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2018年08月01日

五日目其の二、あるいはホモウトのビールは美味しい〈LŠSS2018〉(七月廿七日)



 工場見学の予約は午後4時から、われわれがついたのは15分ほど早く、しばし待たされることになった。醸造所の付属するレストランでは結婚式の後の披露宴みたいなのが行われるようで貸切で準備が行われていて、われわれが待っている間にケーキが運ばれてきたり、新郎新婦が到着したりしていた。物見高いというと怒られるかもしれないけれども、女性たちは花嫁さんの様子について、ああだこうだコメントしていたが、そういうのに関して感想を男に求めないでほしい。

 待っている間、近くにポーランド人4人のグループがいて、あれこれ楽しそうに話していたので、うちのクラスのカロリーナもいたし、ポーランドのどこから来ているのか質問したら、ワルシャワ、クラコフ、カトビツェという答えが返ってきた。もう一人はというと、チェコ語でコストニツェ、より知られた名前で言うとコンスタンツの出身だという。待て、それポーランドじゃないよな。チェコの宗教改革者ヤン・フスが火刑に処された町の出身だというこの娘は、実はポーランド人ではなくドイツ人だという。
 もう一度待てである。今そこのポーランド人たちと、普通にポーランド語で話していただろ。チェコ語とポーランド語の違いについてあれこれ議論していたじゃないか。ポーランド語が理解できるわけではないけど、音の響きはチェコ語ではなくポーランド語にしか聞こえなかったぞ。いや、外国人が頑張ってしゃべるスラブ語には聞こえなかったぞ。なんてことをつらつらとまくし立てたら、ポーランド人たちも、わかるよその気持ちといわんばかりの顔で、自分たちも最初に話したときには、ポーランド人だと思ったと教えてくれた。そればかりかチェコ語の授業中に発音がポーランド語なまりになっていると指摘されるらしいから、そのポーランド人化ぶりはすさまじい。
 本人は、ポーランド人と間違えられることを喜んでいるようだし、ドイツ人よりもポーランド人のほうにシンパシーを感じるみたいなことも言っていたから、ポーランド語をマスターするために不断の努力をして、ポーランド人とまがうぐらいまでできるようになったのも本人にとっては当然のことなのかもしれない。語学に限らず勉強に対するモチベーションの強さと、モチベーションを維持できる強さというのは何よりも大切なのである。それとも、ドイツ人の中にときどきいる語学の天才なのだろうか。いずれにしてもうらやましいことである。

 そんな馬鹿話をしていたら案内をしてくれる醸造所の人、共同オーナーの一人といっていたかなが現れて、レストランの中庭のザフラートカのあるところに接した建物の二階に招き入れられた。意外と言うか何と言うか、もう少しそれっぽい建物のを期待したのだけど、これでは田舎の民家によくある作業用の物置みたいな建物と大差がない。いや、実際にはその物置のような建物を改装して醸造所にしたというのが正しいのかもしれない。

 最初に入った部屋は、ビールの原料の一つ麦芽の倉庫だった。さすがに麦芽の生産は自社ではやっておらず、ピルスナータイプの麦芽はプロスチェヨフの麦芽工場から、カラメル化させた麦芽は製造方式の違いからドイツのミュンヘン産の麦芽を使用しているという。麦芽という言葉を聴くと、漢字から麦を発芽させたものというイメージを持ってしまうが、発芽させてはならず、発芽のために、種子の中にある澱粉を糖に変える働きをする酵素は活動するけれども、発芽はしない状態にするのが大切らしい。
 その後の酵素の働きを止めて麦芽として製品にする段階での処理のやり方で、麦芽そのものの味わいも変わるんだといって、全部で6種類の麦芽を「試食」させてくれた。どれもほんのりと甘く、澱粉が糖化されたんだという言葉に納得してしまう。個人的には黒ビール用の真っ黒に焙煎された麦芽が、麦茶の風味を思い起こさせて美味しかった。この黒麦芽はコーヒーの手に入りにくかった時代には代用コーヒーの原料として使われたという話である。麦芽に関してはチェコでは二条大麦を使うけれどもアメリカでは六条の奴を使うという話もあった。
 以前見学したリトベルの工場では麦芽の話はまったくといっていいほどなかったし、以前麦芽を生産していた建物を改修して工場見学に来た人の試飲会場にしていた。そこにかつて麦芽を生産していた頃の様子を写した写真とか簡単な説明の文章なんかはあったかな。だから今回麦芽についていろいろ知ることができたのである。知らない業界用語が出てくるかもしれないけどと案内の人言っていたが、特に理解できないような言葉はなかった。

 その後の二つの工程は特に目新しいところはなく、特に発酵の工程は雑菌が入ると困るからと外から窓越しにのぞくだけだった。しかも熟成用のタンクに移したばかりだったのか窓から見えた発酵槽は空っぽだった。

 最後の熟成用の蔵は、リトベルが地下、もしくは半地下になっていたのとは違って、普通の地上一階にあった。ただ気温が2度で一定になるように保たれているらしい。リトベルは1度といっていたような記憶がある。そして、この熟成用のタンクが6つ並んだ部屋で、試飲が始まった。事前に配られたガラスコップに自分で好きなタンクから少量ずつ注いで飲み比べてみろというのである。ほぼ塾生が終わりかけたものから、始めたばかりの物まで、ビールも普通のラガーだけではなくエールタイプのものもあった。言って見れば、商品になる前の段階のビールを試飲させてもらえたというわけである。
 隣の部屋にも3つタンクがあって、最初の部屋は1つからのタンクがあったから全部で8つの黄金の液体を試飲できたのだが、飲んだ瞬間には違うと思っても、その違いを言葉で表すのが難しい。グルメ系のレポートは書けそうもない。そういえばホップの味わいについても、あれこれ果物なんかにたとえて説明してくれたけど、ぴんと来なかったしなあ。

 案内の人の話ではホモウトで一番評価の高いビール、黒ビールのシュバルツはちょうど熟成が終わって出荷したところで試飲できなかった。だから、言われたとおりに見学が終わったらザフラートカで一杯シュバルツを飲んでから帰ることにしよう。夕食もとるかもしれないけど、くそ暑かった一週間の終わりに美味しいビールを飲むのも悪くない。バスに乗って帰らなければならないのが少々不安ではあるけれども。
2018年7月30日12時05分。









2018年07月31日

五日目、あるいはお疲れの金曜日〈LŠSS2018〉(七月廿七日)



 一週間最後の金曜日は、今年の夏が暑いこともあって、先生も学生たちも少々お疲れモードで、いろいろなクラスで普段の授業とは違うことをしていた。木曜日だったか、水曜日だったかにも、一人一番下のクラスの人が来て、われわれの前で、今何時かチェコ語で言いに来たことがあるのだけど、この日は集団でやってきた。三つか四つのグループに分かれていたようで、その中の代表者が、「オトクット・イステ?」と出身国をきく質問をして、紙を突きつけてきた。どうも国の名前を書けということのようだった。ウクライナから来たチェコ語の先生が、自分で書かなきゃ意味がないでしょうと指摘したら、「ネロズミーム(わかんない)」という最強の答えが返ってきたとぼやいていた。
 先生によると、一つのクラスに質問する人が集まらないように、それぞれ別の順番でいくつかのクラスを回ることになっていたらしいし、聞き取った国名を書き取るのも課題になっていたはずだという。書いてくれとチェコ語でお願いするならともかく、答えてくれた相手に答えも書いてもらうのでは何の練習にもならない。そんな話を、授業の後に質問にきたグループにいた日本の人に言ったら、先生に言われたとおりにしたはずなんだけどと首をひねっていた。先生がチェコ語で指示を出したとは思えないから、英語での指示が誤解を呼んだということなのだろうか。

