アフィリエイト広告を利用しています
<< 2024年02月 >>
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29    
検索
リンク集
最新コメント
チェコの銀行1(十二月二日) by ルイ ヴィトン 時計 レディース hウォッチ (03/20)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしやん (12/30)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしゃん (12/30)
メンチンスキ神父考再び(七月卅日) by にっしゃん (12/30)
カレル・チャペクの戯曲残り(二月朔日) by K (08/16)
最新記事
カテゴリーアーカイブ
記事ランキング
  1. 1. 『ヨハネス・コメニウス 汎知学の光』の刊行を寿ぐ(四月十日)
  2. 2. no img 『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』(三月十九日)
  3. 3. no img コメンスキー――敬虔なる教育者、あるいは流浪の飲んだくれ(九月廿七日)
  4. 4. no img すべての功績はピルスナー・ウルクエルに(一月廿六日)
  5. 5. no img 「トルハーク」再び(三月廿日)
  6. 6. no img トルハーク四度(十月二日)
ファン
タグクラウド










ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2018年08月29日

言い訳長編、もしくはサマースクールのお土産?〈LŠSS2018〉



 サマースクール終盤の筆が停まった状態から、再び筆が進み始めたと喜んだ次の日、具体的には火曜日の夜、夕食を終えてシャワーも浴び、さあ書きかけの記事(修了式の話ではない)の作成を続けるかと起き上がったときに異変が起こった。いや、正確にはそれ以前から、胸のあたりがむかむかするような感じはあったのだが、食事をとったりテレビを見たりして普通に生活しているうちに、いつものように消えてくれるだろうと考えていたのだ。それが、寝てやり過ごすことのできない強烈な吐き気に襲われて、トイレに駆け込むことになった。
 汚い話になってしまって申し訳ないけれども、最初は食べたものがそのまま固形の状態で出てきた。そのままだと吐くのがつらかったので、呼び水に水を飲んでは吐きを繰り返した。それでしばらくトイレに座り込んで、吐き気が落ち着いたところで寝たのだけど、頻繁に目を覚まして、目を覚ますたびに吐き、しばらくトイレに座り込むというのを繰り返した。夜も暑さが続いていてトイレの床に座り込んだときの涼しさが気持ちよかったのだと思う。
 水曜日の朝になって吐き気はかなり治まり吐く必要はなくなったものの、今度は激しい頭痛に襲われて動けなくなった。額というか顔に手を当てると嫌になるぐらい熱くなっていて、かなりの熱が出ているのは確実だった。体温を測って39度とか出ると気落ちするので、体温は測らなかったけど、この時点ではお腹に来る風邪、若しくはインフルエンザを疑った。

 普段の生活の中で体調を測るバロメーターに、コーヒーと本がある。コーヒーは美味しい、美味しく感じない、飲めない、飲む気にもならないというカテゴリー分けで、今回は当然飲む気にもならないどころか、コーヒーなんて言葉は頭に浮かびもしなかった。本のほうは、どれでも読める、PCで読むのはつらい、リーダーで読むときのページめくりが気になる、紙の本しか読めない、どれも読めない、読む気にすらならないで、コーヒーよりも体調が悪いほうに振れていて、紙の本しか読めないなんてレベルまで行くことは滅多にない。それが今回は読む気にすらならないまで行ったから、久々の重症である。枕元に本が積んであったのに手が伸びなかったからなあ。
 お昼にうちのが戻ってきて、ご飯を炊いてくれたのだけど、ちょっと無理して口に入れて驚いた。唾液が全く出てこないのである。水や紅茶を一口飲んだだけでも吐き気が戻ってくる状態で、口の中を湿すぐらいの水分をひと眠りするたびに摂っていたのだが、それでは全然足りなかったようである。同時に今回の不調の原因が暑さによる水分不足にあったのかと思い至った。医学的な意味ではなく、一般の人が使う意味での脱水症状を起こしていたのだろう。
 考えてみれば、サマースクール中は普段に比べると飲む水の量が少なかったような気もする。長期的な水分摂取量が低下し、同時に高熱にさらされ続けた結果が今回の体調不良だったのである。つまりは、サマースクールのお土産ということか。あまりうれしくないお土産である。とまれこれがこの記事をサマースクールのカテゴリーに放り込む理由である。

 話を戻そう。水曜日にひたすらちょっと水分を摂って寝るのを繰り返した結果、木曜日にはかなりよくなっていた。それでもちょっと多めに水を飲むと吐き気が戻ってくるという状態ではあったけれども、夕食は多少無理してパスタを少なめに食べてぶり返しそうな吐き気は無理やり抑え込んだ。ここでおとなしくそのまま寝ればよかったのだが、サマースクールが終わってこれからはリアクションがよくなりますよなんてことを月曜日に書いたのを思い出して、メールの確認に手を出してしまった。ちょっと急いで手配しなければならないものがあったのも悪かったんだよなあ。
 何がつらかったかって、PCの画面上でちらつく文字を読むのがつらかった。それから考えに十分に集中することができず、短いメールの書くのにも必要以上に時間がかかってしまい、数通のメールを処理しただけで、いくつか後回しにしたものもあるというのに、疲れ果ててしまっていた。幸いなことに多少の吐き気がぶり返しても抑え込めたので、必要以上に体力を失うことはなかった。

 金曜日の朝の体調は、無理がたたったのか、木曜日よりも悪化していた。夜寝ている間の暑さも原因になっているかもしれない。とまれさらに金曜、土曜と二日寝込むことになった。体調的には、木曜日ぐらいから紙の本は読めたし、疲れるまではリーダーのページめくりもそれほど気にならなかったから、水曜日と比べたらはるかによくなっていたのは確かである。コーヒーは全く飲む気にもならなかったけど。
 日曜日からは、いつまでも寝込んでいるわけにもいかないので、ちょっと無理して普段の生活に戻した。ただ、体内の水分調節がまだ完全に復旧していないのは今でも感じていて、完全に回復するまでにはもう少しかかりそうである。ブログに関しては、日曜日になるまで全く思い浮かびもしなかった。朦朧とした頭に
瞬間的にすでに書きあがった記事を投稿しようと思いつくようなことはあったかもしれないが、記憶には残っていない。

 以上が、サマースクール後に、ある意味サマースクールが原因で起こった出来事の顛末である。その結果として、五日のあいだ投稿が途切れてしまった。一度途切れると途切れやすくなるというのはその通りなのである。これからしばらく、体調が安定しない間は、しばしば「落とす」ことになるかもしれない。
2018年8月28日22時。











2018年08月28日

廿一日目、あるいは祭りの後の〈LŠSS2018〉(八月十八日)



