2017年12月04日
拓馬篇前記−美弥3
美弥たち姉妹は律子の知人が所有する店へ訪れた。現在は昼の営業時間が過ぎている。準備中という名の閉店状態だ。帽子とマスクで顔を隠した律子はかまわずに店内へ入った。そうするように知人から言われたそうだ。
入店した直後に鈴の音が鳴った。その音は機械音でないと美弥は感じる。物理的に音を鳴らす道具が近くにあるのだ。振り返ればドアの戸当たりの棒部分に鈴がついている。これがこの店のインターホンだろう。
来客を察知した店員がやってくる。緑色のエプロンをかけた若い女性だ。鼻にそばかすが散らばっていて、素朴な雰囲気があった。彼女は掃除中だったらしく、モップを手にしている。
「あのー、オーナーのお友だちですか?」
店員は律子の目元をじっと見た。律子がマスクを取る。すると店員は「あ、ホンモノ!」と興奮をあらわにした。店員の黄色い声を聞きつけて、また別の店員が出てくる。
「あ〜ら、リっちゃんいらっしゃーい」
ハスキーなあいさつが色気のある女性から発される。美弥は彼女の突き出た胸に目がいった。かるい嫉妬を覚えるほど豊満な体型だ。痩身の律子や美弥とは別物である。この妖艶な女性は紙面やテレビでしばしば見かける人物だ。その芸名は散乃(ちるの)みちるといった。
「マヨちゃん、どのへんなら座っていい?」
「奥のほうは掃除がすんだので、奥で」
「わかったわ」
美弥たちはみちるの案内を受ける。壁側のテーブル席で姉妹は向き合う。みちるも律子の隣の椅子に座る。
「リっちゃん、なに飲む? あ、お代は気にしなくていいのよ」
サービスしとく、と言ってみちるはウインクを投げる。律子は厚意を遠慮するそぶりを一瞬見せたが、否定の言葉を飲みこんだ。
「あるもので、お願いします」
「じゃ、店長のおまかせメニューね」
みちるは「てんちょー、おまかせで二人ー!」とオーダーをさけぶ。美弥は「店長?」と律子にたずねる。
「みちるさんが、オーナーなんじゃ」
「ああ、言ってなかったっけ。ここは夫婦経営をしてて、店長はみちるさんの奥さんなの」
律子が説明するとみちるが「そうなのよぉ」と笑顔満面に言う。
「アタシがお店の資金を出すオーナー。お店を切り盛りするのはアタシのお嫁ちゃんなわけよ。アタシはあんまりお店に出られないからね」
女性に妻がいる──というのはやはり違和感があるものだ。みちるは外見と内情が一致しない。その思いが美弥の顔に出たのか、みちるは「アタシのことは知ってる?」とたずねる。
「ナリはこうでもイチモツを下げてるのよ。オカマタレントっていえばもう浸透してるジャンルよね」
「はい……こんなに綺麗なオカマの人は、めずらしいですけど」
みちるは言われなければ男だと気付かない見た目だ。胸は手術した偽乳だが、それ以外は改造していないという。もともとが女性的な身体だったと、テレビで公表していた。
外見を称賛されたみちるは気を良くする。
「もっとほめていいのよ」
「はあ……」
美弥はオカマをどうほめてよいのかわからなかった。
(この人、男と女のどっちの立場であつかえばいいの?)
みちるは女の格好をしているが、オカマによくある同性愛者ではない。男性の面も保っているがゆえに、女性がよろこぶ観点を突くべきかどうか──美弥が会話の展開に難儀していると、みちるは「ジョーダンよ」と神妙に言う。
「そんな余裕はないわよね」
律子は「いえ、だいぶ落ち着いてます」と近況を伝えた。みちるは首を横にふる。
「強がらなくていい。妹ちゃんが知らない土地で、あたらしい学校に行くことになるんだから。誰だって不安はあるわ」
みちるの心配は美弥でなく律子を主眼とする言い方だ。美弥は自身が軽んじられたように感じたが、みちるの優先順位は正しいと思った。
美弥が移った環境は律子の知る人物が用意したものだ。一人暮らしという点では懸念が残る以外、普通の学校に通うのだから大それたことは起きない。一方で律子は心無い批判や憶測に晒される日々を送っている。現在は渦中を脱したとはいえ、いつまた同じようなことが起きるともしれない。
(ほんとうは、お姉ちゃんは芸能人なんて向いてないのに……)
律子は家族のために子役になった。とくに、よい稼ぎの仕事に就けない母に楽をさせてあげたかった。現在は美弥に不自由ない学生生活をすごさせる目的で勤めている。もし律子一人が生きればよいのであれば、姉は普通の会社員になっていただろう。律子は自己主張をしたがる性格ではないし、他人のねたみやっかみを受けながす器量に劣る。外見こそ芸能人たる風格はあるだろうが、その中身は気立てのよさが取り柄の一般人だ。
「リっちゃんはマジメすぎるのよ。おおかた『自分のせいで妹の生活が一変した』と悔やんでるんでしょ」
「それは……そうです」
「そんな後悔は妹ちゃんの新生活がうまくいかなかったときにしなさいよ。これからはまえ以上にたのしい高校生ライフがあるかもしれないじゃん?」
美弥も同意見だ。美弥は以前の格式ばった学校がとくべつ良いとは感じなかった。生徒も教師も、保守的というか、どこか物足りない、似たり寄ったりな考えの者が多かった。みちるくらいの個性的な人物は皆無だ。新しい高校は金持ちではない普通の子が大勢通うところであり、そちらのほうが自分の肌に合う可能性がある。
(べつに合わなくっても、お姉ちゃんをうらむことはないけど)
