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2019年10月13日

台風19号

台風が来た。
ちょうど連休中だったので、学校関係は行事の延期くらいだったろうが、これが平日だったら、生徒の安全確保等々、結構大変だったろう。

私の学校でも、さまざまな行事が吹っ飛んだ。
確かに大変大きな台風で、各地にその爪痕を残したことを考えると、懸命な判断と言える。

今朝、少し遅く隠れ家に行ったら、付近の川が大変なことになっていた。
昨晩は増水により周辺に避難勧告が出ていた。
聞けば、こうした勧告が出ていても、安易に外にではいけないそうだ。
夜間に外に出るのは、命の危険があるという。

川は、吸い込まれそうになるような猛烈な濁流が、何もかもを押し流している。
そしてその轟音が、けたたましく響く。

川の様子を見に来た地元の老人が叫んだ。
「川が綺麗になった。」
確かに、付近の雑草も根こそぎ押し流してしまったので、これまで見えなかった護岸がよく見えるようになった。
朝の犬の散歩は、いつもの川沿いの散歩コースには行かず、家の近くをぶらぶらするにとどめた。

当然、いつものグランドも水浸しだろうから、練習は午後遅くからにした。
来週の土曜日に大会があるのだ。
試験が終わったばかりの台風襲来で、出鼻をくじかれる感じだったが、今日は短い時間ながら、きちんと練習ができたように思う。

夕方の散歩は暗くなり始めた頃。
相変わらずの濁流だが、水位が下がったので、いつもの散歩コースを歩いてみた。

驚いたことに、あれほど茂っていた草がない。
すべて流されたわけだ。
途中、全面冠水したと思われる部分もあり、さすがに恐ろしくなった。

こうして、夜間などに、安易に立ち入った人が、流されるのだということが、よく分かった。
日中の暖かさが消え、ぐっと気温が下がってきた。

東の空には、満月が煌々と輝いている。

被害はなかったが、隠れ家も、ところどころ修繕しておかなければならない箇所も見えてきた。

台風一過の抜けるような青空の下、爽やかな秋の日差しを浴びながら、いろいろなことができた言い一日だった。

「今日は充実していました。」
部員の一人がそう呟いた。

同感である。
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2019年10月12日

試験を採点しながら

「あらら、全然できていないな…。」
試験を採点しながら、そんな思いが徐々に大きくなった。

「んー。定着していないな。これはまずいまずい…。」
生徒の不勉強ということもあるが、要は、「私の授業の仕方、そしてその定着のさせ方に問題がある」ということだ。

答案返却時に、生徒には、「勉強したのか?」、などと訴えることはできるが、心の奥底では、自分の不甲斐なさを感じている訳だ。

「定着させるには、もう何度か演習を重ねないとだめだな…。」
などなど、採点をしながら、次々と思いが湧いてくる。

低学年の生徒は、
「丹澤先生、採点しましたか? 僕、何点でしたか?」
などと聞いてくるが、学年が上がっていくと、そうした質問はしない。

私の顔を見るや否や、にっこりするか、目をそらすのである。

試験の出来、不出来は、その試験を受けた生徒がよく分かっている。
だから、できなかったときには、答案返却が恐怖であり、さまざまな苦悩が、彼等の心を揺さぶってしまうことになる。

古来、学校の定期テストとはそういうものだ。
そういうプレッシャーと戦いながら、今の大人たちも育ってきたのだ。
中には、どんな点数でも動じない強者もいるが、たいていの者は、点数を気にする。
進級がかかっていれば、落第点ではないかが気になるし、習熟度クラスに分かれていれば、クラスが下がってしまうことを不安を感じることになる。

「D君、どうした。」
という私の励ましの言葉も虚しく、彼等の落ち込み様は、私たちが想定している以上のものがある。

「成功して得意にならず、失敗して落ち込みすぎず…。」
というバランス感覚は、大人でも習得するのが難しいことだ。

教員たちは、採点しながら傷つき、生徒たちは、試験結果を見て傷つくわけだ。

お互いがハッピーになることは、恐らくはあるまい。

教員は、生徒の言動に振り回されつつ、喜び、悩み、苦しみ、励まし続ける存在であるからだ。

そうしたことを十分承知した上で、私たちは教職の道を歩んでいる…。

2019年10月11日

老眼鏡

数年前から老眼鏡のお世話になっている。
年々老眼が進んできているようだ。

一方で、さらにその数年前から裸眼の視力が上がり、どちらも1.5の視力になった。
当然のことながら、近視の眼鏡も、コンタクトも不要になった。

しかし、その分老眼が進んだ模様で、今は事務仕事や、PC画面を見るときは、必ず老眼鏡のお世話になっている。

「先生、この変形どう計算すればいいのですか?」
高校の問題集の別冊解答、あまりに小さく書かれた模範解答の途中式の変形。
それを手にした私は、まったくその字が読めなかった。

