2017年12月15日
拓馬篇前記−美弥8
招かれた部屋は美弥の現在の住まいと変わり映えしなかった。同じ建物なのだから当然ではある。だが調度品まで同じだとは思っていなかった。美弥が引越してきた時に備え付けてあったものは、デイルの部屋にも用意されているようだ。居間のカーペットと座卓は色こそちがうが同じ。壁に設置した棚とそこにあるテレビなどは大きさも色もそっくりだ。
美弥は自室に帰ってきた感覚で座卓を囲んだ。本来の住人は台所であたたかい飲み物の用意をしている。
「インスタントですがお好きなものを選んでください」
とデイルはスティックタイプのコーヒーやミルクティーの粉を見せた。美弥たちは今日飲んだものと被らない味を選び、彼の指示のもとに居間へ入った。
律子は美弥の九十度となりに座った。マスクをとり、帽子をとると、普段の顔が現れる。美弥は姉の素顔を見ると緊張がゆるんだ。彼女らは他人の部屋だという認識がにぶる。
「美弥、ふつうに話せたね」
「べつに、あれくらいは……」
律子は美弥が即時反省した話しかけには触れない。あれは失敗以外のなにものでもないはずだった。あえて伏せるのが律子の優しさだ。不出来だった部分ではなく成功した部分に着目する。そういったプラス思考が同業の者に好まれ、仲間と仕事が増えるきっかけになっているのだと美弥は思う。
「お姉ちゃんこそ、デリケートな時期なのにだいじょうぶなの?」
「男性の部屋に通ってるって、雑誌に書かれる?」
律子の目が笑う。姉は半分冗談のつもりだ。しかし美弥はほとんど本気である。
「あいつら、どこで情報を仕入れるんだかわかりゃしないもの」
「美弥といっしょなら平気よ。一人では来ないから」
姉妹が行き来する家ならば家族ぐるみの付き合いがある、と普通の人は思うだろう。だが美弥はそんな常識が通用する連中ではないと見当をつける。
「どうだかわかんない。お金のためならなんでもしそう」
「そんなデタラメなことを続けていたら記者も出版社も信用が落ちるでしょ。だれも本気にしなくなるわ」
廊下と居間を仕切るドアが開いた。部屋主である男性が両手に陶器のカップを持っている。
「お待ち遠さまです」
カフェオレの入ったカップを姉妹の前の座卓へ置く。彼はドアを閉め、美弥と向かい合う位置へ座った。彼自身の飲み物は用意しないようだ。その視線を察知したデイルが「お気になさらず」と笑いかける。
「私はのどが渇いていませんし、お見せできるカップもないのでお二人だけでどうぞ」
「『見せられないカップ』?」
律子が湯気の立つカップを両手で包みながら聞いた。デイルは「お手製のものです」と答える。
「独創的なデザインのカップはあるんですが、あまり使いたくはないのです」
「失敗作とか?」
「いえ、思い出の品です。大切にしたいと思っています」
「やだ、失礼なことを言っちゃいましたね」
「かまいません。私の言い方がわるかったのです」
デイルは姉妹に見せないカップの思い出を語らず、美弥たちにふるまった飲料について話す。
「そのインスタントドリンクは元上司の娘さんに勧められて持ってきました。こうしてお二方にふるまうことができて、よかったです」
「自分で飲む用じゃないんですか?」
またも律子がしゃべる。本日の美弥の異性との会話トレーニングは、さきほどのやり取りで終了のようだ。美弥は姉が話すのならそれでかまわなかった。出されたカフェオレをちびちび飲む。
「私はあれば飲みますが、しいて飲みたいとは思いません。身内の娘さんはこれからこの部屋へ遊びにくると言っていますから、彼女のために用意してあるようなものです」
「仲のいい女性なんですね」
「女性は女性ですが貴女の妹さんと同じ年頃です。まだ子どもですよ」
「あら? わたしたち、まだ自己紹介をしてなかったと……」
美弥は律子と顔が似ている。マスクをとった律子と見比べれば、二人を姉妹だと推測するのも無理はなかった。「勝手にそう思いこんでいた」と返されれば納得できる状況だ。しかし彼は意外な告白をする。
「隠していて申し訳ありません。じつは貴女たちのことは校長から聞いています」