災い転じて福となすかもしれないと思うと、美弥の気分はいくぶんさわやかになった。
入店した直後に鈴の音が鳴った。その音は機械音でないと美弥は感じる。物理的に音を鳴らす道具が近くにあるのだ。振り返ればドアの戸当たりの棒部分に鈴がついている。これがこの店のインターホンだろう。
来客を察知した店員がやってくる。緑色のエプロンをかけた若い女性だ。鼻にそばかすが散らばっていて、素朴な雰囲気があった。彼女は掃除中だったらしく、モップを手にしている。
「あのー、オーナーのお友だちですか?」
店員は律子の目元をじっと見た。律子がマスクを取る。すると店員は「あ、ホンモノ!」と興奮をあらわにした。店員の黄色い声を聞きつけて、また別の店員が出てくる。
「あ〜ら、リっちゃんいらっしゃーい」
ハスキーなあいさつが色気のある女性から発される。美弥は彼女の突き出た胸に目がいった。かるい嫉妬を覚えるほど豊満な体型だ。痩身の律子や美弥とは別物である。この妖艶な女性は紙面やテレビでしばしば見かける人物だ。その芸名は散乃(ちるの)みちるといった。
「マヨちゃん、どのへんなら座っていい?」
「奥のほうは掃除がすんだので、奥で」
「わかったわ」
美弥たちはみちるの案内を受ける。壁側のテーブル席で姉妹は向き合う。みちるも律子の隣の椅子に座る。
「リっちゃん、なに飲む? あ、お代は気にしなくていいのよ」
サービスしとく、と言ってみちるはウインクを投げる。律子は厚意を遠慮するそぶりを一瞬見せたが、否定の言葉を飲みこんだ。
「あるもので、お願いします」
「じゃ、店長のおまかせメニューね」
みちるは「てんちょー、おまかせで二人ー!」とオーダーをさけぶ。美弥は「店長?」と律子にたずねる。
「みちるさんが、オーナーなんじゃ」
「ああ、言ってなかったっけ。ここは夫婦経営をしてて、店長はみちるさんの奥さんなの」
律子が説明するとみちるが「そうなのよぉ」と笑顔満面に言う。
「アタシがお店の資金を出すオーナー。お店を切り盛りするのはアタシのお嫁ちゃんなわけよ。アタシはあんまりお店に出られないからね」
女性に妻がいる──というのはやはり違和感があるものだ。みちるは外見と内情が一致しない。その思いが美弥の顔に出たのか、みちるは「アタシのことは知ってる?」とたずねる。
「ナリはこうでもイチモツを下げてるのよ。オカマタレントっていえばもう浸透してるジャンルよね」
「はい……こんなに綺麗なオカマの人は、めずらしいですけど」
みちるは言われなければ男だと気付かない見た目だ。胸は手術した偽乳だが、それ以外は改造していないという。もともとが女性的な身体だったと、テレビで公表していた。
外見を称賛されたみちるは気を良くする。
「もっとほめていいのよ」
「はあ……」
美弥はオカマをどうほめてよいのかわからなかった。
(この人、男と女のどっちの立場であつかえばいいの?)
みちるは女の格好をしているが、オカマによくある同性愛者ではない。男性の面も保っているがゆえに、女性がよろこぶ観点を突くべきかどうか──美弥が会話の展開に難儀していると、みちるは「ジョーダンよ」と神妙に言う。
「そんな余裕はないわよね」
律子は「いえ、だいぶ落ち着いてます」と近況を伝えた。みちるは首を横にふる。
「強がらなくていい。妹ちゃんが知らない土地で、あたらしい学校に行くことになるんだから。誰だって不安はあるわ」
みちるの心配は美弥でなく律子を主眼とする言い方だ。美弥は自身が軽んじられたように感じたが、みちるの優先順位は正しいと思った。
美弥が移った環境は律子の知る人物が用意したものだ。一人暮らしという点では懸念が残る以外、普通の学校に通うのだから大それたことは起きない。一方で律子は心無い批判や憶測に晒される日々を送っている。現在は渦中を脱したとはいえ、いつまた同じようなことが起きるともしれない。
(ほんとうは、お姉ちゃんは芸能人なんて向いてないのに……)
律子は家族のために子役になった。とくに、よい稼ぎの仕事に就けない母に楽をさせてあげたかった。現在は美弥に不自由ない学生生活をすごさせる目的で勤めている。もし律子一人が生きればよいのであれば、姉は普通の会社員になっていただろう。律子は自己主張をしたがる性格ではないし、他人のねたみやっかみを受けながす器量に劣る。外見こそ芸能人たる風格はあるだろうが、その中身は気立てのよさが取り柄の一般人だ。
「リっちゃんはマジメすぎるのよ。おおかた『自分のせいで妹の生活が一変した』と悔やんでるんでしょ」
「それは……そうです」
「そんな後悔は妹ちゃんの新生活がうまくいかなかったときにしなさいよ。これからはまえ以上にたのしい高校生ライフがあるかもしれないじゃん?」
美弥も同意見だ。美弥は以前の格式ばった学校がとくべつ良いとは感じなかった。生徒も教師も、保守的というか、どこか物足りない、似たり寄ったりな考えの者が多かった。みちるくらいの個性的な人物は皆無だ。新しい高校は金持ちではない普通の子が大勢通うところであり、そちらのほうが自分の肌に合う可能性がある。
(べつに合わなくっても、お姉ちゃんをうらむことはないけど)
災い転じて福となすかもしれないと思うと、美弥の気分はいくぶんさわやかになった。
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