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2019年06月20日

方言チャート(六月十八日)



 ジャパンナレッジの「知識の泉」に「方言チャート」というものがあって、「出身地鑑定」なんて枕が着いているから、質問に答えていったら出身地を当ててくれる(外れることもあるけど)というのは知っていて、実際に試したこともある。その方言チャートには、結果が都道府県別になっている「47都道府県版」と、さらに細分化した「100PLUS UEX」というのがある。
 47都道府県版のほうは、九州というところまでは当たったのだが、残念ながら隣の県の出身という結果になった。田舎を離れて長いので、昔、子どものころに使っていた言葉の中には忘れてしまったものもあるはずだから、それでこういう結果になったのかと思って、100PLUSのほうを試したら、こちらは見事出身地を当てられてしまった。同じ質問が結構あって同じように答えたはずなのに、不思議なことである。

 冗談で日本に留学経験のあるチェコ人にやらせてみたこともある。一人ではなくて何人かで交互に答えるという開発者が想定していなかっただろう使い方をしたときには、なぜか岡山県にたどり着いた。留学先が西日本が多かったからだろうか。ただ、外国で日本語を勉強している人は、方言ではなく書き言葉的な日本全国の人が理解できるような言葉を学ぶものだから、この手のチャートを使ってもあまり面白い応えは出てこないだろう。

 ところが、久しぶりに知識の泉を覗いたら、新しい方言チャートが出現していた。番外編でベータ版だというのだけど、「県人度判定」をしてくれるらしい。これは試さずばなるまいと、最初は出身件で試してみた。これまでの方言チャートとは違って、使うか使わないかの二択ではなく、昔使ったとか、使わないけど聞いたことはあるなんていう選択肢が増えていた。
 結果は、100パーセントは行かないにしても75パーセントぐらいはいけると思っていたのに、なんとまあ、まさかの50パーセント以下だった。「びみょう」なんてコメントまでもらってしまった。そんなん聞いたこともねえよという表現がいくつか出てきたからなあ。同じ県内でも地域差はあるので、そのせいだと思っておこう。

 では、大学入学以来十年以上のときを過ごした東京近郊はどうかと試してみたら、大学と職場のあった東京も、住み続けた神奈川も出身地より高い数値、どちらも50パーセントを超える数値が出てしまった。郷土愛が強い人間ではないというのはじゅうじゅう自覚しているけど、言葉に関してはある程度知っているつもりだっただけに、ちょっとショックな結果たった。
 神奈川のテストで「ア・テスト」が出てきたのは、懐かしかった。でも、こんな言葉、ただ単に神奈川に住んでいただけだったら知る機会はなかったはずである。中学生を対象にした塾で講師として仕事をしていたから、知っているし当時は使ってもいたのである。ただ神奈川出身の人が「ア・テスト」に感じる複雑なものは理解できていないだろう。

 次に試したのは、方言チャートで間違えられた隣の県。悲しいことに、こちらも出身県よりポイントが高くなった。このまま出身県が最下位というのは悲しいので、確実に下にいくであろうところを探して、北海道を選んだ。「はんかくさい」だの「ざんぎ」だの、有名な方言で知ってはいるけど、使ったことのないものが多く、無事20パーセント以下に納まった。ふう。
 さすがに、全47都道府県を試す時間はなかったけど、試してみたら面白い傾向が出てきそうな気もする。それを調べるために、終わった後に実際の出身地を求められるようになっているのだろうか。どうせなら出身地以外の現在、過去の居住地についても聞いたほうがいいんじゃないかな。

 ということで方言、とくに自分の使う方言に興味のある方は、以下のページから試してみよう。
https://ssl.japanknowledge.jp/hougen/?_ga=2.56113896.251654754.1560895983-171498332.1423504969

2019年6月19日23時。












タグ:方言
posted by olomoučan at 06:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2019年04月03日

新しい年号の決まった日に(四月一日)



 五月一日という何とも中途半端な日に行われる改元に先立って、新元号が発表された。日本時間の午前中の早い時間、8時とか9時に発表されるのなら、頑張って起きていて発表の瞬間に立ち会おうかとも思ったのだが、11時半の発表だというので、寝てしまうことにした。現在夏時間が始まったばかりで日本との時差は7時間だから、午前4時半まで起きていたいとは思えなかった。冬時間でも3時半だからあきらめていただろう。午後からの発表でもいいじゃないかとか、朝廷なんだから朝発表しろよとかいちゃもんを付けたくなってしまう。

 さて、すでにあれこれ批判も出ている新元号の「令和」だけれども、第一印象は、耳で聞いても目で見てもなんだか落ち着かないというものだった。耳で聞いての印象は、R音で始まる言葉は、すべて漢語も含む外来語であるという日本語の特性によるものであろう。過去の年号を見てもRの音で始まるものは、数えるほどしかなく、よく知られているのは奈良時代の元正天皇の時代の霊亀ぐらいのものである。
 もう一つ気になるとすれば、平成の前の昭和と音の響きが似ている点だろうか。しかし、考えてみれば平安時代なんか近接する年号で漢字も共通、読みも似ていて混同しやすいなんてのがいくつもあったわけだからあえて気にする必要もないか。あの時代は天とか長とか同じ漢字が頻出していて、最近の記憶力の衰えた頭には覚えづらくて仕方がないのである。

 目で見ての落ち着かなさのほうは、どう考えても「令」という字の字体に原因がある。偏を付けて「冷」「玲」なんかにすると前に支えができて安定するのだが、「令」だけだと、特に手書きでPC上と同じように書いた場合に、前に倒れそうな危うさを感じてしまう。どちらかというと、手書きで使う人の多い、下の部分をカタカナの「マ」に似た形にした字形のほうが安定しているから、自分ではそう書くつもりなのだけど。

