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2017年10月11日
拓馬篇前記−拓馬3
老警備員は感謝なのか愚痴なのかわからない話をくどくどと述べた。おおむね三郎たちの行動を肯定していることは伝わる。推定年齢七十歳ばかりの警備員は「老いぼれだけで若者の集団をどうにかできるわけがない」と警備職らしからぬ本音を露わにした。
「警察には知らせなかったんですか?」
三郎が質問を投げた。いちおう、警察沙汰を避けたかった旨は知っている。だが又聞きゆえに正確さに欠けた。不良がデパートに集まるという近況も、三郎らが直接見聞きしたものではない。もとをたどれば顔も知らない一般人のタレコミだ。飲食店を経営するジモンの母が、客からそういう話しをされたのを息子に伝え、その友人にも広まった程度には情報の鮮度が落ちていた。
警備員はシワの多い顔にさらにシワを寄せて「うーん」とうなる。
「相談はしてみたんだけどねえ、『実害がないから』と動いてくれなくってねえ」
「ほんとうに、害はなかったんですか?」
「店の物を壊したり他人様を傷つけたりはしてなかったみたいだからねえ……」
三郎は目が泳ぐ。
「もしかして、オレたちは余計なおせっかいをしたと?」
「いやいや、このコーナーにお客さんが寄りつかなくなってたのは本当だ。連中がこれに懲りてくれればいいんだがね」
老警備員は肩の荷が下りたようで、安堵の表情を見せた。そのおかげで「人のためになる行動をした」という三郎の自信は回復した。
拓馬とヤマダは彼らの会話を耳にしつつ、黙々と作業をこなす。このデパートの飲食コーナーは売店の数にくらべて広い。もともといろんな食べ物を提供する店があったのだが、あまり客の入りが良くないことから店舗数が減った。誰も使わないカウンターには白い板が貼られており、壁と同化している。座席が並ぶ区画と通路を区切るための敷居もあって、死角が多い場所だ。その立地条件が不良を長く居座らせる要因になったらしい。
二人は机と椅子を定位置にもどし終えた。ヤマダが「じゃ、帰ろう」と言い、被害のなかった方面へ歩く。そこに私物が置かれた椅子があった。彼女は椅子の上に丸まっていたコートを羽織る。ヤマダは防寒着を脱いだ状態で臨戦したのだ。コートに不似合いな野球帽似の帽子も、一種の戦闘服である。
不要になった帽子が頭と引き離される。中に収納してあった長い束ね髪が流れおちた。学校でもよく見かける、ポニーテールだ。その結い方は長い髪を帽子の中に隠しやすくて便利だと本人は主張する。
とはいえ学校では防寒着を必要とする時期以外、帽子を被る姿はめったに見ない。なんでも「荷物が増えるとめんどう」だそうだ。私服ではよくバンダナを頭巾代わりに覆ったりいろんな帽子を被ったりするので、オフの時に合わせた髪型が習慣になったようだ。
「この帽子、あんまり必要なかった」
「動いても外れにくいんだったか」
「わたしは動きやすさを重視したからね。タッちゃんみたいに着膨れしてても戦える自信がない」
指摘の通り、拓馬は防寒のジャケットを着たままだ。一方で三郎とジモンは「そんなものは邪魔になる」と寒さ対策なしで来ている。
「俺はお前らほどやる気マンマンで来ちゃいないんでな」
「うん、それでいいんだよ。いてくれるだけで安心」
他己肯定感のある発言はヤマダには珍しくない。と、わかっていも拓馬はちょっぴり照れた。その反応に気付いたのか不明だが、ヤマダは取った帽子を畳みながら「そうそう」と別の話に切り替える。
「お姉さんが食べたがってるパン、お店に残ってるか見てくるね。あったら家まで持ってく」
拓馬の姉は近場のパン専門店にある新商品を所望中だ。パン屋は商品を毎朝焼いており、前日のパンは品質管理の観点により売らないことにしているという。通常の店なら廃棄処分するところを、ヤマダの勤める喫茶店はそれらを回収する。売れ残りのパンを翌日のモーニングサービスの一環に提供するのだ。もちろん利用客は訳ありのパンだと承知のうえで食べる。それはちょっと遠慮したいと思う人でも、他の新鮮なモーニングメニューだけで腹を満たすこともできるという。いまのところ、そんな神経質な客は来店したことがないそうだが。
喫茶店で提供しきれなかった古いパンは客に出せず、従業員が引き取るか棄てるかするほかない。そうなってしまえばタダで食える、という意地汚い姉のもくろみにより、最近のヤマダはちょくちょくバイト先でパンの在庫を確認していた。拓馬はヤマダの勤勉さに呆れる。
