新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
2017年10月21日
拓馬篇前記ー校長4
「二人部屋か……」
校長は総合病院の病室前にいた。壁にあるネームプレートは二つ。当たり前だがどちらも男性の名前だ。以前、八巻を訪ねた時は個室だった。今日も一対一で話せると思ってきたのだが、同室者がいるとなれば腹を割って話すことはためらわれた。
(なに、恥じることはない。うちの生徒は良い子なのだから)
仙谷たちは元気がよすぎるだけ。その手綱をうまく操ってほしいと八巻に頼む。その大筋に沿って会話を展開しよう、と校長はあらためて思った。
引き戸を軽くノックする。返事はないが入室した。学校を出発する際に、これから病院へ行くことは八巻に伝えてあった。
「あ、校長!」
久しい声が聞こえる。八巻は部屋の手前のベッドにいた。かつては赤色を混ぜた髪が真っ黒に変わっている。染髪は教師生徒ともに学校で禁止していないので彼の行ないに問題はない。大怪我をした間は髪染めをする気にならなかったのだろう。自身の負傷を「一生の不覚」と談じ、恥じ入っていた。
八巻は背もたれと化したリクライニングベッドに寄りかかっている。活力に満ちた顔つきは以前と比べものにならない。事故当時はこの世の終わりかとばかりに落ちこんでいた男だ。心身ともに立ちなおったようで、校長はほっとした。
「八巻くん、元気そうでよかった」
次に校長は八巻と同室になった者の様子をうかがおうとした。窓側のベッドは部屋中央の天井から吊るしたカーテンによってさえぎられている。人がいるのかよくわからない。
「隣りの人なら寝ていますよ。人がきたら話しかけてくるんで」
「へえ、気さくな人なのだね」
校長は備え付けの丸椅子に座った。ベッドのそばに車椅子があることに気付く。
「おや、歩けないのかな?」
「なるべく足に体重をかけないようにと注意を受けています。なにせ骨を支えていた物を抜きましたから」
「そうか……いつごろ復帰できそうかね? 四月からまたうちに来てほしいのだが」
「除去手術の入院は一週間で終わる予定です。じゅうぶん間に合いますよ」
自信満々の返答だ。校長は気を良くし、差し入れの紙袋を手渡す。中身は旬の苺のパックだ。
「ではいまのうちに英気を養っておいてくれ。次年度はきみにがんばってもらいたいことがあってね」
「はぁ、恋話以外ならなんでも」
八巻は仙谷と通じるものがあり、偉丈夫でいながら浮いた話に縁がない。彼の場合は職務上の出会いが少ないせいだった。学校職員の女性は男性と同程度いるが、異性の教員は仕事仲間、まして女子生徒を色目で見ることは言語道断だとする高潔な教師だ。彼の公私を分ける性格は好ましい長所だと校長は思っている。しかし、校長個人の観点ではおもしろみに欠けた。
「現一年生に、喧嘩っ早いと言っていいのか、とにかくやんちゃな子がいるのだよ。その指導と見守りをきみにお願いしたい」
「ケンカ、ですか。そんな素行の悪い生徒がいるとは……」
「ややこしいだろうが素行は良い子なんだ。外部のマナーの悪い子に注意をして、それから乱闘に発展する始末で」
「なるほど、うちの生徒は正しいことをしていると」
「根本的には逆ギレする子が悪い。かといってまた同じ争いごとを起こされても困る。どちらの子も怪我をしちゃ、後味が良くないだろう?」
「そういうことでしたら引き受けます。ですが心配事が──」
「なんだね?」
「体は治りましたが体力のほうは本調子じゃありません。元気な生徒たちに追いつける自信がまだないんです」
もっともな懸念だ。一年の半分をベッドの上ですごした人物が、急に全力疾走をこなせるはずはない。
「それは慌てなくていい。きみのペースで体力をもどしていってほしい」
「それまでその生徒たちが大人しくしているか……」
「反省文を書かせそびれたことだし、いつでも呼出しはできる。あやしい動きが見えたら牽制してみよう」
話しの目途が立ったところ、病室の戸がノックされる。入ってきたのは私服の若い女性だ。病院関係者ではなさそうな彼女は校長たちにお辞儀した。校長らもお辞儀をやり返し、女性は窓側のベッドへと行く。「リュウちゃん、ねてるの?」と親しげに同室者へ話しかける様子から、校長はその二人がカップルでないかと勘繰る。
「どういう御関係の人かね?」
校長はこっそり八巻に聞いた。八巻は伏し目がちに「話に聞いていた奥さんだと思います」と答える。