 今回の新年号「令和」に、第一印象からいちゃもんを付けてみたが、付けられそうなのはこれぐらいで、どれもこれも本質的なものではない。漢字の意味や出典が『万葉集』とされていることなどには何の不満もない。最高の年号ではないかもしれないが、「平成」には、慣れてしまうまでの間、不満が付きまとっていたことを考えると、上々の決定ではないかと思った。それなのに批判する人が意外と多いのは、現在の日本の古典教育の貧しさを反映しているのだろう。「令」という字から命令しか連想できないと批判するのは、古文漢文の素養のなさを自ら明かして恥をさらしているに等しい。

 ところで、S先生のブログでは、「令和」=クール・ジャパンと見事に読み解かれていたが、古典文学、平安時代の古記録を読むのが趣味で、できる外国語はチェコ語と漢文だけだと自慢する人間としても、S先生に倣って「令和」を「自分なりに」読み解いてみたくなる。ということで、ひねくれ者の古典愛好者が読むとこうなるというのをやってみよう。
 我々平安至上主義者にとって、「令」といえば、命令なんぞではなく、「律令」である。律令が人々が守るべききまり、現代の法律のようなものであることを考えると、この文字に「きまりをまもる」「秩序ある」社会という意味を読み取ることもできる。きまりを守ること、守らせることを批判する人は、アナーキストを除けばそうはいるまい。この文字を選んだことで政府を批判するなら、命令云々という難癖をつけるのではなく、きまりを守らない政府に「令」の字を選ぶ資格はあるのかという形、もしくは「令」に則ってルールを守れという形で批判するべきなのである。

 また、古典文学の徒にとっては、出典である『万葉集』に出てくる「令月」という言葉よりも、逆にした「月令」のほうが親しく感じられる。これは現存最古の年中行事書とも言われる『本朝月令』の題名からもわかる通り、月ごとに行われる儀式についてまとめたものを指す言葉である。平安時代の貴族にとっては毎年の年中行事を滞りなく行っていくことが、重要な政治の一部となっていたが、それは年中行事が催行できるということは、社会が安定していなければならないからである。社会を安定させるために年中行事をできるだけ例年通り挙行していたと考えてもいいか。
 つまり、この「令」には、伝統的な年中行事を大事にしようという意味を込めることもできるし、年中行事がつつがなく行えるような安定した、事件、災害のない時代を希求する気持ちを込めることも可能なのである。殊に「平」という文字を使いながら、まったく平らかではなく、大きな事件、自然災害の多かった平成という時代を考えるとなおさらである。

 ここで一つ疑問なのだが、そもそも、現代の日本語に於いて、命令の「令」の字を単独で命令の意味で使うことがあるのだろうか。「命」であれば、「命ずる」という動詞があることから、単独で命令するという意味で使用するのは明らかだが、「令」は「令ずる」という形では使わない。漢文で「令」には使役の意味があるということは知っている人も多いだろうが、使役を命令だというのは、同じく使役の助字である「使」の字に命令の意味があるというのと同じぐらい現代日本語にはそぐわない。
 しかし、「令和」と言う元号は、漢文風に「令」を使役で読んで訓読してこそ、その意味が十全になるのかもしれない。何の文脈もなく単に書下した「和せしむ」であれば、なんのこっちゃだが、「国民をして相ひ和せしむ」とちょっとばかり言葉を足してやればどうだろうか。社会のあちこちでいろいろな形で分断され、相互の議論すらまともに成り立たずに多数決という数の暴力ですべてが決まり、少数派が不満を抱える状況になってしまった現在の日本社会が、新たな天皇を迎えて掲げる年号としてこれ以上のものはないように思われてきはすまいか。戦後の民主化天皇の役割は、国民の統合の象徴だったはずである。

 ということで、上に書いた願いを「令」に込めた上で、「令和」とは「国民をして相ひ和せしむ」なりと解しておく。これが実現するためには、自分の話をするよりも相手の話をじっくりと聞生きて理解するという姿勢が必要なのだが、現在の政治家、マスコミを見ているとなあ。いやその前に、チェコの大統領にこの言葉を捧げておこうか。聞いてももらえないだろうけどさ。
2019年4月2日16時20分。





元号 年号から読み解く日本史 (文春新書) [ 所 功 ]









タグ:元号 改元
posted by olomoučan at 05:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2019年03月03日

弥生朔日異国にて連用形に思いを致すこと(三月朔日)



 昨日の記事も、二月ではなく如月と書けばよかったと今更気づいてしまった。やはり異国の地では、「願はくは花の下にて」なんて感慨は抱きにくいものなのである。「如月の望月のころ」ったって寒いとしか思えなかったし、旧暦と新暦の違いを意識する機会もない。ではなんで今日は弥生を思い出したかというと、連用形について考えていて、岩波の『古語辞典』が連想されたからである。

 大学で国文学、国語学を勉強した人なら、先生によっては高校の古文の授業で習って、普通の辞書が動詞を終止形で立項しているのに、岩波の『古語辞典』だけは連用形が使われている。大学の国語学の先生の話では、日本語の動詞が文章中に表れる場合、連用形の形を取ることが一番多いことから、文章中で目にした連用形でそのまま辞書が引けるように、編者の判断で連用形を見出しにしたらしい。編者は日本語タミル語同根説で有名な大野進である。
 先生は古文では五段動詞と二段動詞の区別がつけやすくなるようにという目的もあったのではないかと推測していたけど、下二段はともかく、上二段動詞は五段動詞と連用形の形が同じになるからあまり意味がなさそうだと思ったのを覚えている。辞書引いてしまえばそこに活用の種類が書いてあるわけだし、文章中の変化形から終止形を作り出して辞書を引けるようになるのも古文の学習の目的の一つであることを考えると、余計な親切というか、何でこんな引きにくい辞書を作ったのかねえといいたくなる。