 修了式にはフォーマルな格好でと書いてあったので、このくそ暑い中ネクタイ締めろってかとうんざりした気分でいたら、金曜日の別れ際にフェルディナントがスーツとかネクタイとか持って来てないんだよねというので、じゃあ半袖のワイシャツ着とけばよかろということにした。他が全員スーツにネクタイだったとしても、そんなことはありえないだろうけど、フェルディナントと二人ならそれほど浮くこともあるまい。今年の夏は新しく買った服やら靴やらを身につけることが比較的多かったのだが、この日は、上から下まで靴下以外は10年物だった。あとはこの日のために買ったバッグも新しかったか。
 学校のすぐ近くで日本から来ている方とばったり会ったら、一人はハイヒールで苦労しながら石畳の上を歩いていた。これ以外はスニーカーしかないというから服と合わせるには仕方がないのだろうけど、大変そうだった。日本人は、特に体格が小さめの人は靴買うのも結構手間がかかるからなあと、自分の履いている靴が、こちらに着て最初に買った靴で、靴屋で勧められた子供物の靴だったことを思い出してしまった。あの時は、なんて小さい足なんだろうねえ、これじゃ大人物は無理だわと、にこやかに笑われたのだった。以来子供物の靴は買っていないけれども、女物の靴には何度か手を出す羽目に陥っていた。ジョギングシューズも男物のつもりで買って履いていたら、何年かたって箱に女物と書いてあるのに気づいたし……。まあ一目で女物とわかるデザインじゃないからいいんだけどね。

 話を戻そう。修了式はコンビクトの中にある礼拝堂で行われた。コンサートなどにも使用されるため、礼拝堂にはあまりそぐわない座り心地のいい椅子がしつらえられてあるのがありがたい。中に入るとうちのクラスからは同じ部屋に宿泊しているインガとシモナがすでに来ていた。その後ろの一番後の席に陣取る。次第に人が集まってきて、珍しく予定通りに開始された(と思う。時計忘れたんだった)。
 修了証の授与は最初は下のクラスから順番に行われているようだったので、うちのクラスはまとめて最後かと思っていたら、一つ下のクラスとごちゃまぜに名前が呼ばれた。なぜか一番最後に名前が呼ばれたのだけど、成績順ではありえないから同じグループ内のアルファベット順だったのだろうか。修了証と自分の写っていない集合写真、それに記念のチェコの食べ物詰め合わせをもらって席に戻る。受け取るときの礼のしかたとか、それぞれ個性があって、日本人は日本人だなあと思わされるところもあった。

 修了式が終わると別れの時間である。週の半ばぐらいから精神をむしばみ始めた喪失感は、修了式が終わっても収まることはなく、しばらくの間は高まり続けるに違いない。幸いなのは寮に住んでいないことで、これで他の学生達と一緒に寮に住んでいたら、一人、また一人とオロモウツを出ていくのを見送り、そして誰もいなくなったという喪失感で週末どころか何週間か使い物にならなかったに違いない。そう、ちょうど二回目、三回目のサマースクールの時のように。
 礼拝堂を出た所の廊下で、同級生たちと再会を約して、自分のメールアドレスを共同で使っているセズナムのアドレスに送ることを約してお別れ。他にも日本から来た方々や、ポーランドのルカーシュ、イタリアの先生、ドイツのポーランド人なんかのお世話になった人に声をかけて、コンビクトを後にした。コーヒー飲んでいかないかとか誘われはしたのだけど、ずるずると引き延ばすと寂寥感が高まるだけだし、ここは自分が先に姿を消すことで見送られる立場になるほうがいい。笑顔の中にさみしさを垣間見せる連中にじゃあなと手を挙げて、本当に本当のサマースクールの終わりである。

 まだもう少し、フェルディナントのリクエストでビールのCMを共用のメールアドレスに送りつけたり、チェコの映画やテレビドラマでチェコ語の勉強に役に立つものを薦めたりなんてことはするだろうけれども、一緒に同じ教室で勉強したあの濃密な時間は戻ってこない。土曜日の午後はそれで何もする気になれず、この記事を書くのも放置してしまった。多少復活したのは日曜日の午後のことで、途中まで書いてあった木曜日の記事に無理やりけりをつけて投稿した。これで一つの区切りがついたのか、月曜日になってあんなに進まなかった筆がやっと進むようになった。

 サマースクールの顛末で書いておくべきことと言えば、修了証に記されていたレベルがB2になっていたことだろうか。当初の話では、教科書はB2と書かれたものを使うけれども、内容のレベル、追加する教材から考えるとC1レベルになるから修了書はC1レベルの物になると言っていたはずなのだが、テスト簡単だったからなあ。あれでCレベルとか言われたら、ちょっと申し訳なくなってしまう。個人的にはレベルなんざどうでもいいことだったけど、気にする人もいたかな。気になるのは二週間で帰国したカロリーナとリュバの修了証のレベルがどうなっていたかだけど、いまさら考えても詮無きことである。
 祭りの後の寂しさは、いつになったら消えるのだろうか。
2018年8月21日12時35分。
 







2018年08月21日

廿日目、あるいは簡単すぎるテスト〈LŠSS2018〉(八月十七日)



 いよいよサマースクール最終日である。開始時間はいつもより少し遅くて9時から。校舎に入ると廊下で何人かの学生がテスト勉強をしていた。いらないと思うんだけどねえ。今のサマースクール、昔と違って合格させるのに必死になっているから、そんな難しい歯ごたえのあるテストにはなりそうもないし。昔の師匠のテストは結構厳しい問題が出たから、間違えたところを復習して次の学習に生かせたものだけど、今回のはみんなほぼ満点なんじゃないかという予感がする。

 テストは聴解10問×2、読解10問×2、文法問題20問×1、作文20点の合計80点満点、時間は90分。最初は聴解問題で、プシェロフのコメンスキー博物館の特別展示についてのニュースだった。正誤問題が5つに、正しい言葉に直す問題が5つ。悩んだのは、チェコスロバキア独立以来100年の展示だというのが正しいかどうか。内容から言えば正しいのは推測できたけれども、ニュースの中ではその点については触れられず1950年以降の街の様子について展示されていることが語られていた。この問題どっちも正解にしたとか先生は言っていたけど……。もう一つは博物館の名前をコメンスキー博物館にするか、ヤン・アーモス・コメンスキー博物館にするかで、二回目でコメンスキーしか使われていないことを確認した。一回しか聞かなくても問題のない内容であった。
 読解もさして難しいものはなく、最初間違いになっていたのも先生の祭典間違いだったし、文法問題も完了態と不完了態で一問だけ悩んで完了態を選んで間違えたけど、それは他がみんな不完了態だから一つぐらい完了態にしておこうというテスト慣れしたあざとい手段が失敗に終わったに過ぎない。この時点で残り時間は60分弱だっただろうか。

 作文はテーマが三つあってそのうちの一つを選んで書くことになっていた。最低150語以上という指示があったが、これって一つ下のクラスが200と言っていたのより少ないんだけど……。ある程度内容のまとまったエッセイが150語程度でかけるわけがないから、どうせみんな300語以上費やしたに決まっているのだ。この手の上級の作文では語数の指定なんか不要である。150程度じゃ、よほどの巧者でもない限りテーマを展開して具体的な話に入るところで終わってしまうから、そもそもまともな作文にならない。逆に150語以下で読み手を納得させられるような素晴らしいエッセイが書ければ高く評価するべきであろう。
 三つのうち選んだのは、「人生で最も影響を受けた人」というテーマ。こういう作文、テーマをそのまま書くよりも、少し限定してやった方が書きやすい。ということで、チェコ語を勉強し続けている自分に最も影響を与えた人について書くことにして、黒田龍之助師にご登場願った。チェコ語を勉強し始めたのは別だが、あきらめずに続けることができたのは師の著書のおかげである。そんな話を書いたわけである。語数としてはちゃんと数えてはいないけれども、400は超えていたのではないかと思う。こんな文章100や200の言葉では絶対に書ききれない。繰り返しになるけど、上級になると時間さえ十分あれば語数は多いほうが書きやすくなるのである。