 この日は最後に、教室を離れて近くの聖ミハル教会に出向いた。教会の地下に岩山の割れ目から染み出す水を集めた小さな泉のようなものがあるのだ。かつては世捨て人と化した修道士たちが閉じこもって修行をしたという洞穴の中の水辺で、水にまつわる思い出をそれぞれが語った。途中で別の学生のグループが入ってきたのだが、これは一つ下の上から二番目のグループで、プロのガイドを呼んで学生たちを預けて、旧市街の観光案内をさせていたらしい。ちょっとうらやましいかも。
 先生は、今日はサマースクール全体がおかしくなっているといっていたが、猛暑の中で勉強を続けた一週間の最後の最後は、どのクラスも「教科書を捨て街に出よう」をやったらしい。うちの先生は他のクラスが同じ場所、聖ミハル教会に来ないようにと願っていたけれども、結局来たのは一グループだけだった。あんなところに行くのは、ある程度チェコ語ができてオロモウツについてある程度知っている学生でないと難しいだろうとは思う。
 泉のあとは、せっかくだからということで鐘楼にも登った。鐘の鳴る時間だとうるさすぎて大変だけどしばらく鳴らないから大丈夫とは先生の話。一番上の鐘が三つ並んだ部屋の窓は閉ざされていて、外を見ることはできなかったが、その一つしたのちょっとした展示が行われている部屋の窓から、市庁舎のほうを見下ろすことができた。「カメラ持っていていればなあ」と嘆いていたのはイタリアから来たジョバンナだっただろうか。

 この塔に上って降りた時点で汗みどろ、教室に戻るころには汗でぬれたポロシャツが冷たく不快極まりなかった。この後はホモウトのビール醸造所見学も控えているのである。着替えておかないと体調を壊すことになりかねない。着替えに帰るにしても来週のことを考えると、数が心もとない。普段の夏休みなら内に閉じこもっているからこんなに服が必要になることはないのだけど、今年は……。ということで服屋がいくつも入っているシャントフカで買って、買った物をそのまま着ることにした。
 買い物が予想以上に早く終わったので、あまり考えたくなかったので、えいやで決めてしまったのだが、一度うちに戻って重くてしかたがない教科書を置いてくることにした。それからビールを熟成させる部屋に入るための上着も持っていったほうがいいということでカーディガンも引っ張り出した。以前リトベルのビール工場でえらいめに遭ったのを思い出したのである。あの時も真夏で外は30度を越えていたのに、寒さに震えることになった。

 集合場所に、時間通りに集まった学生の数は16人。最高でも20人しか入れないということで人数制限をして20人にしたのにと事務局の人はぼやいていた。最低でも三回は意思を確認するようにしているのに、絶対に事前に確認して予定した数にならないのがサマースクールのこの手のイベントなのである。以前は、宿舎が必要なもの以外は事前の意思の確認さえしていなかったのだが、お城の見学にしても人グループの数というものがあるだろうし、ある程度の数を事前に確認しておく必要があるのだろう。事前に連絡したのと数が違うということで、問題が起こったのかもしれない。
 ホモウトフはオロモウツから数キロ来たにいったところにある集落で行政上はオロモウツの一部となっていて、市営バスも走っている。今回も市営バスで向かったのだが、金曜日の午後だったからか、暑い夏の日で郊外の池に泳ぎに行く人が多かったからかオロモウツにしては珍しく込んでいた。オロモウツのエンベロパから25分、ホモウトフのバス停から橋を渡ってすぐのところにあったホモウトの醸造所は、ミニピボバルという言葉から想像する以上に小さく慎ましやかであった。ここでの出来事については、長くなってきたので稿を改める。
2018年7月30日10時25分。




 プラハ行きのペンドリーノの中で書き上げ、プラハ発のレギオジェットの中から投稿する。また楽しからずやである。





2018年07月30日

四日目、もしくはコメンスキーいずこ〈LŠSS2018〉(七月廿六日)



 四日目は授業の開始に少し遅れた。9時ごろに教室に入ると、ちょうどこれから一つの課題をするところだった。課題はある国に対するステレオタイプ的なイメージを、外国人が持っているイメージと、その国の人が外国人が持っているだろうと考えているステレオタイプを比較してみようというものだった。とくに意外なものは挙がらなかったのだが、日本について外国人がイメージするものとして冗談で挙げてみたテレビ番組「風雲タケシ城」をドイツの人たちが知っていたのは、ちょっとした驚きだった。
 文法事項については、この日も特に新しいことはなかった。格変化の練習として7格をやったのだが、さすが最上級のクラスだけあって、名詞、形容詞、指示代名詞なんかの格変化は単複ともほぼ頭の中に入っている。問題はそれらが組み合わされたときに、とっさにすべての言葉を正しい形にするのは難しい。数詞まで組み合わされて双数をつかう名詞が出てきたりすると、困難さは更に大きくなる。みんな熱心だから、自分が当たりそうなところだけでなく、他の人の答えもチェックして自分の考えと違うと、即座に質問する。この辺が単位を取るための義務ではなく、自分の意思でチェコ語ができるようになるために勉強しに来ている人たちの強さなのである。

 この日の新しい出来事としては、休憩時間にコドーでコーヒーを買うのに水筒に入れてもらうようになったことが挙げられる。オロモウツではいくつかの喫茶店が手を組んで、使い捨ての紙コップではなく、繰り返し使えるプラスチックのコップにコーヒーを注いで販売するというのを始めている。このコップは使用後に返却することになるのだが、最初にデポジットとして50Kč出すことで使用でき、返却すると出した50Kčが戻ってくる。コップを返却するのは、プロジェクトに参加している店ならどこでもいいらしい。
 アイデアとしては悪くないと思う。悪くないと思うのだけど、自分では使う気にはならない。それは、プラスチックのコップの色が緑と紫で、コーヒーを入れると毒々しい感じになりそうなコップなのである。コドーの紙コップが、一回の使用で捨ててしまうのは本当にもったいないと思うようなできのものであるだけにその落差は大きい。だから、もったいない紙コップを使わなくてもいいように小さな水筒を持ち歩くことにしたのである。
 コーヒーを飲む器は、せめて内側だけでも白であってほしいものである。白いプラスチックというものもあるはずだが、汚れやすい、汚れて見えやすいのが嫌われたのだろうか。それなら薄い茶色でもよかったような気がする。コドーの紙コップの外側がそんな感じの色だった。茶色系なら木のコップに見えるような加工をすることも可能である。もし、このプロジェクトが大きな成功を収められない場合には、原因の一つとなるのは、コップの色合いの悪さであろう。プラスチックというよりはゴムのようにも見えたし。

