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2020年09月01日

保護者様

今の校長は、保護者を『保護者様』と呼ぶ。
いわゆる「お客様」と呼ぶのと同じ発想である。
もちろん、保護者あっての生徒であることは間違いない。

以前の校長も、徹底的な保護者ファーストだった。
企業で言う顧客ファーストである。
「クレームは宝の山である」、という考えのもと、保護者からの指摘は、すべて「ごもっとも」、と考え、我々教員側を責める。。
私立学校も一つの企業体なのだ。

確かに改善のヒントはあろう。
「保護者の立場」からすれば、当然と思うこともあろう。

しかし、それ故に、「悪いのはすべて教員」という発想ではたまらない。

以前の校長にはこうして指摘さ続けられた。
子供が親に泣きを入れ、それを受けて保護者が校長に連絡する。

結局、私が呼び出され、叱責を受けるというスタイルである。
全力で教員としてやっていたことはすべて棚に上げられ、とにかく、過ちを取り上げられ、謝罪を求められる。

そんなことの繰り返しだった。
いつしか、私は教育活動に自信を失っていた。
以前のように、教育のプロとして、自信を持って生徒指導したが、そのプライドは崩れ去ってしまった。

『保護者様』と呼ぶ今の校長は少し違う。
とにかく人の話をよく聞くのである。
校長自ら謝罪し、保護者に納得させる。
我々の見えないところで、確実に仕事をしている。
そして、やんわり私たちを導く。
傷心した私を少し思い測り、「今できること」をさせてくれている。
情熱的でありながらも、気遣いの人なのだ。

以前の校長から「丹澤さん」と声を掛けられたら、「またか…」とドキッとしたが、今の校長が、「端座先生」というときは、たいてい発展的な話だ。
…本当にありがたい。

今は、保護者をやり込め、学校の主張を通し、自分の考えを曲げなかったかつての私とも違う。
『保護者様』と呼ぶ気持ちも分かる。

いつか、私もお役に立てたらいいな…。




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2020年08月31日

それでも逃げ続ける…

若いときは、概して自己中心的になる。
それを、大人たちにたしなめられ、「それではだめだ」と叱られる。

都合が悪ければ人や環境のせいにし、できない理由を他のものにする。
そうすると、自分が正当化され、気持ちが楽になるのだろう。
ただ、そうした習慣を確立してしまうと、「進歩」のできない、『逃げ』の人生になってしまう。

昔から、「上手くいったの人様のおかげ、上手くいかないのは自分の努力不足」、と言われるが、まさにその通りで、自ら努力を放棄した者の未来は拓けないものだ。

中学生や高校生はしばしば「自己中心的」になる。
思春期特有の心の乱れにより、自分ではどうすることもできなくなって、その原因を他に求めるのである。そして、それがエスカレートすると、「○○さえなければ、上手くいくのに…」、とマイナスのスパイラルに突入する。

等の本人たちは、それに築かず、どんどん墜ちていく。
昨今は、そうした悩める子供たちの姿を見て、親たちもが、苦しみの原因を他のに求めようする。

「親なのだから、子供が苦しんでいたら、なんとかしてあげたい」、と思うのは当然のことだが、親であっても、思春期の子供を育てるのは初めての経験であることもあり、事情はなかなか複雑だ。

言い訳だと、分かっていても、自分を抑えられず、泣いたり、暴れたり、自暴自棄になったりするのが、子供である

よくできたと覆われる中高生であっても、あるとき、突然、キャパオーバーになって、爆発することだってある。

我慢してしまうタイプの人は、我慢の限界を超えると爆発する。

「やってもやってもできない」、と思うのは思春期の常。
その悩みを大きく膨らましすぎるのも思春期の常。

思い通りにならないことは、大人になっても変わらない…。

『愛されたい。認められたい。自分のことは自分でししたい。」
というのが、若者の特注である。

ふと、私自身が大学生時代に書いた小説を思い出した。
あの頃の私は、逃げてばかりいた。
自己防衛反応で、つねに安全地帯を作ろうとしていた。
逃げても逃げてもだめだと分かっていながらも、逃げ続けた。

そのときの小説のタイトルが、「それでも逃げ続ける…」であった。

誰もが通る道、ということか…。

2020年08月30日

誕生日祝い

高3のY君が言う。
「日曜日がM君の18歳の誕生日なんですが、ここ何年か祝ってもらえないらしく、けっこう落ち込んでいるようなのです。」
「それじゃ、バーベキューでするか」、ということで、私の隠れ家の離れの囲炉裏でバーベキューをすることになった。

言い出しっぺのY君が、米炊き、囲炉裏の掃除や炭の火起こしなど、事前に準備をしてくれたので、私は、他の3人を昼前に隠れ家に連れて行くだけでよかった。

今朝は、朝練をし、高校野球が遠征のため、高校野球のグランドで練習。
熱すぎる身体を冷やすためにも、プールで泳いでから練習を終えたのだ。

「誕生日おめでとう!」
私を含めて5人だけの、ささやかな誕生日祝い。
猛暑の中で、炭火で焼き肉をするのも狂っているかもしれないが、肉は炭で焼いた方が美味しい。
「独身一日目、って,お祝いメールが来ました。」
と、M君。
まんざらでもなさそうだ。

