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2017年10月25日
拓馬篇前記−実澄4
実澄たちのテーブルにようやく飲食物が届いた。さすがに応対する店員は嫌疑をかけてきた少女とは別の人だったが、どこかよそよそしい。やはり一悶着あったために場の雰囲気を悪くしたのだろう。実澄はこの店で長居できそうにないと感じた。
(頼んだものを食べたら、もう出たほうがいいかも……)
誰が悪いとは明確に言えない一件だったものの、当分この喫茶店は出入りしないでおくのが無難そうだ。
実澄の憂慮をよそに、隣りのレイコはフライドポテトをもくもく食べる。この子は口に物が入っていると喋らなくなるようだ。帽子を被った青年が自分から話すことは無いので、実澄が黙っていると皆が言葉を発さないままになる。この状況は実澄にとって居心地が良くない。誰からも歓迎されない中年という図式がありありと浮き上がる。
黙す青年は飲み食いの姿勢を見せなかった。彼が暇そうにするのをいいことに、実澄は手ごろな疑問を投げかける。
「そういえば、どうしてあの店員さんが銀くんを怪しんでるとわかったの?」
入店時に店員がビビる様子こそあったが、よからぬ推測をぶつくさ言った覚えは実澄にない。しかし青年は「聞こえた」と事もなげに言う。
「厨房に隠れれば客に聞こえないと思ったのだろうが──」
「そんなに耳がいいの? ほかのお客さんだってしゃべってるのに」
「やろうと意識すれば特定の音を抽出できる」
「じゃあなに、店員さんの陰口を聞いたから文句を言いにいったの?」
「陰口で終わるなら放っておける。電話をかけそうだったから止めさせた」
「警察に電話を?」
「おそらく違う。友人に確認しようとしたのだろうが、そこからどう状況が変わるか予測できなかった」
「電話相手の人が警察に連絡するかも、て感じに?」
「その通り。ミスミは理解が早いな」
前触れなく褒められた実澄は少々照れた。するとレイコが首をかしげて「ケーサツ?」と会話に加わる。
「あたしたち、わるいことしたの?」
「してないのよ。悪い事をしてる人じゃないかと勘違いされたの」
「だからさっきのおねえちゃん、へんなこと聞いてきたんだね」
実澄は店員の質問内容が気になった。だが蒸し返すメリットはないと判断して話題を変える。
「それにしても銀くんの聴力はすごいのね。そんなラジオの選局みたいなこと、普通はできない」
「そうか。私は訓練を積んだから、やれている」
「なんのための訓練?」
「戦闘」
青年の体躯を見れば武芸家は妥当なところだ。だが一般的な武術において、そのような研ぎ澄まされた聴力が必要になるだろうか。実澄は武道に詳しくないながらも不思議に思う。
「普通の戦いじゃ、そこまで耳の良さは求められないと思うんだけど……」
「私の師匠は普通じゃなかった。それだけのことだ」
「曲芸じみたことを教える人なの?」
「……そう捉えてもいい」
「ほかにどんなことを教えてもらった?」
「武術という武術はだいたい……」
「それは自分から師事したの? それとも周りがそうしろって?」
「両方だ。私の大切な方が『学べ』と命じて、私は教えを乞いに放浪した」
「戦う方法を身に着けるためだけに?」
「戦闘技術以外にも学んだ。読み書きのほかに算術、薬学、医術──」
実澄は青年が思った以上に英才教育を受けているように感じ、「そんなに?」と驚嘆した。青年は「大したことじゃない」と謙遜する。
「義務教育で習う、算数や理科と似たようなものだ。専門家の域には及ばない」
「でも、お薬の知識なんて習わないわ。銀くんは病人や怪我人を治療できるの?」
「必要にせまられれば、やる。他人に任せられるならやりたくはない。疲れる」
「疲れる」という言葉に実澄は引っ掛かった。レイコをずっと抱えていても疲労を感じなさそうな彼に、不似合いなセリフだと思う。
「うーん、その疲れは体力的な疲れとはちがうもの?」
「気疲れに近い」
「まあそうよね、他人の体を診るってことは簡単じゃないもの」