 テストが終わった後、サマースクールの事務局では映画「プペンド」を見ながら採点が終わるのを待つという計画を立てていたようだが、結局クラスのほとんどのメンバーとビールを飲みに行ってしまった。最初は映画を見に行くつもりで、シモナと二人でアリツィアとジョバンナの後ろをついて階段を下りたのだけど、二人が学校を出て寮のほうに向かったので、映画を見るなら上に行くはずだったということに気づいた。
 校舎の中に戻ったところで、ドイツ三人組とばったり出会い、今更映画見に行ってもしょうがないからビールを飲みに行こうとシモナが言いだしてみんなでリーグロフカに足を向けた。合言葉は「シモナに続け」である。久しぶりに昼から、いや午前中からビールをのんだ。他のクラスの人も何人か一緒に来ていたのかな。

 そこでアナとシモナの間に座ってあれこれ話をしたのだけど、アナがチェコ語を勉強し始めてたった二年しかたっていないという事実が判明して、シモナと二人で嘘だろと声を上げてしまった。スロバキア人のシモナがチェコ語を勉強するのは初めてで、一番上のクラスにいたのは腑に落ちないものはあってもよく理解できる。でもドイツ人のアナが、たった二年で、しかもチェコ語だけを集中的に勉強したことはないというのに一番上のクラスで問題なく勉強できていたのは、まじで「Ty vole」である。話を聞いてみると、チェコとの国境地帯の出身で子供の頃からチェコ側に家族の友人知人がいて、多少のチェコ語との接触があったらしいし、チェコ語の中に多いドイツ語起源の言葉が結構勉強の助けになったのだという。それでもやっぱり「setsakramenctsky」語学の才能のある人なんだろうなあ。
 語学の才能と言えば、イタリアのジョバンナはチェコ語以外にロシア語もできるようである。昔の日本のチェコ語学習者の多くと同じようにロシア語を身につけてからチェコ語の勉強という道をたどったのかもしれない。ただ、ジョバンナのチェコ語にロシア語の影響が現れたのは4週間の間に、1回か2回に過ぎないのである。この子も、また語学の才能にあふれた人なのだろう。非才の身としてはただただ羨むのみである。

 ビールを一杯だけ飲んで学校に戻る。校舎の前で採点を終わらせた先生はタバコを吸っていた。そこでみんな問題なく合格だったと知らされたけれども、正直うちのクラスにあの簡単なテストに合格しない人がいるとは想像すらできなかった。教室に戻って自分のテストを確認したのだが、全員90パーセント、下手すりゃ95パーセント以上の得点で合格。

 最高得点はシモナで、チェコ語の正字法についての本を賞品としてもらって大喜びしていた。ほとんどすべて理解できるスロバキア人には正しく書くのが一番大変らしい。二番手はフェルディナントで賞品は自家製のスリボビツェ。誰かが、多分ユスティナ(違ってたらごめん)が、準備よく人数分持ち込んでいたプラスチックのコップで乾杯。この時点で、この日の午後は使い物にならなくなることが確定した。

 その後、どうしても外せない用があるというジョバンナ以外の7人で昼食を取りに出かけ、サマースクール最後の一日が終わった。インガやフェルディナントたちは午後からホモウトの醸造所に出かける予定があったけれども、一週目に参加したこちらは、土曜日の修了式に出る以外は、もう何もすることがない。覚めてほしくない夢の中にいるような気分(レストランで誰かが使っていた表現)で家に帰って昼寝をしてしまった。
2018年8月20日14時15分。








2018年08月20日

十九日目、あるいはインガとフェルディナントの秘密〈LŠSS2018〉(八月十六日)



 いよいよ明日が最終日のテストということで、テスト対策めいた内容が多かった。教科書もどこまで進んだのかもわからないような中途半端な状態だし、まあそれはそれでかまわないのだけど、テストが妙にやわいものになりそうなのがちょっと気に食わない。最初から合格することがわかっているテストほどつまらないものはないし、合格した喜びもほとんどなくなる。最後の試験に合格することが目的ではなく、サマースクールで若者に囲まれて一生懸命勉強するのが目的だったとはいえ、どうせ受けるなら歯ごたえのあるテストを受けたいものである。
 授業は昨日の最後に決められた組み合わせでテレビかラジオのレポーターと取材相手になってのインタビューから始まった。イタリアのジョバンナがレポーター役で、こちらは8冊目の小説を出版した作家である。軽く打ち合わせをして、どんな質問にどんな答を返すかすり合わせる。こちらから要求したのは、ノーベル文学賞を取れると思うかという質問を入れてほしいということで、アメリカのトランプ大統領のツイッターでの発言にノーベル賞をくれてやれという回答をするためだった。平和賞と文学賞は必要ないと思うのである。
 他は、インガとアナがオロモウツで撮影に入った人気ドラマの続編で主役を演じる女優、フェルディナントとアリツィアがキリンが二頭逃走するという事件が起こったブルノの動物園の園長、シモナとユスティナがプルゼニュのガンブリヌスの工場で発生した火事の消化の指揮をとっている消防隊長というのがインタビューの相手で、みんな熱演していた。こういうところで恥ずかしがったりして積極的にならない学生がいると全体的にしらけてしまうものだが、このクラスは全くそんな心配は要らない。

 と、ここまで書いたのが金曜日の夜。最後のテストの後に午前中からお酒を飲みに行ったせいで、午後ずっと使い物にならなかった上にいつもより早く睡魔に襲われ沈没。ここ何日かと同様に土曜日の早朝に書き上げようと思っていたのだが、四週間の疲れがたまっていたのか寝坊。時間が足りずに書き上げることができなかった。これが久しぶりに「落として」しまった原因である。ここ数日筆が進まなくなっていたのが頂点に達したようなものである。その辺は土曜日の日記で詳述しよう。

 さて、気を取り直して木曜日の話に戻る。午後の発表は当然この日が最後で大トリを務めるのは、ドイツ三人組のインガ。この発表でフランス語を専攻してフランスに留学経験もあるというインガがどうしてチェコ語がよくできるのかというのが明らかになった。最初から不思議だったのだよ。西スラブを専攻するというフェルディナントはともかくとしても、どうして他の二人、チェコ語を専攻しているわけでもないインガとアナがポーランド人、スロバキア人と伍して授業を受けられているのかが。
 発表はインガとフェルディナントが参加しているというチェコとドイツ共同のプロジェクトについてだった。両国の教育省も絡んでいるらしいこのプロジェクトは両国の若者を対象にしたもので、チェコとドイツからそれぞれ15人ずつ、計30人が集まって、一年半のサイクルで相互理解のためにさまざまなことをするらしい。その中にはもちろん互いの言葉を学ぶことも含まれていて、最初のうちはチェコ語ドイツ語交じりの会話をしたりもするようだ。
 2000年代の初めに始まったプロジェクトはすでに九期目を迎えており、八期目に一般メンバーとして活動したインガは、現在コーディネーターとして活動の全体を統括するような立場にいるらしい。フェルディナントは広報担当でウェブの管理なんかを仕事にしているという。こういうのは国境地帯の人が中心になっているのかと思ったら、そんなこともなく、インガの話ではチェコ側はプラハの人が多いということだった。
 インガが最初にこの活動に参加したのも、プラハに留学する予定があり、留学する前にチェコに知り合いを作るためだったという。それが参加してみたら想像以上にすばらしい活動で、のめりこんでコーディネーターを務めるまでになったと。とまれ、こんな活動で日常的にチェコ語を使っているから、ここまでチェコ語ができるようになっているのか。時に妙に早口で喋るのも納得である。

