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2016年03月01日
健康テロリスト(二月廿七日)
半月ほど前だっただろうか、日本から来られた方と話していて、面白い話を聞いた。その方も知人から聞いた話だというのだが、チェコに来た方が、レストランで料理を注文するときに減塩にしてほしいというお願いをしたというのだ。それで、減塩調理なんてしたことのないチェコ人シェフは塩を使わずに料理を作って出してきたらしい。高血圧なのか、脳卒中になる危険性を下げたいということなのか、よくわからないが、旅行中ぐらい開放感に浸って、そんな制限は外してしまえばいいのにとも思ったが、私のこの文章書きと同じで、一日ナアナアにしてしまうとずるずると行きそうで怖いと言う気持ちはわからなくはない。
ただ、どうなのだろう。我が知り合いたちがよく言うように、食事制限に気を使いすぎると、料理に何が入っているのかをいちいち確認しなければ食べられなくなって、そのストレスの方が塩分を多少多めによるよりも、はるかに健康に悪いのではないかという気もする。ときどき日本から食品を送ってもらうことがあるのだが、減塩のインスタント味噌汁が出てくると、うーんと思ってしまう。健康にはいいのだろうけれども、日本にいるならともかく、チェコでたまにしか食べられない和食ぐらいは、そんなことを気にせずに食べたいものである。
すでに旧聞に属してしまうが、昨年の秋ごろに世界保健機構の何とか言う下部組織が、ソーセージやハム、燻製の肉などを食べると発ガン率が上がると発表したというニュースに一瞬びっくりした。そして、正確には覚えていないが、発ガン性が高くなる分量と食べ方、上がるという発ガン率の差に、そういうのは誤差の範囲じゃないのかと言いたくなった。同じものを毎日大量に食べたり飲んだりすれば体によくないのは、別にこの手の加工肉に限った話ではないだろう。
ワインにしても、コーヒーにしても、健康にいいとか悪いとかいう研究と称されるものが発表されることがある。しかし、適量であれば健康にいいが、摂取しすぎると健康によくないと言うのでは、何も言っていないのと同じである。しかも適量には個人差があると来ては、そんなものを信じて、自分の健康な生活に生かそうとする人がいるのが信じられない。健康にいいからと言っても、そればかり摂取していれば、体によくないのは当然である。本来、小学校の給食には、そういうことを子供たちに教えるという機能もあったのではなかったか。
1980年代の半ば、日本では科学雑誌が一時代を築いていた。若者の理科ばなれを憂えた竹内均が創刊した「ニュートン」を筆頭に、小学生向けの学習雑誌「科学」「学習」につながるものとして学研が発行していた「ウータン」、とりあえず売れそうな分野には手を出す日本最大の出版社講談社から出ていた「クオーク」の三誌がその中心を担っていたといえようか。うちでは「科学」「学習」時代からの付き合いで「ウータン」を購読していたのだが、学研ではオカルト雑誌の「ムー」も発行していた影響なのか、時々、麻原彰晃の記事のようなこれは何か変だと思う記事も載っているが不満で、「ニュートン」を購読していた友人の家がうらやましかったのを覚えている。「クオーク」は高校の図書館に入っていて目にする機会があったのだったか。
この三誌のうちのどの雑誌の別冊だったかは覚えていないが、分厚い科学関係の百科事典のような内容のハードカバーの別冊があった。その本ではさまざまな科学的な知識を得ることができたのだが、中でも、人間の体にとっては、本来あらゆる物質が毒であるという記事には衝撃を受けた。どんなに栄養のある物質であっても、人間の体にとっては異物であり、害よりは益の方が大きいから、毒だとみなされずに食べ物とみなされるのだと言う。摂取した際に害の方が、大きくなる分量に多寡の差があるに過ぎず、地球上で一番毒性の低い水でさえも、摂取量が多すぎれば死に到るのだとも書かれていた。たしか五リットルの水を一度に摂取すると、半数の人間が死ぬだったかな。
動物実験の結果から導き出された数値を駆使した記事には、説得力があり、どんなに好きなものでも毎日食べ続けることはしないという以後の生活の指針の一つとなる。お酒とかコーヒーとか、例外はあるし、どうしようもなく忙しくて毎日ファーストフードのお世話になった時期はあったけれども。
だから、毎日たくさん食べ続けると発ガン性が上がるなどと言われても、当たり前すぎて、無意味な言葉にしか聞こえない。こんな誤差としか言いようのない結果を発表するぐらいなら、毎日毎日ハンバーガーだの、牛丼などを食べ続ける食生活の危険性を訴えるキャンペーンをしたほうがはるかにましである。吉野家が牛丼は毎日食べても健康に悪くないなどという「研究結果」を発表していたが、冗談ではない。この手の健康にいい研究も、悪い研究も、いわゆるためにする研究のように感じられてならない。最初から求められる結果が決まっている研究などないほうがましである。
塩分や砂糖などいろいろな食品に含まれているものについては、ある程度意識する必要はあるのかもしれないが、一回一回の分量に神経質になるのではなく、長期的に考えたほうがいい。だから、一週間に一回ぐらいなら、ファーストフードのお店でハンバーガーと得体の知れない飲み物を買っても問題ないのではないだろうか。もちろん食べたい飲みたいという欲求があればの話だが。私自身はハンバーガーを食べたいと思うことはないが、たまに無性にポテトチップスやカップラーメンが食べたくなってしまって、体にはよくないだろうなあと思いながら食べてしまうことがある。
煙草にしても、今では麻薬になってしまったコカインにしても、かつては健康に害があるなどとは思われていなかったし、薬のように扱われていた時代もあるのである。薬とは役に立つ毒のことであると言う名言もあるが、現在健康にいいとされているものが、将来実は有害なものだったということにならないとも限らない。
煙草に関しては、本当にそんなに有害なのなら、子供が見たら泣き出してしまいそうな写真をつけるなんて方法は取らずに、常習性の高い麻薬として禁止してしまえばいいのに。禁止できない事情があるなら、薬品扱いして処方箋がないと買えないようにしてしまえばいい。煙草にだって適量というものがあるはずだから、医師がそれを指定することはできるはずだ。
書き上げるのに、これまでで一番苦労したかもしれない。その割には大した文章になっていないのが残念。ブログに載せるということで、無意識に穏当な表現を求めてしまうせいか、頭の中で考えているように文脈が流れていかないような気がする。うーん。
2月28日11時。
これも題名に偽りありかなあ。今回の敗因は、書いている途中、テレビでジェイミー・オリバーが、アメリカの学校給食を変えようとしてロサンゼルスで奮闘する番組が流れていたことに違いない。あれを見ていると、健康にいい食事とか考えなくてもいいじゃないなんてことは、書ききれなかった。2月29日追記。