 授業が終わって事務局に出向く。クラス分けテストの疑問点を質問するためである。事務局の人と一緒に読んでみて、やはりちょっとおかしいということで合意に達した。テスト3に関して言えば、こちらがおかしいと感じた最後の部分、過去であるはずが現在になっていた部分ではなく、冒頭の一文がおかしいのだと教えてくれた。「z Francie」と「z Paříze」を同時に使う選択肢を選ぶしかなかった時点で、ちょっといやな問題だなあと思ったのだが、この「z Paříze」がなければ、フランスから手紙を送るという書き出しで、実際には現在ニースにいて、ニースから直接チェコに戻るという内容になって、文法的にも内容的にも何の問題もないものになる。「z Paříze」があるから、フランスのどこで手紙を書いているのかわからなくなったのである。

 その話を終えてコンビクトを出ようとしたら、日本の方が三人いて、一緒に昼食に出向いた。サマースクールの常連という人の勧めで最初に行った店は休業中。その近くのレノメーも閉まっていた。プリマベシも閉店したし、喫茶店マーラーの近くのディスティニもいつの間にか別の店になっていたし、オロモウツの飲食店の生存競争も大変である。結局、これも開店と閉店を繰り返して現在営業中のハナーツカーで昼食ということになった。食事中にアウトドア用品を主に扱っているお店から注文した品が届いたというSMSが届いた。
 今年の夏は暑い。いやサマースクールが始まる直前ぐらいから急に暑くなった。ありがたいのは3年前の最悪の夏とは違って、日が落ちると涼しくなるチェコの夏ではあることだ。仕事でなら長ズボンはいて暑さに耐えようという気にもなるが、勉強するならできるだけ快適な状態で勉強したいものだ。クラス分けのテストの日に長ズボンで出かけて失敗したと思ったので、初日から半ズボンというか膝丈のズボンである。その膝丈ズボンも、汗をかくせいで何日も履き続けるわけにもいかず、最近新しいのを買っていなかったせいもあって、履くものがなくなりそうで急遽新しいのを購入することにしたのだ。
 このサマースクールのために、すでにリュックと靴を買ったし、なかなかの散財である。ここ数年この手の買い物をしていなかったし、自分がこんな機会でもなければ買い物をしない怠け者であることを考える悪いことではない。もう少し何かかにか必要に迫られて買うことになりそうである。

 お店に行く前に学校に戻る。午後の講義が、「コメンスキー4.0」という題名なので、最近コメンスキーに縁のある人間としては聞かずばなるまい。実際はコメンスキーについてというよりは、チェコの教育制度についての話で、面白くなかったわけではないけれども、コメンスキーを期待していた人間にとってはちょっと期待はずれだった。さて、次に午後の講義にでるのはいつになるだろうか。チェコの歴史に付いてチェコ語でやってくれればなあ。この講義は伝統的に英語で行われているのである。ちょっとどころでなく残念な話である。
2018年7月29日18時55分。









2018年07月29日

三日目、あるいは感動詞的表現に関して〈LŠSS2018〉(七月廿五日)



 三日目はちょっと事情があって欠席。教科書の順番から言うと、日本語の感動詞的なものを勉強することになっていた。チェコ語の感動詞的なものとしては真っ先に浮かぶのが「サクラ」であろう。これは声なるという意味の形容詞「savatý」と関係のある言葉だという話なのだが、本来が名詞なのか、副詞的な扱いになるかよくわからない。名詞かどうかを問題にするのは、名詞が感動詞的に使われる場合に、1格を使うのか5格を使うのかよくわからないからである。時々使う人がいるサクリーシュもサクラのバリエーションだと言えるのかな。

 続いてよく聞くのが、信者以外が連発するとキリスト教徒がうるさいかもしれないから気をつけろと師匠に言われた「イェージュシュ」、または「イェジューシュ」とそれに「マリア」をつけた形である。問題は最初の「イェージュシュ」が、「イェージュシ」に聞こえることもあることで、「イェージュシュ」だったらイエス・キリストのイエスのチェコ語バージョン「Ježíš」で1格、「Ježíši」になれば5格だと考えられる。次のマリアが、マリオになっていないから1格で使うのだろうといいたいのだが、話はそんな簡単ではない。
 人によっては、神の子イエス、聖母マリアに加えて、父親のヨゼフの名前を使う人もいるのだが、これが必ず「ヨゼフェ」と5格になるのだ。だから全体を通すと「イェージシュ・マーリア・ヨゼフェ」という感じに聞こえる。ちなみにこれ、ちゃんとヨゼフェまで言えると、チェコ人驚いて、場合によっては喜んでくれるから、ハッタリを聞かせるにはいいチェコ語の一つである。

 もう一つ、5格で使うものがあって、それはキリストの足(単数)を意味する「クリストバ・ノホ」である。「ノホ」が足を意味する女性名詞「ノハ」の単数5格であることは、チェコ語を勉強し始めの人でもわかるはずだ。前に来る「クリストバ」が「ボ」になっていないのは、これが名詞ではないからである。これは人名などの人を表す名詞から作られる所有を示すための形容詞のようなものである。格変化はいずれ説明するけど、長母音が短母音になる変化がある以外は形容詞とほぼ同じである。形容詞の格変化は常に1格と5格は同じなので「クリストバ」も5格なのである。
 この言葉、今では使う人はほとんどいないというのだが、大戦間期を舞台にしたチェコのテレビドラマの最高傑作「チェトニツケー・フモレスキ」でザハールカという登場人物が使っているのを聞いて存在を知った。存在を知れば使ってみたくなるのが人情というもので、チェコ人を驚かせて喜んでいたのだけど、実は「クリストボ・ノホ」といういい間違いをしていたのだった。後の名詞の5格の語尾に引きずられて、所有形容詞も5格なのに変化させてしまったのが間違いだったのだ。間違えたことを悲しむよりも、所有形容詞なんていう厄介なものにおける自分の間違いを分析して修正できるようになったことを喜んでしまった。分析はできても間違うときは間違うんだけどさ。

 他の例を考えると、以前ふれた「ティ・ボレ」や、「ティ・ブルデョ」は5格で使われていることは明らかである。だからといって、どれでも5格になるかというとそういうわけでもなく、2003年の陸上の世界選手権で槍投げの鉄人ヤン・ジェレズニーが投げた瞬間に失敗を悟って口にした言葉は、売春婦を意味するものだったが、あれは5格の「O」ではなく1格の「A」で終わっていた。日本語だと、「くそ」とか「畜生」なんていう場合に使う言葉だと思うんだけど。
 それから、昔、工場で通訳をしていたときにオペレーターの人たちが、「ティ・ボレ」の代わりに使っていた、ここには意味を書くのも、発音を書くのも憚られるような言葉は、人によって、もしくは同じ人でも状況によって、1格だったり5格だったりしたような記憶がある。最近はこの手の言葉を常用する人との付き合いがないから、あやふやな記憶だけど、両方の形を聞いたのだけは間違いない。

 とまれかくまれ、5格というのは、チェコ語の名詞の7つある格の中でも、使う状況が限定的で一番問題のないものである。それでもこんな問題が出てくるのがチェコ語の困ったところである。こういうのを面白いと思えるようになることが、チェコ語ができるようになる秘訣である。来週火曜日の午後にチェコ語の格についての講義があるようだから、聞きに行ってみることにしよう。
2018年7月28日20時50分。