 この日の午後のプログラムはなし。金曜日の試験に向けて勉強しろということのようだが、簡単なテストになりそうで張り合いがない。サッカーのシグマ・オロモウツがヨーロッパリーグの予選でカザフスタンのチームと試合するのが放送されるのを思い出して、テレビをつけたのだけど、疲れからか前半は寝こけてしまった。まあ勝って勝ち抜けを決めたからよしとしよう、次の相手はスペインのセビリアである。代表のバツリークが移籍したチームだったかな。
 収まりがつかないけどこの日の分はこれでお仕舞い。
2018年8月19日23時40分。









2018年08月17日

十八日目、あるいはスロバキアは美味しい?〈LŠSS2018〉(八月十五日)



 前日の酒が残っていることを意識しながら勉強するのは久しぶりである。休憩前の課題で、新聞のあるコーナーに出ていたパートナーを求める広告に対する返事を書いている途中にアルコールが消えていくような感じがして、その悪ふざけで書いた内容を発表していたら完全に消えた。その瞬間に自分の書いた内容がとんでもなく恥ずかしくなってしまった。ほとんど全員冗談だらけの回答をしていたから、浮いていたわけではないのだけど、若さが違うから。

 今日もテストの訓練として聴解をやったのだけど、映像付きだった。題材が映画「ペリーシュキ」ってこっちは何度も見たから問題なかったけど、それでもシーンの面白さに惹かれすぎて細かいところを聞き落としたりすることがあったから、初見だと結構大変だったかもしれない。スロバキアのシモナがすべて理解していたのはともかく、イタリアのジョバンナが一番難しいと思った問題にも正確に答えられていたのには驚いた。この子やっぱ語彙も多いし、チェコ語能力高いわ。
 1968年のプラハの春を背景にしたこの映画、大好きだというチェコ人は多く面白い映画ではあるのだけど、同時にあざとさが強すぎてそこまで好きになれない。チェコでは1968年のプラハの春がワルシャワ条約機構加盟国の軍隊の介入によって押しつぶされた事件は、日本の広島、長崎の原爆と同じような意味を持っている。この事件をテーマにした作品はさまざまな角度から繰り返し制作されるし、このテーマを扱う以上中途半端なことはできないという覚悟がある成果、どれも一定以上のレベルを保っている。
 映画「ペリーシュキ」に関しては、続編というか、前日譚に当たる映画も製作されたんじゃなかったかな。主役のドヌティル演じる共産主義を信じる軍人ではなく、その隣家のエキセントリックな父親の子供の頃の話だったか先祖の話だったか。こちらはまだ見ていないのだけど、プラハの春を背景にしていないせいか、一般の人の評判はそれほど高くないようである。

 この日の発表は、スロバキアのシモナの番。予想通りというべきか何というべきか、スロバキアについての話だった。まず最初にスロバキアの地方別に区分された地図を示して、一番大事なのはトレンチーン地方だよと自分のふるさとをアピールした後、お城の紹介に移った。戦うためのお城、城塞と言っていいかな、は、城跡も含めてスロバキア全土で400以上、住むための城館は200以上現存していて、この数はヨーロッパでも最大なのだとか。
 ブラチスラバの近くのデビーン、世界遺産にもなっているシュピーシュ城、血の伯爵夫人エリザベート・バートリの居城だったチャフティツェ城を紹介したあと、チャフティツェ城に関しては、お城の周りに殺された若い女性の骨が転がっているという伝説があるけど、探しても見つからなかったと実体験を語っていたけど、スロバキアで一番の城としてトレンチーン城を挙げいていた。愛郷心豊かだよなあ。

 その後、鍾乳洞、国立公園を紹介して、スロバキアの美味しい物。スロバキアの国民食ハルシュキが挙がっているのは当然としても、スロバキアで一番おいしいビールを二種類紹介してくれた。どうも発表の初日に、スロバキアのスカリツァで最高にまずいビールを飲んだという話をしたが原因で、スロバキアにも美味しいビールがあるんだと主張したかったようだ。
 一つはチェコでもスロバキアのビールというと名前の挙がるズラティー・バジャントで南スロバキアのフルバノボという町で生産されている(チェコでライセンス生産されているという話もある)。ただし、ズラティー・バジャントならどれでもいいというわけではなく、「Zlatý bažant 73」という数字のついたビールが最高なのだとか。ズラティー・バジャントは昔飲んだことがあるけど、これは飲んだことがない。もう一つは中央スロバキアのバーンスカー・ビストリツァで生産されているウピルネル。これは名前も聞いたことがなかった。バーンスカー・ビストリツァ行ったこともないからなあ。

 午後の講義はチェコの近代建築についてで、実はこれを一番楽しみにしていた。講義の内容は、いつか思い返しながら一つの記事に仕立てようとも考えているので詳しくは書かないけど、「シュムナー・ムニェスタ」と重なる部分も、重ならない部分もあって面白かった。チェコの近代建築の父と呼べるのがウィーンのオットー・ワーグネルだというのは万人の認めるところのようである。
 よその国では絵画、彫刻ぐらいで止まったキュビズムが、チェコでは建築にまで導入され、キュビズム建築は内装の家具なんかまでキュビズムでデザインされたものが使用されていたとかいうのは知っていたけれども、プラハだけでなく各地に広がっていたとか、キュビズムの角が丸くなったのがロンドキュビズムと呼ばれる建築様式で、よその国のアールデコに相当すると考えられているとか知らんかったなあ。
 オロモウツの建築物としては、サッカーのスタジアムに行く途中のフス派の教会が挙げられていた。前面のギリシャ神殿風の柱と大きな緑色の丸屋根が特徴のこの教会がカトリックではなく、フス派系統の教会であるのは、塔の一番上に金色の酒盃が置かれていることからすぐわかる。チェコスロバキアの独立後にカトリックとは別の教会をということで盛んになったのがフス派の流れをくむ教会だと行っていたかな。他には「芸術家」チェルニーの作品が前面にぶら下がっている美術館の建物、大司教博物館をオロモウツの建築物としては、見ておくといいだろうという話だった。

 この日も宿題を同じ喫茶店でやった。やっぱり寒かった。
2018年8月17日7時43分。







2018年08月16日

十七日目、あるいはハーブティーは美味しい?〈LŠSS2018〉(八月十四日)



 この日の日の授業の開始時間は定時よりも30分遅い9時15分からになった。前日月曜日の夜にモラビアの民族舞踊を練習するワークショップ参加者の発表会を名目にした飲んだくれイベントが行なわれ、多くの学生が深夜まで飲むことになるのは自明のことだったために、事務局が多少の配慮を下ということのようだ。話によればビールやワインが大量に持ち込まれ、際限なく飲み続けたらしい。一次会の終了が2時ごろで、それから二次会に行った連中もいたというから、若いってのはいいねえと言うべきなのか。
 うちのクラスも一人欠席者が出たし、何人かいつもと違って理解に時間がかかったり頓珍漢なことを言ったりする人がいた。二日酔いについては否定していたけど。この件に関しては、特に個人名は秘すことにする。隣のクラスの誰かが、休み時間に自分が今朝学校に行くために量の部屋を出ようとしたら同室の人が帰ってきたとか言っていた。徹夜で飲み続けた人たちもいたということなのだろう。