 閑話休題。

 昨日は連用形の名詞化についてよくわからんという話を書いたのだが、普通に使っていながらよくわからない連用形がもう一つあるのに気づいてしまった。移動を表す「行く」「来る」などの動詞とともに使う連用形がそれで、「食べに行く」「取りに帰る」などの「食べ」「取り」は、格助詞の「に」がついているわけである。
 格助詞が原則として名詞、名詞に準ずる語につくことを考えると、この連用形の用法も、動詞が動詞のまま使われているのではなく、名詞化しかけたものとして使われているのではあるまいか。「食べに行く」の「食べ」が指しているのは、動詞「行く」の目的であって、別な言い方をすると「食べるために」となるのも、「食べ」が名詞性を帯びているという傍証になるだろうか。

 ただ完全に名詞化しているといえないのは、「食べ」の前に文節をつけた場合に、「御飯を食べに行く」と本来の動詞が必要と知る助詞が必要になるからである。これは「かた」をつけて名詞化した「食べ方」の場合は、「御飯の食べ方」となって、「御飯を食べ方」とならないのとは対象的である。
 それでもう一つの厄介ごとに気づいてしまった。「食べよう」の場合にはどっちだろう。「御飯をたべようがない」か、「御飯の食べようがない」か。考えているうちに、どちらでもいいような気がしてきた。となると「食べよう」も完全に名詞化しているとは言えないのだろうか。

 そもそも、連用形というのは用言につながる、つまり次に来る用言を修飾する形である。同じ用言を修飾する言葉である副詞が、一部で文法のゴミ箱と呼ばれている(こんなことを言うの我々だけじゃないよね)ことを考えると、連用形の使い方が、いや使い方でなく文法的にどう説明sルカという部分が混乱を極めているのも致し方ないことなのだろうと思う。
 先に規範となる文法があって、それの基づいて言葉が使われるようになったのではなく、使用されている言葉に基づいて抽出されたルールみたいなものが文法であることを考えると、論理的に説明しきれない部分が出てくるのは仕方がないことである。素人が考えたって結論は出ないのだけど、自分なりに考えるというのが、言葉の勉強では大切なのである。多分。
2019年3月2日23時35分。




岩波古語辞典補訂版 [ 大野晋 ]












タグ:文法
posted by olomoučan at 06:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2019年03月02日

二月の晦に異国の地にて日本語に思いをいたすこと(二月廿八日)



 日本から来た日本語を専門とする先生とお酒を飲みに行ったら、何故か日本語文法の話になった。日本語文法はともかく、国語文法であれば高校大学でみっちり勉強したし、その結果文法オタクの気があるので何とか話についていけたのだけど、日本語の文法というのは、論理的に説明しようとするとややこしいものである。

 話は動詞の連用形についてで、連用形に「かた」を付けて方法を表す用法は、どう理解するのがいいのだろうかということだった。例えば「食べ方」なんてのは、全体として名詞扱いになるのは問題ない。では「食べ」の部分は、動詞の連用形として取るのがいいのか、連用形がすでに名詞化したものとして取るのがいいのか、悩ましいところである。
 本来名詞であるはずの「かた」に連用形が接続するのは、言ってみれば連用形という名称に対する裏切りである。「食べるかた」のように連体形に接続していれば問題はないのだが、「食べるかた」なんて言わないし、古文であれば「食べむかた」と意志の助動詞「む」を挟むことになりそうだ。いや、連体形を使うなら、素直に「食べる方法」と言えばいいのだが、「食べる方法」と「食べ方」では微妙に違うような気もする。

 動詞の連帯家による名詞化は、「光る」から「光」、「話す」から「話」のように、完全に名詞化していて、完全に別な言葉だと認識されて書く際にも連用形の活用語尾を送らないようなものもあれば、「香る」からの「香り」、「臭う」からの「臭い」のように、完全に名詞化しているけど、送り仮名を送るものもあるし、「座りが悪い」の「座り」、「電池の持ちが悪い」の「持ち」などのように使用できる場合が限定的なものもある。それだけでなく、「花を見る」から「花見」、「朝寝る」から「朝寝」のような、単独では名詞として使えない「見」「寝」が前の名詞とともに名詞化する場合もある。何なんだろう。

 それはともかく、動詞の連用形に本来名詞であるものが接続して、全体として名詞化するものは他にもある。最初に思い浮かんだのか、「かた」と同様に「方法」を意味する「よう」である。「飲みよう」とか「出よう」とかあるわけだが、本来の昔の用法はともかく、現在では「かた」とはある程度使い分けがなされているような印象がある。
 動詞の連用形に「かた」を付けた名詞のほうがより多くの場面で使われているのだが、特に「よう」との比較で言うなら、「かた」は良し悪しなどを評価する際に使われ、「よう」はあるなしを言うの使われる傾向がある。「あの人の食べ方はよくない/きたない」に対して、「こんなの食べようがない」となるのである。いや「よう」を使うと原則として「あるない」と一緒にしか使わないと言ってもいい。もちろん「食べようが悪い」という表現が間違っているとは言わない。ただ現代の日本語と考えると、ちょっと古語的な古臭いイメージを伴うのは否定できないだろう。

 そしてよくよく考えてみれば、日本語の名詞の中で形式名詞として使われるものの多くは、動詞の連用形に接続して新たな名詞を作り出せるのである。「こと」であれば「しごと」が一番だろうけど、これは完全に名詞化していて、動詞の連用形に「こと」がついたものとは意識されていないだろう。他にも「賭ける」から「賭け事」、「習う」から「習い事」なんてのが存在する。
 他にも「もの」も「食べる」→「食べ物」、「貰う」→「貰い物」なんて具合だし、「ところ」だって、「死ぬ」→「死にどころ」、「頑張る」→「頑張りどころ」となる。「とき」の「書き入れどき」や「売りどき」、「ひと」の「詠みびと」なんかの存在を考えたら、連用形に形式名詞を付けて名詞化するのは日本語では一般的な用法であると言えそうである。
 形式名詞に限らず、「挟み虫」「出水」「入り口」なんて普通名詞に連用形がついているものもある。そして、清音で始まる名詞が連用形に付く場合にも、連濁を起していることを考えると、連用形は動詞ではなく名詞として意識されていると考えたほうがいいのだろうか。
 連用形の話はもう少し続く。
2019年3月1日24時。










