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2017年10月19日
拓馬篇前記−校長2
床一面に絨毯を敷いた校長室に四人の男女がいる。一人は中年の校長だ。横幅が十二分にある机に両肘をつき、手を組む。その校長に対面するのが三人の若者。学生服を着た彼らは横一列に並び、直立している。部屋にはソファがあるものの、三人は座ろうとしない。ねんごろな会話をする状況ではないせいだ。
この場には四人の生徒が集まる予定だ。残る一人が来るまで皆は私語を慎んでいた。だが待つのを耐えきれなくなった少年が隣人に話しかける。
「……なんでジモンは来ないんだ? 三郎と一緒だったろ」
鼻骨にそばかすを浮かべた男子が小声で尋ねた。彼は根岸という、背はいささか小柄だが身体能力の高い空手家だ。
「雉を撃ちに行った」
三郎と呼ばれた少年も小声で答えた。彼の名字は仙谷。警察官の姉がいる剣道部員だ。徒手での武術にも素養があり、容姿に秀でるがために校内の女子人気が高い。そんな彼が放った返答は「トイレへ行った」という隠語だ。それも時間のかかるほうである。質問した根岸は「タイミングが悪いな」とぼやいた。
廊下から騒がしい足音が近づくと、彼らのイライラは消し飛んだ。
「失礼します! いや〜、遅れてすんません!」
体格のよい男子が大声をあげながら駆けこんできた。ジモンというあだ名の男子だ。ジモンはポニーテールの女子の隣に並ぶ。待ちぼうけていた少年たちはこの男子の遅刻を不問に付し、さっそく本題に入るよう視線で校長へ意見する。そのボディランゲージを校長はしかと受け止めた。組んだ手を机にトンと置く。
「これで全員がそろった。きみらが集まった理由はわかるかね?」
少年らは不安気な顔をする。背の高いジモンが上体をちぢこませて「人助けをした表彰……だったら嬉しいがの」と言った。校長は苦笑する。
「残念ながら表彰状の準備はしていないのだよ。私がきみらに渡せる紙と言ったら、これだ」
校長は机にある印刷紙の束から一枚を取り、生徒たちに見せた。仙谷は大きく目を見開く。その目は「反省文」と印字した部分に向いていた。
「反省文? なんでです、オレたちは良いことをしたでしょう。店に迷惑をかける連中を追い払ったんですよ」
「つまり、乱闘があったのは本当なのだね?」
「そうです、それは否定しません」
仙谷は臆面もなく認めた。とぼけることは彼の信条にもとる行為だ。その純真さをわかったうえで校長は厳しく接する。
「きみたちが不届きな輩に立ちむかった勇気は称賛したい。ただ……それが生徒諸君のするべき行動かね?」
「誰も行動しないからオレたちは動いたんです。店の人に『ありがとう』とも言われました。校長はオレたちになにを反省させようと言うのですか?」
「自分が正しければ暴力をふるって良いという、野蛮な考えを反省しなさい」
「それはなりゆきです。最初から拳で戦うつもりは無く──」
「結果は結果だ。それはどう言葉をつくろっても変えられない」
両者がゆずらぬ熱い討論の中、ジモンが「作文はイヤじゃなあ」とポニーテールの女子に話しかけた。彼女は小山田という、あらゆる方面で手強い少女だ。
「校長のご意見、よくわかりました! 過激なことをやったと反省してます。それで今日はお開きにしませんか?」
「小山田くんの了解を得ても仕方がない。主動者に約束してもらおう」
校長は仙谷が騒動の火付け役だと断定した。仙谷は人一倍正義感が強く、行動力もある好男子だ。ほかの三人はその友人。友人らは仙谷に焚きつけられた可能性が高かった。
校長に意見を求められた仙谷の腕を、隣にいる根岸がつつく。
「ここは折れとけ。昼飯を食う時間がなくなるぞ」
生徒たちは遅刻者以外、昼休みになった直後に校長室へ集合していた。午後の授業開始まで残った時間は三十分ほど。生徒たちが説教から解き放たれたいと切望する頃合いだ。
小山田が一歩前へ出る。校長に物申すかと思いきや、その顔は仙谷へ向く。
「そういやサブちゃん、シエちゃんがお弁当を用意してたよ。早く行ってあげないと」
シエとは仙谷を好く女子生徒のあだ名だ。本姓を神宮司といい、才色兼備の淑女なのだが仙谷との進展は無い。校長は「タイミングが悪い」という生徒の言葉を自分自身にも感じた。恋する少女が大胆なアタックをくりだそうとする時に、意中の人が手の届かない場所へ捕まっている。その無慈悲な拘束は校長がしかけたものだ。