 授業では金曜日のテストに向けて予行演習のようなこともした。単位のかかっている学生たちは真面目に試験に合格したいと考えているようだ。こちらとしてもあれこれ復習できるのはありがたい。ただこの先生が素直に教科書に出てくるような文章で聴解問題や、読解問題を作るわけがない。聴解は1942年に出版されたユーモア小説の『サトゥルニン』の冒頭部分が使われた。この小説は映画化もされていて見たことはあるはずなのだけど、それほど印象に残っていない。チェコ語が難しくて理解しきれなかったのかもしれないと、冒頭部分の聴解問題をやって思った。
 ここに登場する人間を三つのタイプに分類するやり方は、どこか他でも読んだことがあるような気もする。ブラーフ博士が考案したという分類方法は、日曜の午前中の朝食が終わったぐらいの時間帯のがらがらの喫茶店で、テーブルの上にコブリハというドーナツの一種が入った皿が置かれている状況で何をするかに基づいている。一つ目のカテゴリーには大半の人が入るというのだが、ぼんやりとコブリハをお昼の時間まで眺め続けるというもの。二つ目のグループに属するのは、そのコブリハを喫茶店にいる人に投げつけたらどんなことが起こるだろうかと想像して楽しむ人のグリープ。こちらの方が精神的に大人なのだそうだ。三つ目が理論の提唱者も実在を疑っていたという投げつけたらという想像を実行に移してしまう人。最近の小説に登場しても違和感のない一節である。

 休憩時間の後の発表はポーランドのアリツィア。科学的に合成された薬品にアレルギーがあるという彼女は薬の代わりに飲んでいるというハーブティーについて語った。民間療法のようなものだが、アリツィアの話では十分に効果があるという。せっかくなのであまり知られていないものをと言って三つのハーブティーを紹介した。そのうちの二つには、チェコ語、ドイツ語、ラテン語だけでなく、日本名も表示されていた。
 一つ目はムラサキバレンギク。北アメリカ原産だったものがヨーロッパに持ち込まれて各地で育てられるようになったものだそうだ。先生の話ではチェコ語名もあるけどほとんど誰も知らず、ラテン語名のエヒナツェアを使う人が多いとのこと。風邪の引き始め、ちょっと体調がおかしくなったかなというときに飲むといいらしい。このハーブティーは見たことはあるけど飲んだことはない。
 二つ目はセイヨウナツユキソウ。こちらは解熱剤、鎮痛剤として利用されていて、アリツィアはサマースクールで病気になったときのためにわざわざポーランドから持ってきたのを見せてくれた。三つ目は和名が発見できなかったというチェコ語でスルデチニーク。チェコ語では心臓という言葉から作られた名前なので心臓関係に作用するらしい。他にも気分を落ち着けるためにいいお茶だと言っていた。
 三つのうち二つは、写真だけでなく和名も見せられたのに、正直ピンとこなかった。ハーブティーだからというより、植物なんて普段から注意してみているわけではないし、和名も日本にはえていないものに関してはその世界にいる人、関心を持つ人以外は知らないということが多いのである。チェコでは手に入りそうだから気になるのは味である。三つとも「美味しいの?」と質問をすると、最初は変な味だと思ったけど今では慣れたから、問題なく飲めるという。一番美味しいと思うのはという質問には、ちょっと考えて最初のムラサキバレンギクだという答えが返ってきた。ちなみに一番まずいのは最後のスルデチニークだとか。

 午後の講義はブリュッセルについて。チェコ語で大文字で始めてブリュッセルと書くと、もちろんベルギーのブリュッセルを指し、場合によっては特に否定的な意味でEUを指すこともあるのだけど、小文字で書くと大文字のブリュッセルで戦後最初に開催された世界万博の際にチェコスロバキアのパビリオンで展示されたスタイルをさすのだという。この講義は後者についてで、60年前とは思えないような斬新なデザインのさまざま製品とその背景が紹介された。
 問題は、今も変わらないのだろうけど、万博で展示された製品は、西側向けにチェコスロバキアがどれだけの技術を持っていて、どれだけ進んでいるかということを宣伝するためのもので、大量生産を前提にしたプロトタイプですらなかったという点にある。チェコスロバキア館は、アメリカやソ連などの大国を押さえて一番人気のある展示会場だったので、国内の報道でもその成功について沈黙するわけにもいかず、大々的に報道された結果、何で国内で手に入らないんだという声が高まり、少しずつ生産に移されたけれども、実現までは長い時間がかかったのだという。
 1958年のブリュッセルの万博の前後から、プラハの春の1968年までの約10年間が、チェコスロバキアの工業デザインにとっては全盛期で、その後デザイナーの多くが亡命したり、職を追われたりした結果、この時期になされたデザインが少しずつ形を変えながら長期にわたって生産され続けることになったらしい。講義をしてくれた先生がこのテーマでブログをやっているというので、興味のある方はこちらを。チェコ語はできなくても写真を見るだけでも楽しめそうである。ただし、すべてが58年の万博のものというわけではない。

 夜はお酒を飲みに行くことになっていたので、宿題を終わらせるために喫茶店に入る。くそ暑い町の中をふらふら歩き回った後だったので、冷たいものをと思ってアイスティーを注文したのだが、失敗だった。オロモウツにしては珍しくクーラーが凄く効いていて、宿題の作文を書き終える頃には寒さに震えることになったのだ。入ったときは快適な涼しさで、これなら勉強が進むと思ったのだけど、そこに氷が大量に放り込まれたアイスティーまで飲むと、内と外から体を冷やすことになってあまりよくなかったようである。次はこの涼しい喫茶店で宿題をしながら暑い紅茶を飲もう。

 昨夜眠くて書き上げられなかったので、朝書き上げた。
2018年8月16日7時52分。










2018年08月15日

十六日目、あるいは手話のラッパー〈LŠSS2018〉(八月十三日)



 週末は金曜日に続いて気温が30度を超えることなく、比較的すごしやすかった。その結果、休憩のというか睡眠の週末になった。いくら夜から朝にかけては気温が下がるとは言っても、窓を完全に開けたまま寝るわけにもいかないので、部屋の中にはどうしても昼間の熱気が残ってしまう。それがこの週末は昼間の気温が上がり過ぎなかったおかげで、久しぶりにぐっすり眠れたし、快適な昼寝もできたのである。
 サマースクールが始まって三週間を越えさすがに疲れも出始めていたのか、昼寝もあわせると一日中時間近く寝たような気もする。疲れているのは他の若い参加者たちも同様のようで、今朝ポーランドのルカーシュたちと日曜日にコプシブニツェに行くと言っていたシモナに、どうだったか聞いたら、結局行かなかったという答えが返ってきた。いつものそれほど気温の上がらない夏ならここまで疲れないのだろうけど、今年の夏はね。
 クーラーがあったらどうだろうと考えてみる。最近はチェコもクーラーのあるところが増えていて、電車も新しい車両であれば冷房が入るようになっている。日本だと室内はどこでもここでも空調が効いていて快適な気温になっているのだろうが、チェコはそこまでクーラーが普及しているわけではない。ただ、冷房もありすぎると逆に疲労を呼ぶところもあるから、冷房のあるところとないところを頻繁に出入りすると妙に疲れて体調を壊すこともあったのを思い出す。活動効率はともかく、疲労度は大差ないのかな。