タグ:文法
posted by olomoučan at 08:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2019年02月05日

チェコスロバキア2(二月三日)



『日国』の「チェコスロバキア」の記述でもう一つ気になるのが、「三九年にチェコがナチスドイツに併合されたが」という部分である。一般にこのときのナチスドイツによるチェコスロバキア第二共和国の解体については、チェコ側は「保護領」になり、スロバキア側は、ナチスの庇護の下で独立したといわれることが多い。
 スロバキアについては書かれていないので置くとして、このチェコの保護領化を「併合」という言葉で表していいものなのだろうか。チェコスロバキアの歴史で、併合という言葉をよく使うのは、1938年のミュンヘン協定によって決められた、ズデーテン地方の、チェコ側から見れば割譲、ドイツ側から見れば併合である。このとき、ズデーテン地方は完全にドイツの一部として、行政機構なども統一されたのだろうか。

 さて、併合という言葉から真っ先に連想される歴史的な事件は、「日韓併合」である。すでに日本の保護国(被保護国とも)になっていた朝鮮半島を併合して日本の領土にしたという事件なのだが、併合された朝鮮半島が保護領と呼ばれていたかどうかはわからない。総督府が置かれて行政を管轄していたのは、ボヘミア・モラビア保護領と同じだが、朝鮮の総督府自体は、保護国時代にすでに置かれたものではなかったか。と書いておいて念のために調べてみたら、総督府がおかれたのは日本が朝鮮半島を併合したあとのことで、それまでは、統監府という統治機関がおかれていたらしい。伊藤博文は総督ではなく、統監だったというわけだ。
 日本統治時代の朝鮮半島や台湾については、植民地だったと言われることもあるが、本国から遠く離れた欧米諸国の植民地とは地理の面でも趣を異にしているし、欧米流の本国と植民地を完全に切り離した統治とは違って、最終的な日本への同化を目指していたことを考えると、その良し悪しはおくとしても、一方的に搾取されたアジア、アフリカの欧米植民地と一緒にするのは乱暴というものであろう。

 チェコの保護領時代も完全にドイツと一体化されたというわけではないが、だからといって植民地と呼ばれるような立場でもなかった。そう考えると日本統治下の朝鮮半島、台湾との類似性が意外と高いことに気づく。となれば、問題となるのは保護領である。チェコの歴史を語る際には所与のものであるかのように迷いなく使用しているけれども、保護領というのが何なのか真面目に考えたことはない。
 ということで、ジャパンナレッジで検索してみると、意外なことに国語辞典で保護領を立項しているものはなく、百科事典でも『日本百科全書』にはなく、『世界大百科事典』にしかなかった。他に保護領を見出し語として立てているのは外国語系の辞書が三冊あるだけだった。その『世界大百科事典』の記述を一部省略しつつ引用する。


植民的保護領ともいう。(中略)保護領は,概してその後,植民国に併合された。(中略)保護領は,なんらの国際的地位をももたない点で,半主権国としての被保護国(保護国・被保護国)とは異なる。(中略)保護領の性格は国際法的というより国内法的(憲法的)であるから,たとえばケニア保護領が植民地としてイギリスに併合されたとき,その変更は,国際法上,問題とならなかった。
"保護領", 世界大百科事典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-01-31)



 これからわかるのは保護領という言葉が、大抵は植民地化の過程で登場し、最初に保護領にした上で、植民地にするという手続きが取られた例があるということと、保護領は保護国とは違うということだろうか。しかし、和英辞典によると保護国も保護領も「a protectorate」と訳されるようなのだ。
 そうすると、保護領という言葉が、第二次世界大戦中のチェコの領域に対して使われたのは、保護国と違って国際的な地位も、半主権も持たず、植民地でもなく、かといって本国と完全に一体化していたわけでもないという微妙な状態を表すために選ばれた言葉だと考えるのがいいのだろうか。何気なく使ってきたが、改めて考えてみると正しいのか不安になってしまう。
 では、台湾や朝鮮半島はと考えると、『世界大百科事典』の植民地的保護領という意味ではなく、ボヘミア・モラビア保護領とあり方が似ている(本当に似ているかどうかは要検討だけど)という観点から、植民地というよりは保護領と言うのが適切なような気もしてくる。この辺の用語は使う人の政治的な立場によっても変わりそうだけど。

 ちなみに、チェコ語で保護領は「protektorát」、併合は「anexe」である。もちろん国家の行為である「併合」と、行為の結果である「保護領」とを同じレベルで比較することはできないし、この手の歴史用語の選択には民族のプライドというのもかかわっているのはわかっているので、これから何らかの結論を出すつもりはない。
 なんてことを考えていたら、以下の記述を見つけた。


1939年3月にドイツはチェコ地方全体を保護領として併合し、スロバキアはドイツの保護国として独立した。
"チェコスロバキア", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-02-05)



 結局、これが一番穏当な解決方法ということになるのかな。辞書にしても事典にしても解説を書くのは大変そうである。どうにもこうにもしょうもない落ちで終わってしまった。
2019年2月3日24時25分。










posted by olomoučan at 07:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2019年02月04日

チェコスロバキア(二月二日)



 この前書いた「チェコスロバキア」の用例を探す話で、用例の古さとともに気になったのが、あのページに引用されていた『日国』こと、『日本国語大辞典』の「チェコスロバキア」の説明である。たいして長いものではないし、ジャパンナレッジの引用元挿入機能も使ってみたいので全文引用する。

第一次世界大戦後の一九一八年、チェコとスロバキアが合併しオーストリア‐ハンガリー帝国から独立して建設された共和国。三九年にチェコがナチスドイツに併合されたが第二次世界大戦末期にソ連軍により解放され、四八年に社会主義共和国となる。九三年、チェコ共和国とスロバキア共和国に分離。
"チェコスロバキア", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-01-31)