「まーだ姉貴のワガママに付き合う気か? あんなの、とっとと自腹切って食えばいいと思わねーか」
拓馬は姉が冗談半分でヤマダに頼んだのを察している。一度依頼を達成しようと努力して、ダメだったらもうあきらめてよい程度のことなのだ。
「いいじゃない。宝探ししてるみたいで、わたしはイヤじゃないよ」
「お前がいいなら、なにしたっていいんだけどさ」
ヤマダはコンパクトになった帽子をコートのポケットに入れた。ポケットから出した手には別の種類の布地がある。こちらは防寒目的のニット帽だ。
「日が落ちてもわたしが来なかったら、今日はハズレっていうことで」
ヤマダが帰ると、老警備員に捕まっていた三郎たちも帰宅の意思表示を見せる。老警備員はこころよく拓馬たちに別れを告げた。
「警察には知らせなかったんですか?」
三郎が質問を投げた。いちおう、警察沙汰を避けたかった旨は知っている。だが又聞きゆえに正確さに欠けた。不良がデパートに集まるという近況も、三郎らが直接見聞きしたものではない。もとをたどれば顔も知らない一般人のタレコミだ。飲食店を経営するジモンの母が、客からそういう話しをされたのを息子に伝え、その友人にも広まった程度には情報の鮮度が落ちていた。
警備員はシワの多い顔にさらにシワを寄せて「うーん」とうなる。
「相談はしてみたんだけどねえ、『実害がないから』と動いてくれなくってねえ」
「ほんとうに、害はなかったんですか?」
「店の物を壊したり他人様を傷つけたりはしてなかったみたいだからねえ……」
三郎は目が泳ぐ。
「もしかして、オレたちは余計なおせっかいをしたと?」
「いやいや、このコーナーにお客さんが寄りつかなくなってたのは本当だ。連中がこれに懲りてくれればいいんだがね」
老警備員は肩の荷が下りたようで、安堵の表情を見せた。そのおかげで「人のためになる行動をした」という三郎の自信は回復した。
拓馬とヤマダは彼らの会話を耳にしつつ、黙々と作業をこなす。このデパートの飲食コーナーは売店の数にくらべて広い。もともといろんな食べ物を提供する店があったのだが、あまり客の入りが良くないことから店舗数が減った。誰も使わないカウンターには白い板が貼られており、壁と同化している。座席が並ぶ区画と通路を区切るための敷居もあって、死角が多い場所だ。その立地条件が不良を長く居座らせる要因になったらしい。
二人は机と椅子を定位置にもどし終えた。ヤマダが「じゃ、帰ろう」と言い、被害のなかった方面へ歩く。そこに私物が置かれた椅子があった。彼女は椅子の上に丸まっていたコートを羽織る。ヤマダは防寒着を脱いだ状態で臨戦したのだ。コートに不似合いな野球帽似の帽子も、一種の戦闘服である。
不要になった帽子が頭と引き離される。中に収納してあった長い束ね髪が流れおちた。学校でもよく見かける、ポニーテールだ。その結い方は長い髪を帽子の中に隠しやすくて便利だと本人は主張する。
とはいえ学校では防寒着を必要とする時期以外、帽子を被る姿はめったに見ない。なんでも「荷物が増えるとめんどう」だそうだ。私服ではよくバンダナを頭巾代わりに覆ったりいろんな帽子を被ったりするので、オフの時に合わせた髪型が習慣になったようだ。
「この帽子、あんまり必要なかった」
「動いても外れにくいんだったか」
「わたしは動きやすさを重視したからね。タッちゃんみたいに着膨れしてても戦える自信がない」
指摘の通り、拓馬は防寒のジャケットを着たままだ。一方で三郎とジモンは「そんなものは邪魔になる」と寒さ対策なしで来ている。
「俺はお前らほどやる気マンマンで来ちゃいないんでな」
「うん、それでいいんだよ。いてくれるだけで安心」
他己肯定感のある発言はヤマダには珍しくない。と、わかっていも拓馬はちょっぴり照れた。その反応に気付いたのか不明だが、ヤマダは取った帽子を畳みながら「そうそう」と別の話に切り替える。
「お姉さんが食べたがってるパン、お店に残ってるか見てくるね。あったら家まで持ってく」
拓馬の姉は近場のパン専門店にある新商品を所望中だ。パン屋は商品を毎朝焼いており、前日のパンは品質管理の観点により売らないことにしているという。通常の店なら廃棄処分するところを、ヤマダの勤める喫茶店はそれらを回収する。売れ残りのパンを翌日のモーニングサービスの一環に提供するのだ。もちろん利用客は訳ありのパンだと承知のうえで食べる。それはちょっと遠慮したいと思う人でも、他の新鮮なモーニングメニューだけで腹を満たすこともできるという。いまのところ、そんな神経質な客は来店したことがないそうだが。