 授業は、あれこれ復習なんかをしたあと、ニェムツォバーの名作『バビチカ』の一節を読んだ。日本語の翻訳も刊行されているが読み通したことはなく、当然チェコ語のオリジナルを読むのもはじめてである。いやあわからんかった。チェコ語でプシェホドニーク、日本語だと副動詞というのかな、が続出するし、聞いたことのない言葉も結構出てきた。動詞が文末に来ていたのはドイツ語の影響なのだそうだ。当時のチェコ語は一部日本語と語順が似ていたのである。
 先生は最近のチェコ人は、この名作を読まなくなり、チェコ語専攻の学生の中にも読んだことがないと言う学生がいるとぼやいていた。そしてドイツの学生たちにゲーテの『ファウスト』をドイツ人が全員読んでいるわけじゃないだろと言っていたが、日本でも古典作品を原文で通読する人間なんてほとんどいないからなあ。今の日本人の多くが現代語訳であれ、『源氏物語』を読んでいるかというと、そんなことはないだろうし。原文では桐壺源氏に終わった人間に批判できることでもない。
 その後、ヤン・ベリフの自作の朗読を聞いた。これが、一音節からなる単語しか使わないという縛りのある文章で、なじみの少ない言葉がちょっと出てきたのもあるけど、すべての単語が一音節で進んでいくので、理解するのが追いつかないところがあって結構辛かった。先生はそんなに難しくないだろと言っていたけど、知らない単語が多い文章よりも理解しづらかった。ある程度単語の長さがないと個々の単語を理解していくだけの余裕がないのだ。いい経験をさせてもらった。

 休憩の後の発表は、アナの担当。音楽好きのようだから音楽について発表するのかと思ったら、最初はちょっと違っていた。教科書でチャリティ運動が取り上げられていたから、障害を持っている人について話そうと考えたらしく、選ばれたテーマが手話。何も考えずにビールに飛びついたこちらとは違って、真面目な学生である。
 手話も口の言葉と同様に、国によって、場合によっては同じ国内でも地域によって差異があり、違う国の人がそれぞれ自分の国の手話で話すと理解できないので、国際共通手話が設定されているらしい。その国際共通手話は、英語が世界最強の国家アメリカの言葉だというだけの理由で事実上の国際共通語になっているのとは違って、アメリカの手話が共通手話になったのではなく、ピジン言語に当たるような成立の仕方をしたものらしい。だから、各国手話よりも構造が簡単で覚えやすいという特徴があるのだとか。ただ、その普及がどのぐらい進んでいるのかについては、よくわからないとアナは語っていた。

 これで終わっては自分の発表ではないと思ったのか、やはり音楽がらみの話を入れてきた。それがサインマークというフィンランドの音楽家だった。何が特殊かというと、この人手話で歌うというかラップをやるのである。アナの話では、手話がわからない一般の人向けには別の歌手が声を貸して歌っていて、手話が理解できる人向けにサインマークが手話で歌うのだという。ビデオを見せられたけど、これは手話が理解できたら面白いかもしれないと思った。その手話がフィンランド手話なのか、国際共通手話なのかは質問するのを忘れてしまった。
 日本だと、普通の学校でも障碍者や、障碍について話すことはあまりされず、語学の教科書のテーマに取り上げて学生たちが議論するなんて考えられないことのような気がするのだがどうなのだろう。少会社に対する支援というのは、現代社会では避けて通れない問題になっているというのが教科書作成者達の認識なのかもしれない。チェコ語でも下手に普通のチェコ語の表現を使うと差別だなんていわれることがあるのだろうか。でも、ドイツ人、Němecがněmý、つまり口が利けない者という言葉を語源にしていて、それを差別だとわめきたてる人がいない現状を考えると、日本ほどうるさくはないのかな。

 そういえば、サマースクールでイベントの手伝いを募集していて、「力のある男の人協力してください」みたいなことが書いてあった紙に、「女性でも可」みたいなことが書き加えられていた。事務局の人の話では、男女差別じゃないかとクレームがついたらしい。ha ha haである。現実ではなく、言葉による表現における男女平等を求めるのなら、チェコ語なんか勉強するべきじゃないと思うんだけどなあ。男性名詞が一つでもあれば、いかに女性が多くても全体としては男性複数として扱うのがチェコ語なんだからさ。
 いやはや事務局の皆さんにはご苦労様としか言いようがない。
2018年8月14日8時15分。
 








2018年08月14日

十五日目、あるいは「芸術家」の話〈LŠSS2018〉(八月十日)



 金曜日は久しぶりに気温が多少下がった。下がったのは事実かもしれないが、地面も建物もこれまでの猛暑で熱くなっており、教室内の体感温度はさして下がったとも思えない。何より体が熱を溜め込んでいて、多少の気温の低下に意味があったとも思えない。予報の最高気温が28度とか30度以下になっていると、気分的には楽なのだけど、気休めの類でしかない。

 先週からペットボトルの水を凍らせてタオルを巻いて教室に持ち込むという、昔子供の頃にやっていた暑さ対策を導入している。それとは別に手ぬぐいを濡らして頭に巻いていたら、同級生達に日本人が何で鉢巻を巻いているかわかったなんて誤解されてしまい、あれとは別なんだよ、あれは敵味方を識別するための標識として巻いているので暑さ対策じゃないんだよ、手ぬぐいは昔の日本のハンカチみたいなもんなんだよ、普通のタオルだと頭に巻いても落ちてくるからこれを使っているんだよとかいう話をする羽目になった。
 それはともかく、ペットボトルの氷で手ぬぐいを冷やしたり、ほてった額やら足やらに押し当てたりして体温を下げつつ暑さに耐えて勉強しているのである。氷の融け方からいうと確かに金曜日は多少涼しかったのかもしれない。一番早い日は午後一時の授業が終わる頃には氷が融けていたのに対して、この日は午後のプログラムでパラツキー大学の理学部が設立した体験型の博物館的な施設に出かけてからも氷が残っていた。温度を感知するカメラの前に立ったら自分の体の温度が37度以上になっていたので、思わずペットボトルを当てて温度を下げてしまった。

 さて、金曜日の授業は、喧嘩の練習から始まった。口げんかでよく使う表現を勉強したあとに二人組になって、それぞれ状況を与えられて喧嘩を演じたのだけど、みんな見事な演じぶりでなかなか楽しかった。こちらの相手はスロバキア人のシモナで、口ではかなわず情けない酔っ払いの夫役としてはたじたじになるしかなかった。唯一のチャンスだったシモナがスロバキア語を使ったところでも、それにつけ込むことができずに完敗だった。休み時間にユスティナに指摘されて、思わず畜生と叫んでしまった。