「ねえ校長、乙女の恋路を邪魔しちゃまずいですよね?」
「む……そう来たか」
校長は男女の色恋沙汰をいたく好む。小山田は校長の特徴を逆手にとり、この場を脱しようというのだ。
「……行きなさい」
校長は弁当を作った少女の顔を立てた。万が一にもお弁当アタックが功を成すかもしれぬ。難攻不落の男子との交遊がはじまるかもしれぬ。と思えばこそ校長は体面を捨てた。
小山田が男子の背中を叩き「行こう!」と急かす。仙谷は一礼して「失礼します」と律儀に別れの挨拶をした。彼らの背に校長は教育者としての威厳を浴びせる。
「ただし後日、呼び出しがあっても文句は言わないように」
この場は見逃すが、彼らの罪は消え去っていないという含みがあった。生徒たちは素直な返事をしたあと、廊下を出る。一人残った校長は「手作りかな……」と仙谷が食すであろう弁当に予想を立てた。だがふぬけた思考に浸ってはいられない。
(一度叱って解決できることじゃない。あの子たちの担任に相談しよう)
不良とはいえぬ問題児たちの対処をする。その方法は一筋縄ではいかないと感じられた。
この場には四人の生徒が集まる予定だ。残る一人が来るまで皆は私語を慎んでいた。だが待つのを耐えきれなくなった少年が隣人に話しかける。
「……なんでジモンは来ないんだ? 三郎と一緒だったろ」
鼻骨にそばかすを浮かべた男子が小声で尋ねた。彼は根岸という、背はいささか小柄だが身体能力の高い空手家だ。
「雉を撃ちに行った」
三郎と呼ばれた少年も小声で答えた。彼の名字は仙谷。警察官の姉がいる剣道部員だ。徒手での武術にも素養があり、容姿に秀でるがために校内の女子人気が高い。そんな彼が放った返答は「トイレへ行った」という隠語だ。それも時間のかかるほうである。質問した根岸は「タイミングが悪いな」とぼやいた。
廊下から騒がしい足音が近づくと、彼らのイライラは消し飛んだ。
「失礼します! いや〜、遅れてすんません!」
体格のよい男子が大声をあげながら駆けこんできた。ジモンというあだ名の男子だ。ジモンはポニーテールの女子の隣に並ぶ。待ちぼうけていた少年たちはこの男子の遅刻を不問に付し、さっそく本題に入るよう視線で校長へ意見する。そのボディランゲージを校長はしかと受け止めた。組んだ手を机にトンと置く。
「これで全員がそろった。きみらが集まった理由はわかるかね?」
少年らは不安気な顔をする。背の高いジモンが上体をちぢこませて「人助けをした表彰……だったら嬉しいがの」と言った。校長は苦笑する。
「残念ながら表彰状の準備はしていないのだよ。私がきみらに渡せる紙と言ったら、これだ」
校長は机にある印刷紙の束から一枚を取り、生徒たちに見せた。仙谷は大きく目を見開く。その目は「反省文」と印字した部分に向いていた。
「反省文? なんでです、オレたちは良いことをしたでしょう。店に迷惑をかける連中を追い払ったんですよ」
「つまり、乱闘があったのは本当なのだね?」
「そうです、それは否定しません」
仙谷は臆面もなく認めた。とぼけることは彼の信条にもとる行為だ。その純真さをわかったうえで校長は厳しく接する。
「きみたちが不届きな輩に立ちむかった勇気は称賛したい。ただ……それが生徒諸君のするべき行動かね?」
「誰も行動しないからオレたちは動いたんです。店の人に『ありがとう』とも言われました。校長はオレたちになにを反省させようと言うのですか?」
「自分が正しければ暴力をふるって良いという、野蛮な考えを反省しなさい」
「それはなりゆきです。最初から拳で戦うつもりは無く──」
「結果は結果だ。それはどう言葉をつくろっても変えられない」
両者がゆずらぬ熱い討論の中、ジモンが「作文はイヤじゃなあ」とポニーテールの女子に話しかけた。彼女は小山田という、あらゆる方面で手強い少女だ。
「校長のご意見、よくわかりました! 過激なことをやったと反省してます。それで今日はお開きにしませんか?」
「小山田くんの了解を得ても仕方がない。主動者に約束してもらおう」
校長は仙谷が騒動の火付け役だと断定した。仙谷は人一倍正義感が強く、行動力もある好男子だ。ほかの三人はその友人。友人らは仙谷に焚きつけられた可能性が高かった。
