2018年02月03日
森雅裕『蝶々夫人に赤い靴』(正月卅一日)
今日は久しぶりの森雅裕である。刊行順からいくと、『歩くと星がこわれる』の番なのだが、あの作品はいろいろと問題のある作品なので、この森雅裕の著作に関してあれこれ薀蓄を傾けるシリーズの、最後まで続けられるかどうかはわからないけれども、最後に扱うことにする。
ということで、1991年4月5日付けで発行された『蝶々夫人に赤い靴』である。鮎村尋深の登場するオペラシリーズの第三作なのだが、これまでとは版元を変えて中央公論社から出版されている。当時は、森雅裕が講談社ともめているという情報はなかったから、売れ行きが悪かったからなのかなと考えたのを覚えている。本書のあとがきにも、出版業界、業界人に対する不平不満がつづられていて、いいのかこんなこと書いてと思わなくもないけど、『歩くと星がこわれる』を書いてしまった以上は今さらだったのだろう。出版社が変わっても表紙絵の担当は同じで漫画家のくぼた尚子。『100℃クリスマス』もこの人だったかな。
前作から二年後ということで、音彦はまだ北海道にいるのかなと思っていたら、京都で登場し、そこから長崎に移動した。その目的が鮎村尋深の結婚式に必要なものを届けるためというのだから、ちょっと驚きである。ただ結婚相手は最後までまったく登場してこなかったし、森雅裕がすんなり結婚させるなんて思えなかったし、狂言なんじゃないかとかキツネにつままれたような気分で最後まで読んで……。
さて、以前森雅裕と『マスター・キートン』の関係についてどこかで欠いた記憶があるが、この作品の冒頭の音彦が、京都から新幹線に乗って博多に向かう途中の出来事が、『マスター・キートン』のあるエピソードを彷彿とさせるのである。どちらも切符を持っていない老婆が登場し、運賃を立て替えることになる。その代わりに小さな宝物をもらうのも同じである。どちらが先に刊行されたのかは正確には覚えていないが、この時期周囲の森雅裕読者とは、森雅裕が『マスター・キートン』の原作者じゃないのかなんて話で盛り上がった。森雅裕自身があちこちでゴーストライターの仕事をしていると語っていたし、その中に漫画の原作があってもおかしくないだろうと考えたのである。
今回の謎?は、第二次世界大戦中に長崎の捕虜収容所で公演が行われたというオペラ「蝶々夫人」を巡るものである。そこに、坂本龍馬を切ったという伝説のある刀剣、戦前長崎に住み着いていた謎の外国人、米軍仕官とその子孫などなど、様々な要素がごった煮のように放り込まれていて、久しぶりにストーリーを思い返してみると、どことどこがどうつながって話がどう展開したのか、いまひとつはっきり思い出せない。暇を見つけて読み返さなければならないようだ。
刊行直後に読んだときには舞台道具の一つとして特に気にもしなかったのだが、今から考えれば、この作品が、森雅裕が日本刀を本格的に取り上げた最初の作品だということになる。と思って念のために確認したら『100℃クリスマス』の方が刊行が早かった。ちょっとどころでなく大きな勘違いなのだが、『100℃クリスマス』の売り上げが悪くて中公との縁が切れたのだとばかり思っていた。森雅裕の作品の中では、比較的印象が薄いし。表紙も同じくぼた尚子だったか。
そうか森雅裕の中公でキャリアに止めを刺したのは『蝶々夫人』だったのか。作家のファンだけはでなく、鮎村尋深のファンも一定数はいたはずだから、それなりに売れたのではないかと想像していたのだが、どうも違ったらしい。完全な推理小説だった『椿姫』の推理小説の部分に引かれたファンには、『蝶々夫人』は確かに物足りなさを感じさせるものだっただろうしなあ。
前作の『あした、カルメン通りで』には、若山牧水の酒の短歌がちらっと登場したが、こちらは斉藤茂吉の長崎在住の外国人をテーマにした短歌が重要な役割を果たしている。遊女と恋に落ちて、遊女のなくなった後も形見の枕を手放せなかった外国人の姿に身につまされるものを感じる人は、森雅裕のファンになれるはずである。
この作品の最後を読む限り、まだまだ続きそうだった鮎村尋深と森泉音彦の物語は、商業出版の形では、ここでお仕舞である。後に続編が書かれ原稿を関係者に配布してしまったという話を、『推理小説常習犯』などで読まされ、どうして私家版でもいいから刊行してくれなかったのだろうと考えたファンは多いはずである。
ファンたちで作った確か「森みかん」というグループが、『トスカのキス』という本を刊行したという話を聞いたときには、題名から鮎村尋深のシリーズではないかと期待したのだが、実際には、主人公は同系統だったけれども、別人、別世代の人物の物語だった。手に入れてチェコにまで送ってくれた友人には感謝の言葉もない。ないのだけど、鮎村尋深シリーズの続編を読みたいという気持ちは抑えられなかった。
あとがきに記された、何を書いても推理小説として扱われるという不満も、著者と編集者たちの関係が良好であれば、講談社では音楽テーマの推理系の作品、中公では推理色の薄い作品、新潮では刀剣がテーマの作品なんて感じで、出版社ごとに作品傾向を変えることである程度は解消できたのではないかなどと妄想するのだけど、その辺は新作が読めなくなって不満だらけのファンの愚痴みたいなものである。
2018年2月1日22時。
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