 休み時間には、オロモウツに車で来ているポーランドの新聞記者ルカーシュがサマースクールの遠足のない日曜日に、シモナやユスティナたちと個人的な遠足を計画しているらしく、どこかいいところがないか聞かれた。最初はプシェロフとプロスチェヨフについて聞かれたので、自分が行くならプロスチェヨフだと答えた。タトラの博物館に行きたいと誰かが言い出し、それならコプシブニツェだよとか、コプシブニツェには、タトラの博物館以外に花にもないから、近くのシュトランベルクや、ノビー・イチーン、フクバルディなんかにも行くといいんじゃないのと推薦しておいた。月曜日にどこに行ったのか質問してみよう。

 今日の発表はフェルディナント。テーマはなんと2009年にチェコがEUの議長国を務めたときに物議をかもした「芸術家」チェルニーが制作した「作品」。あのときのチェコは何を考えていたのか、議長国を務めるにあたって芸術作品をチェルニーに発注し、世界的に有名なチェコ人を総動員してビデオクリップを制作した。他の国も議長国を勤めるとこんなことするのかねえ。議長国を務める国がビデオクリップを作製するということは、他の加盟国に対してその意思表明をするためのものだろうから、他の国も製作しているのならチェコでも見られるはずだけど、チェコ以外の議長国のものは見かけたことがないのである。
 フェルディナントは、その作品「エントロピア」の由来やら、どこが問題になったのかなどを詳しく解説した。加盟国をぞれぞれステレオタイプ化して一つのフレームの中に収めた作品だが、改めて確認すると結構ひどいものがある。ドイツは高速道路網を模したといいながら、それがカギ十字を思わせるつくりになっているし、スウェーデンはイケアの家具のダンボール、ポーランドはジャガイモ畑、EU脱退をちらつかせていたイギリスにいたっては空白になっている。一番物議を醸したのは、ブルガリアのトイレだったかな。ハンガリーもいちゃもんをつけていたような記憶があるけどフェルディナントは触れなかった。

 その代わりに、チェルニーのやらかした詐欺めいた行動について説明した。当初のふれこみではこのエントロパの各国のステレオタイプ化には当該国の芸術家が参加したことになっていて、その芸術家のリストも公表されていたらしい。しかし後に、実際にはそのリストに載った芸術家の中には、実際には存在しない名前が多く含まれ、実在の人物であったとしてプロジェクトについては何も知らなかったということが判明したのだという。
 フェルディナントはそういうところも含めて現代芸術なんだと言ってたけれども、EU的にはこれ問題なかったのだろうか。チェコ政府の議長国を勤めるための資金、つまりはEUの予算を使って制作したものなのに当初の計画、予算をとる為に提出したはずの計画から外れてもいいのか。これが他の件だったらあれこれうるさいことを言われて大変なことになったはずである。それとも、最初から架空の国際協力で制作することになっていたのだろうか。だとすれば認可したほうもしたほうである。芸術家というものははた迷惑なものなんだよなあ、やっぱり。

 先生は、フェルディナントの発表に対して、チェコが議長国を務めたときのことを、恥ずかしかったと回想していた。議長国なんて、建前で形式でしかないものを、たかが半年、問題なく務め上げる国が多いのにチェコは問題連発だったもんなあ。一番ひどかったのは、下院で内閣不信任案が可決か、信任案が否決されるかして。政権交代が起こったことだろうか。議長国で選挙をやるわけにもいかず、暫定内閣が議長国を勤め上げたのだった。バビシュ氏のANOがあれこれ批判されるけど、他の既成政党も大差ないと言うか、同じ穴の狢と言うか、目くそ鼻くそと言うか、そんな印象しか抱けないのはかつての行状と、それを反省していないことを知っているからである。
2018年8月13日18時24分。









2018年08月13日

十四日目、あるいはミュンヘンのオウム〈LŠSS2018〉(八月九日)



 木曜日の授業はピルスナー・ウルクエルのCMから始まった。以前紹介したユングマンのチェコ語再興の努力を描いたCMを、先生が教材配布のために作った、クラス共有のメールアドレスに送付しておいたのだ。いやあ暑くて頭が働かなかったし、宿題の映画のダウンロードに時間がかかったしで、イラついていて、気晴らしのようなものだった。見てくれた同級生は楽しんでくれるだろうと思ったし。
 朝学校についたら、フェルディナンドにはあのCM面白かったといわれたのだけど、ユスティナとスロバキアのシモナに見られなかったといわれた。ビデオの形式が合わなかったのだろうか。そうしたら先生がせっかくだから皆で見ようと言い出したのである。さすが、最上級の学生たちで、一番最後のユングマンが「ダンケ」と言ってしまうところもちゃんと理解して笑っていた。こっちは最初に見たときは何がおかしいのかわからなかったというのに。
 好評だったので、機を見て折を見て他のCMも送りつけてやろう。チェコ語とかチェコの歴史を知らないと理解できないCMだけど、この連中ならこちら以上に理解できるはずである。国民劇場の火事を描いた「イェシュチェ・イェドノウ」とかさ。ブドバルの「ボブとデイブ」シリーズもいいかもしれない。言葉的には英語だから面白くないけど、プールに飛び込むとか、アイスホッケーの応援とか少しは涼しくなるかもしれない。

 授業で何をやったか。映画の課題となったシーンの分析はやった。チェコ語には本来「V」や「F」に相当する音がなくて、それがチェコ語にはいったのはドイツ語の影響だという話を聞いたのは、この日だっただろうか。これを聞いて、だから古いテキストでは、パベルが「Pauel」になっていたのかと納得してしまった。昔のチェコ人の名前はパベルじゃなくてパウェルだったようだ。電車で偶然同じコンパートメントに座った二人の会話なんてのもやったなあ。ちょっと設定を固めきれなくて失敗して、アナには悪いことをしてしまった。

 今日の発表の担当は、イタリアのジョバンナ。インコ、オウムなんかの鳥が好きだという彼女は、オウムの出てくるチェコ映画ということで、「Ztracení v Mnichově」という映画について話した。「ミュンヘンでの失踪」とか「ミュンヘンで失われたもの」と訳せる題名から、チェコの歴史に、チェコスロバキアの歴史に大きな傷を残した1938年の所謂ミュンヘン協定についての映画だと思っていたら、実はそうとも言い切れないらしい。
 最初はヒトラーや、チェンバレン、ムッソリーニなんかの出てくるミュンヘン協定を巡るドラマで、主人公は、フランスの首相ダラディエの飼っていたオウムである。少なくともジョバンナの話からそのように理解した。そのオウムがダラディエの発言を覚えていて、「ヒトラーはいい奴だ」とか言うらしい。これはゼマン大統領に対するあてつけなのかなあ。何とかいう当時のチェコのジャーナリストが、「ヒトラーはジェントルマンだ」という記事を書いたと発言して、遺族ともめたりしたのは、映画が公開された2015年より前だったよなあ、多分。