「いいですね、あの年でもう運命の人に巡りあえているとは」
「きみは男前なんだから、そのうち良い女性に出会えるとも」
八巻はふっと笑った。なんだか心当たりのありそうな反応である。
「お? この病院にいる間に、良い人を見つけたかね?」
「その、人かまぼろしかはわかりませんが、一人……」
校長は最初の目的とは異なる会話へのめりこんでいった。
校長は総合病院の病室前にいた。壁にあるネームプレートは二つ。当たり前だがどちらも男性の名前だ。以前、八巻を訪ねた時は個室だった。今日も一対一で話せると思ってきたのだが、同室者がいるとなれば腹を割って話すことはためらわれた。
(なに、恥じることはない。うちの生徒は良い子なのだから)
仙谷たちは元気がよすぎるだけ。その手綱をうまく操ってほしいと八巻に頼む。その大筋に沿って会話を展開しよう、と校長はあらためて思った。
引き戸を軽くノックする。返事はないが入室した。学校を出発する際に、これから病院へ行くことは八巻に伝えてあった。
「あ、校長!」
久しい声が聞こえる。八巻は部屋の手前のベッドにいた。かつては赤色を混ぜた髪が真っ黒に変わっている。染髪は教師生徒ともに学校で禁止していないので彼の行ないに問題はない。大怪我をした間は髪染めをする気にならなかったのだろう。自身の負傷を「一生の不覚」と談じ、恥じ入っていた。
八巻は背もたれと化したリクライニングベッドに寄りかかっている。活力に満ちた顔つきは以前と比べものにならない。事故当時はこの世の終わりかとばかりに落ちこんでいた男だ。心身ともに立ちなおったようで、校長はほっとした。
「八巻くん、元気そうでよかった」
次に校長は八巻と同室になった者の様子をうかがおうとした。窓側のベッドは部屋中央の天井から吊るしたカーテンによってさえぎられている。人がいるのかよくわからない。
「隣りの人なら寝ていますよ。人がきたら話しかけてくるんで」
「へえ、気さくな人なのだね」
校長は備え付けの丸椅子に座った。ベッドのそばに車椅子があることに気付く。
「おや、歩けないのかな?」
「なるべく足に体重をかけないようにと注意を受けています。なにせ骨を支えていた物を抜きましたから」
「そうか……いつごろ復帰できそうかね? 四月からまたうちに来てほしいのだが」
「除去手術の入院は一週間で終わる予定です。じゅうぶん間に合いますよ」
自信満々の返答だ。校長は気を良くし、差し入れの紙袋を手渡す。中身は旬の苺のパックだ。
「ではいまのうちに英気を養っておいてくれ。次年度はきみにがんばってもらいたいことがあってね」
「はぁ、恋話以外ならなんでも」
八巻は仙谷と通じるものがあり、偉丈夫でいながら浮いた話に縁がない。彼の場合は職務上の出会いが少ないせいだった。学校職員の女性は男性と同程度いるが、異性の教員は仕事仲間、まして女子生徒を色目で見ることは言語道断だとする高潔な教師だ。彼の公私を分ける性格は好ましい長所だと校長は思っている。しかし、校長個人の観点ではおもしろみに欠けた。
「現一年生に、喧嘩っ早いと言っていいのか、とにかくやんちゃな子がいるのだよ。その指導と見守りをきみにお願いしたい」
「ケンカ、ですか。そんな素行の悪い生徒がいるとは……」
「ややこしいだろうが素行は良い子なんだ。外部のマナーの悪い子に注意をして、それから乱闘に発展する始末で」
「なるほど、うちの生徒は正しいことをしていると」
「根本的には逆ギレする子が悪い。かといってまた同じ争いごとを起こされても困る。どちらの子も怪我をしちゃ、後味が良くないだろう?」
「そういうことでしたら引き受けます。ですが心配事が──」
「なんだね?」
「体は治りましたが体力のほうは本調子じゃありません。元気な生徒たちに追いつける自信がまだないんです」
もっともな懸念だ。一年の半分をベッドの上ですごした人物が、急に全力疾走をこなせるはずはない。
「それは慌てなくていい。きみのペースで体力をもどしていってほしい」
「それまでその生徒たちが大人しくしているか……」
「反省文を書かせそびれたことだし、いつでも呼出しはできる。あやしい動きが見えたら牽制してみよう」
話しの目途が立ったところ、病室の戸がノックされる。入ってきたのは私服の若い女性だ。病院関係者ではなさそうな彼女は校長たちにお辞儀した。校長らもお辞儀をやり返し、女性は窓側のベッドへと行く。「リュウちゃん、ねてるの?」と親しげに同室者へ話しかける様子から、校長はその二人がカップルでないかと勘繰る。