「それと私は今でこそ力加減ができるが、昔はちがった」
青年が自身の手のひらを見つめる。
「私は、物心ついた時から馬鹿力だった。この手は簡単に人を殺せてしまう」
彼の体格ならば誇張表現ではなさそうだ。実澄は青年の告白を静かに受け止めた。
「人と触れる時はいつも『死』を感じる。私の気の迷いで、失うはずでなかった命を奪うのではないかと、不安になる」
「不安を感じながら人と接するから疲れる、ということ?」
「そうだ。杞憂だと思われればそれまでだが」
実澄は彼の心境を取り越し苦労だとは思えなかった。彼は熊を素手で倒せそうな青年である。身体的には熊が彼の下位にあたると仮定して、熊が人間と接する場面を見たらどう感じるか。いつ人間が傷を負うかヒヤヒヤするだろうことは想像に難くない。そしてそのヒヤリとする実体験は実澄にもある。
「んー、わたしは見ての通りのヘナチョコだから……筋肉ムキムキな人の心配はよくわからない。でもね、『ヘタに触れると壊れそう』だと思ったものはあるの」
実澄はプリンをつつくレイコに視線を落とす。
「生まれたばかりの子どもは首が据わってなくて、抱っこすると頭がグラグラするの。銀くんは知ってる?」
「……知識としては、知っている」
「皮膚が薄くて、なんでもないことで血がにじんじゃったりしてね。肌を掻いても傷つかないようにちっちゃな手袋をさせて……気をつけることはたくさんあった。そういう心配と似てるのかしら?」
「……わからない。そんな高尚なことと同じにしてはいけない気がする」
「高尚? 子どもを育てることが?」
実澄は若い男性には稀な考えだと感じた。ただ、それを口に出せば失礼な偏見に当たるかと思い、確認の言葉だけにとどめる。青年は「表現がおかしいだろうか?」と聞き返した。実澄は青年に笑いかける。
「そんなことない! 育ててくれた親がいるから、こうしてわたしたちが会えてるんだもの。すばらしいことよ」
「そう、か……」
青年は窓の外を見つめた。雪がまだ降っている。実澄は内心、この降雪を口実にしておけば店にいられそうだと思った。
(銀くんは無口そうに見えてもけっこう喋ってくれるし……夕方のチャイムまでここにいる?)
実澄は店員との悶着後の鬱々した気分がどこかへ行ってしまい、次なる青年への質問をひねり出そうとした。
(頼んだものを食べたら、もう出たほうがいいかも……)
誰が悪いとは明確に言えない一件だったものの、当分この喫茶店は出入りしないでおくのが無難そうだ。
実澄の憂慮をよそに、隣りのレイコはフライドポテトをもくもく食べる。この子は口に物が入っていると喋らなくなるようだ。帽子を被った青年が自分から話すことは無いので、実澄が黙っていると皆が言葉を発さないままになる。この状況は実澄にとって居心地が良くない。誰からも歓迎されない中年という図式がありありと浮き上がる。
黙す青年は飲み食いの姿勢を見せなかった。彼が暇そうにするのをいいことに、実澄は手ごろな疑問を投げかける。
「そういえば、どうしてあの店員さんが銀くんを怪しんでるとわかったの?」
入店時に店員がビビる様子こそあったが、よからぬ推測をぶつくさ言った覚えは実澄にない。しかし青年は「聞こえた」と事もなげに言う。
「厨房に隠れれば客に聞こえないと思ったのだろうが──」
「そんなに耳がいいの? ほかのお客さんだってしゃべってるのに」
「やろうと意識すれば特定の音を抽出できる」
「じゃあなに、店員さんの陰口を聞いたから文句を言いにいったの?」
「陰口で終わるなら放っておける。電話をかけそうだったから止めさせた」
「警察に電話を?」
「おそらく違う。友人に確認しようとしたのだろうが、そこからどう状況が変わるか予測できなかった」
「電話相手の人が警察に連絡するかも、て感じに?」
「その通り。ミスミは理解が早いな」
前触れなく褒められた実澄は少々照れた。するとレイコが首をかしげて「ケーサツ?」と会話に加わる。
「あたしたち、わるいことしたの?」
「してないのよ。悪い事をしてる人じゃないかと勘違いされたの」
