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2017年06月29日

通訳稼業の思い出話2(六月廿六日)



 もう十年以上前のことだが、とある日本の大企業がEU企業と共同でチェコに建設した工場の立ち上げの際に通訳として協力したことがある。共同の工場とは言え、生産を担当するのは日本企業だったので、チェコ語と日本語の通訳が求められていて、その工場で通訳のとりまとめをしていた知人にお前も来いと引っ張られたのだ。
 今でも覚えているのが、日本から指導に来た人たちが、EU企業に対してぶーぶー言っていたことだ。生産に関して丸投げにしているくせに、あれやらこれやらくちばしを挟んできたり、無理難題を押し付けてきたりして、日本側を悩ませていたらしいのだ。「あいつら俺らのこと便利な下請けとしか思ってませんからね」とは、一緒に仕事をさせてもらった方の言葉だけど、自社よりも規模の大きい日本を代表する大企業を下請け扱いして恥じない辺りEU企業ってのは衝撃的なまでに傲慢なんだなあと思った。実は傲慢なのは企業だけではなくてEUそのものもだったのだけど。

 当時は日系企業のチェコ進出ラッシュで、日本語―チェコ語通訳バブルとでもいうべき様相を呈していた。だから通訳初心者にもそれなりのお金で仕事が回ってきたのだけど、仕事をしている通訳のレベルは、本当にピンきりだった。個人的には、1高い金を出してでも雇いたい、2金を出して雇いたい、3安ければ雇ってもいい、4ただなら使ってもいい、5お金をくれるなら使ってもいい、6お金をもらっても使いたくない、というふうに通訳をカテゴリー分けしている。本当の意味で通訳として働いていると言えるのは、1と2であることは言うを俟たない。人手が足りないとかき集めるにしても3ぐらいでとどめておかないとえらいことになる。
 それなのに、当時は3や4はおろか、5、6レベルの連中まで、私は通訳でございとえらそうな顔で仕事をしている振りをしていたのだから悲劇も起こってしまう。一応、通訳のとりまとめをやっていた知人には言ったんだけどね、「こんなレベルの日本語で金取るなんて詐欺だぞ」と。そしたら、重要な仕事はお前らに任せるから、できの悪いのは、日本人の茶飲み話の相手か、笑い話のねたになってくれればいいんだよというものすごく割り切った答えが帰ってきた。人を数集めることを求められていたらしい。
 自分自身のことをいうなら、ぎりぎりで2のレベルにはあると判断したから、通訳として働くことにしたのだが、最初のころは経験不足で、雇ったことを後悔させてしまったこともあるかもしれないと反省する。それでも日本人に対して、日本人の目から見たチェコの情報をあれこれ提供したし、役には立てたはずだと思いたい。

 さて、或る日、その会社に通訳の仕事に行くと、「聞いてくださいよ、あいつ、ひどいんですよ」と、日本から来た方に泣きつかれた。聞いてみると、日本語もおぼつかないチェコ人通訳に、「あなたの日本語は変です」と言われてしまったらしいのである。何とかしてくださいよと言われても、そいつに日本語教えたの俺じゃないしと答えるしかなかった。
 当時のチェコの日本語ができる人というのは、たいてい大学で勉強して日本語を身に付けていた。そして自分は日本語の全てを身につけたと思い込んでいる人が多かった。いや、本当にできる人は、自分ができる日本語は、日本語の一部でしかないことをよく知っていて、自分に理解できない表現が出てきたときには、恥ずかしがらずに日本人に質問することができていたのだが、中途半端にできる人が、なぜか自分の日本語は正しいと思い込んでいて、自分が理解できないのは、理解してもらえないのは、相手、つまり日本人が悪いと思い為す傾向があった。大学で学んだことを100パーセント覚えていたら、そんな醜態をさらすこともなかったのだろうけれども、できない人ほど、全部覚えているつもりになっていたわけでね。

 それから、常にチェコで発行された日本語・チェコ語辞典を持ち歩いていて、知らない言葉が出てくると、辞書を引いて、辞書になかったら、「ごめん、わからない」と言うチェコ人通訳もいたらしい。いや、こんなの通訳なんて呼んじゃいけねえ。お前のその体の一番上についている丸いものは飾りか、とこの話を聞いたときには憤ってしまった。
 自分の知らない言葉、辞書に載っていないような言葉でも、通訳するために、文脈から状況からある程度理解した上で、確認の質問をする。それが機械ではなく人間が通訳をする理由である。個々の言葉の意味を訳すだけだったら、膨大なデータベースの中から瞬時に検索できるコンピューターに勝てるわけがないのである。言葉の辞書的な意味ではなく、言葉にこめられた意図を訳すというのが人間の通訳の仕事じゃないのか。自分でも100パーセントできているとは思えないが、それが目標である。

 それから通訳が必要な通訳ってのもいたなあ。こちらも自分の日本語は完璧だと思っている人で、日本人にわからないと言われてもかたくなに、同じ理解しようのない日本語の言葉(文にはなっていない)を繰り返すだけだった。こけの一念、岩をも通ずではないけれども、そんな妙ちくりんな日本語もどきをある程度理解できる日本人が現れたらしい。
 その結果、チェコ人が話したことを、チェコ人通訳が変な日本語に訳し、日本人がちゃんとした日本語に訳すという珍妙な状況が発生していたという。これでチェコ語から日本語は何とかなったのだけど、日本語からチェコ語のほうは、対して改善されなかったことは言うまでもない。当時はこんなんでもチェコにしては高給がもらえていたのだよ。半分は理解してくれた日本人に差し出すべきなのだろうけど、そんなことを思いつけるぐらいだったら、あの日本語で通訳しようなんてことは考えられないはずである。

 あれから十年以上のときを経て、日本語チェコ語通訳を巡る状況は大幅に改善されている。かつてたまに見かけた日本語でちゃんと挨拶できたら拍手したくなるようなレベルの通訳は、もう見かけることはなくなった。自然に淘汰されていったのである。こんなことを書いたからと言って自分がそんな大層な通訳だと言うわけではないのだけど、ここに挙げた事例を反面教師にして通訳稼業をやってきた。
 先週の金曜日の飲み屋での話しに出てきた現場力なんて言葉を使えば、我が通訳の現場力の源泉は臨機応変にある。されど其を行き当たりばったりとも称せりなのである。
6月26日10時。



 通訳の分類としては他にも、1是非いてほしい、2いてもいいかな、3どっちでもいい、4いないほうがいい、5いたら困る、というのもある。6月28日追記。





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