2017年05月21日
アニメ映画「屍者の帝国」の感想…魂は等価交換ではないらしい。
ここ最近は姉が仕事を辞めたため家にいるので、
家で何かを観ようとなると「dアニメストア」が活躍している。
個人的には映画が観たいって思っているのだがアニメが好きではないこともないので、
まあ自分が観たい映画は自分がいるときに観れば良いので、
自分だけじゃ絶対観ないだろうなってものに出会えるのも楽しいわけで。
そう言えば、以前書いた映画「夜は短し歩けよ乙女」はそんな感じでした。
そして今回観たのはアニメ「屍者の帝国」です。
これは元々は劇場用のアニメ映画「屍者の帝国」をdアニメストアで配信する際に、
3つに分けた状態のものの様です。
別に3つに分けなくても良かったような気がしますが…大人の事情でしょうか。
という事で正確には劇場版とは違うかもしれませんが、
内容は一緒だと思いますので「映画」として感想を書こうと思います。
視聴環境はdアニメストアをChromecastを使ってテレビで観ました。
アニメ映画「屍者の帝国」は2015年公開の牧原亮太郎監督作品。
牧原亮太郎監督は多くのアニメ作品に参加していまして、
新海誠監督作品や原恵一監督、細田守監督などの作品の原画をしたり、
以前感想を書いたアニメ「四畳半神話大系」では作画監督をされている回もあったりと。
…というか、これだけの人と一緒に仕事してるってだけで凄い信頼されてる人なんだなと。
劇場アニメでは「ハル」を監督していますが、まだみていません。
アニメ映画「屍者の帝国」は同名の小説が原作。
姉によるとこの原作と著者の1人である伊藤計劃がとても有名との事。
しかし、勉強不足なものでそちらも未読です。
その伊藤計劃が執筆の途中で病気により亡くなってしまい、
それを引き継いで親交の深かった円城塔が完成させた作品との事で、
ここら辺を知っていると感じ方が変わるとか…。
なのでここら辺を知らない人の感想と言う風に読んでもらえると助かります。
本当はそう言われているなら、そこもちゃんと知ったうえで感想を書くほうが良いのですが、
なかなか活字が苦手なもので、読むのを待っていたら書けないかなと。
さて、アニメ映画「屍者の帝国」ですが、屍体の蘇生が普通に行なわれる世界の話。
蘇生された屍者には自我がなく、主の命令を聞く労働者として世界中で使われていました。
屍者の研究をする医学生のワトソンだが、友人のフライデーの死体を勝手に持ち出し復活させるのであった。
しかし、やはり他の屍者と同じく自我の無い状態のフライデー。
そして、それをM率いる諜報機関に知られ任務を頼まれる事に。
それがヴィクター・フランケンシュタインが書いた「ヴィクターの手記」を見つける事だった…みたいな話。
主人公のワトソンの声優は細谷佳正。
姉の中ではオルガとの事…自分は観てません。
友人のフライデーは村瀬歩が担当。
いろいろ言われましたが自分は分かりませんでした…。
ワトソンを助けてくれるハダリーは花澤香菜が。
もちろん彼女は映画「夜は短し歩けよ乙女」の黒髪乙女の声優さんです。
その他、実力派な声優陣が脇を固めている…そうです。
さて映画「屍者の帝国」ですが、
まず言いたいのは画のクオリティの高さ。
やっぱり劇場版アニメの良いところはものにもよりますが、
製作期間が長いぶん画のクオリティが高い、というところだと思います。
もちろん、以前感想を書いた映画「鋼の錬金術師 嘆きの丘の聖なる星」みたいに、
劇場版なのにな〜っていうガッカリするタイトルもたまにはありますが。
この映画「屍者の帝国」は制作がアニメ「甲鉄城のカバネリ」のWIT STUDIO。
好きだったなあ…終盤の展開は微妙でしたが画のクオリティは高かったなあと思い出します。
劇場版アニメで画が綺麗だと、それだけで劇場版って感じがして嬉しい。
綺麗な画に実力のある声優陣、まあだいたいそれだけでも楽しめる気はするし、
ストーリーも決してつまらない訳ではない。
しかし…しかし、これは傑作だ!という感じにはなりませんでした。
もちろん先に書いた様に原作者や製作の過程を知っていると感じ方も違うのでしょうが、
そこら辺を知らない自分からは、なんかいまいちピンとこなかった。
一番の疑問というかのれなかったのはラスボス的存在の「ザ・ワン」について。
Mは争いの無い世界にって事で世界中の人間を屍者化しようとしてる訳ですが、
それはまあ良いとして、
ザ・ワンは同じ装置を使って死んだ花嫁の魂を機会人形のハダリーに入れようとする。
えっ?
