2017年12月18日
拓馬篇前記−美弥10
部屋主が入れてくれた飲み物はすっかり冷めてしまった。彼は入れなおしを提案したが、そんなぜいたくな申し出は気が引ける。美弥と律子は常温のカフェオレを飲みほした。
カップを空ければ、べつの飲み物をどうか、とデイルが言ってくるかもしれない。美弥は身構えながらカップを座卓に置いた。
「おかわりはいかがです?」
やはりたずねてきた。美弥は首を横にふり、不要の身振りをする。律子も「今日は午後からたくさん飲んじゃってて」と遠慮した。デイルは「そうですか」と温厚な笑みをたたえたまま言う。
「お二人は私と会うまえにお出かけされていましたね。どこかの店へ寄られたのでしょうか?」
「はい。知り合いがやってる喫茶店へおじゃましてきたんです。そこでごちそうになりました」
「知り合い……というと、芸能関係の方ですか?」
「そうなんです。ご夫婦で経営してるんですけど、旦那さんのほうがタレント業をしてて──」
律子はみちるの店のことを談話のネタにする。美弥は内心、この教員が律子の話に触発されるではないかと気がかりになった。触発後の行動とは、デイルがみちるの店に通うことだ。彼が店に入りびたりになろうものなら、美弥は店に行きづらくなる。だがその抵抗は彼に嫌悪感を抱くせいで生まれる感覚ではなかった。
(学校とアパートで会う人に、プライベートまで顔あわせてちゃ……)
日中の居場所、住居、余暇に利用する場まで同じではくどすぎる。美弥はデイルを嫌ってはいないが、それはあくまでほかの男性よりはマシというだけだ。特別好いていない他人と、家族以上の遭遇率になる事態は避けたかった。
(自炊する人だったら、外食はしないかも)
美弥は彼の部屋に入った直後に見えた台所の風景を思い出す。台所にてデイルは「どれでもいいですよ」とインスタントのスティック飲料を美弥たちに見せていた。その台所はかなりすっきりしていて、生活臭がしなかった。
(今日、部屋に来たばかりの人だし……)
引っ越しの初日では他人の生活習慣が露見しない。室内の状況で推測ができないならば直接彼に聞くべきだ。美弥はまず律子が続ける会話を聞き、自分がデイルに質問をするに自然なタイミングをうかがう。現在の話題はみちるの店にいる才穎高校の関係者についてだ。
「才穎高校の卒業生の人が働いていたんです。彼女は明るい人で、おかげでたのしくすごせました」
「才穎のOBの方がいらっしゃるのですか。その女性から学校のお話が聞けそうですね」
「そうなんです。美弥はぜんぜん才穎のことを知らないから、いまのうちにいろいろ聞けたら安心できるかと思います」
「では、授業がはじまるまでの間に妹さんは何回もお店に行くことになると?」
「何回……とは考えてなかったんですけど、たぶん通うと……それがどうかしたんです?」
「妹さんが常連客になるのでしたら、私がその店を利用するのはひかえたほうがよろしいかと思いまして」
彼は美弥の願望通りの提言をした。それは願ってもない判断だ。美弥にはよろこばしい一方で、彼が美弥を避ける動機が気になる。律子も不安気だ。
「妹が失礼なことを言ったからですか?」
律子がおずおずとたずねた。デイルは笑顔のまま「そうではありません」と否定する。
「せっかくの妹さんの心のよりどころを、私が邪魔するのはよくないと思います」
「そうでしょうか……妹は、あまりデイルさんのことをいやがってないですよ。いやだったらこのお部屋に来ていません」
「妹さんは男嫌いなのでしょう。苦手なものは我慢できても、そう簡単に克服できませんよ。リラックスできる時間くらいは、無理をしないですむ環境がのぞましいはずです」
デイルの主張は美弥をおもんばかった内容だ。美弥は彼が信頼に足る教師やもしれないと感じはじめる。
「聞けばそのお店は女性店員ばかり。オーナーの方も特殊な性別とはいえ女性の範疇です。だから貴女はそのお店の方に妹さんを任せられるのではありませんか?」
「そうですけど……男性のお客さんだってとうぜん来ます。あなたが気にすることじゃ……」
「数の問題ですよ。男性客が一人だけいるのと十人いるのとでは、店の入りやすさが変わってくると思います」
デイルは美弥に確認の視線を投げた。美弥は店内客の性別によって店の利用を決める自信がないものの、居心地の善し悪しでいえば彼の予想通りになりそうだとも思う。
「そうかもしれない……」
美弥は肯定的につぶやいた。その考えには若干のデイルの暗示が影響している気はした。しかしはじめてデイルの姿を見た時の不快感を思えば、なるべく男性を視界に入れないほうが心が安定する確信はある。
「今日会ったばかりなのに、よくそんなに思いつけるものね」
「人間の考え方には多少の興味と知識がありますので」