昨今は、感染対策のために、人と人との接点が希薄になりつつある。
この傾向は、ただでも近所付き合いのない都会では特に顕著だろう。

大学だって、ほとんどがオンライン授業で、それなら通信制と変わらないではないか、という状況だ。
コロナへの恐怖心は、毎日のマスコミの報道とあいまって、ますます広がっている…。

「ご飯と肉、足りる?」
Y君が気を遣う。
「もう喰えません!」
皆が口をそろえた。

ほんとにささやかなパーティなので、私がなにか手料理を振る舞うこともなく、デザートもない。
でも、何となく至福の時を過ごせたような気がした。

私は、こうして教え子たちと過ごす時間がたまらなく好きだ。

「丹澤先生、いつまでこの家に住むんですか?」
「死ぬまでだよ…。」
「立て替えたり、庭の整備をしないんですか?」
「2000万くらいかかるかもね…。」
「ほう…。」
「資金提供してくれる?」
「もう少し待って下さい!」

こんなたわいない会話をH君とした。
頼もしい生徒である。

こんな風だと、私もかすかにこの学校の役に立っているのかな?、などと錯覚する。

朝、中2の生徒が、「丹澤先生、僕たちがいる間は辞めないで下さいね」、と言う。
ちょっと嬉しい気持ちになった…。

2020年08月29日

酷暑の中で

この夏一番の暑さになった。
土曜日なので、練習は午後から。
だが、今が一番暑い時期でもある。

黙っていても汗が吹き出す。
運動する環境ではないし、熱中症の危険度は高いはずだ。

私の地域では8月になって、梅雨明けと同時に猛暑が訪れた。
以来、一ヶ月間、涼しい日はなかった。
毎日が、真夏のじりじりとした日差しが続いた。

そんな中で、野球部の練習を続けたので、選手たちも、けっこうたくましくなった。
その彼らでさえ、辛そうにしている。
それは、暑さが理由ばかりではない。
早々に決まった、秋の新人戦の中止も、その原因だろう。
人は、目標がぼやけてくると、踏ん張りがききにくい。

薄めているとはいえ、氷で冷やしたスポーツドリンクを飲んで命をつないでいる感じだ。
実家から送ってきた梅干しを食べさせたところで、焼け石に水のようにも思える。

私自身、彼らと一緒に動くわけではないが、それでも汗だくになる。
汗の臭いに加齢臭が混ざり、気持ち悪い…。

気温も35℃あたりになると、「運動して爽やかな汗」ではなく、「日なたには居たくない、身体が悲鳴を上げている汗」になる。

集中力も切れやすいので、少し早めに練習を終えた。
夕立でもあれば涼しくなるのだろうが、今日はそれも望めまい…。

野球部員たちは、8月を過ごし、幼顔がなくなり、わずかながら精悍な面持ちになった。

「いずれ、秋が来て、冬が来る。そうなったら、午後から氷点下になるから…。」
と、励ましたところで、彼らは実感が湧かないだろう。

暑さのためにブヨがいのないが、その分、アブが元気だ。
しばしば噛まれる…。

いずれにせよ過酷な部活動だ。

よその学校はどうしているのだろう…。

2020年08月26日

体幹トレーニング

月に一度、野球部、中高合同で体幹トレーニングを行っている。
近隣の外部講師を招き、一時間強、徹底的な筋力トレーニングをするのだ。

このところ高校野球部の部員が少ないこと、そして中学野球部の元気があること、活動は中高一貫でありたいことが幸いして、春から一緒にトレーニングをしている。

中高合同で行う効果はいくつかあるが、その最たるものは、中学生も高校生も「泣きを入れられない」ことだろう。

高校生は中学生の前で弱音を吐くことができないし、一方で中学生も高校生の前でわがままをいうことができない。

講師のトレーナーも、次から次へと、易しい語り口でトレーニングを課して行く。
「無理しなくていいですよ。痛かったらやめていいですよ…。」
と、言いつつ、上手に励まし、トレーニングをなさしめてしまう。

実際、高校生の叫び声が響き、中学生も、必死で耐える…。

蒸し風呂医のような柔道場でのトレーニングが終わることには、畳は汗でびしょびしょになる。

教えて下さっているトレーナーも汗だくだ。

「水分をとってください。汗かいているから、思っている以上に飲んで下さい。」
と言うトレーナーの声が、唯一の休憩時間だ。

当然、各所が筋肉痛になる。

ただ、彼らには、このキツいトレーニングを成し遂げたという自負が芽生える。
どうも、「俺たち、きついトレーニングしているんだぜ」、と人に言いたくなるほどの誇りになるらしい…。