校長に意見を求められた仙谷の腕を、隣にいる根岸がつつく。
「ここは折れとけ。昼飯を食う時間がなくなるぞ」
生徒たちは遅刻者以外、昼休みになった直後に校長室へ集合していた。午後の授業開始まで残った時間は三十分ほど。生徒たちが説教から解き放たれたいと切望する頃合いだ。
小山田が一歩前へ出る。校長に物申すかと思いきや、その顔は仙谷へ向く。
「そういやサブちゃん、シエちゃんがお弁当を用意してたよ。早く行ってあげないと」
シエとは仙谷を好く女子生徒のあだ名だ。本姓を神宮司といい、才色兼備の淑女なのだが仙谷との進展は無い。校長は「タイミングが悪い」という生徒の言葉を自分自身にも感じた。恋する少女が大胆なアタックをくりだそうとする時に、意中の人が手の届かない場所へ捕まっている。その無慈悲な拘束は校長がしかけたものだ。
「ねえ校長、乙女の恋路を邪魔しちゃまずいですよね?」
「む……そう来たか」
校長は男女の色恋沙汰をいたく好む。小山田は校長の特徴を逆手にとり、この場を脱しようというのだ。
「……行きなさい」
校長は弁当を作った少女の顔を立てた。万が一にもお弁当アタックが功を成すかもしれぬ。難攻不落の男子との交遊がはじまるかもしれぬ。と思えばこそ校長は体面を捨てた。
小山田が男子の背中を叩き「行こう!」と急かす。仙谷は一礼して「失礼します」と律儀に別れの挨拶をした。彼らの背に校長は教育者としての威厳を浴びせる。
「ただし後日、呼び出しがあっても文句は言わないように」
この場は見逃すが、彼らの罪は消え去っていないという含みがあった。生徒たちは素直な返事をしたあと、廊下を出る。一人残った校長は「手作りかな……」と仙谷が食すであろう弁当に予想を立てた。だがふぬけた思考に浸ってはいられない。
(一度叱って解決できることじゃない。あの子たちの担任に相談しよう)
不良とはいえぬ問題児たちの対処をする。その方法は一筋縄ではいかないと感じられた。
タグ:羽田校長
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2017年10月18日
拓馬篇前記−校長1
授業のない休日、学校には部活動にいそしむ生徒が集まる。その様子を一人の中年が見ていった。彼は才穎高校の羽田校長。業務はないが、部活動中の生徒を観察しに学校に訪れる。生徒の活き活きした姿は校長に活力を与えた。
(よし、今日もバスケ部は快調だった)
校長は体育館を拠点とする運動部員を見終えたばかり。とくにバスケ部所属の男子の動向に注目した。その男子はスポーツの技能の高さとルックスの良さによって人気を博す。マネージャーを務める女子の目当てでもあるともっぱら評判だ。
(これで赤点をとらなければいいんだが……)
彼は容姿と運動神経に優れる反面、頭は残念ときている。女子とのお付き合いが長続きしないのも、距離をちぢめすぎたことで目の当たりにする彼の馬鹿っぷりが原因だという。
(天は二物を与えず、とはよく言ったものだ)
天は人間にたくさんの長所を与えない。この言葉を否定する人は世の中にいるが、校長はおおむね異論を抱かなかった。完全無欠のように思えてもなにかが足りない生徒がいるのだ。容姿と運動神経、それに知性と人格も備えていながら、校長の思惑通りにいかない生徒が。
(仙谷三郎くんは本当に惜しい。ぜんぜん色恋に興味がないとは、不健全だ)
仙谷は一年生男子の有望な生徒である。剣道部員という経歴もまたかっこよさを際立たせていた。だが浮いた話が出ない。彼に思いを寄せる女子は多数いるにも関わらず、入学から一年近く経過しても恋人ができたとはとんと聞かなかった。
(彼のお姉さんもそうだったなぁ)
仙谷の姉は仙谷直子という才穎高校の卒業生。彼女も弟同様に恵まれた資質を有していながら恋話の提供には消極的姿勢をつらぬいた。
(血は争えないということか……?)
風の便りによると現在の彼女は警察官となり、職場の男性と親しいのだという。直子の場合、当時の彼女に見合う男子が不在だったとも言える。実際、校長は直子の同世代のうち、今なお印象に残る男子を思いつけなかった。
(直子くんは環境に恵まれなかったとしても……弟くんはそんなことはない!)
