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2018年01月07日

星野監督が闘っていたもの

すい臓がんだった。
癌の中でも発見が遅れやすいと言われる代表格。
それがすい臓がん。

星野監督は、癌闘病について外部に漏らすことなくこの世を去った。
短期間に頬がこけていく様は
後から見ると闘病の辛さが伝わるが、
すべては結果論に過ぎない。

人は老いて行く過程でやせ細る。
はたまた、近年は老後の体調管理と称し
体重を落とすご老人も少なくない。

依然として糖尿病患者が後を絶たない現代社会は
生活習慣病という新たな病名を創り上げた。

星野監督がすい臓がんという難病と闘っていたことは
訃報後に知ることとなった。
だから、どのような闘病の経緯であったのかも
今後公表されるかどうかもわからない。

ただ、ひたすらにそれら事実を伏せ、
周囲の人にも漏らさず、いつもの星野仙一であり続けた。

ここに男としての仁義のようなものを感じざるを得ない。

星野監督は癌と闘った。
すい臓がんという、癌の中でも最も難敵な病気の一つ。

星野監督の現役時代を知る人がどれほどいるだろう。
44歳の私でさえ映像でしか知らない。
星野仙一という野球人を知った時、
彼は既に中日ドラゴンズの監督だった。

荒くれ物で、乱暴者、短気で損気。
プロ野球珍プレー好プレーという番組ではお馴染みだった。

あのお方が闘っていたもの・・・とは、
果たしてなんであっただろう。

巨人軍にめっぽう強いことで知られた現役時代。
巨人戦は普段以上に闘志剥き出しだったそうだ。

監督時代も、中日ドラゴンズの後、
阪神タイガース、楽天イーグルスの監督を経て
年々穏やかな表情に変わっていく様を見てきた。

穏やかになった星野仙一という一人の男は
牙を抜かれたライオンでもなく、
羽をもがれた鳥でもない、
変わらぬ強さを秘めた一人の男であり続けた。

そんな星野仙一という男の中の男が闘い続けたもの、
それはきっと、自分自身だったのではなかろうか。

長年かけて歩き続けた野球人生。
星野仙一という男はいつしか「闘将」と呼ばれるようになっていた。

闘将は強くあり続けなければならない。
そんな大きな看板を背負い続けてきた。

それは本人にとって心地の良いものではなかったかもしれない。
時には弱音を吐きたい時もあったかもしれない、
でも、最後の最期まで弱音を吐かなかった。

闘将と呼ばれ続けた男の性(さが)なのかもしれないが・・・

70年走り抜いた星野仙一さん、
いや、星野監督・・・
”お疲れさまでした”

ゆっくりお休みください。


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