2018年07月28日

二日目其の二、あるいはチェコ語の発音は難しい〈LŠSS2018〉(七月廿四日)



 初日は午後のプログラムには、英語で行われるものだったので参加しなかったのだが、二日目の午後には発音矯正のクラスがあった。これはサマースクールの登録の際に、自分の都合のよさそうな時間を選んで名前を書き込んだので、誰と一緒になるかはわからなかったし、必ず同じレベルの人と一緒になるわけではない。ふたを開けてみたら、日本人二人、台湾人一人というアジア人三人の組み合わせで、しかも三人ともチェコに住んで長いというちょっと特殊なグループになった。一番短い台湾の人でもオロモウツで歯科医師の勉強をしたといっていたから少なくとも数年はチェコに住んでいることになる。我々日本人二人は十数年である。
 こういうクラスがあることは去年、一昨年とオロモウツのサマースクールに参加した知人から聞いていた。これまで発音を主に学ぶようなクラスには出たことがなく、師匠の授業で変な発音をすると注意されることはあったけれども、そこまできれいな発音が求められたわけではないので、自分の発音がどの程度いいのか悪いのか確信が持てていなかった。だからこういう授業があるというのも、今回長きのまどろみを越えて久しぶりにサマースクールに出ることにした理由の一つである。

 授業では最初にそれぞれ簡単な自己紹介をするように求められた。発音という観点から言えば、医学生向けの英語の先生もしているという台湾の歯医者さんの発音は、英語の影響を残した感じで、日本の方の発音はさすがチェコに長年住んでいるだけあって、日本人的な部分は残っているけれども、チェコ語で話すことに慣れた感じの発音だった。自分の発音は、日本人の弱点RとL、BとV、HとChあたりが自分でもどちらを発音しているかわからなくなるという始末だった。発音を意識しないで話しているときは、問題なく発音できている(ような気がする)のだが、意識するとつづりが気になって自分でもどの音を発音しているのかわからなくなる。
 耳で問題なく聞き分けられれば、それを再現するだけだから言いのだろうが、聴いた瞬間には聞き分けられてもそれを覚えていられない、もしくは時間を置くと再現できないため、正しい発音をするためにはつづりを知っておく必要があるのだ。もちろん、それに加えて発音のルールも知っていなければならないのはもちろんである。これは一部の例外を除けば、日本人がチェコ語を勉強するときの共通した弱点である。発音の間違いを減らそうと思ったら、つづりを覚えなければならないから、文法的な間違いも減るという一石二鳥的なところもあるのだけど。

 発音のルールは……。知ってはいても、わかってはいても、実際に使うとなるとと言う問題がある。語末の有声子音の無声化とか、やっと覚えてできるようになったと思ったら、今度は語尾が付くとまた有声に戻るというのだから、外国人に対する嫌がらせかよと思ってしまう。いや、そうなる理由はわかるんだけどね、無意識に使えるようになるまでにはまだまだ道は長いのである。
 先生に指摘されたことの多くはすでにわかっていたことで、わかっちゃいるけど間違えるんだということばかりだった。ある程度チェコ語ができるようになると、細かい発音の違いなんか、いちいち指摘してくれる人もいなくなるから、重点的に訓練できるのは非常にありがたい。理論的な部分はすでにわかっているので、説明なんかいらないからもっと練習させてくださいと言いたくなった。
 一つの単語に、RとL、BとV、HとChのうちの片方しか出てこなければ、問題はない。知っているつづりとルールにあわせて発音するだけでいい。問題は両方出てくるときで、最悪なのは連続しているときである。「republika」なんかつづりは完璧に覚えているけど、最初がRだというのを意識しすぎると、二つ目もRに近い音で発音してしまうし、その逆になることもある。「stavba」とか「vb」の連続がつらすぎる。今までは適当で済ませてきたけど、これを機に「vb」の発音の練習、発音しやすい口の動かし方を探して見ようか。この辺はチェコ人の説明は日本人にはあわないので自分なりの道を探す必要がある。

 先生の話で、新しいというか、意外というか、受け入れがたいと思ったのは有声子音で終わる前置詞の後ろに母音で始まる言葉が来たときの発音で、例えば「v Olomouci」の「v」は無声で発音するのが正しいというのだ。前置詞は後に来る名詞とつなげて読むというルールがあるのだから、「v」は有声にするのが正しいはずである。先生は、モラビアでは「v Olomouci」の「v」を有声で発音することが多いということだったから、無声化するのはプラハを中心にしたボヘミアなのだろう。チェハーチェクにはなりたくないので、ここは何と言われようとも有声で発音し続けることにする。こちらが身に着けたいのは、多くのチェコ人が習慣的にしている発音ではなく、正しいとされる発音なのである。

 二週目も自分の都合のいい時間を選んでこの発音の練習を受けられるという話だったのだが、張り出された予定表のこちらの都合のいい時間はすでに希望者で埋まっていた。さてどうしようか。
2018年7月27日23時40分。









2018年07月27日

二日目、あるいはすばらしきお祖母ちゃん〈LŠSS2018〉(七月廿四日)



 二日目は学校に行く途中の、コドーの隣のパン屋さんでホウスカというパンにサラミとキュウリなんかをはさんだサンドイッチを二つ買った。一つは授業の前に食べて、もう一つは授業の合間の休み時間に食べる。朝6時なんて時間に朝ごはんを食べると、9時ごろにはお腹が空いてくるので、空腹で授業を受けるなんてことがないように、腹に何か詰め込む必要があるのだ。もちろん、ねむくならないように詰め込みすぎには注意であるけれども。
 お金を払おうとしたところ、後からおはようと声をかけられた。振り返ると同級生のドイツ人が座っていた。持ち帰りだけでなく、テーブルがいくつか置いてあってその場で食べられるようにもなっているのだ。眠そうな顔でコーヒーを手にしている子の名前はアンナだったか、アナだったか。チェコ語だとアナになるはずだけど、ドイツ語だとアンナかな。恐らくこの名前のせいで、イタリア人のジョバンナが初日の授業でアンナと呼んでねといったのに、なかったことにされているし。
 ちなみに、ホウスカは、チェコではロフリークに次いで一般的で値段も安いパンである。生地は同じで形が違うだけかもしれない。とあるオーストリアのドラマの主人公の警察犬の好物が「サラミを挟んだホウスカ」と訳されていたのだけど、オーストリアのホウスカが円形に近いのに対して、チェコのホウスカはいびつなでこぼこした形をしている。