校長は自分専用の部屋──校長室へ入る。校舎ではめずらしく絨毯を敷きつめた一室だ。部屋の壁際に設置した本棚からファイルを一つ出す。それは学校関係の資料ではない。超個人的な資料集だ。「要チェック」のタグをつけた項目へ飛ぶ。そこに仙谷三郎をとりまく人物の解説が自筆で記録してあった。
仙谷と関連する主立った女子生徒は四名。一人は上級生、生徒会長を務める成績良好の子だ。彼女がもっとも仙谷への熱意をあらわにする。それに続くのが仙谷の同級生である良家の娘。彼女も仙谷を好いていることを公表する。この二人は男子人気が高く、魅力は十二分にある。残りの二人は仙谷への思いが不明確なものの、仙谷とは仲の良い同学年女子だ。一人はスポーツ万能の幼馴染、一人は仙谷と馬の合う生徒。とくに最後の女子は仙谷と同等に手強い、校長にとっての好敵手だ。
(これだけ個性的な子がそろっていながら……なげかわしい)
仙谷の世代には過去に類を見ないほどユニークな生徒がいる。そして来年度からの転入生も控えている。この女子も癖の強そうな子だった。
(次の年のクラス構成は攻めていくぞ!)
一年生はどうしても前情報が乏しい。クラスメイトには同じ出身校の者を固めるくらいしか融通がきかなかった。入学後の一年の間に情報収集しておき、二年生以降はベストな二人組が一組でも多く誕生するようクラス編成する。それがこの時期の校長が重要視する任務だ。
そのためには生徒にアンケートの回答をさせる。そのアンケートには次のクラスでも一緒になりたい友人を教えてもらい、大勢が納得する組み合わせに落としこむ目的がある。多くは同性の友人が記入された。だがもし異性の名前があったならその者とのセットは最優先にする。これらは校長の趣味から端を発した調査といえど、生徒には好評だった。
校長はアンケートを生徒にとらせる手順を考えた。クラス担任が生徒に配布する日はいつにするか。その用紙の印刷は誰にまかせるか、といった具合に。
コンコンと扉をノックされる。校長はファイルをあわてて閉じ、本棚へもどす。「どうぞ」と入室をうながすと別のファイルを手にする。さも今までその資料に目を通していたかのようにふるまった。
入室してきたのは一年生のクラス担任の女性。久間という教師は長方形の紙を見せる。
「校長、郵便受けにお手紙が入っていました。また、送り主がわかりませんけど……」
その手紙は校長の知り合いが送るもの。押印もないそれを久間は怪しんだ。
「私の手足となって教えてくれる人だよ」
「……この手紙を書く人がだれなのか教えてくれませんよね?」
「それは久間先生でも教えられない。敵を騙すにはまず味方から、と言うじゃないかね」
「だれが敵なんです?」
「なに、敵は敵でも良きライバルのほうだ」
校長は用のないファイルを棚に収納し、手紙を開封する。ざっと目を通した。今回のネタはあまり歓迎できない内容だ。退室しようとする久間を呼び止める。
「久間先生、月曜日の昼休みに校長室まで呼び出していただきたい生徒がいます」
「え? いったい、どんな理由があって?」
「他校の生徒と喧嘩をしたそうです。それが真実なのか問いたださなくては」
校長はこの一件に関わったとされる生徒の名前を読みあげた。この中に仙谷三郎の名があったことを、別段特異には感じなかった。その行為にいたるまでのいきさつも手紙には載ってある。それは仙谷を駆りたてるに充分な理由に思えた。
(良い子なんだが、シメるべきところはシメなくてはね)
それが子どもを導く教師、ひいては大人の務めである。趣味にうつつを抜かしてならないと、この時は自戒した。
(よし、今日もバスケ部は快調だった)
校長は体育館を拠点とする運動部員を見終えたばかり。とくにバスケ部所属の男子の動向に注目した。その男子はスポーツの技能の高さとルックスの良さによって人気を博す。マネージャーを務める女子の目当てでもあるともっぱら評判だ。
(これで赤点をとらなければいいんだが……)
彼は容姿と運動神経に優れる反面、頭は残念ときている。女子とのお付き合いが長続きしないのも、距離をちぢめすぎたことで目の当たりにする彼の馬鹿っぷりが原因だという。
(天は二物を与えず、とはよく言ったものだ)
天は人間にたくさんの長所を与えない。この言葉を否定する人は世の中にいるが、校長はおおむね異論を抱かなかった。完全無欠のように思えてもなにかが足りない生徒がいるのだ。容姿と運動神経、それに知性と人格も備えていながら、校長の思惑通りにいかない生徒が。
(仙谷三郎くんは本当に惜しい。ぜんぜん色恋に興味がないとは、不健全だ)
仙谷は一年生男子の有望な生徒である。剣道部員という経歴もまたかっこよさを際立たせていた。だが浮いた話が出ない。彼に思いを寄せる女子は多数いるにも関わらず、入学から一年近く経過しても恋人ができたとはとんと聞かなかった。
(彼のお姉さんもそうだったなぁ)
仙谷の姉は仙谷直子という才穎高校の卒業生。彼女も弟同様に恵まれた資質を有していながら恋話の提供には消極的姿勢をつらぬいた。
(血は争えないということか……?)