「校長さんが……なんて?」
「……少々、言いにくいですね」
「いいんです、正直に言ってください」
「『男性の食い物にされている姉妹』だと言われたことが、強烈でした」
美弥はせっかく持ち直した前向きな気分が失墜してしまった。そうなると予想したから彼は一度言葉を濁したのだろう。デイルは同情をこめた目で律子を見た。律子は視線を逸らす。
「……じゃ、不倫騒動のことも知ってるんですね」
「お聞きしました。私は貴女が潔白だと信じています」
「そう言ってもらえると、ありがたいです」
律子はデイルの言葉に励まされたようだ。美弥はかえって不信がつのる。この男は律子のなにを知って、潔白を信じるというのか。テレビに映る律子は配役を演じただけの別人だというのに。彼は聞こえのよいことを述べる偽善者ではないのかと疑念が生じる。
「……どうして、お姉ちゃんが無実だと思えるの?」
二人の視線が不穏な発言をする美弥にあつまる。美弥は場を乱す行為だと知りつつも詰問を続ける。
「テレビの外の水卜律子がどんな人だか知らないのに、どこを信じられるの?」
この男がうわべだけの善人かどうか、白黒をはっきりつけておく。その意思をもって美弥はデイルをにらみつけた。彼は面食らった表情をしている。顔を伏せたのち、不意に肩をふるわせる。怒ったのか悲しんでいるのか、美弥は彼の感情がつかめない。
「なに、どうしたの?」
デイルは顔をゆっくり上げた。意外にも微笑がうかんでいる。美弥がはじめて彼に話しかけた時と同じ面構えだ。しかし美弥の受ける印象はその時とは大きく変容する。彼の笑顔の意図がわからず、不気味だ。
「まさか、私がそう言われる立場になるとは思いもしませんでした」
「どういうこと?」
「貴女はこうおっしゃりたいのでしょう。『今日会ったばかりの人間に、なにがわかる』と。『わかった気になっているだけだ』と」
「ええ、そう言ってる」
「私も、私を高く評価した人に同じようなことを言ってしまったのです。いまなら、その方の思いが理解できそうです」
デイルは「考える時間をください」と願い、うつむき加減に口元を左手でおおう。その人差し指には白い宝石のついた指輪があった。
美弥は自室に帰ってきた感覚で座卓を囲んだ。本来の住人は台所であたたかい飲み物の用意をしている。
「インスタントですがお好きなものを選んでください」
とデイルはスティックタイプのコーヒーやミルクティーの粉を見せた。美弥たちは今日飲んだものと被らない味を選び、彼の指示のもとに居間へ入った。
律子は美弥の九十度となりに座った。マスクをとり、帽子をとると、普段の顔が現れる。美弥は姉の素顔を見ると緊張がゆるんだ。彼女らは他人の部屋だという認識がにぶる。
「美弥、ふつうに話せたね」
「べつに、あれくらいは……」
律子は美弥が即時反省した話しかけには触れない。あれは失敗以外のなにものでもないはずだった。あえて伏せるのが律子の優しさだ。不出来だった部分ではなく成功した部分に着目する。そういったプラス思考が同業の者に好まれ、仲間と仕事が増えるきっかけになっているのだと美弥は思う。
「お姉ちゃんこそ、デリケートな時期なのにだいじょうぶなの?」
「男性の部屋に通ってるって、雑誌に書かれる?」
律子の目が笑う。姉は半分冗談のつもりだ。しかし美弥はほとんど本気である。
「あいつら、どこで情報を仕入れるんだかわかりゃしないもの」
「美弥といっしょなら平気よ。一人では来ないから」
姉妹が行き来する家ならば家族ぐるみの付き合いがある、と普通の人は思うだろう。だが美弥はそんな常識が通用する連中ではないと見当をつける。
「どうだかわかんない。お金のためならなんでもしそう」
「そんなデタラメなことを続けていたら記者も出版社も信用が落ちるでしょ。だれも本気にしなくなるわ」
廊下と居間を仕切るドアが開いた。部屋主である男性が両手に陶器のカップを持っている。
「お待ち遠さまです」
カフェオレの入ったカップを姉妹の前の座卓へ置く。彼はドアを閉め、美弥と向かい合う位置へ座った。彼自身の飲み物は用意しないようだ。その視線を察知したデイルが「お気になさらず」と笑いかける。