「だからさっきのおねえちゃん、へんなこと聞いてきたんだね」
実澄は店員の質問内容が気になった。だが蒸し返すメリットはないと判断して話題を変える。
「それにしても銀くんの聴力はすごいのね。そんなラジオの選局みたいなこと、普通はできない」
「そうか。私は訓練を積んだから、やれている」
「なんのための訓練?」
「戦闘」
青年の体躯を見れば武芸家は妥当なところだ。だが一般的な武術において、そのような研ぎ澄まされた聴力が必要になるだろうか。実澄は武道に詳しくないながらも不思議に思う。
「普通の戦いじゃ、そこまで耳の良さは求められないと思うんだけど……」
「私の師匠は普通じゃなかった。それだけのことだ」
「曲芸じみたことを教える人なの?」
「……そう捉えてもいい」
「ほかにどんなことを教えてもらった?」
「武術という武術はだいたい……」
「それは自分から師事したの? それとも周りがそうしろって?」
「両方だ。私の大切な方が『学べ』と命じて、私は教えを乞いに放浪した」
「戦う方法を身に着けるためだけに?」
「戦闘技術以外にも学んだ。読み書きのほかに算術、薬学、医術──」
実澄は青年が思った以上に英才教育を受けているように感じ、「そんなに?」と驚嘆した。青年は「大したことじゃない」と謙遜する。
「義務教育で習う、算数や理科と似たようなものだ。専門家の域には及ばない」
「でも、お薬の知識なんて習わないわ。銀くんは病人や怪我人を治療できるの?」
「必要にせまられれば、やる。他人に任せられるならやりたくはない。疲れる」
「疲れる」という言葉に実澄は引っ掛かった。レイコをずっと抱えていても疲労を感じなさそうな彼に、不似合いなセリフだと思う。
「うーん、その疲れは体力的な疲れとはちがうもの?」
「気疲れに近い」
「まあそうよね、他人の体を診るってことは簡単じゃないもの」
「それと私は今でこそ力加減ができるが、昔はちがった」
青年が自身の手のひらを見つめる。
「私は、物心ついた時から馬鹿力だった。この手は簡単に人を殺せてしまう」
彼の体格ならば誇張表現ではなさそうだ。実澄は青年の告白を静かに受け止めた。
「人と触れる時はいつも『死』を感じる。私の気の迷いで、失うはずでなかった命を奪うのではないかと、不安になる」
「不安を感じながら人と接するから疲れる、ということ?」
「そうだ。杞憂だと思われればそれまでだが」
実澄は彼の心境を取り越し苦労だとは思えなかった。彼は熊を素手で倒せそうな青年である。身体的には熊が彼の下位にあたると仮定して、熊が人間と接する場面を見たらどう感じるか。いつ人間が傷を負うかヒヤヒヤするだろうことは想像に難くない。そしてそのヒヤリとする実体験は実澄にもある。
「んー、わたしは見ての通りのヘナチョコだから……筋肉ムキムキな人の心配はよくわからない。でもね、『ヘタに触れると壊れそう』だと思ったものはあるの」
実澄はプリンをつつくレイコに視線を落とす。
「生まれたばかりの子どもは首が据わってなくて、抱っこすると頭がグラグラするの。銀くんは知ってる?」
「……知識としては、知っている」
「皮膚が薄くて、なんでもないことで血がにじんじゃったりしてね。肌を掻いても傷つかないようにちっちゃな手袋をさせて……気をつけることはたくさんあった。そういう心配と似てるのかしら?」
「……わからない。そんな高尚なことと同じにしてはいけない気がする」
「高尚? 子どもを育てることが?」
実澄は若い男性には稀な考えだと感じた。ただ、それを口に出せば失礼な偏見に当たるかと思い、確認の言葉だけにとどめる。青年は「表現がおかしいだろうか?」と聞き返した。実澄は青年に笑いかける。
「そんなことない! 育ててくれた親がいるから、こうしてわたしたちが会えてるんだもの。すばらしいことよ」
「そう、か……」
青年は窓の外を見つめた。雪がまだ降っている。実澄は内心、この降雪を口実にしておけば店にいられそうだと思った。
(銀くんは無口そうに見えてもけっこう喋ってくれるし……夕方のチャイムまでここにいる?)
