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2020年06月06日

チェコ語の疑問詞6「どこ」(六月三日)



 しばらくは、チェコ語の話を続けよう。今日の疑問詞は場所を問う「kde」からである。日本語では、動詞によって場所を表す「で」と「に」を使い分けるが、チェコ語では動詞によって、場所を表す表現が必要なのか、方向を表す表現が必要なのかを考えなければならない。すでに「tady」と「sem」の違いについては説明したと思うが、前者が場所で後者が方向である。だから「kde」も方向を問う「kam」と使い分ける必要があるのである。

・Kde mám nechat?
・Kam mám položit

 この二つは、日本語にすれば、どちらも「どこに置けばいい?」という意味になるのだが、動詞が必要とするものが違うために疑問詞も変えなければならないのである。日本語で考えたときの「どこに」は、場所であろうか、それとも方向であろうか。何とも言い難いので、チェコ語でもどちらを優先的に使うと決められず、大抵は間違えてしまうのである。
 この二つの疑問詞も他と同様に、「někde(どこかで)」「kdesi(どこかで)」「nikam(どこへも)」「kamkoliv(どこへでも)」なんていう派生語を作ることができるが、「ně」と「si」の違いとかややこしいので、疑問詞につける接頭辞、接尾辞のまとめもしたほうがよさそうだ。「kde」に特徴的な派生語というと他の疑問詞と組み合わせた「kdeco(何でもかんでも)」「kdejaký(どんなものでも)」「kdekdo(誰でも)」などだろうか。知らなくても困る言葉ではないけれども、正しく使えたら嬉しくなる言葉でもある。あまりうまくいったことはないけどさ。

 日本語で「どこ」を使う表現から考えると、「どこまで」は、「どこに」と同じように方向を現すものなので、「kam」を使えばいい。「まで」と強調したいんだという場合には、「až kam」と「až」をつけてやれば、それっぽくなる。逆に「どこから」は、「odkud」という特別な言葉を覚えなければならない。ただ、初学のころから出身地を聞く質問の「Odkud jste?」というのを使っているから知らない人はいないはずである。
 注意しなければいけないのは、この言葉には方言めいたバリエーションがたくさんあることで、南モラビアのスロバーツコの辺りだと「zkama」という言葉を使う人が多いし、他にも「odkaď」というのも聞いたことがある。知らないと答えに窮してしまうので、この二つぐらいは覚えておいた方がいいかもしれない。

 ところで、「odkud」という言葉の構成から「kud」というのが、「どこ」をあらわす要素で、それに「od」がついて、「どこから」という意味になったと考えられなくもない。実際に他の前置詞と組み合わせた「dokud」「pokud」という言葉もある。「dokud」なんて最初見たときは、辞書を引くまでは、「どこまで」という意味に違いないと思い込んでいたのだが、残念ながらこの二つは疑問詞ではないのである。
 特に「dokud」は厄介な言葉で、「〜する限り」とか、「〜まで」という意味を表すのだが、使い方がよくわからない。使われた場合、たいていは問題なくその意味を理解できるのだけど、自分で使うと、違うと言われてしまう。そのたびに説明を受けて、次に使うときにはその説明の通りに使ったつもりなのだけど、それでも違うと言われてしまう。そんなのを何度も繰り返して、自分で使うのをあきらめてしまった言葉である。なくても何とかなるし。
 それに対して、「pokud」は辞書だと「dokud」と同じような訳語が上がっているけれども、実際に使うときには、仮定法、もしくは条件法的に使えるので非常に楽である。「〜するなら」「〜すれば」という意味で、しかも動詞の時制はそのままでいい。「jestli」と同じような使い方なのだが、こちらは「〜かどうか」という意味で使うことが多いので、仮定法ではあまり使わないようにしている。

 それから「odkud」で聞かれたときの答え方だが、具体的な場所であれば、「z」の後ろに地名を二格で置けばいいというのは、「Jsem z Japonska」と答え慣れているからわかるはずである。場合によっては「od」でもいいけど、それは、「その場所の近くから」という意味になる。これも授業では習わなかったなあ。
 では具体的な地名ではなく、「ここから」「あそこから」と答えたいときにどういうかというと、「odtud」「odtamtud」ということになる。「tam」を付けることで、話し手から遠くの場所を表すのは、「tamten(あれ)」何かと同じである。この二つの言葉も、取り立てて授業で教わった記憶はない。どんな時に使うのか想定しづらいというのもあるのかなあ。

・Odkud jste?(どちらの出身ですか?)
・Jsem odtud.(私はここの出身です)

 なんて会話が成り立つのかどうか。遠くに見える町を指差して、「Jsem odtamtud.」とか言えそうな気もするんだけど、それなら「Jsem z tamtoho města.」と言った方がわかりやすいか。どちらも落ち着きが悪いのは、こちらのチェコ語の能力のせいかな。
2020年6月4日10時。





https://onemocneni-aktualne.mzcr.cz/covid-19
https://www.krajpomaha.cz/









タグ:疑問詞 場所
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