「私はのどが渇いていませんし、お見せできるカップもないのでお二人だけでどうぞ」
「『見せられないカップ』?」
律子が湯気の立つカップを両手で包みながら聞いた。デイルは「お手製のものです」と答える。
「独創的なデザインのカップはあるんですが、あまり使いたくはないのです」
「失敗作とか?」
「いえ、思い出の品です。大切にしたいと思っています」
「やだ、失礼なことを言っちゃいましたね」
「かまいません。私の言い方がわるかったのです」
デイルは姉妹に見せないカップの思い出を語らず、美弥たちにふるまった飲料について話す。
「そのインスタントドリンクは元上司の娘さんに勧められて持ってきました。こうしてお二方にふるまうことができて、よかったです」
「自分で飲む用じゃないんですか?」
またも律子がしゃべる。本日の美弥の異性との会話トレーニングは、さきほどのやり取りで終了のようだ。美弥は姉が話すのならそれでかまわなかった。出されたカフェオレをちびちび飲む。
「私はあれば飲みますが、しいて飲みたいとは思いません。身内の娘さんはこれからこの部屋へ遊びにくると言っていますから、彼女のために用意してあるようなものです」
「仲のいい女性なんですね」
「女性は女性ですが貴女の妹さんと同じ年頃です。まだ子どもですよ」
「あら? わたしたち、まだ自己紹介をしてなかったと……」
美弥は律子と顔が似ている。マスクをとった律子と見比べれば、二人を姉妹だと推測するのも無理はなかった。「勝手にそう思いこんでいた」と返されれば納得できる状況だ。しかし彼は意外な告白をする。
「隠していて申し訳ありません。じつは貴女たちのことは校長から聞いています」
「校長さんが……なんて?」
「……少々、言いにくいですね」
「いいんです、正直に言ってください」
「『男性の食い物にされている姉妹』だと言われたことが、強烈でした」
美弥はせっかく持ち直した前向きな気分が失墜してしまった。そうなると予想したから彼は一度言葉を濁したのだろう。デイルは同情をこめた目で律子を見た。律子は視線を逸らす。
「……じゃ、不倫騒動のことも知ってるんですね」
「お聞きしました。私は貴女が潔白だと信じています」
「そう言ってもらえると、ありがたいです」
律子はデイルの言葉に励まされたようだ。美弥はかえって不信がつのる。この男は律子のなにを知って、潔白を信じるというのか。テレビに映る律子は配役を演じただけの別人だというのに。彼は聞こえのよいことを述べる偽善者ではないのかと疑念が生じる。
「……どうして、お姉ちゃんが無実だと思えるの?」
二人の視線が不穏な発言をする美弥にあつまる。美弥は場を乱す行為だと知りつつも詰問を続ける。
「テレビの外の水卜律子がどんな人だか知らないのに、どこを信じられるの?」
この男がうわべだけの善人かどうか、白黒をはっきりつけておく。その意思をもって美弥はデイルをにらみつけた。彼は面食らった表情をしている。顔を伏せたのち、不意に肩をふるわせる。怒ったのか悲しんでいるのか、美弥は彼の感情がつかめない。
「なに、どうしたの?」
デイルは顔をゆっくり上げた。意外にも微笑がうかんでいる。美弥がはじめて彼に話しかけた時と同じ面構えだ。しかし美弥の受ける印象はその時とは大きく変容する。彼の笑顔の意図がわからず、不気味だ。
「まさか、私がそう言われる立場になるとは思いもしませんでした」
「どういうこと?」
「貴女はこうおっしゃりたいのでしょう。『今日会ったばかりの人間に、なにがわかる』と。『わかった気になっているだけだ』と」
「ええ、そう言ってる」
「私も、私を高く評価した人に同じようなことを言ってしまったのです。いまなら、その方の思いが理解できそうです」
デイルは「考える時間をください」と願い、うつむき加減に口元を左手でおおう。その人差し指には白い宝石のついた指輪があった。
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