実澄は店員との悶着後の鬱々した気分がどこかへ行ってしまい、次なる青年への質問をひねり出そうとした。
タグ:実澄
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2017年10月24日
拓馬篇前記ー実澄3
実澄とレイコはそれぞれ注文するものを決めた。実澄が店員を呼ぼうとするとレイコが「おにいちゃんのぶんは?」とさえぎった。
「追加で注文できるから、それで選んでもらいましょ」
「うん……」
あまり乗り気でないようだ。実澄は彼女の思いに沿う案を考える。
「じゃ、銀くんも食べそうなものをたのむ? フライドポテトだったらみんなでつまめるし」
「うん、ポテト、好き!」
どうやらレイコは食べたいものを遠慮していたらしい。ポテト一皿は子どもが食べきれる量ではなさそうなので、だれかと共有したいと考えるのはもっともだと実澄は思った。
「ねえ、おにいちゃんはずっとあそこにいるね」
直近の青年の居所はレジにあった。実澄がそちらを見ると大柄の男性が今なおそこにいる。実澄たちを席へ案内した少女店員もいた。
「店員さんとうまく話せないのかしら。ちょっと行ってくる」
実澄はレイコに「ここで待っててね」と指示し、テーブルを離れた。青年に近づくと彼が振りむく。
「ミスミ、証人になってほしい」
「え、証人?」
「この店員は私を犯罪者だと疑っている」
実澄は「え!」と思わず声をあげ、あわてて口をふさいだ。周囲の客にこのことを知られては大変だ。小声で店員に「ほんとうですか?」と尋ねる。店員はうつむいて答えない。実澄は相手が自分の子と同年代なこともあり、できるだけ穏便に話す。
「あの、どうして、彼をそう思ったんです? 見た目はすこし怖いでしょうけれど、それだけで犯罪者だなんて──」
「……あの女の子、靴を履いてなかったから」
店員がバツのわるそうに答える。
「上着もちゃんと着てないし、家にいたのを攫ってきたんじゃないかと思って」
言われてみればそういう解釈もできる、と実澄は妙に得心がいった。だが真相はちがう。青年は転落事故を起こした少女を救ったのだ。おまけに店員の指摘には矛盾点もある。
「人攫いが喫茶店でのんびりすると思います? それも攫った子どもと一緒に」
「それは、犯罪者になってみなきゃわからないけど……」
誤解を撤回するつもりのない返答だ。実澄はカチンとくる。
「そんなに疑うんなら女の子に直接聞いてみればいいでしょう。しっかり受け答えできる子です。あなたが話を聞きおわるまで、わたしたちはあの子から離れています」
実澄は「さあ、どうぞ」とレイコのいる席へ手を伸ばした。店員はちらっと実澄の顔をうかがう。店員の表情は怯えているよう。実澄は彼女に憐れみの情を抱いたが、ここで引いては青年の名誉に関わると思い、決然とした態度を保った。
店員がレジを離れる。実澄は店員がレイコに話しかけたのを見届け、災難に遭った青年を見上げた。彼は最初に出会った時の仏頂面のままだ。他人である実澄が立腹を覚えたのだから、当人がなにも感じないとは思いにくい。言いがかりをつけられたことに対し、怒りを表に出さないように努めているのかもしれない。
「いやな思いをさせてしまって、ごめんなさい。ほかの店がよかったわね」
「気にしていない。おかげで興味深い話が聞けた」
想定外に前向きな発言が出てきた。実澄はこの青年の度量の広さにおどろく。
「え、あ、そうなの……で、興味深い話って?」
「あの店員はレイコの格好以外にも、私を疑う要素を言っていた。最近、子どもが襲われる事件が隣県で頻発したそうだ」