風の便りによると現在の彼女は警察官となり、職場の男性と親しいのだという。直子の場合、当時の彼女に見合う男子が不在だったとも言える。実際、校長は直子の同世代のうち、今なお印象に残る男子を思いつけなかった。
(直子くんは環境に恵まれなかったとしても……弟くんはそんなことはない!)
校長は自分専用の部屋──校長室へ入る。校舎ではめずらしく絨毯を敷きつめた一室だ。部屋の壁際に設置した本棚からファイルを一つ出す。それは学校関係の資料ではない。超個人的な資料集だ。「要チェック」のタグをつけた項目へ飛ぶ。そこに仙谷三郎をとりまく人物の解説が自筆で記録してあった。
仙谷と関連する主立った女子生徒は四名。一人は上級生、生徒会長を務める成績良好の子だ。彼女がもっとも仙谷への熱意をあらわにする。それに続くのが仙谷の同級生である良家の娘。彼女も仙谷を好いていることを公表する。この二人は男子人気が高く、魅力は十二分にある。残りの二人は仙谷への思いが不明確なものの、仙谷とは仲の良い同学年女子だ。一人はスポーツ万能の幼馴染、一人は仙谷と馬の合う生徒。とくに最後の女子は仙谷と同等に手強い、校長にとっての好敵手だ。
(これだけ個性的な子がそろっていながら……なげかわしい)
仙谷の世代には過去に類を見ないほどユニークな生徒がいる。そして来年度からの転入生も控えている。この女子も癖の強そうな子だった。
(次の年のクラス構成は攻めていくぞ!)
一年生はどうしても前情報が乏しい。クラスメイトには同じ出身校の者を固めるくらいしか融通がきかなかった。入学後の一年の間に情報収集しておき、二年生以降はベストな二人組が一組でも多く誕生するようクラス編成する。それがこの時期の校長が重要視する任務だ。
そのためには生徒にアンケートの回答をさせる。そのアンケートには次のクラスでも一緒になりたい友人を教えてもらい、大勢が納得する組み合わせに落としこむ目的がある。多くは同性の友人が記入された。だがもし異性の名前があったならその者とのセットは最優先にする。これらは校長の趣味から端を発した調査といえど、生徒には好評だった。
校長はアンケートを生徒にとらせる手順を考えた。クラス担任が生徒に配布する日はいつにするか。その用紙の印刷は誰にまかせるか、といった具合に。
コンコンと扉をノックされる。校長はファイルをあわてて閉じ、本棚へもどす。「どうぞ」と入室をうながすと別のファイルを手にする。さも今までその資料に目を通していたかのようにふるまった。
入室してきたのは一年生のクラス担任の女性。久間という教師は長方形の紙を見せる。
「校長、郵便受けにお手紙が入っていました。また、送り主がわかりませんけど……」
その手紙は校長の知り合いが送るもの。押印もないそれを久間は怪しんだ。
「私の手足となって教えてくれる人だよ」
「……この手紙を書く人がだれなのか教えてくれませんよね?」
「それは久間先生でも教えられない。敵を騙すにはまず味方から、と言うじゃないかね」
「だれが敵なんです?」
「なに、敵は敵でも良きライバルのほうだ」
校長は用のないファイルを棚に収納し、手紙を開封する。ざっと目を通した。今回のネタはあまり歓迎できない内容だ。退室しようとする久間を呼び止める。
「久間先生、月曜日の昼休みに校長室まで呼び出していただきたい生徒がいます」
「え? いったい、どんな理由があって?」
「他校の生徒と喧嘩をしたそうです。それが真実なのか問いたださなくては」
校長はこの一件に関わったとされる生徒の名前を読みあげた。この中に仙谷三郎の名があったことを、別段特異には感じなかった。その行為にいたるまでのいきさつも手紙には載ってある。それは仙谷を駆りたてるに充分な理由に思えた。
(良い子なんだが、シメるべきところはシメなくてはね)
それが子どもを導く教師、ひいては大人の務めである。趣味にうつつを抜かしてならないと、この時は自戒した。
タグ:羽田校長