルタの復活と言っていいのかもしれない。なんてことを考えながら見ていたら、前半終了間際に、若手のFWユリシュが3点目を取って、とどめを刺した。

 結局スパルタが3−0で勝って準々決勝に進んだのだが、スパルタがヨーロッパのカップ戦でここまで活躍するのは久しぶりのことだ。チェコに来たばかりの頃に、チャンピオンズリーグの一次リーグを勝ち抜けて春まで生き残ったことが2回あるはずだ。コトルバが監督だったころは、ぎりぎりで勝ち抜けて、春の最初の相手に敗退したけれども、その前のフジェビークが監督だったころに、二次リーグにまで進出して、敗退はしたけれども、強豪相手にも善戦したという年があったはずだ。
 調べてみたら、コトルバ監督のもとに一次リーグを突破したのは2003-04年のシーズンで、ラツィオに勝って次のステージに進んだという点では、今年と同じだったようだ。ただこのシーズンのスパルタの試合は、チャンピオンズリーグに限らず、国内リーグの試合もめちゃくちゃつまらなかった。最後のラツィオとの試合も、がちがちに守りを固めて点が入りそうな気配はなかったのに、最後の最後にキンツルが点を取って勝ち抜けを決めたんじゃなかったかな。終わった後に、イタリアの選手たちから、ものすごくけなされていたのを覚えている。
 フジェビークのもとに二次リーグに進んで、プラハでレアル・マドリードに善戦したのは2001-02年のシーズンだったようだ。この年の試合は、テレビで見た覚えがないからチェコでは放送されなかったのかもしれない。大学の学生寮に住んでいたころでテレビは部屋になかったから見られなかっただけかもしれないけど。ヤロシークがスパルタで活躍してたのって、このころだったのかなあ。

 1999-2000年のシーズンにも、イバン・ハシェク監督のもと一次リーグを突破して二次リーグに進んだみたいだが、このころはまだ日本にいたので、全く印象にない。サッカーの雑誌をたまに買って読んでいたはずなのだけど、当時はまだ、ヨーロッパのサッカーが現在ほどの注目を集めていなかったこともあって、あまり情報が入ってこなかったのだろう。インターネットも今ほどあって当然のものではなかったし。
 このころのスパルタは、ヨーロッパのカップ戦で調子がいいと、国内リーグで成績が振るわず、国内リーグで勝ち続けているとヨーロッパでは惨敗するというのを繰り返していた。だから、チャンピオンズ・リーグで勝ち進んでも、国内の成績悪化で監督が解任されていたので、監督の交代が多かった印象がある。コトルバ時代以降は、チャンピオンズ・リーグの予選を突破して、本戦に出場できれば御の字という状態が続いたのも、監督の変え過ぎと無縁ではないだろう。最近それではいけないと気付いた新しいオーナーが、比較的長く監督を任せるようになって、スパルタのヨーロッパのカップ戦での戦績が上向きになっているのは喜ばしいことである。

 スパルタはヨーロッパリーグの準々決勝に進出したのだが、チェコのチームが準々決勝に進出したのは、UEFAカップのリベレツ以来のはずである。シュタイネル、ネズマルが前線にいて、中盤に失われた天才コロウシェクが君臨していたあの頃のリベレツは、本当に信じられない勝ち方をするチームだった。リベレツのおとぎ話とか、夢物語とか言われていた快進撃は、ロシツキーとコレルのいたドルトムントにぶつかって終わってしまう。この試合は飲み屋のテレビで見たのを覚えている。最後は、力尽きたという形で大敗したのだが、ご苦労様と言いたくなるような負け方だった。

 でも、これ、いつのことだったんだろう。ということで確認してみたら、2001-02年のシーズンだった。ということは、スパルタがチャンピオンズ・リーグで活躍し、リベレツは当時のUEFAカップで活躍していたということか。今のチェコサッカーの現実を考えると、私がチェコに来たばかりだったころというのは、実に贅沢な時代だったのだ。

3月18日18時。



 オロモウツに続いてリベレツも出てきた。今いち、用途がわからないのだけど、他の町のもありそうだ。3月19日追記。

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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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