 先ず気になるのが、冒頭の「チェコとスロバキアが合併し」という部分である。これでは二つの国が一つになったようなイメージを持ってしまう。その後の記述を考えれば二つの独立国が一つになったのではないことは明らかなので、ここに使われた「合併」という言葉が引っかかるようだ。ということで、「合併」を『日国』で引いてみる。

(2)二つ以上の町と町、国と国などが、一つになって、新しい町や市、国などをつくること。
"がっ‐ぺい【合併】", 日本国語大辞典, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-01-31)



 適用できそうなのはこの二番目の意味なのだが、「国と国など」の「など」の部分に、チェコという地域とスロバキアという地域が含まれると解釈するのだろうか。町と町が合併して市になるのは、行政単位としてのレベルがひとつ上がると考えればいいから、それほど違和感はないのだけど、国の中の地域、特に行政区画ではない地名の場合に合併と言うのか。
 例えば、「四国と九州が合併して日本から独立した」というのは、どうだろうか。まだ、「福岡県と大分県が合併して日本から独立した」のほうが違和感が小さい。これは県なら、県知事、県庁という行政の主体が存在するから、その二つ主体の決定で一つになったと考えられるのに対して、九州、四国の場合には、地域として一くくりにはなっているけれども、全体を管轄する行政の主体が存在しないので、合弁の主体がはっきりしない。これがしっくり来ない原因なのだろう。

 では、チェコとスロバキアの場合はどうだろうか。現在のチェコの領域は、歴史的にはボヘミア(チェヒ)、モラビア、シレジア(一部のみ)の三つの部分から成り立っている。オーストリア=ハンガリー時代には、オーストリア側の一部のチェコ人居住地域として三つの地域を一まとまりに扱うことも多かったのではないかと思う。プラハに現在のチェコの領域を管轄する役所があったはずだし(このへんちょっとあいまい)。
 スロバキアのほうは、ハンガリー側の一部として、「上部ハンガリー」と呼ばれていたという話もあるのだが、行政単位として成立していたのかどうかは知らない。オスマントルコに攻められていた時期には、ハンガリーの首都が現在ブラチスラバに移されたこともあるし、「上部ハンガリー」というのは、ドナウ川が東流する部分より北の地域を指す言葉として使われていたのではないかと推測する。

 仮に、チェコ側とスロバキア側に行政機構があったとしても、チェコスロバキアの場合には、その行政機構の決定で一つになったのではなく、それに反抗するいわば独立派が手を握って一つの国にすることを決めたのだから、合併という言葉は使いにくい。それにチェコスロバキアの独立自体が、独立を目指す組織が何年にもわたって国内で独立運動を続けていたというようなものではない。むしろ国外でのマサリク大統領やチェコスロバキア軍団の活動のおかげで、第一次世界大戦の連合国側として認められたことが独立につながったといったほうがいい。そこに合併できるような実態があったのかどうか。

 こんなことを書いたからといって『日国』の記述を批判するつもりはない。辞書にはそれぞれ得意分野と苦手分野があるモノだし、外国の地名なんて『日国』にとって一番弱い部分だろう。そもそも辞書に事典的な記述を求めるのも無理な話である。それに、チェコとスロバキアが分離してそれぞれ独立国となった現在から見れば、チェコとスロバキアが合併してという記述に違和感を持つ人も少ないのかもしれない。
 ということで、他の辞書はどう説明しているか確認してみる。同じくジャパンナレッジに入っている『デジタル大辞泉』にも『日国』とほぼ同様の以下の記述がある。

チェコとスロバキアが合併して、1918年にオーストリアハンガリー帝国から独立し、建設された共和国
"チェコスロバキア【Czechoslovakia】", デジタル大辞泉, JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-02-03)



 ちなみに百科事典には、「チェコとスロバキアが合併して」という記述はないが、『日本大百科全書』の総論の部分では、「第一次世界大戦後、両国は独立国チェコスロバキアを形成」("チェコスロバキア", 日本大百科全書(ニッポニカ), JapanKnowledge, https://japanknowledge.com , (参照 2019-02-03))と、これも今日の二つの独立国の存在を前提にした記述がなされている。
 こうなると、チェコスロバキアが分離する以前の記述を見て見たいものである。辞書がデジタル化されて検索などが便利になったのはいいのだけど、過去の版の記述を見られるような機能はついていないからなあ。

 もう一つの気になる点については稿を改める。
2019年2月2日22時55分。










posted by olomoučan at 06:58| Comment(0) | TrackBack(0) | 日本語

2019年01月31日

チェッコスロヴァキア(正月廿九日)



 1990年代まで外務省が使用していたチェコの公式表記が、チェコではなく、「チェッコ」であることを知っている人は少なくないだろう。現在では外務省でも、チェコの日本大使館でもほぼ完全に「チェコ」を使用しているようだが、2000年代の初めまでは、要所要所で「チェッコ」を見かけたような記憶がある。
 もちろんこの「チェッコ」という表記は、かつての「チェッコスロヴァキア」の前半部分が単独で使われるようになったものだが、「チェッコスロヴァキア」の表記の起源は、第一次世界大戦後に所謂ベルサイユ体制が確立し、チェコスロバキア第一共和国が独立した時期にさかのぼる。オーストリア・ハンガリーから独立したチェコスロバキアと日本の国交が樹立された1920年に定められた表記が「チェッコスロヴァキア」だったのである。当時は漢字表記あったらしいけど、どんな漢字だったか忘れてしまった。今の中国語の漢字表記とはまったく違うということしか言えない。
 今日の話は、以上のチェコスロバキアの国名表記に関する知識を前提に始まる。

