2018年03月12日
森雅裕『ビタミンCブルース』(三月九日)
森雅裕が新潮社から刊行した二冊目の著作にして、『歩くと星がこわれる』とは違う意味で問題作である。出版されたのは1993年8月のことで、この時期、生まれて始めて日本を離れており、帰国直後に森雅裕読者の友人からそのことを知らされて自分で購入したのだったか、友人が買ってくれたのだったか。とまれすでに読んでいた友人があまり期待しないほうがいいと言っていたのを思い出す。
一読しての感想は、『サーキット・メモリー』以上にこんな本よく出版できたなというもので、同時に妙に筆が荒れているような印象を受けた。森雅裕らしからぬ文章の粗さが目立ち、投げやりに感じられる部分があって読みにくかった。森雅裕の文章というのは、一文が長かったり、妙に凝った比喩や表現が出てきて、一般的な意味では読みやすいとは言えないのかもしれないが、その呼吸に一度なれてしまえば、非常に読みやすいものに変わる。それが、本書は森雅裕の読者にとっても妙な読みづらさを感じさせたのである。何か事情があったのかなと考えはしたけれども、そんな情報の入ってくるような時代ではなく、森雅裕の作品の中では一番低い評価を与えて本棚に並べたのだった。森雅裕読者としては後輩だったけれども、友人の言葉は正しかったのである。
内容は、アイドル歌手本人を主人公にした音楽ミステリーというのが正しいのかな。主人公の名前はしばしば「――千里」と表記されるのだけど、ここまであからさまにして名字だけ伏せる意味があったのだろうか。『推理小説常習犯』の記述によれば、カバーにアイドル本人が鏡か何かに小さく映っている写真を使うという計画もあったらしい。それは肖像権の問題を心配した新潮社によって禁止されたというのだけど、内容は問題なかったのか。主人公で好人物として描かれているから問題ないというわけでもあるまい。
こういう小説を書けた、いや書いて出版できたということは、森雅裕とアイドル歌手との間に何らかの関係があったということだろうか。ゴーストライターの仕事をしたこともあるという森雅裕のことだから、この女性アイドルのためのゴーストライターでも務めたのだろうか。アイドル本人がOKを出しても所属事務所がクレームをつけそうなものだけど、出版できたのは版元が売れっ子作家にも媚びないと言われているらしい新潮社だったからかもしれない。
苦手なアイドル小説で、文章もいまいち読みにくかったために、『モーツァルトは子守唄を歌わない』では気にならなかった楽譜を利用した暗号のわかりにくさが、この作品ではものすごく気になった。それから、登場人物たちの辛らつなやり取りが、いつもの作品とは違って殺伐として感じられたのも読むのが辛い理由だった。森雅裕の作品の魅力というのは、微妙なバランスの上に成り立っているのである。
どんなに熱心なファンであっても、受け入れにくい作品の一つや二つはあるものである。個人的にはこの作品がそれで、つまらないというつもりはないが、いろいろな要素が絡みあって趣味に合わなかったのである。こういう作品が好きだという人もいそうだとは思うけど、そういう人が森雅裕ファンの中にどの程度いるのかは不明である。
アイドル好き、特に「――千里」のファンが読んだらどんな反応をするのだろうというのは、最初に読んだときから気になっているのだが、その答えは未だ得られていない。絶賛と酷評に二分されるような気はするけどさ。
2018年3月10日23時。
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