そろそろ、授業中にも老眼鏡が必要になったということか。

すでにデスクワークで、字を読むときは欠かせない。
PCの画面でも、近くで小さい字を見るときは、眼鏡を掛ける。

当然、本を読むときも必要。
少し暗くなったら、大きめの字でも読めない。

最近困るのが、公用車乗車後の運行日誌。
夜になると、暗くなるので、日中は見えたものが途端に見えなくなる。

一時期眼鏡ルーペを使ってみたが、視線をずらすと立ちくらみがする。

眼鏡も複数用意して、持ち歩き用、自宅のデスク用、隠れ家のデスク用、そして職場のデスク用と、同じものを置いている。

もはや老眼鏡が手放せない状況になった。

先日も、コンビニで宅配便を送ろうと、レジで送り伝票を書いていたが、どこに何を書くのか分からず、結局間違えて、書き直しになった。慌てて、車から眼鏡を取ってきた次第である。

以前から、授業中、教科書等の指数が読みにくくて困っていたが、そろそろ離しても読めなくなった。
手の長さには制限があり、離せる距離に限界があるのだ。

人は齢五十を過ぎると、皆こうなるのだろうか。

「この指数は、2それとも3?」
「4です!」
「先生、読めないんですか?」
「年寄りを馬鹿にするんじゃない!」

そういえば、授業中、こんな会話が多くなった。

若い生徒たちがうらやましい…。

2019年10月10日

学年の食事会

考査のなか日ということで、試験が終わってから学年で食事会に出掛けた。
自動車で30分弱走れば、お山の観光地に洒落たレストランがたくさんある。

今回は、「肉が食べたい」という若手男性教員のリクエストにより、肉料理店になった。

生徒を放課させてからなので、出発は13時半。
さすがにこの時間になると、お昼休みになる所が多く、お店選びに難航したようだが、私はただ連れて行ってもらい、食べるだけなので、そうしたことには関知しない。

私の学校では、試験中の日中、こうした食事会をよくやっている。
ほとんどの場合、夜も教室で勉強させているので、その担当者も学年から出ており、食事会で夕食をとるのは、生徒が休みの日以外は難しいのだ。

生徒が休みの日は、教員も休みだったりするので、これもなかなか難しい。

何のことはない。ただ、皆で出掛けて食事をするだけであるのだが、こうしたコミュニケーションの場は、いろいろなところで効いてくるだろう。

私の学校では、いわゆるアルコール付きの懇親会は一切行われないので、こんな食事会でも、職場を離れたリラックスタイムになる。

山が近づくと、山が赤っぽく見てた。
そろそろ紅葉のピークで、観光客で週末は大渋滞するほど。

そんな観光地に、さまざまなレストランが点在している。

肉料理とは言っても、地元牛のステーキは5000円ほどするので、そうした高級料理には手は出せないが、それでもおいしい手作りハンバーグをいただいた。

さすがに早食いの教員たち。
あっという間に平らげてしまう。
ゆっくりコーヒータイムを取る間もなく、学校に戻る。
このあとも採点する先生ばかりなのだ。

私は隠れ家で、畑を耕し、愛犬たちの散歩。
何日か分の餌を作ってきた。

試験は明日までだが、生徒たちは大騒ぎしながら遊んでいる。

先日、テレビ番組で、定期試験を廃止した東京の公立中学を特集していた。
「こんな方法もありかな…。」
とも思う。

一番大切なのは、生徒が「勉強しよう」、と自発的にやることだ。

そうでなければ、成績は伸びない。

そう思いつつ、易しい問題にしてしまった中間考査を眺めながら、最低作業に勤しんだ。
時折、気分転換にピアノを弾きながら…。








2019年10月09日

早朝の天体ショー

今朝はこの秋一番空気が澄んでいた。
一時的な冬型の気圧配置になり、風は強かったのだが、その分、塵や埃も飛ばされたらしい。
思わず、息をのむほどの星空だ。

私の愛犬の散歩時間には、徐々に空が白んでくるのだが、今朝はどんな北東の空に立て続けに流星が見えた。どちらも二等級の明るさのものだ。

ちょうど、りゅう座流星群(ジャコビニ流星群」のピークだったが、放射点の位置からすると散在流星だろう。

ふと天頂を見ると、人工衛星が見えた。
朝夕は、人工衛星が太陽に光に照らされて光って見える。
調べてみたが、ISS(国際宇宙ステーション)ではないようだ。

最後まで見えていた星がおおいぬ座のシリウス。−1.5等の明るさ。全天一明るい恒星だ。

散歩が終わることには、すっかり空が明るくなった。
今日は山もきれいに見えるだろう。このところの冷え込みで、近くのお山の紅葉も進み、毎日配信されるSNSの写真は、私をうずうずさせる。