喫茶店で提供しきれなかった古いパンは客に出せず、従業員が引き取るか棄てるかするほかない。そうなってしまえばタダで食える、という意地汚い姉のもくろみにより、最近のヤマダはちょくちょくバイト先でパンの在庫を確認していた。拓馬はヤマダの勤勉さに呆れる。
「まーだ姉貴のワガママに付き合う気か? あんなの、とっとと自腹切って食えばいいと思わねーか」
拓馬は姉が冗談半分でヤマダに頼んだのを察している。一度依頼を達成しようと努力して、ダメだったらもうあきらめてよい程度のことなのだ。
「いいじゃない。宝探ししてるみたいで、わたしはイヤじゃないよ」
「お前がいいなら、なにしたっていいんだけどさ」
ヤマダはコンパクトになった帽子をコートのポケットに入れた。ポケットから出した手には別の種類の布地がある。こちらは防寒目的のニット帽だ。
「日が落ちてもわたしが来なかったら、今日はハズレっていうことで」
ヤマダが帰ると、老警備員に捕まっていた三郎たちも帰宅の意思表示を見せる。老警備員はこころよく拓馬たちに別れを告げた。
タグ:拓馬
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2017年10月10日
拓馬篇前記ー拓馬2
三郎は刈り上げの不良に危害を加えた。身を守るため、という正当な理由はあったが、この状況において正論はなんの免罪符にもならない。なし崩しに乱闘へ発展した。
場所固定されていない机と椅子が、少年らの動きと連動する。左へ右へとずれていき、いびつな空きスペースが広がった。
さいわいにして無法地帯な空間は思った以上に小さくおさまった。三郎の攻撃を食らった不良は一発で伸びており、応戦できる不良は二人だけだ。
戦闘中の不良は片方が巨漢、片方が長身。身体的特徴がはっきりわかれている。二人とも多勢に無勢ながらも最初は余裕の笑みを浮かべていた。だがすぐに人数差以上の不利を感じたようだった。拳も蹴りも、三郎らは苦もなくいなしていく。相手がやわな一般人でないと察した不良は逃げ腰になった。
それもそのはず、三郎陣営は長く武芸に親しむ者ばかり。鍛錬もせずに遊興にふける者よりは幾分有利だ。ネックは紅一点のヤマダだけ。彼女は母親の教育方針により武道を正式に習えておらず、周囲の心得者がこっそり教えた範囲でしかうまく戦えない。なのに問題事に首をつっこみたがるという困った性格だ。そのため、彼女と古馴染みである拓馬はその保護を第一目的として同行した。むろん彼女が敵の標的に出ぬよう、拓馬は自身を盾にして立ち回る。だが実質的には拓馬もまた守られていた。
今回の件は三郎とその相方のジモンの腕自慢コンビが率先して取り組んでいる。拓馬とヤマダは彼らの補佐的役割を担う。それゆえ、拓馬たち二人は格闘技における審判のような動作をするだけで相手方の敗色が濃厚になってきた。あとは不良らが負けを認め、退散するきっかけを作れば目的は達成できる。だがそれがもっとも厄介だ。三郎らの呼びかけに素直に応える連中とは思えず、下手な交渉は火に油を注ぐことになりかねない。喧嘩の口火を切った原因が、三郎の問答にあったように。
(大人が止めにきてくれればなぁ)
警備員なり売り場の従業員なりが仲裁に入り、少年たちはすごすごと帰宅する。そんな脚本を拓馬は思い描いた。即興で筋書きの代行者になりうる人物を目で捜してみる。飲食コーナー担当の従業員はカウンターの奥へ引っ込んでいたり、警備員は所在不明であったり、通路にいる買い物客は遠巻きに見物していたりする。見込みのない大人ばかりだ。
(──そんなんだから、こいつらが好き勝手にできたんだろうな)
拓馬は脱力感に見舞われる。今度同じ状況を迎える時は知り合いの大人も同伴してもらうかと考え、事なかれ主義の人間をあてにしないと決めた。
意識を交戦の場へもどすと、その奥に異様な人影を発見する。ひときわ体格がすぐれる男性だ。背丈は二メートルあるのだろうか、とにかく高い。少年らの中ではジモンがいちばん筋骨隆々な体つきであるが、彼を優に超すいかめしさがある。重量級の格闘家のような人物は鍔つきの帽子を目深に被っている。帽子の鍔と顔のうつむき加減のせいで表情はよくわからない。ただ、その視線は喧嘩の真っ最中にある少年らには向かっておらず、一歩引いた位置に立つ拓馬に向けているようだった。
(なんで、俺を?)
