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2018年09月20日

LGBT人権講話

朝の会で、校長がLGBTに関する人権講話を行った。

聞けば、そうした人は、潜在的には7%程度いるという。これは、左利きの割合と同じだという。
その割合でいくと、クラスで数人は、対象者が隠れているということになる。

実は、私たち教員の何気ない一言で、生徒を傷つけている。
教員が、LGBTを、「気持ち悪い」とか、「信じられない」などと、不用意に発言することで、深く傷つく生徒もいるだろう。情けない話だが、私の学校でも、そうした事例があった。大変な失敗である。

「障害を持っている人に対して、異質の目で見ない」ということは、訓練すれば、ある程度できるようになるだろう。しかし、LGBTの場合、そう簡単にカミングアウトできないし、発達途上の思春期の生徒たちに、理解させることは、かなりの困難だろう。

だから、彼ら彼女らは、異なる個性を持っていると見るべきで、その『個性の違いを尊重する』ことが大切なのだという論理が必要だ。

私の学校でも、この春卒業したが、学校にトランスジェンダーの生徒がいた。
この生徒は、年度途中でカミングアウト。
彼は、女子の制服を着ることができなかったので、男子の制服を着ることを許した。
トイレも、通常の生徒とは別のトイレを使わせた。名前も別の通称を使い、男女別のクラスの名簿も、男子の中に入れた。
卒業式では、彼の希望する通称で呼名した。

このように周囲に告知し、周知される例は少ないだろう。
多くは、人に言えずに、悩み苦しんでいる。

「おまえホモだろう。ゲイだ。気持ち悪い…。」
と、ふざけ合っている男子生徒のそばで、その言葉に深く傷つき、ますます心を閉ざしている生徒がいるのだ。

まだまだ日本の社会での理解度は少ない。だからこそ、その縮図である学校でも、その指導は難しい。

今朝の講話で、中学二年生の多くは、
「個性として認めたい。」
「いままで不用意な発言をしていたので、これからを控えたい。」
という感想を述べていた。

まずは、学齢相応の理解度と言うべきか…。

ある生徒は、
「『性同一性障害』、という言い方が、障害という言葉を使っており、差別的だ」
と書いた。

『病気ではない。個性なのだ』、という論理ならば、当然の意見だろう。
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