「事件を起こした人とあなたが似てるの?」
「犯人は特定できていない。被害に遭った子が日中に、背の高い色黒の外国人と接触していた、とかなんとか」
「そーんなあやふやな情報で? そういう外国人はいっぱいいるじゃないの。しかも他の県で起きたことなんでしょう」
「現在その土地では被害がやんだ。犯人が別の地方へ移った影響だともいう」
「その犯人が、あなただって?」
「そうだ」
青年が不敵に笑んだ。その笑みは店員の予想を、馬鹿げた空想として一笑に付すようにも、見事に的中した慧眼の持ち主として褒めているようにも見える。実澄には後者の線が強く感じられた。だが自身の直感を否定する。
「それが事実なら、わざわざ高い所から落っこちてくる子を狙う?」
「さあ、どうだろうな」
またしても本気か冗談なのか定かにならない態度だ。実澄はこの青年におちょくられていると思いはじめた。
(この状況なのに、ずいぶん余裕があるのね!)
一歩まちがえれば通報されかねない。身の潔白を完全主張すべき場において、彼の反応は不謹慎きわまる。実澄がわが子をしつけるような心構えをした時、青年は「すまない」と言った。得体の知れない笑みが消えている。
「貴女が私の無実を信じようとする姿を見ていると、なんだかうれしくなって、つい意地悪なことをしてしまった」
謝罪を受けた実澄は青年を咎める意欲がすっかりしぼんだ。そしてふつふつと笑いがこみあげる。
「ふっふふ……意外と寂しがり屋なのね。立派な大人かと思ったら……誰かにかまってほしくてイタズラする子どもといっしょ」
実澄は感情の起伏のとぼしい青年が急に不器用な少年に思えた。その認識の変化は実澄にとって意味のあるものだ。
そこへ少女店員が小走りでやってくる。彼女はレイコから聞き出した言葉を連ね、平謝りした。実澄は赤ら顔の店員をなだめる。
「もう気に病まないでくださいね。まちがいは誰にでもあることですから……」
実澄たちは退屈そうに待つレイコのもとへもどった。
「追加で注文できるから、それで選んでもらいましょ」
「うん……」
あまり乗り気でないようだ。実澄は彼女の思いに沿う案を考える。
「じゃ、銀くんも食べそうなものをたのむ? フライドポテトだったらみんなでつまめるし」
「うん、ポテト、好き!」
どうやらレイコは食べたいものを遠慮していたらしい。ポテト一皿は子どもが食べきれる量ではなさそうなので、だれかと共有したいと考えるのはもっともだと実澄は思った。
「ねえ、おにいちゃんはずっとあそこにいるね」
直近の青年の居所はレジにあった。実澄がそちらを見ると大柄の男性が今なおそこにいる。実澄たちを席へ案内した少女店員もいた。
「店員さんとうまく話せないのかしら。ちょっと行ってくる」
実澄はレイコに「ここで待っててね」と指示し、テーブルを離れた。青年に近づくと彼が振りむく。
「ミスミ、証人になってほしい」
「え、証人?」
「この店員は私を犯罪者だと疑っている」
実澄は「え!」と思わず声をあげ、あわてて口をふさいだ。周囲の客にこのことを知られては大変だ。小声で店員に「ほんとうですか?」と尋ねる。店員はうつむいて答えない。実澄は相手が自分の子と同年代なこともあり、できるだけ穏便に話す。
「あの、どうして、彼をそう思ったんです? 見た目はすこし怖いでしょうけれど、それだけで犯罪者だなんて──」
「……あの女の子、靴を履いてなかったから」
店員がバツのわるそうに答える。
「上着もちゃんと着てないし、家にいたのを攫ってきたんじゃないかと思って」