 さて久しぶりにジャパンナレッジのページを見ていたら、「日国友の会」というのの存在に気づいた。「今すぐ用例探しの旅に出よう!」なんてことが書いてあるから、『日本国語大辞典』に収録されている用例についてあれこれ書かれた記事があるのかと思ったら、一般の辞書好き(多分)の人が、『日国』に挙げられているのよりも古い用例を探し出した場合に報告するというページだった。用例がないものについてはできるだけ古いものを報告するのかな。
 その報告された用例で最近公開されたものの中に「チェコスロバキア」があったので、つい覗いてしまった。それがこのページ。1921年2月18日付けの「法律新聞」の記事に「チェックスロバック公使館」という用例があって、これが形は違うけれどもチェコスロバキアの初出例ではないかというのだが、これは怪しい。絶対にもっと古い例があるはずである。

 昔、まだ東京で仕事をしていた頃に、神田の古本市で古いマサリク大統領の伝記を発見したことがある。著者はマサリク大統領が、チェコスロバキア軍団の帰国に際して日本を経由できるように交渉に赴いた際に、警備を担当した警察官だったかな。とにかくマサリク訪日の際に近く接した日本人がその気高さにほだされて、本というよりは小冊子だったけど、伝記を書いてしまったということが序文に書かれていた。
 その伝記は、第一次世界大戦が終わってチェコスロバキアが独立したからこそ上梓されたものであろうから、今手元にないので出版年は確認できないのだけど、恐らく独立後すぐの1919年か、日本との国交が樹立された1920年だったのではないかと推測できる。そして当然、伝記中には「チェッコスロバキア」であるにしろ、「チェックスロバック」であるにしろ、何らかのチェコスロバキアという国を示す言葉が使用されているはずである。

 ということで、国会図書館のデジタルコレクションでマサリク大統領の古い伝記を探してみた。「マサリク」で検索しても伝記だけでなく、1921年より古いものも出てこなかった。昔はカタカナ表記に際して無駄に「ツ」を入れていたことを思い出して、今度は「マサリック」で検索したら、伝記そのものは出てこなかったが、『ヴェルサイユ講和会議列国代表の各名士』という本が引っかかった。
 題名からわかるように、ベルサイユ会議(パリ講和会議)で重要な役割を果たした人物についての本なのだが、チェコスロバキア代表として取り上げられているのが、マサリク大統領なのである。153ページから「チエツクスロヴアク・マサリツク博士」と題されたマサリク大統領の略伝が掲載されている。この「チエツクスロヴアク」が独立したチェコスロバキアを指しているのは言うまでもない。この本は橋口西彦氏の編集で、一橋閣から1919年4月25日に刊行されている。

 では「チェッコスロバキア」の方はと言うと、同じ1919年の11月に外務省が発行したベルサイユ条約の翻訳と、条約の概要をまとめたものの中に出てきた。「同盟及聯合国ト独逸国トノ平和条約並議定書 : 附・波蘭国ニ関スル条約」と「同盟及聯合国ト独逸国トノ平和条約並議定書概要」の二つなのだが、前者の82ページに「「チェッコ、スロヴァキア」國」という表記が見える。この本では固有の地名に鍵カッコを付けるというルールを用いているようで、国名も鍵カッコに入っているのである。これが、間に読点が入っているとはいえ、日本の外務省で「チェッコスロヴァキア」、後に「チェッコ」という表記を使っていた起源ということになるだろうか。
 もちろん、シベリア出兵の口実となったチェコスロバキア軍団の存在を考えれば、1918年の時点で外務省内で「チェッコスロヴァキア」という表記がなされていた可能性はあるが、その場合国を指すと考えていいのか微妙である。とりあえずの結論としては「チェッコスロヴァキア」という表記は第一次世界大戦の講和会議を経て1919年にチェコスロバキアの国名表記として決定されたということにしておく。

 問題は、この用例の報告をするかどうかなのだけど、このためだけに「日国友の会」の会員になるのもなあ。ということで、誰か代わりにやらない? 自分の名前でやっちゃっていいよ。
2019年1月29日23時35分。





ヴェルサイユ条約 マックス・ウェーバーとドイツの講和【電子書籍】[ 牧野雅彦 ]











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2018年12月10日

気になる日本語(十二月五日)



 日本語には時制に関して特殊な使い方をする動詞がいくつかある。一番わかりやすいのは「知る」だろうか。現在の肯定形では必ず「知っている」を使うのに対して、否定形の場合には「知らない」を使う。過去だと、肯定形は、意味によって「知った」「知っていた」のどちらも使うことができるが、否定の場合には「知らなかった」を使い、「知っていなかった」なんて形を使うのは例外中の例外である。例外と言えば、作家の池波正太郎は、現在形でも「知っていない」を使用していたが、あれは池波正太郎だからこそ許された表現で、新人作家などが使用したら、校正の段階でゲラに赤字が入るはずである。
 「知る」だけでなく、「わかる」も、「わかる」「わかっている」「わからない」「わかっていない」の使い分けが特殊だが、最近気になる使い方をされているのは「思う」である。現在形の「思う」と「思っている」の使い分けについて、おかしいと思うことが増えている。もちろんこの二つの表現の境目は結構微妙だから、どちらがいいとも言いかねるような場合も多い。しかし、最近明らかに「思う」を使うべきところに「思っている」を使う例が散見されるのである。

 一般に、自分の意見、考え、印象などを表明する場合に「思う」を使い、認識を表明するのには「思っている」を使う。だから「今後はこのようなことはないようにしたいと思います」だし、「あの人のことは友達だと思っています」というふうに使い分ける。境目になるのは、「これは大きな問題だと思います」と「これは大きな問題だと思っています」のような場合で、これは状況に応じて使い分けるはずである。どう思うか意見を聞かれたときには前者で、自分がどう認識しているかを述べるときには後者という具合に。
 もちろん、ある程度の期間ずっと思い続けていることを強調するために、「思っている」を使うことはあるから、すべての「思っている」が気になるというわけではないのだが、以前はここまで「思っている」は使われていなかったと思う。ってこんなところで「思っている」を見かけたりもするのである。「思う」で十分なところにも、「考えている」でいいじゃないかと思えるようなところにも、「思っている」が使われていて、四六時中思い続けているのかと言いたくなる。