 授業は復習から始まった。ラテン語起源の「-um」「-a」で終わる中性名詞、「-us」で終わる男性名詞不活動体の格変化の特に複数形の練習問題をいくつかやった。その前に、シュクボレツキーの短編小説の一部分を基に、格変化させたり類義語を探したりする宿題の答え合わせもあったんだった。少年時代を回想しようとして思い出しきれないという感じの内容の小説は、授業で宿題にはなかった最後の部分を読んだのだけど何とも中途半端な終わり方をしていた。小説じゃなくてエッセイだったのかな。この感じは昔村上春樹の短編を読んだときに感じた消化不良感に似ているような気がした。
 シュクボレツキーは、カナダに亡命してトロントでチェコ語のチェコスロバキアでは出版できなかった本を刊行する出版社を設立したことで知られる作家だけれども、作家としてはどのように評価されているのだろうか。日本でもよく知られるクンデラの作品についてはニュースなんかで話題になることがあるけれども、作家としてのシュクボレツキーについてはあまり聴いた記憶がない。ビロード革命から程ない時期に制作された映画「タンコビー・プラポル」の原作者というイメージが強すぎて他の作品に目が向きにくいのかもしれない。
 この「タンコビー・プラポル」と同じころに撮影された「チェルニー・バロニ」という、同じく共産主義時代の軍を舞台にした映画もあって、どちらがどっちだったかわからなくなることがある。今回も先生に聞いて「タンコビー・プラポル」がシュクボレツキーの原作だということを確認した上で書いている。でも、ことあるごとに「テラスキ・ソム・マヨロム・ヤー」とのたまう将校が出てくるのはどっちだっけ。これってスロバキア語のはずなんだけど、スロバキア人に知っているスロバキア語として言ってみてもなんか反応が薄いんだよなあ。何でだろ。

 次は、それぞれという意味の「každý」の複数形。新聞などの複数でしか使わない名詞の前では、「každý」を複数で使うこともあるだろうけれども、普通は全部という意味の「všechen」の複数形を「každý」の複数として使う。「všechen」を単数で使う機会としては、「To je o je všechno(これで全部です)」のように述語として使うときぐらいだろうか。この「každý」の単数と「všechen」の複数が組み合わせで使われるというのはすでにべんきょすでに勉強したことではあるのだが、ついつい忘れてしまうから、改めて指摘されて認識を新たにすることは大切である。おもわず「あはあ」と言ってしまったし。

 それはともかく、本日の授業のハイライトは、最後にやったロールプレーだろう。参加者たちの姿勢によっては時間の無駄に終わることも多いレールプレーだけど今年はみんな積極的に、男性が女性の役になったりその反対だったりで、男性形と女性形を間違えて苦労したりなんてことはあったけれども、異常なほどに盛り上がった。
 結婚式について話し合って決めるというもので、登場人物は花嫁二人、花婿二人、これがそれぞれ姉妹、兄弟という設定で、それにそれぞれの両親、何にでも口を挟まないと気がすまないお祖母ちゃん、アメリカ在住の成金のおじちゃんで、全部で十人。特にとにかく大きな結婚式にしたがるお祖母ちゃんと、金持ちだけど金を出したがらないおじちゃんの活躍で、どんな結婚式になるのか合意に達することはなかった。合意に達するよりも、活発に議論することのほうが重要なのでこれでいいのだ。正直、終わってしまうのが惜しいと思うぐらいの時間だった。
 スロバキア系アメリカ人のおじちゃんのけちけちぶりも見事だったけど、最高だったのはウクライナ系モラビア人のお祖母ちゃんだった。「何でそんな子というのよ」とか「お金はどうするのよ」とか、田舎の口うるさいお祖母ちゃんになりきっていた。普段は大学でチェコ語を教えているという。語学の先生が生徒になると、自分のクラスにいてほしい学生になろうとするから、授業が盛り上がる傾向があるのだ。この先生と同じクラスになれた幸運に感謝しよう。そういえば以前のサマースクールでクラスの活性化に活躍していたイタリア人のアレッサンドロも、チェコ語ではないけどイタリア語を教える先生だったなあ。
2018年7月25日18時30分










2018年07月25日

初日、あるいはスロバキア人がいた〈LŠSS2018〉(七月廿三日)



 初日から遅刻するわけにはいかないので、早めにうちを出た。6時なんて時間に朝食をとったから、一時間目の終わる10時15分ごろには空腹を抱えることになるのは目に見えている。それで、途中のガレリエ・モリツのビラでバゲタでも買おうかと思ったのだが、一階の手作りっぽいトーストではないパンを使ったサンドイッチのお店が開いていたので、そこで一つ小さめのものを買って学校に向かった。途中でコーヒーの豆を買っているコドーで持ち帰りのコーヒーを買おうと思ったら、夏休みの間は9時開店だった。30分の休み時間にここまで飲みに来て間に合うかな。
 まず事務局の前の掲示板にクラス分けの名簿が貼ってあるので確認。クラスは全部で10あって、プログラムでは上級はひとつだったのだけど、実際には上級が二つに分けられていて、上級のBに名前があった。一応一番上のクラスということになるのかな。以前四回連続で通ったときは最後の二年は一番上にいたけど、あれは師匠がほかの先生に迷惑をかけないように、テストも何もなしに自分のクラスに入れたに過ぎないから、今回ちゃんとしたテストの結果として一番上に入れられたのとは違う。人数は9人だったかな。

 教室のある階に行くと、ドイツからきた男の人に声をかけられた。チェコ語より英語の方がいいんだけどと言いながら、チェコ語であれこれはなしてくれた。十数年前はほとんど初心者でも、英語で話すのを嫌ってたどたどしいチェコ語でがんばっていた記憶があるのだけど、これも過度に英語が世界共通語のようになりつつある現実を反映しているのだろうか。かつてのフランス人が英語ができても、英語を使うのを嫌がっていた時代を知っている人間には隔世の感がある。
 そのドイツの人は、仕事の関係で最初の二週間しかいられないのが残念だといっていた。二週目の土曜日にプラハに移動して日曜日にドイツに戻って月曜日からはコリーンで仕事だと愚痴っていたけど、そんなタイトなスケジュールを組めることを喜べよと思ってしまった。日本だと、しかも地方都市の場合には、こんなスケジュールは怖くて組めない。ちなみにこの人は上級Aで隣のクラスだった。

 我々の教室は普段は音楽の授業に使われているのか、ピアノがでんと置いてあった。窓から意外と近いところにクラーシュテルニー・フラディスコが見えると思ったら、大司教宮殿だった。下から見上げるときには感じないのだけど、他の建物の屋根の上に見えた屋根から上の部分は、勘違いするぐらい似ていた。こういう景色はコンビクトの教室の中からしか見えないから、長年オロモウツに住んでいる人間にとっても新しいオロモウツである。

 授業が始まると、学生の数が9人ではなく10人で、先生が確認したらドイツの人が一人、到着がクラス分けのテストに間に合わず、事務局で話をしてこのクラスに振り分けられたらしい。我がクラスの民族構成は、ポーランド人とドイツ人が30パーセント、残りはイタリア人、ウクライナ人、日本人、スロバキア人がそれぞれ10パーセントということになる。スロバキア人? スロバキアの人とサマースクールの参加者として会うのはこれがはじめてである。しかも西スロバキアのトレンチーンの出身だという。チェコ語勉強する必要があるのか。
 西スラブに属するポーランド人はもちろん、東スラブのロシア人、ウクライナ人、南スラブのセルビア人でも、語彙や文法に共通の部分が多くて、完全にはわからなくても大体想像はつくという。チェコ語のテレビ番組が普通に放送されているスロバキア人ならわざわざ勉強しなくてもほぼ100パーセント理解できるだろうに。ただ、最近うちのがチェコで活動するスロバキア人に関して、チェコ語を使っているつもりで実際にはチェコ語でもスロバキア語でもない表現を使っていると批判することが多いから、スロバキア人も正しいチェコ語を使おうと思ったら外国語として勉強しなおしたほうがいいのかもしれない。そうするとこの人の姿勢は高く評価されるべきだということになるのか。それでもなんかずるくない? という気持ちは否定できない。日本人にはこういう勉強がほかの外国人より有利になる外国語がないのがちょっと悲しい。
 スラブ系と非スラブ系が半々というのは、一番上のクラスでは珍しいかもしれない。ほとんどみんな大学のボヘミスティカ、つまりチェコ語専攻の三年生で、文法用語はラテン語起源のあのめんどくさいのを平然と使っていた。ウクライナの人は、学生ではなく大学でチェコ語を教えている先生だというから、ちょっと場違いな感じもなくはないのだけど、十数年オロモウツでチェコ語を使って生きてきた経験で専門性に対抗するしかない。ハナー地方の方言だったら勝てるはず。