「どういう御関係の人かね?」
校長はこっそり八巻に聞いた。八巻は伏し目がちに「話に聞いていた奥さんだと思います」と答える。
「いいですね、あの年でもう運命の人に巡りあえているとは」
「きみは男前なんだから、そのうち良い女性に出会えるとも」
八巻はふっと笑った。なんだか心当たりのありそうな反応である。
「お? この病院にいる間に、良い人を見つけたかね?」
「その、人かまぼろしかはわかりませんが、一人……」
校長は最初の目的とは異なる会話へのめりこんでいった。
タグ:羽田校長
【このカテゴリーの最新記事】
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
-
no image
2017年10月20日
拓馬篇前記ー校長3
校長室に一年生の担任が二人招集された。一人は仙谷を受け持つ男性教師。彼は功刀(くぬぎ)といい、普段は物腰柔らかな性分だった。今は男性らしい剛健さをまとっている。もう一人は久間という女性教師。彼女は仙谷以外の三人を受け持つ。気立てが優しい常識人だ。
教師らはソファに座り、テーブルをはさんだ真向いに校長が座る。
「お二方に集まってもらったのはほかでもない、仙谷くんたちのことなんだがね」
功刀が「はい」と神妙に答える。
「事情は聞いています。他校の生徒とのトラブルがあった、と」
「そうなのだよ。他校の者が迷惑行為を長期にわたってし続け、それを仙谷くんたちがやめさせようとした」
「非は全面的に他校の生徒にあります。このことで仙谷たちを責めるのは気が進みません」
久間が「同意見です」と賛同した。校長も「気持ちはわかる」と二人の心を汲む。
「彼らが善良な心根を持つがゆえの行動だ。それはいい。だが乱暴な行為を認めるわけにはいかない」
校長が糾弾することは危険な行為、その一点。教師らは異を唱えない。
「今回は怪我人がいなかったようだが、次はどうかわからん。いずれまた同じ騒動が起きて、取り返しのつかない事態になってからでは遅い」
「再発を防ぐ方法は、あるんでしょうか?」
功刀がそう言ったきり、三人は黙った。主原因が外部にあるかぎり内部努力は効果的でない。校長は苦々しい声で「難しいね」とつぶやく。
「仙谷くんの熱意をおさえればいいんだろうが、それでは彼の良さを潰すことになる」
二人の担任はうなずいた。学校における仙谷は優等生そのもの。行事には率先して加わり、他者のいさかいを見れば仲を取り持ち、彼がいることで円滑に事が運んだことは多々ある。それらの動機は「皆の役に立ちたい」との思いから生まれる。その長所が不良退治にも活かされただけなのだ。
「他校の生徒の素行を正すのは、もっと難しい」
黙っていた久間が「そうですね」と同調する。
「仮に他校の先生がたへ、問題行為のある生徒の指導をお願いしても……『それができればとっくにやってる』と言われそうです」
「子どもたちの行動を変えさせるのは現実的でない、ということかな」
「はい。できるとしたら、この才穎の教員がうちの生徒を見守るくらいでしょうか」
「放課後や休日も?」
「毎日は厳しいですね。でも、事件が起きそうな時期を察知できるかも」
「ほう、どうやって?」
「校長先生の情報網を使って」
校長は盲点を突かれた。たしかに校長には生徒たちの近況を知らせる仲間がいる。しかし不良がたむろする場所を特定することは、その近辺に仲間を派遣することにつながる。仲間も危険にさらすはめになる。それでは元も子もない。仲間の中には現役の生徒もいる。
「少しリスクがあるな。私が雇う情報屋を危険な場所へやることはできない」
「できる範囲でいいんです。その情報屋さんがどんな人なのか知りませんが、主婦の噂話を拾うくらいでも」
「それはわかった、善処しよう。でも『どこそこに不良が出没する』と知ったとして、だれが対処するのだね?」
久間は返答に窮した。非力な彼女が不良をどうこうする技術を持つはずはなく、功刀も屈強とは言えない。
「……八巻先生はいかがです?」
功刀が提案したのは武芸の心得のある若い男性教師だ。体格もよく、彼なら荒っぽいことにも対応できるだろう。性格は仙谷に通じる部分があり、仙谷たちとの意思疎通の面でも不足はない。ただ現在の八巻は休職中だ。彼は半年前に交通事故に遭い、生死の境をさまよう重体を経ている。医者に言わせれば「生きていることが奇跡」という状態から復活を遂げた人だ。