 もう一つ気になるのが、やり・もらい動詞の「頂く」と「下さる」を混同している文である。正確には、この二つの動詞と助詞の組み合わせが、おかしいと思う場面が増えている。最初に気づいたのは安倍首相が演説で「有権者の皆様が御支援いただいた」とか言うのを聞いたときだったのだが、最近、スポーツ選手のインタビューで、「応援していただいた」とある前に、記者がわざわざ「(ファンが)」と注記を入れているのを発見した。
 話している時に、文末に「下さる」を使うつもりで「ファンが」を使ったあとで、「いただく」と言ってしまうのはわからなくはない。しかし、編集の段階で、文章のプロである編集者がこういう間違いを付け加えるのはいただけない。それとも、最近では日本語のやり・もらい動詞の使い方が変わったとでも言うのだろうか。

 それはともかく、安倍総理大臣の「有権者が〜いただく」というのは、有権者を動作主として謙譲語を使っているわけだから、有権者を見下している証拠だとか何とか、揚げ足取りが大好きな野党が批判するかと期待していたのだが、野党の揚げ足取りに選ばれたのは、「そもそも」だった。そもそもをめぐる野党の批判も愚かなもので、首相だけでなく、野党側もその意味、用法をちゃんと理解できていないことが明らかだったから、補助動詞としての「いただく」も首相同様まともに使えないのかもしれない。
 念のために書いておくと、「有権者の皆様が御支援いただいた」は、「有権者の皆様に御支援いただいた」か「有権者の皆様が御支援くださった」となるべきものである。日本語の中でも重要な一部をなす、やり・もらい動詞の敬語形を、首相も新聞記者もちゃんと使えないというのは、嘆くべきことであろう。首相をはじめとする政治家たちも、敬語ではない「くれる」と「もらう」に関しては間違えないことを祈っておこう。そうか、政治家たちは自分たちは偉いと思い込んでいて、他人に対して敬語を使わない生活をしているから、まともに使えないのかもしれない。問題は、やり・もらい動詞ではなく、敬語だったのか。
 有権者に敬意を払えない政治家、そんなの選ぶなよ。
2018年12月6日9時30分。









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2018年11月02日

渡辺か渡邊か(十月廿九日)



 ヤフーの「個人」のところでこんな記事を見つけた。渡邊という名字を渡辺で表記しているメディアを批判しているのだが、これを読んで共感できる渡辺姓の人間などいるのだろうか。この問題は、ここで書かれているような簡単で軽いものではない。

 簡単な問題から先に指摘すれば、著者は渡邊が渡辺になる原因を通信社の存在に求めているが、浅い浅い。通信社が渡辺表記を使う理由は常用漢字にある。新聞社は、戦後の国語改悪に際して唯々諾々と常用漢字の前身である当用漢字という漢字制限を受け入れ、人名であっても、正字ではなく、常用漢字に入っている略字を使用しているのである。渡辺の辺について批判するならば、ここであって通信社の存在などはささいな問題でしかない。
 作家の丸谷才一は、戦時中にお国の指示とやらにしたがって戦争賛美を展開した新聞社が、戦後その事実を、国に従って戦争賛美した事実を、反省したと称していながら、その舌の根も乾かぬうちに国語改悪に際して再びお国の決めたことに従ったことを強烈に批判しているが、全く以て賛成である。日本の新聞社などは、その節を、最初からなかったとも言えるけど、捨てて当用漢字というものに従った時点で、その存在価値を半ば失ったと言っていい。丸谷才一はそこまで言っていないかもしれない。

 さて、話を戻そう。この記事ではバスケットボールの渡辺選手の表記を、ツイッターの公式表記に基づいて「渡邊」だと断定しているが、そんなに簡単に断定できるものなのか。コンピューター上では、渡辺の辺の正字は「邊」と「邉」の二種類しか表示できないが、実際には多種多様のバリエーションがある。シンニョウの点が、一つだったり二つだったり、自ではなく白だったり、その下がウカンムリだったり、ワカンムリだったり、自とワカンムリが分離しているのではなくつながっていたり、様々で、ワタナベ姓の人が二人以上集まると、「ナベ」をどう書くのかで盛り上がってしまうのは、故なしとはしないのである。そして、たまに細部まで同じ字を使うということがわかると妙に親近感を感じるらしい。
 自分が正しいと認識する表記が渡邊か渡邉であれば何の問題もないが、渡邊でも渡邉でもないワタナベさんの場合は、手書きでは自家の正しいとしている字を使う人でも、PC上では表示できないので、仕方なく「邊」と「邉」のどちらか自分の字に近いほうを使用するという人もいれば、どちらも自分にとっては正しくないのだから、略字の「辺」を使う人もいる。略字であれば誤字ではないと考えるのである。

 だから、ワタナベ姓の人や、「邊」と「邉」にまつわる事実を知っている人には、ツイッターというPC上での表記が渡邊になっているから、それがその人の名字の正しい表記だというのには、根拠が不十分に感じられる。もちろん渡邊が本当に正しい可能性もあるけれども、本人に確認もしないで断言してしまうのは軽率のそしりを免れない。
 それに、実は渡邊さんや渡邉さんの中にも、普段は手書きでもPCでも「渡辺」で済ませてしまうという人は多い。画数が多くて書くの大変だし。判子も実印はともかく、三文判は手に入りやすい「辺」で済ませる人が多い。だから正しい表記が「渡邊」だとしても、「渡辺」と書くのが間違っているというのは、間違っている。もちろん本人が渡邊と書けと要求しているなら話は別である。