まあ「ヴィクターの手記」にいろいろ書いてあったんだとは思うんだけど、
なんでロンドン中の人々の意識から花嫁の魂が出来るの!?
機会人形だからどんな魂が入るってのはまあ分かるんですが、
その肝心なザ・ワンが蘇らせたい花嫁の魂って他人から作れるの??
花嫁の屍体があるとか、花嫁にまつわる何かがあるならまだ分かるんだけど、
なんで他人からピンポイントで魂作れちゃうのかなあ。
ていうか、1人の魂を復活させるだけにどんなけの人の魂がいるの?
鋼の錬金術師でも等価交換って言ってたのに、比率おかしくね。
…なんて思っちゃう訳です。
それに、ちゃっかりザ・ワンもイケメンの体に入ろうとする訳で。
せい、せい、せーい、って。
ラスボスが崇高な野望があるとは限らず、しょーもない個人的な動機ってのも悪くないけど、
なんか強引な設定をうまく飲み込めずに終盤で理解するのをやめってしまった感じでした。
という訳で、映画「屍者の帝国」、劇場版アニメとして観て損はありません。
そして、製作の過程なんかを知っているとよりメッセージが濃く受け取れるとの事です。
あとは、強引な展開につっこまずに納得できるかどうかで賛否も分かれそう。
いや、個人的に否ではないんですけどね…なんか魂ってなんじゃらほい。
あと、機会人形があんなに人間らしく作れるなら、
もう屍者なんかよりよっぽど良いじゃんっていうバランスはどうなんだろうかって気もした。
家で何かを観ようとなると「dアニメストア」が活躍している。
個人的には映画が観たいって思っているのだがアニメが好きではないこともないので、
まあ自分が観たい映画は自分がいるときに観れば良いので、
自分だけじゃ絶対観ないだろうなってものに出会えるのも楽しいわけで。
そう言えば、以前書いた映画「夜は短し歩けよ乙女」はそんな感じでした。
そして今回観たのはアニメ「屍者の帝国」です。
これは元々は劇場用のアニメ映画「屍者の帝国」をdアニメストアで配信する際に、
3つに分けた状態のものの様です。
別に3つに分けなくても良かったような気がしますが…大人の事情でしょうか。
という事で正確には劇場版とは違うかもしれませんが、
内容は一緒だと思いますので「映画」として感想を書こうと思います。
視聴環境はdアニメストアをChromecastを使ってテレビで観ました。
アニメ映画「屍者の帝国」は2015年公開の牧原亮太郎監督作品。
牧原亮太郎監督は多くのアニメ作品に参加していまして、
新海誠監督作品や原恵一監督、細田守監督などの作品の原画をしたり、
以前感想を書いたアニメ「四畳半神話大系」では作画監督をされている回もあったりと。
…というか、これだけの人と一緒に仕事してるってだけで凄い信頼されてる人なんだなと。
劇場アニメでは「ハル」を監督していますが、まだみていません。
アニメ映画「屍者の帝国」は同名の小説が原作。
姉によるとこの原作と著者の1人である伊藤計劃がとても有名との事。
しかし、勉強不足なものでそちらも未読です。
その伊藤計劃が執筆の途中で病気により亡くなってしまい、
それを引き継いで親交の深かった円城塔が完成させた作品との事で、
ここら辺を知っていると感じ方が変わるとか…。
なのでここら辺を知らない人の感想と言う風に読んでもらえると助かります。
本当はそう言われているなら、そこもちゃんと知ったうえで感想を書くほうが良いのですが、
なかなか活字が苦手なもので、読むのを待っていたら書けないかなと。
さて、アニメ映画「屍者の帝国」ですが、屍体の蘇生が普通に行なわれる世界の話。
蘇生された屍者には自我がなく、主の命令を聞く労働者として世界中で使われていました。