 教科書は、プラハのカレル大学の先生たちが中心となって編集したらしい『外国人向けのチェコ語B2レベル』という二分冊になっている分厚いもの。版型がA4ではなくA5なのも分厚くなっている理由であろう。先生の話ではB2と書かれているけれども、内容から言えばCレベルだという話である。正直個人的にはB2だろうが、C1だろうが、自分が学べることさえあれば、どっちでもいい。試験に合格するために勉強しているわけではないしさ。
 その教科書の途中第6課からはじめるということで、文法事項としては、例のラテン語起源の「-um」「-a」で終わる中性名詞、「-us」で終わる男性名詞不活動体の格変化から始めた。活動体は出てこなかったなあ。この手の名詞は考えなが使えば間違うことは少ないけど、無意識に正しく格変化できるわけではないので、こういうところで重点的に繰り返せるのはありがたい。ただポーランドの学生たちの発音が、長母音が短母音と区別できなくてつらかった。アクセントがポーランド語と同じになっていなかったのはさすが3年生、いやほぼ卒業生である。
 面白かったのは、初級の教科書では横に、例えば最初にいろいろなタイプの名詞の1格をまとめて勉強するのに対して、この教科書では縦に、名詞の種類ごとに1格から7格まで勉強するようになっていることである。例外的な格変化の名詞を集めて横に並べるというのは、確かに意味がなさそうである。

 今日の午後のプログラムはすべて英語が使われるものだったので、街に買い物に出た。快適にサマースクールに通うにはたりないものがたくさんあるのだ。最近面倒くさがって服とか靴とか買っていないし、冷夏だったら特に飼う必要もなかったのだろうけど、今年の夏は、日本ほどではないし、三年前の日本よりも暑かった夏ほどでもないのだけど、本当の暑さを忘れた日本人にとっては嫌になるぐらい暑い。いずれ、サマースクールのために買った物なんて記事を書こうかね。
2018年7月24日7時15分。









2018年07月24日

サマースクール開会式〈LŠSS2018〉(七月廿二日)



 日曜日は土曜日に続いて参加者の登録とクラス分けてストが行なわれ、夕方、7時を夕方というかどうかは微妙だけど、空はまだ明るいから、夕方の7時から公式の開所式というか、開校式というかが行なわれる。入学式という言い方もありかな。会場はコンビクトの一階の中庭に天井をつけたようなスペース。昨日覗いたら移動式の舞台と椅子が設置されていた。この状態では、立食パーティー式らしいイベントは行なえないと思ったのだけど、あれから撤収なんかしたのだろうか。週末だからなあ。別の場所でやるのかもしれない。
 その開所式はやはりパスすることにした。昨日オロモウツ在住の日本人の集まりがあって、ちょっと飲みすぎたのか眠くてたまらない。ここで昼寝をしてしまうと夜眠れなくなるので頑張って起きているしかない。この状態でさらに夕方から酒を入れてしまったら、明日は勉強どころじゃなくなる。開所式に出ても飲まなきゃろかろうとは言うなかれ。出された酒には少なくとも口をつけるのが礼儀だし、口をつけたら飲み干してしまうものである。

 ということで体調を整えるために、今日はお休みの日ということにして、昨日もらってきたプログラムを確認することにする。カラー印刷の小冊子なんて昔はなかったなあ。授業は8時45分から13時までで、途中で30分の休憩があるというのも、午後からは講義なんかの選択プログラムがあるというのも昔と同じ。2000年代初頭には行なわれていなかったロシア語とポーランド語の希望者向けの授業がこれも午後から組まれている。黒田師が90年代の後半に参加したときには、ウクライナ語の公衆が行なわれたというから、担当できる先生がいるかどうかで、開講するかどうかが決まっているのかもしれない。
 それぞれの日の講義やワークショップについては、その日に書くことにして、ここでは週末の遠足の予定について書いておく。おそらく参加しないから、週末に書くことはなかろう。一週目と三週目は土曜日だけ、二週目は土日とも遠足が行なわれることになっている。二週目が二日とも出かけることになっているのは、かつて金曜日の夕方から二泊の日程でプラハに出かけていた名残だろうか。

 最初の週末の土曜日、7月28日にはモラビアの世界遺産の一つ、レドニツェとにバルティツェ出かける予定になっている。まずレドニツェで城館を見学、あれこれ見所が点在する庭園を各自見学した後、奥のミナレットのところに集合。このミナレットは昇ったことがあるはずだけど、一緒に行った友人が高所恐怖症だったため、一番上までは行かなかったかもしれない。
 その後、船に乗る。このあたりは近くを流れるドナウ川の支流ディエ川がいくつにも分かれて流れていて、その一つが庭園内を流れているから、行きは池の中の小島を渡ってミナレットのところまで行き、帰りは船で戻ってくるという趣向のようだ。この船には乗ったことがない。以前15年以上前に行ったときには運行していたのかな。
 最後にバルティツェに移って城館のワイン蔵でモラビアワインの試飲会をするようだ。城館の見学があるかどうかはプログラムには書かれていない。一日に二つも城館を見学すると時間が足りなくなるかなあ。最低でも60分から90分の見学コースになるし、サマースクールの参加者は多いからいくつかのグループに分かれることになるだろうし。ワイン蔵と城館で半々に分かれて交代するという可能性もあるのか。

 二回目の土曜日はオロモウツ地方の北のはずれイェセニーキの山に出かける。入り口といわれるシュンペルクには寄らないで、最初に行くのは大きな城館が残っているベルケー・ロシニ。城館ではなく手漉きの紙の博物館に行くようだ。この地方では日本の紙漉きの技術を導入して手漉きの紙の生産をしているという話を聞いたことがある。紙漉きの体験もできるんだったかな。
 その後、イェセニーキの山中を温泉地カルロバ・ストゥダーンカまで分け入り、そこからビーラー・オパバ川をさかのぼってモラビア最高峰のプラデット山頂を目指す。1491メートルだから、ボヘミア最高峰のスニェシュカよりは100メートルほど低いのか。希望者のみのようだから山登りはしたくないと言う人は、カルロバ・ストゥダーンカを散策することになるのかな。

 日曜日のお出かけ先はクロムニェジーシュ。ミロシュ・フォルマンが映画「アマデウス」の撮影に使った大司教の離宮として使われた城館や、城下庭園なんかに行くのだろう。造幣所とか大司教のワイン醸造所なんかもあったかな。このあたりで一つの町で一日過ごすとなるとやはりクロムニェジーシュが一番である。