言われてみればそういう解釈もできる、と実澄は妙に得心がいった。だが真相はちがう。青年は転落事故を起こした少女を救ったのだ。おまけに店員の指摘には矛盾点もある。
「人攫いが喫茶店でのんびりすると思います? それも攫った子どもと一緒に」
「それは、犯罪者になってみなきゃわからないけど……」
誤解を撤回するつもりのない返答だ。実澄はカチンとくる。
「そんなに疑うんなら女の子に直接聞いてみればいいでしょう。しっかり受け答えできる子です。あなたが話を聞きおわるまで、わたしたちはあの子から離れています」
実澄は「さあ、どうぞ」とレイコのいる席へ手を伸ばした。店員はちらっと実澄の顔をうかがう。店員の表情は怯えているよう。実澄は彼女に憐れみの情を抱いたが、ここで引いては青年の名誉に関わると思い、決然とした態度を保った。
店員がレジを離れる。実澄は店員がレイコに話しかけたのを見届け、災難に遭った青年を見上げた。彼は最初に出会った時の仏頂面のままだ。他人である実澄が立腹を覚えたのだから、当人がなにも感じないとは思いにくい。言いがかりをつけられたことに対し、怒りを表に出さないように努めているのかもしれない。
「いやな思いをさせてしまって、ごめんなさい。ほかの店がよかったわね」
「気にしていない。おかげで興味深い話が聞けた」
想定外に前向きな発言が出てきた。実澄はこの青年の度量の広さにおどろく。
「え、あ、そうなの……で、興味深い話って?」
「あの店員はレイコの格好以外にも、私を疑う要素を言っていた。最近、子どもが襲われる事件が隣県で頻発したそうだ」
「事件を起こした人とあなたが似てるの?」
「犯人は特定できていない。被害に遭った子が日中に、背の高い色黒の外国人と接触していた、とかなんとか」
「そーんなあやふやな情報で? そういう外国人はいっぱいいるじゃないの。しかも他の県で起きたことなんでしょう」
「現在その土地では被害がやんだ。犯人が別の地方へ移った影響だともいう」
「その犯人が、あなただって?」
「そうだ」
青年が不敵に笑んだ。その笑みは店員の予想を、馬鹿げた空想として一笑に付すようにも、見事に的中した慧眼の持ち主として褒めているようにも見える。実澄には後者の線が強く感じられた。だが自身の直感を否定する。
「それが事実なら、わざわざ高い所から落っこちてくる子を狙う?」
「さあ、どうだろうな」
またしても本気か冗談なのか定かにならない態度だ。実澄はこの青年におちょくられていると思いはじめた。
(この状況なのに、ずいぶん余裕があるのね!)
一歩まちがえれば通報されかねない。身の潔白を完全主張すべき場において、彼の反応は不謹慎きわまる。実澄がわが子をしつけるような心構えをした時、青年は「すまない」と言った。得体の知れない笑みが消えている。
「貴女が私の無実を信じようとする姿を見ていると、なんだかうれしくなって、つい意地悪なことをしてしまった」
謝罪を受けた実澄は青年を咎める意欲がすっかりしぼんだ。そしてふつふつと笑いがこみあげる。
「ふっふふ……意外と寂しがり屋なのね。立派な大人かと思ったら……誰かにかまってほしくてイタズラする子どもといっしょ」
実澄は感情の起伏のとぼしい青年が急に不器用な少年に思えた。その認識の変化は実澄にとって意味のあるものだ。
そこへ少女店員が小走りでやってくる。彼女はレイコから聞き出した言葉を連ね、平謝りした。実澄は赤ら顔の店員をなだめる。
「もう気に病まないでくださいね。まちがいは誰にでもあることですから……」
実澄たちは退屈そうに待つレイコのもとへもどった。
タグ:実澄