普通は乱闘に注目するのではないか。その不可思議さが一抹の気味悪さに通じた。
男性は拓馬の疑惑のまなざしに勘付いたのか、ゆっくり顔を背けた。そうして床に転がりっぱなしの不良の背後へ回る。刈り上げの不良は三郎の打撃以外にも転倒時にあちこち負傷したようで、なかなか立ち上がれないでいた。その頭に男性の大きな手がぽんと乗る。二、三回かるくタッチすると、不良はむっくりと起き上がった。自身の体をあちこち触ってみて「痛くない?」と困惑した声をもらす。どういうわけだか、元気を取り戻したらしい。
戦闘不能だった者へ拓馬の意識が注がれる間に、ようやく老警備員が「もうやめなさーい!」と制止してくれた。劣勢の不良はこれを好機にし、遁走する。その際に「オダさんがいればこんなやつら……」と捨て台詞を吐いた。あくまでも好戦的態度は徹底するつもりらしい。
身動きがとれるようになった不良も仲間に続き、走り去る。彼は自身に触れた男性には見向きもしなかった。よほど慌てたのだろう、と拓馬は推測を一点思いついた。
当の男性はというと、すでに姿が見えなくなっていた。拓馬が復活した不良と老警備員に気を取られるうちに、どこかへ行ってしまったようだ。
(変な人だったな……)
戦いを止めるでもなく、無関心をよそおうわけでもなく、騒動の関係者に接触する。他に例を見ない野次馬だ。それが生身の人間であるなら、と拓馬の場合は但し書きが付くが。
拓馬はためしにヤマダに「変な男を見なかったか」とたずねた。前方に鍔のついた帽子を被る彼女は「見てない」と声をひそめる。ヤマダが声量を小さくするのは、これが内密な話だと判断したからだ。
「どんな姿だった?」
「体の大きな男の人だ。ま、ほっといて平気だろ」
拓馬は男性が不良に接したしぐさから温情を感じていた。危険な存在ではないと思い、気に留めないことにした。こんなことでいちいち不安がっていては身が持たないのだ。
「それよか、片付けをやるか」
「うん、お店に迷惑かけたもんね。もとに戻すくらいはやっとかなきゃ」
拓馬たちは老警備員と話しこむ三郎とジモンの脇で、机と椅子を並べなおす作業をはじめた。
場所固定されていない机と椅子が、少年らの動きと連動する。左へ右へとずれていき、いびつな空きスペースが広がった。
さいわいにして無法地帯な空間は思った以上に小さくおさまった。三郎の攻撃を食らった不良は一発で伸びており、応戦できる不良は二人だけだ。
戦闘中の不良は片方が巨漢、片方が長身。身体的特徴がはっきりわかれている。二人とも多勢に無勢ながらも最初は余裕の笑みを浮かべていた。だがすぐに人数差以上の不利を感じたようだった。拳も蹴りも、三郎らは苦もなくいなしていく。相手がやわな一般人でないと察した不良は逃げ腰になった。
それもそのはず、三郎陣営は長く武芸に親しむ者ばかり。鍛錬もせずに遊興にふける者よりは幾分有利だ。ネックは紅一点のヤマダだけ。彼女は母親の教育方針により武道を正式に習えておらず、周囲の心得者がこっそり教えた範囲でしかうまく戦えない。なのに問題事に首をつっこみたがるという困った性格だ。そのため、彼女と古馴染みである拓馬はその保護を第一目的として同行した。むろん彼女が敵の標的に出ぬよう、拓馬は自身を盾にして立ち回る。だが実質的には拓馬もまた守られていた。
今回の件は三郎とその相方のジモンの腕自慢コンビが率先して取り組んでいる。拓馬とヤマダは彼らの補佐的役割を担う。それゆえ、拓馬たち二人は格闘技における審判のような動作をするだけで相手方の敗色が濃厚になってきた。あとは不良らが負けを認め、退散するきっかけを作れば目的は達成できる。だがそれがもっとも厄介だ。三郎らの呼びかけに素直に応える連中とは思えず、下手な交渉は火に油を注ぐことになりかねない。喧嘩の口火を切った原因が、三郎の問答にあったように。