 三週目の土曜日は、トバルーシュキの産地として有名なロシュティツェと、ボウゾフ城、それにヤボジチコの鍾乳洞という三箇所が目的地になっている。第二次世界大戦で焼き討ちにあった村の記念碑に出かけるかどうかはわからない。ボウゾフはオロモウツに来て時間があるなら必見の場所で、日系企業の方も、日本から出張で来た方を、たまたま半日時間が空いたので連れて行ったらものすごく喜ばれたと言っていた。内装が何とか様式だとか、何年に建てられたとか、そんなことが理解できても、ボウゾフのお城を目にした瞬間の感激が大きくなるわけではない。説明なんか要らないすごさというものも存在するのである。

 週末の遠足で出かける予定の場所は、どこもここも個人で公共の交通機関を使うとちょっと行きにくいところなので、こうしてバスを仕立てて出かけるのはいいことである。時間に余裕があれば、自力でつたないチェコ語を駆使してバスや電車を乗り継いで行くというのも旅の醍醐味ではあるのだけど、週末は平日以上にバスの便が減ることを考えると、サマースクールに来ている人が自力で行くのは難しいし。
2018年7月23日17時57分。








2018年07月23日

クラス分けテストLŠSS2018(七月廿一日)



 続くかどうかはわからないが、毎日サマースクールでの出来事を日記風(あくまで日記風であって日記そのものではない)に書いてみようと思いついた。授業で勉強したことの中で気になることを書き出しておけば、勉強のタシになるのではないかという色気もないわけではないけれども、最近早起きの早起きの弊害か、ねたはあるけれども、考えをまとめきれなくて書ききれないという事例が続いているので、書きやすいねたを探す必要があるのである。

 サマースクール開始前の週末は、参加者登録とクラス分けのテストが行なわれる。事務局からのメールで、できるだけ早い時間のテストを受けてくれということだったので、一番最初の土曜日の午前11からのテストに登録した。なんだかよくわからないネット上のシステムで登録することになっていて、登録が終わったらチケットみたいなものがメールで送られてきた。これを印刷して持ってこいというのか? この手のコンピューターでの管理ステムというのは、管理する側にとっては手間が減って便利なのかもしれないが、される側にとっては便利なのかどうなのか微妙である。
 事前に送られてきていた日程によると、参加者の登録も11時からになっている。登録が11時からでテストを11時に始められるとは思えないので、早めに出向くことにした。どうせ担当者着ているはずだから、時間になっていなくても手続きをしてくれるだろう。この辺の融通は、他の町は知らず、オロモウツではきかせてくれるのである。パラツキー大学も例外ではない。

 会場のコンビクトに11時半過ぎに到着すると、何日か前までは存在しなかった案内の紙が貼ってあり、事務局のある階までは問題なくあがれるようになっていた。そこから右か左かの表示が叶ったような気がする。早く行き過ぎて準備ができていなかったのかもしれないけどさ。事務局にはすでに人がいて、多分一番乗りで登録をすることになった。
 何枚もの紙に署名をすることになったのだが、その理由は最近EU主導で各国で施行された個人情報がどうたらこうたらいう法律だということだった。EUが決めた原則に対して各国で個々の事情に応じて多少(あくまで多少であって大きく変えることは許されていないはず)変えた法律を制定することになっているらしいが、ご存知の昨年の下院の総選挙以来の政局の混乱に次ぐ混乱で、EU法の施行にチェコ独自の法律の制定が間に合わず、チェコではEU法がそのまま適用される状態になっている。まあ、サインしたものがすべてこのEU法に関係するとも思えなかったけど、EUというのはこういうときの言い訳には最適なのである。

 登録が終わってプログラムなんかももらって、時間も11時に近くなっていたので、テストが行われるという一階上の教室に向かったのだけど、そこには誰もおらず何の表示もなく教室には鍵がかかっていた。後から上がってきた年配の女性と、「もう11時なんだけどねえ」、「まあチェコですから」なんて会話をしていたら、テストを担当するらしい若い女性がやってきて教室に入れてくれた。この時点で、参加者の数は3人。この時間に登録した参加者の数は16人だというから、なかなかの割合である。多分正直に11時に登録に来たのだろう。もうしばらく待って8人ぐらい集まったところでテストが始まった。
 テストはPC上で行なわれ、一番簡単な1から一番難しい10まで、制限時間10分で回答し、合格したら次のテストに進み、不合格だったらそれで終わって、別室で行なわれる口答のテストに向かうようになっていた。予定では120分の時間が設定されていたけれども、早ければ10分+口答テスト(面接といったほうがいいかも)でおしまいになる。PC上で答を書いて採点までするから、結果のデータもPCで集計して面接担当の先生のところに行くのかと思ったらそんなことはなかった。結果は担当の女性が、個々の参加者のところに出向いて手書きで名簿に書き入れていた。うーん。事前に参加者の使う席が決められていたのは何のためだったのだろう。こんなデジタルとアナログが渾然としているところが、オロモウツのサマースクールなのである、って他も同じかもしれないけど。

 さて、テストは簡単に言えば穴埋め問題で、しかも自分で書き込むのではなく四つの選択肢の中から正しいものを選ぶというものだったから、文法に厳しい日本の学校でチェコ語を勉強してきた人には簡単だっただろう。外大で専門的に勉強している人(一年生は除く)だったら全問正解していても不思議には思わない。もちろん初心者にはちんぷんかんぷんだろうけど、そんな人はテストは受けなくてもいいことになっている。
 一つのテストにつき問題は10個で、70パーセントというから、3つまでは間違えられる。最初は簡単な名詞の単数の格変化、動詞の現在活用なんかから始まって、10では、個人的にはプラハ方言が全国展開したものと認識しているオベツナー・チェシュティナ(普通は一般チェコ語とか訳すのかな)が登場していた。こんなの勉強したくないんだけど。ということで面接のときに、これ嫌いと言っておいた。

 気になったのはテスト3だったかな。フランスからチェコの知り合いに書いた手紙という設定の文章だったのだが、前半と後半で内容に、というよりは場所と時制に齟齬があったような気がする。最初はパリで手紙を書いているんだと思っていたら、いつの間にかニース行っていてそこから飛行機に乗ってプラハに帰るという話になっていた。さらっととしか読んでいないので勘違いという可能性もあるけど、過去形を入れようと思ったら、選択肢に現在変化しか出てこなくてあれっと思ったのは確かである。
 もう一つは、テスト9。2006年と2016年の株価総額の大きな企業の業種を比較して、10年前には影も形もなかったような企業が上位に入っているから、世界の変化というのは予測がつかないものなんだねえという内容の文章で、末尾に「皆さんも2016年の世界がどうなっているか予想してみませんか」的な文章があった。でもこれ文章の流れを考えたら、「2016」ではなくて「2026」ではないのか。2016年はすでに確定しているのだから予測もくそもない。上の問題も含めて面接で聞いてみようと思っていたら待ち時間の間に忘れてしまった。

