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2018年10月10日

「戦闘シーンが面白い」だと

桃花鳥(とき)が七羽に減ってしまったと新聞の片隅に
写りの良くない写真を添えた記事がある

で始まる、さだまさしの『前夜(桃花鳥 −ニッポニア・ニッポン−)』という歌に、次のような歌詞がある。

どこかの国で戦さが起きたと
TV(テレビ)のニュースが言う
子どもが実写フィルムを見て
歓声をあげてる
皆他人事(ひとごと)みたいな顔で
人が死ぬ場面を見ている
怖いねと振り返れば
番組はもう笑いに変わってた

さだまさしは、この曲で、ニッポニア・ニッポンという学名を持った日本産の『とき(朱鷺』の絶滅を危惧しながら、「この国の未来についても危ういのでは…」という問題提起をしています。(私の勝手な解釈)

今でこそ、戦争や紛争で、人が死んでいくシーンはテレビでは流れなくなっているが、以前は、結構悲惨なシーンが、お茶の間に流れていた。大戦を経験した日本人に、戦争の悲惨さを知らせるための、マスコミの一手段であったかもしれないが、その後「垂れ流し報道」は、規制されていく。

しかし今では、動画サイトで悲惨な実写シーンを見ることができるし、ゲームの世界では、毎日、戦闘と殺戮が繰り返させていると思う。

だから生徒も、そうしたシーンは珍しくなく、「殺さなければ殺される状況下」に慣れ親しんだためか、すぐに口をついて、「死ね」という言葉が飛び出す。

昨今の小学生は、挨拶代わりに「死ね」を使っているふしもあるが、この言葉は、日常の中で使ってはいけないと思う。

中には、戦闘シーンで人が死んでいく様をみて、ケラケラ笑う生徒もいる。
「何が面白いの?」
と、不満を込めて尋ねると、
「だって、人が死んでいくんですよ。血を流して、死んでいくんですよ。楽しいじゃないですか。」
と返ってきた。

「人が死んでいくことって、楽しいことなの?」
「俺は、苦しんで死んでいく姿を見るのが面白いんです。思わず笑っちゃうんです。」
だと。

さだまさしが憂えた日本。この曲の発表が1982年だから、もう36年経つ。

子供たちの心の中には、左翼思想の理想とは反対のものが、起こりつつあるのかも知れない。
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