(大人が止めにきてくれればなぁ)
警備員なり売り場の従業員なりが仲裁に入り、少年たちはすごすごと帰宅する。そんな脚本を拓馬は思い描いた。即興で筋書きの代行者になりうる人物を目で捜してみる。飲食コーナー担当の従業員はカウンターの奥へ引っ込んでいたり、警備員は所在不明であったり、通路にいる買い物客は遠巻きに見物していたりする。見込みのない大人ばかりだ。
(──そんなんだから、こいつらが好き勝手にできたんだろうな)
拓馬は脱力感に見舞われる。今度同じ状況を迎える時は知り合いの大人も同伴してもらうかと考え、事なかれ主義の人間をあてにしないと決めた。
意識を交戦の場へもどすと、その奥に異様な人影を発見する。ひときわ体格がすぐれる男性だ。背丈は二メートルあるのだろうか、とにかく高い。少年らの中ではジモンがいちばん筋骨隆々な体つきであるが、彼を優に超すいかめしさがある。重量級の格闘家のような人物は鍔つきの帽子を目深に被っている。帽子の鍔と顔のうつむき加減のせいで表情はよくわからない。ただ、その視線は喧嘩の真っ最中にある少年らには向かっておらず、一歩引いた位置に立つ拓馬に向けているようだった。
(なんで、俺を?)
普通は乱闘に注目するのではないか。その不可思議さが一抹の気味悪さに通じた。
男性は拓馬の疑惑のまなざしに勘付いたのか、ゆっくり顔を背けた。そうして床に転がりっぱなしの不良の背後へ回る。刈り上げの不良は三郎の打撃以外にも転倒時にあちこち負傷したようで、なかなか立ち上がれないでいた。その頭に男性の大きな手がぽんと乗る。二、三回かるくタッチすると、不良はむっくりと起き上がった。自身の体をあちこち触ってみて「痛くない?」と困惑した声をもらす。どういうわけだか、元気を取り戻したらしい。
戦闘不能だった者へ拓馬の意識が注がれる間に、ようやく老警備員が「もうやめなさーい!」と制止してくれた。劣勢の不良はこれを好機にし、遁走する。その際に「オダさんがいればこんなやつら……」と捨て台詞を吐いた。あくまでも好戦的態度は徹底するつもりらしい。
身動きがとれるようになった不良も仲間に続き、走り去る。彼は自身に触れた男性には見向きもしなかった。よほど慌てたのだろう、と拓馬は推測を一点思いついた。
当の男性はというと、すでに姿が見えなくなっていた。拓馬が復活した不良と老警備員に気を取られるうちに、どこかへ行ってしまったようだ。
(変な人だったな……)
戦いを止めるでもなく、無関心をよそおうわけでもなく、騒動の関係者に接触する。他に例を見ない野次馬だ。それが生身の人間であるなら、と拓馬の場合は但し書きが付くが。
拓馬はためしにヤマダに「変な男を見なかったか」とたずねた。前方に鍔のついた帽子を被る彼女は「見てない」と声をひそめる。ヤマダが声量を小さくするのは、これが内密な話だと判断したからだ。
「どんな姿だった?」
「体の大きな男の人だ。ま、ほっといて平気だろ」
拓馬は男性が不良に接したしぐさから温情を感じていた。危険な存在ではないと思い、気に留めないことにした。こんなことでいちいち不安がっていては身が持たないのだ。
「それよか、片付けをやるか」
「うん、お店に迷惑かけたもんね。もとに戻すくらいはやっとかなきゃ」
拓馬たちは老警備員と話しこむ三郎とジモンの脇で、机と椅子を並べなおす作業をはじめた。
タグ:拓馬