 テストで間違えたかという問には、もちろん間違えたと答えておく。間違えなくてもかなり悩んだのもあるし、完全に楽勝だったというわけではない。この辺真面目に勉強している人には勝てないのである。間違いに関しては、オベツナー・チェシュティナで間違えたのは特に気にもならないのだけど、デシリットルの話し言葉的な「deci」の扱いを間違えたのはちょっと悔しい。「decilitr」は男性名詞だから、「deci」も男性だと思ったんだけどなあ。
 面接では特にテストのような質問はなく、どこでチェコ語を勉強したとか、誰に習ったとか、仕事の話も含めて、なんか昔飲み屋で見知らぬチェコ人相手に散々繰り返したような話になった。違うのはちょっとだけチェコ語の師匠の話ができたことだろうか。師匠はパラツキー大学を離れて久しい蹴れども、師匠を知っている人と話せるのは嬉しい。これでクラス分けのテストはすべておしまい。日曜日には開会セレモニーみたいなものがあるのだけど、どうしよう。正直面倒くさいのでサボってしまおうかと考えている。
2018年7月22日14時15分。








2018年07月22日

オロモウツのサマースクールに来る人へ4(七月廿日)



 レストラン以外で紹介しておいたほうがよさそうなのは、普通ではないビールが飲めるところであろう。最近たまたまオロモウツで現時点では一番新しいホテルのテレジアンホテルのレストランに入った。正確には地下のレストランではなくてザフラートカだったけれども、このレストランでは、チェヒ・ポット・コシージェムのビールを飲むことができた。少なくともレストランの人はそう言っていた。

 チェヒ・ポット・コシージェムは、オロモウツからは、それほど遠くないのだけれども、鉄道が通っていないせいで、ちょっと行きにくいところにある小さな町である。オロモウツから西、プロスチェヨフから北やや西に延ばした線が交わる辺りにある、コシーシュという山のふもとにあるので、ポット・コシージェムという名前がついている。チェヒは、チェコ語でボヘミア地方を指す言葉なので、コシーシュのふもとのボヘミアとでも訳せる地名である。コシーシュ山、もしくは丘がボヘミアのジープ山になぞらえられたのだろうか。とまれ、モラビアの中にあるチェヒ=ボヘミアというちょっと変な地名なのである。
 この町には、もともとは14世紀に建てられたという城館が残っていて博物館として一般に公開されている。昔結構遠いところから歩いていったのは覚えているのだが、どこからだったか覚えていない。展示物としてはこの城にしばしば滞在したチェコ的には有名な画家のマーネスの作品があるとか、この博物館と近くのナームニェスティ・ナ・ハネーの博物館とが共同で二つの博物館を結ぶ馬車のパレードみたいなのをやったとかいう話もあるのだけど、現在の一番の見ものは、チェコ映画に関心のない人には見ものにならないけど、ズデニェク・スビェラークと息子のヤンの映画に関する展示である。でも、何でこんなところに展示を持ってきたんだろう。ちょっと不思議である。

 とここまで書いて、コシーシュ醸造所を探してみたら、醸造所があるのは、チェヒではなく、近くのルホタ・ポット・コシージェムのほうだった。ルホタは古い言葉で小さな集落みたいなものを表すので、チェコ各地にルホタのつく小さな村や、村の中の集落が存在している。このルホタは、チェヒとは反対側にあるドラハノビツェという町の一部になっているようである。ここにもチェヒに行くのと同じバスでオロモウツから一本で行けるけれども、ビール飲みにバスで行くのもなあ。ここに行く前に、プロスチェヨフのミニ醸造所に行かなきゃなあ。

 オロモウツに戻って、ドルニー広場からホルニー広場に出て右に曲がって二軒目か三軒目かに最近新しくできたのが、ビアバー・ナ・ストヤーカである。名前から立ち飲みのお店かと思ったのだけど、みなサフラートカも含めて座って飲んでいる。店の前に出ている看板を見る限り、大手醸造所のビールではなく、地方の小さな醸造所のビールを取り寄せて飲ませているのかな。ホモウトの名前をよく見かけたような気がする。

 喫茶店マーレルの角から広場を出ていく通りには、あれこれ珍しい瓶ビールを売っているお店がある。オロモウツのビール、モリツとか、リーグロフカとか、聖バーツラフとか、ホモウトとかの小瓶があれば、オロモウツ土産としていいかもしれない。ホモウトではパラツキー大学のビールを造っていたなあ。これはビールバーの隣の大学のアンテナショップでしか買えないかもしれない。

 さらにその通りを進んで、トラム通りに出る手前のところには、これも最近オープンしたグッド・ビール・クラブというお店がある。店の中までは通りから見えないので、どんなお店なのかはわからないが、ここもたくさんの醸造所のビールが飲めるようである。入り口の両側の黒板や店の前に出された看板にその日飲めるビールの名前が書かれているので、飲んだことのないビールが書かれている日に入ってみるのもいいかもしれない。これはビールバーのほうも同じね。ホモウトはサマースクールで二回工場見学が予定されていて、その一環として試飲もできるから、ほかを優先しよう。
 この通りには、しばしば行列がとおりにまではみ出しているジャガイモ屋もある。お持ち帰りのフライドポテトの専門店なのかな。店の名前は読み方がわからない。朝早くから営業していれば、学校に行く途中に買って、授業の間の休憩時間に食べられるのだけど、営業開始は10時か11時だったかな。昼食にするには軽そうなのでちょっと残念。

 この手のお持ち帰り用のお店としては、トラム通りに出て共和国広場を抜けた先のシュパゲタールナもある。ここも営業開始はそれほど早くなかった気がする。目印は隣かそのまた隣の潜水艦から取ってきたような鉄のドアが入り口になっている飲み屋のポノルカ。この店、正式にはウ・ムゼアというらしいけれども、みんなポノルカと呼んでいる。
 喫煙者のたまり場で、もうもうと立ちこめる煙と次から次にビールを運んでくるウェーターが名物だったポノルカは、昨年飲食店での全面禁煙が法律で定められ施行された際に、会員制のクラブに変わってしまった。会員の喫煙者しか入れない店になってしまったのだ。誰でも入れるレストランや飲み屋は禁煙法の対象となるけれども、会員制のクラブであれば、喫煙者だけが会員で、会員以外は入ることができないようになっていて、受動喫煙やら二次喫煙が起こらない、より正確にはみんな加害者で被害者がでないということで、禁煙法の対象とはなっていないのだ。法律のアナをついた見事なやり口というべきか、そこまでして酒飲みながらタバコ吸いたいののかとあきれるべきか。

 この辺りには、ゴリーアシュとか、ウ・フベルタとかのレストランもあるので、お昼御飯を求めてさまようことになるかもしれない。フベルタの入っている建物は、軍の建物になっていて、軍の合唱団やら、民間の民族舞踊の団体やらが練習をしていることがあって、歌声が聞こえてくることがある。昔は典型的なチェコの薄汚れた飲み屋だったのだけど、改装されてからは小奇麗な店になったよとは、我が畏友の言葉である。

 となると、朝、休み時間用の軽食を買うとなると、パラツキー大学の図書館が入っているテレジアの武器庫のカフェ・ライブラリーでサンドイッチを買うのが一番かな。ここは確か朝8時から営業していて、サンドイッチなんかをお持ち帰り用に買えるはずである。ここまで来て食べるのは休み時間の30分ではきつそうだし。チェコ人的にスーパーマーケットでロフリークとポマザンカを買ってくるという手もあるけどさ。ロフリークだけかじっていると、スヒー・ロフリーク? と言ってチェコ人にへんな顔をされることがある。
2018年7月21日23時25分。







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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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