 中学までは特に自分の漢字が正字で新字ではないことにこだわる人はいなかったけど、高校大学で知り合った正字のワタナベさんのなかには、渡邊もいれば渡邉もいたし、どちらとも微妙に違うという人たちもいた。文字にこだわる人もいればあまりこだわらない人もいたが、こだわる人でもふだんは渡辺と書いても特に文句は言わなかった。こだわるときにはやめてくれと言いたくなるぐらいこだわるので、いい迷惑ではあったけど。
 ワープロが出始めの頃だっただろうか。旧字も使えるのを最初は喜んでいた「邊」でも「邉」でもない渡辺さんたちが、渡辺に戻ったなんてこともあったなあ。あの頃は、画面で見ると同じに見えるけど、印刷してみたら違っていて、ワープロ使えねえとか喚いていたかな。コンピューターの時代になってもその状況は大して変わっていない。

 近年戸籍の電子化が進められた結果、「邊」「邉」以外の異体字が使えなくなり、「辺」も合わせた三文字に集約されつつあるようだが、それに不満を抱えているワタナベさんは少なくないはずである。「邊」「邉」以外の異体字が、本来は誤字に発しているというのは、重々承知しているし、効率を考えるとすべての文字をコンピューターで使えるようにもできないというのも当然だろう。だけど、長年自分の名字として使ってきた文字に愛着と誇りを持っている人たちに、その文字の使用を禁じるのも正しいことではあるまい。
 そんな事情を飲み込んだ上で、ワタナベさんたちは必要に応じて、正字と略字を使い分けて生きている。正字のかわりに略字を使うことには特にこだわらず、正字の中における細かい違いにこだわる。それは、正字と略字の関係をちゃんと理解しているからである。字にこだわれというのであれば、このぐらいのことは知っておいてほしいものである。ワタナベさんたちの事情を多少なりとも知っている人間からすると、「渡邊」「渡邉」という表記を見ても、感心するどころか、本当にその字で正しいのかと疑うのがあるべき反応なのである。
2018年10月30日22時55分。




完本 日本語のために (新潮文庫)






 




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2018年10月26日

なし崩し考(十月廿二日)



 最近、ジャパンナレッジを使っていないなあということで、ページを開いたら「日本語どうでしょう?」の新しい記事「「なし崩し」の新しい意味」が掲載されていた。面白い文章ではあるのだけど、ここで取り上げられている「なし崩し」の使い方が、自分のとは違うので、あれっと思った。
 この記事では、文化庁で昨年行なった「国語に関する世論調査」で、「借金をなし崩しにする」という表現の「なし崩しにする」の意味について、本来の意味である「少しずつ返していく」という意味を選んだ人よりも、「なかったことにする」と答えた人の方がはるかに多かった事実を紹介して、その結果に分析を加えている。

 記事自体は面白く読んだのだけど、読了してどこか腑に落ちないものが残った。その理由を考えてみると、原因は記事にあるのではなく、そもそもの文化庁の調査のほうにあった。「借金をなし崩しにする」という表現自体、自分では使わないのだ。だから、「少しずつ返していく」と「なかったことにする」のどちらの意味が正しいかと聞かれたら、記事にあるように本来の「済す」の意味を考えて前者を選ぶだろう。しかし個人的にはどちらの意味でも使わないし、使いたいとも思わない。
 この「借金」と「なし崩し」を一緒に使うとしたら、「借金をなし崩しに返す」か、「借金をなし崩し的になかったことにする」という形で使うだろう。現実には遣ったことはないけど。「なし崩し」に感じる意味は、「すこしずつ返す」でも「なかったことにする」でもなく、その方法、もしくはそのさまなのである。記事に派生した意味として紹介されている「少しずつ済ませていく」さまだと言ってもいいのだけど、単なる「少しずつ」とは違う。

 「なし崩し」をよく使う状況を考えてみると、何と言っても集団で飲みに出かけたときだろう。きっちりと乾杯で宴が始まるのではなく、めいめいお酒が来た時点で飲み始めたり、集合が三々五々だったりでいつ始まったかもわからないままに、いつの間にか宴会が始まってしまう状況を、「済し崩しで始める」とか、「なし崩しに始まる」と言う。つまり、少しずつ状況が変わっていて気が付いたらその変化が終わってしまっていたなんてときに使うのである。
 だから、酒宴の際の挨拶や、自己紹介なんかがなし崩しに終わってしまうと、拍手するタイミングがつかめないし、酒宴自体がなし崩しに終わって、お別れの挨拶をしそこなうなんてこともある。話し合いの最中に、なし崩しにあれこれ決まっていたり、多数決を取ることになっていたりなんてのはよくありそうな話である。
 日本の政治ってほとんどこれじゃないか。あれやらこれやら、疑惑やらスキャンダルやらが、なし崩し的にあることになっていたり、逆になかったことになっていたりするし、そんなどうでもいいことで騒いでいる間に、重要な決定がなし崩し的になされていたりするような気もする。その辺はチェコも変わらんか。

 話を「なし崩し」に戻すと、「崩し」という言葉のイメージからか、確たる存在が、少しずつ風化していっていつの間にかなくなってしまう様子を想像してしまう。実際には「なくなってしまう」=「変化が完了する」という解釈になって、どちらかというとよくない意味というか、話し手の不満な気持ちがこもった表現だといえそうである。ただ繰り返しになるけれども、「なし崩しに」とともに使う動詞は、「する」ではなく別の動詞を使うことが多い。

 以上が、ってあんまりまとまっていないけど、文化庁の国語に関する世論調査の内容に不満な理由である。調査の性質上仕方がないのだろうけど、AかBかという形のアンケートでは、みえてこない言語意識というものもある気がするんだよなあ。
 よく考えてみれば、我が文章も、なし崩し的に始まって、なし崩しに終わることが多いなあ。無理やり終わりだということを示すために、「これでお仕舞い」的な言葉をおかなければいけないこともあるし。これが「なし崩し」にこだわってしまった理由だったのか。
2018年10月23日23時10分。





日本語、どうでしょう?〜慣用句、どっち編: 辞書編集者を悩ませることばたち (ジャパンナレッジe文庫)












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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



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