新たに中学野球部のキャプテンになったT君、高校生に負けじと頑張っている。

終わった後、「T君、高校生より頑張ってますね…」、と高校野球のコーチが言う。
T君は、対抗意識むき出しで、滝のような汗をかいていた。

キャプテンが誰よりも頑張る姿はいい…。

弱音を吐くのは簡単な事。
途中で諦めることも簡単な事。
それをせずに歯を食いしばり、必死で立ち向かった者だけに、今までとは違った世界が見えてくるはずだ。

いつもよりも早く練習を終えた、トレーニング後、T君が言う。
「みんなで素振りするぞ!」

2020年08月25日

夜の仕事

週に二度、夜の学習会の仕事がある。
教室で勉強させている生徒の指導をするのである。
中学生の終了時間は21時20分。
担当の先生も、そこまではお仕事の時間。

それに加えて、月に一度くらいの頻度で、日直が回ってくる。
校舎の施錠は22時。
全校を回って、戸締まりをして回るのがこの時間なのだ。

普段から22時前にはベットに入ってしまう私にとっては結構つらい。
部活後、学習会前に、急いで入浴と夕食を済ませて、終わったらすぐに寝られるように準備もする。
途中で眠くならないように、コーヒーも飲む。

気のきいた生徒からは、「丹澤先生は、もう寝る時間、過ぎていますよね…」、などとねぎらってくれる。

そういえば、ここ一週間は、半分くらいは寝坊した。
朝の4時ぴったりに起きられなくなったのだ。

日の出の時間が遅くなり、4時では外が真っ暗になってしまったこともある。
夜の寝付きが悪いことも、夏の疲れが溜まっていることもある。

朝に目覚ましをかけることはないので、目覚めたときが起床時間だが、4時半を過ぎることもあった。
早起きをするのは、隠れ家にいる愛犬3匹を散歩させ、餌をあげるためでもある。
小一時間の仕事を終えて、5時半過ぎにはまた戻ってくる。

今の季節、天高く火星が輝き、東の空高く明けの明星が光る。
そろそろ白んでくる空には、オリオン座が見え、おおいぬ座のシリウスも光る。

犬たちも、その時間になると起きて,私を待っているようだ。

他校でも、遅くまで残業している先生方も多いと聞く。
朝の7時には職員室に来ている私は、夜の仕事があるときは、21時半までかかる。

この生活、だんだん歳をとってきたこともあり、すこしキツくなってきた。

この先は、あまり時間に拘束されたない仕事をしたいな…、と思う。
ただ、元来の怠け者の私が、自分でコントロールしながら仕事をこなすことができるかどうか、あまり自信はない。

以前、通勤に2時間近くかかる学校に勤めていたとき、22時過ぎに帰宅したときは、さすがに帰宅後は寝るだけの生活だった。
あの頃も、今よりも一時間くらい起床時間は遅かったように記憶している。

やっぱり夜の仕事はつらいな…。

2020年08月24日

校歌斉唱

私の学校では、始業式の最後に校歌を歌う。
かつて私が通った学校では、一番だけとか一番と三番だけを歌う、というスタイルだったが、今の学校では、フルで歌うのである。

校歌は、学校の顔。
在校生にとっては誇り。
卒業後も忘れない、魂に刻まれるものである。

今日は始業式であった。
久しぶりに全校生徒が集まった。いよいよ二学期が始まる。

一切の休校をしていないので、例年通りの学期始まり。
近隣の学校はすでに学校が始まっている。

校歌を一緒に歌いながら、ふと考えた。
全国の学校、学期の初めにどれだけの学校が校歌を歌えているのだろうか。

これまで『当たり前』であったことが、『当たり前でない』世の中になった。

今年入学してきた中学一年生。
ほぼ100%、卒業式で校歌を歌っていない。
放送で流れただけだろうが、悲しい卒業式だ。
保護者も在校生も参列しない、形ばかりの卒業式だったという。

アメリカの国力低下と、大統領でトランプを再選させないためとはいえ、中国共産党は、とんでもないウイルスをばらまいたものだ。

今でも私は、小学校、中学校、高校の校歌を歌うことができる。

音楽の授業で歌うときは、フェイスシールドをつけるのだろうか…。

なんとも不自由な世の中になった。

先日テレビを見ていたら、ある小学6年生が、「行事がすべてなくなった勉強ばかりの学校はつまらない。」と、地域で署名活動を始めたことが取り上げられていた。

確かに、学校から授業以外の行事や集団活動を取り除いたら、学校としての機能は三分の一くらいになってしまいそうだ。

その小学生は、「最後の小学校時代がつまらなくなってしまったので、僕たちにもう一回小学6年生をやらせてください」、というものだった。

この発想にはびっくりした。

休校ばかりで大して勉強もせずに、学齢だけで卒業させてしまった彼らが、大人になったとき、ゆとり世代以上のダメージを日本社会に与えてしまうことになるだろう。

その責任は、国家の政治にある。

卒業後、何年経とうとも、堂々と校歌を歌える国民でありたい…。
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