そんな中、同僚の若い先生が「天の川も流れ星も見たことがない」、と言っていたのを思い出した。
私の住む田舎では、日常茶飯事のことなのだが、そうした時間帯に外に出たことがないか、夜空を見上げるという経験がないのだろう。

私は、教員はいろいろなことを知っているべきだと思っている。
もちろん、その道のエキスパートであることが求められるが、それ以外にもたくさんの知識を持っていると、いろいろな生徒との関わりが増えるし、彼らの興味をそそることもできる。

世間的にも、ある程度悪いことも知っておくことも必要だろう。
教員は聖職者であるべきと言われるが、だから私は聖職者にはなれない。

星を見ていると、一時期すべてを忘れる。
届いてくる光の距離が違うのも不思議な感じがする。

あの星は、今はないかも知れない、と思うと、人間の一生など一瞬だろうし、多少の悩みなど吹っ飛んでしまう。

生(なま)の星空には、プラネタリウムでは感じられない、五感の刺激がある。

私の教え子たちも、ほとんどは天の川も流れ星も知らない。

なんと人間は狭い世界で生きているのだろう…。




2019年10月08日

自習は面白くない?

「丹澤先生、今日も自由ですか。」
「違う違う…、試験対策をするんだ、」

中1のG君は自習と自由を間違えたのだ。
彼は、この時間も自習できると思ったらしい。

私の学校では、考査前になると自習の授業が増える。
自習を授業と定義するかは怪しい。
だが、担当の教員が教室にいるのだから、「質問対応」というなの自習授業なのだろう。

自習が増えれば、その分生徒には勉強時間が確保されるわけで、その結果、放課後の勉強は減ってしまうのではないだろうか。

以前、私が最初に務めた学校では、考査の前日は午前中授業だった。
「午後は各自、勉強しなさい!」、という訳だ。

午前中授業になって、午後の時間を有効に活用できるかどうかは、甚だ疑問だが、試験直前の授業はことごとく自習になるのも、なんだか異常な感じがする。

先生たちは、試験範囲を終わらせるために必死に授業をされているわけで、「何かあったとき」を想定して、少し余裕を持って授業計画を立てているのだろうが、余った時間を単なる自習にするのは、ちょっと乱暴ではないか。

日直の日誌をみると、一日のうちほとんどが自習だったりするわけで、これはやはり、「何かおかしい」と思うのが、普通の感覚のはずだ。

と言って、試験範囲外の授業を進めることも現実的ではないだろう。

そう考えると、「やっぱり復習授業かな…」、とも思うが、「分かりきった生徒にとっては時間がもったいないかなぁ…」。

「自由に勉強できて、質問もできるなら、自習もありかな…」、など心が揺れる。

「ごめん。俺、解説しちゃうと、試験問題をしゃべっちゃいそうだし、新しいテクニックを教えちゃうと、試験に出したくなるし…。」

私の作問はギリギリだ。
試験問題の完成は、たいてい試験の二日前になる。

そんな風に誤魔化しつつ、今回も、一部のクラスで自習をしてしまった…。
反省…。

2019年10月07日

考査監督表

先週末の駅伝の引率のために、金曜日の夜のうちに監督表を教務主任mに届け、職員室内にも掲示したのだが、結局、監督表を見た先生方はほとんどいなかったようだ。

月曜日の朝である今日、私が全教員に印刷して配るやいなや、変更要請が立て続けに来て、とうとう第1版が修正に修正を重ね、第9版になってしまったのだ。

私はやけくそになって、変更のある度に、「面白い!」、と叫んだ。

こういうときに見えるのが、先生方の人間性である。

「すいません。私のチェック漏れです。修正お願いします。」
という低姿勢のお願いもあれば、

「無理だよ、これ…。」
など、ぶっきらぼうな人もいる。
これは、男女、関係ない。

女性であっても、キツイ人は、とことん切りつけてくる。

「ああ、またW先生か…。」
私は心の中でじっとたえながらも、彼女の言葉に傷ついた。

自信満々なのはいいのだが、人の心のひだを感じることができないタイプのようである。

私は、昨年くらいからW先生とは仲良くできずにいる。
私が人間の好き嫌いをするのは滅多にないのだが、昨年秋から、残念ながらそうした関係になってしまったのだ。

言葉に棘があると、相手の心を傷つける。
逆に考えれば、私もそのように他の人を傷つけていることも多いのだろう。

ツンツンタイプの女神様。
気に入らないことがあると、徹底的に相手をたたきのめす。
自分のことを批判されると、大騒ぎして女の武器を使う。

少し前まではそんな風に彼女を見ていたのだが、昨今は距離を取っているので、そうした気持ちは薄くなった。

主任や担任を外れて、「思ったことを言わない」という術を身につけた。

それは我慢か無関心か。それとも第三の道なのか…。

今年は静かに過ごそうと決めたのは私自身。

やっぱり大人とはあまり仲良くできそうもない…。




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