 それで、ミュンヘン協定のときのフランス首相の行動がオウムの発言から明らかになるというストリーかと思ったら、話が突然現在になって、映画を撮影する際に直面した様々な問題が描かれるらしい。トルハークみたいな映画の中で映画を撮影するというストーリーなのかな。他国との共同制作を名目にしてEUから助成金を獲得したのに、他国の他の字も出てこなかったり、資金切れを起こして撮影が中止に追い込まれたりというあたりは、制作に失敗した映画撮影のドキュメントのようでもある。
 「Ztracení v Mnichově」がチェコ映画の賞、「チェスキー・レフ」で何かの賞をとったのは知っていたけど、こんな話だったとは知らなかった。「トルハーク」を思わせるところがあるようだから、見てみたいと思わなくはないのだけど……。監督はペトル・ゼレンカ。「クノフリカージ」という日本人には迷惑極まりない映画を撮った監督じゃないか。次の「サモタージ」でも日本人のカリカチュアが出てきたなあ。この人の作品、「サモタージ」以外はちゃんと見ていないんだよなあ。「サモタージ」のユーモアも、マハーチェク演じる登場人物が、チェコの国家を聞いて、「何これすっげえいい曲じゃん」といって感動するところ以外はいまいち笑えなかったからなあ。

 授業が終わった後、宿題を片付けるために喫茶店に入った。うちだとついついコンピューターに向かってしまうので、教科書や練習問題集から宿題が出たときには、喫茶店でやった方が効率がいいのである。入ったのは以前から気になっていた「V lese」という喫茶店。気になっていた理由は、以前ここにあったウ・バカラージェという飲み屋に通っていたことがあるからなのだけど。
 入ってみたら、子供連れの母親がたくさん来るような喫茶店だった。乳母車が何だいも置かれていて、脱いだ靴も置かれていたからはだしで歩きまわれるようになっているようだ。幸い子供たちがいたのは店の奥のほうの部屋で、板材にするには問題のある木を処理して造られたと思われるテーブルの形はいびつだったけど、宿題をするには支障はなかった。脱いだ靴に気づいたのは店を出るときで、裸足になるべきだったのかとちょっと申し訳なく思った。コーヒーはコドーの方が好みかな。
 こうやって仕上げた宿題の答え合わせは、次の日の授業では行なわれなかった。宿題以外の復習もできたから文句はないんだけどさ。
2018年8月12日17時48分。
 








2018年08月12日

十三日目、あるいはコーヒーの話〈LŠSS2018〉(八月八日)



 三日目に提出した宿題は、指定された動物についてのエッセイ。みんなそれぞれ別の動物で、当たったのがコウモリ。うーん、コウモリの思い出なんかないぞ。宿題が出てエッセイを書いた前日の授業で、先生が若い頃に翻訳したという英語の本の一節をチェコ語に訳すという課題があったのだが、それがなんだか奇妙な昔話の冒頭部分だった。コウモリで昔話といえば、例の鳥と動物の戦争でコウモリがあっちについたりこっちについたりしていたという話を思い出す。
 ということで、それをもじった話を書き始めたのだけど、暑さで脳みそが融けていて話がぜんぜん進まない。もじりというにも、童話というにも中途半端なものが出来上がった。最初と最後だけはちょっとそれっぽくできたかな。高校時代に夏のくそ暑い中受験勉強をしながら、勉強のしすぎで脳みそが融けると鼻から垂れてくるような気がするけど、熱さで融けると耳から流れ出てくるような気がするなんて馬鹿なことを言っていたのを久しぶりに思い出した。
 とりあえず、冒頭に「Kdysi dávno(≒昔々)」「za devatero horami a devatero řekami(≒山と川をいくつも越えたところに)」なんて表現が使えたし、最後のほうには「Milé dětí」といういかにも似非童話に出てきそうな子供たちへの呼びかけが使えたからよしとしよう。内容に関しては、四足のケモノだけでなく、翼あるモノも登場させればもう少しましになったかなとは思うが、所詮は素人の作文、誤差の範囲である。

 この日の授業の内容で覚えているのは、映画の冒頭部分の聞き取りをやったことである。月曜か火曜にも、「Básníci(詩人)」シリーズの最終作の一節を見たが、あれは80年代に一世を風靡した青春ドラマの続編の続編の続編という奴で、かつて高校生だった若き詩人が医者になって結婚して子供が生まれた後に妻を亡くして今は子供と二人暮らしという設定で話が始まっていた。
 このシリーズも高校生、大学生、研修医時代の三作が共産主義の時代に制作され、ビロード革命後にも間隔を置いて三作制作されて全部で六作存在するのかな。授業で見た最新作は二年前に公開されたものである。作品ごとに違うヒロインが登場して、ふらふらしている主人公がいつの間にか結婚していたのにも驚いたけれども、その結婚相手がすでになくなっているという設定にも驚いてしまった。見たのは初期の三作だけなので、もしかしたら前作で結婚したのかもしれないけれども、作品のコンセプトを考えると最後まで結婚しそうにないと思っていた。

 今日見たのは詩人シリーズのような内容が高く評価される(最新作の評価は知らんけど)ものではなく、チェコ風のハーレクイン映画とでもいうべきもの。チェコの映画は芸術映画とか文芸映画なんていわれる気取ったものよりも、B級の娯楽映画の方が圧倒的に質も高く面白くもあるのだけど、この手の女性向けの映画は苦手なんだよなあ。先生はこの映画気に入ったわけではないけど、出てくる会話が面白いからといって主人公の女性二人の子供時代、ティーンネイジャー時代が出てくる冒頭部分を見せた。
 宿題になったのは、この映画の最初のほうの2分ほどのシーンで何が起こったかをチェコ語で書いて提出すると言うものだった。映画の題名は「Všechno nebo nic(すべてかゼロか)」。スロバキア人も結構出ていてスロバキア語も聞こえてきた。ただ主人公の女性二人のうちの一人はスロバキア人が演じていたけれどもチェコ語で喋っていたと思う。たったの2分分を見るために、映画一本1.9ギガものファイルをダウンロードすることになったのは想定外だった。面白くて自分でも見たいと思うような話ならともかく、課題でなければ絶対に見ないといいきれるようなものだったし。

 話を授業に戻そう。今日の発表はポーランドのユスティナでテーマはコーヒー。そういえば最初の自己紹介のときにコーヒーが好きで、いくつかのコースに通ってバリスタの資格を取ったとか言っていたなあ。内容はコーヒーの栽培から始まって焙煎、それから入れ方までわかりやすく説明してくれた。最後は簡単なアイスコーヒーの入れ方で、簡単だから試してみようねで終わった。ここで漏斗が登場し、「トリフティーシュ」というチェコ語にドイツから来た連中が大笑いしていた。ドイツ語起源の言葉なのだろうか。
 質問は、自動販売機のコーヒーをどう思うかというのがあった。コンビクトの一階に豆を挽いてコーヒーを淹れてくれることになっている自動販売機が置いてあるのだ。ユスティナは値段のわりには悪くないといっていたけど、あれまずいぞ。ブラックの設定にしても奇妙な甘さ、砂糖ではなくステビアか何かの代用甘味料の味がして、一度飲んだ時に飲まないほうがましだったと思ったのだが。
 オロモウツのコーヒーの中では、メトロポルという映画館の近くの喫茶店を勧めていた。コーヒー豆を入れて運ぶ麻袋が椅子の代わりになっているのだそうだ。もちろんコーヒーもおいしかったと言っていたから今度行ってみようか。授業の合間のコーヒーはコドーに限るが、宿題をするにはコドーは向かないのでどこか使えそうなところを探しているのだ。
2018年8月12日0時20分。





プロフィール
olomoučanさんの画像
olomoučan
プロフィール


チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。