「八巻先生は……いまどんな状態だろうか? 骨折は治ったそうだが」
「体に入れたボルトやプレートの除去をしに入院しているそうです」
「ふうむ、新学期から復帰できると考えてよいのかね?」
「そのように聞いています。ですが一度お会いになってはどうでしょう」
「そうだな、見舞いもかねて行ってみよう。彼に仙谷くんたちの監督を任せてもよいか、私が交渉する」
方針が一つ決まった。外はまだ明るい。校長はさっそく会いに行くことにし、その支度を整えはじめた。
教師らはソファに座り、テーブルをはさんだ真向いに校長が座る。
「お二方に集まってもらったのはほかでもない、仙谷くんたちのことなんだがね」
功刀が「はい」と神妙に答える。
「事情は聞いています。他校の生徒とのトラブルがあった、と」
「そうなのだよ。他校の者が迷惑行為を長期にわたってし続け、それを仙谷くんたちがやめさせようとした」
「非は全面的に他校の生徒にあります。このことで仙谷たちを責めるのは気が進みません」
久間が「同意見です」と賛同した。校長も「気持ちはわかる」と二人の心を汲む。
「彼らが善良な心根を持つがゆえの行動だ。それはいい。だが乱暴な行為を認めるわけにはいかない」
校長が糾弾することは危険な行為、その一点。教師らは異を唱えない。
「今回は怪我人がいなかったようだが、次はどうかわからん。いずれまた同じ騒動が起きて、取り返しのつかない事態になってからでは遅い」
「再発を防ぐ方法は、あるんでしょうか?」
功刀がそう言ったきり、三人は黙った。主原因が外部にあるかぎり内部努力は効果的でない。校長は苦々しい声で「難しいね」とつぶやく。
「仙谷くんの熱意をおさえればいいんだろうが、それでは彼の良さを潰すことになる」
二人の担任はうなずいた。学校における仙谷は優等生そのもの。行事には率先して加わり、他者のいさかいを見れば仲を取り持ち、彼がいることで円滑に事が運んだことは多々ある。それらの動機は「皆の役に立ちたい」との思いから生まれる。その長所が不良退治にも活かされただけなのだ。
「他校の生徒の素行を正すのは、もっと難しい」
黙っていた久間が「そうですね」と同調する。
「仮に他校の先生がたへ、問題行為のある生徒の指導をお願いしても……『それができればとっくにやってる』と言われそうです」
「子どもたちの行動を変えさせるのは現実的でない、ということかな」
「はい。できるとしたら、この才穎の教員がうちの生徒を見守るくらいでしょうか」
「放課後や休日も?」
「毎日は厳しいですね。でも、事件が起きそうな時期を察知できるかも」
「ほう、どうやって?」
「校長先生の情報網を使って」
校長は盲点を突かれた。たしかに校長には生徒たちの近況を知らせる仲間がいる。しかし不良がたむろする場所を特定することは、その近辺に仲間を派遣することにつながる。仲間も危険にさらすはめになる。それでは元も子もない。仲間の中には現役の生徒もいる。
「少しリスクがあるな。私が雇う情報屋を危険な場所へやることはできない」
「できる範囲でいいんです。その情報屋さんがどんな人なのか知りませんが、主婦の噂話を拾うくらいでも」
「それはわかった、善処しよう。でも『どこそこに不良が出没する』と知ったとして、だれが対処するのだね?」
久間は返答に窮した。非力な彼女が不良をどうこうする技術を持つはずはなく、功刀も屈強とは言えない。
「……八巻先生はいかがです?」
功刀が提案したのは武芸の心得のある若い男性教師だ。体格もよく、彼なら荒っぽいことにも対応できるだろう。性格は仙谷に通じる部分があり、仙谷たちとの意思疎通の面でも不足はない。ただ現在の八巻は休職中だ。彼は半年前に交通事故に遭い、生死の境をさまよう重体を経ている。医者に言わせれば「生きていることが奇跡」という状態から復活を遂げた人だ。
「八巻先生は……いまどんな状態だろうか? 骨折は治ったそうだが」
「体に入れたボルトやプレートの除去をしに入院しているそうです」
「ふうむ、新学期から復帰できると考えてよいのかね?」
「そのように聞いています。ですが一度お会いになってはどうでしょう」
「そうだな、見舞いもかねて行ってみよう。彼に仙谷くんたちの監督を任せてもよいか、私が交渉する」
方針が一つ決まった。外はまだ明るい。校長はさっそく会いに行くことにし、その支度を整えはじめた。
タグ:羽田校長