屍者の研究をする医学生のワトソンだが、友人のフライデーの死体を勝手に持ち出し復活させるのであった。
しかし、やはり他の屍者と同じく自我の無い状態のフライデー。
そして、それをM率いる諜報機関に知られ任務を頼まれる事に。
それがヴィクター・フランケンシュタインが書いた「ヴィクターの手記」を見つける事だった…みたいな話。
主人公のワトソンの声優は細谷佳正。
姉の中ではオルガとの事…自分は観てません。
友人のフライデーは村瀬歩が担当。
いろいろ言われましたが自分は分かりませんでした…。
ワトソンを助けてくれるハダリーは花澤香菜が。
もちろん彼女は映画「夜は短し歩けよ乙女」の黒髪乙女の声優さんです。
その他、実力派な声優陣が脇を固めている…そうです。
さて映画「屍者の帝国」ですが、
まず言いたいのは画のクオリティの高さ。
やっぱり劇場版アニメの良いところはものにもよりますが、
製作期間が長いぶん画のクオリティが高い、というところだと思います。
もちろん、以前感想を書いた映画「鋼の錬金術師 嘆きの丘の聖なる星」みたいに、
劇場版なのにな〜っていうガッカリするタイトルもたまにはありますが。
この映画「屍者の帝国」は制作がアニメ「甲鉄城のカバネリ」のWIT STUDIO。
好きだったなあ…終盤の展開は微妙でしたが画のクオリティは高かったなあと思い出します。
劇場版アニメで画が綺麗だと、それだけで劇場版って感じがして嬉しい。
綺麗な画に実力のある声優陣、まあだいたいそれだけでも楽しめる気はするし、
ストーリーも決してつまらない訳ではない。
しかし…しかし、これは傑作だ!という感じにはなりませんでした。
もちろん先に書いた様に原作者や製作の過程を知っていると感じ方も違うのでしょうが、
そこら辺を知らない自分からは、なんかいまいちピンとこなかった。
一番の疑問というかのれなかったのはラスボス的存在の「ザ・ワン」について。
Mは争いの無い世界にって事で世界中の人間を屍者化しようとしてる訳ですが、
それはまあ良いとして、
ザ・ワンは同じ装置を使って死んだ花嫁の魂を機会人形のハダリーに入れようとする。
えっ?
まあ「ヴィクターの手記」にいろいろ書いてあったんだとは思うんだけど、
なんでロンドン中の人々の意識から花嫁の魂が出来るの!?
機会人形だからどんな魂が入るってのはまあ分かるんですが、
その肝心なザ・ワンが蘇らせたい花嫁の魂って他人から作れるの??
花嫁の屍体があるとか、花嫁にまつわる何かがあるならまだ分かるんだけど、
なんで他人からピンポイントで魂作れちゃうのかなあ。
ていうか、1人の魂を復活させるだけにどんなけの人の魂がいるの?
鋼の錬金術師でも等価交換って言ってたのに、比率おかしくね。
…なんて思っちゃう訳です。
それに、ちゃっかりザ・ワンもイケメンの体に入ろうとする訳で。
せい、せい、せーい、って。
ラスボスが崇高な野望があるとは限らず、しょーもない個人的な動機ってのも悪くないけど、
なんか強引な設定をうまく飲み込めずに終盤で理解するのをやめってしまった感じでした。
という訳で、映画「屍者の帝国」、劇場版アニメとして観て損はありません。
そして、製作の過程なんかを知っているとよりメッセージが濃く受け取れるとの事です。
あとは、強引な展開につっこまずに納得できるかどうかで賛否も分かれそう。
いや、個人的に否ではないんですけどね…なんか魂ってなんじゃらほい。
あと、機会人形があんなに人間らしく作れるなら、
もう屍者なんかよりよっぽど良いじゃんっていうバランスはどうなんだろうかって気もした。
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