デイルがにこやかな調子を保つ。美弥はその笑顔がいままでにない自信を帯びているように見えた。
カップを空ければ、べつの飲み物をどうか、とデイルが言ってくるかもしれない。美弥は身構えながらカップを座卓に置いた。
「おかわりはいかがです?」
やはりたずねてきた。美弥は首を横にふり、不要の身振りをする。律子も「今日は午後からたくさん飲んじゃってて」と遠慮した。デイルは「そうですか」と温厚な笑みをたたえたまま言う。
「お二人は私と会うまえにお出かけされていましたね。どこかの店へ寄られたのでしょうか?」
「はい。知り合いがやってる喫茶店へおじゃましてきたんです。そこでごちそうになりました」
「知り合い……というと、芸能関係の方ですか?」
「そうなんです。ご夫婦で経営してるんですけど、旦那さんのほうがタレント業をしてて──」
律子はみちるの店のことを談話のネタにする。美弥は内心、この教員が律子の話に触発されるではないかと気がかりになった。触発後の行動とは、デイルがみちるの店に通うことだ。彼が店に入りびたりになろうものなら、美弥は店に行きづらくなる。だがその抵抗は彼に嫌悪感を抱くせいで生まれる感覚ではなかった。
(学校とアパートで会う人に、プライベートまで顔あわせてちゃ……)
日中の居場所、住居、余暇に利用する場まで同じではくどすぎる。美弥はデイルを嫌ってはいないが、それはあくまでほかの男性よりはマシというだけだ。特別好いていない他人と、家族以上の遭遇率になる事態は避けたかった。
(自炊する人だったら、外食はしないかも)
美弥は彼の部屋に入った直後に見えた台所の風景を思い出す。台所にてデイルは「どれでもいいですよ」とインスタントのスティック飲料を美弥たちに見せていた。その台所はかなりすっきりしていて、生活臭がしなかった。
(今日、部屋に来たばかりの人だし……)
引っ越しの初日では他人の生活習慣が露見しない。室内の状況で推測ができないならば直接彼に聞くべきだ。美弥はまず律子が続ける会話を聞き、自分がデイルに質問をするに自然なタイミングをうかがう。現在の話題はみちるの店にいる才穎高校の関係者についてだ。
「才穎高校の卒業生の人が働いていたんです。彼女は明るい人で、おかげでたのしくすごせました」
「才穎のOBの方がいらっしゃるのですか。その女性から学校のお話が聞けそうですね」
「そうなんです。美弥はぜんぜん才穎のことを知らないから、いまのうちにいろいろ聞けたら安心できるかと思います」
「では、授業がはじまるまでの間に妹さんは何回もお店に行くことになると?」
「何回……とは考えてなかったんですけど、たぶん通うと……それがどうかしたんです?」
「妹さんが常連客になるのでしたら、私がその店を利用するのはひかえたほうがよろしいかと思いまして」
彼は美弥の願望通りの提言をした。それは願ってもない判断だ。美弥にはよろこばしい一方で、彼が美弥を避ける動機が気になる。律子も不安気だ。
「妹が失礼なことを言ったからですか?」
律子がおずおずとたずねた。デイルは笑顔のまま「そうではありません」と否定する。
「せっかくの妹さんの心のよりどころを、私が邪魔するのはよくないと思います」
「そうでしょうか……妹は、あまりデイルさんのことをいやがってないですよ。いやだったらこのお部屋に来ていません」
「妹さんは男嫌いなのでしょう。苦手なものは我慢できても、そう簡単に克服できませんよ。リラックスできる時間くらいは、無理をしないですむ環境がのぞましいはずです」
デイルの主張は美弥をおもんばかった内容だ。美弥は彼が信頼に足る教師やもしれないと感じはじめる。
「聞けばそのお店は女性店員ばかり。オーナーの方も特殊な性別とはいえ女性の範疇です。だから貴女はそのお店の方に妹さんを任せられるのではありませんか?」
「そうですけど……男性のお客さんだってとうぜん来ます。あなたが気にすることじゃ……」
「数の問題ですよ。男性客が一人だけいるのと十人いるのとでは、店の入りやすさが変わってくると思います」
デイルは美弥に確認の視線を投げた。美弥は店内客の性別によって店の利用を決める自信がないものの、居心地の善し悪しでいえば彼の予想通りになりそうだとも思う。
「そうかもしれない……」
美弥は肯定的につぶやいた。その考えには若干のデイルの暗示が影響している気はした。しかしはじめてデイルの姿を見た時の不快感を思えば、なるべく男性を視界に入れないほうが心が安定する確信はある。
「今日会ったばかりなのに、よくそんなに思いつけるものね」
「人間の考え方には多少の興味と知識がありますので」
デイルがにこやかな調子を保つ。美弥はその笑顔がいままでにない自信を帯びているように見えた。
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